沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(9月29日、30日)

2007年9月29日(土) 朝刊 1・27面

手榴弾配り自決命令/住民が初めて証言

検定撤回きょう県民大会

 一九四五年三月二十五日、座間味村の忠魂碑前に軍命で集まった住民に対し、日本兵が「米軍に捕まる前にこれで死になさい」と手榴弾を渡していたことが二十八日、同村在住の宮川スミ子さん(74)の証言で分かった。長年、座間味村の「集団自決(強制集団死)」について聞き取りをしてきた宮城晴美さん(沖縄女性史家)は「単純に忠魂碑前へ集まれでなく、そこに日本軍の存在があったことが初めて分かった」と指摘している。一方、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が二十九日午後三時から、宜野湾海浜公園で開かれる。(又吉健次)

 忠魂碑前で日本兵が手榴弾を配ったとする証言は初めて。

 宮川さんは当時、座間味国民学校五年生。米軍が座間味島を空襲した四五年三月二十三日に、母のマカさんとともに家族で造った内川山の壕に避難していた。二十五日夜、マカさんが「忠魂碑の前に集まりなさいと言われた」とスミ子さんの手を引き壕を出た。

 二人は、米軍の砲弾を避けながら二十―三十分かけ、忠魂碑前に着いた。その際、住民に囲まれていた日本兵一人がマカさんに「米軍に捕まる前にこれで死になさい」と言い、手榴弾を差し出したという。スミ子さんは「手榴弾を左手で抱え、右手で住民に差し出していた」と話す。

 マカさんは「家族がみんな一緒でないと死ねない」と受け取りを拒んだ。スミ子さんはすぐそばで日本兵とマカさんのやりとりを聞いた。二人はその後、米軍の猛攻撃から逃れるため、あてもなく山中へと逃げた。

 聞き取りが当時の大人中心だったため、これまで証言する機会がなかった。スミ子さんは「戦前の誤った教育が『集団自決』を生んだ。戦争をなくすため、教科書には真実を記してほしい」と力を込めた。

 宮城さんは「日本軍が手榴弾を配ったことが、さらに住民に絶望感を与え、『集団自決』に住民を追い込んでいった」と話している。

 一方、県民大会の実行委員会は五万人以上の参加を呼び掛けており、九五年十月二十一日に開かれた米兵暴行事件に抗議の意思を示した県民大会以来十二年ぶりの規模となる。県議会や県婦人連合会、県遺族連合会など二十二団体の実行委員会と約二百五十(二十八日現在)の共催団体が超党派で加わっている。

 大会では実行委員長の仲里利信県議会議長や仲井真弘多県知事、「集団自決」の体験者、女性、子ども、青年団体などが文部科学省に抗議の意思を示す。文科省が高校歴史教科書から沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制を削除させた検定意見の撤回を要求する。


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市民広場利用 米軍が認めず/大会関係者怒り


 【宜野湾】二十九日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、大会実行委員会(委員長・仲里利信県議会議長)が大会当日に宜野湾市役所向かいの「市民広場」を駐車場として利用することについて、米軍が「中立の立場を維持する」として許可しないことが二十八日、分かった。同広場は普天間飛行場の提供施設内で、市に無償開放されている。超党派の県民大会での駐車場使用を米軍が許可しないことに同実行委からは「県民の思いを理解できない」など反発している。

 同広場は約二百台の駐車場があり、通常は市民らが野球やゲートボールなどを楽しんでいる。大会当日は会場までバスでピストン輸送する予定だった。

 同飛行場のリオ・ファルカム司令官(大佐)は「日本国内の重要かつ慎重を期する問題について、中立の立場を維持する必要性がある」と強調。「論争となっている日本国内の政策については、支持あるいは不支持と受け取られることを避けるというのが私たちの方針」と説明している。

 宜野湾市の伊波洋一市長は「あえてゲートを閉めれば不支持と受け止められる。県民感情を逆なでする行為だ」と憤慨。「直接、基地に関係するものでもなく、納得できない。通常通り開門するべきだ。閉鎖すれば大会の怒りは基地に向かうだろう」と話した。

 県民大会実行委員会の玉寄哲永副実行委員長は「大会は超党派で日本軍強制の事実が削除されたことに対し、記述の回復を求めるもの。政府の顔色をうかがい、県民の思いを理解できない米軍人の思考回路はまったく理解できない」と批判。小渡ハル子副実行委員長も「県民の土地を奪い取り使っているのに米軍は恥を知らないのか。だから米軍は県民に嫌われる。言語道断の話であり、県民をばかにしている」と憤った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709291300_01.html

 

2007年9月29日(土) 朝刊 1・2面

文科相「検定の経緯精査」/意見変更可能性も

 【東京】渡海紀三朗文部科学相は二十八日、沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した高校歴史教科書の検定問題への対応で、沖縄タイムス社に「今回の検定に至る経緯や趣旨等については十分に精査していきたい」とコメントし、検定過程を詳しく調査する考えを明らかにした。

 文科省はこれまで「教科用図書検定調査審議会が決めたことには口出しできない」などとして、検定を問題視しない考えを示していた。

 渡海文科相が検定経緯の調査にまで踏み込んだコメントをしたことで、文科省側が検定結果を変更する可能性も出てきた。

 本紙は渡海文科相の就任後、沖縄戦の専門家がおらず文科省主導で審議が進んだ検定の経緯などについて質問書を提出。文科相が二十八日に文書で回答した。

 渡海文科相は「集団自決」についても書面で、「多くの人々が犠牲になったということについて、これからも学校教育においてしっかりと教えていかなければならない」とコメントした。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709291300_02.html

 

2007年9月29日(土) 朝刊 26・27面

歪曲許さぬ思いは一つ/遺族の願い切実

書かれるのはつらい それでも教科書に事実を 戦争を起こさぬため/山城美枝子さん

 「書かれるのは本当はつらい。でも事実を教科書にはっきりと書いてほしい」。座間味村の「集団自決(強制集団死)」で助役兼兵事主任だった父親・宮里盛秀さん=当時(33)=ら家族五人を亡くした山城美枝子さん(66)が、二十九日宜野湾海浜公園で行われる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に参加する。教科書記述から軍強制が消された現状と、軍に抗えなかった沖縄戦時下とを重ね、「時代が逆戻りしている」と危機感を抱く。記述が復活し「集団自決」の事実が全国で知られることを願う。(謝花直美)

 一九四五年三月二十六日座間味村・産業組合の壕で、役場職員とその家族ら六十七人が「集団自決」に追い込まれた。美枝子さんは、父母、七歳、六歳、十一カ月のきょうだい三人を失った。一人残され、常に家族のことを思いながら生きてきたが、公の場で語ることはこれまでなかった。

 平和への願いは強く、これまでも普天間包囲行動や米軍ヘリ墜落の抗議集会には孫の手を引いて参加した。今年三月、日本軍の強制が削除された検定結果が明らかになった後も、父・盛秀さんが、兵事主任として軍からの命令を住民に伝える立場だったため、「集団自決」問題について話すことには迷いがあった。

 しかし、沖縄戦の歴史を歪曲させないという怒りが県民の間にわき起こったことに「後押しされているように」思えた。

 九月本紙で、住民に「集団自決」の軍命を伝え、自らも子どもたちを手にかけなければならなかった父親の苦悩への思いを語った。「家族から一人残されたことは、父が思いを託すため」とも考えるようになった。

 美枝子さん自身、「集団自決」の記述に触れることで、心をかきむしられ、涙が止まらなくなる。子どもを抱き締め号泣した父親の心痛がありありと感じられるからだ。「書かれることも本当はつらい」。それでも、教科書には軍強制の記述をしっかり書くべきだと主張する。「事実は事実として受け止めなければならない。そうでなければ、時代があの時と同じに戻るのではないか」と懸念する。

 大会には、座間味村出身の夫功さん(74)とともに参加。記述復活はもちろんのこと「県民大会で全国の一人でも多くに戦争の醜さが伝えられれば」と期待する。


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復帰前闘争つながる 「怒り」再び 「島ぐるみ」今回も/中根章さん


 全四十一市町村や県議会二度の意見書可決などを経て、開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」。沖縄戦を体験し、一九五〇年代の土地闘争や七〇年代の復帰闘争、九五年の県民大会などに参加した元県議の中根章さん(75)=沖縄市=は「史実改ざんに抗議する大会は復帰前の『島ぐるみ』の闘争とつながっている」と強調。「史実の歪曲を絶対に許してはならない。体験者、子、孫の世代が一斉に立ち上がってほしい」と話している。

 五〇年代半ば、米軍の強制的な土地接収に、県民の怒りは頂点に達していた。五六年七月、那覇高校で開かれた「四原則貫徹県民大会」は、十五万人が集まった。

 「すき間もないほどびっしりと人が運動場を埋めた。先祖代々の土地を奪われ、繰り返される事件や事故。民衆が一斉に抗議した瞬間だった」と振り返る。

 教科書検定の撤回を求める県民大会については「沖縄戦で日本軍の強制は『集団自決(強制集団死)』以外にもあった。日本兵は住民に捕虜になるより死ぬことを選ぶように教えてきた。この史実を否定することはできない」と憤る。

 大会には家族や知人ら六十人と参加する。「復帰前と同規模の住民が参加し、思いを一つにしたい」と話す。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709291300_03.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年9月29日朝刊)

[県民大会の日に]

民意のうねり届けよう


体験を記憶のふちに沈め

 座間味島出身の宮城恒彦さん(73)は毎年一冊ずつ、慰霊の日にあわせて沖縄戦体験をつづった小冊子を発行している。一九八九年に第一号を出版して以来、一度も欠かしたことがない。

 八八年に母ウタさんが九十一歳で亡くなったことがきっかけだった。

 「母は娘のことを生涯悔やんで嘆いてましたから。なんか書き残さなくてはと思ったんです」

 座間味島の内川の壕で起きた「集団自決(強制集団死)」は一発の手りゅう弾から始まっている。二十人前後の住民が身を潜めていたらしい。

 宮城さん一家はウタさんと恒彦さんら子ども五人の計六人が行動をともにしていた。当時十九歳の姉は腹部をざっくりえぐり取られた。

 手りゅう弾で死ねなかった人たちが何人もいた。学校の校長はカミソリで妻を手にかけ、この後自分の首の動脈を一振りした。妻はかろうじて生き残ったが、夫はその場で息絶えた。

 瀕死の重症を負い、もだえ苦しむ娘を壕の中に置き去りにして死なせたことが戦後、ウタさんを苦しめる。

 「集団自決」は、渡嘉敷・座間味・慶留間などの慶良間諸島だけでなく、伊江村、読谷村、糸満市など県内各地で発生している。

 生き残った者はせい惨な体験を記憶のふちに沈め、戦後、悲しみに耐えて生きてきた。だが、内面の傷は癒えることがない。座間味島生まれの女性史研究家宮城晴美さんが祖父母の体験をつづっている。

 ある日、学校からの帰り祖父母の家に寄った。家の裏庭にあるヤギ小屋で不気味な鳴き声がするので物陰からのぞいたら、祖父がヤギを宙づりにしてほふっていた。

 祖母は晴美さんに向かって、祖父に聞こえるような声で「この人は首切り専門だから」と、いてつくような言葉を投げたという。

 米軍上陸後、祖父は妻と子どもたちの首をカミソリで切って「自決」を試みた。息子が即死し、祖母ものどに深い傷を負った。

 祖父は祖母に何を言われても反論せず、時々、夜のとばりが下りるころ、サンシンを持ち出して護岸で静かに民謡を歌っていたという(『母の遺したもの』)。


住民保護の視点を欠く


 「集団自決」はなぜ起きたのか。

 私たちはこの問いが、今を生きるウチナーンチュに突きつけられた逃れられない問いだと思っている。

 過去に向き合い、歴史体験から学ぶ姿勢がなければ、現在の風向きを知ることはできない。

 沖縄戦で多発した「集団自決」は基本的に旧日本軍の強制と誘導によって起こったもので、県議会の意見書が指摘するように「日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」である。

 米軍が上陸したとき、住民をどう保護すべきか。残念ながら旧軍は住民保護の視点を欠いた軍隊だった。

 本土決戦の時間稼ぎと位置づけられていた沖縄戦で重視されたのは、人と食糧を現地調達し軍官民共生共死の態勢を築くことだった。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓。「死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」という軍人勅諭。投降や降伏を否定する軍の論理は住民に対しても求められ、指導層に浸透していった。

 米軍上陸後の住民対策は、司令官訓示や軍会報、「上陸防御教令(案)」、「島嶼守備隊戦闘教令(案)」、「国土決戦令」などに示されている。

 防諜に厳に注意すべし。沖縄語をもって談話しあるものは間諜として処分す。不逞の分子に対しては断固たる処置を講ぜよ。

 渡嘉敷島や座間味島は、特攻艇を秘匿した秘密基地だった。秘密保持が優先され一部住民には玉砕を想定してあらかじめ手りゅう弾が手渡されていた。そのような状況の中で米軍に包囲され、猛攻撃を受けたのである。


揺らぐ教科書への信頼


 日本軍の関与を示す記述を削除した文部科学省の教科書検定は、歴史的事実の核心部分を故意に無視したものと言わざるを得ない。

 文部科学省の教科書調査官が示した検定意見の原案に対し、審議会は、実質的な審議も具体的な議論もしないまま通してしまったという。

 調査官は、係争中の訴訟の一方の当事者の意見だけを取り入れて教科書に反映させようとしたことも明らかになっている。教科書への信頼さえ揺らぎかねないずさんな検定である。

 「見たくないものは見えない」という言葉がある。見たくないものを見ようとする意思がなければ、沖縄の民意を理解することはできない。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070929.html#no_1

 

琉球新報 社説

検定県民大会 歴史わい曲は許さない/結集し撤回への総意示そう

 声を上げる。このことがいかに重要か。教科書検定意見撤回を求める県民大会の大きなうねりは、県子ども会育成連絡協議会会長の怒りの電話に端を発する。県婦人連合会、PTA連合会がまず結束。連携の輪は県内はもちろん、県外まで異例の広がりを見せている。

 そしてきょう、県民大会が開催される。実行委員会は当初5万人規模の参加を目標に掲げたが、歴史のわい曲を許さないという県民の決意は固く、目標を軽く超えるに違いない。

 国・文部科学省は、大会をしっかり見てほしい。県民の怒りがどれほどのものか。歴史をゆがめることがいかに愚かなことか。

責任は文科省に

 わたしたち県民がなぜ、こぞって反発しているのか。高校歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」記述から日本軍の強制・関与が削除・修正されたからだ。しかも、教科用図書検定調査審議会ではほとんど議論もなく、文科省の調査官が出した意見書に沿った内容で提言がなされた。さらに、審議会には沖縄戦を詳しく研究した専門家もいない。

 沖縄戦当時、住民は米軍の捕虜になれば、女性は辱めを受け、男性は惨殺されるという情報を信じさせられ、恐怖を植え付けられていた。生き残る選択肢はなかったに等しい。

 糸満市のカミントウ壕での「集団自決」から生き残った74歳の女性は証言する。壕内に砲弾が撃ち込まれたことで、入り口付近の日本兵2人が自決。直後、住民の「集団自決」が始まった。多くの家族が次々と手りゅう弾の信管を抜き、命を絶った。手りゅう弾を持っていたのは、家族の中に防衛隊として日本軍から渡されていた男たちがいたからだという。後は地獄のようなさまだ。「片目をえぐられた幼なじみ、内臓が出た人、足がもげて大声を上げて苦しんでいる少年」

 別の生き残り女性の体の中にはまだ弾の破片が4個残っている。「集団自決」で破裂した手りゅう弾のかけらだ。60年も前にあったらしいというあやふやな事ではない。女性の体にある破片は、恐ろしい事実をわたしたちに突き付けている。

 もし、当時の住民が「米軍に見つかったら決して抵抗せず、捕虜になりなさい。生き残れるかもしれない」と教えられていたら、どれほどの人が死なずにすんだか。恐怖に駆られた肉親同士が「早く死ななければ」と殺し合うことなど決してなかった。

 文科省側は、意見書を付すに当たり、沖縄の地を踏んで調査していない。あまりにもずさんだ。このような認識で、「集団自決」の実相をゆがめられてはたまらない。検定意見をまとめた文科省の責任はとてつもなく重い。

最終目的は記述復活

 就任したばかりの渡海紀三朗文科相は県民大会について「どういう大会になるのか、どういう意見が出るのかを見極めて対応したい」と、これまでの文科相対応とは違う含みを持たせた発言をした。

 しかし見極める必要はない。沖縄側の主張ははっきりしているからだ。県と41市町村議会すべてが抗議決議し、大会には41首長すべてが出席する。実行委員会には老若男女、農林漁業、企業など多方面にわたる22団体が加わり、一致して検定意見の撤回を求めているのだ。

 それでも見極めたいというなら、ぜひ大会に参加して、じかに県民の訴えを聞き、意志の結集を肌で感じてほしい。「集団自決」から生き残ったお年寄りの苦痛に満ちた証言を聞いてほしい。

 大会では「子供たちに、沖縄戦における『集団自決』が日本軍の関与なしに起こり得なかったことが紛れもない事実であったことを正しく伝えること(中略)は我々に課せられた重大な責務である」と訴え「県民の総意として国に対して今回の教科書検定意見が撤回され、『集団自決』記述の回復が直ちに行われるよう」求める決議を採択する。

 思想信条を超え結集する大会は、歴史に刻まれるものとなろう。県民はそれほどの決意を持っている。

 確認しておきたいのは、わたしたち県民にとって、大会成功が目標の達成ではない。あくまで、日本軍強制の記述の復活、つまり検定意見の撤回が最終目標だ。大会は、文科省を動かす第一歩であり、撤回実現まで要求し続けたい。

(9/29 9:51)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27623-storytopic-11.html

 

2007年9月29日(土) 夕刊 1面

検定撤回へ結集/宜野湾・宮古・八重山で県民大会

 高校歴史教科書の検定で、文部科学省が沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」から日本軍の強制を示す記述を削除させたことに抗議する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が、二十九日午後三時すぎ、宜野湾海浜公園で開かれた。数万人が会場を埋め、実行委員長の仲里利信県議会議長らが登壇し、文科省に検定意見の撤回と記述回復を求めた。開会前、平和への思いを訴える読谷高校生の創作ダンスや渡嘉敷村の「集団自決」犠牲者を慰める鎮魂歌「白玉の塔」などがささげられた。宮古、八重山でも同時刻、郡民大会が開かれた。同日午前、沖縄戦終焉の地・糸満市摩文仁で「平和の火」が採火され、三十四キロ離れた会場まで百人以上が走り継いだ。

 実行委には県議会や県婦人連合会など二十二団体に二百四十七の共催団体が加わった。

 会場には家族連れや戦争体験者、学生などが詰め掛けた。那覇市の花城隆さん(74)、トヨさん(76)夫妻。共に沖縄戦の体験者として「政府は、なぜ『集団自決』の生き残りの証言を信じてくれないのか。『集団自決』の現場は見ていないが、同じ体験者として絶対許せない」と憤った。

 読谷村から来た山内昌善さん(71)=無職=は「私も戦争体験者。教科書が変えられたと聞き、居ても立ってもいられなかった」と話し、「日本軍は住民にいいことは何一つしてない。戦争の実相を正しく伝え、日本本土に強く訴えないと、沖縄は埋没してしまう」と訴えた。

 うるま市の伊保清一さん(72)=無職=は「最近の報道を見て、真実が伝えられていないと感じる。大会を通して、削除された部分を復活し、子どもや孫に真実を伝えてほしい」と語った。

 「平和の火」の採火式は、午前九時四十五分から行われ、県民大会実行委と糸満市、八重瀬町の関係者ら百人が参加した。

 糸満市の西平賀雄市長、玉城朗永市議会議長、市立米須小学校六年の玉城寿倫哉君の三人が、広場に設置された「平和の火」から採った火を仲里実行委員長の持つトーチに点火した。

 「平和の火」は、沖縄戦最初の米軍上陸地で、「集団自決」で多数の住民らが犠牲となった座間味村と被爆地広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの火」から合火。

 平和を希求する火の前で、仲里実行委員長は「県民大会には、県内外から五万人以上が参加をいただき、史実を歪曲する文部科学省に検定意見の撤回を力強く求めていく」と決意を述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709291700_01.html

 

2007年9月29日(土) 夕刊 4・5面

島の惨劇 後世に/決意胸に撤回訴え

 「平和の火」が、人の波が、会場に押し寄せた。二十九日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれた宜野湾海浜公園。「集団自決(強制集団死)」が起きた座間味村と渡嘉敷村の住民らは船とバスを乗り継いで会場に着いた。愛する家族や親せきを失ったお年寄りらは「歴史を歪めさせない」「子どもたちに真実を伝える」と誓い合った。宮古、八重山を含む県内各地で、大勢の県民が決意と期待の声を上げた。大会前、小中高生らが燃えさかるトーチを手から手へつないだ。

 一九四五年三月二十六日に「集団自決(強制集団死)」が起きた座間味村の住民約五十人は二十九日午後一時すぎ、船とバスを乗り継ぎ「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれる宜野湾海浜公園に到着した。「集団自決」の体験者らは「多くの人が参加し、県民の声が全国に届く大会にしたい」と気持ちを新たにした。

 一行は同日午前、座間味港や阿嘉港から本島向けの船に乗り込んだ。阿嘉港から乗船した元村議の中村武次郎さん(77)は慶留間島で、家族三人のうち姉が「集団自決」で亡くなった。「記述が削除されては、島で何が起きたのか教えられなくなる。大会を成功させようと思い、参加を決めた」と力を込めた。

 沖縄戦当時の村助役兼兵事主任の兄、宮里盛秀さんと家族を亡くした宮平春子さん(81)の「集団自決」体験を県民大会で代読する元役場職員、宮里芳和さん(59)は「兄家族を失った宮平さんには熱い思いがある。宮平さんの万感胸に迫る思いを訴えようと、燃える気持ちだ」と少し緊張した面持ちだった。

 村実行委員会副委員長の仲村三雄村長(64)は「大戦中の尊い命を犠牲に、戦後は平和な座間味島を築いてきた。全国に県民の声が届く大会にしたい」と話した。

 宮里順之村議(72)は四五年三月、「集団自決」が起きた産業組合壕で、死ぬために「中に入れてほしい」と大人たちが押し問答したことを子ども心に覚えている。「『集団自決』があった座間味村から、多くの人が参加して大会を成功させたい」と力を込めた。

 四二年に徴兵され、「死んで座間味に帰ってくるはずだった」という宮里正太郎さん(87)。「会場に多くの人が集まっているが、これは問題の大きさを表している。今後の平和のためにも、真実を曲げてはいけない」と言い切った。


     ◇     ◇     ◇     

史実きちんと継承して/怒り 期待の声あふれ


 教科書検定撤回を求める県民大会の二十九日、県内各地で、史実歪曲への怒りと大会に寄せる期待の声が聞かれた。

 大宜味村の宮城光一さん(25)=公務員=は「戦前・戦中に軍を優先させる教育があって『集団自決(強制集団死)』は起きた。村内でも白浜事件という旧日本兵による住民虐殺があった。検定結果がそのままになると、自分たちのおじいさん、おばあさんの世代が亡くなった時に、そうしたことまで、すべてなかったことにされてしまうかもしれない」と危惧。「歴史をきちんと継承しないと戦争が再び起きてしまう」と意義を語った。

 宜野湾市真栄原の木村美乃さん(33)=主婦=は「集団自決」の体験を読み「危機感が、つらい体験者の重い口を開かせたのだろう」と感じるようになった。三年前、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故後に開かれた市民大会に足を運んだ。「参加することで抗議の気持ちを体で表せた」。今回は三歳の長男を含む家族三人で参加する。

 石垣市登野城の宮良洋子さん(65)は、家族と一緒に市総合体育館の八重山郡民大会に足を運ぶ。この問題を聞いたとき、「歴史をゆがめるようなことを絶対に許してはいけない」と強く思った。「子どもたちに真実を伝えるために一人一人が立ち上がり、県全体、本土にも広がり、検定意見の撤回につながってほしい」と期待している。

 宮古島市平良の与儀一夫さん(70)は「『集団自決』の問題が今出てくるのは、戦争の反省をしっかりしてこなかったからだと思う。(日本軍の強制を示す記述の)削除には怒りを感じる。戦争のことをしっかり整理しなければならない」と話す。

 戦争中は小学校低学年。宮古島でも「軍命」の名の下に飛行場建設や食料の調達がなされたことを肌で感じており、検定意見撤回のため同市内で開かれる郡民大会にも参加する。「一人一人の市民が積極的に参加して多くの人で宮古郡民大会を成功させたい」と話している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709291700_02.html

 

2007年9月29日(土) 夕刊 4面

悲惨な思いつなぐ/平和の火リレー

 【糸満・豊見城】教科書検定意見の撤回と平和希求の思いを託し二十九日午前、県民大会会場の宜野湾海浜公園に向け出発した「平和の火リレー」。小中高生らが“平和のシンボル”を次々とつないだ。燃え上がるトーチを掲げ、力強く歩を進める走者に、沿道から温かい声援が送られた。

 糸満市の西平賀雄市長と玉城朗永市議会議長に交じり、リレー出発前に採火した同市立米須小六年の玉城寿倫哉君。「大人たちの話を聞いて沖縄戦の歴史を正しく教科書に残してほしいと思った」と話した。

 第一走者は、同市立高嶺中三年の生徒会メンバー五人。大会実行委員長の仲里利信県議会議長から「はい、どうぞ。お願いします」と声を掛けられトーチを手渡され、笑顔でスタートした。

 夏場を思わせる強い日差し。玉城寛之君を先頭に、行き交う車の声援に手を振り応えながら、軽い足取りで約一キロを走った。

 第二走者の市立兼城中学校三年のイラバニ・ロクサナさんら八人の生徒に「がんばれ」と声を掛け、トーチをつないだ玉城君。

 「気持ちよく走れた。大事なものを託されているということを胸に、平和な世の中になってほしいという思いで走った」と話し、額の汗をぬぐった。

 豊見城市役所から名嘉地交差点までの一・六キロの区間では、市議会全議員や市職員、豊見城高校野球部など約百人がリレーをつないだ。

 糸満市の子ども会からトーチを受け取った豊見城市議会の大城英和議長は「六十二年前の沖縄戦で起こった悲惨な出来事を胸に刻みながら、しっかりと走ってほしい」と走者らに呼び掛けた。

 豊見城高校野球部の屋我伸也さん(17)は「これから歴史を勉強する子どもたちのためにも真実を伝えてほしい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709291700_03.html

 

2007年9月30日(日) 朝刊 1面

11万人結集 抗議/検定撤回 9・29県民大会

 私たちは真実を学びたい。次世代の子どもたちに真実を伝えたい―。高校歴史教科書の検定で、文部科学省が沖縄戦「集団自決(強制集団死)」から日本軍強制の記述を削除したことに抗議する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が二十九日午後、宜野湾市の宜野湾海浜公園で開かれた。大会参加者は当初予想を上回る十一万人(主催者発表)。宮古、八重山を含めると十一万六千人に達し、復帰後最大の“島ぐるみ”大会になった。大会では日本軍の命令、強制、誘導などの記述を削除した文科省に対し、検定意見撤回と記述回復を求める決議を採択した。

 戦争を体験した高齢者から子どもまで幅広い年代が参加、会場は静かな怒りに包まれた。県外でも東京、神奈川、愛媛などで集会が開かれ、検定意見撤回と記述回復を求める県民の切実な願いは全国に広がった。

 大会実行委員長の仲里利信県議会議長は「軍命による『集団自決』だったのか、あるいは文科省が言う『自ら進んで死を選択した』とする殉国美談を認めるかが問われている。全県民が立ち上がり、教科書から軍隊による強制集団死の削除に断固として『ノー』と叫ぼう」と訴えた。

 仲井真弘多県知事は「日本軍の関与は、当時の教育を含む時代状況の総合的な背景。手榴弾が配られるなどの証言から覆い隠すことのできない事実」とし、検定意見撤回と記述復活を強く求めた。

 「集団自決」体験者、高校生、女性、子ども会、青年代表なども登壇。検定撤回に応じず、戦争体験を否定する文科省への怒りや平和への思いを訴えた。

 渡嘉敷村の体験者、吉川嘉勝さん(68)は「沖縄はまたも国の踏み台、捨て石になっている。県民をはじめ多くの国民が国の将来に危機を感じたからこそ、ここに集まった。為政者はこの思いをきちっと受け止めるべきだ」とぶつけた。

 体験文を寄せた座間味村の宮平春子さん(82)=宮里芳和さん代読=は、助役兼兵事主任をしていた兄が「玉砕する。軍から命令があった」と話していたことを証言した。

 読谷高校三年の津嘉山拡大君は「うそを真実と言わないで」、照屋奈津美さんは「あの醜い戦争を美化しないで」とそれぞれ訴えた。

 会場の十一万人は体験者の思いを共有し、沖縄戦の史実が改ざんされようとする現状に危機感を募らせた。宮古、八重山の郡民大会に参加した五市町村長を含み、大会には全四十一市町村長が参加した。

 実行委は十月十五、十六日に二百人規模の代表団で上京し、首相官邸や文科省、国会などに検定意見の撤回と記述回復を要請する。

 仲里実行委員長は「県民の約十人に一人が参加したことになる。県民の総意を国も看過できないだろう」と、記述回復を期待した。


検定見直し国会決議も/超党派視野民主が検討


 民主党の菅直人代表代行は二十九日、政府や文部科学省に「集団自決(強制集団死)」で軍強制を削除した検定のやり直しを求め、応じない場合は超党派で国会決議案提出を検討する意向を示した。また、国会の委員会審議の参考人として「集団自決」体験者を招き、証言を直接聴取する考えも明らかにした。

 教科書検定撤回を求める県民大会に出席した後、記者団の取材に応じた菅代表代行は「臨時国会の代表質問や予算委員会審議で取り上げ、文科省の調査官のコントロールでねじ曲げられた検定のやり直しを求める」と強調。「検定の見直しや規則を変えることに応じなければ、国会の意思を問う」とした。野党共闘を軸に、与党にも働き掛け、超党派で提出する考えを示した。

 大会に出席した共産党の市田忠義書記局長は「県民大会の決議の趣旨であれば賛同する」、社民党の照屋寛徳副党首も「検定撤回を求め、国会の意思を示すべきだ」と賛同。国民新党の亀井久興幹事長も「決議に賛成したい」とし、野党各党とも国会決議案提出に賛成する意向だ。

 一方、与党側は、参加した公明党の遠山清彦宣伝局長が「撤回を求めるのは同じだが、国会決議で個別の検定を見直すことは今後の政治介入を許す危険性もあり、慎重に対応したい」との考え。自民党の県選出・出身でつくる「五ノ日の会」の仲村正治衆院議員は「今回の大会決議で要請することが先だ。今後の対応は党の協議次第だ」と述べるにとどまった。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_01.html

 

2007年9月30日(日) 朝刊 27面

人の波 怒り秘め/真実は譲らない

 私たちの歴史は変えさせない。二十九日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれた宜野湾海浜公園には、主催者の予想をはるかに上回る十一万人が集まった。県民の十人に一人近くが参加し、復帰後最大の規模に膨れ上がった。「たとえ醜くても、真実を伝えたい」。沖縄戦で体験した地獄を語る勇気と、受け継ぐ覚悟。静かな会場に、世代を超えた県民の決意が満ちた。検定の標的にされた「集団自決(強制集団死)」の体験者は、失った家族に向けて涙ながらに成功を報告した。宮古、八重山の会場にも合わせて六千人が結集した。すべての視線が、文部科学省に向けられた。

 午後三時に大会が始まってからも、会場を目指す人の波は続いた。車いすのお年寄りと、乳児を乗せたベビーカーが、並んで進む。うるま市の山城真理子さん(54)は「大人から子どもまで、本当に県民こぞっての集まり」と、感激の面持ちを浮かべた。

 会場の広大な芝生は人で埋め尽くされ、周辺の敷地にも参加者があふれ返った。あらゆる木陰や車の陰に人、また人。

 「一九九五年の大会ではこの辺りまではいなかった。きょうは二倍いるんじゃないか」と驚く沖縄市の照屋哲さん(68)。ステージは遠く見えないものの、私語はほとんどない。訴えにじっと耳を傾け拍手を送った。

 家族連れや若い世代の姿も目立った。浦添市の下地正也さん(42)は、十二歳と八歳の息子の手を引いて参加。「まだ大会の意義は分からないと思うが、参加した記憶が残れば。これをきっかけに将来、自分で学んでほしい」と願いを込めた。

 球陽高校三年の真壁科子さん(17)は、チビチリガマがある読谷村から来た。一緒に参加した両親などから、「集団自決」への軍関与を聞かされて育った。「夢は教員。でも教科書が書き換えられてしまったら、悲劇をどう生徒に伝えればいいの」と、心配顔になった。

 体調が悪く、不参加を決めていた豊見城市の金城範子さん(64)は、朝起きてすぐに意を決し、足を運んだ。「私の後ろには、参加したくてもできない戦没者やお年寄りがたくさんいる。責任に押された」。最前列に一人で座り、「日本兵を恨みはしない。ただ、自分の名誉のために歴史全体を曲げることだけはしないでほしい」と訴えた。

 「きょうはうれしい一日だよ」。「集団自決」を体験した座間味村出身の宮城恒彦さん(73)は、帰路に就く人々を見詰めながら語った。「普段おとなしい県民のマグマが噴火した。何度踏みにじられても、沖縄の命運が懸かった問題では十万以上の人が動いた。戦争を体験していない世代が頼もしく見える」と、目を細めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_02.html

 

2007年9月30日(日) 朝刊 3面

書き換え「許さず」/超党派で撤回要求

 沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」で軍強制を削除した高校歴史教科書検定問題に対し、二十九日、宜野湾海浜公園で開かれた県民大会には、各政党の本部幹部らが多数参加した。十一万人が結集した大会の意義をそれぞれが高く評価、沖縄戦の史実をねじ曲げる検定の撤回を求めた。

 民主党の菅直人代表代行は「『集団自決』で軍関与を否定した動きを許さないという県民の思いを強く感じた」との感想を述べた。大会の意義については「戦争を風化させ、ねじ曲げようとする一部の動きに、当事者が苦しい体験を勇気を出して発言した。多くの人々が集まったことは歴史的な意義があり、歴史の歪曲を止めるきっかけになる」と話した。

 遠山清彦公明党宣伝局長は「県民が怒るのは、文科省が学問的、客観的に運用した検定制度と、戦争体験者の体験がずれているからだ」と指摘した。文科省には、同党県本部が四月に求めた県民参加による「沖縄戦共同研究機関」の創設を強く要望。沖縄戦の公正、客観的な検証を求めた。県民からの直接ヒアリングなど、検定制度の見直しも必要との認識を示した。

 市田忠義共産党書記局長は「これまで日本政府も軍関与を認めていた。それを覆すのは許されない歴史の書き換えだ」として、国政の場で検定意見撤回に向けて働き掛けていく考えを示した。大会について「県民の平和へのエネルギーが一層伝わった。国民全体の問題として、党派を超えて、歴史の偽造は許されないという思いをますます強くした」と述べた。

 社民党の保坂展人平和市民委員長は「教科書問題は住民虐殺や慰安婦問題などと同様に、戦争を客観的に見られるのかという歴史観全体の問題だ」と指摘。「県民の大きな声を、福田政権がどう受け止めるのか、週明けの所信表明に注目したい」とした上で、「他の野党と連携し、渡海紀三朗文科相への質問で、全面撤回の契機となる見解、発言を引き出す努力をする」と述べた。


県民の不満が「爆発寸前に」

知事、政府に配慮求める


 仲井真弘多知事は二十九日の県民大会終了後、記者団の取材に応じ「私が初めて見たほど大勢の県民が集まった。ある種のマグマというかエネルギーというか、何かが爆発寸前にあるのではないかと予感させた大会だった」と述べ、沖縄戦の実相と異なる文部科学省の検定意見に対し、県民の不満が限界点にあるとの認識を示した。その上で検定意見の撤回に全力で取り組む意向をあらためて表明するとともに、「地方の意見に耳を傾ける、理解に努めるという、中央におられる人々の感性をもう一回磨いて、精妙にしていただく必要があるのではないかと思う」と指摘。政府に対し、県民感情に配慮するよう求めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_03.html

 

2007年9月30日(日) 朝刊 28面

22万の瞳にこたえよ/視点

 強い日差しの中、時折心地よい風が吹いた。会場に入りきれない人々は、公園や隣の建物、小道、雑木林の中に座り、遠くで聞こえるマイクの声にじっと聞き入った。ステージが遠くても、見えなくても、そこに集まった二十二万の瞳は、検定撤回を求めるスピーチが続く舞台を静かに見詰め続けていた。

 けれども、あなたはそこにはいなかった。

 内間敏子さん=当時(19)。りんとしたまなざし、ピンクのブラウスがよく似合ったあなたは、座間味国民学校の教師。音楽が好きで、あなたがオルガンで奏でた重厚なハーモニーに感動し、戦後音楽の道へ進んだ教え子もいた。そのことをあなたは知らない。一九四五年三月二十六日、座間味村の「集団自決(強制集団死)」で亡くなった。

 自ら手にかけなければならない子どもたちをぎゅっと抱きしめ、「こんなに大きくなったのに。生まれてこなければよかったね。ごめんね」と号泣した宮里盛秀さん=当時(33)。戦時下、座間味村助役兼兵事主任だったあなたは、「集団自決」の軍命を伝えることで、軍と住民の板挟みになり苦しんだ。「父が生きていれば、自分が見識がもっと広く、大局的な見方ができたらと悔やんでいたと思う」。一人残された娘の山城美枝子さん(66)は、あなたに代わって会場に立った。

 なぜ、あなたたちは死に追い詰められたのか。残された人々が、私たちに語ってくれたことで、真実が伝えられた。

 魂の底から震えるように、軍の命令で家族が手をかけ合った「集団自決」を話した。戦後、片時も忘れることができない体験。請われて語ることで自らも傷ついた。それでも、「集団自決」が、沖縄戦のようなことが再び起こらないように、奮い立ってくれた。

 しかし、軍強制を削除した教科書検定は、「集団自決」の真実と、残された人々の心痛をも全て消し去った。

 検定に連なる背景には、日本軍の加害を「自虐的」とし、名誉回復を目指す歴史修正主義の動きがある。「集団自決」は標的にされたのだ。

 軍の名誉を守るために「集団自決」の真実を否定し、苦しさを乗り越え語る人々の心を踏みにじる。沖縄と、そこに生きる人々を踏みつけなければ、回復できない名誉とは、なんと狭量で、薄っぺらであることか。

 時代が違えば、「集団自決」に追い込まれたのは、今、沖縄に生きる私たちだった。

 沖縄戦を胸に刻んできた体験者、沖縄戦を考えることが心に芽吹いた若者たち。「集団自決」で死んで行ったあなたを、残された人々を、決して一人では立たせないとの思いで結集した。

 十一万六千人もの人々が共に立ち、誓った。私たちの生きてきた歴史を奪うことは許さない。「集団自決」の事実を、沖縄戦の歴史を歪めることは許さない。舞台を静かに見据えた瞳はそう語っていた。

 政府は、この二十二万の瞳にこたえよ。(編集委員・謝花直美)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_04.html

 

2007年9月30日(日) 朝刊 26面

沖縄戦事実 否定に怒り/解説

 十一万六千人。人口百三十七万人の沖縄県でこれだけの県民が集まった。東京都で考えれば、百八万人の集会に相当する。その意思表示を文部科学省はどう考えるのか。今後の対応を注視する。

 そもそも、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の開催は、沖縄からの民意や反論に文科省が真剣に対応してこなかったことが背景にある。

 「『集団自決』で日本軍の強制があったことを否定されれば、ガマからの追い出し、食料の強奪、スパイ容疑での虐殺など、そのほかの沖縄戦の住民被害を否定されたのと同じになる」。平良長政・大会実行委員会幹事が大会後に述べたように、県民は今回の教科書検定で、体験、記憶、学習を通じて共有してきた「沖縄戦の事実」が否定されたと感じたのだろう。

 県議会と全四十一市町村議会で検定意見撤回を求める意見書が採択されたのは、その民意の表れだ。

 「集団自決」に対する日本軍の強制があったことを証明するこれまでの研究に、体験者による新たな証言がいくつも加えられ、検定結果への反証として示されてきた。

 県議会、市町村議会、副知事、教育長、市民団体。沖縄は、こうした民意と反証を基に、何度も文科相に説明と対応を求めてきた。そのたびに文科省は、「審議会による学術的な審議に基づく決定で覆せない」と、事実と異なる「官僚答弁」に終始してきた。

 対応に当たるのは、検定の内実を詳しく知る課長でもなければ、決裁権を持ち、責任が問われる立場の局長や文科相でもない、中間管理職の審議官だった。

 六月、伊吹文明文科相(当時)は「検定結果について沖縄の皆さんの気持ちに沿わないようなことがあるんだろうと思う」と発言した。ここにボタンの掛け違いがある。

 県民はあいまいな感情で怒っているのではない。「事実を否定された」から怒り、その論拠も示している。

 渡海紀三朗・現文科相は県民大会について、「どういう大会になるのか、どういう意見が出るのかを見極めて、対応したい」と発言した。期待したい。行政が過ちを認めないとき、それをただすのは政治の役割だ。

 文科省は県民大会であらためて示された事実と、事実歪曲への怒りを素直に受け止めるべきだ。(社会部・吉田啓)


     ◇     ◇     ◇     

検定抜本改善へ歴史的一歩/高嶋伸欣氏・琉大教授


 県民大会準備に参画していた一員として、何より勇気づけられるのは、参加者が十一万人を超えたことだった。主権在民のこの社会では、行政や政策に関連して主権者が何らかの形で意思表示をしなければ、民主主義の健全さは保てない。

 大会準備中、実行委員会は五万人という控えめな目標数を設定した。それには弱気すぎないかという声も少なくなかった。しかし、だからと言って自信をもって大丈夫と主張できる根拠を見出すのは困難だった。

 それが連休明けの九月二十五日から様相が一変し、県内だけでなく県外どころか国外からもメディアや市民運動からの照会、連携行動の情報が洪水のように押し寄せた。

 東京中心のメディアの場合、腰をあげるのが遅すぎた面もある。それだけに、いよいよ沖縄での盛り上がりぶりを知って、動かざるをえなくなったのだとも考えられた。メディアの世界でも。一地方にすぎない沖縄が中央に揺さぶりをかけたのだと見て取れる。

 この解釈は、県民大会会場に駆けつけていた全国からのメディアの姿によって、裏付けられていた。中央のメディアを揺さぶり、この件について今後は真剣に取り組まざるを得ないと認識させる状況づくりに、われわれも多少は参画できたのだと、誇りに思いたい。

 このことは、伊吹文明前文部科学大臣の詭弁同然の弁明を、これまでのところ結果的には容認してしまっていた中央のメディアを、著しく緊張させたことになる。来月中旬に予定されている実行委員会の東京行動では、今回の大盛会を背景に強気の交渉が予想される。文科省交渉では、これまで一切の面会を拒否していた初等中等教育局長や事務次官のレベルでは済まされない。文科大臣の面会は当然だ。首相官邸の場合、首相はともかくとしても、官房長官が政府総体としての対応を示すためにも出て来ざるを得ないと思える。

 それに、ここまで解決を遅らせた結果、問題の根本原因が検定制度の構造的欠陥、特にきわめて非民主的な強権性と密室性にあることまで、多くの人々が気付くに至った。国会では野党各党が、「集団自決」の検定意見撤回だけでなく、検定制度の見直しにまで踏み込んだ議論を、国会で展開する準備に着手したという。

 この事態は、今回の「集団自決」検定問題が、戦後の教育界で積年の論点となっていた教科書制度の抜本的再検討をいよいよ不可避にしたことを意味している。それは、当然ながら全国の教育関係者を巻き込む議論になる。

 一九六五年度から全面実施された小・中学校の教科書無償制は、日本の民主的な教育を支えるものとして国内外で高く評価されている。その無償制が高知県の母親たちを中心とした市民運動が発端だったと、教育関係者の間では語り継がれている。同様に、やがて教科書制度が大幅に民主化された時、それは沖縄の県民大集会で示されたエネルギーが発端だったと語り継がれることになる。

 われわれは今、新たな誇れる歴史をまた刻むことができた。それがこの九・二九県民大集会だった。(社会科教育専攻)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_05.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年9月30日朝刊)

[11万人の訴え]

政府の見解を問いたい


史実の改ざんを許すな


 宜野湾海浜公園を埋め尽くした老若男女。三〇度を超える日差しの中で特にお年寄りの姿が目立ち、親子連れ、本土からの参加者も多い。

 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に参加した人々は十一万人を超え、大会決議が採択されてからも人の流れは途切れることがなかった。

 一九九五年の米兵による暴行事件に抗議した「10・21県民総決起大会」の八万五千人を大きく上回ったのは、沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」から旧日本軍の関与を削除しようとする教科書検定の動きに対し県民の怒りがわき上がったからだ。

 沖縄戦の記憶は県民の心の奥深くに脈打っている。自分の親や子どもに手をかけ、親類などが「集団自決」した関係者にはさらに重くのしかかる。

 文部科学省の検定は、「集団自決」の問題だけでなく、軍と住民が「共生共死」の関係におかれた上に、旧軍が住民を守らなかったという沖縄戦の実相をゆがめようとする動きに映る。

 「十一万」という数字はそのことに対する異議である。文科省は抗議の声が参加できなかった多くの県民にも幅広くあり、島ぐるみの大会だということを見過ごしてはなるまい。

 「戦(いくさ)が終わったときも暑かったよ。世の中、段々おかしくなっていくようだし、きょうは何が何でも来ようと思っていたさぁ」

 午後一時すぎ、離島から船とバスを乗り継いで来たという年配者のグループはこう話した。

 参加者は決して政治的な意図を持った人たちではない。農業に従事する人、漁業者、公務員、会社員、婦人会の仲間、世代を超えて中学生、高校生だけのグループもいる。

 「教科書の問題は私たちの問題。戦争のことは知らないけど、『集団自決』という怖いことも真実は真実として教えてもらいたいし、次の人たちにも伝えていくべきだ」と話したのは宜野湾市内の女子高生だ。

 参加者の願いはそこにこそあり、沖縄戦の実相を史実として歴史教科書に記述し、そのことから平和の尊さを学ぼうということである。


歴史の修正試みる動き


 では、現在の高校歴史教科書に記述されている「集団自決」における旧軍の関与が、なぜ今回、書き換えられたのだろうか。

 二〇〇六年十二月の検定意見受け渡しで、文科省の教科書調査官は次のような意見をつけている。

 「『集団自決』をせざるを得ない環境にあったことは事実であろうが、軍隊から何らかの公式な命令がでてそうなったのではないということで見方が定着しつつある」

 本当にそうだろうか。体験者の証言はむしろ旧軍の関与を如実に示すとともに、手榴弾を配布して“玉砕”を強いたことも明らかにしている。

 伊吹文明前文科相は「文部科学省の役人も、私も、安倍総理(当時)も、一言も容喙(口出し)できない仕組みで日本の教科書の検定というのは行われている」と述べた。

 だが、これまでの文科省の対応を考えれば詭弁と言わざるを得ない。

 調査官の意見と前文科相の発言は、旧軍の関与を消し去ろうとする試み以外の何ものでもなく、そこには政治的な思惑さえ感じさせる。

 歴史を修正する試みであり、歴史を歪曲しようとする動きが県民の理解を得られるはずがない。


信頼を取り戻す努力を


 「どういう意見が出るのかを見極めて、対応させていただきたい」。渡海紀三朗文科相の発言だ。

 岸田文雄沖縄担当相も「この問題に対する県民の思いの深さをあらためて感じている。私も福田内閣もしっかり受け止めていかねばならない」と話す。

 長い間うちに秘め、親やきょうだいに手をかけるという凄惨な体験を口にしなければならない状況に追い込んだのは、言うまでもなく国である。

 高校生を代表した読谷高校の津嘉山拡大君、照屋奈津美さんは、おじいさんやおばあさんに聞いた戦争中のことを「それを嘘だというのですか」と問うた。旧軍関与の削除には「嘘を真実と言わないでください。私たちは真実を学びたい。そして次の子どもたちにも伝えていきたい」と訴えている。この声を政府はどう受け止めるのか。

 教科書の信頼を取り戻すには事実をゆがめず、史実を真摯に記すことだ。県民の訴えを政府がどう聞くのか。国会の動きとともに注視していきたい。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070930.html#no_1

 

琉球新報 社説

検定撤回県民大会 国は総意を見詰めよ/歪曲を許さない意志固く

 「歴史の改ざんや歪曲(わいきょく)は決して許してはならない。禍根を残すことになる」

 会場を埋め尽くした参加者の胸の内は、老若男女を問わず恐らく、この一点に集約されるのではないか。

 苛烈な62年前の沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」(強制集団死)を強制したとの教科書記述が削除・修正された問題で、文部科学省の検定意見に抗議する県民大会は、最大規模に膨れ上がった。宜野湾海浜公園を目指して四方八方から押し寄せる人々の波は、開始後も切れ目なく続いた。11万人。参加者は大会が終わるまでひきも切らなかった。

記憶の底に刻む

 名前もない小さな川が、同じ流れを求めて緩やかにうねる。大会はそんなドラマを連想させる趣があった。

 空前の規模ばかりではない。テレビの前で中継を見守った多くの人々を含め、信条や立場、世代を超え、県民があらためて歴史認識の共有を確認しあった。その意義は、計り知れない。沖縄の歴史と県民の記憶の底に、将来にわたってしっかりと刻み込まれるだろう。

 実行委員会に加わった22団体の代表をはじめ、高校生、戦争体験者らが次々に登壇、撤回要求に応じない文科省の姿勢を厳しく批判したのは当然だ。

 「軍の命令や強制、誘導によって集団自決があったのは隠しようのない事実だ」「史実として正しく伝え、悲惨な戦争を再び起こさないことが私たちの責務」

 国・文科省は、大会で発せられた声に対し、どう向き合うのだろうか。検定によって沖縄戦の実相をゆがめることへの怒りや痛苦に満ちた訴えを、真正面から受け止めるべきだ。島ぐるみの抗議を軽視することは許されない。

 いかなる改ざん、隠ぺい工作が行われたにしても、真実の姿を必死に伝えようとする県民の意志をくじくことはできない。規制や圧力が強まるほど、語り継ぎたい思いは増幅するに違いない。

 文科省は、このことを強く肝に銘じるべきだ。

 記述の削除・修正から大会に至るまでの経緯を、いま一度振り返ってみたい。

 発端は今年3月末、2008年度から使用される高校日本史教科書で文科省が修正を要求する検定意見を付したことだ。集団自決に日本軍の命令や強要があったと記述した5社、7冊の教科書に対し「沖縄戦の実態について誤解する恐れがある」との検定意見である。

 この結果、すべての教科書から集団自決をめぐる軍の強制の記述が消えた。

 肉親同士が殺し合い、自ら命を絶つほかに選択肢がなかったのが集団自決の本質だ。教科書から「日本軍」という主語が消されれば、その実相はつかむことができなくなる。

国の論理は転倒

 だが教科書会社は主語を削ったり、あいまいな表現に書き換えたりした。文科省から合格判定を得るために大幅に修正した。

 県民の怒りを買ったのは、検定撤回を迫る要請団らの再三の要求に対し、文科省が門前払い同様に扱ったことだ。教科用図書検定調査審議会が決めることを理由ににべもない姿勢に終始してきた。

 町村信孝官房長官は大会前日の28日、記者会見で「検定制度の客観性、信頼性を失わせないよう政治の立場からあまり物を言うべきではない」と述べた。

 この発言は理があるように見えなくもない。しかし、実態はあべこべこではないのか。国の論理が転倒していると言わざるを得ない。文科省こそが教科書への信頼を損ねている。多くの県民はそう考えている。審議会とは実は名ばかりで、実質的論議がなかったことは委員らも認めているからだ。

 記述の削除・修正は、文科省の事実上の書き換え指示なしには起こり得なかった、とわたしたちは強く主張したい。

 本土各地でも議会決議が相次いでいる。訂正申請に向けた執筆者の動きも見られる。執筆者には県民総意を踏まえ、手を取り合って記述復活に傾注してほしい。研究者の良心を、ぜひとも示してもらいたい。

 文科省には繰り返し注文しておきたい。県民の決意の重さを見誤ってはならない。検定制度の見直しも不可欠だ。

(9/30 10:10)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27661-storytopic-11.html

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