琉球新報 関連記事(4月8日、10日)

日本人の罪を問う 木下順二作「沖縄」公演始まる
 【東京】敗戦から15年目の沖縄の離島を舞台に日本人の「罪と責任」を問い掛けた故・木下順二さんの作品「沖縄」の公演が7日、東京・新宿の紀伊国屋サザンシアターで始まった。木下さんと縁の深かった劇団民藝による追悼公演。日本兵による住民虐殺や戦後の米軍による土地接収を取り上げ、沖縄の苦難の歴史と日本のかかわりを描き、初日から大勢の観客が訪れた。
 「沖縄」は、米軍による土地接収で揺れる離島が舞台。沖縄戦で深い心の傷を負い、島に戻ってきた女性・波平秀(日色ともゑ)と、沖縄の学徒隊員をスパイ容疑で殺害した元日本兵・山野武吉(杉本孝次)、島に帰省した若者・喜屋武朝元(境賢一)を軸に物語が進む。
 「どうしても取り返しのつかないことを、どうしても取り返すために」という信念で波平が山野の戦争中の行為と向き合い、日本全体の責任をも問い掛けるという作品内容の重さもあって、観客席も終始緊張した空気が漂った。
 舞台を鑑賞した佐喜眞美術館館長の佐喜眞道夫さんは「40年余前の作品が今日まで続く深刻な課題を提示していることに驚く。『どうしても取り返しのつかないことを、どうしても取り返すために』という課題には普遍性があり、それをどう克服するかという努力が今も続いている」と語った。
 「沖縄」は1963年に、「夕鶴」で知られる山本安英とぶどうの会によって初演。劇団民藝は木下さんが昨年10月に他界する前に上演許可を取り、今回初めて演じた。東京での公演は18日まで。今のところ沖縄など地方公演の予定はない。
(4/8 10:06)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22794-storytopic-1.html

改憲の流れに危機感 大学人の会沖縄

意見交換する(左から)高作正博琉大准教授、島袋純琉大教授、渡辺治一橋大教授と司会の高良鉄美琉大教授=7日、那覇市の教育福祉会館
 県内大学の教職員で構成する「大学人9条の会沖縄」の結成1周年を記念したシンポジウム「新保守主義の動向と沖縄―憲法9条をまもるために―」が7日、那覇市古島の教育福祉会館で開かれた。一橋大学の渡辺治教授が「安倍新保守政権の成立と改憲の新段階」のテーマで基調講演したほか、県内の研究者らが参加してパネルディスカッションを行い、沖縄を取り巻く現状と9条の関連などについて参加者とともに議論を深めた。
 日本政治史が専門の渡辺教授は、安倍晋三首相が「任期中に憲法改正に取り組む」と公言した上で首相に就任したことについて、「安倍首相が突然言い出したことではなく、冷戦終結後の1990年ごろから、財界からの改憲の圧力がかけられるようになった」と説明。「営々と積み上げてきた改憲の流れを最後に完成させるべく登場してきた」と評した。
 渡辺教授は「イラク派兵は許してしまったが、まだ自衛隊員が戦争で相手を殺すような事態にはなっていない。9条のおかげでかろうじてとどまっている」と9条の存在意義を強調。「9条を守れるのか、それとも改憲を許してしまうのか。わたしたち自身の行動が問われている」と会場に呼び掛けた。
 続いてパネルディスカッションが行われた。パネリストとして渡辺教授のほか、琉大の島袋純教授、高作正博准教授が参加。高良鉄美教授が司会を務めた。
 島袋教授は復帰運動で憲法を勝ち取った歴史について触れ「復帰運動を人権闘争ととらえ、現在の改憲の流れを問い直すべきだ」と主張した。高作准教授は県内で国民保護法に基づく措置が実施された場合をシミュレーションし、集団的自衛権が容認された場合に住民がかえって危険にさらされる現実を指摘した。
(4/8 10:08)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22795-storytopic-1.html

「近所に慰安所」 沖縄戦で住民証言

証言や研究成果について聞く参加者ら=7日、宮古島市中央公民館
 【宮古島】「宮古島の日本軍『慰安婦』について証言を聞く会」(宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会主催)が7日、宮古島市中央公民館で開かれた。沖縄戦当時、朝鮮人慰安婦がいる慰安所に日本軍が出入りしていたことを住民が証言した。
 沖縄戦時、上野村野原に住んでいた与那覇博敏さん(73)が「小学5年のころ、家の近くに朝鮮人の女性たちがいる慰安所があった」と証言した。
 与那覇さんは「最初はどこの女性かなと疑問に思ったが後で朝鮮人と知った。日本軍の兵隊が出入りしていた。最初に見たのは1944年の早い時期。終戦間際までいたので、1年数カ月は慰安所として利用されていたと思う」と話した。
 県内各地の沖縄戦当時の慰安所について調査研究している早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程の洪允伸(ホンユンシン)さん(28)は、慰安所が宮古島に10カ所、伊良部島に1カ所の少なくとも計11カ所確認されていることを説明した。
 洪さんは過去2回の宮古島の調査で、宮古の場合は慰安所が住民の生活圏と密接に関係を持っていたことを指摘。「宮古は米軍上陸がなく、沖縄の中でも比較的被害が少なかったと言われるが、被害の大きさは死者数なのか」と疑問視した。
 さらに「日本政府は『狭義の意味で強制はなかった』とあいまいな立場を取るが、沖縄からこうしたことについて考えないといけない。性を売ることを押しつけたのは誰か。何のために必要だったのかという人道に対する罪を宮古だからこそ問える」と強調した。
 洪さんは宮古島で3回目の調査を5月に予定しており、証言者を募っている。問い合わせは宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会0980(72)2774。
(4/8 10:19)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22801-storytopic-1.html

オスプレイ前提で計画 普天間代替・日米協議
 米軍普天間飛行場移設をめぐるSACO(日米特別行動委員会)最終報告に向けた日米の事務レベル会合で、最終報告では削除された垂直離着陸機MV22オスプレイの配備を前提として、代替施設の滑走路の長さや施設規模などについて具体的に協議していたことが、9日までに琉球新報の入手した日米作業部会のメモで明らかになった。検討していた約1260メートルと約780メートルの長短2案のうち、米軍側は長い方がオスプレイにとって「運用上必要」で、短い方は「技術的に可能」な最低許容範囲内の滑走路だと説明しており、普天間代替施設のオスプレイ配備基地としての位置付けが浮き彫りになった格好だ。
 メモは、SACO最終報告発表約1カ月前の1996年10月21―23日に、ワシントンで開かれた作業部会での協議内容を報告したもので、オスプレイ配備を前提とした滑走路の長さや施設規模を具体的に議論している。
 日米協議担当者のキャンベル国防副次官補(当時)は、嘉手納基地にオスプレイを移動させると認めた場合、日本政府がその選択肢を受け入れ、海上施設を短縮させることになってしまうと懸念し、「オスプレイは施設をより大きく造る根拠だ」との認識を示したという。
 メモによると、米側は1260メートルの滑走路長を望んでいる姿勢を見せた。海兵隊は、浮体式沖合施設となった場合は1260メートルの案が望ましいと主張。在日米軍と米太平洋司令部もそろって、780メートルならばオスプレイの格納庫など関連施設は陸上部分に設置される必要があると主張し、代替施設が必要とする機能について強調した。
 オスプレイ配備について日本側は会合初日の21日、米側に対し「(96年)4月時点で(日本側)は知らなかったので、オスプレイ向けの大きさの施設で(沖縄を)納得させるには問題が出てくるだろう」とオスプレイありきの議論を県民に説明することに懸念を表した。
 その上で日本側は「県民に滑走路長をどう説明したらよいか」と米側に尋ねた。オスプレイについて(1)何も言わない(2)具体的に伝える(3)現在使用機種に合わせて建設し、後でMV22配備発表の時に延長―の3つの選択肢について助言求めたが、米側は具体的な返答を避けた。
(4/10 9:39)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22840-storytopic-3.html

「沖縄密約」で控訴 西山さん「同盟の問題提起」
 沖縄返還交渉をめぐる「密約」の取材が国家公務員法違反(秘密漏えいの教唆(きょうさ))の罪に問われた元毎日新聞記者の西山太吉さん(75)が、米公文書で密約が裏付けられた後も日本政府の否定発言などで名誉が侵害され続けているとして国に謝罪と慰謝料を求めた訴訟で、西山さんは9日、請求を棄却した東京地裁の判決を不服として控訴した。
 西山さんは控訴について「沖縄返還密約は今日の日米軍事一体化の原点。裁判を通じて、沖縄返還から現在までの日米軍事同盟の変遷について、世論に問題提起したい」と訴訟の意義を強調した。また請求が棄却された一審判決については「国の組織犯罪を国が作った除斥期間で救うなど、法理に反する」などと批判した。
(4/10 9:56)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22844-storytopic-1.html

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