月別アーカイブ: 2010年5月

国民合意よりも日米合意を優先するのか!?

国民合意よりも日米合意を優先するのか!?

 鳩山の(呼びつけにする失礼をお許し下さい)今回の「辺野古移設」通告の最大の問題点は、日米合意を沖縄県民と沖縄県や社民党を含む国民合意よりも優先したところにあります。

 鳩山氏の「友愛政治」という言葉を想起するとき反吐が出そうです。「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」とシェークスピアが言ったと聞いています。鳩山の「友愛」は沖縄県民を含む日本国民を地獄へ連れて行く嘘っぱちの言葉です。

 軍隊を駐留させている外国との合意を沖縄県民を含む日本国民の合意よりも優先すると言うことは、一言で端的に表現するならば、どんな美辞麗句で飾ろうと、国民の安全のための『抑止力』維持という美名を持ってこようと、国民の合意よりも、軍隊を置いている他国・外国との合意を優先したと言うことです。

 この行為を一言で表現するならば、「売国」という言葉がきわめて適切かつ正確な形容です。右翼好みの『売国』などと言う言葉を軽々しく使いたくはありませんが、この言葉以外に、的確な表現はありません。

 自公政権やみんなの党、政党改革、国民新党などは、この点では変わらないと思います。民主党が自公政権とこの点で少し異なっているのは、「辺野古回帰」と言う売国決定をする前に、自公政権と異なり、「少し悩んだこと」位なものです。また、民主党の個々の議員の中には、この決定に不同意の議員もいると言うことです。

 しかし、決定のプロセス自体が日米合意優先、国民合意無視という点において、「売国」と言わざるを得ないのです。

 こういう「言葉の真の意味における」「売国政治」をこれ以上続けてはなりません。「売国」の先には、「亡国」が待っているのです。国を売り渡しておいて、何が国民の安全か!何が抑止力か!聴いてあきれると言うしかありません。

 社民党は、こんな内閣に一刻もとどまるべきではありません。

 市民運動、労働組合運動、共産党は、党利党略を離れて、国民的共同。統一戦線、普天間早期閉鎖の一点での超党派結集のためにがんばるべきです。沖縄県民が必死の思いでそうしているように。 

 「普天間早期閉鎖の一点での超党派結集」こそが、民主党中心連立政権に代わる政権受け皿なのです。社民党はここにこそ加わるべきです。(2010年5月24日平山基生) 

鳩山、普天間代替は辺野古と沖縄に伝える

インターネットニュースは、次のように伝えています。

 

仲井真知事が辺野古移設を「遺憾だ」5231124分配信 産経

 

 沖縄県の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は23日午前の鳩山由紀夫首相との会談で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)を名護市辺野古周辺に移設する政府方針に対し、「高まっていた県民の(県外移設への)期待と落差が大きい。端的に申し上げると遺憾であり、極めてこの案は厳しい」と批判した。

 

普天間、辺野古移設を初表明=首相―県外守れず、

 

陳謝・名護市長反発   5231053分配信 時事通信

 

Yahoo!ニュース 鳩山由紀夫首相は23日午前、沖縄県の仲井真弘多知事と県庁で会談し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)をキャンプ・シュワブがある名護市辺野古周辺に移設する方針を初めて正式表明した。また、米軍ヘリ部隊の訓練などの基地機能を極力、県外に移す考えを強調した。これに対し、仲井真知事は「大変遺憾だ。極めて厳しい」と県内移設受け入れは困難との立場を重ねて強調した。

 この後、首相は名護市の稲嶺進市長ら県北部の市町村長と同市内で会談。首相の説明に対し、稲嶺市長は「断固反対する。名護市民への裏切りで、極めて残念だ」と強く反発した。

 首相が決めた移設先は、代替滑走路の建設地や工法などの詰めは残るものの、現行計画に沿った内容。昨年の衆院選で約束した「県外移設」をほごにし、現行計画に戻ったことで、首相の政治責任が厳しく問われそうだ。

 席上、首相は「代替施設は県内、辺野古付近にお願いせざるを得ないとの結論に至った。断腸の思いで下した結論だ」と表明。「(東アジアの安全保障上)抑止力を低下させてはいけない。県外に移設すると、海兵隊の機能を大幅に損なってしまう」と理解を求めた。

 また、首相は「基地機能、わけても米軍の訓練をできる限り県外に移し、負担軽減と危険性除去の実を上げることが大事だ」と述べるとともに、27日の全国知事会議で協力要請する考えを示した。その上で、「『できる限り県外』という私自身の言葉を守れなかったこと、県民に混乱を招いたことを心からおわびする」と陳謝した。 

沖縄県議会、鳩山へ抗議20100523

 

鳩山首相からの会談要請を断った沖縄県議会・高嶺議長、議員35人とともに座り込み

 

5231217分配信 フジテレビ

 

鳩山首相は23日、就任後2回目となる沖縄訪問で、日米が大筋合意した、普天間基地を名護市辺野古周辺に移設する案を正式に説明したが、仲井真県知事は「極めて遺憾で、極めて厳しい」と応じた。

 

一方、鳩山首相からの会談の要請を断った沖縄県議会の高嶺議長は、県議会のすべての会派の議員35人とともに座り込みを行い、「県民の頭越しに、県内移設を決定すべきではない」と訴えた。

 

また県庁前では、数百人の市民が集まり、鳩山首相に対し、「公約通」、県外・国外移設を実現すべきだ」と訴えた。

 

参加者は「総理の来県を許さないぞー! 総理は沖縄の声を聞けー!」と声を上げた。

(以上 引用終わり)

 

 沖縄県民の怒りが、じかに伝わってきます。

 その怒りは、私自身の怒りであり、また、多くの心ある人々の怒りです。心の底からじわじわと湧いてくるような本物の怒りの感情です。

 辺野古に作らせない闘いを、さらに強めながら、普天間飛行場の早期閉鎖返還撤去の一点で、日本全体で、共同・統一戦線を超党派で作り上げること、国際世論に訴える努力を強めること、本土と沖縄が一体になって、日米政府に強い圧力をかける、そういう力を育てることが重要です。

 その努力の中で、米軍違憲、安保条約を終了通告して日米平和友好条約に変える運動を強めなければなりません。(平山基生2010・05・23)

 

雲英晃顕は生きている

雲英晃顕は生きている

 

 

さきほど、小さな研究会がはねた。雑談をしていたら、雲英晃顕が来て、言った。

「しばらくご無沙汰をしていたけど、来たよ」

雲英は、例の特徴のある眼鏡に人のよい笑みを浮かべて、いつもながらの背広姿であった。

「雲英さん生き返ったんだ。みなさん、雲英さんが生き返りました。もう死ぬなよ」

そう私が言っている間にも、雲英は次第に消えていった。

そして、私は目が覚めた。

沖縄の普天間包囲の人間の鎖から昨夜遅く帰京し、翌朝、普天間にアパートを借りる相談などをして、レオパレスと交渉成立。疲れきって、うとうとしていた。

雲英は、私らがやっている沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動に賛同してくれて、いつも年1万円を賛同会費として出してくれていた。

彼は「平山はしょうがない奴だ」といろいろ言っていたが、そんな事を言わない一部の平和活動家たちよりも、私を信じてくれ、謙虚であった。彼は誠実であり、寺の息子であった。わたしもまた、牧師夫婦の息子であるが。

60年安保闘争の時の話。

私は、東大文学部学友会(自治会)の21歳の若い委員であり、彼は学年が下の東大教養学部自治会の委員であった。もっとも、彼は学芸大学を出てからの東大入学であり、歳も5歳ほど上だったが。

1960116日、日米安保条約に調印するために、岸首相は羽田空港に来る事になっていた。前日の115日夜、当時の「全学連主流派」は、岸訪米阻止ということで、学生たちを羽田に動員した。私は、昼間は、「安保改定に抗議するキリスト者の集い」を裏方で組織し、その足で羽田に行った。忠実な民主主義者として、自治会の決定に従ったのだ。雲英の属していた、東大駒場(教養学部)自治会は、多分同じ決定をしていたのだろう。彼は、彼が属していた団体の決定でそのような実力阻止行動はしりぞけていたはずであった。雲英は、実力阻止闘争には加わらず、羽田に来て見守っていた、と聞いている。

私は、自治会の学生と共に、羽田の建物の中にいた。状況は詳しくはわからず、多分警官隊が実力排除の実力行使に入ったのだろう。スクラムを組んでいる列が破れ、空港のガラスが割れたのを見た。私は、極めて度の強い眼鏡を吹っ飛ばされ、両腕を警官に取られて、羽田空港の外に連行排除された。眼鏡なしで、下宿に帰った。

雲英は、「全学連」の隊列には居なかったはず(いなかった、と後で聞いた)であったが、共産党員活動家として名が売れていたのであろうか、公安が目をつけたのであろうか、逮捕され留置された。

116日、岸首相は、無事渡米し、19日に日米安保条約は日本国憲法前文と9条に反して、ワシントンで署名された。その後の623日に参議院の承認もないまま自然成立した日米安保条約発効までの5カ月は、日本史上かつてない大規模な大衆運動である安保改定反対闘争が続くのである。

雲英は、1昨年亡くなった。しかし、彼は、夢の中に生き生きと生きていたように生きている。今見た夢は、「人は死なない」ということを僕に、確信をもって教えてくれたようだ。

人は死なない。人は死ぬということは勿論である。同時に、私は「人は死なない」と断言する。雲英が今も生きているように。(2010518日)

 

 

普天間包囲成功!超党派で人間の鎖5月16日2010年

豪雨の中普天間包囲成功!超党派で人間の鎖5月16日2010年

 

昨日の普天間包囲行動は、激しい豪雨の中で、ずぶ濡れになりながら13キロメートルを1万7千人が手をつなぎ、人間の鎖を完成させました。1回目は人数不足でつながりませんでした。2回目と3回目はまちがいなくつながりました。

 私は、今日は普天間、宜野湾市にアパート探しです。

人間の鎖の様子です。短い動画ですが雰囲気だけでも感じていただければ幸いです。