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【公園通りから】由美子ちゃん事件を自分の問題として

【公園通りから】由美子ちゃん事件を自分の問題として

 

 

 沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動の事務所は、若者の街東京渋谷の公園通りに面した、東京山手教会裏の山手マンションにあります。この教会は、私の父と母である、平山照次牧師と平山秋子牧師が創立したものです。平山両牧師が存命中は、平和運動の拠点として、平和のための戦争展や「紀元節」反対集会などが開かれていました。

 

 この公園通りをのぼりきった所にあるNHKや、代々木公園には、戦争後、米軍住宅ワシントンハイツがありました。1952428日、平和条約と安保条約が発効し、日本が形だけ「独立」した時、中学生のわたしは、ワシントンハイツの中に入れるものと思っていましたが、入ることができず、とても奇妙に思ったものでした。

 

 

 若者がたくさん来店する、近くのイタリアレストランで仕事の昼休みに昼食をとっていると、近くの音楽ショップ・タワーレコードの袋を持った若い女性ふたりが私の隣に座りました。

 

沖縄・日本から米軍基地をなくすためなら、どんな機会も利用したいと思っている私は、米軍基地をなくす草の根運動を紹介し、二人のお名前をうかがいました。ひとりは永久恵さん、もうひとりは、由美子さんでした。

 

 私は、先に会計を済ませ、帰ろうとしていたときに、はっと思いだしました。そうです、由美子ちゃん事件のことです。

 

 

 由美子ちゃん事件には次のような解説があります。

 

 1955(昭和30)年9月、石川市に住む永山由美子ちゃん(6歳)が嘉手納海岸で遺体となって発見されました。発見当時、由美子ちゃんは下着一枚で仰向けに捨てられ、降り続く激しい雨でずぶ濡れでした。暴行・殺害として米軍と沖縄県警が協力して捜査し、事件発生の2日後、嘉手納基地第22高射砲大隊第2中隊所属のアイザック・J・ハート軍曹(当時31歳)が逮捕されました。

 島ぐるみ闘争が高まっていたこともあり、事件に対して激しい抗議運動が起こり、各地で抗議集会が開かれました。米兵は軍法裁判で死刑の判決を受けましたが、実際は米国に帰還し、責任の所在はうやむやになっています。」(読谷バーチャル資料館から)

 

 

 私は、出口からすぐにとってかえし、由美子さんにこのことを簡単に伝えました。そして言いました。

 

「 あなたも、同じ由美子ちゃんです。由美子ちゃん事件は、まさにあなたや私たちの問題なのです。

 

沖縄・日本は、『安保』条約によって、安全が保障されるどころか半占領下にあります。アンポは沖日米軍基地を提供する半占領条約です。沖縄を含む日本人は、頭の中まで占領されているので、そのことに気がつかないのです」

 

これを書いている現瞬間も、涙が出るほどの怒りが体中にあふれて来ることを感じます。2歳を超えた、孫の女の子のかわいさとダブって。(2011222日)