米軍基地でのアスベスト被害 関連記事(2)

元基地従業員の労災申請/アスベスト被害 2006年4月27日(木) 沖縄タイムズ
 約四十年にわたり米軍基地内でアスベスト(石綿)の取り扱い作業に従事し、肺繊維症で昨年死亡した元従業員の男性=当時(70)=の遺族が二十七日午前、沖縄労働基準監督署に労災申請した。沖縄労働安全衛生センターによると、米軍基地関係者による申請は県内で二例目。
 男性は一九六二年七月からキャンプ・フォスターなどでボイラー設備の修理や断熱保温作業に従事、二〇〇五年十一月に亡くなった。同センターが今年二月に東京都の医療機関にレントゲン写真を送り、石綿肺などと判断された。
 申請を終えた男性の妻(70)は「最後まで苦しんだ夫のためにも早く認定されてほしい」と話した。
 同センターによると、〇五年十月に肺がんで亡くなった別の基地従業員男性=当時(69)=についても遺族が申請準備を進めているという。
 同センターが昨年十二月に二回にわたって行ったアスベスト被害電話相談、個別面談は計四十九件あった。このうち、元米軍基地従業員や基地内の作業員など基地関係者と関東、関西など都市圏への出稼ぎ労働者がそれぞれ十件と最多だった。
 相談者のうち死亡例は九人。死因は中皮腫と間質性肺炎がそれぞれ三人、肺繊維症が一人、じん肺が二人。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~cosmos/new/06.4/06.4.27m.html

国が元従業員4人に賠償/米軍横須賀基地の石綿被害
 米海軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)で働き、アスベスト(石綿)を吸いじん肺になったとして、日米地位協定の民事特別法に基づき損害賠償を求めた日本人の元従業員4人について、雇用主の国が賠償責任を認め、総額約5600万円を支払ったことが11日、分かった。
 同基地のじん肺被害で日米地位協定に基づく賠償は3回目。元従業員側代理人の古川武志弁護士によると、別の元従業員らが国に賠償を求めた訴訟の和解が昨年5月に成立したことなどで賠償基準が固まり、地位協定による迅速な救済が確立しつつあるという。
(四国新聞社 2006/07/11 12:28)

「米軍過失で石綿被害」 遺族が国に賠償請求
 県内の米軍基地で勤務後に肺がんで死亡し、那覇労働基準監督署が石綿肺がんによる労災と認定した元従業員の県人男性Aさん=死亡時(65)=の妻(62)が、「米軍の過失でアスベスト(石綿)にさらされ、石綿肺がんになった」とし、日米地位協定に基づき計3千万円の損害賠償を18日、那覇防衛施設局長に請求した。施設局の赤嶺邦男業務課長は「適切に対応したい」と答えた。米軍基地内の石綿問題に長年取り組む遺族側の古川武志弁護士(横浜弁護士会)によると、地位協定に基づく防衛施設局への損害賠償請求は県内で初めて。請求が拒否された場合、訴訟に切り替える方針。
 Aさんは1952年から96年まで、牧港補給地区(浦添市)などで機械工などで勤務。少なくとも64年から96年までボイラー修理などの際、石綿にさらされたとしている。2001年に肺がんで死亡。那覇労働基準監督署は今年2月、石綿肺がんによる労災と認定した。
 Aさんの妻は「病気を知らずに逝った本人がかわいそう。もっと早く対策していればと、命日のたびに思う。施設局は迅速に対応し、現職の人たちの安全を守ってほしい」と訴えた。
 75年施行の改正特定化学物質障害予防規則により、石綿作業に常時従事する労働者は6カ月に一度の石綿健康診断が義務付けられているが、米軍基地内での実施は遅れた。古川弁護士によると、米海軍横須賀基地で82年、沖縄では90―95年ごろからしか実施されていない。Aさんの職場では96年の退職時まで何の対策もなされていなかったという。
 横須賀基地のじん肺被害では、昨年5月に第3次訴訟の和解が成立。防衛施設庁への損害賠償請求も7人が認められ、迅速な救済が確立しつつあるという。古川弁護士は「裁判で対策の遅れが厳しく指弾された横須賀より、沖縄は10年前後遅れている。横須賀の経緯からいって訴訟はしたくないはずだ」と見通す。賠償金が支払われる場合、国と米軍が折半で負担することとなる。
 古川弁護士によると米軍は80年ごろまで石綿の管理に無頓着で、「県内でも裸のままボイラーで作業している写真が残っている。横須賀ではアスベストにくるまって寝たり、マスク代わりにしていた」など、ずさんな実態があったという。
 横須賀のアスベスト問題にかかわってきた神奈川労災職業病センターの西田隆重さんは「この問題はまだまだ沖縄では進んでいない」と指摘し、県内で同様な被害者の救済を切望した。
 厚生労働省(東京都)労働基準局安全衛生部の担当者は「米軍基地内への立ち入り指導の際、防衛施設局の職員が日米地位協定を理由に指導を受け入れない場合がある」と、法の順守を徹底できない難しさを指摘した。
(2006年12月19日9時49分配信燉ョ球新報)

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