糸数慶子(いとかずけいこ)さん
■1947年、沖縄県読谷村に生まれる。米軍占領下で育ち、基地の重圧と平和の尊さについて身をもって実感。補助飛行場で実施されたパラシュート演習で投下されたトレーラーに小学生の少女が圧殺された事故(1965年6月11日)をきっかけにはじまった米軍抗議集会に初参加。それ以来、読谷村が村を挙げて行なう反戦運動などによく参加している。
1966年、読谷高校卒業後にバスガイドに就き、常に平和の視点と自然や文化にスポットを当てて沖縄を紹介する。平和ガイドのさきがけとなる。
■1992年、沖縄社会大衆党の要請と、「私が家事・育児、みんなやるから出なさい」と言う長女(当時高校三年生)の言葉で、沖縄県議会議員選挙に「もっとピース、もっとフェア」を訴え出馬、得票数第二位という上位で、初当選を果たす。市民本位の政治とチャレンジ精神の旺盛さが幅広い支持を集め、3期連続の当選を果たした。
■三期連続の任期中、こども病院の建設や男女共同参画社会の実現に努めた。1995年9月15日、北京の第四回世界女性会議NGOフォーラム・ワークショップ「沖縄における軍隊、その構造的暴力と女性」に参加、同年9月4日の在日米軍・米兵三人による小学生拉致強姦事件をきっかけに11月、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」を高里鈴代(現・那覇市市議会議員)とともに設立。沖縄大学で観光学の講義をしたこともある。
■ 2004年7月、島袋宗康の後継者として第20回参議院議員通常選挙に全国唯一の全野党共闘の力で初当選。自民党公認、公明党推薦の対立候補・翁長政俊を 9万5000票以上の大差(獲得投票数約31万6000票)で破った。当選後、沖縄タイムスのインタビューでは「県民、国民に公平な社会、政治の実現を目指す。国会の平和ガイド役を務めたい」と語り、国政平和ガイドを自称、戦争をしない国づくりを目指している。現在、国会内では無所属、財政金融委員会委員。沖縄社会大衆党副委員長。平和、環境、教育、女性問題を柱に活動を続けている。
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■ 10月1日、「県政奪還を実現」普天間県内移設に反対。戦争へつながる総てのものに反対する県知事選へ出馬表明。
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関連文献: 2005年8 – 9月 福井美穂子「平和の風(かじ)バスガイド・糸数慶子の挑戦」(女性コミック)、講談社、雑誌『BE・LOVE』第17号 – 第18号