60年前の9月8日に沖縄を含む日本に何が起こったのでしょうか?(3/7)

60年前の9月8日―「アンポ」体制はじまる(2)

○なぜ「安全保障」条約と言うことが大ウソなのでしょうか2(米政府・米軍は、米国支配を「安全保障」といいます)

 今年わたしは、ピースボートに乗る機会があり、その企画の一つで、ラテンアメリカでのおそるべきテロを米軍養成の軍人たちがおこなっていたことが話されました。中南米各国の平和活動家、労働組合活動家、弁護士、医師その他の市民を拉致し、拷問し、殺し、遺体を秘密に隠すといった残虐なテロが行われ、何百、何千、国によっては、万を超す市民が行方不明になり殺されました。これをおこなったのは、各国の軍であり、それはSOA(スクール オブ アメリカ、つまり、アメリカ学校)で教育された軍人たちでした。講師(「水先案内人」と呼びました)は現在、ベネズエラに住むアメリカ人女性で、同国の神父たちと共に、いのちがけで、身の危険を顧みずSOA閉鎖の活動をして来た人でした。

 SOAはアメリカ国内にあり、米陸軍に属し、ラテンアメリカ各国の軍は、そこに、将校を派遣し教育し、帰国後テロを実践してきたのです。 SOAは、暗殺技術などはもちろん教育しますが、平然と自国の市民にテロをおこなえる「信念」を植え込んできました。そのイデオロギーを、SOAでは「安全保障」主義と言う名称のカリキュラムにしているそうです。市民活動家たちは、以前でしたら、ソ連、共産主義の手先であり、国家を転覆する勢力なので、国の「安全保障」の敵である、したがって、国を守るためには、拉致・拷問・暗殺は当

然のことだと言うものです。

 SOA閉鎖運動が、次第に高まって行くのを見て、米陸軍は、SOAと言う名称を変えました。場所も建物も教育内容も全く同じままでした。変更した名称は、「西半球安全保障協力機構」というものです。ここでもまた、「安全保障」が民衆をだます米国支配のキーワードになっているのです。

 米日政府が「安全保障」というとき、それは、米国の支配と同意義なのです。けっして、普通の人びとが考えるような、民衆を守る本当の「安全保障」ではありません。それは、日本においても米軍のこの(アンポと言う名の)半占領条約締結後の60年が示しています。その悲惨な実例が今回の福島における原発事故です。

 

■60年前の9月8日―「アンポ」体制はじまる(2)ー ○「安全神話」だけでなく「安全保障神話」から目を覚ますとき(原発との関連)(4/7)へつづく

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