2007年5月5日(土) 朝刊 21面
嘉手納基地でF15緊急着陸
【嘉手納】米軍嘉手納基地で四日午前十一時二十五分ごろ、同基地所属のF15戦闘機一機が緊急着陸した。基地内の消防車などが出動したが、放水などはなく、同機は数分後に自力で駐機場へ移動した。
同機は北谷町砂辺方向から南側滑走路に進入。緊急車両や整備要員に囲まれ、一時騒然とした。同基地では「予防のための着陸で機体にトラブルはなかった」と説明。飛行については「通常訓練」としている。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705051300_07.html
社説(2007年5月5日朝刊)
[「最前線基地」計画]
県民無視も甚だしい
朝鮮半島有事の際、普天間飛行場が米軍のアジアにおける「出撃の最前線基地」になることを裏付ける米公文書が見つかった。
常駐するKC130空中給油機やCH53E輸送ヘリコプターなど七十一機に加えて、紛争が勃発したときはハワイや米本土の基地から百四十二機を段階的に配備。戦闘が激化した場合にさらに八十七機を追加し、計三百機で作戦を遂行する青写真である。
ピーク時には九十機を常時配備することも明らかにしている。
周囲が民間住宅地で囲まれた危険極まりない「普天間」に、現状の四倍を超えるCH46EヘリやAH1W攻撃ヘリなどを順次送り込むというのだから、身の毛がよだつ。
文書が作られたのは一九九六年に日米両政府で普天間飛行場返還に向けた協議が本格化した時期だ。
それなのに、ここには既に「普天間飛行場が返還された後も、朝鮮有事のための発進地を海兵隊と国連軍に提供できる基地を新たに指定」すると記されている。
これは名護市辺野古沖で合意された当初案は言うに及ばず、何としても代替施設は造らせるとする米軍の意思とみていい。であれば、キャンプ・シュワブ沿岸部に変更されたV字形滑走路を持つ「新基地」も同じだろう。
公文書から読み取れるのは「造るが勝ち。すべては状況に応じた運用の問題」とする米軍の傲慢な姿である。
島袋吉和名護市長はこの計画をどう受け止めるのだろうか。もちろん仲井真弘多知事も同様だ。
代替施設がこれからの問題であれば、「知らなかった」では済まされないからだ。市長と知事は市民、県民に対し公文書の内容を分析した上でどう考えるのか、説明する責任があろう。
計画について、米軍部が太平洋戦争で激戦の末に獲得した“権益”を普天間飛行場の返還で失うことを恐れ、同飛行場の有用性をことさらに強調したのではないかという見方もある。
県民の暮らしを破壊する嘉手納基地での未明の離陸をはじめヘリからの降下訓練など、既得権益を前面に押し出した強硬姿勢が目立つのは確かだ。
問題は、このような米軍の姿勢を黙認する政府の姿勢なのであり、もし米政府との間で県民の知らない取り決めがあるのであれば、すぐに情報を公開するべきだろう。
平和に暮らしたいと願う県民の願いを無視し、沖縄を最前線基地にしようとする米軍の思惑を私たちは絶対に認めるわけにはいかない。「普天間」の危険性の除去とは即時閉鎖である。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070505.html#no_1
2007年5月7日(月) 夕刊 6面
「南京大虐殺」を朗読劇で伝える
南京大虐殺での加害と、犠牲者への鎮魂をテーマにした朗読劇「地獄のDECEMBER―哀しみの南京」(主催・沖縄公演実行委員会)が六日、那覇市のパレット市民劇場で上演された。全国公演の一つで、七日午後七時からは沖縄市民劇場あしびなーで上演される。
劇団「IMAGINE21」=東京都=の渡辺義治さん、横井量子さん夫妻が出演。二人は約四百人の聴衆を前に、戦争にかかわった渡辺さん自身の父親と犠牲になった中国人のエピソードを朗読。来場者は気迫のこもった劇に引き込まれた。
渡辺さんは幼少期から、軍人だった父親が中国で犯した罪の大きさに恐怖心を抱いていた。日本が戦争で行った加害について伝えたいと、去年から同公演の制作を開始した。沖縄初公演について渡辺さんは「ひめゆりの映像を見たとき、南京の様子と同じだと感じたことがある。沖縄の人に少しでも何か伝えられたらいい」と語った。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705071700_05.html
2007年5月8日(火) 朝刊 26面
応募 昨年下回る/米基地従業員定期募集開始
駐留軍等労働者労務管理機構は七日、県内の米軍基地で働く従業員の定期募集を始めた。初日の受付件数は二百十二件(インターネット受け付け分を除く)で、昨年の三百二十一件(同)を大幅に下回った。米軍再編の基地雇用への影響が懸念される中、申し込みに訪れた人たちは、将来の不安よりも目の前の安定を求めているようだった。
募集要項の配布や受け付けをする同機構の那覇支部(浦添市城間)と同支部沖縄分室(沖縄市中央二丁目)、コザ支部(同市久保田三丁目)には、受け付け開始の午前九時から断続的に応募者が訪れた。
那覇支部に足を運んだ八重瀬町の無職男性(40)は「ハローワークから紹介を受けた。仕事が見つからず、機会があるなら挑戦しようと思った」と切実な様子だった。宜野湾市から塗装業の二男(27)のためにやってきたという女性(60)は「今の仕事に比べて給与が良く、安定している。米軍が再編されても多くの基地は残る。従業員もそれほど減らさないのでは」と語った。
名護市の男性(36)は「社会保険も整い、待遇が魅力的だ。英語はあまり話せないが、普天間基地移設を見越して、北部からの採用が増えるのでは」と期待をかけていた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705081300_05.html
社説(2007年5月8日朝刊)
[「見直し」有識者会議]
「解釈改憲ありき」の人選
「高い見識」を持っていても、一方に偏っていては国民の信頼を得ることはできないのではないか。
集団的自衛権行使に関する憲法解釈見直しを検討する政府の有識者会議のメンバーのことだ。十三人の顔ぶれは“解釈変更派”ばかりで、国民の不安を煽る人選と言わざるを得ない。
最初から「解釈見直し」が目的であれば、推して知るべしである。それにしても十三人中、集団的自衛権を認める委員が十二人、異を唱えるのが一人もいないのは、政府の会議として公平さを欠こう。
これでは、まとめられる方向性は決まっているではないか。安倍晋三首相がなぜ、そこまで恣意的な人選を行ったのか、疑問と言うしかない。
日米間の有事を想定した防衛指針(新ガイドライン)を決定したのは一九九七年。九九年には周辺事態法などガイドライン関連三法ができ、テロ対策特別措置法の成立は二〇〇一年だ。
武力攻撃事態対処法、改正自衛隊法、改正安全保障会議設置法が〇三年。〇六年に教育基本法が改正され、防衛庁も「省」に格上げされた。
国民の多くが改憲論議に異を唱えなくなったいま、首相自身が日本の針路を大きく“右側”に切る条件が整ったと見定めたのは確かだろう。
そのためには、米国との軍事同盟を強化するため集団的自衛権の行使が必要と考えたに違いない。
だが、見落としてならないのは、改憲に理解を示す国民も九条改正には疑問を呈し、ましてや集団的自衛権の行使に道を開くことには多くが反対しているという事実である。
与党を担う公明党の太田昭宏代表は会議について「右よりの、乱暴な議論をする人たちが多く入っているということを、多くの人たちが心配している」と述べた。
自民党内にも懸念する声は多い。当然であり、国民が疑念のまなざしで見ているのを忘れてはなるまい。
集団的自衛権に道を開く解釈改憲の行く手には、憲法前文と九条一項が持つ「不戦の誓い」を破り、二項の「戦力不保持」に大なたを振るう可能性も否めない。国民の不安はそこにある。
それにしても、自らの政治信条とはいえ、なぜこんなにも性急に「日本を戦争ができる国」に造り替えようとするのだろうか。
憲法の平和主義は私たちが過去の歴史を踏まえて築き上げた世界に冠たる理念だ。国際的信用もそれが根幹にある。有識者会議の論議には細心の注意を払い、「日本丸」を誤った方向に向けさせぬよう監視していきたい。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070508.html#no_1