沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(7月6日)

2007年7月6日(金) 朝刊 1面

 

「軍命受けた」助役明言/妹2人が初めて証言

 

座間味「集団自決」45年3月25日夜

 

 

 沖縄戦時下、座間味村で起きた「集団自決(強制集団死)」で、当時の助役が「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」と話していたことが、助役の妹二人の証言で六日までに分かった。当事者が初めて証言した。「集団自決」の軍関与が教科書検定で削除され、軍命の有無をめぐる裁判が進む中、日本軍の軍命を示す新証言として注目される。(編集委員・謝花直美)

 

 

 証言したのは「集団自決」で亡くなった当時の座間味村助役の宮里盛秀さんの妹・宮平春子さん(80)=座間味村=と宮村トキ子さん(75)=沖縄市

 

 

 座間味島への米軍上陸が目前となった一九四五年三月二十五日夜。春子さんら家族と親族計三十人が避難する座間味集落内の家族壕に、盛秀さんが来た。父・盛永さんに対し「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するよう言われている。間違いなく上陸になる。国の命令だから、潔く一緒に自決しましょう」というのを春子さんが聞いた。午後十一時半に忠魂碑前に集合することになったことも伝えた。

 

 

 集合時間が近づき、壕から出る際、トキ子さんの目前で、盛永さんは盛秀さんを引き留めようとした。盛秀さんは「お父さん、軍から命令が来ているんです。もう、いよいよですよ」と答えた。

 

 

 その後、盛秀さんは産業組合壕へ移動。同壕の「集団自決」で盛秀さんら家族を含め六十七人が亡くなった。

 

 

 当時、盛秀さんは防衛隊長も兼ね、軍の命令が村や住民に出されるときには、盛秀さんを通した。

 

 

 春子さんもトキ子さんも、沖縄県史や座間味村史の編集作業が行われた七〇―八〇年代に同島におらず、証言の機会がなかった。

 

 

 座間味島の「集団自決」の軍命を巡り、岩波書店と大江健三郎さんが名誉棄損で訴えられた「集団自決」訴訟では、元戦隊長が、助役が軍命を出したと主張。さらに訴訟資料を参考に文科省の教科書検定で、「集団自決」記述に修正意見がつき、日本軍関与が削除されている。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707061300_01.html

 

 

 

2007年7月6日(金) 朝刊 1面

 

「集団自決」再び意見書 県議会委可決

 

 高校歴史教科書の沖縄戦記述から「集団自決(強制集団死)」への日本軍関与が削除された教科書検定問題で、県議会の文教厚生委員会(前島明男委員長)は五日、検定意見撤回と「集団自決」の記述回復を拒否する文部科学省の対応を批判、あらためて検定意見撤回と記述の回復を求める意見書案を全会一致で可決した。文科省への強い不満を表し、記述回復に向けた要請行動をさらに強化するのが目的。文案の最終的な調整を行い、十一日の最終本会議で可決される見込み。県議会は六月二十二日に検定意見の撤回などを求める意見書を全会一致で可決した。県議会事務局によると、同一の問題で、一定例会中に二度の意見書を可決するのは初めて。

 

 

 文厚委では、安里カツ子副知事らとともに県内の行政・議会六団体代表の一人として四日に文科省などに要請した仲里利信議長が同省の対応などを説明した。仲里議長は「県民代表が検定意見を撤回させる強い決意で要請したが、文科省は審議官が対応し、『教科図書検定調査審議会が決めたことに口出しできない』と撤回を拒否した。撤回に向けて、再度、意見書を可決し、要請する必要がある」とした。六日に予定されている渡嘉敷、座間味両島への視察中、文案の最終的な調整を行うことを確認した。

 

 

 意見書案は、県議会や県内四十一市町村の全議会で意見書を可決したことを受けて県、県議会、県市長会、県市議会議長会、県町村会、県町村議会議長会の代表ら六人の要請に対し、文科省が意見書撤回と記述の回復を拒否した経緯を明記し、「同省の回答は容認できない」と批判した。

 

 

 県議会や県内四十一市町村のすべての議会で意見書が可決されたことを挙げ、「県民の総意が明らかにされたことに対する重みへの配慮が十分でなかったことは遺憾」と訴えた。さらに「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実。沖縄戦の実相を正しく伝え、悲惨な戦争を再び起こさないようにするため」と検定意見撤回と記述の回復を再度要請している。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707061300_02.html

 

 

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月6日朝刊)

 

 

[検定撤回要請]

 

まっとうな見解が聞きたい

 

 県議会と県内四十一のすべての市町村議会が足並みをそろえて意見書を採択し、県、県議会、県市長会、県市議会議長会、県町村会、県町村議会議長会の六団体が連名で政府に要請した。めったにないことである。

 

 

 教科書検定で、沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」の記述部分に検定意見が付され、日本軍関与の表現が削除・修正させられたことについて、要請書はこう指摘している。

 

 

 「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」

 

 

 「筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた沖縄県民にとって、今回の削除・修正は到底容認できるものではない」

 

 

 簡にして要を得た文章だ。沖縄戦を体験したウチナーンチュの、掛け値のない思いが盛り込まれている。

 

 

 だが、政府が今回の要請の重みを正面から受け止め、真摯に対応したとは言い難い。

 

 

 伊吹文明文科相への面談申し入れにもかかわらず、応対したのは、大臣でもなく副大臣でもなく、事務方のトップでもなく、審議官であった。

 

 

 文科省の布村幸彦審議官は「教科書用図書検定調査審議会が決めたこと」だと説明したという。

 

 

 その一方で、鈴木宗男衆院議員の質問主意書に対して、政府は三日、「沖縄戦の実態について誤解を生じる恐れのある表現に適切に検定意見を付した」との答弁書を閣議で決めている。

 

 

 六月二十三日の慰霊の日に、安倍晋三首相は記者団からこの問題を問われ、自身の見解を述べるのを避けた。私たちが聞きたくて知りたいのは、安倍首相の見解である。

 

 

 果たしてどの部分が「適切」なのか。沖縄の要請に対してどう思うのか。教科書の元の記述と日本軍関与の表現を削除・修正することと、果たしてどちらが「沖縄戦の実態について誤解を生じ」させることになるのか。

 

 

 実は、「集団自決」については、軍の関与を国として認定し、援護法を適用したケースがある。援護法がらみの軍関与の肯定と、教科書検定がらみの軍関与の記述削除という二重基準を、国はどう説明するのか。

 

 

 今回の教科書検定問題を通してあらためて思うのは、沖縄戦に関する正確な事実をできるだけ数多く、幅広く記録・保存し、戦争の実相を後世に語り継ぐことの大切さである。「集団自決」に関する再調査や県民大会、体験者の話を聞く県民向けのシンポジウムなどを検討してもいいのではないか。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070706.html#no_1

 

 

 

琉球新報 社説

 

小池新防衛相 信頼される省への転換を

 

 初の女性防衛大臣に4日、小池百合子前首相補佐官が就任した。沖縄担当相も務めた新大臣だが、普天間移設問題では、早くも「日米合意案」を強行する構えだ。「沖縄にとっては厳しい大臣」との批判も出ている。新大臣にはまず「聞く耳を持つ大臣」への転換を促したい。

 近ごろの防衛省には、違和感と危機感を感じる国民も多いだろう。

 外敵を監視するかと思いきや、国民を監視していた情報保全隊の問題。防衛施設庁では談合事件、自衛隊幹部の機密情報持ち出し問題もあった。

 普天間移設問題では、辺野古沖の環境調査に掃海母艦を派遣し、「国民に大砲を向ける暴挙」との批判も受けた。

 教科書検定では、沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制に関する記述の削除問題で、久間章生前防衛相が軍命の有無を問われ「そんな昔のことは私は知りません」。揚げ句は「防衛省は日本軍のことを引き継いだわけでない」とやる。

 過去や歴史に学ばない。そんな姿勢や認識だから、今なお原爆症で苦しむ多くの国民の存在が頭から消えている。だから、ついには原爆投下も「しょうがない」との発言が飛び出す。

 平時においてさえ、この程度の認識。有事においては、果たしてどうなることか。これでは、「一体、自衛隊は何から何を守っているのか」「有事に国民を守れるのか」との疑問や不信の声が上がるのも、しょうがない。

 「軍は民を守らない」のが沖縄戦で県民が学んだ教訓である。そして、普天間移設問題では「自衛隊は国民に大砲を向けてまでも、米軍基地建設を強行する」という悲しい現実を目の当たりにした。

 歴史に学ばず、国民の声に耳を貸さない。だから久間前防衛相は舌禍を起こした。辞任会見でも「しょうがない」を繰り返すあたりは、舌禍ではなく“確信犯”とみられても、しょうがない。

 そんな大臣の後だ。小池新大臣には、まず「民の声」を聴く耳を、そして真摯(しんし)に歴史と向き合い、沖縄戦の史実を知ってほしい。

 防衛省・自衛隊は国民を監視せず、国民監視の下で、国民に銃を向けず、国民の側に立ち、国民の安全と豊かさを、国を守る本務を全うしてほしい。その改革の指揮を小池新大臣が担う。期待は重い。

 在沖米総領事館は「前大臣より話しやすい。移設問題に追い風」と小池新大臣を歓迎する。一方で、内閣府幹部すら「沖縄には厳しい大臣の就任」と受け止める。

 沖縄担当相として、かりゆしウエアの普及や離島・へき地への医師確保、北部振興策の継続に強い政治力を発揮した。次は基地問題。県民が望む真の解決策の実現に、持ち前の政治力の発揮を期待したい。

 

 

(7/6 9:59)

 

 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25227-storytopic-11.html

 

 

 

2007年7月6日(金) 夕刊 1面

 

「集団自決」の現場視察 県議会文厚委

 

 「史実のねじ曲げは絶対に許さない」。県議会文教厚生委員会(前島明男委員長)の全委員が六日、沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」があった慶良間諸島を訪れた。「集団自決」の現場を視察し、体験者の証言を聞くなどして、県議会でも「集団自決」への日本軍の関与を独自に検証し、文科省に検定意見撤回を再度、要請する。県議団は「軍の関与という事実を教科書から消させない」と思いを強くしていた。

 

 

 視察には、同委員会所属の県議や県職員計十六人が参加した。午前には渡嘉敷島を訪れ、心ならずも自ら命を絶つことを強制された三百二十九人の慰霊碑「白玉之塔」や、「集団自決」現場を視察した。

 

 

 「集団自決」の現場では、体験者の金城武徳さん(76)と吉川嘉勝さん(68)が当時の状況を語った。金城さんは「軍の命令があり、村民は集落から移動した。米軍の迫撃砲が着弾する中で村民が集合し、村長が『天皇陛下万歳』と叫び、手榴弾が破裂した」と証言した。

 

 

 吉川さんは「防衛隊員だった義兄が手榴弾を爆発させようとしたが、爆発しなかった。父は火をおこし、その中に手榴弾を放り込んで爆発させようと試みた」「母が『死ぬのはいつでもできるじゃないか。手榴弾を捨てなさい』と叫び、そうして逃げられた」と証言した。

 

 

 引き続き、渡嘉敷村中央公民館で金城さんらへの質疑応答があった。吉川さんは当時、村長の助手をしていた兄の「米軍上陸の直前、日本軍は村役場を通じて十七歳以下の少年に厳重に保管していた手榴弾を二発手渡した。一発は米軍に、もう一発は自決用にということだった」との証言を紹介し、「日本軍による指示、誘導、命令、場の設定がなければ『集団自決』は絶対になかった」と断言した。

 

 

 証言を聞き終えた前島委員長は「検定意見削除は県民の総意だ。文科省にさらに強く訴えていく」と話した。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707061700_01.html

 

 

 

2007年7月6日(金) 夕刊 1面

 

普天間 淡々と記述/07年版防衛白書

 

 【東京】二〇〇七年版防衛白書の沖縄関係の記述は、前年版に一年間の基地問題の動きを追記しただけで、目新しさはない。こう着状態にある米軍普天間飛行場の移設問題についても進ちょく状況を淡々と記述するだけにとどめている。

 

 

 前年版には、「普天間飛行場を県外に移設できないのか」などQ&A形式のコラム3本が掲載されたが、今回はなくなった。

 

 

 普天間移設関係で追記されたのは、昨年八月から開かれている普天間飛行場の移設に関する協議会の開催状況や名護市キャンプ・シュワブ沖での現況調査(事前調査)を開始したことなど。県、名護市が求めているV字形滑走路の沖合移動などに関する記述はない。

 

 

 このほか、昨年九月から米軍嘉手納基地に地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が配備されたことや読谷飛行場など基地返還の進ちょく状況が記されている。

 

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707061700_03.html

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