沖縄タイムス 2007年4月28日(土) 朝刊 31面
嘉手納100デシベル超記録/25日に町が調査
【嘉手納】嘉手納基地の運用状況を点検する嘉手納町の「航空機目視調査」の結果が二十七日、まとまった。調査は二十五日午前六時―午後十時に行われ、同町屋良の「道の駅かでな」から離着陸や上空通過など百八十七回の航空機の活動を確認した。爆音最高値は、午後六時四十九分、F15戦闘機の離陸時に記録した一〇〇・六デシベル(電車通過時の線路脇に相当)だった。
離着陸回数は、F15七十二回、一時配備されているF22ステルス戦闘機二十八回だった。同町は「F22はF15と比べ、機数は少ないが、飛行回数が多い印象を受ける。外来機の飛来で騒音増も懸念される」としている。
午前六時二十五分―七時三十四分にかけ、F15やFA18戦闘攻撃機など計二十一機が離陸。人が不快に感じる七〇デシベル以上の騒音が十三回発生した。
航空機活動は、午後九時半のF15の着陸まで続いた。ほかにも同基地のKC135空中給油機やHH60救難ヘリなどが離着陸していた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200704281300_03.html
沖縄タイムス 2007年4月28日(土) 朝刊 31面
教科書検定「説明責任果たさず」/文科省の姿勢を批判
【東京】沖縄戦の「集団自決」記述で日本軍関与が削除された歴史教科書検定問題で、「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」の高嶋伸欣共同代表(琉大教授)らは二十七日、衆議院内で文部科学省の布村幸彦審議官と面会した。高嶋代表は検定に関与できないとの立場を繰り返す政府側の姿勢を「説明責任を果たしていない」と批判し、検定の修正意見を撤回するよう求めた。
面会は非公開で行われた。これまで政府は国会などで閣僚や官僚が検定に関与できない仕組みを強調していたが、高嶋代表は、教科書検定で住民虐殺が問題となった一九八四年に、当時の森喜朗文相が国会で「十分に県民の感情を配慮しつつ客観的な記述となるように検定において必要な配慮を求めているというふうに指導している」と答弁したことを指摘。
その上で「政府の答弁は責任逃れだ。今回の措置は(森氏の発言と)明らかに食い違っている。整合性を持たせる意味で今回の検定は撤回されるべきだ」とただした。
布村審議官は「答える立場ではない」と述べるにとどめたという。
高嶋代表らは要請後に文科省で会見し「教科書検定は行政処分であり、あいまいな理由付けのまま教科書の記述をゆがめさせたということでは公平性に欠ける。悲惨な体験をした県民の立場から、こういう記述の教科書を全国の学校で使うことになるのは容認できない」と訴えた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200704281300_05.html
F22飛行580回超 司令官「特筆の記録」
米軍の最新鋭戦闘機F22Aラプターが参加した初めての日米共同訓練で、F22部隊の第27遠征戦闘中隊司令官のウェード・トリバー中佐は27日午後、米空軍嘉手納基地で報道各社の代表取材に応じた。トリバー中佐は今年2月からの沖縄への展開期間中、580回以上の飛行をこなしたことを明らかにし「たった12機で達成した記録としては特筆すべきものだ」と飛行実績を自負した。 F22が嘉手納基地に配備されたのに伴い、飛行場周辺では騒音回数が増加。地元の騒音被害の訴えと逆行する外来機の運用の在り方に、周辺自治体、住民の反発が一層強まりそうだ。
トリバー中佐は共同訓練の成果について「日米同盟を構築するに当たって、とても良い機会になった。航空自衛隊にとって得たものが大きければと思う」と指摘。今後の訓練計画については「沖縄に滞在する残りの期間中には新たな共同訓練の予定はないが、将来できればいい」と述べた。
F22部隊の初の海外展開となった嘉手納配備について「たった12機で580回以上の飛行をこなしている。米軍のF15やF18戦闘機、ハリアー攻撃機と一緒に訓練して相互理解を深めることができた」と強調した。配備期間は「5月中だとは聞いているが、詳しいことは知らされていない」と述べるにとどまった。
27日の共同訓練には空自からF15・4機とF4・4機、米軍からF15・2機、F22・2機が参加した。
(4/28 9:37) 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23340-storytopic-3.html
沖縄タイムス 2007年4月28日(土) 朝刊 1面
闇に浮かぶ悲劇/南風原病院壕公開
【南風原】南風原町の城間俊安町長は二十七日会見し、沖縄陸軍病院南風原壕群二十号を六月十八日から一般公開すると発表。報道陣に二十七日、壕内を公開した。
陸軍第二外科壕群の第二十号壕は、沖縄戦末期に人力で掘られた全長七十メートルの壕で、「ひめゆり学徒隊」が負傷した日本兵らを看護した。
幅、高さはともに一・八メートルで、九十センチごとに支柱で支える構造。入り口から壕中心までの三十メートルの区間は、できるだけ当時の状態を残し米軍の火炎放射器で焼けた支柱跡や、負傷兵が天井に刻んだとみられる「姜」など三文字が残っている。
一九九〇年に町は同壕群を「戦争遺跡」として全国で初めて文化財に指定。昨年から一般公開に向け整備工事を進めてきた。城間町長は「平和の大切さを学ぶ県民の財産として活用していきたい」と話した。
見学は完全予約制で、五月一日から南風原文化センターで受け付ける。問い合わせは同センター、電話098(889)7399。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200704281300_10.html
壕に謎の人骨数十柱 糸満市阿波根
【糸満】糸満市阿波根の壕で1月に、数十柱の人骨が透明のビニール袋やプラスチック製の容器に入れられ、放置されていることが27日までに分かった。住民から通報を受けた糸満署は事件性の低さから静観、市は実態が把握できないため対応に苦慮している。付近の墓の関係者も「他人の人骨を簡単に扱えない」としており、数十柱の人骨は放置状態が続きそうだ。
人骨は同市阿波根の県道82号沿いの岩山の壕にある。付近は門中の墓が点在。人骨は1カ所の墓の隣の壕に半透明のプラスチック製の衣装ケース4点、プラスチックのバケツ5点、ビニール袋12点、発泡スチロール1点に分けて収納されている。1月に門中の墓を訪れた住民が発見し、糸満署と市役所に通報した。
調べを進めた同署は柱の保存状態などから「事件性はない」と見ている。阿波根周辺や糸満市内、本島内でも墓荒らしなどの被害届や報告もないという。同署は人骨が放置された現場を確認したが、容器には手掛かりにつながるような記載もないという。ただ丁寧に保存された状況から「悪意を感じるものではない」として鑑定は行わず、現場で保存している。現状保存のため、具体的な柱数は把握できていないが、「古い年代のものであるのは間違いない」と同署。沖縄戦遺骨や土葬された人骨の可能性もあるとしている。
知らせを受けた糸満市生活環境課は、事件性の有無や事情を把握しないと対応できないとしている。市内で発見された無縁仏などは、市が引き取る場合もあるが、市内2カ所の納骨堂はすでに満杯状態で、引き取るのは難しいという。
通報した隣の門中の墓の関係者数人によると、9月に墓参りに来た時はなかったという。また「1月に見た時よりも人骨が入った衣装ケースが2、3段分なくなっている」とも話しており、誰が放置し、その後、なぜ一部だけを持ち去ったかいぶかしがる。
確実な情報がない現時点では糸満署、市ともに対応できないため、墓の中で静かに眠るはずだった人骨は放置状態が続きそうだ。
(4/28 16:02) 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23361-storytopic-1.html
沖縄タイムス 社説(2007年4月28日朝刊)
[55回目の4・28]
変わらぬ「基地オキナワ」
きょう四月二十八日(4・28)は一九五二年に対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、その第三条によって沖縄・奄美を含む北緯二九度以南の施政権が米国に委ねられた日である。
あれから五十五年。沖縄の米軍基地は動かず、過重な基地負担から派生する不平等・不条理は変わらぬままだ。改憲の動きと米軍再編の大きな流れの中で沖縄は揺れ動き、憲法の定めた「平和的生存権」とはほど遠い状況に追い込まれている。一体いつになったら「基地オキナワ」から基地のない「平和な島・沖縄」に脱却できるのか。
復帰前の沖縄で4・28は「屈辱の日」と呼ばれていた。施政権が日本に返還されるまでの二十七年間、沖縄の住民は米国人でもなく日本人でもない立場に置かれた。その始まりの日が4・28だったからである。
米軍基地は増強・拡大の一途をたどり、米軍基地あるがゆえの事件・事故は後を絶たず、基本的人権は蹂躙され、安寧に暮らす生活権さえ保障されなかった。
今年は復帰して三十五年。復帰運動のよりどころとされた憲法の改正の手続きを定める国民投票法案がやじと怒号の中、今国会の衆院特別委で可決された。
基地の整理・縮小の焦点である米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設で、仲井真知事は環境影響評価(アセスメント)の前段となる現況調査のための海域使用に同意した。
普天間飛行場の「三年内閉鎖状態」などの見通しも立たない中で同意に踏み切った。このことはV字形案について現行のままでは賛成できないとしていた公約に矛盾する。知事選、参院補選で辺野古移設を推進する候補が連続当選したが、宜野湾市長選では国外移設を唱える候補が大差で勝った。知事は県益に立った慎重な判断をすべきだ。
4・28を知る世代が減少する中、4・28の持つ「沖縄からの問い」を忘れてはならない。子々孫々のためにも…。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070428.html#no_2