沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(9月22日、23日)

2007年9月22日(土) 朝刊 1面

県内40首長参加へ/9・29県民大会

30自治体で実行委/「軍命明白」続々と

 二十九日に宜野湾海浜公園で開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に、県内四十一市町村長のうち四十首長が参加することが二十一日、沖縄タイムス社の首長アンケートで分かった。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の記述をめぐり、日本軍の強制が削除された問題については「軍命は明らか」などと厳しく批判。三十自治体が実行委を結成するなど、大会に向け機運が盛り上がっている。

 アンケートは十八日に質問文を送付、二十一日までに回答を得た。四十首長は県民大会や宮古、八重山の郡民大会に参加すると回答。多良間村長は村内行事のため欠席するという。

 日本軍の強制の記述削除を求めた文科省の検定意見について外間守吉与那国町長は「手榴弾は軍人の必需品であり、個人(県民)が持てる物ではない。軍命は明らかだ」と回答するなど、記述回復を求める意見が相次いだ。

 今年七月の県議会文教厚生委員会の聞き取り調査では、座間味村の「集団自決」体験者が軍命を証言した。仲村三雄村長は「軍の関与がなかったとは到底考えられない」と指摘。三百人余りが「集団自決」で命を落とした渡嘉敷村の小嶺安雄村長は「削除は納得できない」とした。

 読谷村の安田慶造村長は「真実を伝え、将来を正しく担う人間を育てなければいけない」と強調。新垣清徳中城村長は「児童・生徒に正しい判断力を身に付けさせるには、史実を正しく学ばせることが肝要だ」とするなど、教育面での影響に触れる首長も目立った。

 三十市町村は大会実行委を「発足した」または「今後発足する」と回答。宮古、八重山の五市町は郡民大会実行委に加わっている。「発足予定はない」とした自治体は、南北大東村や伊是名村、国頭村など。「防災無線で呼び掛けている」(宜野座村)との自治体もあり、ほとんどが住民に参加を促している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709221300_01.html

 

2007年9月22日(土) 朝刊 27面

5私大学長 撤回要求

 県内の私立五大学で組織する県私立大学協会(会長・桜井国俊沖縄大学長)は二十一日、文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」から日本軍強制の記述を削除させた問題で、検定の撤回と、記述の復活を求める声明を五大学の学長名で発表した。

 声明は、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」との演説文を引用。

 「(軍命はなかったという)一方の当事者の主張のみを取り上げ、教科用図書検定調査審議会の検討経緯が明らかにされていないことなど同省の回答は容認できない」と指摘した。

 桜井会長は「自らの過去を反省するドイツに対し、日本政府は教科書問題や『従軍慰安婦』など不都合な真実を消し去ろうとするのは許せない」と批判。沖縄キリスト教学院大学・沖縄キリスト教短期大学の神山繁實学長は、元同短期大学学長で体験者の金城重明氏(78)から何度も証言を聞いたとし、「この経験があるからこそ平和を希求したい。歴史の真実をゆがめても美しい日本はつくれない」と語った。

 沖縄国際大学の渡久地朝明学長、名桜大学の瀬名波榮喜学長も連名している。

 同協会は、学生や教職員にも県民大会への参加を呼び掛けている。


国立市議会が意見書

 東京都の国立市議会(生方裕一議長、二十四人)は二十一日、教科書検定問題で、文部科学省に検定意見の撤回を求める意見書を賛成多数で可決した。

 意見書は「集団自決(強制集団死)」について「日本軍の関与がなければ起こり得ず、記述削除は体験者の数多くの証言を否定するものだ」と批判。その上で「教科書検定問題は、国立市をはじめ全国民の問題。悲惨な戦争を起こさないためにも、沖縄戦の実相を正しく伝えることは重要」としている。

 あて先は衆参両院議長、首相、文科相、沖縄担当相。同市議会には市民二人が意見書可決を求める陳情を提出。この日の最終本会議で、賛成一二対反対一一で可決した。

 陳情者代表の阿倍ひろみさん(51)は「市民の良識が示された。本土でも運動の輪を広げたい」と喜んだ。


土佐清水市の議会も意見書


 豊見城市の姉妹都市・高知県土佐清水市議会(仲田強議長、十六人)は二十一日、九月定例会最終本会議で、教科書検定問題について検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決した。あて先は首相、文科相、衆参両院議長など。

 今月上旬に豊見城市から意見書可決に賛同を求める要望書を受け、議会内で協議。与野党の枠組みを超えた全会一致での可決につながった。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709221300_02.html

 

2007年9月22日(土) 朝刊 1・2面

海兵隊移転グアム輸送費 年8800万ドル/沖縄1万人残留

 米国政府説明責任局(GAO)は、十二日に発表したグアムでの米軍強化に向けた計画の課題などに関する報告書で、米海兵隊がグアムから兵士や装備を展開する際の戦略的輸送コストとして、年間約八千八百万ドル(約百億円)を見積もっていることを明らかにした。米海兵隊が将来、グアムをアジアなどへ展開する戦略拠点に位置付けていることが浮かぶ。同報告書では、グアム移転後は「沖縄に約一万人の海兵隊兵士とその家族が残るとみられる」と明言している。

 報告書は、米国防総省が「グアムと沖縄における部隊の最適な配備の組み合わせを検討中」と説明。沖縄からグアムへの移転が決定している海兵隊部隊として、第三海兵遠征軍の指揮部隊、第三海兵師団司令部、第三海兵後方群司令部、第一海兵航空団司令部、第一二海兵連隊司令部を提示している。

 一方、沖縄に残る部隊は「司令部、陸上、航空、戦闘支援および基地支援能力といった海兵空地任務部隊」の要素から構成される、としている。

 グアムの将来の役割としては「米四軍を統合した太平洋のハブ基地」との位置付け。

 米海軍は原子力空母の定期配備を視野に、支援施設整備を検討していると指摘。これに伴い、アンダーセン空軍基地に空母艦載機を一時的に駐機させる施設も必要になるとしている。また、米陸軍はミサイル防衛の機動部隊の常駐を検討。規模や部隊、インフラなどは未定だが、ミサイル防衛の配備場所はアンダーセン空軍基地も想定されているという。

 報告書は、米国防総省担当者がイラクやアフガニスタンでの軍事行動などで、グアムでの軍事強化に財源を確保できるかを困難視している実情を指摘。また、「沖縄で普天間代替施設が建設されなければ、海兵隊のグアム移転が遅れる可能性がある」とする同担当者の見解を紹介し、再編計画を実行させるためには普天間代替施設を完成させる必要がある―と強調している。


     ◇     ◇     ◇     

[解説]

戦闘部隊の拠点に


 米国政府説明責任局(GAO)のグアムでの米軍強化に関する報告書で、米海兵隊がグアムから展開する際の戦略的輸送コストとして、年間八千八百万ドル近くの追加経費を見積もっていることが判明した。報告書は、米国防総省がグアム島を含む北マリアナ諸島で海兵隊の訓練場候補地を調査していることも指摘。グアムには、沖縄から移転する司令部要員だけでなく、「機動力」が不可欠な海兵隊戦闘部隊の拠点としての役割を期待していることがうかがえる。

 昨年九月に米太平洋軍が公表した「グアム統合軍事開発プラン」は、沖縄と米本国から九千七百人の海兵隊が移転すると予測。今回のGAOの報告書で、グアムでの空地の戦闘部隊を含めた海兵隊の一万人規模の旅団新設が現実味を帯びる。

 ただ、報告書はグアムでの海兵隊の「運用上の課題」が克服されていないことも指摘している。

 グアムの海兵隊をアジア地域に派遣する際、沖縄から向かうよりも時間がかかると説明した上で、例として「海上輸送を必要とする有事作戦の際、グアムの兵士や装備を輸送するため、船舶を佐世保基地(長崎県)またはほかの場所から展開させる」としている。

 司令部などのグアム移転後も沖縄に残る31MEU(海兵遠征部隊)は、日常的に佐世保基地の強襲揚陸艦エセックスと一体となって活動している。

 これをグアムの部隊のためにも運用するのは、機動力の維持に支障が出かねない。このため報告書は、グアムでの輸送能力向上の必要性を強調している。

 また、米国防総省の分析では、グアムの訓練場は規模と実用性に欠け、要件を満たす射撃場は一つもないと結論付けていることも指摘。実弾射撃訓練や水陸両用車の上陸訓練は訓練地確保が困難とみられ、沖縄の既存訓練場がグアムの部隊に使用される可能性も否めない。

 米軍はグアム、ハワイ、沖縄の三角形の地域で柔軟な危機対応を企図しているが、グアムでの運用が軌道に乗れば、海兵隊が沖縄からグアムにシフトしていく可能性もある。

 米国防総省は「グアムと沖縄における部隊の最適な配備の組み合わせを検討中」としており、グアムと沖縄の海兵隊の「軍事バランス」が今後の焦点になりそうだ。(政経部・渡辺豪)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709221300_03.html

 

2007年9月22日(土) 朝刊 27面

「軍の論理」に憤り/嘉手納司令官発言

 【中部】米軍嘉手納基地司令官のブレット・ウィリアムズ准将は二十一日、嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協、会長・野国昌春北谷町長)が十一日の未明離陸に抗議したことに対し、改善の姿勢を示さず、「基地がある限り未明離陸は継続する」と突き放した。同准将は「何度も抗議や要請を受けている」「抗議があるのは沖縄だけ。(未明離陸は)十年後も続くだろう」と発言、継続して実施する姿勢を示した。

 発言を受け、同飛行場に隣接する自治体の首長や住民から「高飛車な発言で、軍は絶対という感覚の発言だ」と怒りの声が上がった。

 三連協の抗議に初めて応対した同准将について、野国町長は「住民の実害を軽減するよう求めても、『運用上の理由や経費的な問題がある』と話がかみ合わない。むなしさを感じた」と語気を強めた。

 沖縄市の東門美津子市長は「沖縄の実態を分かっていない。軍は絶対的だという感覚の発言だ」と憤る。一方で「ここで引き下がるわけにはいかない。騒音に対する抗議行動を粘り強く続けていく」と話した。

 長年、未明離陸の解決に取り組んできた嘉手納町の宮城篤実町長は「現地の司令官で改善できないのは分かっている。抜本的な解決には日米両政府が真剣に取り組む必要がある」と指摘した。

 同基地に隣接する嘉手納町屋良地区に住む宮城巳知子さん(81)は「終戦直後から、嘉手納(基地)は米軍の都合で運用され、住民は騒音や事件、事故の危険性と隣り合わせだった。この我慢はいつまで続くのか」。騒音が県内で最も激しい地区の一つ、北谷町砂辺地区に住む松田静造さん(78)は「爆音から逃げたくても、簡単に引っ越せない人もいる。住民の気持ちは米軍へ届いていない」と憤った。

 ヘリの騒音を避け、宜野湾市から沖縄市へ移り住んだという幸地幸広さん(38)。「いったいどこへ引っ越せばいいのか。同じ人間として怒りを覚える。飛行機の真下で暮らしたら分かる」と怒りをにじませた。


FA18また緊急着陸/ロケット弾残し

 【嘉手納】二十一日午前十時四十分ごろ、米海兵隊岩国基地(山口県)所属のFA18戦闘攻撃機一機が嘉手納基地を離陸前に装着したロケット弾一発を残したまま、同基地に緊急着陸した。

 目撃者によると、着陸後、数台の消防車が機体を取り囲み、一時騒然とした。兵器を担当する兵士が、左翼下のロケット弾装着部分を入念に点検していた。同機は着陸から約二十分後、自走して駐機場に戻った。

 FA18は今月十九日にも、別の機体がロケット弾一発を残し、嘉手納基地に緊急着陸した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709221300_04.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年9月22日朝刊)

[洋上給油活動]

見直しも選択肢のうち

 もし自民党が参院選に勝って参議院で過半数を占めていたら、テロ対策特別措置法の延長問題はどうなっていただろうか。おそらく十分な議論もないまま四度目の延長がすんなり決まったことだろう。

 自民党の惨敗で事態は一転した。

 シーファー駐日米大使は、野党の理解を得るため「決断に必要なあらゆる情報を提供する用意がある」と述べ、野党議員に対しても機密情報を開示する考えのあることを明らかにした。自民党が選挙に勝っていたら、そんな話も出なかったに違いない。

 国連安全保障理事会はアフガニスタンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)の任務を延長する決議案を賛成多数(ロシアは棄権)で採択した。

 この中には、アフガニスタンで米軍主導の「不朽の自由」作戦を行っている有志連合各国の貢献に対する「謝意」が盛り込まれている。

 この文言は日本などの働きかけで新たに挿入されたものだ。国連のお墨付きを得て、国内世論を動かし、民主党を説得する、ということなのだろう。

 参院選の選挙結果は、日本の政治状況をこれだけ変えたのである。

 この変化を「政治の混乱」と見る人もいるが、十分な議論もないまま強行採決を繰り返してきた政府与党の国会運営をあらため、議論を深める絶好の機会ととらえたい。

 テロ特措法は米中枢同時テロを受け、二〇〇一年十月に二年間の時限立法として成立した。これまでに三回延長を重ね、現行法は十一月一日で期限が切れる。

 防衛省によると、〇一年十二月の活動開始から八月三十日までに、十一カ国の艦艇に計七百七十七回、約二百二十億円相当の燃料を無償で提供してきた。米軍向けの給油回数が全体の半分近い。

 だが、これまで、詳しい活動内容は明らかにされてこなかった。どのような活動をしているのか国民には見えにくく、検証しようにもできないのが実態だ。

 海自から間接給油を受けた米軍空母がイラク戦争の空爆攻撃に参加したとの疑念も指摘されている。

 憲法が禁じる武力行使との一体化や集団的自衛権の行使に当たる活動実態がないのかどうか。依然として懸念が払拭されないだけに、詳細な情報開示が必要である。

 給油活動以外にアフガニスタン支援の選択肢はないのかどうか。この際、見直しも視野に幅広く議論すべきである。その場合にも当然のことながら憲法九条の存在が前提だ。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070922.html#no_1

 

琉球新報 社説

米軍司令官発言 異常さを理解できないのか

 午前4時半、就寝中に突然、猛烈な爆音にさらされたらどうなるか。自分の身に置き換えて考えれば、住民の苦痛がいかほどか容易に分かる。これが繰り返されれば、怒るのも当然である。

 しかし、米空軍嘉手納基地のブレット・ウィリアムズ第18航空団司令官には、このことが理解できないようだ。21日、北谷町、嘉手納町、沖縄市で構成する「嘉手納飛行場に関する3市町連絡協議会」(三連協)が、未明離陸について抗議した際、同司令官は「三沢や岩国では早朝や未明離陸を繰り返しても抗議はない。沖縄はなぜ抗議してくるのか」と質問したという。

 「なぜ」という問いには、数字で根拠を示せる。今月11日の嘉手納基地からの未明離陸の際、嘉手納町基地渉外課が「安保が見える丘」で騒音測定したところ90・1デシベルから最大で94・1デシベルを記録した。94デシベルというと、「騒々しい工場内」の騒音に相当する。8月28日の未明離陸では100デシベルを超え、最大で104・3デシベルに達した。異常な状態だ。

 未明の静けさの中で、いきなり切り裂くような爆音。司令官はこの状態を「正常」だと言いたいのだろうか。もしくは「我慢できる程度」だと住民に納得してほしいのか。ウィリアムズ司令官の無理解な発言はさらに続く。

 「何回も(中止)要請に来ているが、10年後も同じようなこと(未明離陸)が続くだろう」

 議会の決議、抗議行動が幾度もなされたが、ほとんど改善されない理由はこれだろう。改善の努力をしているが時間を要している、もしくは効果的な対策が見つからないのではなく、軍事最優先、住民生活犠牲はやむなしという姿勢なのだ。「10年後も」という表現は、今後も未明離陸をやめるつもりはないという意思の表れと受け取れる。

 米軍は重大事件が発生するたびに「良き隣人でありたい」と強調してきたが、今となってはむなしい言葉である。

 三連協は、全面飛行停止を要求しているのではない。基地の存在を現実的に判断し(1)午後10時から翌午前6時までの航空機飛行、エンジン調整の中止(2)他基地経由、時間調整による深夜・早朝飛行の回避|を求めただけなのだ。米軍が受け入れ難い要求だとは思えない。

 それさえ聞く耳を持たないという態度なら、米軍と、自治体・住民の対立の溝はいっそう深まろう。

 未明の離陸は絶対に認められない。米軍はすぐにでも考えを改めるべきである。ウィリアムズ司令官も発言を撤回してほしい。沖縄は米国の占領地ではない。

(9/22 10:02)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27392-storytopic-11.html

 

2007年9月22日(土) 夕刊 5面

授業前10分 教科書検定問題学ぶ/南風原高

 【南風原】二十九日に開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の意義を学ぼうと、南風原高校(識名昇校長)は二十日から毎朝の「読書タイム」に、全学年約九百人の生徒が教科書検定問題などを取り上げた新聞記事を読む取り組みを始めた。二十八日まで続ける。県民大会には教諭らが「読書タイム」などを通して学んだ生徒のメッセージを書き込んだ横断幕を掲げて臨む。幅約四メートルの横断幕に、同校九百人の平和への思いを託す。(仲本利之)

 高校生の視点で検定問題を考えようと、国語科の仲村将義教諭を中心に数人の教諭らが沖縄タイムスなどに掲載された記事をピックアップ。八時五十分から十分間の「読書タイム」に、黙読し各自で問題の背景などを考えている。

 一年五組(担任・具志堅忠教諭)では二十一日、約四十人が、渡嘉敷島で起きた「集団自決」について金城重明さんの体験を紹介する記事などを読んだ。

 上里真央さん(15)は「『集団自決』が起きたことを沖縄だけでなく、日本全体の問題として考えてほしい。本当に起きた事を正しく伝えていかなければ、次の世代は沖縄戦で何が起きたのか分からなくなってしまう」と危惧した。

 一方、普段から新聞を読まず、あまり関心を示さない生徒もいるという。国語科の兼久直教諭は「もし自分の好きな彼氏が殺され、後で『殺しはなかったことになりました』と言われたらどう思うか?」と生徒らに問い掛ける。

 「たとえ関心を示さない生徒でも、身近な人に置き換えて考えれば、無関心では済まされない事だと分かってもらえる」と話す。

 同校は二十九日に学園祭を開く。生徒らが県民大会に参加できるよう学園祭の延期も検討したが、中間試験やインターンシップなど過密日程を抱え日程変更を断念した。県民大会には生徒らに代わって教諭らが参加する。


     ◇     ◇     ◇     

95年県民大会の剰余金447万寄付

 一九九五年十月の米兵暴行事件県民総決起大会の嘉数知賢実行委員長は二十二日午前、那覇市内で、同大会の剰余金約四百四十七万円を「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会に寄付した。

 嘉数実行委員長は「文部科学省は(日本軍の強制という)教科書の記述を意識的に改めている。沖縄の正しい歴史を後世に伝えるため役立ててほしい」と期待した。

 剰余金を受け取った「検定意見撤回県民大会」の仲里利信実行委員長は「有効に利用し、活気ある大会にするために役立てたい」と感謝した。同実行委は、運営経費を約一千万円と見込んでいる。今回の寄付のほか、二十日までに個人や団体から協賛金約二百五十一万円が集まっている。

 同県民総決起大会の玉城義和事務局長らは「十二年間、使い道が決まらなかったが、超党派の県民大会という内容が合致していることから寄贈を決めた」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709221700_01.html

 

2007年9月22日(土) 夕刊 4面

県出身兵士の戦死場所特定/中国で沖大・又吉教授

 沖縄出身の日本軍兵士が一九一四年(大正三年)の中国での青島出兵で七人、二九年(昭和三年)の済南事件で三人が戦死し、そのうち六人が亡くなった場所を又吉盛清沖縄大大学院教授が現地で確認した。青島事件では中国のドイツ利権を狙って旧日本軍が山東半島に上陸。済南事件では、済南で日本軍と蒋介石の国民党軍が衝突した。又吉教授は「日本の中国侵略に沖縄出身者が組み込まれていった実態が明らかになった」としている。

 又吉教授は二日から九日まで中国で調査。青島事件で豊見城村(当時)出身者が戦死した青島要塞の中央堡塁跡、西原村(同)出身者が死亡した小水清溝と、竹富村(同)出身者が死亡した東呉家村という集落跡をそれぞれ確認。済南事件で死亡した首里市(同)、平良町(同)、久米島具志川村(同)出身の三人が死亡した済南病院跡も特定した。

 いずれも靖国神社の合祀台帳、熊本兵団戦史、当時の新聞などを基に兵士の氏名、出身地、死亡場所・年月日を調べ、現地で聞き取りした。残る四人の死亡場所は特定できなかった。

 又吉教授によると、日本は、南洋のドイツ領にも進出し、それが、南洋移民につながるとみる。又吉教授は「アジアとの交流を考えると戦場体験を知らないままではいけない。沖縄人の戦場体験を明らかにすることで、相互理解につながるのではないか」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709221700_06.html

 

2007年9月23日(日) 朝刊 1面

「集団自決」直後を記録 米軍の公文書発見

関東学院大林教授 外科病院資料は初

 慶良間諸島の「集団自決(強制集団死)」直後の状況を記録した文書を、林博史・関東学院大学教授が二十二日までに、米国立公文書館で発見した。米軍の部隊日誌には「年をとった男がやりの上に倒れ」て「集団自決」したことなどが、生々しく記録されている。移動外科病院の資料が初めて確認され、「集団自決」によると見られるけが人の数も記録されていた。林教授は「自決直後の生々しい状況が記録されており、直後の記録としては貴重」としている。(編集委員・謝花直美)

 文書は慶良間諸島に上陸した米軍の作戦報告や部隊日誌など九ページ。今年夏、林教授が見つけた。

 慶留間島を攻撃した米軍の野砲第三〇四大隊部隊の日誌では、一九四五年三月二十六日午後十二時半に上陸完了、午後四時から民間人を収容し始めた。午後五時に「幾人かの民間人は自決した」と「集団自決」を記録。「彼らは、アメリカ軍が彼らの妻や娘たちをもてあそび、男たちに拷問を加えることを恐れていた」と、恐怖が刷り込まれていたことを記している。

 翌二十七日午後三時には、十二人が「集団自決」したガマで救助された二歳ぐらいの女児の記述がある。「女性や子どもたちはひもで首を絞められ、一人の年とった男はできそこないのやりの上に倒れることによってハラキリを行った(中略)子どもは首を絞められていたが、まだ生きていた。大隊の軍医が、その子の首のひもで作られたひどい火傷を治療した」

 座間味島へ上陸した第六八移動外科病院の作戦報告では、二十七日午前十一時半、スタッフは上陸すると、すぐに救急治療を開始。「海岸には多数の負傷した民間人がいた。初日だけで二百人の民間人の負傷者を治療した」。翌二十八日午後七時、さらに渡嘉敷島から六十五人の負傷者が運ばれてきた。「(日本軍の)狙撃手から銃撃を受ける中、海岸で緊急治療を施した」。日本軍が民間人の生命に配慮しなかったことを示す。

 病院は六月十九日までに、米軍将兵二百十二人、捕虜五十四人、民間人二百九十一人を治療。民間人の症状内訳は、病気十九人、負傷百八十九人、戦闘による負傷八十三人だった。

 林教授は病院記録について「本来米軍将兵の治療が任務だが、将兵の治療より、沖縄の民間人の治療にあたったことが示されている。負傷者の多くが『集団自決』関係ではないか」と指摘している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709231300_01.html

 

2007年9月23日(日) 朝刊 21面

自身の映像に「証言したい」/那覇で上映・講演会

 二十九日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に向け、「ドキュメント沖縄戦」(主催・沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会)の上映会と講演会が二十二日、那覇市の久茂地公民館であった。県民大会を前に「集団自決(強制集団死)」に関する問い合わせが相次ぎ、無料の上映会を企画。六十七人が犠牲になった座間味村産業組合壕での「集団自決」後の映像が流れ、会場は重苦しい雰囲気に包まれ、すすり泣きが漏れた。一フィート運動の会の福地曠昭代表は「上映会で自身の映像を見て、証言したいと手を上げる新たな関係者も出てきている。こうした広がりを大会成功へつなげたい」と力を込めた。

 映像を見た座間味村慶留間島での「集団自決」体験者の與儀九英さん(78)=沖縄市=は「慶留間での悲惨な光景は頭に焼き付いている。映像を見て、むごたらしい惨劇が頭に浮かび複雑な気持ちになった」と声を落とした。「『集団自決』で未遂し、人相も変わるほど顔を腫らした人たちと一カ月ほど一緒に暮らしたこともある。何十年たっても忘れることはできない」と語った。

 上映会後、沖縄戦研究者の大城将保さんが「沖縄戦の真実とわい曲」と題し講演。沖縄戦の「集団自決」の記述から日本軍の強制が削除された文部科学省の教科書検定について、「靖国や従軍慰安婦などの問題で、旧日本軍の名誉回復を図ろうとする勢力が沖縄に乗り込んできた」と警鐘を鳴らした。

 その上で「彼らは沖縄戦を美化し、軍に責任はないと言いたいだけだ。自衛隊を強化するために、都合の悪い沖縄戦の真実にふたをしようとしている」と訴えた。

 検定問題の背景に、検定そのものの在り方と大阪地裁で起こされた「集団自決」訴訟の二つがつながっていると指摘。同訴訟で、座間味島駐屯の日本軍の戦隊長だった梅澤裕氏が軍命をめぐる著作での記述で名誉を傷つけられたと主張していることについて、「集団自決」で亡くなった当時の座間味村助役兼兵事主任の妹二人が、軍命があったことを初めて公の場で証言したことを挙げ、梅澤氏側の矛盾を突いた。

 大城さんは「人が人でなくなるほど極限まで追い詰められた沖縄戦の体験は底が深く、人前で語るには大変な勇気と心の整理が必要。体験者が黙っているのをいいことに軍命はなかったと言う人たちがいるが、体験者のこうした感情の理解なくしては沖縄戦の真実は分からない」と訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709231300_02.html

 

2007年9月23日(日) 朝刊 20面

声上げねば何も変わらず/9大学合同祭で討論会

 自分が行動しなければ、何も変わらない―。「第一回沖縄九大学合同大学祭」(主催・情熱大学実行委員会)の一環として、「学生沖縄サミット二〇〇七」討論会が二十二日、宜野湾海浜公園であった、県内の大学生七人が、文部科学省の高校教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の日本軍強制の記述が削除された問題について議論し、二十九日の県民大会への参加を呼び掛けた。討論会に先駆け、県民大会実行委員で高教組の福元勇司書記長が、文科省の教科書検定から大会開催に至るまでの経緯を説明した。

 学生らは「集団自決」の体験者を招いて講演会を開くなどした自らの活動を報告。「大学生の平和活動への関心の薄さ」などをテーマに意見を出し合った。

 沖縄国際大二年の平田博之さんは「大学生が戦争に動員された時代もあった。いくら平和を願っても形に表さなければ、記述を書き換えようとする流れに乗ってしまう」と言葉に力を込めた。

 討論会を企画した琉球大四年の森田直広さんは「(県民大会に)まず行ってみよう、という状況をつくりたかった。多くの学生に関心を持ってほしい」と訴えていた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709231300_03.html

 

2007年9月23日(日) 朝刊 2面

米軍再編打開へ期待/自民党総裁選 県連 福田氏支持

 自民党総裁選で、二十二日に投開票された同党県連(外間盛善会長代行)の予備選挙は、福田康夫元官房長官が投票総数七十四票の八割近い五十八票を得て、麻生太郎幹事長の十六票の得票数を上回り、県連持ち分の三票すべてを獲得した。(与那原良彦)

 福田氏は、派閥で支持を決めた県選出・出身の自民党国会議員四人の票を固め、県議や市町村支部長、職域団体の票を集めて麻生氏を圧倒した。手堅い政治手腕が評価されると同時に、地方と中央の格差是正やこう着する米軍再編の打開など、小泉、安倍と続いた改革路線からの変更を求める期待が福田氏支持に集まった格好だ。

 七月の参院選沖縄選挙区で十二万七千余票差という歴史的大敗を喫した自民党県連は、党勢立て直しの途上にある。

 総務会では冒頭、池間淳総務会長と外間会長代行が、参院選での公認候補大敗や安倍晋三首相の辞意による突然の総裁選に陳謝した。ある幹部は「安倍首相が政権を放り出し、国民の信頼を損ねる結果になった。今回の総裁選は背水の陣だ」と危機感を訴えた。

 総務会出席者は「東京など大都市は好景気に沸くが、沖縄を含めた地方の疲弊は深刻だ。次期政権の最も重要な政治課題は、地方と中央の格差是正だ」と主張する。

 小泉、安倍政権で総務相、政調会長、外相、幹事長を歴任してきた麻生氏に対し、福田氏は官房長官辞任後は政権から離れていた。改革路線の修正に取り組めるのは福田氏ではないか―という声が強かった。県議の一人は「次期政権は解散総選挙までの選挙管理内閣になる。その点でも穏健な福田氏が適している」と評した。

 国会議員の多数派工作でも、福田氏の出身派閥である町村派に所属する嘉数知賢衆院議員が沖縄選対本部長を務め、県議や職域団体への支持拡大に奔走した。

 福田氏自身も執行部に直接、電話で支援を求めた。また、選対副本部長に就いた保岡興治衆院議員は、議員総会で「沖縄の自立経済の確立や米軍普天間飛行場移設など再編問題の解決に成果を挙げる」と訴えた。

 一方の麻生氏は、これまで支持していた下地幹郎衆院議員が離党していることも響いた。

 結果、県連持ち分の三票は福田氏に投じられることになったが、県連が新総裁(新首相)に求めるのは、県と政府の関係修復だ。

 十八日に与党県議団と懇談した仲井真弘多知事は、普天間飛行場の移設協議がこう着状態に陥っているとして、防衛省など政府に対する強い不満感を漏らしたという。

 県連関係者は「早期の局面打開を図るべきだ。この問題が長引けば、与党にも悪影響が出る」とし、次期首相のリーダーシップによる政策転換に期待を寄せる。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709231300_04.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年9月23日朝刊)

[米軍機未明離陸]

住民の声を受け止めよ

 米空軍嘉手納基地からF15戦闘機などの未明離陸が相次いでいる中、周辺三市町の首長、議会議長が、安眠を妨げられているとして、基地司令官に抗議と中止を申し入れた。だが、地元の切実な声に対しても司令官は聞く耳をもっていないようだ。

 ブレット・ウィリアムズ司令官(准将)は「嘉手納基地がある限り、未明離陸は続く。十年後も続くだろう」と指摘した。その上で、岩国や三沢など他の基地周辺自治体を例に挙げながら「抗議があるのは沖縄だけ」と答えたという。

 常日ごろ「良き隣人」でありたいと語ってきたのは米軍ではなかったか。今回の首長らへの対応は、事実上の門前払いであり、突き放したものとしか思えない。

 司令官は、基地被害に苦しむ沖縄の現実を知らなすぎる。基地を管理する立場であればこそ、もっと地元住民の声を真摯に受け止めるべきである。

 未明に離陸することに関し、司令官は、運用上の理由と経費の問題を示している。

 米軍機が太平洋を横断して米本国に向かう場合、「長時間飛行を続けるパイロットの安全のため、日中に目的地へ到着する必要がある」ため、未明離陸を実施しているのだという。

 嘉手納基地に関する騒音防止協定は、深夜・早朝(午後十時―翌日午前六時)の飛行を制限している。ただし、「運用上の理由を除く」との例外規定があり、未明離陸はこの例外規定を適用したものとなっている。

 緊急時ならいざしらず、あらかじめ予定されている飛行を例外規定として適用し、未明離陸が常態化しているのである。これでは協定が有名無実化しているのも同然だ。

 米本国に向かうため、予定されていた未明の離陸が遅れ、午前中に離陸したケースが今年五月にあったことは、記憶に新しい。

 政府は日米合同委員会などを通じ、米側の例外規定の乱用をやめるよう求めるべきではないか。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070923.html#no_2

 

沖縄タイムス 社説(2007年9月23日朝刊)

[9・29県民大会]

再び山が動きつつある

 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に向けた取り組みが党派を超えた島ぐるみ運動の様相を見せている。

 県内四十一市町村長に対する本紙アンケートでは四十首長が県民大会への参加を表明した。

 県内の私立五大学で組織する県私立大学協会は連名で声明を発表。「一方の当事者の主張のみを取り上げ、審議会の検討経緯が明らかにされていないことなど文部科学省の回答は容認できない」と批判した。

 県内で市町村ごとに実行委員会を結成する動きが広がり、県知事、県教育長、県議会、県PTA連合会、労組など各種団体が大会への参加を呼び掛けている。民間では特別授業として生徒全員の参加を決めた専門学校もある。

 沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」について、日本軍の強制を示す記述が削除されたことに対する県民の強い危機感の表れだろう。

 県外では、県内市町村と姉妹都市を結ぶ自治体などで意見書が相次いで可決され、全国の教育関係者でつくる団体がアピールを採択するなど、県民世論に呼応した動きも広がっている。

 検定意見撤回を求める県民大会の開催は、米兵による暴行事件を契機に、日米地位協定の見直しや基地整理縮小を求めた一九九五年の10・21県民大会にも匹敵する展開になってきた。

 安保再定義の動きに危機感を抱いた大田昌秀元知事が地位協定見直しを要請したのに対し、「議論が走りすぎ」と政府の対応は同様に冷淡だった。当時も県民の反発が一気に広がった。

 基地問題、沖縄戦に関する県民の感覚は鋭敏である。歴史体験の中ではぐくまれてきた共通の感覚だろう。党派を超えた県民大会は復帰後二度目になる。燎原の火のように広がってきた沖縄の怒り、県民の世論を政府はどう受け止めるのだろうか。

 県内六団体代表の撤回要請に対し、文部科学省の布村幸彦審議官は「審議会が決めたことに口出しできない」と説明してきた。伊吹文明文科相は「役人も安倍首相もこのことについては一言も容喙できない仕組みで教科書の検定は行われている」と述べ、面談にも応じようとはしなかった。

 その後、教科書審議会日本史小委員会では検討の実態がなく、文科省の調査意見が追認される形になっていたことが関係者の証言で判明し、県民の怒りに油を注ぐ結果になった。

 沖縄戦の「集団自決」の記憶は沖縄の琴線に触れる問題だ。なぜ怒りが渦巻き、再び山が動きだすのか。政府は県民世論から目をそらすことなく、正面から向き合うべきだ。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070923.html#no_1

 

琉球新報 社説

意見撤回県民大会 検定制度にもメスを

 なぜわれわれが文部科学省の教科書検定意見に反発し、その撤回を県民挙げて求めているのか。理由はいくつかある。まず沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)について、生存する体験者の証言などから旧日本軍の強制・関与があったのは事実であること。そして渡嘉敷・座間味島の事例が係争中という状況だけをもって、強制・関与の事実がすべての「集団自決」でなかったことにしたいという動きに危機感を感じていることだ。

 さらに今回の騒ぎで見えてきたのは、決して沖縄のみに特有の問題ばかりではないということ。つまり現行の教科書検定制度とは、現状は事実上の国定教科書ではないのか、という疑問だ。そう考えてくると、これは沖縄だけでなく全国にも当てはまる、普遍的な問題を含むことになる。

 29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」まで1週間を切った。これまでに県内41全市町村議会で撤回決議が可決され、運動は島ぐるみの様相を呈してきた。最近、県内だけでなく本土の自治体でも撤回決議が相次いでおり、全国的に関心を集めつつある。この問題が単に沖縄という一地域の問題ではない、という認識が広がっているものとして、心から歓迎したい。

 戦前の日本では教科書は国が発行する国定教科書だった。時の政府の思想が色濃く反映され、極端な場合、偏った歴史観、ナショナリズムを国民に押し付ける恐れが強い。皇国史観で彩られた教科書が、戦前の日本国民を戦争に駆り立てていく上で重要な役割を果たしたのは紛れもない事実だろう。

 その反省の上に立ち、戦後は検定制度が導入された。この制度の下では、民間の出版社が教科書を作成し、文科省の検定と承認を受けることになる。提出された教科書は、教科用図書検定調査審議会で審査され、文科省に提言をするという流れだ。一見、問題ないかのように見える。しかし、この審議会がくせものだ。

 今回明らかになったのが、審議会とは名ばかりで、ほとんど議論もしなかったということだ。さらに沖縄戦研究者もいなかったというから、驚くほかない。最大の問題は提言自体が、あらかじめ文科省の調査官が出した意見書に沿うものだった、ということだ。

 つまり、極端に言えば国(文科省)の思う通りの教科書が作れるということになる。国定教科書ではないか、とされるゆえんだ。

 今年6月、教育改革関連3法が成立した。教育目標にわが国の歴史について「正しい理解に導き」とある。一連の流れを見ると「(国にとって)正しい歴史」の意味がよく理解できる。検定制度の在り方も問われるべきだろう。

(9/23 10:38)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27430-storytopic-11.html

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