<2006年2月9日 朝刊 1面>
有事システム・秒読み「県国民保護計画」(1)
よみがえる苦渋
50年目の報道統制
米軍がテープ強要
免許の壁、揺れる民放
県が民放5社に指定機関化を求めた文書を手にする真栄城さん=佐敷町の自宅
「君たちの気持ちはよく分かる。だが、このテープを放送しなければ、会社がつぶされる。今度だけは、僕の言うことを聞いてくれ」
一九五七年一月、首里の琉球大学構内にあった琉球放送。目にうっすらと涙を浮かべ、現場のアナウンサーを説得したのは、創業者の故座安盛徳社長だった。
米軍の土地収用に怒る島ぐるみ闘争の火が、全県に燃え広がっていた。そこへ、米民政府民間情報教育部が持ち込んだ一本の録音テープ。聞いてみると、辺野古の地主たちが口々に「軍用地料の一括払いはやむを得ない」と話している。
基地の永続化につながるとして一括払いに反対した県民要求と、真っ向から対立する内容だった。アナウンサーたちは一致して「民政府の狙いは見え透いている。こんなテープは放送できるわけがない」と決めた。
しかし、民政府は放送免許を盾に、強硬に放送を要求した。座安社長の説得にアナウンサーも折れ、テープはそのまま電波に乗せられた。
ラジオが県民に背を向け、米軍に有利な報道をした。案の定、同社には抗議の電話が殺到した。
当時のアナウンサー、真栄城勇さん(83)。「あの悔しさは絶対に忘れられない」と、今も苦渋に満ちた表情を浮かべる。座安社長も、大政翼賛体制下の報道の罪を知る戦中からの新聞人だった。「民政府の権限は絶対。社長も本当につらそうだった」
前身に当たる「琉球放送局」時代には、局内に検閲官が常駐し、ニュースの書き換えを指示した。本土の放送局が「報道の自由」の下で出発したのに対し、沖縄は戦後も報道統制下にあった。
一括払い容認テープの放送から約五十年。県内の民放五社は今、国民保護法に基づく「指定地方公共機関」化を突き付けられている。有事の際に、放送を義務付けられる国発令の警報、県の避難指示は、民政府のテープと重なって見える。
「沖縄の放送局は、長いこと苦い経験をしてきた。権力の押し付けには、堂々と歯向かってほしい」。真栄城さんが、後輩たちに送るメッセージだ。
民放五社の役員は一月末、県に意見書を提出した。当初、文案のタイトルには「指定受諾にあたって」という文字があった。報道現場や労組の反発で削除したが、経営側は指定の受け入れに傾斜を強める。
「現場の気持ちはよく分かる」。ある民放の首脳は、五十年前の座安社長と同じ言葉を口にし、「経営としても受けたくないのが本音」と続けた。
だが、米民政府がなくなった今も放送は免許制で、総務省が権限を持つ。国策をはねつけたら、どうなるか。首脳は「免許の更新時に何か言ってくる可能性はある」と不安を漏らす。「受諾の直接の理由ではないが、頭の片隅にはある」
外国からの武力攻撃など、有事の際の住民避難を定める県国民保護計画の決定が、秒読み段階に入っている。県は九日、計画案を関係機関でつくる県国民保護協議会に諮問。順調にいけば、来月中に答申を受けて正式決定する運びだ。沖縄で、有事に備える社会システムが起動する意味を考える。(社会部・阿部岳)
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/yuji20060209.html
<2006年2月10日 朝刊30面>
有事システム・秒読み「県国民保護計画」(2)
孤立する5社
放送は誰のものか
指定「市民不信招く」
西暦X年。政府は、沖縄本島南部に向かって、外国軍が侵攻していると警報を発令した。県もこれを受け、北部への住民避難の指示を出した。だが、報道部の記者は、北部の海上で外国の軍艦を見たという漁民の証言を得た。矛盾する情報をどう扱うか―。
仮に今、こうした事態が起きれば、放送局は情報の正確さを吟味し、取捨選択した上で県民に伝える。しかし、国民保護法に基づく「指定地方公共機関」になった後は、国や県の情報だけは「正確に」「速やかに」放送しなければならない。
「報道の自由」「放送の自律」は守れるだろうか。そう聞くと、ある民放幹部は「想定が極端すぎる」と声を荒らげた。一方、別の幹部は「沖縄戦を見ても、国が住民を足手まといと判断することはあるかもしれない」と声を潜める。
「警報や避難指示はなるべく各社一斉に伝達するが、難しければ指定機関に優先的に届ける」。県の担当者は六日、マスコミ労協の代表に明言した。
労協は「情報を盾にした選別だ」と反発したが、県は「確実に放送するという担保が欲しい」と繰り返す。消防庁国民保護室も「そもそも放送局の指定拒否を想定していない」と、県の姿勢を全面的に支持する。
これに対して、「報道機関を単なる広報の下請けと考えている表れだ」と指摘するのは、上智大学の田島泰彦教授(メディア法)。「国が考えることをそのまま放送させることは統制の度合いが強く、戦前でさえ直接的な仕組みはなかった」と強調する。
しかし、全国的にはNHKやキー局、地方局が続々と指定を受けた。沖縄以外で唯一、態度を保留する独立UHF局の千葉テレビ放送も「近く受諾する」。琉球放送、沖縄テレビ放送、琉球朝日放送、ラジオ沖縄、FM沖縄の五社は、孤立を深めている。
「有事の報道統制は遠い先の話ではない。国民の知る権利は、今まさに音を立てて崩れ落ちようとしている」と田島教授。イラク駐留の自衛隊をめぐる取材規制やメディア規制法を列挙する。
県は二〇〇五年十月、沖縄タイムスと琉球新報の県内二紙にも、県国民保護協議会の委員になるよう打診した。実現しなかったとは言え、有事システムの「網」はさらに広がろうとしている。
田島教授は、放送が誰のものかを問う。「勝手に指定機関になるのは、市民のパートナーでなく政府のしもべだと言うに等しい。市民の不信は決定的になり、それに乗じた政府の報道統制という悪循環が進むだろう。市民に情報開示し、意見を聞くことこそが、信頼回復の道ではないか」(社会部・阿部岳)
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/yuji20060210.html
<2006年2月11日 朝刊30面>
有事システム・秒読み「県国民保護計画」(3)
逆説的な基地避難
危険承知の選択肢
拒む軍に理解示す国
嘉手納ロータリーの中にあった自宅を出ると、周りには百人以上の住民が集まっていた。着の身着のまま、はだしの人もいる。
一九六八年十一月十九日の未明、米軍のB52戦略爆撃機が嘉手納基地内に墜落した。
南北を基地と弾薬庫に挟まれ、東からは爆発音が迫る。人々は、追い立てられるようにロータリーにたどり着いた。だが、西に行ってもその先は海だ。逃げ場を失い、パニック寸前だった。
当時団体職員だった宮城篤実嘉手納町長は、誰にともなく怒鳴っていた。「基地内が安全じゃないか」。フェンス越しの駐機場は、平静を保っているように見えた。
後に町議になると、議会で当時の町長に提案した。「各世帯に一個ずつペンチを配って、いざという時にはフェンスをちょん切って入れるようにしてはどうか」
二〇〇五年十二月の県国民保護協議会で、県は有事の基地内避難や通行を提案。宮城町長は自らの体験を語り、「大事なこと」と評価した。
有事に攻撃対象となり得る基地への避難は、すでに批判を呼んでいた。「その危険な基地が、比較的安全になり得るほど、嘉手納の状況は切羽詰まっている。こんな話を、会議で大まじめにしなければならないのは悲劇ですよ」
基地負担にあえぐ現状に逆説的な問題提起を込めた。実際には、「9・11以降、米軍は神経質になっている。甘い期待は一切ない」という。
宮城町長の見方を裏付けるように、米軍との協議は難航している。県は在沖海兵隊に打診を始めたが、返答は「有事にはゲートは閉ざす」。さらに、基地の運用継続に必要な従業員は手放さない意向を示した。
「交渉は続けるが、合意の見通しが立たない」。県は九日の協議会で、米軍関連の文章を計画案からばっさり削除せざるを得なかった。
県民の意見募集結果も報告。「放射性物質や有毒化学物質の実態を記述し、影響を検討すべきだ」との意見は、計画に反映させるとした。だが、担当者は「軍事機密。聞いても教えないだろう」と力なく話す。
沖縄などの要望を受け、国レベルでも在日米軍との交渉が始まっている。内閣官房の担当者は「不特定多数を、まして有事に基地内に入れることへの懸念は分かる」と、米軍側に理解を示す。
基地立ち入りの協議では一時的通行を優先し、県のように避難先に指定することには懐疑的だ。「安全かどうかもよく分からない」
その不気味な存在に包囲された沖縄で、「国民保護」は成り立つか。推進の旗を振る国から、確たる答えはない。(社会部・阿部岳)
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/yuji20060211.html