2007年5月15日(火) 朝刊 1面
基地混迷 見えぬ自立 きょう復帰35年
所得依然最下位
沖縄県は十五日、本土に復帰して満三十五年を迎えた。この間、国から八兆円超の振興開発事業費が投入され、道路や空港、港湾などの社会資本の整備は進んだ。しかし、県民所得は全国最下位、失業率も全国平均の二倍、財政依存度も依然高い状態が続き、「自立」への展望はいまだ見えない。
米軍基地問題では、昨年五月の在日米軍再編最終報告で嘉手納以南の六基地の全面・一部返還や海兵隊八千人のグアム移転などが打ち出されたが、焦点の普天間飛行場移設をめぐっては政府と地元の協議が決裂したまま、解決の糸口が見いだせない状態が続いている。
沖縄振興特別措置法に基づき二〇〇二年度にスタートした沖縄振興計画は、〇七年度から後期五年の折り返しに入った。主力の観光産業は、沖縄を訪れる観光客数が堅調な伸びを見せ、〇六年には約五百六十三万人を達成。しかし、一人当たりの観光消費額は伸び悩みが続いている。
県民所得は一九九〇年代から「二百万円」(一人当たり)台を維持してきたが、〇四年度に百九十九万円となり、全国との格差が広がり始めた。失業率は〇六年平均は七・七%で、全国平均と比べて高い状況が続く。昨年十二月に就任した仲井真弘多知事は失業率の「全国平均並み」を公約に掲げており、公約実現に向けた施策展開が問われる。
一方、米軍基地を取り巻く環境は厳しさを増している。米軍再編では沖縄の負担軽減も柱に据えられたが、嘉手納基地への地対誘導弾パトリオット(PAC3)部隊の発足、同基地で最新鋭ステルス戦闘機F22の未明離陸が強行されるなど、基地機能強化や訓練激化が目立つ。
沖縄にとっては、米軍再編最終報告に盛り込まれた嘉手納以南の基地返還に備え、「県土再編」を視野に入れた跡地利用計画づくりなどの取り組みが最大の課題となる。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_01.html
2007年5月15日(火) 朝刊 1面
知事、沖振法延長を困難視
仲井真弘多知事は十四日、十五日の復帰三十五年を前に沖縄タイムス社など報道各社のインタビューに応じた。沖縄の現状について「社会資本面、生活環境はかなり目標を達成しつつある」と評価した上で、五年後に期限切れを迎える現行の沖縄振興特別措置法(沖振法)の延長には「(復帰)四十年以降も同じものが継続できるかというとなかなか難しい」と述べ、単純延長は困難との見方を示した。
復帰後に米軍基地の整理・縮小が進まなかった理由について、「個人的な見解」と前置きし、「日米安全保障のアジアにおける環境、米軍基地の置かれている地政学的な意味で、軍事的、軍事技術上大きいのではないかという感じがしないでもない」と述べ、日米両政府が主張する沖縄基地の地理的優位性に一定の理解を示した。
一方で、「米軍再編で返還される広大な土地が県のビジョンに向かって展開していけるような基礎的な手当ては一種の戦後処理として国の手を借りる必要がある」と述べ、仮に現行の沖振法が廃止された場合でも、何らかの特別法は不可欠との認識も重ねて示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_02.html
2007年5月15日(火) 朝刊 1面
米艦船の石垣入港打診/市長は拒否
【石垣】ケビン・メア在沖米国総領事が十一日に石垣市で大浜長照市長と面談した際、「来月、石垣港に米軍艦船を入港させたい」と打診していたことが十四日、分かった。大浜市長は「はっきりと断った」としている。メア総領事は同日、沖縄タイムス社の取材に対し打診を認め、民間空港や港湾の米軍の使用を認めている日米地位協定五条を根拠に、石垣市が反対した場合でも強行する姿勢を見せた。
これまでに県内の自治体管理の港湾に米軍艦船が入港した例はないとされ、「実績づくりでは」という見方もある。
メア総領事は「いつ、何が、どこへ入港するかはコメントできない。米艦船の民間港への入港は日本各地で行われ、昨年は一年間で二十五回以上に上り、珍しくない」と理解を求めた。目的については、地元との友好親善、乗組員の休養、物資の補給などを挙げた。
宮古島市の下地島空港を管理する県が「自粛」を求める中、米軍機が離着陸するケースが後を絶たない。メア総領事は「地位協定五条は(地元との)協議ではなく(地元が)協力すると規定している」と話している。
大浜市長によると、メア総領事は同市内の飲食店で市長らと会食、米軍再編が話題になる中、「米海軍の掃海艇が石垣の港に来るかもしれない」と話した。
大浜市長は港が混雑していることなどを説明し、その場で断った。メア総領事は「市長にプレッシャーがかかることもあるかもしれない」と発言したという。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_03.html
社説(2007年5月15日朝刊)
[復帰35年・基地]
穏やかな暮らしなお遠く
「負担軽減」目に見えず
沖縄が本土復帰してきょう五月十五日で三十五年になる。
「基地のない平和な島」を願いながら県民が過ごした三十五年間は、復帰後も居座り続ける巨大な米軍基地との闘いであり、その返還、整理・縮小に向けて声を張り上げることであった。
沖縄タイムスが実施した復帰三十五年の県民世論調査では、米軍基地について「段階的に縮小」(70%)、「ただちに全面撤去」(15・4%)を合わせ、なお八割強が縮小を求めている。
しかし、現実はどうだろう。米兵による暴行事件を契機に日米特別行動委員会(SACO)で返還合意された普天間飛行場や那覇軍港など十一施設で明らかなように、返還が決まった施設も県内移設が条件とされ、目に見える「負担軽減」にはつながっていない。
それどころか、極東最大の嘉手納基地には新たに地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が配備され、F15戦闘機の一部訓練を本土に移転する代わりに最新鋭のステルス戦闘機F22Aラプターを一時配備するなど負担は増すばかりだ。
県内の米軍訓練空域では、米軍再編に基づく「米軍と自衛隊の一体化」に沿い、航空自衛隊と米軍との合同訓練なども実施されている。
朝鮮半島有事の際、普天間飛行場が米軍のアジアにおける「出撃の最前線基地」になることも最近、米公文書などから明らかになった。紛争が勃発した時は、ハワイや米本土からも戦闘機を追加配備し、計三百機体制で作戦を遂行するという計画だ。
私たちが気に掛かるのは、計画を知っていたはずの日本政府がなぜ県民にこれらの情報を伝えないのか、ということである。これでは、県民の目に触れない軍事計画がほかにもあるのではないかと疑念が広がるだけだ。
県民は三十五年前の復帰の日に、それまでの米施政権下にあった二十七年間を振り返って「平和な島」をつくることを誓った。だが、復帰後もベトナム戦争、その後のアフガニスタン紛争、湾岸戦争、イラク戦争と沖縄は米軍の出撃拠点として使われてきた。
「加害者にはならない」という私たちの意思は踏みにじられ、その思いは今に至っても強く残っている。
「沖縄の歴史」伝える責務
文部科学省の教科書検定で、二〇〇八年度から使用される高校の歴史教科書の記述から沖縄戦における住民らの「集団自決」に対する日本軍の関与が削除された。
日本軍の強制という意味合いを消し去り、日本軍による「加害性」を教科書から排除しようとの意図だ。
県民世論調査では、日本軍の関与が削除されたことに対する「反対」が81・4%に達した。
理由は「沖縄戦の歴史を歪曲するから」52・4%、「『集団自決』の現実を伝えていないから」37%、「日本軍の関与が明確だから」9・5%の順に多かった。
その上で、沖縄戦の体験などを次の世代に語り継ぐことについては「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)、「尋ねられたら話す」(40・1%)を合わせ約九割が戦争体験継承の必要性を感じていることがうかがえる。
非戦闘員の「集団自決」がなぜ起きたかという“真実”に目を閉ざしては、歴史を見誤ることになりかねない。
旧体制下の負の遺産を直視することは重要であり、私たちもまた「沖縄の歴史」として後世に伝えていく責務があることを忘れてはなるまい。
「憲法の理念」見つめ直そう
憲法改正手続きを定める国民投票法が十四日、与党の賛成多数で可決、成立した。今後の改憲論議の最大の焦点が戦争放棄と戦力の不保持をうたった第九条であることは言うまでもない。
集団的自衛権の解釈改憲への動きなども表面化した今、米軍基地を多く抱える私たちはこの問題にどう対応すべきなのか。自らの問題としてきちんと検証していく姿勢が求められよう。
しかし、憲法ができて二十五年間の空白がある沖縄では、まだまだ憲法の理念が生かされているとは言えない。
憲法施行六十年の節目に、現行憲法の理念とその重さをあらためて見つめ直したい。
戦後二十七年間の米施政権下で蹂躙された県民の人権、奪われてきた平和に暮らす権利を思えば、この三十五年間と私たちが復帰に求めた「願い」との隔たりはあまりにも大きい。
復帰とは何だったのか。これからの沖縄像をどう描くのか。復帰の日のきょう、あらためて考えたい。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070515.html#no_1