2007年7月8日(日) 沖縄タイムス 朝刊 25面
復帰35年 沖縄自立へ/超党派有志の会シンポ
琉球大学アメリカ研究センターと沖縄対外問題研究会は七日、シンポジウム「復帰三十五年を迎えた沖縄の課題」を
比嘉幹郎ブセナリゾート社長が「沖縄の自立的発展を目指して」をテーマに基調講演。「犠牲と差別の強要に対する反発だった」という沖縄の政治文化を挙げ、「自由は自立することで得られる。そのためには現在の依存社会からの脱却と、自分のことは自分たちで決めるという自治をやっていく必要がある」と述べた。
基調講演に続き、東江平之元名桜大学長、高良鉄美琉大教授、我部政明同大教授、高嶺朝一沖縄対外問題研究会会員を加えパネルディスカッションが行われた。東江さんは「復帰前後は人権や自治など、県民の間ではさまざまな動揺があった。人権は復帰によって改善されたが、自治の不安は最近の教科書問題などで再燃している」と指摘。「沖縄のアイデンティティーを守るためにも自治を強めていくべきだ」と強調した。
高嶺さんは「復帰と同時に沖縄も国政に参加したが、選挙をやればやるほど中央の利権が入り、沖縄の自立的発展の機会が失われているような皮肉を感じる」と危機感を示した。高良教授は「沖縄戦、米軍統治、復帰運動が現在につながっているという流れを今の若者に伝えることが大切。それが若い世代のエネルギーになる」と次世代に期待した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707081300_04.html
琉球新報 社説
防衛白書 いたずらに脅威あおるな
抑止重視の「存在する自衛隊」から、対処重視の「より機能する自衛隊」へ―。6日の閣議で報告、了承された防衛省になって初の2007年版防衛白書の特徴を一言で表現すると、こうなろうか。つまり、本来の自衛隊の役割であった専守防衛から一歩進めて、さらに海外派遣についても能動的に推進していく、ということだろう。白書は「国際的な安全保障環境のための国際社会の取り組みに主体的、積極的に参加することが重要な課題」と強調する。
しかし、そこにはなし崩し的なイラク派兵を中心とした、過去の海外派遣への総括・反省は見られない。いたずらに周辺国の脅威をあおって、軍事力の強化を強調するだけでは、国民の共感は得られまい。それだけでなく周辺のアジアの国々を刺激するだけだろう。
一方、沖縄に関しては、普天間飛行場代替施設の建設など、ほぼ06年版を踏襲する形となった。
冷戦時代の自衛隊は日米安保体制の下で、仮想敵国ソ連の脅威に対する抑止力として存在意義があった。冷戦が終結し、ソ連が崩壊した今、世界は国際的なテロ組織の台頭、北朝鮮による核実験と弾道ミサイル開発に象徴される大量破壊兵器の拡散という時代に突入している。このような時代背景に基づき、白書は国際平和維持活動(PKO)やイラク復興支援特別措置法などによる自衛隊の海外派遣が「付随的活動」から「本来任務」に格上げされた意義を強調している。紛争地における“主役”の地位を狙っているのだろうか。
省昇格をめぐっては当初、市民団体や識者などから「防衛庁のままで何がいけないのか」「シビリアンコントロール(文民統制)の堅持を」などとする批判や注文が噴出していた。これに、白書は「(統制が)弱まることはない」「諸外国は好意的」など、具体性がなく、批判にまともに応えたとは言い難い。
周辺諸国の脅威をあおり、逆に中国は「防衛省誕生」に警戒感を持つ。これでは、互いに不信感を増幅させるだけで、双方にとって決して好ましい結果はもたらさない。軍事力の強化だけでなく、お互いが防衛政策の透明性を高めていく中で、例えば防衛交流などさまざまな取り組みが求められる。
(7/8 9:53)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25276-storytopic-11.html
(7月8日 共同通信の配信記事)
沖縄で枯れ葉剤散布 60年代、米軍訓練場 退役軍人省文書で判明 ダイオキシン残留の可能性
【マニラ8日共同=舟越美夏】米軍がベトナム戦争で使用した、猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤を一九六一―六二年、沖縄の米軍北部訓練場(
米軍が沖縄に枯れ葉剤を貯蔵していたとの指摘はこれまでもあったが、貯蔵・使用が文書で認定されたのは初めて。文書は米軍が沖縄に枯れ葉剤を集積、ベトナムへの運搬基地としていたことをうかがわせており、現在も北部訓練場などの土壌にダイオキシンが残留している可能性もある。 同訓練場は九六年の日米両政府合意で面積七千八百ヘクタールのうち約四千ヘクタールの返還が決まっており、今月三日には一部返還に向けた工事が始まったばかり。
周辺一帯は「沖縄の水がめ」ともいわれる地域で、汚染除去問題などを契機に県民の反米感情が高まれば、米軍基地返還や移設をめぐる協議の行方にも影響を与えそうだ。
文書は後遺症の補償などを求めた元米兵に対する退役軍人省不服審判委員会の九八年一月十三日付の決定文。
決定文によると、元米兵は六一年二月から六二年四月まで輸送兵として沖縄に赴任。枯れ葉剤が入ったドラム缶の輸送やドラム缶に枯れ葉剤を注入する作業のほか、北部訓練場内とその周辺の道路脇の雑草除去のために枯れ葉剤の散布を行った。上官は枯れ葉剤の害については説明せず、防護服なども与えられなかったため散布の際、枯れ葉剤が身体や衣服に付着した。
元米兵は、このため前立腺がんになったと主張。決定は沖縄での枯れ葉剤使用を示す軍の公式書類はないとしたが、元米兵の証言内容や証拠は「矛盾がなく正当」とし、前立腺がんがダイオキシンを浴びたことに起因するのは確実として、補償などの権利を認めた。
周辺住民ら「初耳」 実態は不明のまま
米軍による枯れ葉剤の散布が判明した沖縄の米軍北部訓練場(
「米軍の毒ガス移送が大きな問題になったことは知っているが、枯れ葉剤の使用が問題にされた記憶はない」。一九七二年の沖縄の本土復帰前から琉球政府(現沖縄県庁)に勤務、基地問題にかかわってきた元幹部は話した。
ヤンバルクイナに代表される貴重な動植物が残る沖縄本島北部。人口が多い島の中南部へ水を供給する複数のダムもある。元幹部は「枯れ葉剤は後遺症の問題もあり、事実なら基地返還にも影響するはずだ」と指摘する。
同訓練場は一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で一部返還で合意。順調なら数年以内に返還されることになるが、米側には汚染除去などの義務はない。
隣接の同県
(共同=小宮伸太郎)
一帯は沖縄の水がめ
沖縄県環境審議会会長の桜井国俊沖縄大学長(環境学)の話 北部訓練場は沖縄県民の水がめでダムがつくられ続けており、その地帯で枯れ葉剤がまかれたということは重要な問題でたいへん気になる。枯れ葉剤に含まれるダイオキシンは環境の中では消えないからだ。米軍基地内で行われることは分かりにくく、枯れ葉剤の散布は県も知らされていないだろうし、われわれも知らなかった。
枯れ葉剤とは 猛毒ダイオキシンを含んだ除草剤。米軍はベトナム戦争中の1961年から約10年間、密林を拠点に抵抗を続ける南ベトナム解放民族戦線への対策として、密林を枯らす目的で空中から散布した。米コロンビア大などによると、同戦争でまかれた枯れ葉剤に含まれるダイオキシン総量は最大366キロ。ダイオキシンは自然界では分解しにくく、発がん性や、生殖器官などに悪影響を与える内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)としての有害性が指摘される。散布地域ではがんや先天性異常児、流産、死産などが多発。帰還兵にも被害が出ている。