沖縄復帰・返還30年にあたり
全国のそして全世界の友人へ
2002年5月15日
沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動
吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
”鉄の暴風”やみ 平和のおとずれを信じた沖縄県民は
米軍占領に引き続き 一九五二年四月二十八日
サンフランシスコ「平和」条約第三条により
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた
米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた
われわれの闘いは蟷螂の斧に擬さ(れ)た
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯があることを信じ
全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた
見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
二七度線を断つ小舟は船出し
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ
今踏まえている土こそ
辺戸区民の良心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ
一九七二年五月十五日 沖縄の祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
しかるが故に この碑は
喜びを表明するためにあるのでもなく
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
闘いをふり返り 大衆が信じ合い
自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあり
人類が永遠に生存し
生きとし 生けるものが 自然の摂理の下に
生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある
[沖縄県本島北部国頭村辺戸岬にある祖国復帰闘争碑碑文「沖縄県祖国復帰闘争史 写真集」二〇四〜二〇五ページから]
基地つき本土並み復帰・返還という沖縄県民と本土国民の要求とはかけ離れた復帰・返還について、沖縄県本島北部国頭村辺戸岬にある「全国のそして全世界の友人へ」と題する祖国復帰闘争碑文は、上のように述べています。いささか古風な文章ですが、ここに表現されている現実は、30年を経た今も変わりません。
30年前の1972年5月15日、アメリカ政府の軍事占領下にあった沖縄は、日本へ施政権が返還され、復帰しました。しかし、沖縄戦以後57年間継続している米軍基地はそのまま残り、30年たった今なお沖縄県民は、米軍基地に苦しめられています。
まさに、「しかし県民の平和への願いは叶えられず日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された」のです。
しかし、30年前、沖縄県祖国復帰協議会に結集した沖縄県民は、核も基地もない平和な沖縄全面返還を要求して闘いました。沖縄県民と全国民的闘いこそが、不可能と見えた祖国復帰・返還を成し遂げたこともまた事実です。
「闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うために」この復帰三十周年を記念しましょう。
そして、必ず、遅くとも2015年までに、沖縄をふくむ日本から米軍基地をなくし、日本国憲法の理念が生かされる沖縄をふくむ日本を実現するために、たゆまぬ努力を続け、国民的な団結の力によって、要求を必ず実現致しましょう。
私たち草の根運動は、全国のそして全世界の友人たちへ、今こそ決意を新に、沖縄をふくむ日本から米軍基地をなくす闘いに立ち上がられることを心から呼びかけるものです。そのためにも、草の根運動へのご賛同ご支持を、心からよびかけます。
「戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫び」は高く大きく響き渡り、日本国憲法前文と第9条に体現された、平和と人間解放の理想は必ず実現するでしょう。