沖縄タイムス 関連記事・社説(6月10日、11日)

2007年6月10日(日) 朝刊 25面

 

歴史 消させない/真実 次の世代へ

 

 「沖縄戦の書き換えは絶対許せない」「悔しくて、居ても立ってもいられない」。九日、那覇市の県庁前県民広場で開かれた、「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」には「集団自決」体験者をはじめ沖縄戦体験者や若者も多数参加し、怒りの声を上げた。壇上でも日本軍から手榴弾を渡された体験者が証言し、「集団自決」犠牲者の孫が決意表明するなど文科省に検定意見の撤回を求める熱気に包まれた。集会後には国際通りをデモ行進し検定に反対の声を上げた。

 

                    

 

生存者、孫のために証言/検定に怒り熱気あふれ

 

 「腹が立ってしょうがない。教科書書き換えを許してはいけない」と憤る池原利江子さん(84)=那覇市=は渡嘉敷の「集団自決」から生き延びた。弟の持っていた手榴弾が爆発しなかったため、池原さんの家族は死ななかった。しかし、隣で輪になっていた父のいとこの家族は十数人、叔母一家は六人全員、数え上げればきりがないほど親せきたちが命を落とした。「島から復員した兵隊だってみんな(斜面の)上の方から見ていたから知っている。それなのに」ごまかそうとする国の姿勢に怒りが込み上げてくる。

 

 「自分の人生は短いが、孫やひ孫に事実を伝えなければいけない」。腰が悪く遠出は難しいが、声を上げるために可能な限り出掛けていく。

 

 慶留間の「集団自決」体験者の與儀九英さん(78)=沖縄市=は、「血の海の悲惨な話はもういい」と実体験については、あまり触れない。が、米軍上陸の一カ月半前に、日本軍の戦隊長が、集落の全員に「全員玉砕あるのみ」と力強く訓示した、と証言する。軍が狡猾に「自決」に追いやった手口を今のうちに残しておかねば、危機感を訴える。

 

 座間味から参加した宮村肇さん(53)は、体験世代ではないが「すごく腹立たしい。悔しい」と国の姿勢に怒る。体験者の島のお年寄りたちは教科書の書き換えを「ばかにしている」と怒っている、という。

 

 島袋浩さん(74)=豊見城市=は戦時中は疎開していた。弟は対馬丸で亡くなった。「当時は怖くても、行かないと言えなかった。あれも強制だったんだ」と、振り返る。最近の戦前回帰の風潮を恐れ「教科書だけでなく世の中おかしくなってきた。意思表示しなければ」。教員を目指して勉強中の宜野湾市の比嘉徳史さん(26)は「歪曲された事実を子どもたちに教えたくない」と参加。「本土の人たちも同じ気持ちが持てるよう、声を伝えたい」

 

祖父母は生きたかったはず/犠牲者の孫・宮城千恵さん

 

 「祖父母は死にたくて死んだというのですか」。渡嘉敷島で起きた「集団自決」犠牲者の孫で、南風原高校教諭の宮城千恵さん(48)は登壇し、「本当は生きたかったはずの祖父母のためにも、歴史の書き換えは許さない」と語った。

 

 宮城さんの母方の祖父母は、渡嘉敷島で「集団自決」の犠牲となった。当時、ずいせん学徒隊の動員で本島にいた母は戦後も両親の死を知らず、何度も手紙を書き続けたという。

 

 多くを語らなかった母から詳しく話を聞いたのは約二十年前。宮城さんはそれを基に紙芝居を作り、留学先の北アイルランドやハンガリーなどで子どもたちに読み聞かせる活動を続けた。

 

 宮城さんは「多くの子が、愛する家族同士がなぜ殺し合ったのか理解できない様子だった」と振り返る。

 

 「沖縄戦体験者がどんどんいなくなっていくという焦りもある。事実をしっかり若い世代に伝え、命の大切さを訴えたい」

 

 その思いから絵本制作を思い立った。母の体験を基にした英語の絵本「沖縄からの手紙」を七月に出版する。一度も会うことのなかった祖父母に思いを込めて作った。

 

 「この世に肉親同士が手をかけ合うほど、悲しいことはない。小さな島で起こった悲惨な出来事を世界中に知らせ、戦争をなくすきっかけにしたい」

 

「手榴弾渡された」/瑞慶覧さん体験を証言

 

 県民大会で社大党顧問の瑞慶覧長方さん(75)が自決用に日本軍から手榴弾を渡された自身の体験を証言した。

 

 太平洋戦争最中は国民学校の六年を終えたばかりで十三歳だった。

 

 戦時中は校舎を日本軍に接収され、公民館へ移ったがそこからも追い出された。授業どころではなかった。学徒動員で、軍の防空壕を掘った。

 

 五月二十三日。大里村のひめゆり学徒隊の隣の壕に身を寄せていたが、軍によって追い出された。それから約一カ月半、玉城、東風平、摩文仁と激戦地の中をさまよった。まさに鉄の暴風だった。

 

 六月十七日には現在の糸満市、旧真壁村で壕を掘った。当時は学校でもどこでも皇民化教育が徹底されていた。天皇の子である日本人が、もし米軍の捕虜にでもなったらこれ以上の恥はない。だからいざというときには、自分で決死しなさいということで、日本軍から手榴弾を二個渡された。

 

 知人の防衛隊が直接受け取った。うち一個が年長の自分に渡され、もし米軍が来たら壕の中の仲間十七人と一緒に自決しなさいと、その時を声を潜めて待っていた。幸い米軍は来ず、われわれは命拾いをし死体の中をくぐって真壁を突破した。

 

 手榴弾は、軍の武器だ。それを軍が渡した。どんなことがあっても国民として敵の捕虜になるな、なるぐらいなら自決せよ。これが軍、国の命令だった。

 

 皇民化教育は徹底されていた。大半の住人が捕虜になるよりはと、「集団自決」、「自決」に追い込まれた。

 

 六月十九日朝、現在の平和祈念資料館の東側。住人を救うために捕虜になった沖縄の人が壕に来た。しかしその人まで日本兵が虐殺するという大変恐ろしい状況を目撃した。われわれは何度も軍命による自決を選ぼうとしたが、何とか終戦まで生き抜いた。

 

 教科書から歴史を歪曲しようとする国の動きに対し断固として反対していかなければならない。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706101300_02.html

 

2007年6月10日(日) 朝刊 1面

 

辺野古沖調査を再開/普天間移設

 

 【名護】米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブへの代替施設建設に伴う海域の現況調査(事前調査)で、那覇防衛施設局は九日、一時中断していた機器設置作業を再開した。

 

 五月二十日以来で、海生生物の藻場の利用状況などを調べる水中ビデオカメラや海象調査機器を設置した。

 

 一方、調査に反対する市民団体のメンバーらはカヌーを繰り出し、調査ポイント周辺で作業船にしがみつくなど阻止行動を行った。施設局は十日も作業を継続する。

 

 九日午前七時すぎ、施設局がチャーターした作業船や警戒船が海域での作業を始めた。海上保安庁の巡視船など五隻が沖合に展開し、ゴムボートなど約二十艇を出して警戒に当たった。

 

 午後零時半ごろ、辺野古崎沖合では作業船が水中ビデオカメラとみられる機器をクレーンで下ろし、ダイバーらが固定するための土のうや鉄筋などを持って潜水を繰り返していた。

 

 ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「海上自衛隊投入に続き、自制していた週末の作業実施など国は何でもありで進めようとしている。海保が反対派の船だけ毎回検査し、足止めするのは公平な法の執行ではない。海保への抗議も検討する」と険しい表情で述べた。

 

 五月十八日から二十日の作業では、サンゴの産卵を調べる着床具が生きたサンゴの一部を損傷したことが確認され、市民団体などが作業中止を訴えていた。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706101300_03.html

 

2007年6月11日(月) 朝刊

 

ギンバル跡地 概算要求/08年度予算

 

内閣府、島田懇活用/近日中 金武町に伝達

 

 【東京】内閣府沖縄担当部局は十日までに、金武町米軍ギンバル訓練場の跡地利用事業と、同訓練場に近接する自然・文化・生活の体験学習拠点「ネイチャーみらい館」(仮称)の整備事業を、二〇〇八年度予算概算要求に盛り込む方針を固めた。両事業の財源となる「米軍基地所在市町村活性化特別事業」(島田懇談会事業)は本年度で期限が切れるが、「継続的措置」の位置付けで国の九割補助の適用継続を財務省に求める。近日中に町側に文書で伝達する。これを受け、儀武剛町長は早ければ十二日に開会する六月定例会冒頭の行政説明で、ギンバル返還条件の受け入れを表明する意向を示している。

 

 島懇は全三十八事業のうち、〇八年四月完成予定の「みらい館」だけが継続案件として残っている。所管の内閣府には「予算を打ち切るわけにはいかない」(幹部)との判断がある。

 

 ギンバル跡地利用では、町がすでに「金武町ふるさとづくり整備事業」を策定。がん検診・治療施設を備えた先端医療センターや長期滞在型リゾートホテルなどの集積を計画している。島懇で約七十五億円の補助を想定する大規模開発のため複数年事業となることが避けられず、儀武町長は五月三十一日、内閣府に島懇の継続を求めていた。

 

 町側の要望に内閣府は「跡地利用が島懇の期限に間に合わなかったのは金武町の怠慢ではなく、ギンバルの返還遅れという特殊事情があったから。財政当局もそこは理解している」(別の幹部)と説明。〇八年度予算概算要求で、同事業の調査費や実施設計費などを盛り込む方針だ。

 

 内閣府のこうした対応を受け、儀武町長は跡地利用の財源が確保できたと判断。日米がギンバル返還の条件とする「ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の米軍ブルービーチ訓練場への移設」の受け入れ表明に踏み切る。

 

 ただ、移設条件には地元の並里区が反発を続けており、儀武町長は「受け入れ表明後に区と協議したい。防衛省にもヘリの騒音や飛行ルートで住民に配慮するよう求めている」としている。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706111300_01.html

 

2007年6月11日(月) 朝刊 19面

 

辺野古 連日の調査/普天間代替

 

 【名護】米軍普天間飛行場の代替施設建設に向けた名護市キャンプ・シュワブ沖での現況調査(事前調査)で、那覇防衛施設局は十日、機器の設置作業を実施した。五月二十日以来の作業再開は今月九日に続き二日目。同施設局は機器の設置作業が若干残っているため、天候を見ながら十一日も継続するかを決める。

 

 同施設局は午前八時すぎからチャーターした作業船で、海域での作業を開始。海生生物の藻場の利用状況などを調べる水中ビデオカメラや海象調査機器のほぼすべてを設置した。

 

 周辺には海上保安庁の巡視船三隻が沖合に停泊し、ゴムボートなど約十数隻が警戒に当たった。

 

 一方、基地建設に反対する市民団体メンバーらは小型船三隻やカヌー十一艇で阻止行動を展開。調査機器の設置場所をふさいだり調査船にしがみついたりした。

 

 平和市民連絡会の当山栄事務局長は「物量作戦で、これまで自制していた週末も作業をするなど、国はなりふり構わずやってきている。私たちの船が出航する前に乗船名簿の提出などを求められたが、法的根拠がない。圧力に屈せずに、平和を訴えたい」と硬い表情で話した。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706111300_07.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年6月11日朝刊)

 

[検定撤回決議]

 

歴史の事実を直視せよ

 

 文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除・修正されたことに対し、県内で反発や怒りの声が高まってきた。

 

 沖縄戦では住民を巻き込む激しい地上戦が展開され、その渦中で「集団自決」が起きた。極限状況下の集団自決は沖縄戦の実相を象徴的に伝える。

 

 なぜこのような惨劇が起きたのか。後世に生きる私たちは何度も問い返していかなくてはならない。

 

 教科書検定での日本軍関与の記述削除などに抗議する「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」(主催・同実行委員会)が開かれ、検定意見の撤回を求める大会決議を採択した。

 

 大会決議では沖縄戦の「集団自決」が「軍による強制・強要・命令・誘導等」によって引き起こされたことは否定できない事実だと強調。事実がゆがめられることは、悲惨な地上戦を体験し筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられてきた沖縄県民にとって到底容認できるものではないと批判している。

 

 文科省は記述修正・削除の主な理由として、大阪地裁で名誉棄損をめぐって係争中の「集団自決」訴訟を挙げていると指摘し、その主張が沖縄戦の全体像を表しているはずがないと反論。

 

 決議では、歴史教科書を通して沖縄戦の実相を正しく教え伝え、悲惨な戦争が再び起こることがないようにしなくてはならないと訴え、「集団自決」に関する教科書検定意見をただちに撤回するよう強く求めている。

 

 同決議によると、六月八日現在で那覇市など二十市町村が教科書検定に関する意見書を採択している。県内四十一市町村で削除・修正反対の意見書が採択される予定だ。今回の県民大会では、県議会に対しても民意を踏まえた意見書を採択するよう求めた。

 

 県議会では最大会派の自民党内で意見が分かれている。意見書の採択に賛同する意見がある一方で、「軍命の有無に対する事実関係が確かではない」「意見書は司法への政治介入になる」など反対意見も強いようだ。

 

 だが、沖縄戦の「集団自決」の舞台は係争中の渡嘉敷島だけではない。この裁判で、県内で起きたすべての「集団自決」に対する日本軍の関与の有無が争われているわけでもあるまい。

 

 歴史的事実を直視すべきだ。裁判の一方の主張を根拠に、すべての「集団自決」への軍関与を全否定できるはずがない。検定意見の問題点である。

 

 戦後生まれが増える中で、沖縄戦の記憶をどう継承していくのか、党派を超えて継承すべきは何か、県民一人一人が正面から向き合う必要がある。

 

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070611.html#no_1

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