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60年安保世代の奮起を!もう一つの世界は可能だ

60年安保世代のみなさん
他の世代の皆さん
平山基生(沖縄日本から米軍基地をなくす草の根運動)です

あなたも60年安保国会闘争に参加されたのですか!
われわれも70歳近くなりましたね。
「老人力」もついて来て(笑)。
しかし、心は、みずみずしく、また平和への、そして
日本の真の自立独立中立と諸国民の友好への熱望と、
米帝国世界支配の
不条理へ、怒りに満ち満ちていますね。

人生をかけてきた今までと同じく、屈することなく、進みましょう。
歴史は必ずわれわれの正しさを証明しますね。
もう一つの世界は可能です!

ただ、1つ1つの闘いが大事ですね。
防衛省への昇格法案、教育基本法改悪法案、改憲手続き法案、
共謀罪法案、さらに、国民生活に関わる1つ1つの社会福祉法改悪案、
税制改悪などと(ほとんど皆民主党が、自公と合意しつつありますが)、
広い国民各層と力を合わせて、闘っていきたいですね。民主党頼みに陥らずに。

他の世代と共に、60年安保世代の私たちも、無理はせず努力して、さらに
奮起しましょう。 自己変革、仲間とのある意味では厳しい切磋琢磨を通じて、
真の敵との闘いの前進を。 
(Grassroots  Movement to Eliminate US Bases)
hirayama_motoo@hotmail.com
TEL&FAX 03-3401-5861

(頂いたメール)
皆さん、ヒューマン・チェーン?安保闘争を越えるものを
>
> 60年安保の時私も国会周辺にいました。
> 日本はアメリカの特上植民地です。
> アメリカは日本を守っているのではありません。
> 日本を利用して稼いでいるのです。
> 毎年米軍維持費6600億円を日本政府は朝貢(上納)しています。
> ソ連崩壊後今は軍縮に向かうときです。
> 防衛庁を防衛省に昇格などとんでもありません。
>                               I

《Hさんのメールへの私平山基生のメール》
ヒューマン・チェーン?安保闘争を越えるものを
みなさん

> 樺美智子は、東大文学部学友会(自治会)副委員長でした。
> 樺美智子の次の副委員長が私でした。(安保闘争当時)
> 彼女は、国史学科、僕は東洋史学科でした。
> 私は「安保反対国民会議」を支持する点で、樺美智子とは立場を異にしていました。
> 33万を組織したのは安保国民会議でした。樺が属した「ブンド」ではなかった
> と言うことも歴史的事実です。
> しかし、あの46年前の規模を越える運動をまだ日本民衆は組織し切れていません。
> だが、私は、歴史と草の根民衆は、そのような闘争を、再び組織しうると
> それこそ確信しています。ただ、それには、いかなる無意識の差別や偏見のない知恵が必要なのですが・・。
> また、相当の忍耐が必要なのですが..。
> 私自身も当然含む民衆側の自己変革が、それには必要なのです。
> 2006年12月10日
> Motoo Hirayama  
> (Grassroots  Movement to Eliminate US Bases)

《Hさんのメールからの抜粋》
>  教基法関連のブログを繰っていて、1枚の写真の前で目が留りました。
> 群集が国会議事堂をぎっしりと取り囲んでいる写真です。(参照:「情報
> 流通促進計画 by ヤメ記者弁護士」ブログ、12月7日付)

>  「ヒューマン・チェーン」(人間の鎖)の記事に添付されている写真ですが、
> 群集があまりにも多すぎる。もしかしたら? と思ったら、やはりそうでした。
> 上記の写真を拡大すると、1960年6月18日、新安保条約自然承認の日、
> 33万人のデモ隊が国会を取り巻く、とありました。(参照:「たむ・たむ
> (多夢・太夢)ページ」)

>  懐かしい……。と、言っても、当時、私はまだ小学生。60年安保世代と
> いうわけではありません。当然、ほんものの安保反対運動を知りません。
> それでも懐かしい気がするのです。

> いわゆる安保闘争もそうした流れの中で聞いたように思います。樺美智子
> さんがデモで圧死したときも、隣のおねえちゃんの死のように思ったもの
> です。
>  その頃、私たち子どもらの間では、「安保ごっこ」なるものが流行っていま
> した。もちろん、なにがしかの信条があって、ということではありません。
> ただ「アンポ ハンタイ」「アンポ ハンタイ」と可愛い声を張り上げて廊下を
> 練り歩くのです。そういう遊び。ときどき教師たちもその遊びに加わりました。
>  懐かしいという感じは、そういうところからきているのかもしれません。
>  それ見たことか、と、いまならお上はいうでしょう。子どもたちをたぶらかす
> いつもの日教組の政治主義、とでもいうのでしょうか。しかし、しかと反論し
> ないまでも、当時は、大人も子どももみんな(というわけではもちろんないで
> しょうが)安保に反対していたのです。それが当時の世相だった、ということ
> はいえるでしょう。
>  新聞報道によれば、教基法案は、12月14日に参院教基法特別委員会
> で総括質疑が行なわれ、そのまま採決される見通しだといいいます。そうは
> させじと、その前日の13日には第4波のヒューマン・チェーン(人間の鎖)が
> 計画されています。(参照:「12・13第4波ヒューマンチェーンへ」)

>  ヒューマン・チェーンで手を結んだ市民の輪が国会議事堂を取り巻き、天
> をも震撼させるかのように市民の怒りの声が国会議事堂を包囲する……。
> 46年前の1枚の写真を見ながら、私はそんなことを空想したのでした。
> *:筑豊炭田から石炭を積み卸しする若松、門司港までの遠賀川沿いの町、
> 住民のこと。また、筑豊の炭坑地帯の住民の義理人情を重んじ、竹を割った
> ような性格を称して「川筋気質(かたぎ)」ともいう。