草の根ニュース12月15日号より
違憲!侵略の自衛隊イラク派兵反対!
「自衛隊」を米軍の先制攻撃・占領の道具にするな!
隊員の戦死阻止!
沖縄はじめ日本の米軍基地はいつも有事=戦時。違憲!戦争!従属の基地をなくしましょう
「隣国すべてが友人となった」ドイツ
孤立の道を歩んできた日本
北朝鮮、日本、韓国、中国、ロシア、アメリカで「北東アジア共同の家」を
内田雅敏弁護士を講師に、沖縄スタディツアー第2回学習会開催
7月8日午後7時から連続学習会の2回目が開かれました。
講師は、日本弁護士連合会(日弁連)の有事法制対策本部事務局長代行など日弁連で憲法・平和・人権問題を担当して活躍している内田雅敏弁護士でした。「北東アジアの安全保障と沖縄・米軍基地」(各国国民の視点から)というタイトルでした。第二次大戦での同じ「敗戦国」でありながら,ヨーロッパでは「歴史上はじめて隣国すべてが友人となった」(ドイツ国防軍改革委員会報告書2001年)ドイツと、アジアの国々からは警戒の目で見られ続け、孤立の道を歩んできた日本との違いは何かという問いかけから、歴史的に安全保障と平和の問題を解き明かして下さいました。日米同盟(安保条約)というかたちで、政治・軍事・外交のあらゆる場面でアメリカに従属している実態を事実と資料を基に解明し、北朝鮮問題を含め、今後「国防から人間の安全保障へ」という観点にたち、ブッシュの先制(予防)攻撃思想、アメリカの単独行動主義に対抗するために、今こそ「法の支配の復権」が大切であることを強調されましました。参加人数がちょっと少なかったのは残念でしたが、久しぶりにきちんとした学習が出来て良かったと大変好評でした。(平山知子)
「私たちは微力だ。しかし無力ではない」と内田雅敏弁護士は述べられました。草の根の民衆が力をあわせさえすれば、私たちは必ず勝利するという確信を得ました。内田雅敏さんがインタビュウした姜尚中(カンサンジュン)東大教授が強調している、「北東アジア共同の家」構想は、ヨーロッパで実現しつつある「ヨーロッパ共同の家」の北東アジア版であり、「大東亜共栄圏」という日本帝国の侵略支配思想とは全く異なる、21世紀にふさわしい構想です。「無力ではない」草の根の民衆の団結、統一戦線の力で日本国憲法、国連憲章の思想に合致したこの方向へ前進しましょう。(平山基生)
会員のページ
『証言 内灘闘争―参加者が見た想』によせて
福冨 清子(賛同会員)
空模様も世の動きも、うっとうしい日々でございます。
同封の『証言 内灘闘争―参加者が見た想』は、石川県金沢市近郊の内灘砂丘が米軍試射場に接収されようとした50年昔の反対闘争の記録です。反対闘争の頃、わたくしは全くノンポリの学生で、友人たちが内灘へ支援に出かけて、ほとんど無人に近い教室にぽつねんと午後の時間をすごしておりましたが、今にして思えば、その時、歴史的な闘いがすぐ近くで行われていたのだと、思いを深くしております。夫もノンポリだったらしいのですが、もののはずみでその中に巻き込まれ、その結果、この小冊子に一文を書くことになりました。
一昨日(6月22日)澤地久枝さんを講師にお招きして、内灘で「闘争50周年記念」シンポジウムが行われ、夫も参加しました。この地域の闘いから、その後私は、私立学校に勤めてすぐの「学力テスト」「安保」「組合活動」「私学助成金制度のための直接請求署名」、夫の「組合幹部逮捕―裁判闘争」等々、ずい分と闘いを続けてきましたが、あの頃は、闘いを支援する精神の緊張が世間にみなぎっていたようです。
しかし、今「有事立法」といっても、なかなか危険な本質が気づかれにくい情勢で、かつての「エログロナンセンス」の煙幕と同じものが国民の眼をおおっているようです。絶望ばかりしているわけではなく、若い世代が、頭のさがる勉強や活動を始め、継続していらっしゃるのをテレビなどで知ると、こちらも励まされ、勇気がわきます。
「草の根運動」が、地道な活動で、ひとりでも多くの人々に、自分自身と自分の祖国の命の軌道を守る運動に加わるきっかけを与えてくださることを願っております。
先月〔5月〕18日から4日間、絵のグループで奄美大島をめぐりました。加計呂麻島で、島尾敏雄文学碑に会い、「震洋」を見、58年以前の空気をピリピリ感じました。
−人間魚雷 今は昔か 夏霞
−海境〔ウナサカ〕を 越え来し蝶の 影踏まじ
奄美には色とりどりの蝶が乱舞していましたが、それらは、空に、また海底に果てた若者たちの魂の化身のように思われたのです。
梅雨が明ける頃、私の年齢以上の方々の目には、青い空は悲しみの光をたたえます。今の子供達には、夏の青空はあくまでも生命の輝きのシンボルであると見えるような世界を創らねばと思います。
皆々様のご健勝をお祈りしてペンを擱〔お〕きます。
(筆者の夫 福富文哉さんの一文が上記冊子に収録されています。1冊600円送料別)
(賛同会員の通信欄から)
沖縄は基地あるが為の事件・事故が絶えない。日米地位協定改定も前進しない。(沖縄県玉城村・石垣)
有事法制が成立してしまい、とても残念。戦争をしない国にするための努力を続けたいと思います。(東京都世田谷区・石川)/ ご健闘に敬意を表します。9月の沖縄スタディツアーで嘉手納基地案内役の田仲康栄さんは小生の友人です。(宇治市・須田)
西表「炭坑」
沖縄で生活した4500日(12年半) 見聞き感じたこと第2回
菊池富士夫(元航空会社職員)
読者の皆さんの中で西表島に「炭坑」が存在していたことをご存知の方はいらっしゃいますか。
西表島は「いりおもてヤマネコ」の生息地として皆さんもご存知のことでしよう。那覇から南西450キロメートルにあり沖縄県で本島に次いで大きな島です。「炭坑」は西表島の西部にありました。『西表炭坑概史』(三木健著、ひるぎ社・おきなわ文庫、著者は琉球新報社で現在も活躍)によれば、「西表炭坑」の主な炭鉱会社は7社、坑口は17ヶ所で、白浜周辺に集中(6社、坑口12していました。採炭は三井物産が1885(明治18年)試掘、本掘は1886年に開始し、敗戦後も1960年まで採掘が行われたと記されています。
戦前の西表炭坑がどのようなものであったかは、以下の目次の一部からうかがえます。
「1.沖縄近代史と西表炭坑」「2.採炭前史・ペルリ来琉と西表石炭への外圧・琉球王府の禁令政策と石炭加那事件・明治政府の関心」「3.明治期の西表炭坑・三井物産会社と囚人労働・大倉組の西表進出とその背景」「4.大正期の西表炭坑・第1次欧州大戦と石炭景気・納屋制度化の強制労働・蘇鉄地獄と西表炭坑」「5.昭和期の西表炭坑・台頭する“山師”たち・坑夫の労働と生活・西表炭坑における労働運動・中国人坑夫と朝鮮人坑夫・戦時体制化の西表炭坑・炭坑と島社会」
西表島の石炭を私が直接見たのは、白浜港から定期船で行った舟浮集落にある「西表館」で展示されていたものでした。読者の皆さんにも「西表炭坑」の実像を知って頂きたいと思います。
6月28日辺野古現地集会に参加−巨大海上基地に反対して
中瀬 寛一(茅ヶ崎市・賛同会員)
9月の「沖縄スタディツアー」は時宜を得た、たいへん良いプランですね。ご成功を願っております。小生も昨秋に続き本年も6・23慰霊の日を中心に参りました。戦死した父の部隊の生存者、遺族が毎年集います。
なじみの壺屋、ヤチムン(焼き物=陶器)の店では女主人が「なぜあんなにも簡単に有事法を通すのか」と怒りの声。
7ヶ月ぶりの辺野古では、防衛施設局の20人ほどが船数隻で法的基礎もない、抜き打ち基地建設予備調査。「命を守る会」68歳の金城裕治代表、一段と逞しくなった埼玉出身18歳の富田晋青年が先頭に立ち頑張っています。6・28現地集会は翌日しんぶんにも報道されました。キャンプシュワブの鉄条網に沿って、「基地反対、ジュゴンを殺すな」などと書かれた幾百枚もの色とりどりのリボン、ハンカチが張り巡らされ鉄条網と基地を圧倒していました。(嘉手納基地の「安保の見える丘」については続報ー編集担当)
「草の根ニュース」松田みさ子さん追悼号を予定しています。
反戦、米軍基地をなくす為に、激しい情熱をもって、草の根からご尽力された松田さんへのメッセージをお寄せ下さい。
