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亜熱帯沖縄県は、夏(普天間通信2)

亜熱帯沖縄県は、夏(普天間通信2

 

 

 梅雨が明けてから11日経ちました。

 沖縄県は、夏です。本土は今梅雨真盛りで、九州地方は豪雨と報道されています。梅雨のない北海道は、沖縄よりも暑い日もあるようです。

沖縄県に半移住してちょうど2週間になります。ひと月交代で東京と普天間を行き来する計画なので、早くも8月の居住場所を探し始めました。

いま、私が住んでいる大謝名(おおじゃな)は、普天間飛行場の南端に当たります。8月半ばから住む予定にしている野嵩(のだけ)は、宜野湾市役所があるところです。ここは、普天間飛行場の北の端に位置します。

今日は、市役所に行って、正確な普天間飛行場の境界線を教えていただきました。

一つの事実だけをお伝えいたします。詳細に関しては、7月になってからとします。

72日午後に、宜野湾市は、普天間飛行場の危険性に関する市の措置に関して、記者会見をおこなうということです。この普天間飛行場の危険性問題については、「沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動」訪問団が、330日、伊波市長と会談し、共同声明を発表したときに、宜野湾市の施策としてお聞きしました。

その後、425日の沖縄県民大会で9万人が集まり、普天間飛行場の閉鎖と県内移設反対を決めました。

ここまで、書いた時も、轟音を残して、普天間飛行場の軍用機が離陸して行きました。私が現在住む大謝名(おおじゃな)は、飛行場の「利用禁止区域」(クリアゾーンといいます。滑走路の端から900メートルです)には入っていません。【こう書いている間にもまた、一機が轟音を立てて飛び立ちました。】

しかし、軍が独自に決めている「事故危険区域1」(「アクシデント ポテンシャル ゾーン1」といいます。滑走路の端から900メートル?2400メートルの1500メートルの区間です)には十分入っています。軍用機事故の危険性があるかどうかは、米軍自身が認めている危険区域に入ります。【また、軍用機の轟音です。別の軍用機の音も聞こえます】

「事故危険区域1」(「アクシデント ポテンシャル ゾーン1」)には、「事故危険区域2」(「アクシデント ポテンシャル ゾーン2」)がつながっています。[こう書いている間にも小鳥の美しいさえずりの声が聞こえてきます。大謝名は緑の多い環境の良い地域です]この「事故危険区域2」(「アクシデント ポテンシャル ゾーン2」)は滑走路の端から2400メートルのところから始まり、2100メートル続き滑走路の端から、4500メートルで終わっています。【また耳をつんざく轟音です】

米軍自身がこの滑走路の端から4500メートルを「住宅、学校、病院、集会場などがあってはならない」【また少し低いが轟音】と米本国の「航空施設整合利用ゾーン」【また轟音】AICUZの指導書インストラクションに書いているのです。

「米国内において海軍及び海兵隊の航空基地を対象に適用されているAICUZ海軍作戦本部長インストラクション(OPNAVINST 11010.36B)によると、滑走路の両端の延長線上4500Mにおいては住宅や学校、病院、集会場などがあってはならないことになっている」(宜野湾市のパンフレット「普天間飛行場の危険性―普天間飛行場の早期閉鎖・返還に向けて」7ページから)のです。

しかし、米本国においてゆるされないことが、宜野湾市すなわち沖縄県【また轟音】即ち日本国においてはどうでしょうか? 

「このインストラクション[指導書]を普天間飛行場に適用した場合、(上記の図―図はここでは省略します。宜野湾市のホームページをご覧ください。引用者)【また轟音】滑走路北側[市役所がある方の端―注]は、普天間第2小学校、普天間小学校、普天間高校等の教育施設や住宅地が利用禁止区域クリアゾーンもしくは事故危険区域に含まれ(隣の自治体である)北中城村の一部まで続いている」

「滑走路南側においては、宜野湾市上大謝名区地域(私平山基生が移住していま住んでいます―注)嘉数地区の住宅地域、浦添総合病院、浦添陸上競技場など、浦添市広域までを含んでいることになる」【また轟音】轟音は、これで8回目です。この短い文章を書いているだけで、8回なのです。

 

「以上のことから普天間飛行場は米国内においては、米国の基準に照らし合わせて、成り立たない安全上不適格な飛行場であり、欠陥飛行場であると言える」

(以上の引用は、宜野湾市パンフ『普天間飛行場の危険性―普天間飛行場の早期閉鎖・返還に向けて』から)

 

菅民主党内閣の普天間飛行場の辺野古移設決定では、1996年の沖縄における特別行動委員会SACO合意以来不可能であった普天間飛行場の閉鎖返還撤去は、不可能でしょう。

人民は、普天間飛行場無条件閉鎖返還撤去を米国に要求する日本国憲法に合致した日本政府をつくるほかに、道はありません。

 

今日は、とりあえず、ここまでにしておきます。今は、大謝名地域は静かで、また蝉の声と小鳥のさえずりの声が聞こえる、のどかな地域です。

2010629日)

 

沖縄反基地勢力不統一で参院選自民優位に

沖縄反基地勢力不統一で参院選自民優位に

 

 

 

今朝(2010627日)の沖縄タイムスは、1面トップに「現職島尻氏が優位、山城・伊集氏伸び悩む、序盤情勢 5割超態度示さず」と報じています。

 島尻さんとは島尻安伊子自民現職のことです。「自公が漁夫の利」と憂慮したことが、現実になりつつあることは極めて残念です。

 沖縄の政治的力関係は、保守対革新の差は紙一重でしたし、今もそうです。県知事がこのところずっと保守知事ですが、革新と保守とその差は小さなものです。ですから参議院沖縄選挙区の1議席で、革新候補が割れればどちらの革新も勝利することは非常に困難です。この自明のことが、実践となると、言葉は悪いですが「党利党略」が優先されている、と県民有権者には見える政治的意思決定が優先されるようです。

 基地をなくすという大目的を実現するためには、最も基地の矛盾が集中している沖縄県で、基地をなくす勢力が、団結・統一・共同という点で、日本全国の先進である事が求められるのです。

 「基地をなくす勢力の超党派」を実現するために、なにも沖縄県だけでなく、日本全国で努力する必要があります。この点に関しては、政党の努力の必要性は、言うまでもありません。しかし同時に、あるいは先んじて、市民運動労働運動活動家が政党系列に一定とらわれざるを得ないながらも、それを超えて、「基地をなくす」「安保をなくして日米友好平和条約にする」という一点で結集していくということで、血のにじむような努力をしなければならない、ということを、今回の参議院選挙戦でも強く感ずるものです。

「沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動」草の根ニュースは「民主党政権に参院選で鉄槌」「普天間基地なくす議員・候補、政党の躍進を」「普天間無条件閉鎖政権をつくり憲法9条実行を」と訴えています。この点での結集がいま求められているのです。(2010627日)

沖縄は梅雨明け

沖縄は梅雨明け

 

 

 平年より4日早く、昨年より17日早く、沖縄県は梅雨明けしました。

 

 

  623日の慰霊の日に向けて、沖縄戦の犠牲者を追悼するさまざな行事がおこなわれています。各新聞、各テレビも戦争体験や、記念コンサートの紹介などを伝えています。

 

 東京では、310日東京大空襲で10万人が殺されました。しかし、全東京という規模でそれにふさわしい、犠牲者慰霊の行事や特集が行われているか、というと残念ながらそうはなっていません。

 

 

普天間基地閉鎖返還撤去問題は、米大使が仲井真沖縄県知事と会ったり(昨18日)、慰霊の日(23日)には、菅首相が来県したり、「普天間固定、辺野古回帰」の「日米合意路線」を沖縄県民国民に無理やり飲みこませようという動きが加速しています。

 

 

私が住み始めた普天間飛行場周辺の大謝名は、緑豊かで、朝から、美しい小鳥のさえずる声が聞こえます。それにまじって、戦場のようなヘリコプターや固定翼飛行機の爆音が襲ってきます。

 

梅雨が明けるように、米軍基地が早くなくなることを、心から祈るものです。単に祈っているだけではありませんが。(2010618日土曜日)

 

 

豪雨の中、普天間に着任。

 6月15日、普天間飛行場周辺の住居に、すさまじい豪雨の中着任しました。普天間基地を、現在進行してる歴史的チャンスをものにして、早期閉鎖返還撤去を実現するための、ささやかな、草の根運動家としてお役にたてるようにという、意図からです。

 雨は、ひと月前に普天間包囲で経験した時と同じように、激しいものでした。

 現地新聞を購読申し込したところ、さっそく持ってきてくれました。普天間飛行場をなくすために、ここに来たのです、と言って「草の根運動」の名刺を出しました。そして、「コンビニはどこにありますか?」ということから、会話が弾みました。「日常生活用品やパソコン関係用品がないのでどこで買ったらいいでしょうか?」と相談すると、「後から案内してあげますよ」と親切に言ってくださいました。

 一時間ほどして、小さい車が来て案内をしてくれました。

 車中で、

 「(沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動の)名刺を見て、うれしくて。梅雨が明けるときには、豪雨があります。会社から、4月の県民集会の案内が来て、参加しました。5月16日の普天間包囲では息子と一緒に参加しました。私一人でも参加しています。近所に住んでいるのに、参加しない人には腹が立ちます。

 もり上がっているけれど、本当に基地がなくなるか不安です」 こう言って、コンビニ、大型電気店、本屋などを回ってくれました。

 「米軍違憲」ブックレットのチラシを見て、ぜひ本屋で買いたい、と言ってくれました。

 参議院選挙では、革新が二つに割れ「どっちに投票しようかと考えている。棄権する人も多いだろう」と言っていました。

 

 ご飯茶わんやお椀もないというと、「到来物の中に、あるから差し上げますよ」とのこと。1時間もしないうちに、お茶碗4つ、お惣菜入れ2つ、お茶のみ茶碗1つ、お皿1枚の8点もの食器を持ってきて下さいました。

 自宅でパソコンメールをチェックしていると、東京の友人から「友人のマルマルが立候補したのでその候補を応援したい。」と電話が入りました。革新が割れれば、現職の自民党女性候補が漁夫の利を得るかもしれない状況です。沖縄ですら、「米軍基地をなくす超党派」をつくることがいかに大変かを痛切に感じます。残念なことです。

 

 しかし、滅びなかった「帝国」はありません。現実には、「米軍基地をなくす陣営」がまとまらなければ、絶対に「帝国」をなくすこと、米軍基地をなくすことはできません。団結以外に道はないのに、それができない。団結をつくり出すことに、米軍基地をなくす勢力は心血を注がなければならないと思います。

「着任」という言葉ですが、わたしが、普天間に半居住することは、「沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動」の仕事です。同時に、歴史と人民が与えた任務を果たすという意味で、「着任」という言葉を使用しました。

 

普天間無条件閉鎖返還政権をつくろう

普天間無条件閉鎖返還政権をつくろう

 

菅直人新首相は、2001年7月21日に、沖縄県内での記者会見で、

「(在沖縄米海兵隊は)沖縄に存在しなくても必ずしも日本の安全保障に大きな支障はない。米国領域内に戻ってもらうことを外交的にきちんと提起すべきではないか」

と発言していました。

 鳩山旧首相のもとでの「日米合意」は、この菅発言内容と真っ向から矛盾するものです。菅新首相は、この「日米合意を踏まえる」と発言し、また、首班指名後のほぼ最初の仕事が、オバマ米大統領との電話会談での日米合意確認でした。菅氏が9年前に「安保上大きな支障がない」といった米海兵隊、しかも、「米領域に戻ってもらうことを外交的にきちんと提起すべき」だとした米海兵隊が、9年間のうちに、「抑止力」に変貌し、米大統領と「辺野古さらに徳之島移設」での合意を確認しなければならない、とでもいうのでしょうか。

 菅氏の政治的信念は一体どこにあるというのでしょうか?この菅氏の「思想と行動」は、鳩山前首相の「公約破り」と変わりがないと言っては、言い過ぎでしょうか。

 いま、菅政権に期待できない以上、普天間無条件閉鎖をめざして、普天間閉鎖返還政権を、国民的基盤の上に作る努力を始めなければなりません。沖縄本土一体、超党派、国際連帯で普天間閉鎖返還のために努力しましょう。その政権こそ、かつて菅氏自身が言っていたように、

「(在沖縄米海兵隊は)沖縄に存在しなくても必ずしも日本の安全保障に大きな支障はない。米国領域内に戻ってもらうことを外交的にきちんと提起すべきではないか」を実行する政権となるでしょう。(2010年6月7日)