草の根ニュース25より}


嶺 一 沖縄県知 へ

金武町伊芸区都市型戦闘訓練施設と普天間基地の問題で手紙

2005630日、沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動 平山基生運営委員長は、稲嶺恵一沖縄県知事に次の手紙を送りました。

拝啓

 直接のFAX等によるお手紙お許し下さい。

 昨日(2005629日)、貴殿は、沖縄県議会で、次のように答弁されました。

 「知事『暫定でも容認できぬ』/都市型施設〔沖縄タイムス見出し〕

 県議会(外間盛善議長)六月定例会の代表質問は二十九日午後も続行された。稲嶺恵一知事は金武町のキャンプ・ハンセン『レンジ4』での都市型戦闘訓練施設の訓練について、『使用に反対する地元住民や金武町、県の意向に反する。一時的でも断じて容認できない』と述べ、訓練開始の中止を求める姿勢を強調した。金武町と連携し、地域住民の危険回避と早期移設を日米両政府に求める考えを示した。

 米軍普天間飛行場の嘉手納基地への統合案について、稲嶺知事は騒音など周辺市町村の過重な負担を挙げ、『さらに負担を増加させることは容認できない』と反対の意向をあらためて明らかにした。」

 これらのご発言は、いずれも、私たちの運動の立場から見て積極的なもので、支持できるものです。

 私たち、沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動は、沖縄戦終結、米軍基地開始60年に当たって、別紙声明を出し、本日、都市型戦闘訓練施設についての語句を補充しました。

 私たちは、本土にあって、貴県に所在する宜野湾市の伊波市長公約「2008年までの普天間基地撤去」を我が公約と考えて、行動しております。

 本土から見ても、沖縄県の基地負担の過重さは目に余るものがあり、とうてい看過できるものではありません。しかし、私たちが言う「うちなー(沖縄県)やまと(本土)の、情報と心の27度線」のために、本土では都市型戦闘訓練に対する新聞報道は、ほとんどなく、一般国民は、県民の怒りや知事が町民と共に使用に反対されていることを知らされていません。私たちは、本土において、微力ではありますが、沖縄全面返還(祖国復帰)運動以来の思いを引き継ぎ、活動いたしております。

 私たちが声明に託した、沖縄県民への思いをどうぞお酌み取りになられるよう心からお願いいたします。

 ご健康に気をつけられ、県議会でのご答弁の方向で、活躍されることを心から祈っております。 敬具 FAX添付この手紙をのぞいて、6枚。

沖縄戦終結・米軍基地開始60年に際しての声明

普天間基地・都市型訓練施設の米本土移転は可能であり、

それ以外に選択肢はない

2005630

沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動

2005623日は、60年前、軍民23万人そのうち14万人住民が尊い命を失った悲惨な沖縄戦終結の日である。 そして、「アジア最後の植民地」(チャーマーズ・ジョンソン)沖縄米軍基地が開始された日でもある。沖縄戦の慰霊は、再び戦争を繰り返さないという日本国憲法の精神にたち、米軍基地の整理・縮小・撤廃を実現することによってこそ、真の慰霊となると確信する。

 

1.【被害の基地】

 以来60年、日本全国米軍基地の75%を、国土の0.6%と言う小さな島にかかえ込まされ、毎夜の睡眠を妨害する爆音、広大な海域の演習場化、さらに広大な空域の占拠、無数の米兵犯罪(1995年の少女レイプ事件はその一例にしかすぎない)、また、うち続く米軍事故(昨年2004813日に起こった、普天間基地軍事ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した事故、 金武町 での都市型戦闘訓練施設もその一例である)、さらにこの上に新基地を建設しようという日米政府の動き(辺野古新基地建設と県内移設の計画は正式に放棄されてはいない、日本政府は、都市型戦闘訓練施設の移設も同様である米政府へ要求していない。)、これらの県民被害は、とりもなおさず、全日本国民の問題である。米軍基地被害は、1県で沖縄県ほどに至らなくても、日本全国の米軍基地についてあてはまるものである。

 

1.【加害の基地】

 しかし、問題は日本国民・沖縄県民被害の問題にとどまらない。これらの米軍基地が、他国民を殺傷する加害の基地となっていることである。朝鮮戦争から始まり、ベトナム戦争につづいた米軍の軍事行動は一例にすぎず、米軍の「太平洋のキーストーン」とされていることは、日常的に米国覇権のキーストーンであることを意味している。イラクファルージャでのイラク人民虐殺の中心部隊の一つは、普天間基地の米海兵隊であり、都市型訓練はファルージャで実戦に使われた。台湾直近の下地島民間パイロット訓練飛行場を普天間移転先候補とし、現実に米軍が頻繁に着陸していることなどは、将来、中国の内部問題である台湾海峡問題への干渉を意図したものと推定される。沖縄県のみならず、横須賀基地など米軍基地を日本が提供していることは、これらの基地提供国日本が、他国にとって加害国の立場に立っていると断定されても弁解の余地はない。

1.【60年は忍耐の限度を超えている】

 米軍基地による被害と加害は、沖縄県民の忍耐の限度を遙かに超えている。それはまた、日本の他の米軍基地周辺住民と全日本国民の受忍限度を現実に超えている。普天間基地と金武町都市型戦闘訓練施設の県外移設は、絶対の条件であり、辺野古はもとより嘉手納基地やキャンプシュワブ、下地島他への移転など県内移設は論外である。同時に、岩国基地などへの移転も取りざたされている。基地周辺住民の被害はもとより、在日米軍基地の存続自体が、他国への加害の基地であり、日本国憲法に反するものである。沖縄県以外の日本国内移転もまた論外という他はない。

 

1.【普天間基地・都市型戦闘訓練施設の米本土移転は軍事的に可能】

 米国防総省が閉鎖を勧告した米国内基地を点検した、軍事専門家は、軍事的に普天間基地の米本土移転が可能であることを証明している。(『核兵器・核実験モニター』236号)米国議会「海外基地見直し委員会」は、普天間基地海兵隊航空部隊・施設を嘉手納空軍基地または岩国基地へ移転することを勧告している。これに対し、この軍事専門家は「米流の戦略論に騙されるな」とのべ、米本国基地への移転を具体的に提案している。この提案は都市型訓練施設にも適用できるものである。

 

1.【普天間基地・都市型戦闘訓練施設の米本国移転を実現する世論の力】

 普天間基地の県外移設、都市型戦闘訓練施設移設を要求する沖縄県民の世論は、いま頂点に達している。辺野古での不屈の新基地建設反対の闘いは、未だ勝利を決定するに至ってはいない。勝利への最後のつめの闘いが必要である。同時に、日米政府が企図している、県内、他県への移転の危険は、差し迫ったものになっている。沖縄県内で燃え上がっている普天間基地閉鎖と都市型戦闘訓練施設移設の要求を、目に見えない「沖縄・本土を情報と心の面で分断する北緯27度線」を突破して、日本全国民の要求へと燃え広がらせることが、今緊急に求められている。

 

1.【世界諸国民の世論を信頼して】

  また、普天間基地・都市型戦闘訓練施設米本土移転の軍事的可能性を現実のものにするには、沖縄・本土の日本国民の世論を作る闘いだけでは不十分である。米国内の平和を求める世論を奮い起こし、また、現実に、沖縄を含む在日米軍基地による攻撃対象とされている中国などアジアと世界の諸国民の世論を喚起すること、また、米海外基地所在諸国民の闘いとの連帯が必要である。

 

 沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動は、悲惨な沖縄戦の犠牲者の命を記念し、再びこのような犠牲を出さないために、沖縄・本土の草の根民衆、地方自治体、米本国とアジアと世界の草の根民衆とともに、普天間基地・都市型戦闘訓練施設の米本土移転実現及び、沖縄を含む日本と世界の米軍基地を米本土に帰還させるために、全力を尽くすことを、ここに厳粛に表明する。

 



         私 の 闘 い

                               斉藤寿子

 私には二人の男の子がいる。現在中学2年生と高校3年生である。この、高校 3年生の子が中学を卒業する時に、子ども宛に防衛庁から自衛隊の勧誘はがきが来た。そして高校3年生の今年、再び防衛庁から自衛隊の勧誘封書が来た。「集え・若人!未来に向かって挑戦!」などと、募集案内にはそれは魅力的な言葉で内容が述べられている。防衛大学、防衛医科大学、航空学生、看護学生…あら~安いはね~、などと見ていると、それは授業料ではなく、給料の金額だった。それまで、卒業後の進路として大学、専門学校の案内を見て、授業料のあまりの高さに面食らっている頭には、あまりの安さに、結構いいかも、なんて気持ちを呼び起こされてしまう。よく読むとそれは、授業料ではなく、給料なのだった。払うのではなく、もらえるのだとようやく理解した。それに公務員、なんと魅力的かしら。男女平等に募集されているし、ジェンダーフリーバッシングの中でも、防衛庁やるじゃない!などと的外れな評価もしかねない。

 戦前、一銭五厘の命と、自嘲的に自らの命を評した赤紙のことが頭をもたげた。それは否応ないものだった。私たちの父や兄や弟、祖父の命は、いくらでも代わりのきく消耗品でしかなかった。が、これは、かなり魅力的に映る。現在の日本の状況の中で、公務員、安定した給料、それがどれだけ魅力的なものか。私の子どもは都立の工業高校生である。卒業しても高校での勉強とは関係のない所に多くの子供たちは就職する。いや、せざるを得ない。そんな彼らの間隙に入り込んでくる、草の根のファシズム。小学、中学、高校と成績でも運動でも、周辺でうろうろして、決して中心に行くことはない。そんな子どもたちがもしかしたら英雄になることができる所なのだ、自衛隊は。人を殺して。命を捨てて。私の中の草の根のファシズムをどうしよう。

 殺さない。国は捨てても、命は捨てない。そんな生き方を模索している。(草の根運動有給ヴォランテイア)

 

私も微力を尽くさなければと

                                                            平山 孝子

はじめまして。平山孝子と申します。2ヵ月余り前から 「草の根運動」のお手伝いをさせていただくようになりました。まだ新しい衣がしっくり身に付かないようなところがあるのですが、何とか頑張ってみようと思っているところです

 ここで少し自己紹介をさせていただきます。私は長く大学の職員をしていましたが、退職後ずっと「日本が過去に興した戦争犯罪の調査を求める運動」や慰安婦裁判の支援等をしてきました。

 今回、沖縄問題に関係するようになりましたのは、お二人の仕事上のパートナーを次々に亡くされた平山さんのお手伝いが少しでもできればと考えたからです。私も10年余り市民運動に携わってきましたので、少しはお力になれるかもしれないと思っております。 私は沖縄に5回行っております。1回目は本土復帰直後の1972年12月~1973年の正月までで沖縄出身の作家霜田正次氏の案内で、基地はもとより、沖縄の文化にも初めて接しました。氏の作品からも沖縄の文化について学ぶ機会がありました。その後は趣味の写真の撮影会等で 先島へも2度行く機会がありました。

 美しい海や島々が米軍の基地にされ、沖縄の方々に筆舌に尽くせない犠牲を強い、又この基地からイラクへの人殺しの飛行機が飛び立つことを考えるとき、基地を撤去し平和な沖縄を取り戻すため、私も微力を尽くさなければと思っております。(運営委員)

 

戦没者の遺言

 

                                        

小林 雅之

韓国や中国における抗議デモの様子を日本のマスコミが連日報じている最中だった。私は靖国神社に足を運んでみようと思い立った。目的は遊就館である。大戦中使われた実物のゼロ型戦闘機、人間魚雷、戦車や機関銃などがずらりと陳列されている。息を呑むとは正にこういう事である。陳列してあることの意図、まことに凄まじいものが感じられる。過去の侵略と戦争犯罪の歴史塗り替えを執拗にアピールするパネルや映像で全館満ちあふれていた。日清、日露、「大東亜」と続いた戦争は、相手から仕掛けられたこと、避けられなかった戦争だと描き、「お国のために殉じた英霊に対して戦犯などという濡れ衣は許してならない。この汚名を濯ぐことが残されたものの使命である」と脅かすように迫る。小泉首相の靖国参拝がどれほど背信的な行為なのか、なぜ近隣諸国が怖れ怒るのか。靖国神社に行けばその疑問は瞭然と解けるはずである。遊就館とは、安寧平和の世界から引き離された恐ろしく好戦的な世界である。ここは、過去の侵略戦争を反省しないだけではなく、再び戦争する国へ復活をたくらむ、改憲勢力という生きた亡者たちの執念が渦巻いている処だ。貴い人々の死を無駄にしようとしているのは他ならぬ靖国である。話はあべこべにされてきた。靖国こそ戦没者の浮かばれない処だと私は思った。これはもう、何としても平和憲法を守らせねばと、身の引き締まる思いに駆られる。出口近くに、来館者が自由に記帳できるコーナーがあった。ずらりと並んだノートを一つ一つめくって廻った。「朝鮮や中国に対して日本はもっと堂々と振る舞うべきだ」靖国参拝問題をとらえてのことだろう。「英霊のご恩に報いるために」「戦没者の犠牲を無駄にしないために」だから来館者はこれから何をなすべきか。そのあとに続く言葉には、書いた人それぞれに違いがあった。ある人は、だからもっと強い日本をと書き、ある人は、だから平和の日本をと書いている。

  私は若い人がやはり気になった。「二〇歳。ここに初めてきました。戦争にあれこれの口実は許されないと思います。(ウムウムそうだ)しかしここに来て、先輩たちの死を無駄にしてはならないことがよく判りました。(おやおや)僕たちがしっかり日本を守ります!」(あらら)遊就館の意図まんまとして、この青年を感激させてしまったのであろうか。英文ばかりの書き込みがあった。「日本はなぜ侵略戦争について、本当の事を語ろうとしないのですか。なぜアジアの人々と一緒に平和を追求しようと考えないのですか。なぜ平和憲法をもっと大切にしないのですか。中国・学生」 ようやく、このページにきて私はほっとした。ノートの中に、強く惹かれる言葉を見つけた。「憲法九条は戦死者の遺言。だから九条を守っていきたい。名古屋・四〇歳・男性」。ある部屋に入って私は思わずため息を漏らしてしまった。そこに千人はいたであろうか。コラージュされた顔写真が壁一面に張られていたのだ。将兵、軍属、従軍看護婦、勤労動員学徒、この顔々は全て戦没者なのであろう。どんな思いで死んでいったことか。一人一人の顔を追いながら、私は先ほどノートに書かれていた言葉を思い返していた。平和よ早くきて、と祈りながら死んでいったに違いないこの人々が、私たちへ残した遺言。それが憲法九条。いま私たちはこのことを、しっかり受けとめなければならないと。すでに百年も前に内村鑑三はこんなことを云っている。「戦争が戦争を止めた例は一つもない。戦争は戦争を生む…世に迷想多しと雖も軍備は平和の保障であると云ふが如き大なる迷信はない」 (公共一般労働組合役員)

 









2005年7月15日  25号 第2部(論集)

東北アジアの紛争予防について提言 

紛争予防のための東北アジアNGO会議(GPPAC)報告

~「東京アジェンダ」採択~

弁護士 笹 本  潤

 

 私の経験したGPPAC参加の感想を載せます。法律家団体宛に書いたものです。

 2月1日から4日まで東北アジアのNGOが各国から約40名東京に集まり、東北アジアの紛争予防について提言をまとめました。GPPACという略称のこの会議に参加しての報告を文章にしてみました。

 中台問題などのアジア情勢の厳しさとともに、憲法9条が全アジア的な問題であることを痛感し、ますます9条改悪をストップさせることが重要であると感じました。

 2月1日~4日にかけて青山の国連大学に東北アジアのNGOのメンバーが約40人集まって,「武力紛争を防止するためにNGOとして何を提言できるか」を話し合った。2日間の議論を通して採択されたのが,「東京アジェンダ」という提言である。

 紛争予防と言っても,もちろんブッシュの予防的防衛とは全く違う。日本の憲法9条の非武装・非軍事の理念を具体化するものとして,市民やNGOがどのような役割を果たせるのか,がテーマだった。提言の内容はHPでダウンロードしていただくとして,どのような議論がなされたのかを報告する。

 1日目の平和・軍事のテーマでは,北朝鮮からの参加がなかったため,最も注目されたのが中国と台湾の軍事的緊張の問題だった。中国のNGOと台湾のNGOが壮絶な議論を繰り広げた。

 台湾NGOは,「中台の軍事的緊張の問題は,他のアジアの国々にも影響を及ぼす可能性があり,その点では北朝鮮の核問題も同じ。」「グローバル市民として,地域の問題としてこの問題を取り上げるべきだ」と主張した。これに対し,中国NGOは,「中台問題は国内問題だ,外から干渉されると問題が複雑になる」「中台問題を不安定化している原因は台湾の独立運動」などと応酬し合った。しかし,対話をしていくことでは合意し,その日の夜,エンドレスの会議室を用意し,夜遅くまで話し合ったようである。次の日の朝には一緒に朝食をとるなど,対話をした成果が表れた。私も中国の参加者からどのような議論がなされたかを聞くと「今までNGOレベルでこのような議論をしたことがなかった。中国は台湾のNGOがみんな独立指向であると誤解していたし,台湾は中国のNGOがみんな武力侵攻をするのではという誤解をしていた。NGOレベルではそうではないということがわかり,それが収穫だった。」と対話が一歩前進したという感想が聞けた。

 しかし,2日目のアジェンダ採択になると,再び中国側が「一つの中国原則」を持ち出し,台湾がそれに保留するという両論併記型の提言になってしまった。このあたりの中国の姿勢には国の政策の影響を受け頑なな印象を受けたが,歩平教授も微妙な問題と言っていたように,1日や2日の議論ですべてがまとまる方が不思議なくらいで,時間をかけて今後とも対話を続けていくしかないだろう。南北朝鮮の市民の対話も時間がかかったし,中台の対話の第一歩としての意味は十分持てたのではないか。

 それにしても東北アジアからNGOが40人も集まる

ような会議は初めてではないか。日本の憲法9条の改悪に関しては,韓国,中国のみならず,フィリピン,モンゴル,ロシアからも,「9条改悪は具体的ではっきりした脅威」「9条の平和メカニズムは日本のためにもなる」「隣国の声を聞いて決めてほしい」「東南アジアや日ロ関係にも悪い影響を及ぼす」などと不安の声が次々にあがった。私は,日本国民として,9条を守る責任をますます痛感させられた。

 4日間の会議の中でいろんなNGOの方と出会い親交を深めることもできた。今後ともこの集まりを継続していこうとの提案もされている。このようなすばらしい会議を法律家レベルでも9月のCOLAPでぜひ実現させたいものだ。東アジア平和共同体もこのようなプロセスを通じて実現できるものなのかもしれない。

     (草の根運動運営委員・9条アピール法律家の会)

 


【資料】ネオ・コン連載(番外編)

合衆国の地球規模における軍事力増強に関する

連邦議会への書簡(2005年1月28日)
親愛なるフリスト上院議員、リード上院議員、ハスタート下院議員、ペロジー下院議員へ、

 

解説】以下に訳出するのは、アメリカ合衆国のネオ・コンサーバティズム(ネオ・コン)グループが、アメリカ連邦議会に送った書簡の抄訳です。提案者の中には、ロバート・ケーガン、ウィリアム・クリストルなどの代表的なネオ・コンの理論的指導者のほかに、退役軍人やシンク・タンクの研究員が含まれており、ブッシュ政権に対して彼らがどのような方向性を望んでいるのかが明確になっているといってもよいでしょう。

法政大学講師 南雲和夫訳

 

 合衆国の軍事力は、われわれが要求している責任を果たすのにはあまりにも小規模過ぎる。合衆国が果たすべき責任は、現実的かつ重要である。しかしこれらはのけものにされている。合衆国は、来るべき数年間、世界においてその約束を果たすことが出来ない、そして約束すべきでないものであってはならない。しかし、9・11以後の世界で、わが国の国家安全保障、グローバルな平和と安定、国防と自由の拡大のために、より大きな軍事力が必要である。不幸にしてブッシュ政権は、今日の(そして明日の)使命と挑戦に応えるために、地球規模で必要な軍事力を増強することに反対している。

このためわれわれは、立法府にいるあなたとあなたがたの代表に、陸軍及び海兵隊に積極的かつ能動的な任務を増やす必要性が増大していることを記しておきたい。どの程度の規模の軍事力が要求されるか、そして連邦議会がその規模と構成について決定する一方で、陸軍と海兵隊を増強し、同時に、少なくとも次の数年間の間、毎年25000人ずつ増員することを要求すべきである。.

 より拡大された中東地域―われわれが、世界中のいかなる場所において、防衛と同盟関係への関与を継続しており、合衆国の地球規模の軍事力を消耗する場所においては、われわれが任務を継続するのに求められている充分な証拠がある。たとえば、先月ジェームズ・ヘルムルリー退役大将(陸軍予備役)は、イラクとアフガニスタンにおける軍事力の「消耗」は、「軍の崩壊」をもたらす、と記している。イラクにおける2年間、アフガニスタンにおける3年間の後で、拡大された中東におけるわれわれの約束、すなわちコンドリーザ・ライスの言葉を借りれば、「総体的な関与」であることの証明である。この地域における軍の関与を満たす唯一の方法は、シビリアン・コントロールを通じて、可能な限り軍事力を増強することである。

ブッシュ政権は、この新たな現実に適応するのに抵抗している。われわれは、連邦予算の財政赤字が続く事の危険、および軍事力の増強からくる財政的困難を理解している。しかし、わが国の防衛は第一に政府の責任である。国家は、強力な財政的態勢に加えて、強力な国防体制を支える経済力がある。そして、われわれは、大規模な軍事力の必要性と、転換するのに必要な軍事力双方を支えることができる。

つまり、われわれは、必要とする軍事力を負担する余裕がある。国家として、われわれの軍事力の規模は、冷戦時代のいかなる時期よりも国内総生産の比率では小さい。われわれは、冷戦時代の軍事力の規模、ないしは形態に戻ることを勧めはしない。われわれは、世界的規模でその責任を果たすための軍事力を創出する責任を主張する。

我が軍の兵士は、過去数年間にわたり重要な役割を果たしてきている。われわれは、彼らが語る以上に、彼らのことを誇りうる。しかし、彼らの多くは、わが軍はその役割に比して規模が小さいと主張している。そして、われわれは戦時に際して、アメリカとその同盟諸国との契約にかけてもより多くこれらのことなすべきだと主張したい。予備役は、あくまで予備役を意味するものに過ぎず、現役ではない。我が兵力と予備役は、戦士として自らを証明するだけではなく、人道主義者であり、かつ発展しつつある民主主義の建設者でもある。我が軍、現役兵と予備役は、かつてその価値を国家に示してくれた。われわれは、彼らが必要とする人的資源と資材を提供することで、彼らの犠牲に報いることが出来る。

敬意をこめて

 ピーター・ベインネット、ジェフリー・バーガー、ダニエル・ブルメンタルマックス・ブート、エリオット・コーエン、イボ・ダールダートーマス・ドネリー、ミッシェル・フローニー、フランク・ガフニー、
ロイエル・マーク・ゲレヒト、バスター・グロッソンブルース・ジャクソン、フレドリック・ケーガン、ロバート・ケーガンクレイグ・ケネディ、ポール・ケネディ、ロバート・キレブロウウィリアム・クリストル、ウィル・マーシャル、クリフォード・メイ、バーリー・マックカフェリー、ダニエル・マッキーバーガン、ジョシュア・ムラブチック、スティーブン・ニーダー、マイケル・オハンロン、マックビン・トーマス・オウンズ、ラルフ・ピーターズ、ダニエル・プレトカ、スティーファン・ローゼン、ロバート・スケールズランディ・シェインマン、ゲーリー・シュミット、ウォルター・スロコンベ、ジェームズ・スタインベッグ

(なぐもかずお  草の根運動副運営委員長)

         

 

米軍基地のない沖縄・日本・世界は可能だ

「もう一つの日本」への結集可能性示したWSF

 

草の根運動運営委員長 平山基生

 

Ⅰ 1枚の世界地図ポスターと「外国軍事基地反対国際キャンペーン(運動)」

  

  ここに2種2枚、世界地図の絵柄が入った、水色のポスターとチラシがある。その世界地図には、一つの赤丸と紫と黄色の二つの三角、緑丸と紫丸、紫縁取り丸という6つの記号がちりばめられている。赤丸と二つの三角は米軍基地の種別を示している。緑丸は植物多様性、紫丸は石油、紫縁取り丸は水資源をそれぞれ示している。

  米軍基地をなくすことをめざす世界の活動家たちは、昨年2004年1月、インド、ムンバイで開かれた第4回世界社会フォーラムで、初めて一堂に会した。そこで知り合ったかれらは、わたしたちのような新しい参加者をくわえ、世界社会フォーラムという「場」を利用して、1年後再会した。1年間の活動の目に見える成果はこの世界地図に示された米軍の世界配置と様々な地球資源の配置を示したポルトガル語ポスターと英語チラシ2種2枚の世界地図に象徴されるであろう。

  地図の上の方には、「軍事基地にノー、帝国にノー」「合衆国に強制された経済的、政治的、商業的、軍事的支配に反対する」と記されている。世界地図のすぐ上には、「世界中の合衆国の軍事力」と記され、つまりこの地図が何を示しているかを明示している。

  では、米軍基地を意味する赤丸はどのように配置されているであろうか。

  まずアジアでっもとも目立つのは、日本の上の赤丸の多さである。韓国よりも3から4倍の数はあるだろう。次にヨーロッパ全域に集中的に点在する赤丸が目を引く。次がやはり中東である。紫色の地帯つまり石油と重なって、無数の赤丸が存在する。旧ソ連中央アジアも米軍基地地帯となった。インドネシアなどの西太平洋地帯にも赤い斑点は無数に地球を汚している。中南米、アフリカ、もちろん北米も赤丸がある。つまり、全世界を米軍が支配していると言うことだ。一国の軍隊がこれほど全世界に駐留することはやはり異常である。

  第1回の会議

  WSF開会日の1月26日、開会デモが終わって、ポルトアレグレ市内の小さなホテルのレストランに、9カ国・地域位かの参加者が集まった。フィリピン、タイ、日本、フランス、ポーランド、イギリス、アメリカ、キューバ、ビエケスからの18人であった。日本はその半数の9人である。そこで翌日の、テントで開かれるワークショップの進行プログラムを討議した。中心の司会者は、フィリピンから参加した、ハーバード君という25歳の青年である。彼はスムースに会議を進めるリーダーであった。若いくて堂々としていて有能である。約半数を占める日本からは、ピースボートの2人、WSF日本連絡会、日本アジアアフリカラテンアメリカ連帯委員会、沖縄市民平和連絡会、日本平和委員会、それに、私たち「沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動」の2人である。

  第2回の会議

  翌日、1月27日朝からF207本番のワークショップである。F207というのは、ポルトアレグレの、海岸線の広い地域を、AからKまでの小地域に区切り、その中を大小無数のテントを設置して、交流し、意見を交換し、提案を検討するのである。その中には、広場があり、もちろん食堂があり、各国からのNGOの売店があり、トイレがある。若者のためには、宿泊のテントもある。ただし、猛暑と、夜遅くまでの音楽とで寝不足になった50歳代のWSF日本連絡会の参加者には、相当こたえたようであったが。このように、世界社会フォーラム(WSF)原則憲章が述べているようにWSFは全世界の民衆運動に文字通り実際に、「スペース」すなわち「場」を提供しているわけである。

  そういうテントの一つF207で、全世界から米軍基地をなくそうという活動家たちが、実際にお互いの顔をみつめ声を聞いて、討議し合うのである。ラテンアメリカからは、コロンビア、プエルトリコから、米軍基地の新たな拡大、軍事的干渉の拡大、、経済的干渉について報告があった。その中で、米軍基地は世界の各大陸に一定の距離を以て配置されている、と言う報告もあった。イラクから、米軍によるイラク占領に反対するとの発言もなされた。アメリカからはペイスタッフ(私たちの言う有給ボランテイア)と無給ボランテイアのこと等具体的で切実な問題も紹介された。ギリシャ、イタリア、イギリス(有名なCND)、ベルギー、勿論日本からも、高里鈴代さんが沖縄の問題を話した。

  最後に、まとめ役のフィリピンの青年ハーバードさんはネットワーク、外国軍事基地に反対する国際キャンペーンInternational Campaign against Foreign Military Basesを結成しよう、と言う提案をした。米軍基地反対だけでなく、すべての外国軍事基地をなくすことが解決の道だ、と述べた。これに対して、外国軍事基地だけでなくすべての軍隊に反対することが大事だと述べたが、各国からは賛同を得られなかった。イギリスのCND女性は「私たちは平和主義者ではない」と述べた、わたしは、発言して「日本国憲法は、すべての軍隊を放棄している。(コスタリカのことはこのときは言わなかった)しかし、これをいわゆるパシフィズムと呼ぶことは出来ない。今、すべての軍隊をなくすと言うことで参加者が合意するかどうかは難しいが、日本国憲法の精神は大事である」と述べた。このワークショップで、先に述べた米軍基地世界地図は参加者に配布されたのである。

  第3回の会議

  翌1月28日、最初の準備会が開かれたホテル・プライア デ ベラス レジデンスで、再び、フランス、アルゼンチン、キューバ、イタリア、日本、アメリカ、ハワイ(アメリカによって征服されたハワイはアメリカ本土と同一に考えてはいけない)、フィリピン、ギリシャからの出席者で、前日の会議で確認された「国際キャンペーン〔運動〕」を具体的にどう立ち上げていくかの話し合いがもたれた。

  ヴェーニュつまり開催地、この国際キャンペーン(運動)のネットワークを作っていくための準備会議を開催する場所をどこにするか、ということが主たる議題であった。①日本の沖縄、②ワシントンDC、③パリ、④ハバナ(キューバ)が候補としてあげられた。このうちハバナは、今年2005年11月15日から19日までグアンタナも米軍基地問題など米軍基地問題で国際会議が予定されている、との報告がキューバ代表からなされた。この米軍基地に反対する会議は、1996年11月28日から30日まで開かれた国際会議に続くものである、との話であった。沖縄については、沖縄平和市民連絡会の高里さんは、持ち帰ってみないと何とも言えない、と発言した。

  第4回の会議

  フォーラムが終わり、人々が解散し、設営されたテントの中の椅子や机が片づけられ始め、テントの位置を示す道しるべも撤去された1月31日4時半から6時半まで、F207テント(といっても標識がないので見当を付けて行くしかなかった)で、今回の世界社会フォーラムという「場」を活用した、世界的な外国軍事基地に反対するネットワーク結成に向けての合意形成の最後の場が開かれた。出席者は、日本からは、草の根の私たち2人、ピースボート、平和委員会、の計4人、韓国、ベトナム、アメリカ、キューバ、ギリシャ、ハワイ、ブラジル、フィリピン、オランダ、計10カ国13人が、椅子もないがらんとした、撤去善のテントの中にある舞台の板を囲んで会議を持った。例によって主動的にどんどん議事を進める若いフィリピン人のハーバードさんが、次の10の議題を紙に書いた。①ウェブサイト、②基地の地図、③関係書目(ビブリオグラフィをどう訳すか)、④書籍(出版)プロジェクト、⑤会議、⑥マッピング(どういう意味か)、⑦行動日、⑧調整、⑨財政、⑩翻訳。

  ②の米軍基地について、草の根運動としては彼の本から「沖縄ーアジア最後の植民地」をパンフに使わせて頂いていておなじみのチャーマーズ・ジョンソン氏の名も上がった。世界に3000以上の米軍基地がある。(地図のポスターの)2版、3版を作らなければならない。ウェブ・サイトでは、ある国をクリックしたら、その国全体の米軍基地が出るようにし、そのある県をクリックしたらその県内の米軍基地が出るようにし、その中のある市町村をクリックしたらその市町村の中の基地が出るようにし、その基地をクリックしたら、その基地の全貌がわかる、というようなサイトを作りたい、という話になった。⑤の会議をいつどこで開くかについては、今年11月にキューバで開かれる米軍基地反対の国際会議の場を活用して、(その会議とは別に、)会議の前11月7日から10日にネットワーク結成準備会議を開こうと言うことに落ち着いた。⑦呼応どう日については、3月19日から20日のイラク侵略反対の世界的な運動日にあわせよう、ということになった。⑧国際的調整機能を持つ力のある団体はあるかということが議論になった。そこで、各団体の専従者の数が報告された。オランダの組織(何というのかは不詳)22名、日本のピースボートは30人の専従者が居るがこのような平和活動にさける人員は2人、平和委員会は本部地方をあわせて数十人、等々であった。⑨財政については予算を立てようということになった。⑩翻訳については、スペイン語、アラビア語、朝鮮語、日本語、フランス語、もちろん英語などを使用するための翻訳陣を作る必要性を確認した。

 「外国軍事基地反対国際キャンペーン(運動)」と言うネットワーク形成への次の歩みは、こうして大きな前進をとげたのである。11月キューバに行こう、と呼びかけたい。

 

Ⅱ「結集の場」としてのWSF-チコ神父との対話

 

  わたしは、今年1月末、ブラジルのポルトアレグレで開かれた第5回世界社会フォーラムに参加した。 ここには、日本をふくめ全世界から市民運動と労働組合運動家たちが結集した。わたしは、昨年1月に初めて、世界社会フォーラム原則憲章に触れた。私は、14項目のこの憲章の思想に深く共感した。と同時にいくつかの点で、どのように起草者達は考えているのか、という点を聞きたいと思ったことがあった。憲章では、政府代表、政党代表、軍事組織代表は参加できない、参加は個人としてに限られる。全く同意できる。なぜなら、市民、民衆の運動は、各政党の党派的利益によって、まとまるべきものがまとまり得ないという長い歴史があるからである。しかし、市民は主権者として、政治に対して、政党とは違った、党派的利益でなく要求を政府に対し突きつけ実現する権利と共に義務もある。政府政党と市民運動の関係はどのようなものか、ということが私の疑問であった。この点を知りたくて、この憲章をもっともよく知っている人物は誰であるかを探し、突き止め、。メールを交換して、2月3日、サンパウロで会うことができた。憲章起草に加わった、チコ・ウイッテイカー神父との会談である。 その時、「市民の要求実現は政治と深い関係がある。憲章は、政府、政党、軍隊が世界社会フォーラムに参加することを認めていない。個人としての参加は認めているが。市民運動と政府・政党との関係をどう考えるか」という私の質問に答え、彼は、左右の人差し指と親指で三角形を作り「今までこれがこれを支配してきた」と人差し指で出来た三角形の頂点に象徴される政府・政党と二つの親指で出来た三角形の底辺に象徴される市民の関係を示した。「これを逆転させなければならない」と 三角形の底辺である親指を上側にし、2本の人差し指の接点である三角形の頂点を下側にした。政府政党は当然の事ながら、主権者である市民に奉仕するものである。「国民が主人公」というポスターを出す政党もある。しかし、本当に政党は、市民の奉仕者であろうか。とりわけ政府与党は、市民を恫喝し、収奪し、市民の上に君臨する。

 チコさんの三角形の頂点に位置する政府政党は、下側から市民を支えるものでなければならない。これこそ、リンカーンの「人民の人民による人民のための政府」の概念であり国民主権の概念であり、ある意味では古典的であり新しいものではない。しかし新しいものは、いわゆるボリシェビキの前衛党概念が政党主導の社会運動概念を固定化して、政府と市民の関係を政府と政党の関係に代置することになってしまっていた。(その破綻は今や明らかである。) むしろ分けられるべき大きな境界は、与党と野党との間というより、政府・政党と市民の間にある。もちろん市民は政党に加わる権利を有する。しかし、政党は、政治権力の獲得を求める。そうでなければネズミを捕らない猫と同じである。市民は政治権力を求める政党とは異なり、政治権力獲得という政党の要求以外の要求実現を求める。 ここに結集の論理的根拠がある。

 チコさんが強調し私が日本ですでに共感していたことは、様々な人民の運動を結集させる「場」としての世界社会フォーラムである。彼は、繰り返し、WSFは運動ではない「場」だ、と強調した。その場に、いろいろな考え方の違う様々な無数の「運動」が結集するのである。英語での彼との会話で何度「スペース」という言葉が出てきたであろうか。世界社会フォーラムは運動方針を出さない。3月19日、20日に世界的反戦行動の呼びかけをしたのは、WSFの「場」を活用した世界から集まってきた平和活動家の大きなワークショップであった。

 

Ⅲ 「もう一つの日本は可能だ」への結集の場がいま切実に求められている

 

 今、重要なことは、平和の問題に凝集してはいるが、また平和と無関係の社会問題は存在しないと言っても過言ではないが、直接的には、平和の課題と言えないような課題が無数に存在し、その面での結集も急がれている。それは、君が代・日の丸の学校での強制やビラ撒き逮捕、橋本元首相の政治献金犯罪、マスコミの右傾化の問題、そして何より不公正な選挙制度の問題など無数の民主主義の課題、失業、低賃金、外国人労働者、税金、介護などの生活と経済に関わる問題、全国に存在する環境問題等々。それらの課題はすべて命と生活に関わる切実な問題となっている。これらの解決が求められている。これらの解決を総称して、「もう一つの日本」と言うことも出来る。「もう一つの日本」が今ほど求められているときはない。

 憲法第9条改悪問題をふくめ、平和問題は日本の社会問題の矛盾の凝集でもあるので、平和の運動での結集はきわめて重要である。しかし、平和の課題の解決だけで単独で解決できるものではない。大きな、日本が当面する全課題を解決する運動と連帯し手を結んでこそ平和の課題は前進し解決できる。

 このことから、「もう一つの日本」への結集という概念が生まれてくる。この結集へ必要なことは結集の「場」を準備することである。無数の運動は存在する。しかしその運動を結集する「場」が意識的に準備されていない。

 平和への結集のために平和運動がなすべき独自の活動は本格的にはこれからである

 九条の会、ワールドピースナウ、辺野古のボーリング調査を許さない実行委員会、ピースボート、平和委員会、原水禁、原水協、フォーラム平和・環境・軍縮、VAWNETーJAPAN、東京大空襲戦災資料センター、ピースデポ、沖縄平和市民連絡会その他無数の平和の組織がある。

 しかし、何百というそれらの団体が一堂に会し結集する十分な「場」はまだできていない。

 もう一つ、WSFが強調しているように平和への結集も「もう一つの日本」への結集も必然的に市民運動のグローバルな過程である。

 沖縄米軍基地在日米軍基地をなくす過程は、いまや、世界的な(グローバルな)過程でしかあり得ない。私は、ポルトアレグレで、ムンバイ以来の一年間の米軍基地をなくす世界的なネット実現運動の重要な成果としてこの米軍基地世界地図を手にした。「もう一つの日本」実現は、この米軍基地の世界地図が示すように、世界的な「帝国」のグローバリゼーション打破運動の不可分の一環として以外に実現しようがない過程である。「もう一つの日本」への結集は「もう一つの世界は可能だ」と言う草の根の民衆のグローバルな運動の一環として実現しなければならない。

日本における「結集」への努力はどこへ進むべきか

  平和への結集活動の重要な成果は平和という公共概念と「結集」を結合することを提起したことにある。その成果は、これまでの平和への結集の成功が示すように、「結集」を概念にとどめることなく、民衆は結集しなければならない、と言う共通の認識と要求を具体化することに着手したことである。と同時に、平和への結集は、その進むべき方向を模索してきたことも事実である、この大きな成果と模索の過程を確認したうえで、 いま、平和への結集はどこに進むべきかという問題を提起したい。

 私は、すでに始まっている世界社会フォーラム日本連絡会で一つの論議としてでた、「もう一つの日本は可能だ」日本(沖縄)フォーラム開催という議論を尊重しつつ、まだ遺されている平和への結集の活動はしばらくそれぞれの平和団体の動きを見守ることとし、平和への結集は、平和の課題に止まらない、世界社会フォーラム型ではあるが、日本独自の「結集の場」を作ること、たとえば、「もう一つの日本・沖縄」への結集というような活動に、活動を発展させてはどうか、と言うことを提起したい。

 日本社会の底辺から上層まである無数の市民活動・市民団体を結集しきれば、今、眼前に進行しつつある日本社会と政治の深刻な危機を打開する可能性が大きく生まれることは間違いのないことではなかろうか。第5回世界社会フォーラムも再びそのことを教えている。(ひらやま もとお (財)政治経済研究所沖縄問題研究室長)           

 


 

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