沖縄タイムス 関連記事・社説、琉球新報 社説(8月16日、17日、18日)

2007年8月16日(木) 朝刊 23面

「ひめゆり」次世代へ/Coccoさんトーク熱く

 【東京】終戦記念日の十五日午後、元ひめゆり学徒の証言記録映画「ひめゆり」の特別上映会が新宿区四谷区民ホールで開かれた。元学徒の二人と歌手のCoccoさんのトークショーもあり、Coccoさんは会場の若い世代に向け、「まずは聞き、知ってほしい」と、戦争の悲惨さを後世に伝えようと呼び掛けた。

 Coccoさんが同映画を支援したことがきっかけで企画された。十六日まで開かれるが、計八百五十席に三千件以上の応募があり、抽選で選ばれた人たちが集まった。ひめゆり学徒隊を通して紹介される沖縄戦の映像に、客席からすすり泣きが聞こえた。

 上映後は柴田昌平監督を司会に、島袋淑子さんと宮城喜久子さんの元学徒がCoccoさんを交えてトーク。宮城さんは学友の死を「絶対に忘れてはいけない。若い人は命を大切にしてください」と語った。

 島袋さんは「(戦争前も戦争中も)何も知らないまま戦場に出された。知らない、知らされないことほど怖いものはない」と訴えた。Coccoさんは「あの体験をしゃべる勇気に比べ、私たちがそれを見て聞く勇気なんて小さい。おばぁたちに感謝したい」と話した。

 ミニライブでは、「お菓子と娘」などを熱唱した。同映画は今月十九日に名護市民会館、二十、二十一日には沖縄市民小劇場あしびなーでも上映される。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708161300_04.html

 

2007年8月16日(木) 夕刊 1面

金武町議会 抗議決議へ/米新射撃場

 【金武】金武町の米軍キャンプ・ハンセン内の「レンジ3」付近に、最大千二百メートルの射程に対応する米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)専用の小銃(ライフル)用射撃場が建設される問題で、金武町議会(松田義政議長)は十六日午前、全体協議会を開き、早ければ十七日にも臨時議会を開き、抗議決議を行うことを決めた。

 自衛隊によるキャンプ・ハンセンの共同使用についても反対していく方針を確認し、基地機能の強化に抗議の意思を示す。

 全体協議会では儀武剛町長が、住宅地に近いレンジ3に射撃場を建設する計画があることを説明。

 「レンジ4の都市型戦闘訓練施設に町民、県民挙げて反対したその近くに、新たな施設を造るということが理解できない。断固として反対する」と町の姿勢を伝えた。

 全体協議会では、「新たな施設を造るということはもってのほか。早急に反対決議すべきだ」「金武町として容認できる問題ではない。これ以上の基地機能強化は認められない」と建設反対の声が相次いだ。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708161700_01.html

 

2007年8月17日(金) 朝刊 1面

三重の人的ミス原因/嘉手納・燃料漏れ

バルブ閉め忘れ・交代報告せず・確認怠る

 【中部】米軍嘉手納基地で今年五月、ジェット燃料が流出した問題で、同基地第一八航空団は十六日、「担当者が燃料タンクの送油管のバルブを閉め忘れたことと、不十分な勤務の引き継ぎが原因」とする調査結果を発表した。流出量は当初は約八千七百リットルと公表していたが、その後の調査で約一・七倍の約一万五千リットルに増えたことも明らかにした。人的なミスによる流出に、地元から反発の声が上がった。

 米軍の発表などによると、担当者が燃料タンクの送油管のバルブを閉め忘れただけでなく、勤務交代の際に、使用するタンクが変わったことを交代要員に報告しなかったため、指定外のタンクが誤って継続使用されたという。

 さらに、タンクへの燃料供給過剰を示す警報装置の警告を担当者が確認したが、流出の確認作業を怠ったことも判明。同航空団は装置を監視する専門要員を新たに配置するとしている。

 懸念されていた環境への影響については「水源に達することはなかった」と結論付けた。

 米軍からの報告を受けた那覇防衛施設局は十六日、嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(会長・野国昌春北谷町長)に調査内容を説明した。

 野国会長は「当初の発表と量が違うのはどういうことか。人的なミスであり、管理がずさんすぎる。再度、県や地元の立ち入りを認め、確認させるべきだ」と不満をあらわにした。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708171300_02.html

 

2007年8月17日(金) 朝刊 31面

琉大事件 処分取り消し/51年ぶり不当認める

きょう学長が謝罪の意

 一九五六年、島ぐるみ闘争のデモに参加した琉球大学の学生七人が除籍処分などを受けた「第二次琉大事件」で、琉大は十六日までに、五十一年ぶりに「不当処分」だったことを認め、取り消しを決めた。岩政輝男学長が十七日、処分を受けた当時の学生らと面会し、「謝罪」の意を伝える見通し。これまで公式行事や記念誌などで、事件にほとんど言及してこなかった大学当局が学生不当処分の「汚点」を認める画期的な発表となる。

 第二次琉大事件については今年五月、当時の森田孟進学長が「個人的見解」として、処分学生の希望を聞いた上で「特別修了証書授与」か「再入学」を認める考えを発表。六月に就任した岩政学長の指示で、調査委員会(委員長・新里里春副学長)が設置された。

 委員会は、学生らの行動が違法ではなかったと認め、不当処分を取り消すよう求める報告書をまとめ、学長に提出。琉大の最高意思決定機関、教育研究評議会が十四日、処分の取り消しを承認した。

 岩政学長との面談には、除籍処分を受けた学生六人(一人は他界)のうち、三人が出席する予定。

 デモの行動隊長だった嶺井政和さん(73)は「大学が取り上げるまで長過ぎた感はあるが、学長の対応が具体的にどういう形になるのか注目したい。処分を取り消し、事件をなかったことにするというのでは困る」と注文を付けた。

 当時、新聞記者で米民政府が問題視していた「琉大文学」の同人だったジャーナリスト、新川明さん(75)は「忌まわしい事件として歴史から抹殺するようなことがあってはならない。謝罪すれば済むわけではなく、今後、琉大の歴史にきちんと位置付けていくのかどうかが問われる」と話した。


[ことば]


 第2次琉大事件 1956年7月、軍用地の無期限接収と地料一括払いの方針を示すプライス勧告に反対するデモに参加した琉大の学生のうち、反米的な言動があったなどとして大学が学生会幹部やデモの中心人物ら6人を除籍(退学)、1人を謹慎処分とした。7人のうち4人が「琉大文学」の同人。近年、米国民政府の大学への強い圧力があったことを示す報告書が見つかったほか、琉大同窓会が処分学生の「名誉回復」を大学に働き掛けていた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708171300_04.html

 

2007年8月17日(金) 朝刊 1面

教科書検定撤回要求 県民大会来月23日

 高校歴史教科書で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」への日本軍関与の記述を削除した文部科学省の検定意見撤回を求める県民大会が、九月二十三日午後三時から糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれることが、十六日決まった。大会の実行委員長は仲里利信県議会議長に決定した。十六日に那覇市内で開かれた実行委員会準備会で決まった。

 仲井真弘多知事に就任を要請する予定だった大会長は置かないことになった。知事には県民代表としてあいさつを要請する。

 事務局は、県議会内に設置する予定。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708171300_05.html

 

2007年8月17日(金) 朝刊 2面

米軍、工事入札を公告/ハンセン新射撃場

 米軍キャンプ・ハンセン「レンジ3」付近に、最大千二百メートルの射程に対応する米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)の小銃(ライフル)用射撃場の建設が計画されている問題で、米軍は十六日、工事に関する入札を公告した。九月末までに業者を選定する。事業費は米軍予算で七百二十万ドルを見込んでいる。地元の金武町伊芸区は来週にも抗議決議する方針。

 金武町の儀武剛町長と伊芸区の池原政文区長は同日、那覇防衛施設局と外務省沖縄事務所に抗議するとともに、県に反対の立場で協調するよう求めた。県の上原昭知事公室長は「連携して適切に対処したい」と述べた。

 外務省沖縄事務所の倉光秀彰副所長は「キャンプ・ハンセン全体で見たときに、訓練や人員の増加にはつながらない」と説明。使用部隊については「海兵隊は使わないという説明は受けていない。陸軍が主に使うという以上のことは言えない」と述べ、米陸軍専用とは断定しなかった。

 施設局の佐藤勉局長は、沖縄自動車道からの距離が約五百メートル、最も近い伊芸区の集落から約一キロ離れていると説明。レンジ4に建設された都市型戦闘訓練施設(最も近い住宅地まで約三百メートル、沖縄自動車道まで約二百メートル)との違いを強調した。

 抗議で儀武町長は今回の計画について「伊芸区の住民に、ハンセン・ゲート前での四百八十六日にわたる(レンジ4の都市型戦闘訓練施設反対の)早朝抗議行動の苦悩に満ちた日々をよみがえらせた」と指摘。「約一万人が参加した(都市型戦闘訓練施設の)緊急抗議県民集会の(地元の)意志から何一つ学んでいない」と政府の対応を批判した。

 池原区長は「過去にハンセンからの流弾、被弾事故があり、周辺住民は銃弾が一定方向に飛ぶとは限らないことを知っている。しかも今回は射程千二百メートルのライフル用の射撃場。レンジ3はレンジ4に次いで集落に近い。朝から晩まで戦場さながらの訓練が続くのは耐えられない」と訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708171300_06.html

 

2007年8月17日(金) 朝刊 13面

シェラトン宮古進出へ

180億円投資8階建て354室

 【宮古島】宮古島市のトゥリバー地区約13ヘクタールを40億円で購入する仮契約を結んだ特定目的会社「SCG15」(本社・東京)は、同地区にホテルを中心とするリゾート開発を進め、世界各地に展開するホテルチェーン・スターウッドグループのシェラトンがホテル運営を担当する計画であることが16日、分かった。本契約成立後に開発・設計に関する業務委託を受ける松野八郎綜合建築設計事務所(東京)が同日、市議会への説明会で明らかにした。

 親会社の米国系不動産投資会社「セキュアード・キャピタル・ジャパン」(SCJ)がホテル建設費を含む総額180億円を調達。議会の承認後に本契約し、年内にも現地運営会社がシェラトンと委託契約を締結する。

 市議会で説明した「宮古島リゾートホテル計画(仮称)」によると、地上8階建てのホテルのほか、コテージを建設する。部屋数は合計で354室。

 このほか、5つのレストランやエステ、結婚式を行うチャペル棟などを計画している。従業員は約250人を見込んでいる。

 仮契約書の条項には2年以内の着工と5年以内の供用開始が盛り込まれており、9月定例会で承認されれば、2008年8月に着工、10年2月にオープンする計画だ。

 売却金は議決後5日以内に総額の10%に当たる4億円、2カ月以内に残金を支払う。

 仮契約締結後の会見で伊志嶺亮市長は「長い間の市の懸案が仮契約まで進み、ほっとした気持ちだ。厳しい市の財政状況の好転に向けて大きな一歩を踏み出した。議会の理解を得て、宮古島の経済の発展につなげたい」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708171300_08.html

 

琉球新報 社説

米軍再編法施行 押し付けより対話重視を

 米軍再編推進法の施行令が15日、閣議決定され、29日施行が決まった。米軍再編に伴う政府施策への協力の度合いに応じて自治体への交付金を増減する「アメとムチ法」と呼ばれる同法の本質が、施行令でより鮮明になった。再編に絡む米軍基地を抱える県や名護市など当該自治体は、いよいよ正念場だ。

 問題はすでに普天間移設問題で顕在化している。政府案に異議を唱える県や名護市を無視し、政府は代替基地建設に必要な辺野古沖での環境影響評価方法書の公告縦覧を強行している。

 そこに米軍再編推進法の施行である。「非協力的な自治体には再編交付金は出せない」(防衛省首脳)と、政府は早くも同法に基づく「ムチ」をちらつかせている。

 名護市の島袋吉和市長は「とんでもないことだ。(交付金で)縛ろうとしている」と反発している。

 同法に基づく再編交付金は、施設面積や建物・工作物、艦船・航空機の数など再編に基づく「変化」に応じて支給される。

 支給額の判断基準は「住民生活に及ぼす影響の程度」とされている。その点からすると、交付金はいわば「迷惑料」である。

 「産廃、原発、基地」が3大迷惑施設といわれる。受け入れ自治体には迷惑料となる交付金や特別振興策が支給・実施される。

 県内でも基地交付金、基地周辺対策事業など、毎年300億円近い「基地迷惑料」が交付されている。これに島田懇事業、北部振興策(総額1千億円)が別枠で加わる。

 だが、基地絡みの交付金や振興策は、必ずしも地域振興につながっていない。

 名護市では、この10年間に500億円を超す基地関連の特別振興策が投入・実施されたが、10年前に比べ失業率は8・7%から12・5%に、市債残高は171億円から235億円に増え、法人税収は1千万円減の4億3千万円に後退している。借金(市債残高)は基地振興策の自己負担分(裏負担)が押し上げたものだ。

 失業率は高まり、借金は増え、自立に必要な収入が減る。さらに新たな振興策が必要となり、基地依存度が高まる。悪循環に見える。

 米軍再編法の施行で、政府はムチを恐れアメ(交付金)欲しさに基地を受け入れる自治体が増えると期待しているようだが、そう甘くはない。

 新たな危険や負担増と引き換えにもらう予算や振興策というアメの怖さ、逆に自立を阻む基地振興策の矛盾に気付いた自治体は、「アメとムチ法」を前に、脱基地、反基地の動きを強めるだろう。

 頭越しの基地押し付けは百害あって一利なしである。政府には、どう喝型政治からの脱却と対話重視の民主政治への回帰を求めたい。

(8/17 9:54)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-26387-storytopic-11.html

 

2007年8月17日(金) 夕刊 1面

知事、県民大会参加を明言

 仲井真弘多知事は十七日午前の定例記者会見で、来月二十三日の開催が決まった沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」への日本軍関与の記述を削除する教科書検定意見の撤回を求める県民大会について「大変評価している。私もきちっと参加して、東京に向かって申し上げるべきことを私なりに表現し、発言していきたい」と大会参加を明言した。

 金武町の米軍キャンプ・ハンセン内の「レンジ3」付近に米陸軍の小銃用射撃場が建設される問題については「金武町は米軍基地が多く、基地をある程度許容してきた部分もあったと思うが、はるかにその許容度を超え始めている」と建設に反対する町の立場に理解を示し、近く儀武剛町長と意見交換する考えを示した。

 米軍普天間飛行場代替施設建設計画で、那覇防衛施設局が県などに提出した環境影響評価(アセスメント)方法書について「信義違反というよりも、そもそも仕事のやり方がおかしい」と政府の対応を厳しく批判し、現状のままではアセス後の埋め立て申請手続きに応じない姿勢を示唆した。

 受け取りを保留している方法書に対する知事意見については「法的には動き始めているという解釈もあり、私の意見なしというわけでいくか検討中」と述べ、対応に苦慮していることを明かした。

 仲井真知事は方法書送付について「(自身は)事前に聞いていなかった」とし、送付前日に小池百合子防衛相と県との間でやりとりがあったかについても「していないと思う」と述べた。

 十一日の集中豪雨で那覇市の安里川がはんらんした問題で、県南部土木事務所が、四月のはんらんの後に、蔡温橋の改修工事で被害が拡大したとの調査結果を得ながら、対策を放置していたことについては「土木建築部からまだ(報告を)聞いていない。確認した上で、県の考えを含めて報告したい」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708171700_01.html

 

2007年8月17日(金) 夕刊 1面

新射撃場の建設中止要求/金武議会抗議決議

 【金武】金武町議会(松田義政議長)は十七日午前、臨時議会を開き、米軍がキャンプ・ハンセン「レンジ3」付近で予定している最大千二百メートルの射程に対応する米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)の小銃(ライフル)用射撃場建設に反対する意見書、抗議決議、要請決議案を全会一致で可決した。

 決議では「町は米軍実弾演習に伴う被弾、流弾の事故の発生に非常に敏感な地域で、レンジ4反対の緊急抗議県民運動の抗議集会から日米両政府は何一つ学んでいない」と指摘。

 民間地域に隣接する地域に、米海兵隊射撃場が多数存在している町の状況を「極めて異常な事態」と強調した上で、「米陸軍射撃場建設および陸上自衛隊の共同使用を含め、金武町がさらなる負担を押し付けられている状況である」として、射撃場建設の即時中止を強く求めている。

 意見書のあて先は内閣総理大臣、外相、防衛相など。抗議決議は駐日米国大使、在日米軍司令官あて。

 同日午後、松田議長ら代表五人が、那覇防衛施設局や外務省沖縄事務所、県などを訪ね、抗議・要請行動を展開する。

 同問題では、儀武剛町長が強い反対の意思を示しており、十六日には「レンジ3」に近接する伊芸区の池原政文区長とともに那覇防衛施設局、外務省沖縄事務所に抗議した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708171700_02.html

 

2007年8月18日(土) 朝刊 1・27面

第2次琉大事件 処分取り消し通知

51年ぶり/学長、7人に謝罪

 米軍統治下の一九五六年、反米的言動を理由に琉球大学の学生七人が大学から退学(除籍)などの処分を受けた「第二次琉大事件」で、琉球大学の岩政輝男学長は十七日、五十一年ぶりに七人の処分を取り消し、当時の学生らに謝罪した。処分を受けた七人(一人は死去)のうち三人が大学主催の式典に出席、岩政学長から処分取り消し通知を受け取った。

 岩政学長は、(1)処分学生の行動は当時の法令や学則に違反していない(2)処分は米国民政府から強硬に求められ、なされた(3)大学は処分学生に何ら弁明の機会を与えていない―との事実を認めた大学の調査結果を報告。「処分を取り消し、被処分者の名誉を回復する」と発表した。

 その上で、学生らに「大変長い間ご迷惑をお掛けしました。心よりおわび申し上げます」と謝罪。出席した古我知勇さん(75)、神田良政さん(72)、嶺井政和さん(73)の三人に、それぞれ処分取り消し通知書を手渡した。出席しなかった元学生には後日、郵送される。

 式典後の記者会見で、古我知さんは「感謝の念とともに、もっと早くできなかったかなという気持ちでいっぱいだ」と複雑な心境をのぞかせた。

 嶺井さんは「これからは事件を正しく位置付け、琉大の歴史を積み上げていくための糧としてほしい」と語った。


     ◇     ◇     ◇     

元学生 ぬぐえぬ悔しさ


 米民政府の圧力に屈した琉球大学が存続のため、学生七人を退学(除籍)などの処分とした第二次琉大事件。大学当局は十七日、五十一年前に処分を下した同じ日に取り消しを発表した。通知を受けた七十代の元学生らは感謝の念を示しながらも、「もっと早くできなかったか」と、苦渋の半世紀を振り返り、悔しさをにじませた。大学の歴史の「汚点」とされる事件に振り回された当事者らは「負の歴史を記録に残し、大学の自治、学問の自由を守る糧にしてほしい」とメッセージを送った。

 記者会見した三人は一様に緊張した表情。当時、琉大学生会長として退学処分を受けた古我知勇さん(75)は「決定を喜んでいるが、もっと早くできなかったかというのが正直な心境だ」と複雑な思いを吐露した。

 嶺井政和さん(73)は「不当な処分を取り消すと決めた大学の労苦を評価し、感謝したい」としながらも、「五十一年間、退学処分の上に生きてきた。当事者はみんな七十代になっており、一人はすでに亡くなっている。(取り消しの)実効性を考えると悔しい」と無念さものぞかせた。

 当時の仲宗根政善副学長らの尽力で、本土の私大などに転入学した元学生たち。「直接の不利益はなかったのでは」との質問に、古我知さんは「二十代での二、三年の空白は五、六十代での十年に匹敵する。処分に当たった者でないと分かりませんよ」と気色ばむ場面も。当事者が負った心の傷の深さをのぞかせた。

 会見に同席した前琉大同窓会長の比嘉正幸さん(73)は「大学がいつまでも闇に葬っていてはいけなかった。時期は遅れたが、過去の学生処分を反省し、語り継いでいく第一歩にしてほしい」と期待した。

 琉大の新里里春副学長は、二〇一〇年の開学六十周年記念誌に事件の記述を初めて掲載する方針を示し、「大学人として学園の自治、学問の自由を侵さないよう頑張りたい」と決意を語った。

 一方、一九五三年に当時の灯火管制に従わなかったなどとして学生四人を退学(除籍)処分とした第一次琉大事件について、新里副学長は「大学の規定に沿った処分だった」とし、見直さない考えを示した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708181300_01.html

 

2007年8月18日(土) 朝刊 27面

普天間ヘリ 新ルート改善なし/住宅地を旋回・連日深夜飛行

 【宜野湾】日米両政府が普天間飛行場を離着陸するヘリコプターの新飛行ルートに合意して十七日で一週間。同飛行場を離着陸するヘリは新ルート以外を飛行したり、基地外上空をはみ出して訓練しており、抜本的な解決策とはほど遠い。

 同飛行場では十日から一週間、CH53大型輸送ヘリやAH1軽攻撃ヘリなどが住宅地上空を飛行。タッチ・アンド・ゴーや急上昇、急降下などを繰り返した。

 騒音防止協定で禁止されている午後十時以降の夜間飛行も連日のように続いている。宜野湾市には「孫が寝付けず、ミルクも飲まなくなっている。ノイローゼになりそうだ」「落ちるかと思い、家から飛び出してしまう」などの苦情が十件寄せられた。

 在沖米海兵隊報道部は沖縄タイムス社の取材に「運用の必要性など定められた制限範囲で安全と責任を持って飛行している」と回答。深夜の飛行については「アジア・太平洋地域の平和を維持するために必要な訓練」とした。

 伊波洋一市長は「米軍がいくら安全に気を付けても事故は起こる。(住宅密集地で)訓練するのは限界だ。日米両政府の合意は『普天間』の現状を追認したにすぎず、今後も問題点を訴えていく」と話した。


イラク派遣ヘリ7カ月ぶり帰還


 【宜野湾】イラクへ派遣されていた米軍普天間飛行場のヘリ部隊が七カ月ぶりに同飛行場に帰還したことが十七日、分かった。同日付の在日米海兵隊ホームページが伝えた。周辺の住民は、騒音の激化を懸念している。

 派遣されていたのは第一海兵航空団第二六二海兵中ヘリ中隊。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708181300_03.html

 

2007年8月18日(土) 朝刊 2面

普天間移設 変更なし/小池防衛相

 【東京】防衛省の次期事務次官に増田好平人事教育局長が内定したことを受け、小池百合子防衛相は十七日夕、新体制による米軍普天間飛行場移設問題への対応について「日米合意に基づき、再編を速やかに進めていく従来姿勢と変わらない」と述べ、名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設方針に変更はないことを強調した。防衛省で記者団に答えた。

 沖縄政策全般では「米軍再編を速やかに進める方針に変更はない。同時に沖縄の発展をどう考えるか。高市早苗沖縄担当相のところでもやっているので、全体としての流れの中で決めていく」と述べた。

 次官人事が内定した経緯については「きょう安倍晋三首相から『収拾を図るように』と指示を受けた」と述べ、安倍首相の指示で内閣改造前の早期決着に至ったことを明らかにした。

 増田氏の起用には「一気に世代交代が図られることになる。これまでの次官の在任期間が長かった分だけ、その若返り度が顕著に見えるかと思うが、適材適所を機能させ、人材育成を図りたい」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708181300_05.html

 

2007年8月18日(土) 朝刊 2面

米新射撃場 計画中止申し入れ/国に金武議会

 米軍キャンプ・ハンセン「レンジ3」付近に計画されている米陸軍特殊部隊の小銃用射撃場建設問題で、金武町議会の松田義政議長らが十七日、外務省沖縄事務所や那覇防衛施設局を訪ね、計画の即時中止を申し入れた。県と県議会にも協調して関係機関への計画中止を働き掛けるよう要請した。

 同議会は同日可決した意見書で「基地負担増は明白。安寧な住民生活がおびやかされているのが実情」と指摘。「米軍再編に伴って沖縄の負担軽減が計画されているが、現実は陸上自衛隊の共同使用を含め、町にさらなる負担を押し付けている状況」と訴えている。

 県の保坂好泰基地防災統括監は「町と連携を密にして対応したい」と地元との協調姿勢を示した。

 外務省沖縄事務所の倉光秀彰副所長は「沖縄自動車道などからは見えない位置に設置し、三方が壁に覆われ、射撃はもっぱら山の方に向けて行われる」と安全性や騒音面での負担が少ないことを強調した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200708181300_08.html

 

沖縄タイムス 社説(2007年8月18日朝刊)

[琉大事件]

処分取り消しは英断だ

 米軍統治下の一九五六年八月、反米的言動を理由に退学処分などを受けた学生七人に対し、琉球大学は正式に処分取り消しを決め、本人および遺族に通知した。

 大学が半世紀以上も前の処分行為を撤回するのは極めて異例である。

 処分学生が受けた精神的苦痛を考えると遅きに失した感は否めないが、歴史のかなたに消えかけていた事件を掘り起こし、処分の不当性を認めた大学当局の英断を評価したい。

 軍用地の強制接収と反共政策が吹き荒れた沖縄の五〇年代は「暗黒の時代」と表現されることが多い。

 当時、琉大は布令に基づいて米民政副長官が管理運営の最終的な権限を持っていた。

 五〇年代半ば、米軍による土地の強制接収、地料の一括払いに反対する住民大会やデモに参加した学生は数多い。処分されたのは七人だが、この中にはデモに参加しなかった学生も含まれている。「反米的言動」というだけで、処分理由ははっきりしなかった。

 「第二次琉大事件」の名で呼ばれるこの学生処分は、琉大が「布令大学」であった時期に、米民政府の圧力に屈して、明確な理由もないままに学生を処分し、大学の自治を自ら葬り去った事件だった。

 処分学生の名誉回復を求める教職員や同窓会の声を受け、大学当局は学内に調査委員会を設置し、調査を進めてきた。

 委員会は「処分学生の行動は、当時の法令及び大学の学則その他の規定に照らしてもこれに違反するとは認められない」と明確な判断を下している。

 にもかかわらず大学当局が当時、処分に踏み切らざるを得なかったのはなぜか。調査委員会が指摘するように「米国民政府から強硬に除籍を含む処分を求められ」たからである。

 大学当局は処分に反対だった。学生を処分しなければ大学をつぶすという強硬な民政府の姿勢に抗しきれなかったというのが事の真相だ。

 七人のうち処分取り消し通知書の伝達式に参加したのは三人だけ。処分学生のうち一人は一昨年に亡くなり、残る三人はそれぞれの理由で伝達式への参加を辞退した。

 伝達式に参加した処分学生の一人は「(大学に対する)感謝の念と同時に、なんでもっと早くできなかったのかという思いもある」と複雑な胸のうちを語った。

 大学はこれで終わりとせず、大学の歴史の中にきちんとこの事件を位置づけ、後世に伝えていく努力をしてほしい。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070818.html#no_1

 

琉球新報 社説

第2次琉大事件 歴史の影に目を向けたい

 1956年に反米的言動などを理由に琉球大学の学生7人が退学、謹慎処分を受けた「第2次琉大事件」で琉大当局は17日、岩政輝男学長らが記者会見し、処分の取り消しを公式に発表した。

 大学の自治を揺るがした不当な弾圧から半世紀。忌まわしい事件に新たな光を当て、歴史の影の部分と向き合い、大学の歴史に正しく位置付ける作業が始まったことを歓迎したい。

 今年6月の発足以来、事件を再検討してきた調査委員会は、処分学生の行動について「当時の法令および大学の学則やその他の規定に照らしてもこれに違反するとは認められない」と結論付けた。権力を握る米国民政府が介入し、強硬な処分を求められた末の不当処分であったことを認めた。

 当事者らは70歳を超え、一人は亡くなった。とりわけ退学処分の不名誉な烙印(らくいん)を押された6人にとって、事件の暗い記憶はその後の人生のさまざまな断面でつきまとったに違いない。

 再検討方針が明らかになった直後、ある一人が語った「琉大には青春のすべてがあった」との言葉が重く響く。名誉回復の扉がようやく開かれたとはいえ、費やされた歳月はあまりにも長すぎた。

 ただ琉大当局にとっては、名誉回復措置の検討に際し、現段階では今回の対応以外の策は考えにくかったのだろう。同窓会など関係者の声に耳を傾け、問題を放置せずに真摯(しんし)に向き合った姿勢は評価に値するのではないか。遅きに失した印象は残るけれども「大学人の良心」といったものを感じさせる。

 米軍用地料の一括払いに反対し、島ぐるみ闘争が燃えさかる渦中で起きた琉大事件には、いまだ解明されていない部分が多い。米国に生殺与奪権を握られた中での大学の自治や運営、思想・表現の自由、民主主義の在り方、アメリカの二重基準など学問対象としても多くの要素を含んでいる。

 第1次琉大事件を含め、語り尽くされていない歴史の全容解明に向けた取り組みに期待したい。

(8/18 10:02)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-26413-storytopic-11.html

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