沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(8月13日、14日、15日)

2007年8月13日(月) 朝刊 1面

「もう飛ばないで」沖国大でライブ

米軍ヘリ墜落3年

 米軍ヘリが墜落して三年になるのを前に、現場となった宜野湾市の沖縄国際大学の学生たちが十二日、学内で手作りの「NO FLY ZONE」コンサートを開いた。ミュージシャンが歌と言葉で「もうヘリを飛ばさないで」とアピールし、事故現場隣の教室は数百人の熱気であふれた。

 「すばっぷ」のボーカルで、同大四年のみゆきさんは「どうかこの事件を忘れないでほしい」と、下級生に語り掛けた。学生自らが企画したコンサートに「うれしいけど、ヘリがまだ上空を飛んでいるのが悔しくて半々の気持ち」と話した。

 カクマクシャカ、知花竜海ら計六組が登場し、ラップや三線も交えて「行動を起こそう」と訴えた。フィナーレは総立ちでカチャーシー。実行委員長で四年の高橋正太郎さんは「今後もそれぞれの表現方法で伝え続けてほしい」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708131300_03.html

沖縄タイムス 社説(2007年8月13日朝刊)

[ヘリ墜落3年]

根本解決には程遠い

 沖縄国際大学の構内に米軍ヘリが墜落炎上した事故から、きょうでちょうど三年になる。この間、周辺住民や大学関係者が切実に訴えてきたのは、一日も早く危険性を取り除いてほしい、ということだった。しかし、この三年間の日米交渉の結果は、解決にならない合意というほかない。

 日米両政府は地位協定の運用改善の一環として、基地外で米軍機事故が起きたときの日米の役割を定めたガイドライン(指針)を策定し、同指針に基づく日米合同訓練を実施した。

 事故現場の外周は日本、内周は日米共同で規制するというのが指針の基本的な考え方だ。

 基地外での事故にもかかわらず県警さえ近寄れないような米軍の一方的な現場規制は、県内外から激しい反発を招いた。ガイドラインの運用で果たして日本側の機体検証、捜査権が保障されるのか、依然として疑問は残る。

 日米両政府はさらに、ヘリの飛行経路の見直しと安全対策をまとめた。

 北東向きの出発経路を優先して使用するなど飛行ルートを見直し、滑走路末端に識別灯を新設するなどの安全対策を講じるという。

 なによりも不思議なのは、この程度の対策がなぜこれまで実施されなかったのか、ということである。

 普天間飛行場の危険性や騒音被害については、事故が発生する何年も前から指摘されてきた。日米の今度の合意内容は、本来、もっと前から取り組むべきことであって、今回はそれを上回る根本的な安全対策が示されなければならなかったはずだ。

 防衛施設庁の担当課長は、今回の飛行ルート見直しと安全対策について「現状の普天間飛行場で取り得る最善の措置。われわれとしては(知事が求める三年をめどにした閉鎖状態に対する)回答と思っている」との考えを明らかした。

 沖縄側との溝は依然として大きい。政府には、機能分散、訓練移転などを含めた危険性除去の方策を引き続き追求していく義務がある。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070813.html#no_2

琉球新報 社説

米軍ヘリ墜落3年 県外移設、真剣に考えよ

 米軍普天間飛行場所属のヘリが沖国大に墜落事故を起こしてから、きょう13日で満3年を迎えた。この悲劇を教訓にすべく、日米両政府がさまざまな対策を講じたかに見えたが、残念ながら、いまのところ、県民にとって目に見える成果はゼロに等しい。肝心の普天間移設問題は宙に浮いたままだ。それどころか、日米軍事再編の大合唱の下、沖縄の基地機能の強化が進むばかりだ。

 もつれにもつれたかに見える普天間移設問題。ここで、日米両政府は原点に立ち返ってほしい。そして、肝に銘じてほしい。「住宅密集地にある普天間飛行場の危険性の除去」。これが今回の移設問題の原点だ。そのことは、ヘリ墜落でより明確になったはずだ。今からでも遅くはない。県民の意思をくみ、県外移設に真剣に向き合うべきだろう。

 軍用機の墜落事故は過去何度かあった。復帰前の1959年6月30日、嘉手納基地を離陸した米戦闘機が宮森小学校(旧石川市)に墜落。児童を含む17人の死者と121人の負傷者を出す大惨事となった。また、68年11月19日には、嘉手納基地内に離陸したばかりのB52戦略爆撃機が墜落炎上。同機は通常兵器を積んでいたため、何度も爆発と炎上を繰り返した。近くには核兵器や毒ガスを貯蔵していたといわれる嘉手納弾薬庫があり、一歩間違えば壊滅的な被害をもたらしていた。

 しかし、それほどの事故があっても日米はどう動いたのか。県民の猛反発を無視する形で、基地の居座りを許し続けてきたのが現状だ。こう見てくると、何も沖国大へのヘリ墜落で基地の危険性が露見したわけではなかろう。

 今回の事故が起きるまで事態を放置してきた日米政府の責任は重い。百歩譲ってB52、宮森小の事故は施政権のない時代であったにしても、日本政府の責任は逃れることはできない。復帰前の状況を考えれば、今回の事故も十分、予想の範囲内といえたであろう。復帰後もほとんど無策だった、といわれても仕方がない。

 キャンプ・シュワブ沖への移設案にしても、県民の意向を無視した泥縄的な計画でしかない。この間の動きも、環境アセス事前調査への自衛隊動員、方法書の押し付け、抜本的な解決策にはならない飛行経路の見直し案など、県民を到底納得させるものではない。基地機能の強化などを見ても、むしろ「最初に再編ありき」で、危険性除去は二の次、という日米政府の姿勢がありありだ。

 県民の意思を無視した施策がうまくいくはずもない。先の参院選の際の世論調査でも普天間の県内移設反対が6割を超えている。県外移設が県民の意思だ。日米政府はこのことを真剣に受け止めよ。

(8/13 10:03)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-26276-storytopic-11.html

2007年8月13日(月) 夕刊 5面

「変わらぬ危険 憤り」ヘリ墜落3年

沖国大学長 横断幕で飛行抗議

 米軍ヘリ墜落事故から三年がたった十三日午前、事故後も上空を行き交う米軍機に抗議しようと沖縄国際大学(渡久地朝明学長)は本館屋上から空に向け、「NO FLY ZONE」の横断幕を設置した。渡久地学長は「三年が経過した今もなお大学や宜野湾上空を飛び続ける米軍ヘリコプターは、大きな不安を与えている。変わらない現状に憤りを禁じ得ない」とコメントを発表した。

 横断幕は横七メートル二十センチ、縦九十センチで、掲揚期間は未定。同日午前、同大職員が設置する時間帯前後も、周辺には米軍機の爆音が響いていた。

 同日付で学内の米軍ヘリコプター墜落事件対策委員会は解散する。コメントで、渡久地学長は「これまでと同様、普天間基地を使用するすべての航空機の飛行停止、普天間基地の即時撤去、日米地位協定の改定を要求していく」とした。

 旧本館の壁面の一部はモニュメントとして保存し、関連資料は図書館で展示を予定している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708131700_02.html

2007年8月13日(月) 夕刊 4面

アセス方法書 撤回訴え/市民団体300人が抗議

 沖縄平和運動センターなど十二団体で構成する「基地の県内移設に反対する県民会議」は十三日、防衛省が米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部移設に向けて環境影響評価(アセスメント)方法書を県などに提出したことに抗議する緊急集会を那覇市の県庁前県民広場で開いた。参加した約三百人(主催者発表)はアセス方法書の撤回などを訴えた。

 主催者を代表して玉城義和副代表(ヘリ基地反対協議会顧問)は「在日米軍再編は抑止力と県内の負担軽減をうたっているが、県の負担は増えるばかりだ。県はアセス方法書の受け入れを拒否しているので支援したい。国が辺野古への建設を断念するまで迫っていきたい」と訴えた。

 糸数慶子参院議員は「沖縄はこれまで自ら基地を招き入れることはなかった。基地に頼らず自立した経済を確立するため辺野古の自然を守っていきたい。一緒に頑張っていこう」と呼び掛けた。

 同日午後には、仲里全輝副知事を訪ね、アセス方法書を引き続き受理しないよう要請する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708131700_03.html

2007年8月13日(月) 夕刊 5面

県遺族連合会が声明/戦争の事実ありのまま教えて

 県遺族連合会(仲宗根義尚会長)は十三日、文部科学省が高校歴史教科書の沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」について、日本軍の強制をめぐる記述を検定で削除させた問題で、記述復活を求めるアピールを発表した。仲宗根会長は「戦没者遺族として、世界の平和を願う気持ちを込めた。多くの人々に関心を持ってもらいたい」と話した。同連合会は教科書検定問題を受け、今年五月の理事会・評議会でアピールの発表を決定した。

 アピールは「『集団自決』の発生は住民を巻き込んだ地上戦があった」と指摘。「当時、日本軍は『住民に安易な捕虜を戒め玉砕をしてでも島を守る』と言ったという表現や、手榴弾を民間人に二個配り『一個は敵に投げつけ、あと一個で自決するように』と言われていたことも多くの証言があり、真実」とした。

 「青少年に教科書を通して戦争の悲惨さの事実をありのまま教えることこそ、平和運動の原動力になる」とし、検定意見の撤回と教科書の記述復活を訴えている。

 仲宗根会長は「開催が決まった県民大会の成功に向けて最大限、努力したい」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708131700_04.html

2007年8月14日(火) 朝刊 1面

きょうから公告縦覧/「普天間」代替

 米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた環境影響評価(アセスメント)手続きで、那覇防衛施設局は十四日、方法書の公告縦覧を開始する。

 縦覧場所は施設局など県内五カ所で、期間は九月十三日までの一カ月間。方法書の受け取りを「保留」している県や名護市が場所提供に応じないため、関連自治体の行政施設では縦覧が行われない異例の事態となる。

 国のアセス法は、対象事業を滑走路千八百七十五メートル以上と規定。普天間代替施設は滑走路の長さが千六百メートル(延長部分含めて千八百メートル)、公有水面の埋め立ては約百六十ヘクタール。このため施設局は、飛行場に関するアセスは県条例、埋め立てに関しては国のアセス法に基づいて手続きを進める。

 施設局は縦覧後、二週間以内に住民などの意見を受け付ける。それらの意見の概要を作成し、県などに送付する。県は意見概要の受理後、名護市など関連市町村長の意見を聴取した上で、知事意見を九十日以内(県条例に基づくアセスの場合は六十日以内)に施設局に提出。施設局は知事意見などを踏まえ、方法書を確定する。

 県や名護市は現段階で、知事意見などの審査手続きに応じない意向を示しており、知事意見の回答期限の解釈が焦点になる可能性もある。

 縦覧場所は(1)施設局三階広報室(2)同局名護連絡所(名護市辺野古134ノ1)(3)同局金武防衛施設事務所(金武町金武35)(4)観光ホテルおおくら一階ホール(名護市東江1ノ3ノ6)(5)キューピットハイツ一階(宜野座村惣慶1639ノ2)。いずれも土日、祝日を除く午前九時から午後五時。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708141300_02.html

2007年8月14日(火) 朝刊 25・2面

ヘリ墜落3年 決意新た

 米軍ヘリ墜落事故から三年を迎えた沖縄国際大学(渡久地朝明学長)で十三日、学生や教員ら約百五十人が集会を開き、「事故を風化させず、記憶を語り継いでいこう」と誓いを新たにした。

 事故発生時刻に近い午後二時、墜落現場付近で始まった集会で、四年の高橋正太郎さん(21)は「僕は事件から目を背けません。僕たちができる表現方法で、素直な気持ちを伝えていきたい」とメッセージを読み上げた。

 教員有志でつくる「米軍ヘリ墜落事故を考える会」は、事故翌月から三年間、毎月十三日に欠かさず続けてきた集会を普天間飛行場が撤去されるまで続ける決意を表明。教員らは口々に「われわれに時効はない」「基地閉鎖は夢物語ではない」などと訴えた。

 参加した二年の知花恵さん(19)は「先輩たちの思いが伝わってきた。体験していない自分たちがどう伝えていけるか考えていきたい」と話した。

 また、同大の教員三人はそれぞれの研究室から星条旗を逆さに掲げ、抗議の意思を示した。八月末まで毎日続ける予定。


「基地撤去を」500人が抗議/宜野湾で市民集会


 【宜野湾】米軍ヘリの沖国大への墜落事故から三年たった十三日、事故に抗議する「動かせ普天間!許すな県内移設!8・13抗議集会」(主催・沖縄平和運動センターなど)が宜野湾市で開かれた。同市真栄原の普天間飛行場第二ゲート前には労組関係者や市民ら五百人(主催者発表)が集まり、同飛行場の即時返還を求め、県内移設反対の声を上げた。

 崎山嗣幸平和運動センター議長は「事故から三年。飛行ルートが変わっても、住宅や学校の上空で訓練が行われる。今後も運動を強化しなければならない」と呼び掛けた。


普天間の危険極限/伊波市長会見


 【宜野湾】沖縄国際大学に米軍CH53D大型輸送ヘリが墜落した事故から満三年を迎えた十三日、宜野湾市の伊波洋一市長は市役所で記者会見し、「普天間飛行場の危険性は極限状態だ。今後も危険性が放置されることは許されない」と述べ、同飛行場の早期閉鎖・返還に引き続き全力で取り組む考えを示した。

 日米両政府が合意した同飛行場の新しい場周経路について、伊波市長は「防衛施設庁は米側の説明をうのみにしている。住宅地上空のヘリ飛行を容認するもので、点数で評価すると零点かマイナスだ」と述べ、市が求める危険性除去策にはつながらないとの認識を示した。

 その上で、「政府の説明はフェンス内での飛行訓練が前提で、詭弁でしかない」と指摘。「現実には、三種類のヘリによって高度や飛行ルートなどが異なっており、住宅地上空で訓練を繰り返している。飛行経路をカメラで撮影し、政府の言う『安全の根拠』を示すよう求めていく」と話した。

 今後の取り組みとしては「普天間の現状を国会レベルで訴え、米国議員にも、より深く問題を理解してもらう。部隊をグアムに移すことが最善の方法だ」とした。

 ケビン・メア在沖米国総領事が事故の容疑者の氏名公表に「なぜ名前を知りたいのか疑問を感じる」との認識を示したことには、「私たちの思いを受け止めていない。県民感情を逆なでしている」と批判した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708141300_05.html

2007年8月14日(火) 朝刊 24面

宮城さん、原告を批判/「集団自決」訴訟で報告会

 大阪地裁で七月にあった「集団自決」訴訟の証人尋問の報告集会が十三日、那覇市内であった。被告・岩波書店側の証人だった宮城晴美さんが、自著「母の遺したもの」について「話しを聞きやすかった女子青年団からの取材で、日本軍寄りでこの本を書いてしまった」と振り返り、「言葉が足りなかった部分は書き改めているところ」と語った。

 同訴訟は、沖縄戦時の慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、住民に命令をしたと著作に記されて名誉を棄損されているとして、旧日本軍の戦隊長らが作家の大江健三郎さんと岩波書店に出版の差し止めなどを求めている。

 集会で宮城さんは、著書で当時の兵事主任(助役)が住民に「集団自決」を命じたとしたことについて「助役には申し訳なく、遺族に迷惑を掛けたことを反省している」と強調。座間味島の戦隊長だった原告の梅澤裕氏には「兵事主任や手榴弾を配った部下が悪いと、自分に都合のいいことばかりを言っている」と批判した。

 報告集会は、被告・岩波側を支援している「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」の主催で約五十人が参加。

 裁判を傍聴した沖縄国際大の安仁屋政昭名誉教授は「原告側の証言はピント外ればかりだった。『集団自決』にはさまざまな背景があるが、住民が軍の強制と誘導によって死んでいったという『集団自決』の言葉の中身を、しっかりと伝えていく必要がある」と語った。

 また九月十日に那覇で予定されている所在尋問(出張法廷)が非公開とされていることについて、参加者から公開を求める声が次々と上がった。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708141300_09.html

沖縄タイムス 社説(2007年8月14日朝刊)

[サンゴ白化]

死滅防ぐために知恵を

 海水温がいつもの夏より高く感じられるという。この高水温が、石垣島・白保海域のサンゴ群落をはじめ多くのさんご礁の白化の原因になっているというから要注意だ。

 今月四日から六日まで、白保海域の水深五メートル未満のリーフ内二十八地点を調査した世界自然保護基金(WWF)サンゴ礁保護研究センターが、同海域に生息するほぼすべてのサンゴの分類群で白化を確認したという。

 目視調査では、ハナヤサイサンゴ科とミドリイシ属の90%以上が白化。コモンサンゴ属は50―70%、白化しにくいハマサンゴ属も30―50%、アオサンゴ属は5%未満が白化していた。

 事態は深刻で、海底の環境は極めて厳しい状況にあると言うしかない。

 サンゴは石灰質でできている。骨格にある無数の穴にはサンゴ虫が生息している。サンゴ虫の体内にはカッチュウソウ(植物プランクトン)がすむが、海水温が三〇度を超えると外に逃げ出すことも明らかになっている。

 カッチュウソウが光合成でつくった養分をサンゴ虫が取れず、色鮮やかなサンゴが脱色したようになるのが白化であり、やがて死滅に至るのである。

 沖縄近海で大規模な白化が起きた一九九八年には、世界中に点在する二百七のさんご礁海域でも約75%が白化現象を起こし、多くの地点でサンゴが死滅したという報告もあった。

 今回の調査では、死滅したのは5%にとどまっているが、「今後も高水温が続くと大量死につながる」(同センター)との懸念は消えない。

 同センターが水深四―五メートルに設置した水温計で、梅雨明け後の六月二十一日から最高水温は三〇度を超えているからだ。

 七月二十三日以降は一日中三〇度から下がらず、七月末までに三〇度を超えた時間を積算すると平年の四倍以上あったという。

 琉球列島周辺に多い造礁サンゴの適正水温は一八度から二八度だ。いまの海水温は高過ぎるといっていい。

 白化現象は石垣島と西表島の間にある「石西礁湖」でも見られ、一九八〇年から二〇〇三年の間には75%のサンゴが死滅したとの環境省報告もある。和歌山県の潮岬沖で沖縄近海で見られるリュウキュウキッカサンゴが確認されたり、南方の魚類が本州周辺で捕れてもいる。海水温が高いからだ。

 白化現象は陸域の気象と連動する。海の環境を守るためにも温暖化防止は急務であり、CO2の排出削減など世界的規模で検討することがサンゴを保護する手だてとなる。手遅れにならぬうちに知恵を出していきたい。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070814.html#no_1

2007年8月14日(火) 夕刊 1・5面

アセス方法書 縦覧開始/「普天間」代替

 米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた環境影響評価(アセスメント)手続きで、那覇防衛施設局は十四日午前、県内五カ所で方法書の公告縦覧を開始した。方法書は政府案を前提とし、名護市キャンプ・シュワブ沿岸部にV字形の長さ千八百メートル(延長部分含む)の滑走路二本を配置した図を掲載。ただ、滑走路の緯度経度、進入灯の長さなど詳細は明示していない。県や名護市は現段階で方法書の受け取りを「保留」しており、知事意見などの審査には応じない方針だ。

 調査海域は、日米特別行動委員会(SACO)で合意した名護市辺野古沖の従来案とほぼ同範囲を設定。施設局によると、調査内容は陸海ともに現在、事前調査の位置付けで実施している現況調査と同じだという。

 方法書はA4判、三百一ページ。事業実施区域を「名護市辺野古沿岸域」と明記。滑走路の北側に「格納庫・エプロン」や「飛行場支援施設」を配置。埋め立ての北端部には「燃料関連施設」を設置する。

 使用を予定する航空機の種類として、「米軍回転翼機及び短距離で離発着できる航空機」と記載している。

 埋め立て面積は、代替施設本体が約百五十ヘクタール、護岸部分約十ヘクタールで、計約百六十ヘクタール。埋め立て土量は約二千百万立方メートルを計画し、そのうち約二百万立方メートルはキャンプ・シュワブの山側(北西部)の土砂を採取する。飛行場設置区域にかかる美謝川は、一部流域で切り替えなどを行う。

 大浦湾西側海域に大型ブロックなどの製作ヤード、辺野古地先水面に小型ブロックの製作ヤードの設置を想定。作業ヤードとしての使用が終了した後は「名護市が有効に活用することも含め」今後検討するとしている。

 ほかに、大浦湾の中央海域の海底に「製作済みケーソン」の仮置きのための海上ヤードの設置を想定。規模などは今後検討するという。

 公告縦覧期間は九月十三日までの一カ月間。

 同日の公告で、施設局は名護市辺野古沖を埋め立てるSACO合意に基づく従来の代替施設建設事業を、八月七日付で廃止したことも明らかにした。


     ◇     ◇     ◇     

「欠陥方法書」批判/市民、内容に憮然


 米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた環境影響評価(アセスメント)手続きで、方法書の公告縦覧が十四日午前始まり、初めて内容が公開された。那覇市の那覇防衛施設局では早速市民が閲覧し、「必要な情報がない欠陥方法書だ」と批判。同局は閲覧場所として、県や市町村から庁舎の提供を受けられず、ホテルやアパートの一角を借りる「苦肉の策」。五カ所のうち、那覇防衛施設局を除く、名護市辺野古、名護市東江、宜野座村、金武町の四カ所では同日午前、閲覧者はいないまま、手続きの形式は整い、動き始めた。

 施設局の閲覧窓口には、方法書三冊と意見書を受け付ける箱が置かれた。開始早々の午前九時すぎ、沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団の土田武信副団長が訪れた。

 メモや写真をとりながら閲覧した土田副団長は、施設の緯度経度も明示されない内容に、「説明責任を果たしていない」と憮然。「少なくともサンゴを痛めつけている事前調査を白紙にした上で、アセスの手続きに入るべきだ」と、同局の対応を批判した。

 メンバーの真喜志好一さんは「航空機の種類や飛行ルートも明示されず、これでは住民生活への影響が分からない。方法書の資格がない」と断じた。「国の事業にもかかわらず、アセス法の精神に反する手続きを強行するのはおかしい」と憤った。

 一方、移設先に隣接する名護市辺野古の那覇防衛施設局名護連絡所の縦覧場所には、午前中閲覧者が誰も来ず、方法書の置かれた部屋はがらんとしていた。

 ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員は「県や名護市も協力していない。『国のやることに口出しするな』と言わんばかりの傲慢なやり方で腹立たしい。こうした状況でわれわれが慌てて中身を確認する必要はない」と話した。

 名護十字路近くの観光ホテルおおくらでは、一階ロビーの一角に、いすとテーブルが並べられ、施設局の担当者二人が閲覧者を待った。午前中、閲覧者は一人も訪れなかった。

 宜野座村内では民間アパートの一階に方法書が三冊置かれているが午前中、閲覧に訪れる人はいない。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708141700_01.html

2007年8月15日(水) 朝刊 1面

金武町ギンバル跡利用/がん施設 琉大と連携

 金武町の儀武剛町長と琉球大学医学部放射線医学分野の村山貞之教授らが十四日、県庁で記者会見し、同町の米軍ギンバル訓練場の跡地利用計画として、がんの早期発見・治療が可能な先端医療施設の整備を琉大と協力して進めていくと発表した。PET―CT(陽電子放射断層撮影装置)や県内で設置例がなく、外科手術を伴わないFUS(集束超音波装置)など先端の医療機器を導入し、周辺に人工ビーチや宿泊施設などを集積する「金武町ふるさとづくり整備事業」を推進する。

 跡地利用の中核施設となる先端医療施設、免疫療法施設、リハビリ関係施設などは、「米軍基地所在市町村活性化特別事業」(島田懇談会事業)の約七十億円で整備する見込み。

 公設民営を想定しており、ほくと会北部病院を運営主体とする方針。

 琉球大学は今後、医師の派遣や技術支援、臨床研究などを実施する予定で、町と連携して先端医療施設の整備を進めていくことを確認した。

 医師や看護師などのスタッフ、病床数など施設規模の具体的な内容は未定。同町は事業導入による雇用効果約百二十人と見込んでいる。村山教授は「PET施設だけでなく、もう少しレベルの高い研究に使えるものを考えている。有意義な機器を町と協力して導入していきたい」と話した。

 儀武町長は「琉大、北部病院と連携して先端医療施設の整備を進め、北部地域や県民の健康保養に貢献したい。医師確保なども含めて急ピッチで進め、三―四年後をめどに開業したい」と述べた。会見には北部病院の前田利夫理事長も出席した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708151300_01.html

2007年8月15日(水) 朝刊 1面

PAC3司令官を解任/内部規律に違反

 米軍嘉手納基地に日本国内で初めて配備された最新鋭の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を運用するため、昨年十一月に着任した米陸軍防空砲兵大隊の司令官が、軍の内部規律に違反したとして解任されていたことが十四日、分かった。

 PAC3をめぐっては当初から、新たな部隊移駐で「米兵の犯罪が増加するのでは」などとする米軍内の規律の乱れを懸念する声が地元で上がっていた。部隊トップが規律違反で解任されたことで、綱紀粛正を求める声が一層強まりそうだ。

 解任されたのはマシュー・マイケルソン中佐。米軍によると、米軍人の規律などを定めた統一軍事裁判法に違反した。違反の内容については「プライバシーにかかわるため明らかにできない」としている。後任には八月七日、エドワード・オニール中佐が着任した。

 日米両政府は昨年七月、米軍再編最終報告に基づく嘉手納基地へのPAC3配備を発表。米本土から第一防空砲兵連隊第一大隊の約六百人が同基地に移駐し、昨年十二月末から運用を開始した。

 司令官解任について、上部組織の第九四陸軍防空司令部(米ハワイ州)は「第一大隊の隊員が高潔で品格ある司令官の下で任務に当たるよう約束する」としている。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708151300_02.html

2007年8月15日(水) 朝刊 29面

監視団がアセス方法書撤回要求

 米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた環境影響評価(アセスメント)手続きで、那覇防衛施設局が方法書の公告縦覧を始めたことを受け、沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団は十四日、方法書の即時撤回を求める声明を発表した。

 声明は、防衛省の指針が「航空機の種類」の方法書への記載を義務付けていると指摘。「記されていないのは、危険なオスプレイの配備を隠すためではないか」と指摘した。

 県庁で記者会見した東恩納琢磨団長は、「アセスは地域の合意形成のための手続き。(知事)意見がなければないでいい、という姿勢が他府県で許されるか。沖縄差別だ」と批判した。

 また、ブロック製作ヤードとして大浦湾を埋め立てる計画について、平良夏芽事務局長は「サンゴの大群落を付属施設でつぶすような青写真は許せない」と強調した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708151300_05.html

2007年8月15日(水) 朝刊 2面

防衛次官交代 知事が提案?/全国紙報道

 ○…混迷を深める守屋武昌防衛事務次官の交代人事をめぐって十四日、県に思わぬ「火の粉」が降り掛かった。全国紙の同日付朝刊で、守屋次官の交代を小池百合子防衛相に提案したのは仲井真弘多知事だった、と報じられたためだ。記者団から真偽をただされた仲井真知事は「考えられない話でしょ」と一笑に付し、県幹部も「泥仕合のとばっちりだ」と苦り切った様子だった。

 ○…全国紙が報じた「知事提案説」は、名護市議の証言として「二日に仲井真知事から防衛相に“守屋外し”の提案があった」という内容。県などが求める米軍普天間飛行場の移設案の修正に応じない守屋氏の交代と引き換えに、移設手続きの第一弾となる環境影響評価方法書を県に提出。小池防衛相が訪米の際の手柄にした、としている。

 ○…この報道で同日午前、県庁で記者団に囲まれた仲井真知事は「別の組織の話で、常識では考えられない話」と半ばあきれた口調。方法書とのバーター論にも「(県は)方法書を正式に受け付けていない。(次官交代と方法書送付は)全然別の話では」と一蹴。県幹部の一人は「根も葉もない話。県をおとしめるための謀略めいている。とんだ騒動だ」と苦笑交じりに首をひねった。


     ◇     ◇     ◇     

小池氏・名護市長会談/きょう来県


 【東京】小池百合子防衛相は十五日夕、一泊二日の日程で来県する。名護市内のホテルで宿泊を予定しており、島袋吉和名護市長ら米軍普天間飛行場移設先の周辺市町村関係者と会談するとみられる。県と名護市が要求している代替施設の沖合移動や、防衛省が難色を示している北部振興事業費の本年度一次配分などの行方が焦点になる。

 小池防衛相は十五日午後六時すぎ沖縄入り。十六日午前に「かりゆしウエアを世界に広める会」のイベントに出席し、同日午後六時半から那覇市内のホテルで沖縄観光をテーマに講演する。

 普天間移設をめぐって防衛省は今月七日、移設先の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部海域での環境影響評価(アセスメント)方法書を県や名護市に提出。アセス手続きを開始したとの認識に立っている。

 一方の県と名護市は、アセスが政府案(V字形滑走路案)の建設位置を前提に実施される点を問題視。代替施設を沖合側に寄せるよう強く求め、方法書の受け取りを保留している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708151300_06.html

沖縄タイムス 社説(2007年8月15日朝刊)

[8・15と戦後体制]

事態は悪化しつつある


戦場・占領・復興の混在


 終戦記念日にあえて問い掛けてみたい。「先の大戦が終わった日はいつですか」「沖縄戦が終わったのはいつですか」。

 「八月十五日=終戦記念日=戦争が終わった日」という認識は、今や国民共通の記憶となっているが、ことは必ずしも単純でない。

 国民が終戦詔書の玉音放送を聞いたのは八月十五日だが、日本政府がポツダム宣言の受諾を正式に連合国に伝えたのはその前日の十四日。ミズーリ艦上で降伏文書の調印式が行われたのは九月二日のことである。

 沖縄の慰霊の日に当たる六月二十三日は、沖縄戦が終わった日だとはいえない。六月二十三日以降も一部では日本兵による奇襲攻撃などがあった。逆に六月二十三日以前に収容所に収容され「戦後」の生活を歩み始めた住民も少なくなかった。

 激しい戦闘と占領生活と戦後復興が混在する形で進行していたのである。

沖縄で降伏文書の調印式が行われたのは九月七日のことだ。

 地上戦のあと米軍がそのまま占領軍として駐留し住民を直接統治した沖縄と、ポツダム宣言受諾後に米軍が進駐して間接統治した本土とでは、「終戦」の迎え方、受け止め方が大きく異なる。そしてそれ以上に本土と沖縄の決定的な違いを生んだのは戦後体制であった。

 本土の一部知識人の中には、四月二十八日を終戦記念日にすべきであるとの意見があったという。

 四月二十八日はサンフランシスコ講和条約が発効した日である。日本が米軍占領から解放され主権を回復したこの日、沖縄は本土から切り離され、米軍の統治に委ねられた。

 この日を終戦記念日にしたいと主張する知識人には、沖縄が置かれた戦後の境涯に対する痛覚が働かないのだろうか。

 安倍晋三首相は就任以来、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を訴えてきた。参院選敗北後も、その姿勢を変更する気はないようだ。だが、沖縄の戦後体制は本土とまったく異なっており、一緒くたに論じることはできない。それが議論の前提だ。


同一制度の異なる現実


 復帰前、沖縄には憲法が適用されなかった。軍事上の必要性がすべてに優先され、地方自治も人権も大きな制約を受けた。あえて要約すれば、これが沖縄の戦後体制であった。

 復帰によって憲法が適用され、米軍基地は日米安保条約と日米地位協定の下で運用されることになった。しかし、本土と同一の制度に移行したからといって、本土と同一の現実を保障したわけではなかった。

 基地外での米軍機事故にもかかわらず、県警さえ近寄れないような米軍の一方的な現場規制。学校敷地への米軍装甲車、車両の度重なる侵入。米軍基地をめぐるさまざまな「理不尽さ」は、沖縄の戦後体制が今なお続いていることを示している。

 憲法は国の最高法規である。けれども沖縄では、その最高法規の位置に日米安保条約が鎮座していて、憲法の影が薄い。

 普天間飛行場所属の米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した際、現場規制をした米軍は、地位協定の合意議事録に基づいて、つまり与えられた権利として、県警の検証を拒否した。

 イラク戦争にのめり込む米国を支援する一方で、国家主権にかかわる事例に対して米軍に強く当たることのできない日本政府とはいったい何なのか。多くの県民が疑問を感じたはずだ。


進む日米の軍事一体化


 「戦後体制からの脱却」を言うのであれば、何よりもまず沖縄において基地をめぐる「理不尽さ」の解消に全力を挙げなければならない。

 残念ながら沖縄の現実は、その方向に向かっているとは言い難い。普天間飛行場の辺野古移設をめぐる最近の政府の対応は、あまりにも強引で度が過ぎるところがある。

 事前の相談もなく日米で移設案を決め、決まったものに対しては「のむならカネをやるが、のまないならカネはだせない」という露骨な脅し。これが果たして負担軽減のための施策といえるのだろうか。

 米軍再編に絡んで本島北部への基地の集中化、機能統合が進んでいる。米軍と自衛隊の一体化も急速に進みつつある。その上、集団的自衛権の行使や憲法九条の改正が具体化すれば、沖縄は大きな安全保障上の負担を新たに抱え込むことになるだろう。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070815.html#no_1

琉球新報 社説

終戦記念日 平和と不戦を誓う日に

 戦後62年の終戦記念日が今年も巡ってきた。去る大戦で犠牲になった多くのみ霊に謹んで哀悼の意を表する。あらためて恒久平和と不戦を誓う日にしたい。

 最近の日本の現状を見ると、過去の過ちに目をつぶり歴史の風化を促すような動きが顕著である。極めて憂慮すべき状況だ。

 今年3月に公表された高校日本史教科書検定で沖縄戦「集団自決」の日本軍の関与が削除・修正されたほか、第2次大戦中の従軍慰安婦問題では安倍晋三首相が「(旧日本軍による慰安婦動員の)強制性について、それを証明する証言や裏付けるものはなかった」などと発言し批判を浴びた。

検定意見の撤回を

 不用意な首相発言が一因となって、7月には米下院が日本政府に慰安婦問題で公式謝罪を求める決議を初めて可決する事態になった。

 教科書検定問題、従軍慰安婦問題などに共通しているのは、旧日本軍の犯した非道な行為を可能な限りぼかし、糊塗(こと)しようとする意図が透けて見える点だ。

 戦後62年が経過し大戦の実相を証言できる人が少なくなってきたのをいいことに、歴史を歪曲(わいきょく)することは絶対に許されない。

 再び過ちを繰り返さないためには、過去の行為を直視して反省し、史実を後世に正しく伝えていくことが不可欠である。

 政府内で、過去の過ちをあいまいにしようとする動きが見られるのは危険な兆候だ。こうした傾向が強まれば、やがては大戦自体を

正当化することにもなりかねない。

 沖縄戦の集団自決については、昨年の検定まで、軍の強制を明記した教科書もすべて合格していた。ところが、今年の検定で、唐突に修正意見が付いた。

 教科書を審査するのは教科用図書検定調査審議会だが、検定意見の原案は文部科学省が作成している。何らかの政治的意図が働いたとしか思えない。

 にもかかわらず、伊吹文明文科相は検定意見撤回の要請に対し「政治による教育への介入になるので難しい」と述べ、教科用図書検定調査審議会の結論を尊重する考えを示している。

 審議会に修正を求める検定意見を出させておきながら、抗議を受けると審議会を盾にして撤回を拒む。このような欺瞞(ぎまん)がまかり通っていいはずがない。

 同問題では、県議会と県内全41市町村議会が検定撤回を要求する意見書を可決した。県議会や県子ども会育成連絡協議会、県PTA連合会、県老人クラブ連合会、県高等学校PTA連合会、県遺族連合会、県婦人連合会などによる超党派の県民大会が9月に開催される運びになっている。

 終戦記念日に際し、政府がなすべきことは、歴史の真実に目を向け、検定意見を直ちに撤回し記述を復活させることだ。

住民守らぬ軍隊

 昭和天皇が国民向けのラジオ放送(玉音放送)でポツダム宣言受諾を明らかにした1945年8月15日、沖縄では敗戦を知らずガマに隠れている住民がおり、依然、投降を拒否する日本兵と米軍との間で散発的な戦闘もあった。

 久米島では15日以降も、海軍通信隊(約40人、鹿山隊)によって住民がスパイ容疑で次々と殺される事件が起きている。軍は住民を守るどころか刃(やいば)を向けた。

 20万人余が犠牲になった沖縄戦で、日本兵は住民を壕から追い出したり、食料を奪ったり、スパイの嫌疑をかけて殺害するなどしている。

 こうした悲惨な歴史をありのままに伝えていくことは、後に続く者の務めである。

 憲法9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とうたっている。

 とりわけ9条2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記、戦力の不保持にまで踏み込んでいる。

 戦争の悲劇を二度と繰り返さないためには9条を堅持しなければならない。

 だが、自民党が9条2項を削除し「自衛権」と「自衛軍」の保持を明記した新憲法草案を2005年に決定するなど、改憲に向けた動きも具体化している。

 戦争を防ぐにはどうすればいいのか。皆で考える日にしたい。

(8/15 9:49)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-26324-storytopic-11.html

コメントを残す