終戦63周年の決意 – 真の独立と平和を、生活向上を、民主主義を、環境を?敗戦

 今日は、敗戦・終戦記念日です。

 私は、当時6歳でした。今日と同じように晴れ上がった暑い夏の日でした。栃木県の矢板という小さな町の小さな教会に付属する牧師館にいました。

 牧師館の畳の部屋でした。縦型の真空管式ラジオ、茶色のラジオを大人たちが囲んでいました。そのラジオを今でもはっきり覚えています。敗戦の玉音放送(天皇の放送を「玉音」というのです!)が流されたのは、このラジオからでした。36歳の若い父はいませんでした。もちろん徴兵でとられ、中国戦線にいたからです。それから63年。

 私は、今年の敗戦記念日を、ひと月後に70歳を迎える年齢で迎えました。

 戦争と重なった、学齢前の時期を除けば、私の人生はほとんど、「戦後」と重なっています。その人生をふまえて、敗戦63年を記念する今日、私は、何を決意したでしょうか。私の決意は、平凡ではありますが、日本の真の独立を回復することと再び戦争をする国にはしない、平和憲法を守る、ということでした。

 [マスメディアと9条]しかし、マスメディアの状況を見ると、この決意は決して平凡ではないことに気づかされます。「戦争は二度としない」ということは、63年前は当たり前のことでした。その2年後に制定された日本国憲法、特に9条は、その当たり前の国民の感情を国の基本法に反映したものでした。しかし、今や、マスメディアや日本社会では、そのことが「当たり前のこと」ではなくなっています。社説で「憲法9条を守ろう」と旗色鮮明にしている新聞は地方紙にはかなりありますが、全国紙はそうではありません。東京新聞の今日の社説は、「人間中心主義に帰れー終戦記念日に考える」と題した、なかなかいい社説でした。オリンピックで言えば入賞ということになるでしょう。しかし、メダルの色は、残念ながら「金」とは行きませんでした。「銅」というところでしょうか。なぜなら、人間中心主義を政治的に反映しているものは、日本国憲法特に第9条であることへの言及がなかったからです。

 [憲法9条を守ること]戦後63年、沖縄県をふくむ日本は米「帝国」の従属下におかれています。「戦争をする国」米「帝国」に対して、日本は、「戦争をしない国」であることを国の基本法である憲法で定めています。しかるに、宗主国の政策に、従属国は国の基本的あり方をあわせようとしています。それが9条を中心とする憲法の改悪です。

 日本の対米従属の象徴であり実体であるものは、在沖日米軍基地です。この基地は現実に戦争状態です。1959年東京地裁は、伊達判決において、日本における米軍の存在は憲法ととうてい両立し得ない、と判示しました。

(なお、ここで、「在沖日米軍基地」と表記するのは、沖縄県における米軍基地(専用施設)が、施設数で全日本の41%、面積で75%を占める状況を考慮するとき、単に在日米軍基地と表記するだけでは、沖縄県をふくむ全日本国における米軍基地の異常な実態をうまく反映できないからです)

 戦後63年間、日本は戦争をしなかった、ということは、ある意味では当たっています。しかし、現実には当たっていません。日本は在沖日米軍基地の存在によって、国の基本法に反して「戦争をしてきた国」「戦争をしている国」なのです。それに加えるに、「自衛隊」の参戦と軍隊化が執拗に米日支配層によって追求され、恒久法まで立法しようとしています。

 日本310万人、アジア2000万人というとてつもない数の人命によってあがなわれ、今も被爆者などの苦しみによって生き続けている憲法を守ることは、米軍基地をなくす運動と相まって、日本を「戦争をしない国」であり続けさせるだけでなく世界を「戦争をしない国ぐに」にかえ、在沖日米軍基地と自衛隊派兵によって「戦争をしている国」であることをやめさせ、日本を真に独立した国にすることにつながると確信します。このことは、また、生活向上と、民主主義と、環境保全につながります。それを実現する統一・共同戦線結成のために生涯をかけて努力する決意です。

 これが私の敗戦・終戦63年の決意です。

(2008年8月15日)

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