月別アーカイブ: 2007年7月

沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(7月25日)

2007年7月25日(水) 朝刊 29面

「集団自決」検定/執筆者「恣意的」と非難

 【東京】高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から日本軍の関与が削除された文部科学省の教科書検定に反対する緊急集会(歴史教育者協議会など主催)が二十四日夜、都内で開かれた。検定の対象となった教科書の執筆者らが今回の検定を「根拠が乏しく恣意的」などと非難し、出版社なども巻き込んだ検定意見撤回、記述回復の運動を首都圏でも積極的に展開する必要性を確認した。

 集会には首都圏の歴史教育関係者ら百二十人が詰め掛けた。

 東京書籍「日本史A」を執筆した都立高校教師の坂本昇さん(51)は、昨年末にあった検定意見の通達を振り返り、「二時間以内で、この日示されたばかりの十八カ所に上る検定意見についての対応策を迫られ、やむなく修正に応じてしまった。じくじたる思いが残った」と悔やんだ。

 その上で生徒たちの手に渡る「供給本」の印刷が始まる十一月を前に、執筆者有志らで対応策を検討する考えを強調。具体例として、(1)二〇〇七年の出来事を追加記述する教科書のスペースに、今回の検定問題と沖縄、全国の動向を書き足す(2)「正誤訂正」を申請する―などを挙げた。

 一方、実教出版「高校日本史B」を執筆した石山久男さん(歴史教育者協議会委員長)も「両論併記を求めるのでもなく、いきなり軍命否定説に立って書けという検定。これほど恣意的な検定はない」と非難し、首都圏でも同問題への取り組みを広げていく必要性を強調した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707251300_01.html

 

2007年7月25日(水) 朝刊 28面

装甲車侵入/宜野座議会きょう抗議

 【宜野座】宜野座村漢那の村加工直売センター「未来ぎのざ」に米軍の装甲車が乗り入れた問題で、東肇宜野座村長は二十四日、那覇防衛施設局を訪れ、小柳真樹事業部長に対して、再発防止を申し入れた。また、村議会米軍基地関係対策調査特別委員会(當眞淳委員長)も同日、会合を開き抗議することを決めた。二十五日午前、臨時議会を開いて、抗議文と意見書を可決した後、午後にも那覇防衛施設局を訪れ、意見書を手渡す予定。

 施設局への申し入れで、東村長は装甲車の乗り入れについて「危険な行為であり、住民に不安を与えた。このようなことを起こさないでほしい」と抗議。在沖米軍に対して強く抗議するよう申し入れた。

 小柳部長は、村からあった苦情を伝えて海兵隊に事実関係を照会した、と説明。「局としては米軍の運用に当たっては公共の安全に妥当な配慮をすることは当然であり、住民に不安を与えることがないよう、また住民の感情に十分配慮するよう、機会あるたびに申し入れていきたい」と答えた。

 一方、抗議決議案は、買い物客や観光客の多く居る同センター内に装甲車が乗り入れたことで、安全が脅かされ、周辺住民に不安を与えたと指摘。今後、このような乗り入れがないよう求めている。

 抗議文は在沖米海兵隊司令官、要請文は県知事と県議会議長あてに郵送する。


     ◇     ◇     ◇     

仲村県教育長 海兵隊に抗議


 【北中城】うるま市の県立沖縄高等養護学校に米軍の装甲車が侵入した問題で、県の仲村守和教育長は二十四日、北中城村石平のキャンプ瑞慶覧を訪れ、在沖米海兵隊外交政策部(G5)に抗議と再発防止を申し入れた。

 仲村教育長によると、対応したG5のラリー・ホルコム部長(大佐)は「良き隣人として兵員の教育に努めたい」と謝罪。再発防止に向け、指導を徹底する認識を示した。

 校内に侵入した理由については「隊員の判断で、詳しくは分からない」と述べたという。

 仲村教育長は「学校内への侵入は言語道断で、憤りを感じている。日米地位協定以前に、人間として非常識な行為だ」と批判した。同基地前では同日午後、沖縄平和運動センターと中部地区労が緊急抗議集会を開いた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707251300_04.html

 

2007年7月25日(水) 朝刊 28面

「バルブ閉めは故意」/市民連絡会、施設局に抗議

 米軍普天間飛行場移設予定地の名護市キャンプ・シュワブ沿岸の海中で、那覇防衛施設局の委託ダイバーと平和市民連絡会のメンバーがもみ合いになった問題で、同会とヘリ基地反対協は二十四日、施設局に「作業員が空気ボンベのバルブを閉めた。故意の危険行為だ」と抗議し謝罪を求めた。

 約四十人が施設局に詰め掛け、申し入れの場の設定を求めもみ合いになるなど、一時混乱した。施設局が二十七日に申し入れを受けることや現場への職員配置、その間の作業中断について検討を表明し、事態は収拾した。

 これに先立ち、沖縄平和運動センターのメンバー約二十人が米軍装甲車の県立沖縄高等養護学校への侵入などに抗議した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707251300_06.html

 

2007年7月25日(水) 朝刊 23面

ようこそ癒やしの渡名喜/村民の会社がツアー

 【渡名喜】島の魅力を伝え、観光客を呼び込もうと村民で立ち上げた株式会社「福木島となき」(南風原豊代表)がこのほど、ツアー客受け入れを始めた。情緒あふれるフクギ並木の家々や島独自の植生を案内。改装した古民家に宿泊する「癒しの旅」を村人が演出する。関係者は「渡名喜をPRして、島の若者が働く場所もつくりたい」と意気込んでいる。

 同村では、米軍基地所在市町村活性化特別事業(島田懇談会事業)を活用し、二〇〇〇年から観光施設などを整備。使われていない古民家八戸を改装し、宿泊施設や食堂を設置。島を巡る一人乗りの電気自動車も導入した。

 村が今年二月に施設を管理運営する法人を公募し、島在住の四人が名乗りを上げ、同社を設立した。

 六月三十日には、初めてのツアー客十一人が沖縄本島から来島し、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているフクギ並木の集落を見学。

 南風原代表や村の高齢者が、強風を避けるため、歩道より一メートル以上も掘り下げた家屋や三千五百年前から人が生活していた歴史などを説明した。

 集落を南北に挟む山では、ツアー客がかれんな白い花を咲かせる「河原なでしこ」やカルスト地形など独特の自然景観に見入っていた。

 南風原代表は「まだヨチヨチ歩きの段階だが、将来は休眠中の畑を貸し出し、個人や団体の長期滞在者の受け入れもしたい」と話している。

 「福木島となき」の問い合わせは、電話098(989)2990。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707251300_09.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月25日朝刊)

[基地と参院選]

「普天間」を軽視するな

 参院選は全国的に年金問題が最大争点として浮上し、与野党逆転が大きな焦点となる中で、基地問題は後景に退いたかのようだ。

 しかし、米軍再編は沖縄社会に深刻な影響をもたらすだけに安倍政権の政策をどう評価するかが正面から問われなければならない。

 県政の最重要課題である普天間飛行場の移設問題は、名護市が求めるV字形滑走路案の沖合移動と、仲井真弘多知事の公約である「三年以内の閉鎖状態」の実現をめぐって、政府と県、名護市の間でこう着状態が続く。

 「原爆投下発言」で久間章生前防衛相が辞任し、後任の小池百合子防衛相は沖合移動は困難との見方を示す。防衛省の守屋武昌事務次官は「政府案を変えることはまったくない」と否定的な見解を繰り返すばかりである。

 普天間移設について、西銘順志郎候補は「仲井真知事と歩調を合わせ、あらゆる方策を検討し問題解決に取り組む」と訴え、普天間飛行場の早期の危険性除去のため、県内移設も選択肢の一つだと主張している。

 一方、糸数慶子候補は「ジュゴンやサンゴの命を奪い、住民の暮らしを破壊する恒久的な基地建設は認められない。米本土に移転させるしかない」と県内移設に反対し、同飛行場の即時閉鎖・返還を求める立場である。

 訴えは基本的な考え方の応酬にとどまり、それ以上に論議が深まらない。

 西銘候補は沖合移動を主張し続けるのか、危険性の除去をどう具体化するか。糸数候補は米本土移転を主張するが、どのようなプロセスで実現するのか。政府の壁は厚く、議論自体に閉塞感や疲労感も感じられる。

 今年五月、米軍再編への協力の度合いに応じ自治体に交付金を支給する米軍再編推進法ができた。協力する自治体には支給し、拒めば冷遇して受け入れを迫る「アメとムチ」の政策だ。

 普天間移設について政府はこれまで「地元の頭越しには進めない」(橋本龍太郎元首相)と説明してきたが、ここへ来て強権的姿勢も目立つ。海上自衛隊の掃海母艦の派遣は政府の姿勢の変化を象徴している。

 米軍は地対空誘導弾パトリオットを嘉手納に配備。最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターも一時配備された。垂直離着陸機MVオスプレイの配備計画なども徐々に明らかになってきた。

 普天間移設と連動するように着々と米軍再編の既成事実化が進行し、政府は頑なな態度で政府案の受け入れを迫っている。普天間移設は沖縄の今後を決定付ける重要な問題であり、軽視できない争点だ。もっと多角的に同問題について論議を深める必要がある。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070725.html#no_1

 

琉球新報 社説

米軍車両侵入 政府は「逸脱」行為を正せ

 米海兵隊の装甲車が18日にうるま市の県立沖縄高等養護学校敷地内に無断で侵入した問題は、日米地位協定さえも逸脱した暴挙である疑いが濃厚になってきた。

 外務省の重家俊範沖縄担当大使は23日、抗議に訪れた政党代表が「学校への侵入は地位協定を逸脱している」などと指摘したのに対し、「その通りだと思う」と述べた上で「公道を外れた施設に無断で入っており、緊急事態があったわけでもなく、弁護のしようがない」と米軍の行動を批判した。

 防衛施設庁の渡部厚施設部長も20日の記者会見で「施設区域間での移動は(地位協定で)認められているが、学校敷地の中なのでそれがそのケースに当てはまるのか、という感じは持っている」と指摘していた。

 日米地位協定第5条は、米軍車両が日本国内で施設・区域間を自由に移動する権利を保障している。だが、外務省の「日米地位協定の考え方」によると、第5条に関する合意議事録は、移動に当たっては日本国の法令が適用される旨を定めている。

 自由な移動が認められているからといって、管理者の許可を得ることもなく民間の敷地内に立ち入ることが許されていいはずがない。

 ところが、外務省日米地位協定室は当初「通常、日本人が自由に出入りできるのに米軍に限って排除することはあり得ない。直ちに問題があるかどうかは何とも言えない」と述べ、米軍を擁護するような姿勢を示していた。

 Uターンできる場所がいくらでもあったにもかかわらず、わざわざ養護学校の敷地内に装甲車を乗り入れ、生徒の安全を脅かした行為に対し、「問題があるかは何とも言えない」と言ってのけること自体、驚きである。良識を疑う。

 学校の中に、突然、戦車と見間違えるような装甲車が入ってきたら、大人でもびっくりして恐怖感を覚えるはずだ。生徒であれば、なおさらだ。

 「弁護のしようがない」との重家大使の発言は、外務本省の対応を修正したものといえるだろう。

 県内の自治体や議会、民間団体の意見を聞いて政府に伝えることは沖縄大使の重要な職務の一つだ。

 重家大使には、もう一歩踏み込んで具体的に行動を起こすことが求められる。批判するだけでなく、地位協定上も留意すべき問題があることを米国に対し厳しく指摘してほしい。

 今回の米軍の行為は、仲井真弘多知事がコメントした通り「非常識の極み」である。沖縄で「非常識」がまかり通る状態がいつまでも続いているのは日本政府の怠慢と言わざるを得ない。今度こそ毅然(きぜん)とした態度で米国に抗議し、改善を促すべきだ。

(7/25 10:05)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25739-storytopic-11.htm

 

2007年7月25日(水) 夕刊 1面

装甲車侵入/宜野座議会 抗議決議可決

 【宜野座】宜野座村漢那の村加工直売センター「未来ぎのざ」駐車場に十八日、米軍の装甲車両が相次いで侵入した問題で、同村議会(小渡久和議長)は二十五日午前、臨時議会を開き、抗議決議と意見書、要請決議を全会一致で可決した。午後にも那覇防衛施設局を訪れ、意見書を手渡す予定。

 抗議決議では、買い物客や観光客の多くいる同センター内に装甲車が侵入したことで、村民や利用者を不安に陥れたと指摘。地域住民の人権・生命・財産を守る立場から、民間地侵入に対して強く抗議し、再発防止のための対策を早急に講ずるよう求めている。

 抗議決議は在沖米海兵隊司令官、要請文は県知事と県議会議長あて。いずれも郵送する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707251700_01.html

沖縄タイムス 関連記事(7月22日、23日、24日)

2007年7月22日(日) 朝刊 23面

実相一途/北島さん「集団自決」芝居100回超

 「庶民は、体で感じた痛みを絶対に忘れない。うそをついているのは偉い人だよ」。女優の北島角子さんが二十一日、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」を題材にした一人芝居「赤いぶくぶくー」を演じた。体験者から直接聞いた話を基に書き上げ、重ねた上演は百回以上を数える。(阿部岳)

 軍による強制の事実をゆがめる動きが強まる中、戦争を体験した同世代へ「子や孫のために真実を語り残そう」とのメッセージを込めた。

 舞台は座間味島。「赤いぶくぶくー」は、主人公の父が母の首をかみそりでかき切った時の血の泡を指す。米兵の上陸でパニックになった家族が殺すよう懇願し、父が次々に手を掛けた。生き残った主人公が、娘に初めて体験を語り聞かせる。

 「一生誰にも話したくないと思っていたけど、あの時亡くなった人たちの生きた証しがないのは、あんまりかわいそう。話すのは生き残った者の責務かもねえ」

 北島さんは復帰前後、本土の記者が「集団自決」を取材しようとしたが応じてくれないと嘆く記事を読んだ。「語りたくても語れないつらさが分からないのか」。この時の怒りをきっかけに書いた作品を通じて、悲惨な実相を伝え続ける。

 浦添市で開かれた「憲法を考えるつどい」(主催・コープおきなわ有志九条の会)での上演。北島さんがウチナーグチで語り、体全体を使って再現する惨劇に、約二百人の会場から悲鳴が上がった。ハンカチで顔を覆ったまま泣き続ける女性、「聞いちゃおれない」とつぶやき、席を立つお年寄りもいた。

 上演後の楽屋。北島さんは教科書検定による軍関与の記述削除などの動きに、「なかったことを、あったという住民がいるか。名誉を守りたい偉い人が本当のことを隠している」と、率直な怒りを語った。「私は車いすになってもしゃべり続ける。それぞれの家の中から平和を考えてほしい」と願いを込めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707221300_03.html

 

2007年7月22日(日) 朝刊 23面

反対派・業者もみ合い/辺野古調査

 【名護】米軍普天間飛行場移設予定地の名護市キャンプ・シュワブ沿岸海域で二十一日、那覇防衛施設局の環境調査を委託されている業者の作業員ダイバーと、移設に反対する平和市民連絡会の平良夏芽共同代表が海中でもみ合いになるトラブルがあった。

 平良代表は「海中でタンクのバルブを閉められた」と主張。「命にかかわる一線を越えた行動で、弁護士と相談し、刑事告訴も検討している」と話している。二十三日にも那覇防衛施設局を訪れ、現場の状況を撮影したビデオを見せ、抗議するという。

 平良代表によると、二十一日正午すぎ、辺野古漁港沖約一キロの海底三、四メートルで、委託業者の作業ダイバー三人が、調査器の土台を海底に固定しようとした。

 平良代表が作業を阻止しようと、土台にしがみつくとダイバーが羽交い締めにしたという。急に息ができなくなり、浮上したところ、バルブは完全に閉まっていたという。

 ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「国家の暴力が、市民活動に及んできた。憤りを感じる」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707221300_04.html

 

2007年7月23日(月) 朝刊 2面

防衛相と知事V字修正で溝

 参院選応援などのため、就任後初めて沖縄入りした小池百合子防衛相は二十二日午後、那覇市の知事公舎で仲井真弘多知事と会談し、米軍普天間飛行場の移設問題などをテーマに意見交換した。

 仲井真知事が公約である普天間飛行場の「三年以内の閉鎖状態」実現と、名護市などが求めているV字形滑走路案の沖合移動を要望したのに対し、小池防衛相は現行V字案への理解を求めるなど、双方の考え方を伝えるのみにとどまった。

 また、政府、県、地元などでつくる移設協議会については早期開催で一致したが、双方の考え方に隔たりも大きく、具体的な時期までは確認できなかった。

 会談後、小池防衛相は記者団に対し「知事とはとてもいい意見交換ができた。V字案の修正についてはそれぞれ考え方があり、これからしっかりと調整していきたい。(次回協議会も)できるだけ早い方がいい」と語った。

 一方、仲井真知事は「(小池大臣からは)いろんな形で調整を進めながらやっていこうということだった」とした上で、次回協議会開催については「(普天間飛行場の三年以内閉鎖など)私の要求を全面的に分かったという方向でまとまれば、今日でも明日でもいいと思う」と述べ、地元要望の実現が開催の前提との認識をあらためて示した。会談は約一時間、非公開で行われた。県側からは仲里全輝、安里カツ子の両副知事、上原昭知事公室長が同席した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707231300_07.html

 

2007年7月23日(月) 朝刊 25面

沖縄返還密約訴訟 控訴審きょう開廷

 沖縄返還の「密約」をめぐる取材で外務省の秘密公電を入手し、国家公務員法違反(秘密漏洩教唆)で訴追された元毎日新聞記者の西山太吉さん(75)が、違法な起訴によって確定した有罪判決で精神的な苦痛を受けているとして、国に密約を認めて謝罪するよう求めている訴訟の控訴審・第一回口頭弁論が二十三日、東京高裁で開かれる。

 西山さん側は、損害賠償の請求権が消滅する除斥期間(二十年)を適用し、密約の事実には触れなかった一審・東京地裁判決には判断の手法に手抜かりがあるとして、密約の事実を踏まえて判決を導くようあらためて求める。

 また昨年二月に密約を認めた元外務省アメリカ局長の吉野文六氏(88)や、密約をめぐる二〇〇〇年の報道で吉野氏に密約を否定するよう要請したしたとされる元外相の河野洋平衆院議長(70)に、裁判所を通して書面で質問に答える「書面尋問」の採用を申し出る。

 一方で国側は、控訴の棄却を求め、全面的に争う方針を示す見通し。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707231300_08.html

 

2007年7月23日(月) 夕刊 5面

西山さん「密約判断逃避するな」/沖縄返還訴訟

 【東京で粟国雄一郎】沖縄返還密約訴訟の控訴審の第一回口頭弁論が二十三日、東京高裁(大坪丘裁判長)であった。原告の西山太吉さん(75)側は、密約の事実に触れなかった今年三月の一審・東京地裁判決について「実質門前払いの判決を導くために、意図的に密約の有無を争点に盛り込まなかった」と批判。密約の事実を出発点にしていない判断には明らかに手抜かりがあり、控訴審が密約の事実と証拠から逃避しないよう訴えた。国側は控訴の棄却を求めた。

 また西山さん側は、密約を認めている元外務省高官の吉野文六氏(88)と、吉野氏に密約の否定を要請したとされる河野洋平元外相(70)に、裁判所を通して書面で尋問に答える「書面尋問」の採用を申請。国側は次回の弁論で反対意見を出す方針を示した。

 控訴理由書で西山さん側は、当時手に入れた外務省の秘密公電は佐藤栄作政権の「権力犯罪」を裏付ける証拠で、国家公務員法の保護には値しないと主張。検察官は密約という政府の違法行為や政府高官の刑事裁判での偽証を知りながら、西山さんの取材行為を一方的に訴追して裁判所の判断を誤らせたと訴えた。また米国の公開公文書などで密約が証明されるたびに、記者会見などで公然と密約を否定し続けている政府高官の発言は、密約事件と表裏一体にある西山さんの名誉を傷つけていると主張している。

 国側は西山さんの有罪判決について、処罰されたのは外務省の女性事務官に秘密の漏えいをそそのかした行為だったとして、密約の立証に反論しないまま「仮に密約の存在が事実だとしても、判決を何ら左右せず主張は失当」と主張。政府高官が密約を否定しているのは行政活動に関する一般的な行為で、西山さん個人に向けられたものではないとしている。

 一審判決の除斥期間(二十年)の適用について、西山さん側は「正義と公平の理念に反し、適用は制限されるべきだ」と訴え、国側は「(適用を制限する)特段の事情がないことは明らか」としている。


[ことば]


 沖縄返還密約訴訟 沖縄返還交渉の取材で政府の「密約」を記した外務省の秘密公電を手に入れ、国家公務員法違反(秘密漏洩教唆)で有罪となった元毎日新聞記者の西山太吉さん(75)が起こした国家賠償訴訟。密約を不問に付した検察官の一方的な訴追や、密約を否定し続ける政府高官の発言などに対する慰謝料として、国に謝罪と3300万円の支払いを請求。一審・東京地裁判決は、損害賠償の請求権が消滅する除斥期間(20年)を適用し、密約の実態には言及しないまま請求を棄却した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707231700_02.html

 

2007年7月23日(月) 夕刊 5面

県教育長「言語道断」/装甲車侵入

 米海兵隊の装甲車がうるま市の県立沖縄高等養護学校に無断で侵入した問題で、県教育庁の仲村守和教育長、県の保坂好泰基地防災統括監らは二十三日午前、那覇防衛施設局と外務省沖縄事務所を訪れ、再発防止を求めて抗議した。

 二十二日に同校を訪れ現場を視察した仲村教育長は、抗議先二カ所で「生徒の安全が脅かされたことは言語道断であり、米軍の非常識極まりない暴挙に心の底から憤りをもって抗議する」と米軍を批判。「なぜ学校に入ってUターンする必要があるのか。軽い気持ちで学校に入ってくるその行為自体が許せない」と強い口調で話した。その上で「県民の立場に立って二度とこのようなことが起こらないよう申し入れてほしい」と要請した。

 保坂統括監も「この週末だけでも器物損壊など米軍関連の事件や事故が多く発生した。隊員の教育徹底を米軍に強く申し入れてほしい」と要望した。同施設局では小柳真樹事業部長が対応。「米軍に再発防止を申し入れたところだ。今後も機会あるごとに米軍に働き掛けていきたい」と話した。


     ◇     ◇     ◇     

うるま議会26日抗議決議


 【うるま】米軍の装甲車両が同市の県立沖縄高等養護学校内に侵入した事件で、うるま市議会基地対策特別委員会(東浜光雄委員長)は二十三日午前に委員会を開き、二十六日に臨時議会を開催、事件に強く抗議し、詳細について説明を求める抗議決議と意見書を提案することを決めた。可決する見込み。

 抗議決議は駐日米大使、在日米軍司令官、在沖米総領事、意見書は衆参両院議長、首相、外相、防衛相あて送付する。

 東浜委員長は「安全であるべき学校現場に米軍車両が侵入することは常識では考えられない。施設間の移動でも事前の許可が必要であり、日米地位協定に違反することは明確だ」と提案理由を話した。

 また、うるま市も同事件について抗議行動を予定している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707231700_04.html

 

2007年7月24日(火) 朝刊 2面

V字形沖合移動あらためて否定/守屋防衛次官が見解

 【東京】防衛省の守屋武昌事務次官は二十三日の定例会見で、米軍普天間飛行場の移設をめぐって県や名護市が求めているV字形滑走路の沖合移動について、「現在の政府案を変えることはまったくない」と述べ、あらためて否定的な見解を示した。

 V字形滑走路をめぐって、政府案を主張する小池百合子防衛相と、沖合移動を求める仲井真弘多知事が意見を交換した二十二日の会談については「この問題の抱える、いろいろな側面について率直に意見交換ができたのではないか。(小池防衛相からも)大変よい意見交換ができたと伺っている」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707241300_04.html

 

2007年7月24日(火) 朝刊 30面

植え付け学び守ろうサンゴ 渡嘉敷村沖で講習

 サンゴを植え付ける知識や技術を学ぶ講習会(主催・NPO法人コーラル沖縄)が二十三日、県内のダイビングショップで働くインストラクターを対象に行われた。十月に美ら海振興会が主催する四百群体のサンゴを植え付けるイベントを前に、インストラクターの技能を高めようという目的。十二人が参加した。

 那覇市内で映像や写真を使いサンゴの生態系や植え付けの工程について勉強した後、チービシの神山島沖、水深約十メートルの岩にサンゴの主成分と同じ成分の特殊ボンドでミドリイシ類の苗、五十群体を植え付けた。

 同法人の成田隆一事務局長は「インストラクターの理解が進めば、各ショップで植え付けの動きが広がっていく。サンゴの広がる海を復活させることにつながる」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707241300_07.html

 

2007年7月24日(火) 夕刊 1面

装甲車侵入「米軍横暴許すな」/平和センターなど 60人抗議集会

 【北中城】うるま市の県立沖縄高等養護学校に米軍の装甲車が侵入した問題で、沖縄平和運動センターと中部地区労は二十四日午後、北中城村石平のキャンプ瑞慶覧ゲート前で緊急抗議集会を開いた。約六十人が参加、「相次ぐ米軍の横暴は許さない」などと基地に向かってシュプレヒコールを繰り返した。

 同センターの崎山嗣幸議長は「米軍が住民生活の中に簡単に入ってくる。植民地とでも思っているのか。横暴な振る舞いに県民は怒っており、強い怒りをもって抗議する」と訴えた。

 北中城村の新垣邦男村長も「装甲車の侵入は常識では考えられない。傍若無人な行為で、許してはならない」と語気を強めた。同問題で、県の仲村守和教育長は同日午後、在沖米海兵隊外交政策部(G5)を訪ね、抗議と再発防止を申し入れる。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707241700_03.html

 

沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(7月20日、21日)

2007年7月20日(金) 朝刊 29面

米車両、学校・直売所侵入

校内で方向転換

うるま・沖縄高等養護

 【うるま】十八日午後五時前、うるま市田場の県立沖縄高等養護学校(塩浜康男校長、生徒数百二十四人)の校内に米軍車両とみられる装甲車が入り込み、方向転換して引き返していたことが十九日に分かった。人身へ被害や施設の破損はない。同校では知的障害のある生徒が寄宿生活を送っており、同時間帯は部活動で校内をランニングする生徒も数多くいた。塩浜校長は「いつ事故が起こるか分からない。生徒たちも動揺している」と怒りを隠せない。

 県外出張中の仲村守和県教育長は「教育の場である学校内に米軍車両が入ることはあってはならない。強く抗議する。このようなことが二度と起こらないよう関係機関に強く要請していきたい」とコメントを発表、週明け、二十三日にも仲村教育長が那覇防衛施設局などへ抗議する考えを示した。

 車両が学校敷地内に入ったのは十八日午後四時五十三分ごろ。付近を通行していた目撃者によると、車両は県道10号を与勝方面から学校のある県道224号に右折。その後左側にある校門に前方から入って車体を方向転換し、そのまま来た道を引き返したという。

 同校では校門前で生徒が生産した野菜を無人販売しており、車で買い求める客がいることから門扉は開けた状態だった。

 学校正面に設置された監視カメラが当時の様子をとらえており、片側四車輪の装甲車が約四十秒間にわたり校内に入り込み、校内を走る生徒の前で転回している。

 現場を目撃した高等部一年の男子生徒は「走っていると黒い車が目の前に来ていた。あんなに大きな車を見たのは初めて」と話している。


     ◇     ◇     ◇     

買い物客ら、不安げ

宜野座


 【宜野座】宜野座村漢那の村加工直売センター「未来ぎのざ」の駐車場に十八日夕方、米軍の装甲車両五台が乗りつけた。同村は、通行量が多い国道329号に面する同センターへの来客への影響などから、米軍車両の乗り入れを行わないよう、那覇防衛施設局を通して米軍に申し入れた。

 同村によると、金武町方面から来た米軍の装甲車両が十八日午後五時四十五分ごろに二台、午後六時ごろに三台、それぞれ同センター内の駐車場内に乗りつけ、五分ほど駐車していたという。乗っていた米兵が、車両を点検する姿も見られたという。村の特産品販売所などがある同センターには当時、買い物客や観光客もおり、不安そうな表情で見ていたという。

 村企画課の担当者は「再び乗り入れられたら困る。今後乗り入れがないよう、米軍にはしっかりと指導してほしい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707201300_04.html

2007年7月20日(金) 朝刊 28面

沖縄戦終結日分かる 6%/高校生意識調査歴史

 沖縄戦が終結した日を正確に答えられるのはわずか6%、日本復帰の日については11%―。「沖縄歴史教育研究会」(新城俊昭代表)が、県内の高校二年生二千七百六十七人を対象に実施した調査で次のような結果が分かった。沖縄の歴史や文化などの基本的な設問に対し、全体的に正答率は低調だった。一方、八割が沖縄の歴史や文化を学ぶ重要性を感じている。

 新城代表は「学ぶ意識と実際の知識の落差が大きい。原因は学校や地域で学ぶ機会の少なさにある」と分析した。

 調査は、今年五月末から六月初旬にかけ、県内の全高校に依頼。そのうち、四十三校から回答をがあり、有効データ四十一校分をまとめた。

 日本軍が降伏文書に調印し、沖縄戦が終結した一九四五年「九月七日」を正確に選択できたのは、わずかに6%で最も少なかった。

 組織的戦闘が終結した「慰霊の日」の「六月二十三日」とした誤答が47%もあった。

 新城代表は「沖縄は六月二十三日以降も戦場であり続け、多くの犠牲者が出た。沖縄戦の悲惨さだけでなく、正確な知識を伝える努力も必要だ」と指摘する。

 沖縄が本土復帰した年月日(七二年五月十五日)を記述する問題では、正答率は11%。誤答は25%、分からないが64%だった。

 正答率が低調な一方で、沖縄の歴史、文化を学ぶことを「とても重要」(35%)、「重要」(45%)と答えており、合わせると80%に達する。

 新城代表は「復帰三十五年を時事問題として授業で扱った高校は、復帰の年月日を正確に答えられる生徒が80%に上った。教師の意識の持ち方次第で関心や知識は大きく変わる」とし、体系的な学習指導の重要性を強調した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707201300_05.html

琉球新報 社説

高校生歴史調査 意識と知識の格差を埋めよう

 沖縄戦の犠牲者の数、沖縄戦の公式終結日、「本土復帰の日」すらも、答えられない沖縄の高校生が増えている。学び、教え、伝え、記憶させ、未来に「歴史」を伝承することの大切さを、あらためて確認したい。

 沖縄歴史教育研究会が、県内の高校2年生2767人を対象にこのほど実施した「沖縄歴史に関する高校生の知識・意識調査」によると、琉球王国や沖縄戦、米軍統治、伝統文化などに関する基本的な史実、事実、数字の正答率は「かなり低い」という結果になった。

 琉球王国の最初の国王「舜天」の正答率は17%、中国皇帝が琉球国王を任命する「冊封」は20%、薩摩の琉球侵略の「1609年」は9%、「人頭税」が27%、「蔡温」が22%、沖縄学の父「伊波普猷」は13%と、軒並み3割を切る。

 近・現代史も低い。沖縄戦の公式な終結日「9月7日」は6%。多くが「慰霊の日」を終結日と誤認している。慰霊の日以後も沖縄戦の犠牲は続いている。「軍部中心の歴史」の重視と伝承に、危機感を抱く高校教師も少なくない。

 平和の礎の刻銘者数「24万人」は29%。戦争犠牲者の数を正確に記録し記憶させることは、戦争を憎み、平和を愛する「沖縄の心」の醸成に欠かせない。

 戦後27年間の米軍統治を経て、民衆の力で異民族支配から脱した「本土復帰の日」が書けたのは11%。米軍の暴政を糾弾し、日米両政府を揺さぶり、「自治と人権」「平和と民主主義」を勝ち取った誇るべき日である。

 調査では、こんな結果もある。沖縄の歴史や文化を学ぶことについて「とても重要」35%、「重要」45%。そして、沖縄の歴史や文化に誇りを「とても感じる」32%、「感じる」44%。

 沖縄の歴史や文化に誇りを持ち、学びたいと切望する高校生たちが、いかに多いことか。残念なのは、熱い思いと裏腹に、知識の習得が追いついていないことである。

 沖縄は、独自の王朝文化、大交易時代、琉球処分、沖縄戦による多大な犠牲、米軍統治、本土復帰など、他県にはない独自の歴史を持つ。沖縄戦は悲惨さだけでなく、時期など「正確な知識を伝える努力も大事」との声もある。

 調査した教師らは「意識は高いのに正答率が低いのは、学校や地域で学ぶ機会が少ないから」と指摘している。教育現場で琉球・沖縄史学習が「お国自慢レベルの郷土史と認識され、軽く扱われている」のも原因とみている。

 平和も民主主義も、自治も人権も闘い取った希有(けう)の歴史を経験した親たちである。苦難の歴史を、戦争の悲惨さを、歴史に学ぶことの大切さを、子どもたちにもっと語り継いでほしい。

(7/20 9:48)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25595-storytopic-11.html

2007年7月20日(金) 夕刊 1・7面

知事、装甲車侵入に抗議/米軍に再発防止求める

 仲井真弘多知事は二十日午前の定例記者会見で、うるま市の県立沖縄高等養護学校内に米軍車両とみられる装甲車が侵入した件について、「(日米)地位協定上読めるか読めないか以前の問題。養護学校に断りなく入ってUターンするのは常識以前の問題だ。地位協定を持ち出す以前にやるべきではない。理解不能だ」と述べ、強い抗議の意を示した。

 この件を受け、県は十九日午後、基地対策課長が外務省沖縄事務所と那覇防衛施設局に対し、再発防止と兵員の教育を米軍に申し入れるよう電話で要請。週明けに関係機関への要請行動を予定する県教育庁に同行する方向で調整している。

 仲井真知事はまた、二十二日来県予定の小池百合子防衛相と会談したい意向を示し、「普天間移設などについて私の考えを申し上げ、いい形で再編の流れがセットできるようお願いしたい」と述べた。

 ただ、政府や県、地元・名護市などでつくる移設協議会の早期開催については「選挙公約である(普天間飛行場の)三年をめどとした閉鎖状態の実現、沖合へ寄せたらどうかという名護市の人の意見をくみ入れてほしい。一ミリも動かさないというのは理解不能で、ここがセットできれば協議会を開く意味があると思う」と述べ、地元意向を棚上げしての協議会開催は困難との認識を示した。

 沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる日本軍関与の記述を修正・削除した高校歴史教科書検定意見を撤回させるため、超党派による県民大会開催の動きが出ていることについては「テーマとしては県民大会にふさわしい。もっとも効果的なら当然やるべきだと思う」と賛意を示しつつ、「まだ、開くべきがどうか答えが出せていない。(県議会や市長会などの)団体の意向を踏まえて考えたい」と述べ、自身の参加も含めて現時点では態度を保留した。


     ◇     ◇     ◇     

「傍若無人」怒りの声/首長、米軍を批判


 【うるま】うるま市の県立沖縄高等養護学校と宜野座村の直売所に米軍の装甲車が相次いで侵入した問題で二十日、周辺首長や議会関係者から「傍若無人」「あってはならないこと」などと米軍の行動に怒りの声が上がった。この日、終業式を迎えた同養護学校では父母らから不安の声が聞かれた。うるま市議会では同日午前、基地対策委員会のメンバーが集まり、委員会開催の準備を進めるなど、動きが広がった。

 うるま市議会の東浜光雄基地対策委員長は「施設間移動は公道を利用するもの。地位協定上、民間地に入り込むことは明らかにできないし、あってはならない。強く抗議したい」と述べ、近日中に特別委員会を開く考えだ。

 同市の知念恒男市長は「詳細について現在調べているところ。責任の所在が確認でき次第、対応策を考えたい」と話した。同市は那覇防衛施設局の調査結果が判明した段階で対応を決めるとしている。

 北谷町の野国昌春町長は「装甲車が学校に入ってUターンしないといけない理由はない」と強く批判。「傍若無人の行動で、自分勝手にやることは好ましくない。県なども厳重に申し入れるべきだ」と憤った。

 また、嘉手納町の宮城篤実町長は一般論と断った上で、「米軍車両だろうが、民間車両だろうが自分の敷地でない所に許可なく立ち入ることは権利の侵害。どのような経緯でこうなったのか調べる必要がある」と指摘した。


 【宜野座】宜野座村漢那の村加工直売センター「未来ぎのざ」の駐車場に、米軍車両が乗り入れたことに、仲宗根勲副村長は二十日、「民間地域への車両乗り入れは危険なのでやめてほしい」と話し不快感を示した。

 仲宗根副村長は、米軍の運用で基地間の移動は認められているとした上で、「多くの住民が使う場所で、危険にさらされる可能性が高いので、車両の乗り入れはやめてほしい」と語った。今後の対応については、出張中の東肇村長が帰り次第検討するという。


「あり得ぬ」父母ら動揺


 【うるま】「あり得ない問題が起きて動揺している―」。米軍の装甲車が無断で侵入した県立沖縄高等養護学校では二十日午前、終業式が行われ、参観した父母や関係者からは不安の声が聞かれた。

 塩浜康男校長は全校生徒百二十四人と父母らを前に、「学校に戦争に使う車が入ってきた。戦車のような物を実際に見た生徒五、六人はとても怖かったと思う。あってはならないことが起きてしまった」と、侵入の経緯を説明。生徒に対し「被害はないので、安心してください」と呼び掛けた。

 関係者によると、装甲車が校内に侵入したのは十八日の午後四時五十三分ごろから約四十秒間。正門から突然侵入し、方向転換して引き返した。同時間帯は生徒たちが部活動で校内をランニングしていた最中だった。装甲車を目撃した生徒は「陸軍が入ってきた」と教師らに話していたという。

 同校では二十日午後二時からPTA評議委員会を開き、保護者に対して説明を行うほか、ビデオの確認を行うため午後一時に同校を訪れる那覇防衛施設局の職員にも説明する。

 おいの終業式に参加した女性=那覇市=は「新聞報道を見てびっくりした。まさか学校に米軍が入ってくるなんて」と不安な表情で話した。

 塩浜校長は「ビデオを見ただけでも大きな威圧感がある。養護学校には、大きな音や見慣れないものを見るとパニックを起こす生徒もおり、許せる問題ではない」と怒りをあらわにし、市の基地対策課を通して問題の事実確認を求めている。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707201700_01.html

2007年7月20日(金) 夕刊 6面

「軍命」証言掘り起こす/証人尋問前に勉強会

 「集団自決(強制集団死)」をめぐり、岩波書店と作家の大江健三郎さんが名誉毀損で訴えられ、戦隊長命令の有無が争われている「集団自決」訴訟の証人尋問を前に、那覇市古島の教育福祉会館で十九日、勉強会が開かれた。「軍命」の証言を掘り起こすことや裁判に向けて決意を表明した。「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」の主催で、約五十人が参加した。

 渡嘉敷島や座間味島で「集団自決」の取材に当たっている沖縄タイムス社の謝花直美編集委員が講演。「体験者は、ご飯を食べていても『集団自決』で亡くなった家族のことを考え涙を流すなど、生活に深く刻まれていることを実感した。軍命を示す証言を今後も掘り起こしていきたい」と語った。

 沖縄平和ネットワークの村上有慶共同代表は「証人調べが最大のヤマ場。沖縄の真実を突きつけたい」と決意表明した。

 二十七日の証人尋問には「母の遺したもの」著者、宮城晴美さんら三人が出廷する。

 沖縄平和ネットワークや高教組など四団体が、大阪地裁での証人尋問の傍聴に参加する予定。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707201700_05.html

2007年7月21日(土) 朝刊 1・29面

うるま議会 抗議検討/装甲車侵入

米軍「方向誤った」

 【うるま】米軍の装甲車が市田場の県立沖縄高等養護学校(塩浜康男校長、生徒数百二十四人)に無断で侵入した問題で、那覇防衛施設局職員、うるま市の知念恒男市長と市議会の基地対策特別委員会のメンバーらが二十日午後、次々と同校を訪れ、塩浜校長の説明を受けながら、侵入現場の確認や監視カメラのビデオ映像を確認した。

 基地対策特別委員会は二十三日にも委員会を開き、抗議決議案の文面を検討することにしている。施設局側は「ご心配をおかけしても申し訳ありません。今後こういうことのないよう申し入れたい」と謝罪した。

 一方で米軍は施設局を通じ「海兵隊所属の軽装甲車がキャンプ・シュワブへ向かう途中、一台が方向を誤り、養護学校に侵入した。校内で方向転換して車列に戻った」と回答したものの、どの部隊が、どこからどこに向かっていたのかという問い合わせについては「運用上の理由」という説明で回答を拒否したという。


     ◇     ◇     ◇     

部活中 立ちすくむ生徒/校長説明 再発防止訴え


 【うるま】米軍の装甲車が侵入した県立沖縄高等養護学校は二十日、マスコミや関係者への対応に追われた。同日、終業式が行われた校内では、夏休みを前にした生徒たちの笑顔とは裏腹に、塩浜康男校長や教諭らが深刻な表情で次々と訪問する那覇防衛施設局職員や知念恒男うるま市長、保護者に対する説明の対応に当たった。

 「部活中に装甲車を目の当たりにして、立ちすくんだ生徒もいた」

 施設局側への説明で塩浜校長はこう話し、再発防止を訴えた。同局職員は神妙な顔つきで「申し訳ありません」と謝罪した。

 市議会基地対策特別委員会(東浜光雄委員長)のメンバー四人をはじめ知念市長と島袋俊夫議長も同問題の経緯について塩浜校長から説明を受けた。

 東浜委員長は「ビデオを見る限り、一歩間違えば養護学校の子どもたちの命にかかわる問題だ。勝手に校内に侵入し恐怖を与えた米軍の行為は、人権を無視したものと言わざるを得ない」と厳しく批判した。

 知念市長は「ビデオを見て怒りを感じ、施設局から聞いた米軍の説明も納得がいかない。由々しき問題だ」と強調。「市民や県民に大きな不安を与えた米軍の責任は大きい。運用上の問題という言い回しですべて米軍の都合のいいように片付けられては困る。施設局からもっと詳細な情報を得た上で、具体的な抗議の方法を考えたい」と述べた。

 また終業式後に開かれたPTA評議委員会では、塩浜校長が約二十人の父母に同問題の経緯を説明。保護者からは「子どもたちに何かあったらと考えると怖い」「許せない行為だ」などの不安の声が挙がった。

 永山盛正PTA会長は「びっくりしたとしか言いようがない。子どもたちのことを考えると許せない行為だ」と話した。

 一方、同問題について、防衛施設庁の渡部厚施設部長は同日の定例会見で、日米地位協定第五条二項で定める「基地間の移動」に該当しないとの認識を示した上で、事実関係に照らして地位協定上の問題を整理する考えを示している。

 同問題で沖縄平和運動センターと中部地区労は二十四日午後零時十五分から北中城村石平の在沖米軍司令部ゲート前で緊急抗議集会を開く。また社民党県連(照屋寛徳委員長)、護憲ネットワーク県議団(新川秀清団長)は二十日、県教育庁を訪ね、米軍と日本政府に対し、強く抗議するよう要請した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707211300_01.html

沖縄タイムス 社説(2007年7月21日朝刊)

[米軍装甲車侵入]

実に傍若無人な行為だ

 米軍は一体どういう感覚をしているのだろうか。

 装甲車というのは、物資や兵士を運ぶトラックなどの車両とは異なり戦闘車両といっていい。そのような米海兵隊の異様な車が、うるま市にある県立沖縄高等養護学校の敷地内に侵入し、方向を転換して出て行った。

 海兵隊は誤って進入したことを認めている。だが、生徒らの恐怖感をあおり、不安を与えたのは確かだ。米兵の傍若無人な行為には怒りを覚える。

 防犯カメラには迷彩色を施した装甲車が正門から入り、しばらくして出て行くのが写っている。言うまでもないが、周辺の風景からそこが学校だということは容易に察しがつく。

 しかも、装甲車がUターンした所は生徒らが日常の活動を行っている場所だ。実際、装甲車が入ってきたとき、生徒五、六人が近くを走っていた。

 そのような場所に乗り入れ、四十秒ほど後進や前進を繰り返したというのだから呆れ果てるしかない。兵士への教育はどうなっているのか、在沖海兵隊指導部の感覚を疑わざるを得ない。

 同校の塩浜康男校長は、「養護学校には、大きな音や見慣れないものを見るとパニックを起こす生徒もおり、許せる問題ではない」と話している。

 仲井真弘多県知事も「常識外というか、普通なら考えられない。あいさつも断りもなく(学校内に)入るなんて、日米地位協定以前の問題。非常識の極み」と述べている。

 当然であり、今回の行為は絶対に許されるものではない。

 海兵隊報道部は「日米地位協定に基づき、通常訓練から戻る途中だった。地域に不安を与えたとすれば残念だ」とコメントしている。

 宜野座村漢那の村加工直売センター「未来ぎのざ」駐車場への乗り入れしかり。米軍は、事あるたびに地位協定を盾に弁明するが、もうそういうことをやめさせようではないか。

 確かに地位協定は、基地や訓練施設間の移動の際の公道使用を認めている。だが、それは今回のように学校施設内にも及ぶのだろうか。

 もし、そうであればそれこそおかしいのであり、地位協定を抜本的に改正していく必要がある。

 外務省は「学校に無断で進入することは不安を与える行為であり、今後同じことが起きないよう米大使館に申し入れたい」と言うが、悠長に過ぎる。

 私たちが求めるのは外務省による怒りの抗議であり、県民の憤りを県民の側に立って訴えることだ。申し入れるだけではなく、このようなことは二度としないと約束させることが大事だ。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070721.html#no_1

琉球新報 社説

米軍装甲車侵入 許されない傍若無人さ/占領意識の払しょくが必要だ

 またも米軍の事件である。18日、事もあろうにうるま市の沖縄高等養護学校内に米軍装甲車が無断で侵入し、公然とUターン。かと思えば、宜野座村の特産品加工直売施設の駐車場に相次いで計7台の装甲車が乗り入れ、買い物客を騒然とさせる。まさに傍若無人の振る舞いである。

 装甲車が無断侵入し、Uターンした養護学校内では、陸上部の生徒たちがランニング中だった。同校の防犯カメラに映った映像を見ると、その危険性は明らかだ。

 突然の装甲車の学校侵入に「陸軍が入ってきた」と職員に訴えてきた生徒もいたという。

 養護学校の中には、人一倍繊細で敏感な生徒たちも少なくない。恐怖はいかばかりか。

行為は「非常識の極み」

 ヘルメットをかぶった兵士が装甲車のハッチから頭を出し、通りをうかがう様子も確認されている。

 米中枢同時テロ(9・11)以後、米国はアフガン進攻、イラク攻撃といまなお「戦時」にある。だからというのであろうか。

 有事でもなかろうに、学校内や民間地に装甲車が大挙押し寄せる。沖縄戦が終わってすでに62年。日米講和条約が発効し55年。米軍統治下から沖縄が本土に復帰して35年にもなる。まさか米軍は、沖縄をいまだ米軍統治下の占領地とみてはいないか。

 事態に、仲井真弘多知事は20日午前の定例会見で「いくら軍隊とはいえ、学校に断りもなく(乗り入れ)、Uターンするとは常識以前の問題だ」「非常識の極み」とまで怒りをぶつけている。

 米軍側の釈明はこうだ。特産品駐車場への乗り入れは「安全整備のために一時停車」。学校侵入は「一台が方向を誤り、国道224号沿いの学校の駐車場へ侵入したが、即刻方向転換し、車列に戻った」。とても納得などできない。

 安全整備の場所が足りず、民間駐車場を使う。沖縄本島の20%を占める米軍基地である。整備の場所はいくらでもあるはずだ。

 緊急な整備が必要な事態が起きたとすれば、なお問題だ。何しろ、3年前には整備不良で米軍ヘリを大学構内に墜落炎上させた“前科”もある。タガが緩んでいないか。

 米軍はそこが学校であることを認識しながら侵入している。本紙への回答文で米軍は「海兵隊は地域の方々そして隊員の安全を最優先事項としている」と強調しているが、学校への無断侵入は生徒の安全を無視した行為だ。

 しかも今回の一連の事件に、米軍は装甲車が「道路の通行を許可されている」としているあたりは、問題としての認識が欠如しているとも受け取れる。

 納得がいかないのは外務省の対応だ。学校内への無断侵入も含め「法的に立ち入ってはいけないとはならない」と、米軍の行為を容認している。

犠牲強いる“欠陥協定”

 日米地位協定に詳しい本間浩法政大教授は「米軍が無断で民間施設を使うことは全く許されていない」と、米軍の協定違反を指摘している。

 専門家の指摘を、外務省が否定する。「本土で起これば国会で厳しく指摘される問題」(本間教授)が、沖縄なら許されると米軍も外務省も甘くみてはいないか。

 3年前、本紙は日米地位協定改定キャンペーンを展開した。国民・県民に犠牲を強いる不平等協定の重大な問題点を、外務省の機密文書で明らかにした。

 航空法で禁じる米軍の低空飛行を「基地間移動」と拡大解釈で容認し、裁判権放棄で米軍優位の裁判を支援し、国内法違反の米軍戦車移送を法改定で合法化するなど対米追従の政府・外務省の姿勢と米軍優先の実態が、機密文書で次々に明らかになった。

 格安の自動車税、高速道路のタダ乗り、使い放題の光熱水費と、日米地位協定を超える「思いやり予算」の問題もある。

 「法律順守の意識を持っていない人たちが指揮官」(本間教授)という米軍にいかに再発防止を求めるか難題だが、学校への無断侵入すら「合法」とする外務省の対応は、あまりに悲しすぎる。

 地位協定違反の有無を問う前に、暴挙を抑止できない米軍優先の地位協定自体が問題の本質である。再発防止のためにも“欠陥協定”を国民本位に改定し、傍若無人の米軍のふらちな行動に、きちんと歯止めをかけたい。

(7/21 10:03)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25629-storytopic-11.html

【集団死(「自決」)問題を理解するための背景説明資料】

【集団死(「自決」)問題を理解するための背景説明資料】

 

社会リポート 沖縄「集団自決」 軍関与否定の元軍人、「靖国」派学者と接点、、「国民保護協力会」会長の顔も

 


「軍隊は国民を守るのか」――こんな問いかけが今、あらためて大問題になっています。太平洋戦争の末期、沖縄で起きた住民の「集団自決」をめぐり、文部科学省は高校教科書検定で「日本軍に強制された」などの記述をすべて削除した問題。同省がその根拠にする、「軍命令はなかった」と裁判で主張する関係者から見えてくるのは――。(山本眞直)

 

 三百二十九人が「集団自決」した沖縄・渡嘉敷島の北部山中。「集団自決跡地」の碑後方の山林につづく細い山道を下った沢一帯が現場です。ガイドの女性が言いました。

 

 「島のおじぃ、おばぁから軍が事前に手榴(しゅりゅう)弾を配ったことをたくさん聞いています。軍命を否定する勢力は、憲法を変えて自衛隊を軍にし、アメリカと一緒に海外で戦争をすることを考えている。そのためには軍が県民を『自決』させたという歴史はじゃまなんですね」

 

軍命令あった

 

 日本軍の陣地近くで、事前に渡された手榴弾を投げたものの不発、母親と妹とともに命拾いをしたという小嶺正雄さん(77)は、自ら掘った壕(ごう)跡で言いました。「日本軍がいない島で(自決は)なかった。住民に手榴弾を渡したのだから(命令は)あったさ」

 

 「軍命令はなかった」という元軍人と、日本の侵略戦争を「正しい戦争」とする「靖国」派の自由主義史観研究会代表の藤岡信勝氏(新しい歴史教科書をつくる会会長)の接点がありました。

 

 二〇〇五年三月三十一日、東京都千代田区の法政大学に近いアルカディア市ケ谷(旧私学会館)の一室。藤岡氏と向き合っていたのは、皆本義博・元陸軍海上挺身(ていしん)第三戦隊中隊長(陸士五七期、中尉)。 皆本氏の上官は、赤松嘉次隊長(大尉)。赤松隊は守備隊として渡嘉敷島に駐屯し、米軍が上陸した直後の一九四五年三月二十八日には

 

軍が手渡した手榴弾などで住民が「集団自決」しています。

 

 皆本氏は、一九四五年二月の沖縄について『特攻 最後の証言』(アスペクト社)でこう語っています。日本軍が全権を握る「戦時行政に切り替えられた」ことをあげ、「軍官民、実に統制が取れていた」と。しかし「集団自決」での軍関与を全面否定します。

 

 「(軍)命令を下す理由もないし、下せる状況にもありませんでした。むろん、村民の方が集団で自決したのは事実です。断じて軍は命令などしていない」

 

 藤岡代表と皆本氏との“出会い”は、「集団自決」から「日本軍の強制」を消し去る策動の序章でした。それから二カ月後の〇五年五月、藤岡代表たちは「沖縄プロジェクト」を立ち上げます。

 

 「沖縄戦集団自決事件の真相を知る」として、渡嘉敷島などでの現地調査に着手。赤松隊長らの「軍命はなかった」とのキャンペーンを開始。

 

 同年八月、同隊長の遺族らは、軍命の存在を指摘した大江健三郎氏の『沖縄ノート』(岩波書店)を名誉棄損として大阪地裁に提訴しました。

 

 文科省は、同訴訟での原告側主張をとりあげ、軍の「命令」「強制」記述の削除を指示。

 

 沖縄県民はこの「削除」を「軍強制は多くの県民の証言で明らか」と強く反発。沖縄県議会をはじめ県下の全市町村議会が削除反対の意見書をあげています。

 

自民党役員も 「集団自決」訴訟の公判(二十七日)で原告側証人として立つ皆本氏にはもう一つの顔が。NPO法人「埼玉県国民保護協力会」会長。〇五年九月に設立しました。

 

 国民保護――。イラク戦争などアメリカの先制攻撃戦争に日本が「参戦」、国内で米軍や自衛隊の軍事行動に自治体や国民を動員させる有事法制の一つです。埼玉での協力会は自衛隊OBの日本郷友連盟や隊友会が中心になって全国で最初に発足させたものです。

 

 「国民保護と集団自決」――皆本氏を取材すると、「国民保護協力会の会長であることは伏せない。自民党の役員をし防衛省にも関係しているが、対極にある『赤旗』に話すことはない」

 

軍が国民を守らずに「自決」に追いやった沖縄戦の歴史は、「新たな軍」にとって、目の上のたんこぶなのです。       (「しんぶん赤旗」2007年7月10日付より転載)

 

沖縄タイムス 関連記事(7月16日、17日、18日)

2007年7月16日(月) 朝刊 20面

 

「事前調査は非科学的」/辺野古・大浦湾NGO会議

 

 米軍普天間飛行場の移設問題で、環境破壊を懸念する九団体で構成する辺野古・大浦湾NGO会議は十五日、那覇市の沖縄大学で「ゆんたく集会」を開いた。那覇防衛施設局が進める海域の現況調査(事前調査)について、専門的な立場から非科学性を批判した。

 

 

 「辺野古・大浦湾の自然と米軍基地建設―防衛省調査が自然を破壊する」と題した集会で、各団体が活動内容を報告。沖縄リーフチェック研究会の安部真理子会長はさんご礁の調査について、「ミドリイシ類だけを対象にし、方法が大ざっぱで、期間が短すぎる」と酷評した。

 

 

 日本自然保護協会の小林愛さんは「多様な環境がコンパクトにある大浦湾は、沖縄でほかに例がない」と移設計画を批判した。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707161300_06.html

 

 

 

2007年7月17日(火) 朝刊 26面

 

ニコルさん「海保全は山再生から」/サンゴフォーラム

 

 沖縄のサンゴを保全しようと、全日空や沖縄タイムス社など十三企業で結成したチーム美らサンゴによるサンゴフォーラムが海の日の十六日、那覇市>内で開かれた。「みんなで沖縄のサンゴを守ろう!」をテーマに、自然保護活動家C・W・ニコルさんや研究者ら四人による討議、サンゴの生態に関するクイズなど多彩なプログラムで行われた。会場には親子連れら約百人が訪れ、サンゴ保全に理解を深めた。

 

 

 討議では「山がはげると海もはげる」の考え方を踏まえ論議。ニコルさんは放置され荒れた山の再生に取り組んだ体験談に触れ、「一度、人間が壊した自然を再生するには人間が徹底して手を加える必要がある」。

 

 

 マングローブの生態系に詳しい馬場繁幸琉大教授は「壊した自然を放置して再生を図るのが日本の自然保護の考え方でこれは大きな間違いだ」と指摘、県民にサンゴ保全活動への理解と協力を求めた。

 

 

 クイズで難問に答え専門家らを驚かせた若狭小六年の高木尚君は「人が手を加え自然を再生させるというニコルさんの考え方が聞けて良かった」と話した。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707171300_06.html

 

 

 

2007年7月17日(火) 夕刊 5面

 

県人会も検定撤回要求/「集団自決」修正

 

 沖縄県人会兵庫県本部(喜納兼一会長)は十五日、尼崎市立労働福祉会館で開かれた「第六十二回定期大会」で、高校歴史教科書から沖縄戦の「集団自決」への軍関与の記述が削除された文部科学省の教科書検定の撤回を求めるアピールを採択した。大阪沖縄県人会連合会、京都沖縄県人会、奈良沖縄県人会、滋賀沖縄県人会の四団体も連名で加わっている。

 

 

 アピールでは「『集団自決』は日本軍の関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘。その上で「今回の検定は歴史をねじ曲げ、教科書を通して多くの青少年に誤った知識を植え付ける暴挙といわざるを得ない」として、文科省の検定を批判している。

 

 

 喜納会長は「軍の強制なしに(住民が)自発的に死ぬのはおかしい。事実に反することを教科書に記載されることが我慢できない」と語った。

 

 

 アピール文は、県人会の月刊誌「榕樹」の八月号に掲載する。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707171700_02.html

 

 

2007年7月18日(水) 朝刊 29面

 

ダイオキシン集積・搬出/90年代キャンプ・キンザー

 

国道脇30メートル倉庫 元従業員が証言

 

 

 米軍が北部訓練場などで枯れ葉剤を散布していた問題に関連し、元基地従業員の男性が、米軍が牧港補給地区(キャンプ・キンザー)で一九九〇年代に枯れ葉剤の成分ダイオキシンの廃棄物を集積、基地外に搬出していたと新たに証言した。国道58号から約三十メートルの近距離にある倉庫で保管していた。枯れ葉剤かどうかは不明だが、男性は「ベトナムの状況から、同僚にも危険だと常に注意していた」と語った。在日米軍は十七日現在、本紙の取材に答えていない。(阿部岳)

 

 

 浦添市>の元基地従業員、安里善好さん(71)は八四年から退職した九六年までの十二年間、キャンプ・キンザーにある国防総省の国防再利用売却事務所(DRMO)に勤務した。同事務所はすべての米軍物資の処分、破棄を統括。安里さんも危険物取扱主任として、各地から運ばれてくる物資の受け入れに携わった。

 

 

 727号倉庫で働いていた安里さんが、英語で「ダイオキシン」と明記された濃い緑色のドラム缶の出入りに気付いたのは退職の三年ほど前。中にはより小さな金属製の缶が入っている様子で、二重三重に密封されていた。

 

 

 安里さんは「他の物資と同じように使用期限が来たり、使い残したりしたものだ」と指摘する。だが、枯れ葉剤かどうかや使用場所は分からなかったという。ドラム缶は倉庫で保管された後、民間の廃棄物処理業者によって搬出、処理されたと考えられるが、行方は不明だ。

 

 

 枯れ葉剤散布の報道をきっかけに、証言を思い立った安里さん。「米軍のずさんな管理を目の当たりにしてきた。倉庫でPCBが漏れたことも何度もあった。猛毒のダイオキシンが県土を汚していないか、ずっと心配だった」と語った。

 

 

 本紙は十日、在日米軍司令部にダイオキシン集積の有無や処理方法を問い合わせたが、十七日現在回答はない。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707181300_03.html