2008年6月6日(金) 朝刊 27面
賛否割れ 現実的対応/並里区ギンバル訓練場売却
金武町並里区(與那城直也区長)は五日の区議会で、日米が返還合意していた米軍ギンバル訓練場内の区有地(三十四ヘクタール)を、跡地利用を進める町に売却する案を賛成多数で可決した。返還は、同区に隣接するブルービーチ訓練場へのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設が条件になっている。「跡地利用が必要」、「ブルービーチにヘリパッドを造ることで発生する騒音や事件事故に対し、売却を決めて責任を持てるのか」という賛否の意見が出る中、十年越しで条件付き返還に反発していた同区が「現実的対応」にかじを切った。一方、反対する住民の間では署名活動の動きも出ている。(北部支社・新垣晃視)
区議会議員は十一人。賛成は六人。四人は反対の意思を示していたが、うち三人は欠席した。
採決には加わらなかった区議会の山城盛幸議長は、議会終了後「町が受け入れを表明するまでが勝負だったと思う。反対を訴えてきたが、力が及ばなかった。ブルービーチの返還は皆希望している。ただ、訓練場が戻ってきても、跡地利用は区だけでできるものではない。総合的に考えての判断だったのではないか」と苦しい胸の内を語った。
町は、米軍基地所在市町村活性化特別事業(島田懇談会事業)の「ふるさとづくり整備事業」で、ギンバル訓練場跡地に医療施設建設の計画を進める。内閣府は昨年末、用地買収費用として十五億六千九百万円を内示。本年度内の着工を目指す町は、区有地売却に関する同区の合意を得て予算要求をしたい考えで、区に働き掛けてきた。
同区では、一九九六年と二〇〇六年の二回、ブルービーチへのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設に対し、反対決議をしている。與那城区長は「決議は撤回せず、引き続きブルービーチの返還を求めていく」との立場を示した。
区に入るギンバル訓練場の軍用地料は年間約五千二百万円。公民館の維持管理費や区内各団体への補助金などに充てられている。返還後は、区有地の売却費で国債を購入し、その利息でこれまでの住民サービスを継続する考えという。
欠席した知名達也議員は「並里区の将来を左右する大事な判断を、区議会の中だけで決めていいのか。広く住民に問う機会をつくるべきではないか」と話す。区のアンケートでは約66%が条件付き返還に反対しており、反対する住民の間では署名活動の動きも出ている。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806061300_01.html
2008年6月6日(金) 朝刊 27面
2米兵に実刑判決/沖縄市タクシー強盗
沖縄市で今年一月に起きた米兵によるタクシー強盗事件で、那覇地裁(〓井広幸裁判長)は五日、いずれも在沖米海兵隊普天間基地所属で伍長のジョセフ・ウェイン・リドル被告(20)に懲役四年六月(求刑懲役八年)、一等兵の米国人少年(19)に懲役三年以上四年以下(同五年―八年)の判決を言い渡した。
判決は、犯行態様の悪質さを強調した上で、「被害者を暴行して遊興費を得ようとした動機は利欲的で身勝手」と指摘。一方で両被告が反省し、被害男性に見舞金を支払っていることなどを挙げ、裁判官の裁量により刑を減軽した。
〓井裁判長は、「両被告がまだ若く、リドル被告が年長者としての責任をわきまえた態度を示しているほか、両被告とも不遇な家庭環境で育ったもようである」などと述べた。
※(注=〓は「吉」の旧字体)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806061300_02.html
2008年6月6日(金) 朝刊 2面
伊芸区、ヘリ騒音に抗議/「夜間訓練影響は大」
金武町伊芸区上空で米空軍所属のHH60救難ヘリが夜間にかけて低空飛行を繰り返した問題で、池原政文区長と同区の行政委員会(登川松栄議長)は五日、外務省沖縄事務所と在沖米国総領事館、沖縄防衛局を訪れ、伊芸区での米軍ヘリ演習とレンジ4での米陸軍の都市型訓練施設暫定使用の即時中止を求めた。
沖縄防衛局の赤瀬正洋企画部長は「夜間のヘリの騒音は地元の生活に大きな影響を与えていると認識している」と地元の負担に理解を示したが、ヘリ演習の中止については「地元に対する影響を最小限にし、安全に万全を期すよう米側の方にも申し入れを行っている」と述べるにとどめた。
池原区長によると、在沖米国総領事館では「米空軍ヘリはレンジ4の都市型訓練施設で陸軍が行った夜間の救難訓練を支援した」との説明を受けたという。
都市型訓練施設は伊芸から離れたレンジ16への移設が決まっているが、作業が遅れている。赤瀬部長は「(移設作業完了は)来年の半ばを予定している。できるだけ努力して作業を短くしたい」と述べた。
外務省沖縄事務所の山田俊司外務事務官は「米軍の錬度維持が日米安全保障体制を支える上で大事」とした上で、「何をもって訓練と定義するか非常に難しいが、すべてが許されていいわけではない。皆さんに迷惑を掛ける訓練は控えるべきだ。まずは事実を把握したい」と述べた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806061300_04.html
2008年6月6日(金) 朝刊 26面
平和の礎追加 過去最少128人/県、22日までに刻銘
県文化環境部は五日、沖縄戦などの戦没者名を刻んだ糸満市摩文仁の「平和の礎」に、本年度新たに百二十八人を追加刻銘すると発表した。一九九六年度に追加されるようになってから最少の人数で、総数は二十四万七百三十四人となる。遺族が沖縄を訪れたのを機に申告した韓国の軍属十二人、米国の海軍人一人も加わる。「慰霊の日」前日の二十二日までに刻銘工事を終える。内訳は国内百十四人(県内四十二人、県外七十二人)、韓国十三人、米国一人。
韓国の刻銘者のうち十二人は、旧日本軍による強制動員被害を調査する韓国政府の委員会が主催した海外追悼巡礼で、昨年十一月に沖縄を訪れた遺族が申告した。
県内出身者は、被弾やマラリア、栄養失調などを理由に、沖縄やサイパン、福岡などで亡くなった三十八人のほか、広島や長崎で被爆し、〇七年と〇八年に死亡した四人が含まれる。
県外出身者はほぼ軍人で、戦艦大和の乗員二十一人、日本郵船所有の貨物船で当時軍に徴用されていた富山丸の乗員四人、神風特別攻撃隊七人など。
都道府県別で最も多かったのは佐賀県の四十人で、刻銘対象を緩和した〇三年改正の基本方針に照らして、同県が戦没者リストを改めて調査し、未刻銘者が多数判明したためという。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806061300_10.html
2008年6月6日(金) 夕刊 7面
懲役3年を求刑/タクシー襲撃
那覇地検 23日に判決
沖縄市で今年三月、タクシー運転手が三人組の外国人に襲われ、釣り銭箱を奪われた事件で、事件を首謀したとして窃盗と傷害の罪に問われた在沖米空軍嘉手納基地所属で兵長の憲兵隊員ダリアス・エイ・ブランソン被告(22)の論告求刑公判が六日、那覇地裁(〓晋一裁判官)であった。検察側は懲役三年を求刑、弁護側は執行猶予を求めて結審した。
判決は二十三日に言い渡される。
検察側は論告で、ブランソン被告が自宅に寝泊まりさせていた少年らを事件に加担させており、刑事責任は最も重く、地域社会に与えた影響も大きいなどと指摘。
弁護側は弁論で、ブランソン被告が真摯に反省し、被害弁償する意志を持っているほか、実行行為にはかかわっていないなどの情状を訴えた。
※(注=〓は「頼」の旧字体)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806061700_07.html
2008年6月7日(土) 朝刊 28面
「ひめゆり」全国上映/公開2年目では異例
体験者二十二人の証言を記録したドキュメンタリー映画「ひめゆり」(柴田昌平監督、プロダクション・エイシア制作)が、今年も六―八月にかけて全国各地で上映される。関係者によると、公開二年目の作品がロードショーに近い形で全国再上映されるのは異例。県内でも桜坂劇場のほか、市民団体が上映会や関連イベントを予定している。
プロデューサーの大兼久由美さんは「証言に込められた普遍的な力を伝えるため、慰霊の日を挟んだこの時期に、今後も毎年、上映を続けていきたい。戦争や平和、命について考えるきっかけになれば」と話す。
「ひめゆり」は柴田監督が十三年かけて証言を記録した二時間十分の長編。昨年三月二十三日、学徒が戦場動員された日に合わせ桜坂劇場で公開、自主上映を含め全国百十一会場で上映。二〇〇七年度文化庁映画賞大賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞など、数々の賞を受賞している。
制作したプロダクション・エイシアが、ボランティアなどと連携してつくる「映画ひめゆりを観る会」には、「命のことを感じた。周りの人を大切にし続ける」(二十代)「家に帰ったら、おばあちゃんの話を聞きたい」(十代)などの感想約三千通が寄せられた。
今年は全国十二カ所で公開予定。県内では桜坂劇場で十四日から二十七日まで。沖縄市のくすぬち平和文化館では毎月第二、第四土曜日に上映している。八日には浦添市社会福祉センターで、自主上映とシンポジウムが行われる。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806071300_05.html
2008年6月7日(土) 朝刊 2面
普天間ヘリ場周経路/調査前向き
沖縄防衛局の真部朗局長は六日、中部の十市町村でつくる中部市町村会(会長・知念恒男うるま市長)の要請の場で、日米が合意した米軍普天間飛行場での場周経路が守られてないとの伊波洋一宜野湾市長の訴えに対し、「市の声を有効なデータとして客観的に米側にぶつけられるような方策を考えたい」と答え、同局自身が現状調査に取り組む姿勢を示した。外務省沖縄事務所の倉光秀彰副所長は「指摘を真摯に受け止め、防衛省と、米側に『約束をきちんと実行してほしい』と申し入れていきたい」と述べた。
場周経路は墜落事故を防ぐために日米で設定された飛行ルート。
真部局長は「米側は『守っているつもりだ』と答えているが、宜野湾市の声もある。現実的に何ができるか。率直に言って見つけられていないが、客観的な方策を考えたい。(指摘を)よく踏まえて検討努力したい」と前向きな姿勢を示した。
同飛行場の危険性除去については、仲井真弘多知事も四月の移設協議会で、同様の要望を国側に伝達しており、「技術的に何ができるか研究検討するということで、今動いている。県と連携していきたい」と説明した。
同市町村会は、一九九六年の日米合同委員会で合意した嘉手納基地や普天間飛行場での航空機騒音規制措置が守られていないと主張。真部局長は「現在の規制措置を守らせるよう、あらゆる機会を通じて改善を求めていく」と述べ、市町村会が求める使用協定の締結には否定的な見解を示した。
F15戦闘機の未明、早朝離陸を回避するため、他基地を経由するべきだとの要望に対しては、日米合同委員会の航空機騒音対策分科委員会で検討していると説明。「経由地を選定して早朝離陸の問題を解決できないか、あらゆる方策を検討している。できるだけ早く有効策を説明したい」と話した。
同市町村会は普天間飛行場の危険性除去や早期閉鎖・返還、嘉手納基地から派生する諸問題の解決促進を求めた決議文を、防衛局や外務省沖縄事務所、県に提出した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806071300_07.html
2008年6月7日(土) 朝刊 28面
市民参加で遺骨収集/那覇市で22日
慰霊の日を前に、那覇市と沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(具志堅隆松代表)は二十二日、真嘉比小学校近くの市土地区画整理地区「真嘉比古島第二地区」で市民参加型の遺骨収集を行う。行政と市民団体が連携して遺骨収集するのは初めて。
真嘉比地区は新都心地区のシュガーローフと同様、日本軍の支援陣地があり、激しい戦闘が展開された地域。いまだに多くの戦没者の遺骨が眠っているという。具志堅さんは「自分の住む身近なところで戦争が起こったことを知り、なぜこの人たちが犠牲にならなければならなかったか、あらためて沖縄戦を考える機会にしてほしい」と話した。
那覇市が収集作業に協力することも、市民活動の大きな支えになると期待している。
遺骨収集は二十二日午前九時から午後三時まで(雨天時は中止)。その後、現地で慰霊祭を開催する。参加費百円(保険料込み)。個人参加のみ。高校生以上が対象だが、親子同伴の場合は中学生以下も可。発掘作業に三十人、現場見学は(1)午前十時半(2)午後一時半で各二十人。白い布製の収集袋提供だけも受け付ける。
軍手、帽子、タオルなど持参。申し込み・問い合わせは市平和交流男女参画室、電話098(861)5195。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806071300_09.html
2008年6月7日(土) 夕刊 5面
「情熱と戦争の狭間で・無言館」展/来場者から平和祈る声
「見ていて胸がつまった」「一つ一つの絵にくぎ付けになった」―。県立博物館・美術館で開かれている戦没画学生の作品などを展示する「情熱と戦争の挟間で―無言館・沖縄・画家たちの表現―」(主催・文化の杜共同企業体、県立博物館・美術館、共催・沖縄タイムス社)のアンケートには、県内外の来場者から、戦争の「痛み」に共感、平和を祈る声が続々と寄せられている。
同展は長野県の私設美術館「無言館」の作品と、「戦争の記憶」をテーマとした沖縄の作家の作品による二部構成。二十九日まで。太平洋戦争で戦死した若者や、沖縄戦を生き抜いた画家が、「戦争」というテーマの枠を超え、愛する人物や当時の風景を描き出している。
神奈川県から訪れた男性(24)は「自分と同じくらいの年齢の若者が、将来の夢を捨てて戦死したことを痛感した」と、自身に置き換えていた。
失われた「才能」を惜しむ人も。那覇市の女性(37)は「片桐彰さんの絵が現代風ですてき。生きていれば、どれだけ人のためになっていたでしょう」。広島県の男性(27)は「戦争により、多くの人々の命だけでなく、多くの文化も葬り去られた」と嘆いた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806071700_04.html
2008年6月8日(日) 朝刊 22面
反基地行動 大阪で200回/辺野古阻止 街頭でビラ
【大阪】「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」(松本亜季代表)は七日、大阪なんば駅前で二百回目の街頭行動を展開した。沖縄の基地問題を大阪でも広めようと二〇〇四年から大阪駅前で毎週土曜日に活動している。この日は「ピース辺野古・なんばアクション」と題し、約三十人のメンバーが「辺野古の新基地建設を阻止しよう」と呼び掛けながら二千枚のビラを配布した。
松本代表は「沖縄の現状を一人でも多くの人に知ってもらいたい。これまでに三万人の署名も集まった。二百回は一つの節目で、さらに活動を継続したい」と述べた。メンバーらはこの後、心斎橋まで移動しながら基地建設反対を訴えた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806081300_09.html
2008年6月9日(月) 朝刊 1面
野党が逆転 26議席/自民惨敗、民・共躍進
仲井真県政に打撃/県議選
任期満了に伴う第十回県議会議員選挙は八日投開票され、野党中立が二十六議席と過半数を獲得し、与野党逆転に成功した。自民、公明両党を中心にした与党は、後期高齢者医療制度に対する有権者の強い反発を受け、二十二議席にとどまる惨敗。稲嶺前県政から続いた与党の安定多数は崩れた。県議選で県政与党が過半数を割り込むのは一九九二年以来十六年ぶり。投票結果を「自らへの評価」としていた仲井真弘多知事は今後、厳しい県政運営を迫られる。普天間飛行場移設協議や経済振興など政策課題への影響も必至だ。野党圧勝で、争点となった後期高齢者医療制度の修正・廃止論議も加速されそうだ。投票率は57・82%で、前回を0・9ポイント下回り、過去最低となった。
野党側は、後期高齢者医療制度廃止を最大の争点に掲げ、党首クラスが相次いで来県するなど、国政選挙並みの態勢で臨んだ。保守支持層が強い高齢者層などへも浸透し、国頭郡、うるま市、浦添市、那覇市などの激戦区を制した。
与党側は与野党逆転の危機を訴え、経済界の支援を得ながら過半数維持を狙ったが、後期高齢者医療制度への反発は強く、仲井真知事の支援を受けた「与党効果」も上滑りに終わった。保守支持層が切り崩されて激戦区で現職が落選し、少数与党に転じた。
当選者の内訳は、現職二十七人、元職三人、新人十八人。現職四人が落選した。最年少は三十五歳、最高齢は六十八歳。女性は過去最高の十人が立候補し、七人が当選した。
党派別では、自民は十六人が当選。公明は五人の公認推薦候補が全員当選した。
野党側は、社民が五議席を得て、野党系無所属候補を含めて野党第一会派を確保する見込み。共産は糸満市区で返り咲き、浦添市で初議席を得るなど五人が当選した。
民主は新人三人を含む四人がトップ当選で躍進した。社大は二人が当選。政党「そうぞう」は公認一人が当選した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806091300_01.html
沖縄タイムス 社説(2008年6月9日朝刊)
[与党惨敗(上)]
県政への影響は甚大だ
県議会の与野党勢力が逆転した。八日に投開票された第十回県議会議員選挙で自民、公明を中心とする与党は、前回選挙で獲得した議席数を大幅に減らし、過半数を割り込んだ。
仲井真県政にとっても政府にとっても、この結果がもつ意味は極めて重い。
仲井真弘多知事は、今度の県議選について「私に対する中間評価だと思っている」と繰り返し強調していた。それだけになおさら、与野党逆転の選挙結果は、県政運営に計り知れない影響を与えることになるだろう。
県政が少数与党の下で運営されるのは過去に二回あるが、今回とは全くケースが異なる。
一九七八年十一月の知事選で革新から十年ぶりに県政を奪い返した西銘順治知事は、一期目途中まで少数野党だった。九〇年の選挙で保守から十二年ぶりに県政を奪還した大田昌秀知事も、二期目の途中まで少数与党の悲哀を味わっている。
だが、今回は、県政逆転に伴って生じた変化ではない。保守から保守へ県政が引き継がれ、過半数を超える議席を前県政からの「遺産」として受け継いだにもかかわらず、議席を減らして少数与党に転落したのである。このようなケースは初めてだ。
与党系で当選したのは自民、公明、無所属を含め計二十二人。これに対し野党系は社民、共産、民主、社大、そうぞう、中立系無所属を含め計二十六人。選挙で示された民意を踏まえ、軌道修正が必要な施策については方針転換をためらうべきではない。
それにしても、県議選に地殻変動をもたらしたものは何だったのだろうか。
民主や「そうぞう」など従来の保革の枠に収まらない「第三勢力」が票の掘り起こしを行ったことや、県発注工事をめぐる談合問題で多額の損害賠償金を請求されている一部建設業者が県政離れを起こしたことも影響したとみられる。
しかし、最大の要因は、やはり後期高齢者医療制度だったのではないか。
厚生労働省が実施した全国調査の結果、負担が増える世帯の割合が沖縄は64%に上り、全国一高くなっていることが分かった。この調査結果に対する怒りの声が投票行動となって現れた、と見るべきだろう。
県議選で国の政策にノーが突きつけられたことを政府は重く受け止めなければならない。
米軍普天間飛行場の辺野古移設問題も、政府や県の描いてきたシナリオに大きな狂いが生じることになりそうだ。
県が求める沖合移動については米側が強硬に反対しているが、辺野古移設そのものを疑問視する野党が議会で多数を占めたことで、困難はいっそう深まった。
県議会の勢力は四年後の次の選挙まで変わらない。議会同意の必要な人事を含め、多数野党とどのように協調していくか。仲井真知事は、一期目の任期半ばで、公約も実現しないうちに、重大な岐路に立たされることになった。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080609.html#no_1
琉球新報 社説
県議会逆転 重い負担に有権者「ノー」/国・県は民意を受け止めよ 2008年6月9日
仲井真県政1期目の県議会勢力図がどう変わるか注目された第10回県議選は、8日の投開票で野党・中立系が過半数を制し、与野党逆転を果たした。県政運営に影響を与えるのは必至で、普天間飛行場の名護市辺野古移設を推進する政府も、再考を迫られる局面が浮上しよう。
選挙結果は、過重負担が続く米軍基地問題や「低所得層ほど負担増」になることが判明した後期高齢者医療制度など、県民生活に深くかかわる国の施策や県の対応に有権者が明確に「ノー」を突き付けた格好だ。
国と県は結果を重く受け止め、民意を十分に踏まえた形で政策転換を図ってもらいたい。
吹いた「変革」の風
今県議選は定数48に対し、74人が立候補、激しい選挙戦を展開した。基地問題への対応や雇用・経済振興策、教育・福祉環境の整備など従来の争点に加え、後期高齢者医療制度の是非が与野党の大きな対立軸として浮上。暫定税率を復活させガソリンを再値上げした施策を含め、県政だけでなく、国政への評価も問う地方選挙として全国的にも注目された。
開票の結果、野党・中立系が6人増の26議席と勢力を大幅に伸ばしたのに対し、与党系は5人減の22議席まで後退した。野党は社大が2議席に後退したが、社民、共産は各5議席を獲得、民主も4人全員当選と躍進したのが特徴で、有権者に「変革」を求める風が吹いたといえる。
これに対し、与党は公明が現有3議席を守ったが、自民が4人減の16議席と減らし、与野党逆転を招いた。選挙戦で新しい基地建設計画や、社会的弱者に痛みを強いる施策について、十分に説明できなかったことが響いたのは間違いない。
当選した県議に、まず注文したいのは「顔の見える」政治家になってほしいということである。劇場的なパフォーマンスの意味ではない。選挙戦で訴えた政策を議会活動の場でも繰り返し提起し、民意の反映に全力を挙げてもらいたいという思いだ。
議員に対し「選挙の時しか顔を見ない」との皮肉を有権者から聞くことがあるが、当選後、議会での質問権も十分に行使しないことがまかり通るようでは、地方自治はおぼつかない。
与党であっても、県政に対しては、是々非々で対応する姿勢が求められる。県側の提案を丸のみしていると、緊張感を欠くし、何より県民のためにならない。軸足はあくまで県民の側に置き、県民こそが主人公だと心したい。
「ねじれ国会」を見ても分かるように、行政と議会の間には緊張感が求められる。省庁不祥事などが相次いで発覚しているのは、国会が機能してきた証しだろう。県議会もしかり。
難題解決へ結束も
県議への2つ目の注文は、沖縄が抱える難題解決に向けての結束である。昨秋の教科書検定意見撤回を求める県民大会では、県議会議長が実行委員長を務め、文部科学省に対して「県民の怒り」をぶつけた。
教科書検定問題が大きなうねりとなり、政府に方針転換を余儀なくさせた背景には、県議会が結束して行動したことがある。
1995年の米兵による少女乱暴事件に抗議する県民総決起大会でも、超党派で前面に出て、県民を代表する機関としての役割を果たした。県議会一致の行動は、県民の総意であり、政府も軽視できまい。
ところが今春、本島で米兵による女子中学生暴行事件が発生した際、結束が崩れた。抗議の県民大会への参加を仲井真知事が控え、自民も組織不参加を決めた。与党の公明が参加しただけに、残念であった。議会の結束が崩れると、政府に見くびられる恐れがある。
県議会は、県民の代表者である議員が沖縄県の重要な事項について意思決定を行うという大きな役割を担っている。政府を揺り動かす気概で、地方議会の主体性と存在感を高めたい。
投票率が57・82%と過去最低だったのは懸念材料だ。若者の選挙離れがいわれて久しいが、今回も歯止めがかからなかった。抜本策が急がれるが、当選した県議らが議会に新しい風を吹き込み、沖縄の未来を主体的に切り開く気概を示せば、おのずと政治への関心も高まろう。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-132952-storytopic-11.html
2008年6月9日(月) 夕刊 1面
「自公政治」を批判/県議選・与野党逆転
第十回県議会選挙(定数四八)は八日投開票され、野党中立が二十六議席を獲得し、二十二議席だった与党を上回った。与野党逆転を許した自民、公明は厳しい選挙結果に、仲井真弘多知事の今後の県政運営に懸念を表明した。一方、野党各党は「後期高齢者医療制度など自公政治に対する怒りが示された」とし、県政の変革を訴えた。
現職二人を含む公認候補六人が落選した自民党県連の外間盛善代表代行は、後期高齢者医療制度に対する批判を敗因に挙げ、「あまりにも逆風が強かった。見直しも打ち出したが、十分に説明できなかった」と分析。党勢の立て直しを課題に挙げた。
同じ与党でも公明党県本は公認推薦五人が全員当選した。糸洲朝則代表は「完全勝利だった」としながらも、「与党の過半数割れは残念。仲井真県政の今後の県政運営を危惧する」とした。
社民党県連は五人の公認候補が当選。三人の無所属候補の会派入りで、野党最大会派へ。照屋寛徳委員長は「仲井真県政に対する厳しい審判だ。自公政権は今回の結果を厳しく受け止めるべきだ」と主張した。
共産党県委は五人の公認が当選し、現有三議席から伸ばした。代表質問権などを回復させ、赤嶺政賢委員長は「自公の悪政に対する怒りが躍進につながった。県議会の論戦をリードしていきたい」とした。
新人三人を含む公認四人がトップ当選で躍進した民主党県連。喜納昌吉代表は「政権交代を望む県民の期待が民主党に多数寄せられた結果だ。自公政権は早期解散で民意を問うべきだ」と強調した。
社大党は現職、新人の二人が落選。公認候補の当選が過去最低の二人だった。比嘉京子書記長は「民主党躍進の影響を受け、埋没してしまった」と、後期高齢者医療制度など与党への反発が、他党へ流れたと分析。立て直しを訴えた。
公認一人が当選した政党「そうぞう」の下地幹郎代表は「与野党逆転は日本の政治に大きな影響を与え、非常に意味を持つ」と指摘。「『変えたい』という県民の思いに応えていきたい」とコメントした。
国民新党県連の呉屋宏代表は「推薦候補四人が当選した。政治改革の第一歩を沖縄から中央政府に訴えたい」とコメントした。
◇ ◇ ◇
野党の考え聞き判断/仲井真知事
仲井真弘多知事は県議選の投開票から一夜明けた九日午前、今後の県政運営について「野党がどう考えているか聞いた上で判断したい」と述べ、議会で過半数を占めた野党との調整が必要との考えを強調した。一方で「粛々と仕事をするだけだ」とも述べ、基本政策を堅持する方針もにじませた。登庁時に記者団の質問に答えた。
与党の過半数割れには「民主が躍進して(与党の票が)はねられてしまった」として、民主党の勢力拡大の影響が大きいとの認識を示した。
県首脳は同日午前、米軍普天間飛行場の移設問題について「県議選は知事選ではない。基本的な考えを変えることは県民への公約の放棄になる」として、名護市キャンプ・シュワブ沿岸部移設とV字形滑走路の沖合移動を引き続き推進する考えを明らかにした。
医療制度が敗因/町村官房長官
【東京】町村信孝官房長官は九日午前の会見で、与野党の勢力が逆転した県議選の結果について「仲井真知事も言うように、背景に長寿医療制度(後期高齢者医療制度)の問題があったことは否定しえない事実だろうと思う」と述べ、同制度への逆風が与党敗因の一つになったとの認識を示した。
普天間飛行場の移設問題は「争点になったとは聞いていない」とした上で、政府と県との協議への影響について「公有水面埋め立てなどで県知事の許可が要るが、県議会の了承が必要なことはないだろうと思っている。県民の理解と協力を得ながら進めていくのが政府の方針だ」と述べた。
ただ別の政府筋は「キャンプ・シュワブ沿岸部への移設に影響は避けられない」との懸念を示し、「仲井真知事の今後の判断に影響する」との見方も出ている。知事が滑走路位置の修正を求めていることもあり、政府と県側の調整はさらに難航する可能性がある。
一方、選挙結果が国政に与える影響をただされた町村官房長官は「どこの地方選も地元の事情、選挙区ごとの事情があるから、(選挙結果が)どう国政に影響を与えるか、ただちにコメントするのは難しい」と述べるにとどまった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806091700_01.html
2008年6月9日(月) 夕刊 1面
国抗告許可 最高裁へ/沖国大ヘリ事故訴訟
沖縄国際大(沖縄県宜野湾市)の敷地内に米軍のヘリコプターが墜落した事故をめぐる情報公開訴訟で、福岡高裁(西理裁判長)は九日までに、不開示部分を裁判所に提示するよう命じた同高裁決定を不服として国が申し立てた抗告を許可する決定をした。六日付。
不開示部分の裁判所への提示の当否は、最高裁に審理が持ち込まれ、判断されることになった。
この訴訟は、那覇市の男性が二〇〇四年のヘリ事故をめぐる日米両政府間の協議内容の一部を情報公開請求で不開示とされたのは不当として、国の処分取り消しを求め、福岡地裁に提訴。一審判決は請求を棄却し、男性が控訴した。
福岡高裁は五月、不開示に理由があるか否かを判断する上で「文書の細部まで内容を正確に把握する必要がある」として国に文書の提示を命じた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806091700_04.html
2008年6月9日(月) 夕刊 6面
イオンが協定書/泡瀬ゴルフ場跡に出店
【北中城】二〇〇九年秋以降の返還が見込まれる米軍泡瀬ゴルフ場跡地への出店を予定するイオンモールと琉球ジャスコ、アワセゴルフ場地権者会は九日午前、北中城村役場で、「イオンモール沖縄北中城(仮称)」出店の「事業推進の協定書」に調印した。協定書は(1)返還跡地へのイオングループ出店で合意(2)区画整理事業の推進(3)出店で相互協力する―などと定めている。
調印式にはイオンモールの山中千敏専務と琉球ジャスコの栗本建三社長が出席。両社は既に調印を済ませており、この日は地権者会の比嘉伸維会長が調印した。
比嘉会長は「イオンモール出店は地域経済の活性化につながる。事業推進のためまい進したい」と期待。山中専務は「顧客第一の企業理念で、輝きのある街を創造したい」と抱負を述べた。
イオングループは一二年度、米軍泡瀬ゴルフ場跡地への出店を予定。敷地面積約十七ヘクタールで、飲食店などの専門店約三百店のほか、約六千台収容の駐車場を建設する。雇用効果は約三千三百人を見込んでいる。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806091700_07.html
2008年6月10日(火) 朝刊 2面
米軍再編方針変えず 首相
【東京】福田康夫首相は九日、政府与党連絡会議に出席し、県議選で与党が敗北を喫したことについて、在日米軍再編問題などに対する政府の従来方針に変わりはないとの考えを強調した。冒頭、福田首相は「沖縄に関しては米軍再編問題など、そのほかの重要な問題がある。これまで通り、粛々と進めていきたい」と述べた。
会議終了後、公明党の太田昭宏代表は「わが国と沖縄ということからいくと、国にかかわる案件は非常に多い。そこが、これから県政としてなかなか困難なスタートになると思う」と述べ、今後、仲井真弘多知事が厳しい県政運営を迫られるとの見方を示した。
自民党の古賀誠選対委員長は、「地方の選挙は地方の選挙」としながらも、「沖縄という非常に国政にかかわりの深い県なので、大変残念な結果だった」と指摘した。その上で、同会議で、後期高齢者医療制度に対する有権者の強い反発があったことを説明したと述べ、詳しい敗因を今後分析する考えを示した。
福田政権不信任
民主・鳩山幹事長
【東京】民主党の鳩山由紀夫幹事長は九日、県議選で野党中立が過半数を獲得したことについて、「(県議選で)野党が逆転したと言うことは、国政においても野党逆転しろという意思表示。『福田政権おやめになりなさい』という思いを県民が示した」との見解を示した。
その上で、「信任されていないということを直近の民意が示していると理解し、解散するか、あるいは総辞職するか、いずれかの手段をとって国民に信を問うてほしい」と述べた。
一方、「今年唯一の県議選なので、まさに国政に直結している」と述べ、後期高齢者医療制度に対する有権者の強い反発を勝因に挙げた。その上で、福田康夫首相に対する問責決議案提出に意欲を示した。
選挙結果が米軍普天間飛行場の移設に与える影響については、「民主党も四人の候補者がトップ当選した。他の野党も(同飛行場を)県外に移転させろという主張が中心であり、その方向で県議会は動いていくことになるので、(県内移設を容認する)仲井真弘多知事の思い通りには進みにくくなる」との見方を示した。
普天間に「影響」
防衛省外務省
【東京】米軍普天間飛行場移設を担当する防衛、外務の両省からは九日、今後の移設事業への影響を指摘する声が上がった。
防衛省の増田好平事務次官は、同日の定例会見で「地元の声にもよく耳を傾けて関係の役所とも連携しつつ、地域振興に全力を挙げて取り組みながら、日米合意に従って着実に進めていきたい」と従来の見解を繰り返すにとどめた。
しかし、同省首脳は「現時点で答えるのは難しいが、影響はある」との見方。ただ、県が求める代替施設案(V字案)の沖合移動については、「これまでも『沖合移動を念頭に努力する』と言っている。その姿勢は変わらない」と述べ、基本姿勢は変えない考えを強調した。
一方、外務省幹部は「間接的に影響してくる。これから(状況を)見ていかなければならない」と述べ、県議会と県政の動向を注視していく考えを示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806101300_02.html
2008年6月10日(火) 朝刊 26面
「ガマ」の再認識 平和学習に意義/高教組、14日にシンポ
高教組教育資料センターは十四日午後二時から、那覇市の教育福祉会館でシンポジウム「ガマ」を開催する。二〇〇五年から戦跡調査を積み重ねている同センターが、「ガマは平和学習の上で重要な意義を持つ」と再認識したことがきっかけ。「ガマについて認識を深め、平和学習の課題を模索する機会にしたい」と多くの来場を呼び掛ける。
シンポジウムでは、「遺骨収集とガマ」「考古学とガマ」「ガマの生息動物保護」などをテーマに、四人がガマについて報告する。
三年間、県内各地でガマなどを調査してきた同センターの源河朝徳事務局長は、「戦跡は中南部というイメージがあるかもしれないが、県内の至る所にあり、若い人にはそこに目を向けて、学んでもらいたい。特異な生態系を持つものもあるので、ガマのさまざまな面を学んでほしい」と話した。
同センターは八月に、調査結果をまとめたガイドブック「ガマ」を発刊する予定。
シンポジウムは入場無料。問い合わせは同センター事務局、電話098(884)4555。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806101300_07.html
沖縄タイムス 社説(2008年6月10日朝刊)
[与党惨敗(下)]
噴出した国政への批判
自民党にまたも逆風が吹いた。八日に投開票された県議選で自民党は議席数を改選前の二〇から一六に減らし、ついに少数与党に転落した。
逆に民主党は公認候補の四人全員がトップ当選を果たすという大躍進を遂げた。昨年七月の参院選で示された「自民退潮・民主躍進」の結果が県議選でも同じ形で再現されたのである。
なぜ、このような選挙結果が出たのか。テレビのインタビューに答えるお年寄りの言葉が印象的だった。「これまでは自民党に投票していたが、今度だけは入れたくなかった」
国の失政に対する「有権者の反乱」「地方からの異議申し立て」が、自民大敗の結果を生んだといっていい。
昨年の参院選は「年金問題」「政治とカネ」「閣僚の不祥事」という逆風三点セットが自民党に吹き荒れた。
県議選の結果を左右したのは後期高齢者医療制度である。年金問題といい高齢者医療といい、老後の生活を保障するはずの政府の基本政策に有権者がノーを突きつけたのである。
それだけではない。二〇〇七年六月に施行された改正建築基準法によって建築確認が厳格化され、県内でも住宅着工件数が大幅に減少した。典型的な「官製不況」だ。県内の建設業界は今もその影響から抜け出せないでいる。
ガソリンや食料品の値上がりが家計を直撃している時だけに、暫定税率をめぐる政治の混乱や政府の対応のまずさにも有権者の批判が集まった。
与野党いずれの支持者からも共通に聞こえてきたのは、米軍再編推進法に基づく露骨な「アメとムチ」政策に対する批判である。
再編交付金というアメをちらつかせながら自治体をコントロールしようとする政策は、自治体の自主性を損ねるだけでなく、そこに住む住民の「誇り」や「土地への愛着」を逆なでするような結果を招いている。
後期高齢者医療制度もそうだが、生身の人間の息遣いや日々の暮らしの現実を無視して政策が作られているということだろうか。ぎすぎすして、ぬくもりが感じられない。
将来への希望を抱くことができない政策が目立つのだ。
昨年の参院選、今回の県議選で自民党が大敗し、福田政権に対する支持率が低迷している背景に、こうした政策への反発があるのは明らかである。
県議選の投票率は57・82%で、過去最低を記録した。一九八八年の第五回県議選のあと、五回続けて下がりっぱなしである。低落傾向に歯止めがかからない。
国会よりもはるかに身近な存在でありながら、実は、住民と県議会の距離は遠いのではないか。この距離を埋め、住民の政治参加を促すためには議会改革が必要だ。
与野党を超えて若い当選者にその役割を期待したい。議会に新風を吹き込み、県政と議会の緊張感を高め、議会と住民を結びつけるための新たな試みにチャレンジしてほしい。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080610.html#no_1
2008年6月10日(火) 夕刊 1面
「普天間」への影響注視/県議選与野党逆転
防衛・沖縄相が意向
【東京】石破茂防衛相は十日午前の閣議後会見で、野党が過半数を獲得した県議選の結果について、「与党が過半数を割ったということの意味合いはなおざり視するべきではない」と述べ、米軍普天間飛行場移設への影響を注視する意向を示した。その上で「今まで同様、あるいはさらなる努力をし、普天間移設に向けた手続きや説明を丁寧に、誠実にやっていく」と述べた。
また、岸田文雄沖縄担当相も閣議後会見で「後期高齢者医療制度の課題も影響したといわれていると認識している。米軍再編の政府方針に影響があるか注視したい」との考えを示した。
与党の敗因については「それぞれの選挙区の事情や国政の課題などさまざまな事情が重なった。選挙結果を真摯に受け止めることが必要」として、「引き続き県や地元と連携し沖縄の自立型経済の構築に一層努力したい」と述べた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806101700_02.html
2008年6月10日(火) 夕刊 5面
新垣良俊氏側が祝儀/「ハーレー激励で」
【八重瀬】八日に投開票された県議選の島尻郡区で当選した新垣良俊氏(59)の陣営が、投票日前日の七日、八重瀬町の港川漁港で開かれた「港川ハーレー」の会場で、出場チームの関係者に、現金五千円の「御祝儀」を渡していたことが分かった。
新垣氏は「大会を激励するために渡したもので、投票を依頼するつもりではなかった。結果的に誤解を招いてしまい、反省している」と述べた。
新垣氏によると、七日午前九時ごろ、後援会長の中村信吉八重瀬町長らとともに会場を訪問。新垣氏の運転手が、「職域ハーレー」に出場する陸上自衛隊南与座分屯地の隊員に、五千円の現金が入った新垣氏の名前を書いた祝儀袋を渡した。受け取った隊員は新垣氏側に返した。
公職選挙法一九九条二項は、公職候補者は、選挙区にある者に対し、どのような名義でも、寄付をしてはならないと規定している。
新垣氏は、旧東風平町と旧具志頭村が合併し八重瀬町が誕生した二〇〇六年から大会を運営する港川漁協や港川青年会に、激励として五千円程度の祝儀を渡していると説明した。この日は、自衛隊員を大会運営の関係者と勘違いして祝儀を渡したという。県選挙管理委員会は「仮に事実であれば」と断った上で、「ご祝儀であっても寄付に当たると考えられる。渡した相手が個人か団体かにかかわらず、公選法に触れる可能性がある」と指摘した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806101700_04.html
2008年6月11日(水) 夕刊 1面
再編交付金で健康づくり/恩納村が基金創設方針
【恩納】在日米軍再編への協力に応じて支払われる再編交付金約三千八百万円の支給が決まっている恩納村が、同交付金で基金を創設し、村民の健康づくりを支援する「村健康づくり事業(案)」に充てる方針であることが十一日、分かった。県内で交付を受けている五市町村で、再編交付金を福祉分野に充てる使途が分かったのは、初めて。
同村は、六月の村議会定例会で基金創設の条例制定案と、同事業の本年度分約九百万円を盛りこんだ一般会計補正予算案を提案する。
まだ執行されていない二〇〇七年度分約四百七十五万円と、本年度分として内示された約三千三百二十五万円の計約三千八百万円全額を基金に回す。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806111700_01.html
2008年6月11日(水) 夕刊 5面
警官が偵察活動従事/沖縄戦下の本島北部
沖縄戦で日本軍がゲリラ戦を展開した本島北部で、軍に協力した警察官たちの行動を記した日誌の英訳資料を、関東学院大学の林博史教授が米国立公文書館で見つけた。警察官が偵察活動や米軍への破壊活動に従事したほか、住民への宣伝活動を行ったことも記されており、警察官が軍と住民の間を行き来して秘密戦を支えていた構図が浮かび上がった。
日誌は、一九四五年七月三日に米軍が廃屋で発見。記述者は名護署の警部補とされ、米軍上陸後の四月二十三日から六月三十日までの署員の行動が記録されていた。
日誌によると、名護署員らは米軍上陸後、日本軍のゲリラ戦部隊である護郷隊が陣を敷いた多野岳の南西に野営。各地の偵察を盛んに行い、四月二十六日には「源河で通信線を切断」と米軍への破壊工作も行った。
軍への協力についての記述も多く、五月一日には日本兵七人に食料を提供し、六月十二日には日本軍少尉と、十七日には大尉と接触。同月二十一日には「署員を道案内のため多野岳へ」と記されていた。
同時に、住民の避難壕がある地域にも署員が頻繁に行き来し、住民の動静やうわさ話などを収集していた。六月二十四日には「住民たちに米軍へ収容されないよう指示するため」として署員二人が派遣されたとある。
林教授は、住民に対する米軍の尋問記録も同館で入手。これによると、住民の一人は「警察官が時々、軍の情報を基にした新聞を住民に配っていた」と証言しており、住民への宣伝を警察が担っていたことを裏付けているという。
戦時中の警察に関する資料としては、県警察部の「戦闘活動要綱」が〇五年に見つかっている。それには警察の方針として「遊撃戦(ゲリラ戦)への協力」が掲げられ、「遊撃隊とひそかに連絡すべし」「民間人に敵の宣伝に打ち勝つ努力をさせる」などが示されていたが、活動の実態はわかっていなかった。
林教授は「現場の警察官たちは要綱を忠実に実行し、軍の手が回らない部分を埋め合わせていたことがうかがえる。秘密戦の一端を具体的に記録した貴重な資料であると同時に、根こそぎ動員で秘密戦を継続しようとした日本軍の実態をよく表している」と話している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806111700_02.html
2008年6月11日(水) 夕刊 4面
戦争の影残る風景紹介/屋良さん写真展
戦時中に一般住民が姿をひそめたガマ、歯とメガネだけがわずかに残った兵士の頭部…。県内各地の戦跡や沖縄戦にまつわる事物を写した写真展「写心展 終幕のない『レクイエム』」が、那覇市おもろまちの県民ギャラリーで開かれている。十五日まで。
日本写真家協会会員で、写真家の屋良勝彦さん(68)の個展。会場には一九六〇年代後半から二〇〇七年までの作品を展示。唯一戦禍をまぬがれた守礼の門の様子(六〇年ごろの作品)や、不発弾処理を知らせる立て看板(二〇〇七年、南城市)など、時代が移り変わっても戦争の影が残る沖縄の風景をカメラに収めた。
沖縄戦当時、ともに西原から南部へ移動する途中、命を落とした兄たちが眠る「魂魄の塔」の慰霊祭を毎年訪れる屋良さん。会場には、慰霊祭が始まった八〇年代初期から撮りためた、塔に祈りをささげる人びとの姿も多数並ぶ。
「写真から何を感じてくれるか。特に戦争を知らない世代に、少しでも戦争が認識してもらえたら」と期待を込めた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806111700_06.html