2007年5月16日(水) 朝刊 1・29面
沖縄返還交渉「基地削減 議題ならず」/外務省吉野元局長
沖縄の施政権返還から三十五年を迎えるに当たり、外務省アメリカ局長として返還交渉に当たった吉野文六氏(88)が十五日までに、本紙の取材に「日本は返還の時にもっと沖縄の基地削減を主張するべきだった。日本の安全保障政策に中長期的な将来像がないまま、沖縄の基地は三十五年間、放置されたことになる」と語った。当時の佐藤栄作首相が掲げた“本土並み”の形式を整えることありきで、返還交渉で沖縄の米軍基地削減が議題になることは一度もなかったことを指摘した。米軍再編で在沖海兵隊のグアム移転費に支出する日本政府については「基地問題を金で解決するやり方は当時からあまり変わっていない」と話した。
吉野氏は一九七一年一月、アメリカ局長に就任。OECD大使、ドイツ大使などを歴任した。
沖縄返還の背景について、吉野氏は「ベトナム戦争で米国の景気が悪化の一途をたどる中で、日本は対米貿易を大幅に伸ばしていた。米国の議会が不満を募らせて沖縄返還に反対するようになる前に、早く交渉をまとめてしまおうということだった」と語った。
その上で、「返還当時から現在まで日本の安全をどう守っていくのかという根本的な議論がない。日米安保に基づいて沖縄の基地をどう位置付けていくのか。あるいは永久に安保なのか。戦略的な見通しがないまま、果たしてこれだけの基地が必要なのか、分からない」と指摘した。
七一年の当時の国会は沖縄から核が撤去されるかどうかに野党の追及が集中。議論するべき安全保障政策には及ばなかったという。「安保騒動からまだ十年という時代ですから、機が熟していなかったということでしょう」と振り返った。
吉野氏は、同じ敗戦国だったドイツを引き合いに対米寄りの日本に懸念を示す。「冷戦の崩壊後、米国の一極支配と経済のグローバル化を背景に、日本が軍事も経済も米国に頼り過ぎてきた結果ですね」と語った。(粟国雄一郎)
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「協定違反」最後まで反対
吉野文六さん(88)が外務省アメリカ局長として担った沖縄返還交渉の一つは、日本が秘密裏に支払う六千五百万ドル(一ドル三百六十円で二百三十四億円)を米側がどう使うかだった。返還交渉の内幕を記した米国の公文書に、吉野さんが登場する興味深い一枚がある。公文書によると、基地の修繕・維持費に充てたい米側の要求を日本側が受け入れる場面で、吉野さんら事務方は日米地位協定に違反するとして最後まで反対していた。日本側が認めたこの「密約」は後に「思いやり予算」として表面化する。
返還協定調印を八日後に控えた一九七一年六月九日、パリで行われた愛知揆一外相とロジャース国務長官による日米会談。その模様について、我部政明・琉球大教授が発掘した米国の公文書はこうつづる。
「吉野局長ら日本側は、米側の要求に応えることが明らかに地位協定に違反し、発覚する危険性があるとして、反対していた。愛知外相は部下の反対を押し切り、『私が責任を持って』と答えた」。愛知外相は口頭の約束であることを念押ししていた。
吉野さんはこの公文書のコピーを手に「これは興味深い」と目を走らせた。
短いため息の後、「当時のことはよく覚えていない」とした上で「明らかに地位協定違反ですから事務方としては当然反対しますね。六千五百万ドルですから(西山太吉・元毎日新聞記者が『密約』と指摘した)四百万ドルよりもずっと大きい」と苦笑した。
愛知外相の対応には「米側にいい顔をしたいと思ったのが大半でしょうが、交渉期限も迫り、金で解決がつくならと考えたのでしょう」と述べた。
日米地位協定には基地の維持経費は米側の負担とある。日本がその枠組みを踏み出して基地の修繕・維持費を負担するこの「密約」を、我部教授は後の「思いやり予算」と指摘する。米軍の駐留を後押しする原点になったとの問いに、吉野さんは「そういうことです」とうなずいた。
復帰前の沖縄視察では、基地内だけが別天地のように小ぎれいで「早く交渉をまとめて沖縄を“本土並み”にしなければと思った」という。一方で、当時は「密約」の一端が明らかになり国会は大波乱だった。
吉野さんは当時、国会答弁などで「密約」を否定し続けた。「『記憶にありません、記憶にありません』と言って本当に忘れようとしたんです」(粟国雄一郎)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_02.html
2007年5月16日(水) 朝刊 2面
再編交付金支給を主張/参院外交委に仲里副知事
米軍再編推進法案の審議の参考にするため来県中の参院外交防衛委員会のメンバーが十五日、県庁で仲井真弘多知事らと意見交換した。米軍普天間飛行場移設問題と同法案との関連で仲里全輝副知事は「(地元の)合意がないから交付金の支給対象にならないと発言する関係者もいるが、それはおかしい」と主張、名護市や県が代替施設の滑走路の沖合移動を求めていることを理由に、交付金の不払いを示唆する一部政府関係者をけん制した。
普天間移設問題へのスタンスについて、仲里副知事は「名護市や周辺市町村、現県政を含め、現実的な枠組みを踏まえ、基本的にはV字形案はやむを得ないと思っている。しかし、住民生活への影響を考え、可能な限り沖合へと求めている」と説明。その上で「負担を強いられるのであれば、それに対する補償的意味合いもある。(交付金は)当然交付すべき」と述べ、在日米軍再編への協力度合いに応じた地方自治体への交付金支給を柱とする同法案への見解を表明した。
仲井真知事は普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設について「名護市が受け入れるとなればその方向に行かざるを得ないと思っている。しかし、(名護市は)なるべく海へ出してもらいたいというのがある」と述べ、滑走路の沖合移動を重ねて要請。さらに、普天間飛行場については「返還までに全体の運用を下げていくことが必要」と強調、三年をめどにした閉鎖状態の確保を求めた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_06.html
2007年5月16日(水) 朝刊 29面
改憲反対350人訴え/5・15県民集会
復帰三十五年を迎えた十五日、「憲法の改悪を許さない5・15県民集会」(主催・沖縄平和運動センター)が那覇市の県庁前県民広場であり、約三百五十人(主催者発表)が参加した。十四日に成立した国民投票法に対し「平和憲法を守る」「戦争反対」と声を上げ抗議、改憲反対を訴えた。
同センターの崎山嗣幸議長は「復帰から三十五年を迎えたが、県民が願った、基地も核もない復帰はいまだに実現されていない。これからも沖縄の軍事強化を許さない活動に取り組む」とあいさつした。
大学人九条の会沖縄代表の高良鉄美琉大法科大学院教授は「復帰によって沖縄が得たのは憲法だけだが、その中身は十分に勝ち取られたものではない。次世代に伝えるためにも、もう一度憲法の原点に返るべきだ」と語気を強めた。
帰宅途中に集会に参加した芝田真弓さん(27)=那覇市、会社員=は「基地や教科書問題など、沖縄のことなのに、県民の声が政治に反映されていないことにいら立ちを感じる」と話した。
集会後、参加者は改憲反対などを訴えながら国際通りをデモ行進した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_07.html