沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(6月25日、26日)

 

2007年6月25日(月) 朝刊 1・23面

 

米軍艦、与那国に寄港

 

県・町の反対押し切る

 

 

 【与那国】米海軍佐世保基地(長崎県)所属の掃海艦ガーディアン(排水量一、三六九トン)とパトリオット(同一、二五〇トン)が二十四日午後、県内の民間港湾としては初めて与那国町の祖納港に入港、約百二十人の水兵が下船した。外間守吉町長が「反対」を表明、県が使用自粛を日米に申し入れたが、米軍は日米地位協定を盾に入港を強行した。

 

 

 艦内での会見で艦長らは、三日前から米海軍将兵二人が町内に入り、港の水深や水兵のための飲食、娯楽施設などを調査していたことを明らかにした。

 

 

 仲井真弘多知事は同日、「県が民間港湾の使用自粛を要請する中、祖納港を使用したことは遺憾。今後、緊急時以外は民間港湾を使用しないよう自粛を強く求める」との談話を発表した。

 

 

 祖納港には同日午後零時半にガーディアン、午後一時二十分にパトリオットがそれぞれ入港。埠頭の長さが足りないため並行して接岸した。

 

 

 岸壁では町内外から約百二十人が「入港反対」のシュプレヒコールを繰り返し、一時、米水兵らの下船を阻止したため、タラップ設置は入港後、三時間以上が経過した午後四時すぎにずれ込んだ。午後四時半には負傷した乗組員一人を那覇市内へ搬送するため下船させた。

 

 

 同日夕の艦内での記者会見でスティーブン・デモス艦長らは、今回の寄港について「数カ月前から予定されていた」と説明。両艦船の乗組員は九十人ずつで計百八十人。

 

 

     ◇     ◇     ◇     

 

 

入港強行 島二分

 

 

 【与那国】与那国町の祖納港に二十四日、県内の自治体で復帰後初めて米軍艦船が入港した。灰色の掃海艦が姿を見せると、シュプレヒコールを繰り返す労働組合や平和団体の中で、抗議行動に不慣れな島の高齢者らも拳を上げた。「地域振興のためならやむなし」と入港を静かに見守る町民も。外間守吉町長は反対を表明、一方で崎原孫吉町議会議長は艦内での夕食会で「懲りずに来てほしい」と歓迎の意を示すなど、人口千七百人の島の「指導者」の対応も真っ二つに分かれた。反対住民らの座り込みによって米軍のタラップの取り付けは二時間ほどずれ込んだ。

 

 

 数隻の漁船が停泊していただけの港は、正午前から慌ただしさを増した。米海軍掃海艦寄港のために前日から停泊していたタグボートが出港。約十五分後に最初の掃海艦「ガーディアン」がゆっくりと船体を現した。「与那国から出て行け」―。住民らの抗議のボリュームが上がった。

 

 

 戦時中を与那国島で過ごした牧野トヨ子さん(84)は「昔のようなことを繰り返してはいけないと思い、ここに来た」と語った。祝い用のかまぼこを頭に載せ、運んでいる途中、米軍の空爆を受けた経験があるという。「軍のやることを許せば、少しずつ慣らされてしまう」と力を込めた。

 

 

 寄港に反対する住民の会の新崎長吉共同代表(65)は「住民を無視した友好親善はあり得ない」と強調。女性の会の請舛姫代さん(52)は「子どもに昼ご飯を炊けないが、あなたを戦争に行かさないために、お母さんは港に行くと言ってきた。入港を断じて許さない」と声をからした。

 

 

 抗議集会を数メートル先で見ていた元町助役の崎原用能さん(60)は、那覇市から取り寄せた星条旗を三日前に港に設置した。「宮古や石垣の方が港の整備は進んでいるので、与那国が軍事拠点になることはない。使いたいときに大いに使ってもらって、いいのでは」

 

 

 崎原議長が役員を務める海運会社は、タラップの設置など、入港の準備をする下請けに入った。「自分は商売人だから」と前置きした上で、「米軍が来ることで、島の民宿もレンタカーも予約がいっぱいになった。島が潤うから、私ははっきりと賛成する」と語った。

 

 

 「米軍には一切協力しない」という外間町長の意向を受け、港に町職員の姿はなかった。

 

 

 乗組員の上陸を阻止しようと、掃海艦の前で座り込みを続ける反対住民らを説得するよう、在沖米国総領事館や外務省が港湾管理者の県に要請。県が住民らと話し合ったが、タラップの取り付けは米軍の計画より二時間ほどずれ込んだ。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706251300_01.html

 

 

琉球新報 社説

 

与那国に米掃海艦・町民の不安が募るだけ

 

 佐世保基地を拠点とする在日米海軍の掃海艦2隻が日本最西端の与那国島・祖納港に寄港した。米艦船の県内民間港への寄港は復帰後、初めてである。米側は「親善・友好と乗組員の休養」と日本側に通知しているが、本紙が入手した海軍の港湾情報調査票には港湾周辺や島内の状況をつぶさに調査する項目が並び、情報収集の色合いが濃い。

 台湾有事をにらんだ米軍の民間港利用への布石だとしたら、疲弊する辺境の地を脱し、国境の島としての自立モデルを目指す与那国町にとって看過できまい。距離的に近く、歴史的に交流もある台湾とは友好関係を構築中だ。米艦船の寄港がいたずらに台湾・中国側を刺激しないか心配だろう。

 加えて今回の寄港は、町民生活まで細かく調べ上げられる可能性が否定できないという。実際、島内には艦船の入港を前に海軍の先遣隊らしき男性らが入り込んでおり、祖納港に近い集落の飲食店では米兵らしき男性らが客の収容規模などを尋ねたりする様子が確認されている。

 外間守吉町長は「親善・友好と言いながら、島内を調査しているのは非礼だ。町内を巡回するのはやめてほしい」と不快感をあらわにした。現時点で米兵と町民との間で大きなトラブルが起きているわけではないが、米側の真の狙いがいまひとつはっきりしないだけに、町民が不快感や違和感を覚えるのは当然だろう。

 与那国町は昨年10月、政府の第十次構造改革特区募集に「国境交流特区」を提案した。キャッチフレーズに「自立・定住できる日本のフロント・アイランド」を掲げており、ことし3月の与那国空港拡張式典では那覇直行便に加えて台湾、東南アジアを結ぶ国際航空路開設への夢が膨らんだ。

 そんな矢先の艦船寄港である。寄港が恒常化し、与那国島で軍事色が強まれば観光入域客数の伸長やアジア各国との交流拡大に少なからず影響が出よう。それは島が目指す本来の姿ではない。有事対応の島ではなく、有事と縁のない島にしていく努力こそが求められている。

 

 

(6/25 9:46)

 

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24906-storytopic-11.html

 

 

2007年6月25日(月) 夕刊 5面

 

戦争への憤り一冊に/札幌市の今倉松男さん

 

弟失った沖縄戦 戦跡巡り実相学ぶ

 

 

 沖縄戦で弟や師範学校の同窓生計二十五人を失った男性が札幌市にいる。元小学校教員の今倉松男さん(88)。今倉さんは今年三月、戦跡巡りや自主学習をもとに沖縄戦の実相をまとめた編著「歴史に学ぶ」を自費出版。二十三日には同市内で営まれた沖縄戦の戦没者慰霊祭に出席し、平和への決意を新たにした。(上原綾子)

 

 

 旧陸軍伍長だった弟の一雄さんは一九四五年五月、現在の南風原町付近で戦死した。帰りを待ちわびる家族が悲報を知ったのは約一年半後の春。戦死公報とともに戦闘帽と石ころの入った白木の箱が届いたという。

 

 

 沖縄戦戦没者のうち、沖縄を除く出身地別の兵士の数で北海道は圧倒的に多い。一雄さんや札幌師範学校の同窓生らが最期を迎えた地を確かめようと、今倉さんは九八年と九九年の二度、沖縄を訪問。本島各地の戦跡や慰霊の塔、資料館などを歩き回った。

 

 

 「歴史―」はその際のメモや沖縄戦を取り上げた文献、新聞への投稿記事などを構成して制作。全編ほぼ手書きで、八年をかけて完成させた労作だ。「書き進めるほどに戦争への憤りが込み上げてきた。二十一世紀を担う若者にどうしても伝えたかった」

 

 

 慰霊の日には、札幌市の藻岩山のふもとであった四十三回目の「沖縄戦戦没者慰霊祭」にも出席。道内出身の約一万八百人の犠牲者の名が刻まれた碑を前に、今倉さんは「多くの犠牲の上に、平和な生活があることをかみしめた」と話した。

 

 

 「歴史に学ぶ」は八百二十九ページ。

 

 

 問い合わせは今倉さん、電話011(661)4331。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706251700_03.html

 

 

2007年6月25日(月) 夕刊 4面

 

来年3月までに判決/米ジュゴン訴訟

 

原告側弁護士那覇で報告会「基地反対の武器に」

 

 

 米軍普天間飛行場の移設に絡み、日米の自然保護団体が米国防総省に名護市辺野古沖のジュゴン保護を求めて米連邦地裁で争われている訴訟の報告会が二十四日夜、那覇市の八汐荘で開かれた。来日した原告側の弁護士は、来年三月ごろまでに判決が出るとの見通しを示した。

 

 

 米環境法律事務所「アースジャスティス」のマーティン・ワグナー、サラ・バート両弁護士は「勝訴しても即座に基地建設が中止されるわけではないが、反対運動の強力な武器になる」と説明。ジュゴンへの影響を緩和するため、国防総省に環境影響評価や地元の専門家からの意見聴取が義務付けられ、計画変更も想定されるとした。

 

 

 原告側は五月、主張は尽くしたとして、地裁に判決を出すよう申し立てた。九月の口頭弁論で結審し、その後半年以内で判決が出る見通し。

 

 

 報告会には約三十人が参加し、活発に意見交換した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706251700_04.html

 

 

2007年6月26日(火) 朝刊 24面

 

オーバビー名誉教授「9条の精神 世界へ」

 

 米国で「第九条の会」を創設し平和憲法の精神を普及しているチャールズ・オーバビーさん(81)=米オハイオ大学名誉教授=が二十五日、宜野湾市の沖縄国際大学で「憲法改悪で日本はどう変わるか」と題した憲法講演会を開いた。オーバビーさんは、国民投票法や米軍再編推進法の成立などに危機感を募らせ、二十二日に来沖した。

 

 

 講演には学生ら約四百五十人が詰め掛けた。オーバビーさんは、改憲について「憲法九条がいつまで持ちこたえられるか、絶望の危機にきている。アメリカは日本の領土や軍隊を使って戦争できるようにしようとしている」と安倍政権の動きに危機感を募らせた。

 

 

 また、「憲法九条は日本だけのものではなく、全世界のものにするべきだ。日本国民の九条を大切にする気持ちを世界に伝えてほしい」と訴えた。

 

 

 自身も朝鮮戦争のころ、パイロットとして空爆作戦に動員された。現在は「平和のための退役軍人の会」で、暴力を使って国際問題を解決することをやめさせる活動をしている。

 

 

 講演では、核不拡散条約について「日本は唯一、核に攻撃された国。日本がリーダーシップを取って核不拡散条約を広げていくことが重要だ」と呼び掛けた。

 

 

 講演会実行委員を代表し、沖縄戦の語り部の安里要江さん(86)は「教科書から沖縄戦の日本軍関与が削除された問題も過去の戦争を歪曲しているものであり、憤りを感じる。九条を守り抜き、未来の子どもたちが戦争のない安心した暮らしが送れるようにしたい」と話した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261300_04.html

 

 

沖縄タイムス 社説(2007年6月26日朝刊)

 

 

[米艦船・与那国寄港]

 

やはり理不尽で許せない

 

 「友好親善」という美辞の裏には「軍事調査」という牙が隠されていた、というべきだろう。米海軍佐世保基地(長崎県)所属の掃海艦ガーディアンとパトリオットの初の与那国寄港のことである。

 

 

 日本最西端の国境の島への寄港目的を米軍は「乗組員の休養と友好親善」と触れ込んだ。

 

 

 だが、実際は民間港湾の状況、燃料の調達方法、給水、医療や通信施設、クラブ、レストラン、ホテルの状況、はては「寄港反対運動」などの住民調査も盛り込まれていた。

 

 

 石垣市、竹富町を含め八重山の各離島は、中台紛争の台湾海峡有事の際、在留邦人や米国人の非戦闘員、台湾の避難民などの緊急避難先として利用される可能性が極めて高い。

 

 

 今回の米艦船の与那国寄港には、台湾海峡を間近に見据える与那国島を「布石」に、米軍が石垣港を軍事利用したいという意図が見え隠れしている。

 

 

 与那国の祖納港の現状は、掃海艦よりさらに大きい艦船は入港できない。しかし、石垣港なら台湾海峡にほど近く、検疫や出入国管理施設も備わり、大型艦船が入港できるからだ。

 

 

 二隻の掃海艦は、外間守吉与那国町長の「反対」や港湾管理者である県の「自粛要請」を押し切り、祖納港にあえて「接岸」し、艦内を一般公開した。その狙いが、町民の「軍事アレルギー」を解消、緩和させることにあるのは言うまでもない。

 

 

 米軍のやることを許せば、慣らされてしまいかねない、のは多くの県民が肌で感じているはずだ。日本政府も寄港の見返りにいずれ地域振興策を持ち出し、住民を懐柔するのは目に見えている。これから先がもっと危うい。

 

 

 外間町長は寄港に反対したが、崎原孫吉町議会議長は艦内での夕食会で歓迎の意を示すなど、人口千七百人の島の指導者の対応が分かれているのも悲しく、複雑な現実といえる。

 

 

 同町は、地理的に石垣島より近い台湾との交流拡大を目指し、チャーター船など外国船を受け入れる「開港」を日本政府に求め続けてきた。

 

 

 しかし、検疫や出入国管理の施設がなく、貨物量の実績も少ないため、開港されないのが現状だ。

 

 

 片や、米艦船は開港、不開港を問わず、国内の民間港湾に無料で入港する権利を日米地位協定第五条(港または飛行場への出入国)が保障している。

 

 

 民間港湾に限らず、民間空港も必要なときには無料で「自由使用」できるようになっており、米軍だけは常に特別扱いである。

 

 

 やはり、理不尽であり許せない。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070626.html#no_1

 

 

2007年6月26日(火) 夕刊 1面

 

「広義の軍関与あった」/仲里副知事が言及

 

 県議会(仲里利信議長)六月定例会の代表質問が二十六日午前、緊急入院した仲井真弘多知事が欠席する中、始まった。高校歴史教科書の文部科学省の検定で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除、修正された問題について、仲里全輝副知事は「当時の教育を含む社会状況の総合的な背景および戦時下における極限状態の中、直接的な軍命があったかどうかは定かではない」との認識を示した上で、「手りゅう弾が配られるなど広い意味での日本軍の関与があったと思う」と述べ、「軍命」の有無に言及した。

 

 

 冒頭、仲里副知事は、二十四日に緊急入院した仲井真知事の容体や入院に至った経緯などを報告。「仲井真知事は二十三、二十四の両日、病院で精密検査を受けたところ、ごく軽度の脳梗塞と分かった。知事は県議会、県民の皆さまに多大な心配とご迷惑を掛けたことを心苦しく思っている。県議会を欠席することを知事に代わり、深くおわび申し上げる」と陳謝し、知事が代表・一般質問に欠席することへの理解を求めた。

 

 

 米軍再編推進法に基づく再編交付金制度について、上原昭知事公室長は「米軍再編に伴い負担が増加すると認められる市町村に対し、交付金を交付するもので、対象となる市町村の地域振興に寄与するものである」との考えを示した。

 

 

 残り五年となった沖縄振興計画終了後を見据えた「沖縄二十一世紀ビジョン(仮称)」の策定について、仲里副知事は「沖縄の進むべき方向を明らかにする基本構想。この基本理念を踏まえ次期計画の在り方を検討する」と述べ、県独自の計画策定への意欲を示した。いずれも安里進氏(自民)への答弁。

 

 

 午後は親川盛一氏(自民)が登壇する。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261700_01.html

 

 

2007年6月26日(火) 夕刊 1面

 

抗議の中 米軍艦出港/与那国

 

 【与那国】与那国町の祖納港に二十四日入港、停泊していた米海軍佐世保基地(長崎県)所属の掃海艦ガーディアン(排水量一、三六九トン)とパトリオット(同一、二五○トン)が二十六日午前七時すぎ、出港した。寄港に反対してきた住民や労働組合、平和団体のメンバーらが同港に集まり、抗議した。

 

 

 ケビン・メア在沖米国総領事は出港後、「米海軍がこの地域の安全保障に貢献していることを示すことができた」と成果を強調。今後の与那国や石垣などへの入港について、「海軍の将来的な運用はコメントできないが、日本国内の港であれば入港する可能性がないとは言えない」と語った。

 

 

 出港後の行き先は明らかにしていない。両艦の艦長らは二十四日の記者会見で「通常の訓練に向かう」と話していた。

 

 

 寄港に反対する住民の会の新崎長吉共同代表(65)は「入港を強行しただけでなく、上陸したことで、酒を飲んで暴れないかなど、不安な夜を過ごした。シャツを着ずに裸で歩く水兵もいた。住民の暮らしの場という意識もなく、何が友好親善だ」と憤った。

 

 

     ◇     ◇     ◇     

 

 

掃海艦の寄港「安保上重要」/照屋氏質問に政府答弁書

 

 

 【東京】政府は二十六日に閣議決定した答弁書で、米海軍掃海艦二隻の与那国町への寄港について「米軍の円滑かつ効果的な活動を確保し、もって日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約の目的達成のために極めて重要」との見解を示した。照屋寛徳衆院議員(社民)の質問主意書に答えた。

 

 

 同町が台湾との交流促進を目指し、クリアランス船などの入港に関する要件緩和を盛り込んだ「国境交流特区」構想を国に申請しているが、安全上の理由などで却下されており、照屋氏は「台湾からのクリアランス船の入港を拒みながら、一方で米海軍掃海艦の入港を認める理由」を質問。

 

 

 これに対して答弁書は「台湾からの船舶についても、関税法および検疫法の規定に基づく許可を受けて入港することは可能」とし、あくまで現行法の枠内で対応できるとの見解にとどまった。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261700_02.html

 

 

2007年6月26日(火) 夕刊 5面

 

この写真ダレデスカ?/沖縄戦で戦死の日本兵所持

 

 【北中城】沖縄戦で戦死した日本兵が所持していた写真四十七枚が、従軍した元米兵の孫で米軍嘉手納基地所属のロナウド・ストリッケルさん(33)から特定非営利活動法人(NPO法人)「琉米歴史研究会」に寄贈された。同会の喜舎場静夫理事長は「何とか遺族の元に返したい」と、ホームページに写真を掲載するとともに持ち主につながる情報提供を呼び掛けている。

 

 

 寄贈された写真は六年前に七十二歳で亡くなったロナウドさんの祖父のジーン・ロイスさんが、一九四五年の沖縄戦で、沖縄本島で死亡していた日本兵のポケットに入っていたのを手に入れた。

 

 

 祖母のエバンさん(71)から譲り受けたロナウドさんが、北中城村中央公民館で行われていた写真展「笑顔が戻ってきた日」(主催・村など)のことを知り、二十四日に企画者である喜舎場理事長に手渡した。

 

 

 戦死した日本兵の家族が写っているとみられる写真、軍服姿で馬に乗ったり山の景色をバックに記念撮影した兵隊の写真などが「陸軍恤兵部」と書かれたアルバムに収められている。

 

 

 多くの写真には文字などが書かれていないが、中には「昭和十六年十月、徳吉静子さん退職記念」と書かれた集合写真、クンジーと呼ばれる着物を着た女性が幼い子と一緒に写った写真の裏に「昭和十七年二月十九日受け取り」と書かれたもの、若い母親と赤ちゃんとみられる写真の裏には「旧一月三日、生後二カ月を記念して」と書かれたものがある。

 

 

 連絡は同会、電話098(895)7109。ホームページはhttp://www.ryubei.com

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706261700_04.html

 

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