2007年5月26日(土) 夕刊 1面
沖国大ヘリ墜落 捜査終結
宜野湾市の沖縄国際大構内に二○○四年八月、米軍普天間飛行場所属の米海兵隊の大型輸送ヘリコプターが墜落、米兵三人が重軽傷を負った事故で、県警が航空危険行為処罰法違反の疑いで被疑者不詳のまま書類送検する方向で最終調整していることが二十六日、分かった。県警は八月の時効成立をにらみ、六月下旬にも処理する方針。捜索や差し押さえに米側の同意を必要とする日米地位協定が壁となり、容疑者を特定できないまま捜査は終結する見通しだ。
事故をめぐっては日米両政府が原因究明のため、日米合同委員会の事故分科委員会を事故直後から開催。米兵の整備員が後部回転翼を固定するボルトにピンを付け忘れたため、飛行中にボルトが緩んで外れ、回転翼が制御不能になり墜落したと結論付けている。
一方、県警は事故当日、同法違反容疑で現場検証の令状を取ったが、米軍が地位協定に基づき拒否。検証を実施できたのは米側がヘリの残骸など機体すべてを撤去した六日後だった。整備員ら関係者の事情聴取もできず、捜査は当初から難航していた。
事故は○四年八月十三日午後、訓練のため普天間飛行場を離陸した米軍のCH53D大型輸送ヘリが、隣接する同大構内に墜落し炎上。学生や住民にけが人はなかったが、近隣の家屋などにヘリの部品やコンクリート片が飛散し、ヘリが激突した同大の校舎壁面も焼け焦げた。
事故後、県内では普天間飛行場の閉鎖や返還を求める声が一段と強まった。
昨年五月、日米両政府は同飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部移設に合意した。
法律調べ見解
県幹部
沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故で、県警が被疑者不詳のまま書類送検し、捜査を終結する方針を固めたことについて県幹部は二十六日、「日米地位協定や刑法など法律面でのことを調べた上でないとコメントできない」と述べ、現時点での見解表明は控える意向を示した。
[ことば]
日米地位協定 日米安保条約に基づき1960年に発効。在日米軍、軍人らの地位、基地の管理や運用について定める。23条で「日米両国は在日米軍の財産の安全を確保するため必要な措置を取ることについて協力する」と規定。協定実施に伴う刑事特別法では「米軍財産の捜索、差し押さえ、検証は米軍の同意を得て行う」としている。米軍ヘリ墜落事故では、県警が検証令状を取り米側に同意を求めたが、米軍は協定を根拠に拒否し、県警を交えず事故機を検証。日本側に協定見直しを求める声が高まった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705261700_01.html
2007年5月26日(土) 夕刊 5面
県警にじむ悔しさ/ヘリ墜落捜査終結
初動阻んだ現場封鎖
「日本で起きた事故は日本の警察が責任を持って解明する」と、米軍ヘリ墜落事故の捜査を続けてきた県警。被疑者不詳のまま書類送検し、捜査が幕引きとなる方向が強まったことに、ある幹部は「時効まで粘り強く米側に協力を求めたいが、劇的な変化がなければ被疑者特定は困難だ」と悔しさをにじませる。
二○○四年八月十三日の事故直後、県警の捜査員五、六人が現場に駆け付けた。簡単な捜査はできたものの、米軍はすぐに現場を封鎖。その後は事故機体の検証や米軍関係者の事情聴取もできなかった。ようやく検証に着手したのは、米軍が機体を持ち去った六日後。県警側には乏しい証拠しか残らなかった。
事故の翌月、米海兵隊がまとめた報告書は、機体の整備を担当していた二等軍曹と伍長らのミスを指摘。県警は事情聴取のため米側に再三協力を求めてきた。
いくつかの関係書類は届いたが「名前も階級も判明しない段階にとどまる」(捜査関係者)という。
安保体制の現実 思い知らされた
沖国大・来間教授
米軍ヘリ墜落後、沖縄国際大学では来間泰男教授らが同大の教員約百二十人に呼び掛け、毎月、墜落した日時と同じ十三日午後二時から、米軍ヘリ墜落事故を考える会を開いている。
県警が被疑者不詳のまま書類送検し捜査が終結する見通しであることについて来間教授は「事故後、日米地位協定に阻まれ県警は現場検証や米兵の事情聴取など捜査ができなかった。その米軍の壁を今回も同じように思い知らされた。あらためて日本の置かれている日米安保体制の現実を突きつけられた思いだ」と、悔しさをにじませた。
現場住民も不満
事故現場の宜野湾市宜野湾区の仲村清自治会長は「事故の原因や容疑者をはっきりさせてほしかった。事故の後もヘリは区の上空を飛んでおり、また事故が起こるんじゃないかという心配の中で生活している」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705261700_02.html
2007年5月27日(日) 朝刊 21面
「うやむや」住民落胆/沖国大ヘリ墜落・書類送検
二〇〇四年八月の米軍ヘリの沖縄国際大墜落事故で、県警が航空危険行為処罰法違反の疑いで被疑者不詳のまま書類送検する方針であることが二十六日分かり、地域住民や専門家から疑問の声が上がった。「同じことが起きてもまたうやむやになる」「現実は何も変わらない」といった落胆も聞かれた。
事故後、県警は米軍に事故機を含めた現場検証を求めたが、「公務上の事故」や「軍事機密」などを理由に拒否され、独自の捜査権を行使できなかった。
事故発生時、自宅にコンクリート片が飛び込み、乳児を抱えて逃げた中村桂さん(34)は「被害を受け続けているのは住民なのに、捜査が終わってしまう。何も変わらない現実を再び突き付けられた」と話す。「米軍はただの航空機事故としかとらえていないし、ヘリは住宅地上空で飛び続けている。根本的に日米地位協定を変えないと同じことの繰り返しだ」とため息を漏らした。
事故にかかわった防災関係者の男性は「米軍は現場の土まで持って帰った。日本国内なのに火災原因を調査する権利を執行できなかった」と振り返る。「米軍は騒音防止協定などの約束事は守らないのに、地位協定は持ち出す。再び事故が起きても、うやむやになってしまう」と焦燥感をにじませた。
地位協定に詳しい法政大学の本間浩教授(国際法)は「住民の安全確保や損失の回復より、米軍の軍事機密が優先されているのが大きな問題」と指摘。事故を教訓に日米両政府が米軍機事故の対応を定めたガイドラインを策定したことを「一定の前進」と評価しつつも、「これで問題が終わったという雰囲気になっている」と懸念する。
本間教授は今後の対応として「実際にどういう問題点があったかを検証し、地元の警察や自治体が具体的な改善要求を政府に示し続けることが重要だ」と強調した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705271300_05.html
社説(2007年5月27日朝刊)
[ヘリ墜落捜査終結]
不平等過ぎる地位協定
被疑者、原因も分かるのに
宜野湾市の沖縄国際大学構内に二〇〇四年八月、米軍普天間飛行場所属の米海兵隊の大型輸送ヘリコプターが墜落、米兵三人が重軽傷を負った事故で、県警は航空危険行為処罰法違反の疑いで被疑者不詳のまま書類送検し、捜査を終結する方針を固めた。
「被疑者不詳のまま」とは、容疑者を特定できないことで、県警は八月の時効成立をにらみ、六月下旬にも処理し捜査を幕引く見通しだ。
被疑者が米兵であるのは明らかである。にもかかわらず、その氏名さえも特定できずに起訴できなければ航空危険行為処罰法違反の罪には問えないことになる。
事故の翌月、米海兵隊がまとめた報告書は、機体の整備を担当していた二等軍曹と伍長らのミスを指摘。日米合同委員会の事故分科委員会は、整備員が後部回転翼を固定するボルトにピンを付け忘れたため、飛行中にボルトが緩んで外れ、回転翼が制御不能になり墜落した―と結論付けている。
被疑者も事故原因も分かっているのに、米側が被疑者の氏名を明らかにしないために、捜査がうやむやのまま終わってしまうのは腑に落ちない。
何よりも、墜落現場は基地の外の民間の大学敷地であり、「また、事故が起こるのでは」と不安を抱いている住民に情報開示されないのは、県民軽視としか言いようがない。
今回の事故では、学生や住民にけが人はなかったが、近隣の家屋などにヘリの部品やコンクリート片が飛散し、ヘリが激突した同大の校舎壁面も焼け焦げた。
基地の外であり、日本の警察が責任を持って捜査するのは当然である。さらに、事故によって米側は日本側の財産に被害を与えており、日本側は被疑者を日本の裁判にかけて罰することができる。その手続きとしては、日本側が事故を調べて起訴状を作ることが不可欠だ。
だが、米側は事故から三年になろうとしても、事故機の搭乗員や整備員の氏名などを明らかにせず、日米地位協定を盾に日本側の捜査を「拒否」している。
米軍の組織として責任残る
地位協定二三条は「日米両国は在日米軍の財産の安全を確保するため必要な措置を取ることについて協力する」と規定。協定実施に伴う刑事特別法では「米軍財産の捜索、差し押さえ、検証は米軍の同意を得て行う」と定めている。
県警は事故当日の八月十三日、同法違反容疑で現場検証の令状を取り米側に同意を求めた。しかし、米軍は現場を封鎖し、県警の現場検証や宜野湾市消防本部の調査などを拒んでいる。
県警がようやく検証に着手できたのは、米軍がヘリの残骸など機体のすべてを撤去した六日後で、乏しい証拠しか残らなかったという。
その後も、米側に再三協力を求めたが、整備員ら関係者の事情聴取もできず立件捜査は難航を極めた。
捜索や差し押さえに米側の同意を必要とする日米地位協定が大きな壁となり、容疑者を特定できないまま捜査は終結する見通しだ。
事故原因が整備員の個々の人為的ミスであったにしても、米軍には組織としての責任があるのは明白だ。整備や管理を徹底し、公共の危険を発生させたことに対し県民に誠意を示す必要がある。
その誠意が見えない。基地外の民間地域での事故であり、本来なら県警の捜査権や大学の自治に基づく管理権が行使されるべきだが、地位協定を盾にはねつけた。日本政府も、これを容認したのが情けない。
対等独立の捜査権が必要
これでは、民間地域における事故現場も「治外法権」であり、日本の主権が侵害されたのに等しい。復帰前の米軍占領下と変わらず、主権国家とは言えまい。
今回の事故は、ヘリ搭乗員以外に負傷者はなく、奇跡的といえるほどに住民の負傷者はなかった。しかし、被害が住民の生命に及んでいたら、果たして日米両政府はどう対応したのか。地位協定を盾に、米軍は何をやっても許される、というわけではないはずだ。
日米が平等な立場で事故原因を究明するための現場管理や捜査が必要である。現行の地位協定はあまりにも不平等過ぎると言わざるを得ない。
運用改善ではなく、「対等独立の立場に立った刑事裁判権および捜査権」を確立すべきだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070527.html#no_1
社説
ヘリ墜落捜査終結・「治外法権」こそ終止符を
宜野湾市の沖縄国際大学構内に2004年夏、米海兵隊の大型輸送ヘリコプターが墜落炎上した事故で、県警が被疑者不詳のまま書類送検する方向で最終調整していることが分かった。米側が日米地位協定を盾に捜査協力を拒み続けたことが大きいが、責任の所在を明らかにできないまま捜査が幕引きになれば、県民にとって屈辱以外の何物でもないだろう。
米国に対し、占領下の治外法権のような状態をいつまでも許す日本は主権国家だと胸を張れまい。地位協定の「運用の改善」が非常にあいまいで、限界があることは繰り返し指摘してきた。もう待てない。日本政府が県民の生命と財産を守る基本に立つなら、屈辱的な状態にこそ終止符を打つべきである。
それにしても不可解だ。ヘリ墜落の現場写真もあるし、搭乗していた海兵隊員3人が重軽傷を負ったことも分かっている。事故原因を特定する米側の報告書も日米合同委員会に出された。それなのに肝心の事故機の整備士、操縦士らが分かっていない。墜落したのは米軍ヘリではなかった―とでも言うのだろうか。
米国は2001年の同時多発テロで、ニューヨークの超高層ビルやワシントンの国防総省などに国籍不明の航空機が突っ込んだ際、国の威信にかけて捜査し、被疑者を特定、公表した。至極当然の行為だ。ところが、その当然の行為を沖縄では認めないという。他国の罪は徹底して裁き、自国の罪はうやむやにする。そんな勝手が許されていいのか。それを容認する日本政府の姿勢も問われよう。
日本政府の腰が引ける理由に、地位協定の存在がある。日米安保条約に基づき1960年に発効した協定で、23条で「日米両国は在日米軍の財産の安全を確保するため必要な措置を取ることについて協力する」と規定。協定実施に伴う刑事特別法では「米軍財産の捜索、差し押さえ、検証は米軍の同意を得て行う」としている。
沖国大でのヘリ墜落事故は、まさにこれが適用された。検証令状を取り同意を求めた県警に対し、米側は拒否、事故機は県警を交えずに検証が行われた。協定の運用改善で導入された米側の「好意的考慮」などあってなきに等しく、期待できない証しであろう。
状況は厳しい。事故から3年近く経て、航空危険行為処罰法違反の時効日が迫っている。米側に協力する考えはないようだ。
しかし、米軍の財産の安全は確保しても、県民のそれは確保しないというのはおかしい。ここは日本であり、沖縄である。治外法権は筋違いであり、それがまかり通るようでは困る。地位協定の改定は県民の譲れない要求だ。
(琉球新報 5/28 9:46)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24130-storytopic-11.html
2007年5月28日(月) 夕刊 5面
沖縄市議会 F22未明離陸 抗議決議可決
【沖縄】米軍嘉手納基地に一時配備されていた米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプター十機が、米本国に帰還するため十日未明に離陸を強行したことに対し、沖縄市議会(喜友名朝清議長)は二十八日午前の臨時会で、未明離陸の禁止を求める抗議決議と意見書の両案を全会一致で可決した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705281700_02.html
2007年5月29日(火) 朝刊 1面
撤回意見書 相次ぐ/集団自決で県内議会
文部科学省の検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除された問題について、検定意見の撤回を求める意見書を可決する動きが県内の市町村議会で広がっている。
十四日の豊見城市を皮切りに二十八日までに那覇市、浦添市、糸満市、沖縄市、うるま市、北谷町、与那原町、南風原町、恩納村、渡名喜村の十一市町村議会が意見書を可決した。
また、座間味村が二十九日、久米島町が六月四日、中城村が五日、臨時議会を開き、意見書案を採決する。
今帰仁村も五月二十九日に議会運営委を開き、それを踏まえ同日にも臨時会を開く方針だという。
このほか、名護市や南城市など十六市町村議会が臨時会や六月定例会での意見書の提案が決まっていたり、提案の方向で議論が進んでいる。
◇ ◇ ◇
渡名喜議会も意見書
【渡名喜】教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与した記述が高校歴史教科書から削除された問題で、渡名喜村議会(上原睦夫議長)は二十八日、臨時会を開き、検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決した。あて先は首相と文科相。
同議会は「沖縄戦における『集団自決』が日本軍による命令、強制、誘導なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘。「この事実がゆがめられることは悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くし難い犠牲を強いられてきた県民にとって到底容認できない」と批判した。その上で「悲惨な戦争が再び起こることがないよう、検定意見が速やかに撤回されるよう、強く要請する」と結んでいる。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705291300_02.html
2007年5月29日(火) 朝刊 23面
38カ国から署名1400筆/辺野古調査
ジュゴン保護キャンペーンセンターの吉川秀樹さんら環境保護団体メンバー六人が二十八日、那覇防衛施設局を訪れ、米軍普天間飛行場の代替施設建設に向けた海域現況調査(事前調査)の情報開示を求める国際署名千四百三十二筆を提出した。今月一日からインターネット上で募り、二十八日までに日本を含む三十八カ国から集まった。
署名は「国際社会に恥じない環境アセス」や「科学的根拠、環境に対する責任、透明性」を掲げた。具体的には事前調査の資料を日英両文で公開するよう求めている。
吉川さんは「当初三千筆を目標にしていたが、どんどん広がっており、最終的に一万筆に達するのではないか」と話し、施設局への申し入れでも「世界がこの調査に注目している」と強調した。
WWF(世界自然保護基金)ジャパンの花輪伸一さんも「IUCN(国際自然保護連合)の勧告通り、基地建設をしない選択肢も含めてアセスを実施するなら、誰も邪魔はしない」と指摘した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705291300_04.html
2007年5月29日(火) 夕刊 5面
検定前・後の教科書比較/「集団自決」修正
文部科学省の教科書検定で、高校歴史教科書から沖縄戦「集団自決」記述に関する日本軍の関与が削除・修正された問題で、「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」(共同代表・高嶋伸欣琉大教授ら)が、「見本本」や「白表紙本」などを集めて独自の教科書展示会を開く準備を進めている。検定本関係の展示会が開かれるのは県内で初めてという。
六月九日に那覇市で開かれる「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!沖縄県民大会」前の開催を目指している。場所は未定。
展示会は、仲井真弘多知事が削除・修正に「疑義」を示し、県内の市町村議会で検定意見撤回を求める意見書の採択が相次ぐ中、県民世論を高め、修正前の内容に書き換えさせる運動につなげるのが狙い。
「すすめる会」事務局長の山口剛史琉大准教授は「検定の問題点が広く分かるようにしたい」と展示会の意義を話す。
「白表紙本」は教科書案と呼ばれ、教科書会社が文科省の検定を受けるために作成する。「見本本」は検定に合格したもので、各学校は「見本本」の中から使用する教科書を採択する。今回、同省の修正意見によって日本軍の関与の表現が削除・修正された内容が記載されている。通常「見本本」はそのまま「供給本」となって印刷される。
「すすめる会」は検定意見を受けた五社、七冊のすべての「見本本」と一部の「白表紙本」、同省の修正表などを展示する予定。
「すすめる会」は今年四月、毎年全国数カ所で開催されている検定資料の公開を沖縄でも実施するよう同省に求めたが実現しなかったため、独自に「見本本」などを集め展示することにした。
山口事務局長は「記述部分をパネルにして展示したい。希望があれば意見書を採択した議会のある自治体庁舎などでの出前展示も考えたい」と話している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705291700_01.html
2007年5月29日(火) 夕刊 1面
座間味議会が意見書/「集団自決」修正検定
【座間味・今帰仁】座間味村議会(金城英雄議長)は二十九日午後、臨時会を開き、文部科学省の検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除された問題について、検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決した。また、今帰仁村議会(喜屋武治樹議長)も同日午前の臨時会で、同問題について、検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決した。
沖縄戦当時、座間味村には日本軍の海上特攻の任務を帯びた海上挺進隊が駐屯。米軍が上陸した一九四五年三月二十六日に座間味島、慶留間島などで「集団自決」が起こり、大勢の住民が犠牲になった。「集団自決」における日本軍の関与について、生き残った住民らが軍命や誘導の存在を証言している。
文科省は、今回の検定で日本軍関与を削除した理由の一つに、座間味に駐屯した日本軍元隊長の係争中の裁判証言を挙げている。
座間味村議会は「『集団自決』が日本軍による命令、強制、誘導などなしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘。今回の検定意見について「係争中の裁判を理由に、一方の当事者の主張のみを取り上げることは、文科省自らが課す検定基準を逸脱するばかりか、体験者による数多くの証言や歴史的事実を否定しようとするものだ」と批判している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705291700_02.html
2007年5月29日(火) 夕刊 5面
「住民軽視の判決」/新横田基地訴訟
【中部】新横田基地訴訟の上告審で二十九日、二審判決が賠償を命じた結審後の損害分について算入を認めないとする判決を言い渡したことについて新嘉手納基地爆音訴訟原告団の仲村清勇団長は「住民の声をしっかり受け止めない判決で、でたらめだ。住民は結審後も、判決後も、そして将来にわたって静かになってほしいという強い思いがある。その分に対して補償が得られないというのはおかしい」と強く批判した。
普天間爆音訴訟原告団の島田善次団長は「結審後も住民は毎日爆音にさらされている。なぜ裁判所は損害を認めないのか。住民を軽視した判決だ」と指摘した。
[解説]
損害立証、原則確認
新横田基地訴訟の二十九日の最高裁判決は、証拠に基づき損害を算定するという大原則を超えた救済は許されないとの司法の立場を再確認した。一方で、五人中二人の裁判官が反対意見を示した事実も重く、行政側は救済策の再考を迫られたといえる。
裁判所は当事者同士の主張、立証で損害の有無や額を決めるため、損害が継続していても、賠償額は通常、審理が終わる結審日までしか算定されず、それ以降の「将来分」は認められない。
ただ建物の明け渡し訴訟では、実際の明け渡しまで賃料相当分の支払いが命じられるように、損害額が客観的に明確なら将来分が認められるケースもあり、今回の訴訟で住民側は同様の手法を適用すべきだと主張。東京高裁は結審から判決までの一年程度なら被害は変わらないとして一部にせよ住民の救済を図った。
しかし、大阪空港の騒音被害をめぐる一九八一年の最高裁大法廷判決が将来分の損害算定は困難と判断。これに従った同種訴訟判決と比べ、東京高裁の判断は特異さが際立っていた。二十九日の最高裁判決は、東京高裁の判断を見直して、判例通り損害算定時期を引き戻し、司法の役割を法の原則通りに限定した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705291700_05.html
2007年5月30日(水) 朝刊 1・2面
米軍再編 閣議決定から1年/「普天間」こう着続く
【東京】在日米軍再編に関する閣議決定から、三十日で満一年を迎える。今月二十三日には「米軍再編推進法」が成立し、政府は再編を実行するための法的枠組みを整えた。普天間飛行場代替施設の建設に伴う海域の現況調査(事前調査)にも着手するなど、普天間飛行場の移設作業にも一定の進展は見られるが、県側が求めるV字形滑走路の沖合移動などをめぐって政府側は厳しい姿勢を崩さず、こう着状態が続いている。
今後、政府は正式な環境影響評価(アセス)の手続きを目指すが、先行きは不透明な情勢だ。
閣議決定では、建設計画などを話し合う協議機関の設置を明記。
同決定で廃止とされた北部振興策の継続にも道筋をつけるなど、昨年十二月の第二回協議会までは県側の思惑通りに進行した。
しかし、今年一月の第三回協議会で名護市が滑走路の沖合移動を要求してから状況が一変。名護市の要求を公式議事録に記載しないなど、県側とのスタンスの違いが鮮明化した。
以降、互いに着地点を見いだせないまま、協議会は「次回の予定が立たない」(防衛省幹部)状況に陥っている。
七月の参院選で与党推薦候補が優位に戦うためにも、県側は何らかの進展を得たい考えだが、五月上旬に開かれた日米安全保障協議委員会(2プラス2)で再編の「着実な実施」を再確認した直後であるだけに、厳しい状況が予想される。
◇ ◇ ◇
「沖合要求」軟化の兆し
在日米軍再編に関する閣議決定から一年。焦点の米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設の行方は、県や市が政府に求めているV字形滑走路の「沖合移動」が鍵を握る。だが、日米両政府は環境影響評価(アセスメント)前の位置修正には応じない姿勢を崩さず、地元には実現に懐疑的な見方も広がる。再編の協力度合いに応じて交付金を支払う米軍再編推進法の成立を受け、予定地近くの辺野古区や島袋吉和市長を支える地元経済界には「軟化」の兆しも見え始めた。足元が揺らぐ沖合移動要求の背景と経緯をまとめた。
「地元の地元」
辺野古区が一九九六年の「ヘリポート移設反対決議」の撤回を決議した今月十五日。
大城康昌区長は、名護市幹部から「沖合移動を求める」決議をするよう打診があったことを明かし、「(振興策など)国側との調整が難しくなるとして(沖合移動要求)決議は見送った」と説明。その上で「平行線でどうにもならないときは市長の判断に任せる」と柔軟姿勢をにじませる。
市幹部が沖合移動要請決議を働き掛けた背景には、振興策を呼び水に辺野古区に「軟化」を促す那覇防衛施設局の動きへの警戒感がある。
防衛省幹部は「地元の地元である辺野古区のスタンスが重要」と指摘。四月の参院補選以降、施設局職員が頻繁に区に入り、早期移設には地元の政府案容認が不可欠と「攻勢」をかけた。
再編交付金は今後三カ月をめどに政令や省令で細則が規定され、地元との調整も活発化する。同幹部は「名護市は支給対象になるが、アセスに着手できない状況では辺野古区が期待する事業は難しい」と地元への「揺さぶり」ともとれる口ぶりを隠さない。
辺野古区有志でつくる代替施設推進協議会の宮城安秀代表は「久間(章生)大臣の『修正』発言で期待したが(基本合意から)一年たっても現実味を帯びない。時限のある米軍再編推進法もでき、作業の遅れで地元に及ぶ損失を考えれば早急に進めてほしい」とこぼす。
落としどころ
名護市が「沖合移動」を求める端緒となったのは「地元の意向」だ。
昨年四月に市が政府とV字形滑走路案で基本合意した直後、辺野古区行政委は「着陸用滑走路が辺野古集落に近過ぎる」とし、沖合側に寄せるよう市や国に要請した。
同十一月に「現行のままの政府案(V字案)では賛成できない」との公約を掲げた仲井真弘多知事が誕生。知事に配慮した久間防衛相が「修正」を示唆すると、地元で沖合移動の期待が一気に高まった。
市は今年一月の政府との第三回協議会で滑走路を南西側沖合に寄せる案を提示。同二十四日には同市議会が「可能な限り沖合に移動するよう」求める意見書を可決し、島袋市長を後押しした。
沖合移動をめぐって政府とこう着状態にある現状について、市長の後援会長の荻堂盛秀市商工会長は「市長の考えで防衛省や米国を説得できるのであれば押し通せばいいが、沖合移動の議論は一通り済んだと思う。後は落としどころを見極めてやるだけだ」と市長の決断を促す。
一方、同市幹部は「地元から沖合移動の要望を下げることはない」との見方。「こう着状態の打開は政府が動かない限り進展はない。移設作業の遅れで困るのは米国と合意している政府側だ」と強調。あくまで政府側に柔軟な対応を求める考えだ。(北部支社・石川亮太)
額賀前防衛庁長官に聞く
在日米軍再編に関する閣議決定から一年―。普天間飛行場の移設作業が着々と進む一方、V字形滑走路の沖合移動をめぐり政府と県側の対立も生んだ。当時、防衛庁長官として、県や名護市と協議した額賀福志郎衆院議員に、これまでの経緯と今後の在り方を聞いた。
―昨年五月の閣議決定を振り返って。
「閣議決定を経て、在日米軍再編は『協議』から『実行』に移していく段階になった。協議会が発足し、自治体とよく協議した上で着実に実行していくことの約束であり、スタートだった。今後も関係者とは意見交換し、理解を得ていくことが大事だと思う」
「再編を着実に実行していくことが沖縄の負担軽減にとって重要だ。一方、返還された基地跡地をどう活用するか。経済的な安定を図っていくための施策の転換が大きな課題だ。むしろそこに重点を移していくべきだ」
―閣議決定では、県が「V字案は容認していない」と強く反発した。
「名護市の条件は住宅上空にヘリを飛ばさないでほしいというものだった。それを最大限に生かすことを集中的に考えた結果、ある日の明け方にV字案がひらめいた。専門家やパイロット、土木技術者らに専門家の立場から考えてもらい、問題がないということなので提起させてもらった」
「地元の理解を得る過程では、辺野古区の婦人部や青年部、区長らともよく語り合い、理解を得たと思っている。その上で名護市とも基本合意書を交わした。『基地を造られる側』が理解を示し、市長も合意したということで、私はきちんと政治の原則を踏まえてきたと思っている」
―今、県側はV字案の沖合移動を求めている。
―「米国と合意した後に地元を説得したわけではない。地元からまず説得して米国に理解してもらったという経緯をよく考えてほしい。名護市長とは何度も会った上、合意書を交わした時は数時間にわたって話し合い、互いに一本化していこうという政治家としての努力を積み重ねた。地元が理解をしてくれるということが最も大事なことだと思ってやってきた。名護市長がぶれるようなことはないと信じたい」
―「廃止」とされた北部振興策は継続されるが。
「北部振興策をノーと言っているわけではない。もともと地域振興策については、県が自主的な経済圏をつくっていくのが一つの発想だが、同時に、基地の負担との絡みで考えられた経緯もある」
「基地返還の進展が見込まれる中で振興策が投じられているのに、基地が全く動いていないということは、財政目標としてはどうだったのかという問題提起が当時あった。そこで、国民の税金なので、使い方に整合性を持つようにしていく仕組みを考えた。北部振興策は十カ年計画ですでに終わっているところもある。どんな効果をもたらしたかを点検する必要がある」(聞き手=東京支社・島袋晋作)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705301300_02.html
社説(2007年5月30日朝刊)
[検定撤回意見書]
住民こそ歴史の証言者
文部科学省の検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に旧日本軍が関与したとする記述が削除されたことに対し、検定意見の撤回を求める議会が増えている。
二十九日までに那覇市、浦添市、渡嘉敷村、座間味村など十を超える市町村が「『集団自決』が日本軍による命令、強制、誘導なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」(座間味村議会)などとする意見書を採択した。
六月に開かれる定例会や臨時議会でも、意見書を提案し採択する方向で議論が進められているという。
当然であり、今回の検定は、県民の記憶の中に厳然として残る歴史の事実を強く思い起こさせたと言わざるを得ない。
それは、たとえ記憶から消し去りたい「負の遺産」であっても、その後に生きる私たちが乗り越えるべき歴史といってよく、そこにこそ「歴史を学ぶ」意義があるからだ。
各自治体が編さんした市史、町史、村史には、戦時下における住民の実体験が生々しく記されている。証言の一つ一つは当時の苦しさや恐怖、悲しさ、悔しさを表していると言っても過言ではない。
議会が文科省の検定に異議を唱えるのは、県民が体験した歴史の事実を隠ぺいしゆがめようとする動きが見られるからであり、それをまた風化させようとする意図を覚えたからでもある。
沖縄戦における“忌まわしい事件”は、方言しか話せない人がスパイに疑われたり、避難壕から大勢の住民が追い出されたことと軌を一にする。
少なくとも、住民らの「集団自決」は、決して上陸した米軍に追い詰められた結果として起こったのではない。
そこには、戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」という教えとともに、軍と官、民が一体となった「共生共死」の考えがあったとみていい。
検定で文科省は「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」とコメントしている。だが、渡嘉敷島などで非戦闘員である一般住民に手りゅう弾を渡したのは紛れもなく兵士であったという事実を無視してはなるまい。
「現在係争中の裁判を理由に、元隊長である原告の主張のみを一方的に取り上げることは、文科省が自ら課している検定基準を逸脱しているばかりでなく、これまでの体験者による証言や『県史』を否定しようとするものだ」
県民の思いは、この恩納村議会の意見書と深く重なる。歴史的事実は直視すべきであり、教科書をつくる場合にはなおのこと、その重要性をしっかり踏まえて編さんするべきだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070530.html#no_1
2007年5月30日(水) 夕刊 4面
ジュゴンサポーター募集
【名護】「ジュゴンサポーター募集中」。米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古沖周辺に生息する国の天然記念物ジュゴンの生息環境調査を行っている市民団体「北限のジュゴンを見守る会」(鈴木雅子代表)が、六月三日に実施する目視調査に協力するボランティアを募集している。
「マンタ法」と呼ばれる時速三キロ程度で進む船からボランティアダイバーをえい航し、ジュゴンの餌である藻場の目視によるモニタリング調査を行う。米サンフランシスコ州立大学のエレン・ハインズ博士らが指導する。
鈴木代表は「シュノーケルで泳ぐことができれば誰でも参加できる。経験者がサポートするので、辺野古の海がどんなにきれいかを実際に見てほしい」と話している。
当日午前九時に、辺野古・命を守る会事務所前集合。参加の問い合わせは鈴木、電話090(8032)2564。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705301700_05.html