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日本は「法治国家」でしょうか?

 日本は「法治国家」だと思っておられる方々が大部分だと思います。しかし、私は、基本のところで、日本は法治国家になっていない、と思っています。

 今日本は「憲法を守らない」「憲法が守られていない」と言う点において、法治国家とはとても言うことはできません。それは特に9条と25条においてです。軍隊は持ってはいけないというのに、外国の軍隊まで呼び込んでそのための「自衛隊」とかいう軍隊を持っている。国民は「健康で」「文化的」「最低限度の生活を営む権利を有する」というのに、あの酷い派遣法の規定まで無視し法に違反した大企業の「派遣切り」に政府は一言もものを言おうとはしない。これは単なる例示で、憲法の各条項は無視されそれを守ろうという努力は全く見られないと言っても言い過ぎではありません。

 憲法は国の「最高法規」(第10章の題名)であり、「国務大臣」「国会議員」「裁判官」と具体的に例示し「その他の公務員」は「この憲法を尊重し擁護する「義務」を負うと99条で書かれています。

 自公政権の一体誰が憲法を「尊重し」「擁護する」「義務」を果たそうという意志を持っているでしょうか?誰一人持っていないでしょう。率直に言って彼らにはその地位にふさわしい資格はありません。野党民主党などの議員の多くも、尊重し擁護する義務を果たそうとする意思を持っていません。「改憲」を主張することは元々、「擁護」とは反対概念ですから、それを主張する権利は、国会議員にはないはずです。彼らは、手続き規定である、第9章「改定」96条を盾に、改憲を主張し憲法を擁護する義務を事実上無きものにしています。これこそ、320万の人命を失って、獲得した最高法規日本国憲法の現状です。主権者である国民は、こういう政府を変革する権利があるだけでなく、義務すら持っています。

 今、政府は、憲法を守る「ふり」だけをしているのです。しかし、憲法擁護義務については、そのフリすらしてないではありませんか。まさに「偽の憲法遵守」です。「法治」の基本は、あらゆる法律のなかでも最高法規である憲法を守るかどうかにかかっています。それをしていない現政府は「偽法治国家」に日本をしていると思います。また改憲野党も「偽法治国家」を改憲という形で「合憲」にしてしまおうということに加担しています。

 それでは、日本はいつから「偽法治国家」になったか?これについてはいずれ時間が取れるときに書きましょう。 

 

 20090315(戦前『蟹工船』の作者小林多喜二が描き拷問死の原因となるまで警察に憎まれた作品『1928年3月15日』の日に)

64年目の3月10日朝に想像する

64年目の3月10日朝に想像する

 いま、朝9時半、隣室ではまもなく生後2ヶ月になろうとする孫をあやす娘の声が聞こえ、窓からはさんさんと初春の日光がさしこみ、遅い朝食を作る台所の音が聞こえる。多少の健康問題はかかえつつも、静かで、穏やかで、幸せな朝です。

 しかし、64年前の東京の朝はどうだったでしょうか?前夜から始まった、大空襲は終わり、2時間にわたるナパーム弾の火の壁で逃げられなくなった住民が、500機近いB25の大量虐殺の下に焼き尽くされ10万人が焼き殺されたのです。おそらく孫と同じ2ヶ月にならない幼子も。死骸は累々とし誰かという見分けも付かず、川には火から逃れようとした人びとの死骸が、引き上げても引き上げてもきりがないほど沈んでいる。

 たった、と言うべきか、もう、と言うべきか、64年は過ぎ去った。

 【我々国民は、(中略)政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさないように、(中略)この憲法を確定する】

 まさに日本政府と、それに報復した米政府の手によって、10万人の人びとは殺され、少なくともそれに関わる100万人以上の人びとは、直接の親族友人を失ったのです。

 「政府の行為」という言葉が如何に重みを持っているか!

 今、その政府と政権交代を唱える有力政党が、金権腐敗にまみれ、国を壟断し、日米従属軍事同盟という違憲そのものの法治システムを蹂躙し、沖縄日本に憲法に反して戦力をおき、戦争を現に行っている。

 「政府の行為」の重大さをまさに、ひしひしと感じるものです。

 私たち主権者は、こういう危険で汚れきった政府を変える権利と義務を持っており、憲法前文の冒頭の「再び(すでに繰り返されている)戦争の惨禍」を食い止め、改憲を阻止するだけでなく、日本国憲法からみて、当たり前のこと「核兵器廃絶、非武装永世中立」宣言を行う政府を国会議員で多数を占めて樹立する、そのように一刻も早く、しなければならないのです。

 想像力それは単に夢想でなく、人民がそれを望むとき必ず実現するのです。確信と決意を持って悠然と歴史の法則に従って、進んでいこうではありませんか。一つ一つの小さな努力を無数の民衆草の根の1人1人が行って、64年3月10日の朝の文章ではとても表現できぬ嘆きと悲しみ「政府の行為による戦争の惨禍」を人生をかけて繰り返させないために。【その惨禍】は派遣切りや格差社会のひどさにつながり、膨大な軍事費が社会保障費もセーフティーネット改悪にも、消費税値上げにもつながっている【事実】を認識していくことも。軍事産業を肥え太らせ、汚職に近い腐敗につながっていることも。