沖縄タイムス 関連記事・社説(5月13日、14日)

2007年5月13日(日) 朝刊 1・23面
県民大会 反基地訴え/嘉手納基地きょう包囲
 「復帰三十五年平和とくらしを守る県民大会」(主催・5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター)が十二日、北谷町の北谷球場前広場で開かれた。約三千人(主催者発表)が「5・15平和行進」の意義を共有し、十三日午後に行われる嘉手納基地包囲行動に向け、全力を挙げて取り組むことを確認した。基地の固定化や強化、憲法改悪に反対するアピールを発表した。

 主催者を代表し、同行進実行委員長の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長が「安倍内閣が憲法を改正し、軍国主義につくり替えようとすることを県民は許すわけにはいかない」と強調。「5・15平和行進をさらに拡大しながら戦争のない平和な島を全国へ発信する力をつけていきたい」と決意を述べた。

 野国昌春北谷町長、伊波洋一宜野湾市長、新垣邦男北中城村長、照屋寛徳衆院議員、糸数慶子社大党副委員長らが激励のあいさつをした。

 三十回目を迎えた今回の5・15平和行進には十日の復帰三十五年特別コースの参加者を合わせて十二日までの三日間で、約四千六百二十人(主催者発表)が参加したことが報告された。

 十三日の嘉手納基地包囲行動(主催・同行動実行委員会)は午後三時から午後四時まで三度、「人間の鎖」で同基地を包囲することを目指す。

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平和へ心一つ

 【中部】本土復帰三十五年を迎え、三十回目となった平和行進は十二日、県内三コースから出発した参加者が北谷町の北谷球場前広場に集結した。復帰の内実を問う行進には特別コースを加えた三日間で延べ約四千六百二十人が参加。集結後に開かれた「5・15平和とくらしを守る県民大会」は参加者三千人の熱気に包まれ、ガンバロー三唱で十三日の米軍嘉手納基地包囲成功へ向け気勢を上げた。

 「大勢の人が県内外から集まり平和を願う。参加するたびに心強く思う」。米軍普天間飛行場の移設反対を訴え、辺野古で座り込みを続ける名護市の崎浜秀司さん(76)は十回目の行進参加。「米軍再編後も辺野古、嘉手納、普天間の状況は悪くなる一方。沖縄に新たな基地は必要ない」と訴えた。

 普天間飛行場の騒音被害に憤る宜野湾市我如古の主婦、新垣政子さん(65)は「小さい島に基地が押し付けられ、事故の危険性や騒音にさらされている。沖縄が歩んだ我慢の歴史を多くの人に理解してほしい」と話した。

 嘉手納基地所属のF15戦闘機の初の移転訓練が今年三月、福岡県の航空自衛隊築城基地を拠点に行われた。同基地に隣接する同県築上町の公務員、出口厚志さん(28)は「今後、移転の回数が増えれば、騒音だけでなく、事件・事故の可能性も高くなる。平和運動の先進地である沖縄から学んだことを地元での活動に生かしたい」と話した。

 神奈川平和運動センター代表の宇野峰雪さん(67)=横浜市=は「どれだけ多くの人が沖縄戦で、この地に命を落としたかを感じながら歩いた」と話した。米軍再編では神奈川や隣接する東京・厚木基地への機能集中が予定されている。「沖縄での反基地運動を学び、一緒に米軍基地撤去のための取り組みを広げていきたい」

 南部コースに参加した佐藤瑞恵さん(24)=松山市=は、沖縄を訪れたのは初めて。普天間飛行場周辺を歩き「こんなに大きな基地が人々の身近にあるとは。まるで一つの街のように見えた。人のいない山中にでもあるものかと思っていたが」と驚いていた。

 会場周辺では、「君が代」などを放送する十数台の右翼団体の街宣カーが繰り出し、大会参加者とにらみ合う場面もあった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705131300_02.html

2007年5月13日(日) 朝刊 23面
シュガーローフ攻防を生々しく/米軍フィルム初公開
 映画「沖縄戦・シュガーローフの戦い」(主催・沖縄タイムス読者センターなど)が十二日、那覇市おもろまちの市上下水道局で上映された。戦時中に米軍が記録したドキュメントで、主催した沖縄戦1フィートの会が約一時間の映像にまとめた。映像が公開されたのは初めてで、約百人が見入った。

 記録フィルムは中城村在住の島尻太行さん(67)が約六年前、宜野湾市内にある古本屋で見つけた。米国第六海兵師団の戦闘の模様を伝えている。シュガーローフは小高い丘となった現在の安里一区周辺。進攻する米軍がこの地で日本軍に苦戦を強いられた。

 英語の解説で、米軍はこの戦闘で一週間に二千六百六十二人の死傷者を出したと伝えている。

 上映後、元沖縄師範学校鉄血勤皇隊の儀間昭男さん(80)=那覇市=が「南部に向かう道路には県民、日本兵の遺体の山ができていた」などと当時の体験を語った。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705131300_03.html

社説(2007年5月13日朝刊)

[復帰35年調査]

語り継ぎたい「沖縄戦」

本土復帰の評価定着か

 沖縄が本土復帰してから三十五年になる。復帰して何が変わったのか。世代によって抱く感慨も違うはずだ。

 「核抜き、本土並み」の掛け声はかき消され、今も在日米軍の再編や、普天間飛行場の移設など米軍基地問題が沖縄の人々が直面する最大の課題である。その基本構図に変化はない。

 県民意識はどのように変わったのだろうか。沖縄タイムス社の復帰三十五年世論調査によると、復帰して「よかった」と答えた人が89・3%、「よくなかった」は3・8%だった。

 一九九二年四月の調査(復帰二十年)では88%、二〇〇二年四月の調査(同三十年)でも87%が「よかった」と答えている。九割近くが復帰を肯定的に評価するようになった。

 「沖縄らしさ」が残っているものは「伝統文化」「助け合いの心」など。逆に「沖縄らしさ」が失われたものでは「自然」「方言」などの順。

 将来にわたり沖縄が大切にしていくべきだと思う点は「平和・戦争を忘れない」が42・1%で最多。「助け合いの心」(21・6%)などが続く。

 本土の人と接した時、自分たちと違う面があると感じることがあるかとの質問では「感じる」が62%を占めた。一九九七年調査時は68%が「感じる」としており、6ポイント減少した。

 伝統文化に沖縄らしさを感じ、歴史が異なる点など本土との違いを実感している―。沖縄の歴史・文化の独自性に対する県民のこだわりは今なお健在だと言っていいだろう。

 一方、沖縄と本土との格差について「あると思う」が87・1%で五年前の前回調査より13ポイント増えた。「思わない」は10・9%で、11ポイント減っている。本土との格差を感じている人が五年間で増えた。その理由として所得、基地問題などを挙げている。

 米軍基地に対しては「段階的縮小」を求める人が70%、「ただちに全面撤去」は15・4%、「いままで通り」は12・5%だった。この質問では、復帰二十年以降の各調査結果を見ても、ほぼ同様のすう勢を示している。

 約85%の人々が、何らかの形で米軍基地の縮小が進展することを求めていることに大きな変化はない。

検定には超党派で反発

 文部科学省による高校の歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」についての日本軍関与の記述が削除・修正された。県内で反発が広がり、市議会などで撤回を求める動きも出ている。

 今回の調査で日本軍関与の記述・削除への賛否を聞いたところ、「反対」が81・4%、「賛成」が8%、「分からない」が10・6%だった。

 反対理由は「沖縄戦の歴史を歪曲するから」(52・4%)「『集団自決』の現実を伝えていないから」(37%)などの順に多い。

 約八割が検定結果に疑問を投げており、支持政党の党派の枠を超え、反発が広がっているのが大きな特徴だ。

 沖縄戦について、日々の暮らしの中で「よく話す・聞く」「時々話す・聞く」が合わせて58%だった。

 「沖縄戦の体験について次の世代に語り継ぎたいか」との質問では、「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)、「尋ねられたら話す」(40・1%)と九割余が継承の必要性を感じている。

 教科書検定の動きに反応したのか、「すすんで語り継ぎたい」が十年前調査と比べて15ポイント余も増えた。

 沖縄戦をどう継承していくかが問われているが、歴史の事実を直視する重要性について、県民の間で共通認識ができつつあると言えよう。

内実を問い返す動きも

 二〇〇一年の9・11テロ後、米国はアフガニスタン、イラクで対テロ戦争を進めてきた。冷戦崩壊後も沖縄を取り巻く環境が様変わりし、沖縄の基地の在り方にも影響を及ぼしている。

 復帰三十年以降、県内では復帰への評価や復帰運動の内実などをあらためて問い直す動きも出ている。こうした問題意識は教科書検定や歴史認識の在り方などにも深くかかわっている。

 一九七二年に生まれた子供たちはもう三十五歳だ。復帰前の沖縄を記憶する人は四十代半ば以降になり、今後は復帰を直接体験していない新たな世代が増えていくことになる。

 復帰をめぐる調査についても、今後はその性格や位置付けなど、より総合的な分析や評価がますます重要な作業になっていくのは確かだ。

 沖縄の基地の現状が変わらない限り本土復帰の内実を多角的に問い直していく動きがやむことはないだろう。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070513.html#no_1

2007年5月14日(月) 朝刊 1面
1万5000人「嘉手納」包囲/騒音・機能強化に抗議
「鎖」一部つながらず
 極東最大の米軍基地で全周約十七キロの嘉手納基地を「人間の鎖」で取り囲む「嘉手納基地包囲行動」(主催・同行動実行委員会)が十三日行われ、県内外から約一万五千二百七十人(主催者発表)が参加した。十五日の復帰三十五年を前に、在日米軍再編で機能強化が先行し、住民への深刻な騒音被害が続く嘉手納基地の現状に抗議の意思を示し、新基地建設に反対を訴えた。参加者が手をつなぎ基地の包囲を目指したが、人数が足りず「鎖」はつながらなかった。

 同実行委は「準備不足などもあり、一部でつながらなかった」と説明した。嘉手納基地での包囲行動は二〇〇〇年七月以来四回目。普天間飛行場の包囲行動を含めると八回目となる。同実行委によると「鎖」がつながらなかったのは今回が初めて。

 包囲行動終了後、同実行委共同代表の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長は「一部につながらなかった所もあったが、約一万五千人の県民らが参加したことを評価したい。県民の意識は今の状況に無関心ではないと思う。これからも共闘、連帯して基地がなくなるよう頑張っていきたい」と述べた。

 この日、基地周辺では午後三時すぎから、参加者が「人間の鎖」で包囲を試みた。参加人数は同実行委が目標としていた約二万人に達しなかった。

 日米両政府は〇六年五月の在日米軍再編最終報告で、嘉手納基地の負担軽減に向け、F15戦闘機の訓練移転などで合意したが基地周辺では騒音被害が続いている。

 一方で、地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備や、最新鋭のステルス戦闘機F22の暫定配備などの機能強化に、周辺自治体が反発している。

基地のない平和な島への願いを込め嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する参加者=13日午後3時30分、嘉手納町屋良(大城弘明撮影)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141300_01.html

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