沖縄タイムス 関連記事・社説(5月11日)

2007年5月11日(金) 朝刊 1・27面
新基地・改憲阻止訴え/5・15平和行進
 【名護】県内の米軍基地や沖縄戦の戦跡などを歩き、平和や基地問題について考える「5・15平和行進」の全国結団式(主催・沖縄平和運動センター、北部実行委員会)が十日夕、名護市役所前広場で開かれた。

 同日午前に国頭村を出発した復帰三十五周年特別コースの参加者も合流し、県外を中心に約千人(主催者発表)が結集。「辺野古への新基地建設反対」「憲法改悪阻止」のシュプレヒコールで結束を強め、十一日から始まる行進に向け、気勢を上げた。行進は今回で三十回目。

 平和行進の崎山嗣幸実行委員長は「政府は憲法を改悪し、米国と一体となって軍事国家へとひた走ろうとしている。沖縄が極東アジアに向けた前線基地にならないためにこの平和運動を広げよう。皆さんと力を合わせて平和行進を成功させ、嘉手納基地を包囲して全国に平和を伝えよう」と呼び掛けた。

 行進は十一日午前、名護市辺野古など沖縄本島三コースでスタート。宮古・八重山でも行われる。十二日午後六時から北谷町の北谷球場前広場で「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開く。

 参加者の多くは十三日の「5・13嘉手納基地包囲行動」に参加する予定。

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沿道から声援 参加者後押し

 復帰三十五年目の節目に三十回目を迎えた「5・15平和行進」(主催・沖縄平和運動センター)は十日、復帰運動の原点を歩く北部で始まった。沿道の住民は熱い声援を送り、行進団と「基地のない平和な島に」と思いを一つにした。

 午前九時すぎ、やんばるの山野に「米軍基地を撤去しろ」「平和な沖縄を返せ」と、国頭村役場を出発した約六十人の声が響いた。民家の軒先ではオジィやオバァが「ご苦労さま」と手を振った。

 軽く汗ばむ陽気の中、大宜味村に差し掛かると「チバリヨー」と声を張り上げる小学生が。同村役場前では、喜如嘉保育所の園児がエイサーで出迎えた。島袋義久村長は「基地を持たない大宜味村を、平和を送り出す場所として発展させます」とエールを送った。

 恩納村から参加した県職員の大嶺秀次さん(35)は「子どもらの姿に、戦争のない世界をつくろうと元気をもらった」

 午後に入り名護市に近づくと、広島や三重など各県の労組や平和団体が応援に加わり、参加者は約二百五十人に膨れた。沿道に駆けつけた同市大北の松田啓茂さん(70)は「辺野古への基地移設が進められようとする中、こんなに全国の人が集まった」と感激の面持ち。

 夕暮れ迫る午後五時半すぎ一行は「わっしょい」と叫びゴールの名護市役所前広場へ。神奈川県座間市の太田和利さん(40)は「美しい島が戦場だったと思いを踏みしめた。沖縄の人々の平和への願いを感じる行進だった」と振り返った。(吉田啓)

新たな基地建設や憲法改正反対を訴え、ガンバロー三唱する参加者=10日午後、名護市役所前広場
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111300_02.html

2007年5月11日(金) 朝刊 26面
慰安婦の実態聞き取り/日韓調査団が宮古入り
 従軍慰安婦問題に二十年以上取り組む元韓国梨花女子大教授の尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんと早稲田大学名誉教授の中原道子さんら日韓合同調査団計九人が十日、宮古入りした。戦時中、十カ所以上の慰安所があったとされる宮古地区では目撃した住民も多い。一行は慰安婦が置かれていた状況などを地元住民から三日間の日程で聞き取り調査する。

 県内各地で慰安所の調査を続ける早稲田大学大学院生の洪△伸(ホン・ユンシン)さんが二〇〇六年に二回にわたり宮古島で聞き取り。アリランを歌う慰安婦の様子など貴重な証言もあり、さらに詳しく調べようと尹さんや中原さんらも加わった。

 尹さんは「宮古の人が記憶している慰安婦の実態を聞きたい。現在でも紛争地では性被害に遭っている女性がいる。慰安婦として連れて来られた人の慰霊、また戦争を否定するためにも宮古島にモニュメントを作りたい」と話した。

 一行は同日午後、同市上野の慰安所跡地を訪れた。戦時中に近くに住んでいた与那覇博敏さん(73)=同市平良=が軍人が建物の前で列をつくっていた状況などを説明した。「もとは兵舎だった場所であり、当時は何で女の人がここにいるのか不思議だった」などと語った。

 一行は、宮古の調査に先立って八、九の両日は渡嘉敷島でも実施。宮古島での最終日の十二日は午後三時から宮古島市役所平良庁舎で報告会が開かれる。

※(注=△はへんが「王」でつくりが「允」)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111300_05.html

社説(2007年5月11日朝刊)

[5・15平和行進]

見て考え訴える機会に
 基地撤去と平和を訴える「5・15平和行進」が十日スタートした。

 初日の特別コースには、約六十人が国頭村を出発し名護市までの約十七キロを歩いた。十一、十二の二日間は東、西、南の三コースに分かれ行進する。翌十三日は嘉手納基地を包囲する「人間の鎖」に集結する予定だ。

 五月十五日の復帰記念日に合わせて行われる「5・15平和行進」も、今年で三十回目を数える。この間、沖縄の現状は改善されただろうか。

 米軍絡みの事件・事故や不祥事は後を絶たない。再編の名目で本島北部への基地集約化が計画されている。嘉手納基地には最新鋭のF22戦闘機が暫定配備され、地元の反対を押し切って未明離陸を強行した。むしろ基地機能は強化に向かっている。

 平和行進を主催する沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長は平和行進の意義を語る中で、「復帰の時のわれわれの願いは、核も基地もない平和憲法に帰ろうだった」と振り返る。

 だがその憲法は、改正手続きを定めた国民投票法案が衆院可決された。

 地道な取り組みだが、基地撤去の意思を再確認し、県内外に平和の大切さをアピールする行進が今あらためて重い意味を持ってくる。

 いま沖縄は、外を歩くには夏日か大雨に見舞われるかの厳しい季節だ。

 それでも、若い労組員や本土からの参加者らが黙々と歩を進める。延々と続く基地のフェンスや広大な施設を目の当たりにして、「基地沖縄」を実感するに違いない。

 一緒に歩くことで互いの連帯感は深まる。平和や安保、憲法の在り方をじっくり考え、個々に抱える課題について語り合う機会でもある。

 本土からの参加者には、じかに見て聞いた沖縄の現状を各地に持ち帰って報告し、全国の世論を喚起する活動につなげてほしい。

 特別コースには、組合の動員でなく配布されたチラシを見て一人で参加した女性もいた。運動は持続と同時に、広がりを持たせる工夫も大切だ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070511.html#no_2

2007年5月11日(金) 夕刊 1面
「辺野古」で海自艦沖縄へ/防衛相 警護対応は否定
 【東京】米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)に関連し、海上自衛隊の艦船が十一日午前、沖縄近海に向けて海自横須賀基地(神奈川県)を出港したことが分かった。自衛隊関係者が明らかにした。艦船にはゴムボートやボンベが積載されているが、実際に海自が調査に対応するかどうかは不透明だ。

 久間章生防衛相は同日午前の閣議後会見で、米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)について「(海上自衛隊による)警護とか仰々しいことは考えていない。(調査活動も)原則的には民間にお願いしているのでそれで十分だと思っている」と述べ、警護や調査目的での海自の動員を否定した。

 一方で、「先のことは分からない。一部で(海自の動員を)考えている人がいないとは限らない。誰かがおぼれそうになったら助けてあげることだってあるかもしれない」と述べ、今後、海上での救護活動などで動員される可能性について示唆した。

 同調査での海自の動員をめぐっては、塩崎恭久官房長官が十日の定例会見で、「(海自が)防衛施設庁の身分として、作業をやる可能性はあるかも分からない」と述べ、防衛施設庁に出向する形式で対応する可能性に含みを持たせていた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111700_01.html

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