沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(7月28日、29日、30日)

2007年7月28日(土) 朝刊 1・26面

「命令主体は戦隊長」/裁判の核心著作 宮城さん証言

「集団自決」訴訟/助役妹証言「決定的」

 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、住民に命令を出したとする著作への誤った記述で名誉を傷付けられているとして、旧日本軍の戦隊長らが作家の大江健三郎さんと出版元の岩波書店に慰謝料などを求めた訴訟の証人尋問が二十七日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であった。座間味島の「集団自決」について記した「母の遺したもの」の著者で、女性史研究家の宮城晴美氏(57)が被告側の証人として出廷。宮城氏は「住民の『集団自決』は軍の命令や指示によるもので、その最高責任者は部隊の指揮官。戦隊長命令がいつどこで具体的に出されたかは分からないが、命令の主体は戦隊長」と証言した。

 母・初枝さんの手記を基に記した「母の遺したもの」で、住民の「集団自決」が梅澤裕戦隊長による命令ではなかったとした点について「(村の幹部が梅澤氏を訪ねた)一九四五年三月二十五日の夜のやりとりのことで、あくまで母の個人的な体験。自分の目の前では命令がなかったということです」と述べた。

 初枝さんから託されていたノートの手記の中に「あの晩の後のことは私には皆目分かりません」との記述があることを明らかにした。

 「母の遺したもの」では、住民に「集団自決」を命じたのは兵事主任兼防衛隊長(助役)の宮里盛秀さんだったと、反対尋問で従来とは認識が変わっていることを指摘された。宮城氏は盛秀さんの妹の宮平春子さんから、盛秀さん自身が軍の命令を受けていたとの証言を今年六月になって直接聞いたと説明。

 宮平さんの証言は、軍による命令を裏付ける決定的な証拠だとし、反対尋問には「体験者が涙ながらに口を開いてつらい体験を語る時に、都合のいいように言葉を選んで身内をかばうようなことはできない」と反論した。

 宮城氏は、原告の梅澤氏が「集団自決」を覚悟した村の幹部に「決して自決するでない」と言って帰したと主張していることについて、「今晩はお帰りください」と言ったにすぎないと考えられるとした。

 初枝さんの記憶は鮮明で「決して自決するでない」と言ったとすれば母は手記に書いていると述べた。宮城氏は「もし梅澤さんが『死なずに投降しなさい』と言っていればあんなに多くの人が死なずにすんだと思う」と話した。

 同日午後は、渡嘉敷島の戦隊長の副官だった県出身の知念朝睦氏(84)も証言に立ち、「赤松(嘉次)隊長が住民に『集団自決』を命じたことはない」などと主張。沖縄タイムス社の「鉄の暴風」にある知念氏の心情を記した部分は正しくないなどと語った。


大江氏11月9日出廷


 【大阪】沖縄戦時に慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)」をめぐる訴訟で、作家の大江健三郎氏が十一月九日に被告本人尋問で出廷することが決まった。二十七日の証人尋問後に原告、被告側両代理人が大阪地裁内で進行協議し、申し合わせた。同日は原告の戦隊長と、弟ら二人も証言する。

 同訴訟は九月十日に福岡高裁那覇支部法廷で所在尋問(出張法廷)があり、渡嘉敷村で「集団自決」を体験した金城重明氏が証言。

 十二月二十一日に双方が最終準備書面を提出し、結審する。判決は本年度内に言い渡される見通し。


[ことば]


 「集団自決」訴訟 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決」をめぐり、旧日本軍の座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(90)と、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟の秀一氏(74)が、住民に「集団自決」を命じたという著作への記述で名誉を傷つけられているとして、作家の大江健三郎氏と岩波書店に出版の差し止めと謝罪広告の掲載、慰謝料二千万円を求めた訴訟。対象となっている書籍は、大江氏の「沖縄ノート」と家永三郎氏の「太平洋戦争」。二〇〇五年八月に大阪地裁に提訴され、証人尋問までに九回の口頭弁論があった。高校の歴史教科書検定では、「集団自決」への軍関与の表現が削除された際の根拠の一つになった。


     ◇     ◇     ◇     

解説/原告側の根拠に反論


 二十七日に大阪地裁で行われた「集団自決」訴訟の証人尋問で、原告、被告双方の焦点は宮城晴美氏の証言だった。座間味島の「集団自決」について記した宮城氏の著作「母の遺したもの」は、戦隊長命令を否定する原告側主張の根拠だったが、被告側の証人として宮城氏が反論し、切り返した。

 主尋問と反対尋問にはそれぞれ約一時間が費やされたが、座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏が住民にじかに命令したかを争点にする原告側と、軍の存在や関与といった全体状況から問題の本質をとらえるべきだとする宮城氏との間で、議論はかみ合わず平行線をたどった印象が強い。

 宮城氏は著作について、部分的に検証不足があったことを認め、証言の中で「書き換えに向けて準備を練っている」と述べた。戦隊長による命令については、「(母親の初枝さんの体験だけでは)隊長命令があったかどうかは分からない」とする一方で、「集団自決」は日本軍の指示・命令で、同時に最高指揮官である戦隊長の指示・命令であることを強調した。

 原告・戦隊長側の代理人は「梅澤氏が住民の『集団自決』に責任がないとは言っていない」と述べるなど軍の関与や責任があることを認める一方で、訴訟の争点はあくまで、戦隊長による住民への直接的な命令があったかどうかだとしている。

 原告側が「戦隊長による命令があったかどうかは分からない」という宮城氏の認識の一部を使って、新たに主張を重ねてくる可能性もある。(社会部・粟国雄一郎)


島の全権 戦隊長が握る/安仁屋・沖国大名誉教授


 被告側証人の宮城晴美氏は、本人の著作を都合よく引用している原告側の反対尋問を的確に、揚げ足を取られることなく証言した。評価できる。九月の金城重明氏の証人尋問につなげることができたと思う。

 当時の慶良間諸島は空も海も陸もすべて敵に囲まれている「合囲地境」の状況。そこに民政はない。「集団自決」は軍が全権を握っている中で起きた。赤松氏が渡嘉敷島、梅沢氏が座間味島で全権を任されている状況であり、赤松氏の副官だった知念氏も当然、その認識を持っていたはずだ。

 原告側証人の知念氏は米軍に投降して伊江島から渡嘉敷島に移された住民を殺害している。また、赤松隊は朝鮮人軍夫、学校の教頭をスパイ容疑や敵前逃亡の理由で殺害している。「集団自決」と「住民虐殺」は表裏一体。「天皇の軍隊」である日本軍が島にいたからこそ起きた。われわれ県民は、日本軍の中に県出身者がいたことをあらためて認識する必要がある。

 皆本氏は手榴弾は軍が管理し、防衛隊員には配ったが、民間人に配布していないとしている。だが、防衛隊も軍隊。防衛隊は、命令なくして住民に手榴弾を配ることはできない。住民の証言によると、赤松隊は軍の命令を伝える兵事主任に手榴弾を持ってこさせて住民に配っている。すべての責任は、全権を握っていた赤松氏にある。軍命なしに「集団自決」が起きたわけでないことは明らかである。(談)


皆本義博さん/隊長動向知らぬ


 赤松戦隊長は、陸軍士官学校の卒業生としては珍しく温容な人。渡嘉敷島では村落に宿泊し、住民に心から歓迎してもらった。今も交流は続いている。

 赤松戦隊長から部隊が住民に対して自決の命令を出したとは一切聞いていないが、一九四五年三月二十六日から二十八日にかけての赤松戦隊長の動向については知らない。

 自決の翌日、偵察に行った部下が住民がたくさん死んでいるのを見たというので「貴様、本当に見たのか」と叱責した。私は、戦闘準備で精いっぱいだったので自決現場は見ていない。「集団自決」は、住民の中にサイパンで断がいから島民が飛び降りたことを聞いたことが影響していると思う。飛び降りた七割は、沖縄県出身者だった。渡嘉敷島で手榴弾は防衛隊にだけ配り、民間人に配ったことはない。


知念朝睦さん/隊長の命令ない


 戦隊長から「集団自決」命令を受けたことはない。「集団自決」に軍として責任があるかということは、考えたこともない。

 「鉄の暴風」には地下壕の中で将校会議を開き、戦隊長が「非戦闘員をいさぎよく自決させなければいけない」と言ったと書かれているが、そのような事実はない。戦隊長は慈悲のある人だった。しかし、住民が捕虜になることは許さなかった。米軍から脱走してきた少年や伊江島の女性、大城教頭らの処刑は戦隊長の口頭の命令で行った。

 大詔奉戴日の儀式は一九四四年九月に渡嘉敷島に上陸してから毎月、軍から将校や兵隊が参加していたが、村の人がいた記憶はない。そこで「米軍が上陸してきたら自決するように」と訓示したこともない。


宮城晴美さん/自決命令明らか


 座間味島での「集団自決」は日本軍の命令で起こった。当時、駐屯していた海上挺進第三戦隊の最高指揮官は戦隊長で、住民にとって天皇に匹敵する存在だった。絶対的な責任がある。

 私は著書などで母・宮城初枝の証言を基に、戦隊長からの命令は無かったと書いてきた。

 しかし、六月二十四日に座間味村の宮平春子さんに会い、兄で兵事主任だった宮里盛秀助役(当時)が「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」と述べていたと聞いた。決定的な証言だ。

 当時、村の行政は完全に戦隊長の傘下に入り、戦隊長から村長や兵事主任に命令が伝わっていた。また、軍官民共生共死の一体化方針などもあり、住民は誰もが「集団自決」が戦隊長からの命令だと認識していた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707281300_01.html

 

2007年7月28日(土) 朝刊 27面

体験者の無念 代弁/隊長側、重ねて否定

 【大阪】大阪地裁で二十七日開かれた「集団自決」訴訟の証人尋問。原告の戦隊長側と、被告の大江・岩波側の証人が約五時間にわたって主張をぶつけ合った。被告側証人の宮城晴美さんは座間味島での聞き取りを通じ、「集団自決」に軍命があったと断言。体験者の無念さや絶望感を代弁した。一方、原告側は渡嘉敷島に駐屯した戦隊長の元部下らが「戦隊長からの命令は聞いていない」と繰り返した。逃亡した住民の処刑など日本軍の加害を裏付ける証言もあり、法廷は緊迫感に包まれた。

 宮城さんは上下黒のスーツで出廷。約二時間、落ち着いた口調で答えた。

 軍命の有無について、宮平春子さんが、座間味村の兵事主任で助役(当時)だった兄の宮里盛秀さんから聞いた「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」との証言を引用。

 内容の信ぴょう性に疑義を唱える戦隊長側に「自決した人の本当の気持ちを聞いたことがありますか?」と問い掛け、「泣きながら子どもを抱いて自決に追い込まれた犠牲者に、言葉を自分でつくるゆとりはない」と語気を強めた。

 戦隊長側の証人に立った、海上挺進第三戦隊長の副官だった県出身の知念朝睦さん。沖縄戦の実相を描いた「鉄の暴風」に記述された「米軍が上陸したら玉砕するように」との戦隊長からの指示を「あります」と認めたが、すぐに「聞いた覚えはない」と訂正、岩波側に追及されると「記憶がない」と答えた。

 米軍の捕虜になって逃げ帰った二人の少年が戦隊長に「汚名をどうつぐなうか」と追及され首をつった事件で、岩波側は「戦隊長は捕虜になることを許さなかったのか」と質問。知念さんは「ううむ…」と考えた末に「はい」と認め、投降を許さなかった当時の軍の方針を明らかにした。

 知念さんは投降勧告した伊江島の女性を銃で処刑したことなども証言した。


捏造証言元職員「援護課に勤務」

原告側反論


 被告側が前回の弁論で、軍命を捏造し、渡嘉敷島住民に援護法を適用させたとする元琉球政府職員の証言について、援護法の適用方針が明確となった一九五七年には援護課におらず、「信用できない」と主張したことを受け、原告側は二十七日、琉球政府の援護事務嘱託辞令(五四年十月付)と旧軍人軍属資格審査委員会臨時委員辞令(五五年五月)を証拠として提出。五四年から元職員が援護課に勤務していたと反論し、「元職員は、援護事務の一環として住民の自決者についても情報を集め役所に提出。この結果が後に、『集団自決』に援護法適用が決定されたときの資料として活用された」と主張した。


「命令あった」反対尋問切り返す/宮城さん


 「自尊心を傷つけられてもいい。答えるチャンスをもらった」

 二十七日午後、約二時間の証人尋問を終えた宮城晴美さんは、淡々と語った。

 法廷では、はっきりした口調で反対尋問を切り返した。座間味村の兵事主任で助役(当時)だった宮里盛秀氏の妹・宮平春子さんが証言したことで、隊長命令はなかったとした認識を変更することに触れ、「新たな証言が出たので、認識を変えたことについて答えることがしんどかった」と語った。

 母の希望でまとめた著書「母の遺したもの」の証言の一部が原告側の自決命令がなかったとする主張に使われたが、この日まで沈黙してきた。証人尋問を前に、宮平さんが証言したことに後押しされたという。

 著書の表現の仕方で反省する部分もあるとし、「原告側は沖縄戦の実相や『集団自決』の悲惨さをまったく分からず、個人の名誉を勝ちとろうとすることだけを野放しにしてはいけない」と強調した。証言後は、「亡き母に『集団自決』は軍が仕向けたということを原告側へ伝えられたことを報告したい」と語り、大阪地裁を後にした。


論戦 双方手応え

「関与認めた」「混同明らか」


 沖縄戦時に慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)」をめぐる訴訟は二十七日、証人尋問が始まった。出廷した代理人や傍聴した関係者は、互いの主張や相手の矛盾を引き出せたとして、それぞれに手応えを感じていた。

 琉球大学の高嶋伸欣教授は「戦隊長側が『集団自決』への軍の関与や責任を認めたのは大きな成果だ」と指摘。「集団自決」への日本軍の関与を削除した高校歴史教科書検定の根拠が崩れたとの認識を強調した。

 歴史教育者協議会の石山久男委員長は、戦隊長側証人の皆本義博さんの証言に着目。「戦隊長からの命令はなかったという主張だが、『集団自決』前後に一緒に行動していないことが分かった。命令がないと証明できないことになる」と述べた。

 一方、戦隊長側代理人の徳永信一弁護士は、大江・岩波側証人の宮城晴美さんについて「戦隊長の命令と軍命や軍の責任は明確に分けて考えるべき問題だが、これらを混同していることが明らかになった」と指摘。

 戦隊長から直接の命令があったことは立証されていないとの認識を示した。


琉大教授ら抗議決議


 琉球大学教授職員会(会長・上里賢一法文学部教授)は二十七日、定例総会で文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する記述から日本軍の関与が削除されたことに抗議する特別決議を採択した。

 決議文は「戦後歴史学の成果である沖縄戦の研究や体験者の証言の集積によって明らかになっていることは、沖縄戦における『集団自決』は軍隊による命令、強要、誘導なしには起こりえなかった」と指摘。「検定結果が著しく沖縄戦の実相を歪め、戦争の本質を覆い隠し、生命の犠牲を賛美するのではないかと危惧する」とし、文科省に対し、修正指示の撤回と記述の回復を求めた。決議文は文部科学省と県、大学当局などに送付する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707281300_02.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月29日朝刊)

[教科書検定撤回]

知事の真意が計りかねる

 文部科学省の高校教科書検定で「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除されたことについて、検定撤回と記述の回復を求める声が高まっている。超党派の県民大会開催に向け、県子ども会育成連絡協議会などでつくる準備実行委員会が発足、全県規模の参加を呼び掛ける。

 歴史を改ざんする動きに県民が怒りと強い危機感を持っていることの現れだ。県内四十一市町村すべての議会が全会一致で意見書を可決、県議会による二度の意見書可決はそうした県民の思いを反映している。

 それにしては県民の総意を代弁すべき県の対応が見えない。とりわけ、仲井真弘多知事の発言は真意がどこにあるのか、はっきりしない。

 知事は二十七日の定例記者会見で、検定撤回をめぐる現状について「かなりの目的(削除撤回)は達成しつつあるのではないかという感じを持っている」と述べた。

 何を指して「かなりの目的は達成しつつある」と見ているのだろうか。今月四日、安里カツ子副知事ら県内の行政・県議会六団体代表の撤回要求に、文科省の布村幸彦審議官は「審議会が決めたことに口出しできない」と述べ、困難との姿勢を堅持。伊吹文明文科相は「日程上の都合」を理由に、面談にすら応じなかった。

 塩崎恭久官房長官は十一日の県議会での異例の再可決を受けても撤回要求に応じる考えはないことを示した。政府が県民の要望に応じる姿勢は見られない。

 知事が県益のため、政府と良好な関係を保つことは重要だろう。ただ、知事のよって立つところは県民の総意だ。やむなく、県民と政府が対峙した場合の対応もおのずとはっきりしている。実際、知事は六月八日には「個人の率直な気持ち」としながらも「当時の社会状況から考えて軍命はあったと思う」と踏み込んでいる。

 「かなりの目的は達成しつつある」と言うなら、何が達成されつつあるのか、県民への説明が必要である。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070729.html#no_2

 

2007年7月30日(月) 朝刊 1面

糸数氏圧勝 返り咲き/参院選

 参院選沖縄選挙区(改選一)は二十九日投票され、即日開票の結果、野党統一候補で無所属の元職、糸数慶子氏(59)=社民、社大、共産、民主、国民新党推薦=が全県選挙で最高得票となる三十七万六千四百六十票を獲得。自民公認で前職の西銘順志郎氏(57)=公明推薦=に十二万七千三百二十四票の大差で返り咲きを果たした。

 糸数氏は、年金問題や歴史教科書検定問題などで安倍政権批判を展開し、「沖縄から政治を変えよう」と与野党逆転を訴え、「平和の一議席」を奪還した。

 西銘氏は六年間の実績を訴えながら「自立への一議席」を掲げ、県政・国政との連携をアピールしたが、年金問題などの「逆風」で苦戦を強いられ、二期目の鬼門を突破できなかった。県知事選、参院補選を連勝した自公態勢にとっては手痛い敗北で、国政与党の退潮の影響を受け、県内政局が流動化する可能性も出てきた。

 沖縄選挙区の投票率は60・32%で、主要選挙で過去最低だった四月の参院補選を12・51ポイント上回り、二〇〇四年の前回参院選を6・08ポイント上回った。

 与野党を代表する有力候補の一騎打ちとなり、年金問題や改憲論議、米軍普天間飛行場移設などの基地問題、経済振興などを争点に、総力戦が繰り広げられた。

 糸数氏は「年金問題は政府与党の失政。憲法改悪で戦争ができる国を狙っている」などと政権批判を強め、与野党逆転を訴えた。県知事選や参院補選の連敗で危機感を持つ革新支持層の動きも活発化。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除された高校歴史教科書検定への反発で、運動は草の根的な広がりを見せ、保守内部の政権批判票も取り込んだ。

 県知事選など全県選挙を三度経験した抜群の知名度も生かし、都市部をはじめ全県で圧勝。大票田の那覇市をはじめ、全十一市を制する地滑り的な大勝となった。

 西銘氏は「自立への一議席」を前面に打ち出し、国政安定による県政発展を訴えたが「逆風」を受けた。知事選、参院補選と連勝を重ねた自民、公明、経済界の組織力が今選挙では発揮できなかった。

 全面的に支援した仲井真弘多知事の求心力低下は避けられず、来年の県議選や次期衆院選などの人選、態勢づくりにも大きく影響しそうだ。

 糸数慶子(いとかず・けいこ)

 1947年生まれ、読谷村出身。読谷高校卒業後、バス会社に入社し、平和ガイドとして沖縄戦の状況を説明するなど平和運動に携わった。92年県議選で初当選、3期12年務めた。2004年7月参院選沖縄選挙区初当選。06年11月の県知事選に立候補した。


平和憲法守る


 糸数慶子氏の話 国政運営が県民、国民から懸け離れており、政権を変えてほしいという思いが当選につながった。年金や暮らし、教科書改ざんの問題を改めさせ、平和憲法を守っていく。基地問題では、縮小と即時撤去の訴えが受け入れられた。新基地を造らせないということを国会で訴えたい。沖縄の立場を理解する議員を増やし、市民グループとも連携して活動していきたい。


逆風強過ぎた


 西銘順志郎氏の話 年金問題や政治と金の問題、加えて県内では歴史教科書問題など、出だしから空気が重かった。いくら笛を吹いても踊ってくれないような状況があった。一つ一つ丁寧に説明し、終盤は確かな手応えを感じることができるようになったが、あまりにも逆風が強過ぎた。いずれにしても、私の不徳の致すところ。ご支援をいただいた皆さんには感謝したい。


     ◇     ◇     ◇     

沖縄政策に不満噴出/解説


 参院沖縄選挙区(改選数一)で、野党統一候補の糸数慶子氏(59)が「平和の一議席」を奪還、大勝したことは、年金問題や改憲論議などで強硬姿勢を示す安倍政権の改革路線に「ノー」を突きつけたことを意味する。「政治とカネ」や失言など度重なる閣僚の不祥事だけではなく、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題、海上自衛隊の名護市辺野古沖の事前調査参加など、沖縄の歴史認識や復帰後の複雑な感情を無視した同政権の沖縄政策に対する怒りが噴出した結果だ。(07年参院選取材班・与那原良彦)

 沖縄タイムス社と共同通信社などの出口調査を見ると、糸数氏は社民、共産、民主など推薦を受けた政党の支持層の九割前後を固め、無党派層からも約八割の支持を得た。さらに、自民、公明支持層の三割弱が糸数氏に投票したもようだ。

 西銘陣営の幹部は「逆風の中、政府、与党に『ヤーチュー(お灸)しよう』という不満がわき上がったのだろう」との見方を示したが、安倍政権批判が西銘氏大敗につながった可能性は大きい。

 一方、糸数氏は「追い風」を受けての勝利だといえ、これで野党陣営の立て直しが図られたと取るのは早計だ。

 安倍政権を批判する姿勢は共通するものの、改憲や日米安保などで主張が違う政党の共闘は「野合批判」が付きまとい、実際の政権交代の政策協定は容易ではない。

 国政の場において、資金力などで勝る民主党が今後、党勢を伸ばせば、県内の共闘のバランスが崩れる恐れがある。

 労組は弱体化し、政治離れは否めない。復帰運動や多くの選挙戦を戦ってきた革新活動家の高齢化、基地問題よりも生活や経済振興を重視した有権者の動向も見逃せない。今回の参院選も基地問題の争点は薄れ、年金問題などの生活密着問題が最大の争点になった。政策の練り直しも必要になる。

 豊富な運動量を誇る自民、公明の与党態勢は今回、経済界の動員力を軸にした勝利の方程式を発揮できなかった。今後の立て直しが迫られるが、経済界の一部からは「応援しても見返りはない。選挙応援を見直したい」と強い不満の声も聞かれる。

 経済界主導の選挙戦は政治家の動員力を低下させ、経済界依存を強めてきたが、その主体を担ってきた建設業界が業績悪化に苦しむように“選挙負担”に悲鳴も上がる。参院で民主党が第一党になったことを機に、自公一辺倒だった経済界の対応が変化する可能性も否定できない。

 来年六月には県議選がある。民主、そうぞうの候補者増も予想され、乱立傾向が強まると予想される。

 県内政局の流動化は、仲井真県政の不安定化につながりかねない。早期解散が現実味を帯びてきた次期衆院選も含め、県内では、新たな政治枠組みが構築される可能性が高まってきた。


知事、西銘氏敗北「残念」


 仲井真弘多知事は二十九日夜、西銘順志郎氏の敗北について「私の公約実現に向けた強力なパートナーが一人いなくなるのは非常に残念。ベテランの敗北は政策を展開していく上でも影響は大きい」と落胆した口調で語った。那覇市内の西銘選対で記者団の質問に答えた。

 西銘氏の敗因については、年金記録不備問題や閣僚の問題発言などを挙げ、「われわれの陣営も一生懸命やったが、有権者に対するアピール度が足りなかった」と与党への逆風が大きな敗因との認識を示した。

 また、米軍普天間飛行場の移設に向けた事前調査への海自艦投入や「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題などを念頭に「政府の対応も県民感情を逆なでするものだった」と指摘し、政府の沖縄への配慮不足も敗因の一つとの認識も強くにじませた。


基地政策に影響なし/政府


 【東京】参院選で与党の議席が過半数を割り、沖縄選挙区で糸数慶子氏が当選したことを受け、政府側は「これで政府の沖縄政策が変わることはない」「基地政策は合意通り進める」などと冷静に受け止めている。

 沖縄選挙区の争点の一つである基地問題で、糸数氏は米軍普天間飛行場の即時閉鎖・返還を主張したが、防衛省幹部は「普天間移設はすでに実施段階に入っている。合意通りに進めていくだけだ」と淡々と語った。

 民主が参院の第一党となったことにも「(米軍再編への協力度合いに応じて地方自治体に交付金を支給することを柱とした)米軍再編推進法が五月の通常国会で成立済みだ」と述べ、基地政策に影響はないとの見方を強調した。

 内閣府幹部も沖縄選挙区の結果について、全国的な与党への逆風が沖縄にも影響したとの見方を示した上で、「内閣府など政府の沖縄政策への不信任とは受け止めていない」と指摘。

 与党の大敗に「沖縄で直ちに基地問題などへの対応が劇的に変わるとは思わないが、慎重さが求められてくるのではないか」と述べ、普天間移設などで強硬的な姿勢を取りづらくなるとの認識を示した。


普天間移設への「姿勢変わらず」/名護市長


 島袋吉和名護市長は二十九日夜、米軍普天間飛行場の県内移設に反対する糸数慶子氏が当選したことについて「年金や政治資金の問題で政府への逆風が強く、普天間飛行場の移設問題は争点の一つだが、(結果としては)争点にはならなかった」との認識を示した。

 その上で「名護市の代替施設を可能な限り沖合へ寄せてくれというスタンス、県と連携して普天間飛行場の三年以内の閉鎖状態を求める姿勢は変わらない。沖縄の保守候補が負けたからといって、国が移設計画を高飛車に進めるようなことがあってはならない」とくぎを刺した。


県内投票率 上昇60・32%


 参院選沖縄選挙区の最終投票率は60・32%で、前回(二〇〇四年七月)を6・08ポイント、過去最低だった〇七年四月の同選挙区補欠選挙を12・51ポイント上回った。参院選で60%を超えたのは一九八九年以来、十八年ぶりとなる。

 全国的な争点となった年金問題などのほか、県内では高校歴史教科書の検定問題への関心の高さなどが背景にあるとみられる。期日前投票が有権者の12・38%に当たる十三万二百四十四人で、同制度施行後最高だった二〇〇六年知事選を一万九千六百三十八人上回ったことも投票率アップにつながった。

 十一市平均が59・70%、郡部が62・44%。東村と久米島町を除く市町村で前回を上回った。男女別では男性が59・53%、女性が61・08%。

 県内の参院選の投票率は一九九二年に58・51%と初めて60%を割り込んだ。九八年に58・98%と若干回復したが、その後は二〇〇四年、〇七年補欠選と過去最低を更新していた。


県内テレビ各局3分内に「当確」


 参院選沖縄選挙区の投票が締め切られた二十九日午後八時、テレビ各局は選挙特報番組で糸数慶子さん(59)の当確を次々に速報した。琉球朝日放送(QAB)が同午後八時、琉球放送(RBC)と沖縄テレビ(OTV)は同一分、NHK沖縄放送局は同二分にそれぞれ当確を伝えた。沖縄タイムス社は同八分に、当確を伝える電子号外をホームページ上に掲載した。

  

早々と当確が決まり、支持者と「バンザイ」して喜ぶ糸数慶子氏(中央)=29日午後8時5分、那覇市銘苅・選対事務所(古謝克公撮影)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301300_01.html

 

2007年7月30日(月) 朝刊 23面

慶子スマイル復活/教科書・基地問題へ意欲

 「政治を県民、国民の手に取り戻す」。二十九日の参院選沖縄選挙区で圧勝し、国政への返り咲きを果たした糸数慶子さん(59)は、引き締まった表情で抱負を語った。歓喜に沸く選対本部で、孫から受け取った花の冠を頭に載せると、笑顔がはじけた。「与野党逆転の訴えが受け入れられた」と振り返り、「県民の支持を基盤に、沖縄の課題を訴える」ときっぱり。一方、西銘順志郎さん(57)は「あまりにも強い逆風が吹き過ぎた」と悔しさを隠さず、「私の不徳の致すところ」と頭を下げた。投票終了と同時に糸数さんの当確が速報され、選対本部は静まり返った。

挫折越えたくましく


 午後八時から民放各社が当選確実を相次いで報じた直後、糸数さんは那覇市銘苅の選対本部に入った。突然電気ブレーカーが落ち、事務所の照明が消えたが、暗闇の中でも構わず支持者と固い握手を繰り返した。

 「初めて敗北を味わったことが、参院選にかける意気込みにつながった」。報道陣に囲まれ、昨年の知事選を振り返った。県議選三期、参院選一期と連戦連勝の政治生活で、初めて経験した挫折だった。

 再出発となった今回は長かった髪を切り、選対本部が発足する前から一人で朝の街頭に立った。台風が直撃した公示翌日の十三日朝も街頭に出ようとして、スタッフに必死に止められた。

 「支持者を見つけたら、すぐ駆け寄って握手。走り回るので、追っかけるのが大変でした」と、ウグイス嬢の親里利希さん(28)。選対幹部や家族も「後がない危機感がばねになった」「すごいファイトだった」と、そろって舌を巻いた。

 再び獲得した「平和の一議席」。糸数さんは報道陣に硬い表情の理由を問われ、「県民の思いを受け止めてしっかり活動したいと、緊張した顔になったと思います」と、白い歯をのぞかせた。「年金、教科書改ざん、基地…」と、当選後に取り組む課題を七つも列挙し、全力投球を誓った。

 「この気持ち、この思い、すべて沖縄のために」。沖縄の平和を訴え続けた政治活動、平和ガイドの経験と重なるキャッチフレーズ。選挙中は口にしようとするたびに涙ぐんでしまったが、最後の支持者へのあいさつではきちんと言い切った。「私の魂のすべてを沖縄のためにかけます」。最後は晴れやかな表情を浮かべた。


     ◇     ◇     ◇     

「逆風、四つも五つも…」/西銘さん、心境複雑


 那覇市牧志の西銘さんの選対本部。情勢の劣勢が伝えられ、開票前から重苦しい雰囲気に包まれた。午後八時すぎ、各テレビ局が次々に「糸数さん当確」を伝えると、さらに沈黙が広がった。集まった支持者から「随分早く出たな」のつぶやきも。

 午後八時四十分ごろ、選対本部に入った西銘さんは、拍手で出迎えられ、支援を受けた仲井真弘多県知事や、選対幹部と握手を交わした。報道陣のインタビューに応じ「開票もしないうちに相手候補に当確が出て、気持ちの整理がついていない」と複雑な心境を吐露。

 年金や歴史教科書などの問題を挙げて「逆風が四つも五つも重なり、嵐のようだった」と苦しい選挙を振り返った。今後の政治活動については「今のところ白紙の状態」とだけ述べた。

 最後は支持者に「ありがとうございました」と頭を下げ、一人一人と握手を交わし選対本部を後にした。

 那覇市前島の自営業、新嘉喜嘉枝子さん(59)は「あんなに燃えたのはなんだったのか。落選を信じられない」とぼうぜんとした表情で語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301300_02.html

 

2007年7月30日(月) 朝刊 23面

「集団自決」修正/全国地理研も決議

 地理教育研究会は二十八日、石川県金沢市で行った第四十六回全国大会で「沖縄戦の教科書記述に対する不当な検定の撤回を要求する決議」を了承した。同会は全国の小・中・高校・大学の地理教育研究者が参加している。

 決議は、高校歴史教科書の沖縄戦記述から「集団自決(強制集団死)」への軍関与が削除されたことを、「歴史的事実の抹消」と糾弾。四月以降の、県内全市町村議会や県議会の二回にわたる検定撤回を求める決議にも触れ、速やかな検定結果の撤回を求め、住民虐殺・「集団自決」記述の恒常化を要求している。

 大阪地裁で行われている岩波・大江裁判にも言及し、九月十日、渡嘉敷の「集団自決」生存者・金城重明氏の証言のために福岡高裁那覇支部で開かれる出張法廷の審理を公開するよう大阪地裁に求めている。

 決議は文科省や大阪地裁などに送付する予定。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301300_03.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年7月30日朝刊)

[参院選開票結果]

安倍政治への不信任だ


ねじれ生じ波乱は必至

 参議院が大きく動いた。郵政選挙といわれた二〇〇五年九月の総選挙の際、自民党の側に大きく振れた振り子は、最大といっていい振れ幅で今回、民主党の側に振れた。

 自民党は歴史的な惨敗を喫して参議院第一党の座から転落、公明党を含む与党は過半数を維持することができなかった。

 衆議院では与党が三分の二を超え、参議院では野党が過半数を超えるというねじれが生じたことになる。国政の波乱を予兆させる選挙結果だ。

 沖縄選挙区は野党統一候補で無所属の糸数慶子氏が自民公認・公明推薦の前職西銘順志郎氏を大差で破り、国政への返り咲きを果たした。

 昨年十一月の知事選、四月の参院補選で連敗した野党にとって、今度の参院選は、奈落に沈むか立ち直りのきっかけをつかむか、のがけっぷちの選挙だった。今度の勝利で再生への足掛かりをつかんだことになる。

 参院選の沖縄選挙区はこれまで、中央政治の影響を受けつつも、沖縄に固有の争点を前面に押し出して争われることが多かった。「基地と経済」という復帰以来の争点がそれだ。

 「経済の与党、基地の野党」という構図は、沖縄の選挙事情を語るキーワードであり続けた。

 だが、今度の選挙では、個別の政策争点に加えて、安倍政治そのものが争点化した。選挙期間中、無党派層や自民・公明支持層の一部からもしきりに「安倍政権にお灸を据えたい」という声が聞こえてきた。

 糸数氏が大差で勝ったということは、安倍政治に対して沖縄の有権者が強い拒否反応を示し、「ノー」の審判を下したことを意味する。

 年金問題であらわになった行政不信、「政治とカネ」をめぐる閣僚の不祥事と安倍晋三首相の事後対応のまずさ、うんざりするほど続いた閣僚の失言。今度の選挙は全国的に安倍政権に対する有権者の怒りが爆発した選挙だった、といっていい。

 安倍首相にとっては、就任後初めての本格的な国政選挙だった。その選挙で支持層からも見放され、大敗を喫したことの意味を安倍首相は深刻に受け止める必要がある。


歴史の見直しに危機感


 西銘氏は告示前から逆風にさらされ、最後まで「負の連鎖」をはね返すことができなかった。

 県知事選、参院補選で連勝した勢い。自公と経済界の強固な組織力。かつての革新共闘会議を思わせるような圧倒的な運動量。勝てる要素があったにもかかわらず大敗を喫してしまったのは、逆風がいかに強かったかを物語っている。

 年金問題は沖縄選挙区でも大きな争点になった。「集団自決」(強制集団死)の記述をめぐる教科書検定問題や憲法改正の動きに対しても、有権者は敏感だった。

 歴史認識や戦後体験などウチナーンチュの琴線に触れるテーマが浮上したために、野党支持層だけでなく、広範な有権者から「このまま進むと大変なことになる」という危機感が生まれた。退職教員など沖縄戦や米軍統治を経験した世代の動きが目立ったのも今回の特徴だ。

 西銘陣営は年金や教科書検定問題に対して、選挙期間中、「政府に喝」というチラシを配って政府の対応を批判した。選挙のための選挙用の主張ではなく、選挙後もその姿勢を貫き、喝を入れてほしい。

 暗礁に乗り上げている普天間飛行場の辺野古移設問題について仲井真弘多知事は、難しい判断を迫られることになりそうだ。辺野古移設に明確に反対を示した糸数氏が当選したことは、参院選とはいえ、それなりの重みを持つものである。安易な妥協を許さない県民意思の表れ、と受け取めたい。


野党は立て直しが急務


 県内の野党各党は、今度の選挙結果で取りあえず一服ついた、といえる。だが、この結果は野党にとって、体制立て直しのための猶予期間が与えられたとみるべきだ。

 かつて革新陣営の「接着剤」の役割を果たしたのは社大党である。だが、今の社大党にその力はない。民主党は影響力を増しつつあるとはいうものの、沖縄ではまだ野党第一党の地位を占めるに至っていない。野党陣営の中にリーダーシップの取れる政党がいなくなったのだ。

 反自公勢力の課題が今度の選挙で克服されたとはいい難い。そのことを冷静に見つめたほうがいい。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070730.html#no_1

 

琉球新報 社説

07参院選 「良識の府」を取り戻せ

 年金問題を最大の争点とした第21回参院選は、29日投開票が行われ、年金問題を追い風にした民主党が躍進し議席を大きく伸ばしたのに対し、自民党は改選議席を大幅に減らし惨敗した。

 与野党が一騎打ちの激しい戦いを繰り広げた沖縄選挙区は、無所属で野党各党から推薦を受けた元職の糸数慶子氏が、自民公認で公明推薦の前職・西銘順志郎氏を破り当選した。

 与党は自民、公明両党の非改選議席を合わせて過半数を割り込んだ。安倍晋三首相は、昨年9月の就任以来、初めて臨んだ全国規模の国政選挙で国民から極めて厳しい審判を下された。

 一方、民主党は参院の第一党に躍り出た。小沢一郎代表が描く次期衆院選での政権交代の道筋が現実味を帯びてきたと言えよう。

自ら招いた逆風

 参院選の結果は、衆院選とは違い、政権選択に直接結び付くものではない。とはいうものの、安倍政権にとっては、今回の選挙結果は不信任を突き付けられたも同然である。

 各種世論調査で与党の劣勢が伝えられた以後、自民党執行部は首相の責任問題の火消しに躍起になってきた。首相自身、続投を表明している。だが今後、進退問題に発展する可能性も否定できない。

 有権者はなぜ民主党に多くの議席を与えたのか。

 重要法案を強調する割には、与党の国民への説明は不十分で、国会では与野党の論議が深まらないまま、対立法案を強引に採決にかける姿勢が目立った。先の通常国会の会期末で乱発した強行採決が好例である。

 衆院で議席の3分の2を占める巨大与党を背景に「数の論理」で押し切る政治手法を推し進め、与野党の合意が軽視される。こうした「安倍政治」への異議申し立てでもある。猛省を促していると受け止めるべきだ。

 国民は、首相が掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」に対しても、もっと丁寧な説明を求めているのではないか。国の行方や国民の暮らしを左右する重要法案に対して、慎重に論議を尽くすことを政治に強く期待しているはずだ。首相をはじめ、政府与党は国民の期待や願いには耳を傾け、常に謙虚であるべきだ。今後の国のかじ取りに生かす必要がある。

 与党を惨敗に追い込んだのは言うまでもなく、年金問題を中心に吹き荒れた「逆風」にある。しかし逆風は、決して自然発生的に起きたのではない。その源は、政府与党に発しているのだ。自らまいた種である。

示せるか存在意義

 年金問題だけではない。原爆投下について「しょうがない」と公示直前に発言し辞任した久間章生前防衛相の失言もしかり、説明責任を果たさない赤城徳彦農相の事務所費問題もしかりである。

 首相はこれらの問題に指導力を発揮できなかったばかりか、逆にかばい続けた。国民の怒りを買い、不信が広がり、不安をもたらしたのは当然だ。

 発足から10カ月。この間の「安倍政治」は、沖縄選挙区の行方にも影を落とした。

 米軍普天間飛行場の移設問題では、十分な説明もなく、名護市辺野古海域の環境現況調査(事前調査)で海上自衛隊が投入された。

 文部科学省の歴史教科書の検定では、沖縄戦の「集団自決」をめぐる軍の関与に関する記述が削除・修正された。県民の総意である検定の撤回と記述の復活要求は一顧だにされない。

 いずれも県民にとってはゆるがせにできない重大な事柄だ。新たな基地を造らせないことなどを軸に「平和の1議席」を訴え、平和な暮らしをアピールした糸数氏の勝因にもつながっている。

 自民党の記録的ともいえる大敗で選挙は幕を閉じた。だが年金制度の抜本的な制度の設計、政治とカネの問題など選挙戦で争点になったさまざな問題は片付いていない。国民の立場に立った制度の在り方をめぐる議論などは、むしろこれからだ。3年後には与党による憲法改正の発議も予想される。

 今の参院は、「良識の府」と呼ぶには懸け離れすぎている。党利党略が優先され、衆院の議決をなぞって追認するだけでは参院の機能は果たせない。今回の結果で参院での論議に緊張が戻ってくることを期待したい。参院の存在意義を示してほしい

(7/30 9:48)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25866-storytopic-11.html

 

2007年7月30日(月) 夕刊 1・6面

圧勝の糸数氏/早急に年金問題着手

 参院沖縄選挙区(改選数一)で返り咲きを果たした野党統一候補で元職の糸数慶子氏(59)=社民、社大、共産、民主、国民新党推薦=は三十日午前、沖縄タイムス社の諸見里道浩編集局長のインタビューに答えた。約三十七万六千票という過去最高の得票に「年金問題や増税、歴史教科書の改ざん、新基地建設の強行など、弱者や沖縄を切り捨てる安倍政権への不安や怒りが渦巻いていた。県民が自公の安倍政権にノーを突きつけた」と議席奪還の意義を述べた。

 当選後、早急に取り組む課題としては「まず年金問題に着手し、年金通帳導入や基礎年金を税で賄う仕組みなど国民が安心できる制度改革を実行したい」と語った。

 さらに、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除された高校歴史教科書検定問題を挙げ、「検定を撤回させ、記述を回復させる県民運動を展開し、沖縄戦の歴史を戦争を知らない若い人に伝えるようにしたい」と述べた。

 自民党大敗という国民の審判には「安倍首相は責任を取って辞任すべきだ」と強調した。

 改憲の動きに対しては「安倍政権が国民投票法を成立させ、改憲を推し進めることに県民の危機感は強まっている。九条を変える憲法改悪で戦争ができる国にしようとする安倍政権への県民の怒りが投票結果に表れた」とした。

 米軍再編については「基地負担は軽減されず、抑止力の維持だけが重視され、基地の固定化と強化につながっている」と批判。「日米安保条約ではなく、東アジア全体の平和を視野に入れた条約締結が必要だ」と提言した。今後の国会活動は無所属の立場を貫くことを表明した。


     ◇     ◇     ◇     

憲法・生活 期待熱く


 沖縄選挙区で野党統一候補の糸数慶子さん(59)、比例区で社民公認の山内徳信さん(72)が当選を決めた参院選。年金問題や改憲論議、基地問題、経済振興、教科書検定…。山積する課題に今後、どう取り組むのか。期待とともに、県民の厳しい目が注がれている。

 浦添社会保険事務所に年金受給の手続きに訪れた同市の砂辺松隆さん(66)は「私は年金をちゃんと受給しているが、もし『消えた年金問題』が自分の身に降りかかっていたらと思うと許せない」と憤る。

 当初、過去の領収書を持ってこないと納めた証拠にならないなどとしたことに「誰が何十年前の領収書など残すのか。国のやり方はひど過ぎる」と指摘。「ぜひ、年金問題や沖縄戦の記述をめぐる歴史教科書問題で頑張ってほしい」

 二人の子どもの子育てが落ち着き、四月からハローワークに通い仕事を探している南風原町の主婦、吉元あかねさん(29)は「子育てをしながら仕事をして行くことが理想。(糸数)慶子さんは女性として共感できる。子育てと仕事を両立させてきた先輩としても大いに期待したい」と話した。

 六月に県内五カ所目の「憲法九条の碑」を南風原町内に建立した「町憲法九条の会」の新垣安雄さん(65)は「沖縄では、高校歴史教科書の検定問題が野党側への追い風となった。教科書問題の根底にあるものは、憲法改定に対する県民の危機意識だ」と指摘。「沖縄からしっかりと憲法を守ってほしい」と力を込めた。

 宜野湾市の普天間飛行場から発生する騒音に日夜悩まされているという比嘉昌也さん(31)=同市佐真下、建築業=は同飛行場の辺野古移設について「県内でたらい回しにしても、解決にはならない」と、新基地建設に反対する糸数さん、山内さんの手腕に期待した。


普天間移設/反対派「運動後押し」


 米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設に反対する糸数慶子さんが沖縄選挙区で当選したことで、反対派住民らは今後の動向に期待感をにじませている。一方で、移設推進派は移設への影響はないとみている。

 ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「これまで政府は強引に移設問題を進めてきたが、選挙区で糸数さん、比例区で山内徳信さんが勝利したことで、沖縄の声がより国に届きやすくなった。基地問題だけではないが、名護市でも糸数さんが勝利したことは、これからの運動の大きな後押しになる。今後の仲井真県政にも、影響してくるのではないか」と期待した。

 移設を推進する荻堂盛秀名護市商工会長は「参院の沖縄選挙区で保守一人が負けたからといって、国の基地政策が手のひらを返したように変わることはないと思う」として移設に影響はないとの認識。辺野古区出身の島袋権勇名護市議会議長は「移設は日米両政府の合意。参院選で負けたことでの影響はない。相手候補へ流れた票は、年金問題や大臣の不適切発言への反発であり、基地問題に対する県民の怒りでない」と、「基地」が争点となっての敗戦ではないことを強調した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301700_01.html

 

2007年7月30日(月) 夕刊 7面

「予定通り実施を」/四軍調整官が知事訪問

 在沖米軍トップのリチャード・ジルマー四軍調整官(中将)が三十日午前、着任あいさつのため、県庁に仲井真弘多知事を訪ねた。

 ジルマー中将は在日米軍再編について「在日米軍、日本政府、沖縄県にとって重要。スケジュール通り実施されることを希望しており、私もそれにかかわっていきたい」と述べ、米軍普天間飛行場移設問題などを日米合意に基づいて実施する姿勢を強調した。

 仲井真知事は「米軍再編はどんどん前に進めた方がいいと思っている」と指摘。普天間飛行場移設問題については「県内では十年以上議論しており、早く終わらせたいというのが私の率直な思い。そのために日本政府と話をしているところだ」と説明し、事態の早期打開に取り組む考えを示した。

 仲井真知事は、米軍関係者の事件・事故やトラブル防止も要請した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707301700_03.html

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