作成者別アーカイブ: inoue

(普天間通信)こんな爆音を聞きに半移住?

(普天間通信)2011118

 

きのうから、普天間生活第4期が始まりました。

今朝から続く爆音。間断はありますが。カッコよく、歴史と民衆の指示により、自分で決めて半居住を始めた、それはいいけれども、率直に言って、「やれやれ、こんな爆音を聞きに、わざわざ、東京から半移住してきたのか!」という気持ちになります。東京麻布ヘリ基地の爆音から、何をもの好きに、普天間の爆音を聞きに来ることがある!

 

 こんな爆音に、私は慣れることはできません。

 精神的に負けないように、リラックスしていかないとおかしくなります。また、あのなんとも形容できない爆音が聞こえています。

 

 こんな爆音を聞かされるだけでなく、絶えず銃撃の危険性の下にあるアフガンの人たちの怒りが、ひしひしとわかります。ストレスはガンを発生させる、とも聞いています。現に、戦時性奴隷制度を裁く女性国際法廷の主催者の一人であった、姉の松井耶依(やより)は、膵臓癌で68歳の若さで亡くなりました。 

 

 昨日、那覇空港に向かう機上で、次のような文を書きました。

 

今年の普天間滞在・居住が始まりました。

 岡田民主党幹事長、前原菅民主党外相は、相ついで沖縄を訪問し、普天間基地(飛行場)の沖縄県内移設の日米合意(5.28合意)を強行することを表明し、県内移設を沖縄県が認めないならば、普天間基地(飛行場)は固定化するという脅しを、知事、宜野湾市長に述べました。

一方、仲井真沖縄県知事は、全国知事会で普天間代替基地の受け入れを他の都道府県知事に求めました。基地悪の「平等化」です。これが受け入れられるわけはありません。

他の都道府県も、沖縄県と同じように「県外」を主張する権利を持っているからです。なぜなら沖縄県だけでなく、すべての地方自治体は、外国軍隊の横暴から、自らの住民を守る権利と義務を持っているからです。沖縄県と同様に。

日本のどこにも、米軍基地を新たに受け入れるところがないことは当然であり、伊波県知事候補が主張した「県外・国外」しか理の通った主張はないのです。「県内移設」を認めるなどと言うことは、住民を守るべき地方自治体の長として問題外の言語道断です。同様に、他の都道府県知事に基地を認めろというのでは、自民公明政権や民主党政権と同じ、他の自治体の地方自治無視の態度であり、許されるものではありません。

 

上のところまで書いたところで、飛行機は那覇空港に着陸しました。

この普天間の苦しみは、日本のどこに持って行っても変わるわけではありません。だから、普天間基地(飛行場)を閉鎖し、撤去し、返還することを早期に実現する以外に道はないのです。そのことを、伊波さんなら、全国知事会で訴えて、共感を得たことでしょう。「普天間を受け入れないからけしからん」(また爆音です)と言うことを県知事が言うのではなく、伊波さんの著書の題名が言うように「普天間基地はあなたの隣にある。だから一緒になくしましょう」と言うことこそが、沖縄県知事が主張するべきことなのです。自公政権や民主党政権と同じ「抑止力論」に立った仲井真知事の主張では、日本政府を動かす正しい民衆の力を作り上げることからほど遠いのです。(また爆音です。東京麻布ヘリ基地の爆音も絶え間なく聞こえる、と言っていいですが。)

 

(普天間通信)宜野湾市長選で勝利!沖縄県知事選はきわめて残念!

(普天間通信)宜野湾市長選で勝利!沖縄県知事選はきわめて残念!

みなさん

平山基生・@普天間―東京・麻布ヘリ基地からです

 

さきほど、普天間基地(飛行場)がある宜野湾市の「平和・緑豊かな未来にはばたく宜野湾市をつくる会」(安里タケシ宜野湾市長候補選挙事務所・伊波洋一沖縄県知事選候補宜野湾市事務所)で、沖縄県2大選挙の結果を受け止めてきました。

 

 伊波沖縄県知事選候補は、297082票、相手の仲井真候補は、335708票で、その差38626票でした。投票率60.85%でした。伊波候補は敗れました。

 宜野湾市長選は、普天間基地をなくす候補安里猛前宜野湾市副市長が23598票、安次富候補が21742票、1856票の差で、安里猛候補が勝利しました。僅差でした。

 

 沖縄県2大選挙は、11敗でした。

 

 伊波陣営は、8市町村、宜野湾市(ぎのわんし)、読谷村(よみたんそん)、西原町、中城村(なかぐすくそん)、北中城村、今帰仁村(なきじんそん)、久米島町、大宜味村(おおぎみそん)で勝利。沖縄の市町村数は40です。

 

 宜野湾市長選勝利は、伊波敗北のかなり後に、報じられました。伊波に続いてタケシも敗れたらどうしよう、という不安が、事務所を覆っていました。そこへ、NHKラジオがタケシ当確を報じたとの報、選対責任者は慎重でした。琉球新報も頭角を報じました。しかし、テレビは報じません。しばらくして、テレビがタケシ当確を報じ選対責任者もそれを確認しました。爆発するような、万歳の声、拍手。涙する多くの人々。わたしも、事務所のいろいろな人々と抱き合って喜びました。お互いの目には光るものがありました。

 

 「闘いはこれからですよ。」「普天間基地(飛行場)をどうしても無くしましょうね。」

 県知事選の敗北に多くの人たちは涙していました。

 

 ほんとうに闘いはこれからです。(20101129日深夜)

(普天間通信)「伊波・仲井真氏競り合う」(「沖縄タイムス」22日トップ)

(普天間通信)「伊波・仲井真氏競り合う」(「沖縄タイムス」22日トップ)

  今朝の「沖縄タイムス」「琉球新報」は次のように報じています。2021日両日実施の「沖縄タイムス・朝日新聞・QAB調査」によれば、「新顔で前宜野湾市長の伊波洋一氏と、現職の仲井真弘多氏が激しく競り合っている」「仲井真氏わずかに先行、伊波氏猛追 2割未定」「有権者の2割が投票態度をあきらかにしておらず」ということです。「琉球新報」が掲載した、「共同通信調査」(2021日実施)でも「仲井真、伊波氏が接戦、2割以上が未定」といいます。

 これらの調査結果は、前宜野湾市長陣営が、死に物狂いの奮闘をするならば、追いつき追い越す可能性が十分あることを示しています。逆転、再逆転、再再逆転など、投票箱のふたが閉まるまで、奮闘しきった方が勝利の栄冠を得るということです。安心しゆるんだ方、また、落胆して、行動しない方は負けとなるでしょう。基地のない豊かな沖縄、そして日本をつくる正義と科学性をもった前宜野湾市長陣営が、必勝の確信をもつことと、一見矛盾しますが、最後の最後まで「勝つだろう」とか「負けるだろう」とかの予想に頼らず、1人でも支持を増やす努力を実践すること行動すること、それのみが、正義を勝利させる決定的な力です。

 基地問題でも、経済問題でも、政策的に圧倒的に優位に立つ正論を述べていながら、前宜野湾市長陣営が、圧勝どころか、わずかに後れを取っているということは、前宜野湾市長が新人で、知名度が前県知事より少ないこと、政策浸透に時間がかかることなどによるものと思われます。しかし、時間は決まっており、これらの要素を克服するには、寸暇を惜しんだ、前宜野湾市長陣営の奮闘が求められています。

 県知事政治戦と合わせておこなわれる宜野湾市長政治戦は、昨日告示されました。そこでは、前宜野湾市副市長が前宜野湾市長の革新市政をひきつぎより発展させる素晴らしい政策特に普天間基地をなくし跡地を活用するならば、宜野湾市の未来は、洋々としたものである跡地利用政策は、相手候補(元衆議院議員)には、不可能な政策です。



 現地は、必死です。疲労困憊しながらも死に物狂いで闘っています。特に若い人たちに対するいろいろな創意も発揮しています。

あと1週間。全国からの支援が必要です。こういう政治戦には、ものすごい気力と人手、創意が求められます。相手には、米日2大政府権力がついています。それを打ち負かす、カンパ、励ましの手紙・寄せ書き、数日でも参加するヴォランティアなどなど、こういう日本全国からの総力をあげた支援が、勝敗を決する重要な不可欠の要素です。必ず勝つという不動の確信をもって、それを行動によって保障しようではありませんか。歴史をつくろうではありませんか。(20101122日朝)

 

(普天間通信)11 日、歴史的な沖縄県知事政治戦

(普天間通信)11 日、歴史的な沖縄県知事政治戦

 みなさん

平山基生・@普天間―東京・麻布ヘリ基地からです

 

 夜が明けて、1111日。どうしても前宜野湾市長が勝利しなければならない沖縄県知事政治戦が告示されました。同じく歴史的な宜野湾市長政治戦には、宜野湾市元副市長が出馬しており1121日告示となっています。

 昨日は、午前と午後、普天間飛行場(基地)の西から海岸地帯までにある大山地域で、前宜野湾市長政策ビラの各戸配布を、1人で行いました。

 

 一昨日ほどの快晴ではありませんでしたが、晴れで気持ちのよい海風が吹いていました。

椎間板ヘルニヤ・脊柱管狭窄症を患った後遺症のある右足と、左足のひざに故障があるため、アパートの階段を左足をかばいながら一歩一歩上がって配りました。大山地域の世帯数はしりませんが、渡された500枚を配り終わりました。116日の土曜日にチラシを受取り少し撒きました。7日は総決起大会が約1時間かかる那覇市の沖縄県立武道館であり、雨であったので配布行動はなし。8日、9日、10日と分けてやっと配り終えました。とにかく配ってしまおうと、初めての土地なので、初日、二日は全くはかどりませんでした。そこで、一計を案じ、アパートなどの集合住宅を選んで重点的に配ることにしました。この作戦は図に当たり、500枚を配ってしまったわけです。大山の世帯数は500などという少ない数ではありませんから、いわゆる「全戸配布」には程遠い枚数でした。しかし、世帯数のチラシを任されても、わたし一人では配りきれなかったでしょう。要するに人手が足りないのです。

 

 配っている間に米軍機の爆音は相変わらずでした。チラシをまいていると、4から5人のグループが、チラシ入れをしていました。こちらは一人ですが。かれらは、相手陣営の自民党元衆議院議員で宜野湾市長候補の政策ビラを各戸に配布していました。こちらは、市長候補の前宜野湾副市長のビラ入れにいたっていません。チラシが出来上がるのに、数日かかるようです。相手市長候補のチラシは、チラシだけでなく、前県知事自公推薦候補のチラシとセットで配っていました。チラシ入れでは、一歩前宜野湾副市長が後れを取っています。

 

 各戸配布している間も、創価学会・公明党の宣伝カーが前県知事と元衆議院議員の宣伝を流しています。また、前県知事の宣伝カーも通って行きました。前宜野湾市長の宣伝カーにはぶつかりませんでした。

 各戸配布中に家の人と会うときは、「基地はどうしても無くさなければいけませんね。いつ飛行機が落ちても不思議がないのですから。近くの大山小学校の児童の事を考えると、基地をなくす前宜野湾市長と、前宜野湾副市長さんをお願いします」といいます。大山5丁目では、前宜野湾市長の親戚だという女性は「基地をどうしても無くさないとね」と言っていました。

 いよいよ、県知事政治戦、宜野湾市長政治戦のたたかいの開始です。全力総力を傾けましょう。

(普天間通信)「707名の普二っ子一人一人が輝き、元気で明るく」

(普天間通信)「707名の普二っ子一人一人が輝き、元気で明るく」

 

みなさん

 

平山基生・@普天間―東京・麻布ヘリ基地からです

 

 

  普天間第2小学校は、普天間飛行場が「世界で一番危険な米軍基地」であることの象徴のような存在です。2年前にこの小学校に赴任された、校長の知念春美さんは、ホームページで、つぎのように普天間第2小学校を紹介しています。

 

 

 

普天間第2小学校 

 

校長あいさつ 

 

ようこそ。宜野湾市立普天間第二小学校のホームページへアクセスくださりありがとうございます。平成20年4月に着任致しました、第15代校長の知念春美です。本校は、昭和44年4月1日に普天間小学校より分離し開校しました。(児童数848人、22学級) 昭和55年には児童数が1254人にまで増えましたが、その後は次第に在籍が減り、平成22年度は児童数707人・22学級です。

 

  平成8年には、近代的なオープンスペースを取り入れた新校舎、パソコン教室、視聴覚室、体育館、プール、幼稚園及び鯉や亀などの数々の魚が泳ぐ、“せせらぎの池”が完成しました。すべてが行き届いた施設で、ホテルみたいな清潔で花が咲き誇る明るい学校、子どもたちが誇る学校と自負しています。

 

  本校北側には長い歴史と伝統を持つ普天満権現、商店街などがあります。西側一体は米人住宅と遠く東シナ海が見下ろされます。南側は米軍の普天間飛行場と隣接している学校として、平和学習のため本校を視察する来客も多く、全国的に有名になっています。一方、輸送機やヘリコプターの発着時の爆音には悩まされることも多く、運動場や体育館、教室での授業が中断されたり、行事などに支障があるのも事実です。

 

  また、本校は3つの行政区からなり、普天間三区は商店街で、新城区は振興住宅で貸しアパートが多く、喜友名区は古くからの集落で、遺跡や文化財が多く残され、総合的な学習の時間等で、キャリヤ教育や児童の調べ学習の地域素材としてよく活用されています。

 

  さらに、地域の多くの方々が安全パトロールや学校支援ボランティア等に参加してくれますし、毎年、本校で、3自治会と学校が合同で夏祭りを盛大に開催し、地域で地域の子どもを育てようという意欲に充ちています。

 

  経営の基本目標を「人間尊重の精神に徹し、心身共に健全で情操豊かな実践力のある子、国際社会に貢献できる人間の基礎的な資質を資質を養う」とし、学校教育目標を「進んで学習し、よく考える子」「明るく心豊かな子」「じょうぶで気力のある子」の知、徳、体のバランスのとれた人間の育成を、全職員が一丸となって取り組んでいます。また、本年度は県の指定を受けテーマを「『ひと』や『もの』を大切にする豊かな心の育成」として、家庭・地域との連携を深めて、児童一人一人の良さや可能性を伸ばし、地域に根ざし、地域に誇れる学校づくりを推進していきます。

 

  これからも、707名の普二っ子一人一人が輝き、元気で明るく、楽しい学校生活が送れますよう、43名の職員とともに、保護者や地域の方々と連携を深めて教育活動に邁進していきたいと考えております。

 

                                              平成22年7月28日

 

                                                          校長  知念 春美

 

 

 707人の子どもたちと43人の教職員が危険にさらされていることは、許されることではありません。