「闘いで結ばれた我々は、ネットワークを創設した!」
外国軍基地をなくす国際ネットワーク結成会議
国際会議は、南米大陸を貫くアンデス山脈標高2850メートルに所在し、世界遺産に登録されている都市エクアドル共和国首都キト市、カソリック大学で開かれました。「堅い連合か」「緩やかな連絡組織か」激しい論議の後に、この問題は、継続討議に残し、国際会議を主催した、国際組織委員会(IOC)を中心に、国際調整委員会(ICC)を結成することで合意し、史上初の「外国軍基地をなくす国際ネットワーク」が満場の拍手の下に結成されました。2004年の世界社会フォーラム(WSF)から始まり、わたしたち草の根運動委員長、副委員長が参加した、2005年のブラジル・ポルトアレグレのWSFでの相談会に続き、同2005年秋のキューバ・ハバナで開かれた米軍基地反対国際会議を経て、今年ナイロビでのWSFの後に、この会議は無事開催されたのです。受け入れ国エクアドルでは、米海軍マンタ基地を協定に従って2009年までに閉鎖することを公約する大統領が、当選し、メッセージも読み上げられました。この歴史的会議の成功は、世界の米軍基地反対運動の里程標であり、きわめて貴重なものです。
反基地国際ネット結成会議に参加した、22人の(沖縄・本土)日本代表
米軍基地をなくす共通の思いを超党派で、アジア・太平洋そして世界の仲間と共に
外国軍基地をなくす国際ネットワーク結成会議参加国は40カ国400人と発表されました。アジア、太平洋地域は、22人の日本代表を始め、会議の中心をになった、フィリピンのほか、韓国、オーストラリア、米領とされていますが米国に併合されたと強い主張を持っているハワイ、グアムが参加。地元ラテンアメリカからは、主催国のエクアドルはもちろん、キューバ、プエルトリコ、パナマ、ヴェネズエラ、二カラグァ、ペルー、チリ、ブラジル、グアテマラ、コロンビア、パラグアイ、アルゼンチン、エルサルバドル等多数、ヨーロッパからは、イタリア、オランダ、ドイツ等、アフリカのケニヤからも参加者がいました。インド洋上の小国モーリシャスからの参加も印象的でした。
びっしり詰まった正味4日間の全体集会分科会を含め会議全体の各国発言をここで紹介することは不可能です。別の形でお伝えしたいと思います。ここでは、文字通りきわめてグローバルな、日本語で言えばまさに「地球的な」そして人類史的な闘いが繰り広げられていると言うことを実感したことだけ述べておきます。
この会議は、外国軍基地をなくすという唯一の共通目的の下に、超党派の国際組織委員会が呼びかけたもので、前述したように日本からはこの呼びかけに応えて、22人の代表が、党派と地域を超えて、参加しました。
草の根運動からは、平山基生運営委員長と、小湊忍副運営委員長が参加し、カラー刷りの英日文の意見広
告を渡すなど、各国代表と懇談交流しました。国際組織委員会の中心で活躍した26歳のフィリピンの青年ハーバート・ドセナ氏等との懇談なども行いました。沖縄からは、敗れはしましたが那覇市長革新統一候補として闘った、高里鈴代さん始め、辺野古のヘリ基地反対協議会から、平良夏芽牧師、安次富浩氏、大西照雄氏、沖縄県出身の一橋大学大学院生(女性)も参加しました。
日本平和委員会の呼びかけに応えた諸団体からは12人が「日本代表団」を結成しました。草の根は、同一旅行会社のバスで、平和委員会関係日本代表と同一行動を取りましたが、マンタでの地元の方々との交流には思いがけなく参加できませんでした。沖縄平和委員会大西氏など12氏の団体名、お名前、活動地域などは、「しんぶん赤旗」「平和新聞」などに詳しく紹介されておりますので、ご参照下さい。上記以外の日本代表は、立命館大学助教授(女性)、上智大学生(女性)、ピープルズプラン研究所山口響氏、北海道平和運動フォーラム川口迪彦氏でした。
残念ながら、22人の日本代表全体で日本代表団は結成されませんでした。「日本代表団」と他の日本代表とのせっかくの機会を活かした交流も、十分ではありませんでした。それでも、会期中に開かれた、アジア・太平洋地域の小打合会には、フィリピンや韓国、オーストラリア、ハワイ、グアムなどの方々と地域共同行動について意見交換ができ、日本平和委員会関係12人の「日本代表団」からも参加があったことは収穫でした。(H)