(普天間通信)59年前の9月8日「国恥記念日」を忘れるな!

59年前の9月8日「国恥記念日」を忘れるな!

 

 今日9月8日は、今から59年前1951年に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」と2章の戦争の放棄9条の戦力の不保持、に真っ向から反して、吉田茂一人の署名で日米安保条約を締結し、外国軍隊というとてつもない「戦力」を容認した「国恥記念日」です。 

 このことは、サンフランシスコで起こりました。サンフランシスコ「講和」条約で、沖縄県を昭和天皇の申し出どおりアメリカに売り渡し、本土は、「責任ある政府が成立したときには、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収せらるべし」というポツダム宣言12項に違反して、形は、対等の条約で、米軍はそのまま居座る条約を締結したのです。その当時は、今の在日米軍地位協定に当たる「行政協定」は素案すら提示されていませんでした。(確か翌年2月提示、国会審議なし、批准なし)

 

 この日から、事実としての「日本の半占領状態」と日本人の頭の中まで「半ば占領状態になる」すなわち、外国軍が自国にいても何とも思わない、恥ずべき日本人の思想状況が始まったのです。

 

 自国の独立を保つあるいは確立することが、いわゆる「安全保障」の最大の目的であるのに、頭の中まで占領されている日本人には、「敵は国内にる」ということが全く見えなくされているのです。

 

 この日本人の思想状況を変えなければ、外国軍隊は百年でも2百年でも居座り、日本を基地として戦争を行い不法な「戦力」として、ますます米軍によってつくられた従属軍隊「自衛隊」の軍備を強化して行くことでしょう。

 

 世界に米軍基地は800あるといわれ、そのうち133という膨大な数が日本にしわ寄せされ、そのうち25%の33は沖縄県にある、こういうことすら沖縄県民を含む日本人は知らないのです。

 

 サンフランシスコ講和条約締結までは、占領軍のせいにできました。しかし、59年前から、法的責任の状況は一変した、と言っても過言ではありません。伊達判決(1959年3月31日)がいみじくも指摘したように、「政府の行為」によって、米軍基地は、沖縄・日本に置かれたのです。

 今や、沖縄人を含む日本人は、頭の中の半占領状態をきっぱりと克服し、怯懦な「野党根性」を払しょくして、米軍基地をなくす政府すなわち、安保条約を破棄通告する政府を、政党政派をこえた統一戦線を基礎に作ることを大胆に呼びかけるべきです。

 

 事故の危険にさらされている普天間第2小学校の子どもたちを始め多くの国民がそれを待ち望んでいます。

 

 普天間飛行場の米「殺人機」(ベトナムに飛んで行くB52 などを沖縄県民日本国民はこう歌によんだ)の轟音を聞きながら、この文章を書いています。(2010年9月8日)

 

 

コメントを残す