2007年3月31日(土) 朝刊 3面
防衛施設局、返還計画の遅れ報告
那覇防衛施設局は三十日、在日米軍再編最終報告(ロードマップ)に明記された、嘉手納基地より南の六つの米軍基地・施設の返還に関する詳細計画の作成が、期限の三月内に間に合わなかったことを、関係市町村に正式に伝達した。
岡田康弘施設部長が同日、六基地の所在市町村のほか、牧港補給地区の倉庫機能の移設先とみられる読谷村などを訪ね、経緯と現状を説明した。
部分返還されるキャンプ瑞慶覧を抱える北谷町の野国昌春町長は「三月中に決まらなかったのは残念だが、(キャンプ瑞慶覧の返還部分の決定が)遅れるならば町の要望に沿って、細切れではなく、まとまった形の返還にしてもらいたい」と要望したことを明らかにした。同町長によると、施設局側は詳細計画の決定時期について「日米両政府間で調整の折り合いがついていないので、はっきりした時期は分からないが、そんなに長くは待たせないだろう」との見通しを示したという。
施設局は従来、日米で正式決定する前に地元に説明する意向を示しており、作成時期の遅れを受けても、日米が詳細計画を正式発表する前に、地元に説明する方針は変えていない。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200703311300_09.html
2007年3月31日(土) 朝刊 3面
普天間移設/米総領事が発言補足
ケビン・メア在沖米国総領事は三十日、米軍普天間飛行場の代替施設建設問題で「米側はすでに滑走路を可能な限り海側に位置することに同意している。米側はその位置に関する変更は可能ではないと思っている」との見解を発表した。
代替施設建設問題でメア総領事は二十八日、記者団に対し、県や名護市が南西沖合側への移動を求めていることを踏まえ、「地元の意見に十分配慮し、できるだけ沖合に寄せる必要があると認識した上で移設計画を確定する」と表明。
一方で「修正するという意味ではない」とも強調していた。総領事の同見解に対し、県や名護市は歓迎の意向を示している。
県首脳は三十日、「二十八日の総領事の発言は、現地の米国政府機関の代表として、県内の空気を踏まえ、総領事の気持ちを表したものと理解し、こちらも『精神論的にはありがとう』という気持ちでとらえている。内容的には(二十八日の発言と)変わらない」との認識を示した。
その上で「詳細な位置確定の過程で地元の意向を踏まえることについては、麻生太郎外相からも弾力発言が出ている。(日米で)総合的に努力されることを期待している」と強調した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200703311300_10.html
2007年3月31日(土) 夕刊 1面
乗員4人全員死亡/陸自急患ヘリ墜落
救急患者を乗せるために向かった鹿児島県・徳之島付近で三十日夜、消息を絶った陸上自衛隊第一○一飛行隊(那覇)の大型輸送用ヘリコプターCH47は三十一日朝、徳之島北部の天城岳(五三三メートル)山頂付近に墜落し、大破、炎上した状態で見つかった。
【東京】陸自第一混成団(那覇市)のCH47JAヘリが徳之島天城岳で墜落炎上した事故で、防衛省は三十一日未明から情報収集を続けているが、悪天候や事故の激しさなどから、現地からの情報収集に苦慮した。乗組員の確認などで情報が錯綜しており、現地の捜索、救難活動が困難を極めていることをうかがわせた。
防衛省では「四人目」の乗組員発見をめぐって、情報が錯綜。同日午前八時三十八分、報道機関へ「四人目の乗員発見」と発表されたが、十時半の発表では一転、削除された。
しかし、十一時十五分の報道機関へのブリーフィングでは「四人目は十時十五分に確認された」と再修正した。
防衛省によると、遺体の損傷が激しく、ばらばらとなっていたために判別がつかず、「四人目」とされた遺体が「三人目」の遺体の一部だった可能性が指摘されていたといい、事故の激しさをうかがわせた。
同八時十二分に「三人目」として発見、「重度のやけど、脈なし」とされた情報も「誤情報だった」として削除するなど、現地の捜索、救難活動の難しさを物語っていた。
154人車14台現地へ派遣
陸自那覇混成団
急患出動中の陸上自衛隊のCH47大型輸送ヘリが徳之島の山中で消息を絶ってから一夜明けた三十一日、事態は「墜落」「四人死亡」という最悪の結果を迎えた。
ヘリが消息を絶って以降、那覇市の陸自第一混成団には多数のマスコミが詰め掛け、渉外広報室は対応に追われた。
ヘリ墜落の一報が入った三十日深夜から三十一日未明にかけ、同室には隊員が続々と出勤し、電話などで慌ただしく情報収集に追われた。
報道陣も十人以上が詰め掛け、断続的に記者会見が開かれた。未確認情報が多く、「墜落の時間は」「現在のところ『墜落した模様』で墜落と確定したわけではありません」などと、緊迫したやりとりが交わされた。
事態が動いたのは三十一日午前七時すぎ。全国ニュースで事故の詳細が報じられると、広報官が現状について話し始めた。記者から遺体発見について問われると、広報官は「遺体ではなく心肺停止だ」と否定。「遺族の感情を考えてほしい」と厳しい表情を浮かべた。
その後、防衛省が出した文書を公表。最終的に「四人死亡」が確認され、関係者は肩を落とした。
捜索活動のため、第一混成団は五回に分けて計百五十四人と車両十四台を現場へ派遣。ヘリ墜落後、午前二時五十九分にヘリで隊員十二人を現地に。次いで六時三十四分に二十一人を、八時二十二分と三十四分にも同様にヘリで隊員を派遣した。
また、午前七時には隊員三十二人と車両十四台を載せた民間フェリーが出港し、午後四時に到着予定。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200703311700_01.html