Yナンバー車、車庫証明わずか4台 F15、2週連続未明離陸 憲法記念日、憲法を考えるなど  沖縄タイムス関連記事・社説、琉球新報 社説(5月1日から5日)

2008年5月1日(木) 朝刊 2面 

浦添の不発弾は嘉手納弾薬庫へ/政府が移送費計上

 【東京】政府は三十日までに、浦添市で発見された化学弾の可能性がある不発弾二十二発を現場から撤去した後、嘉手納弾薬庫内の共同使用地区にある県の不発弾保管庫に暫定的に保管する方向で調整に入った。一定期間保管後、処理場に移送する方針だが、日程は決まっていない。

 同日午前の閣議では、同不発弾を安全な場所に移す経費として、三千六百六十四万円を二〇〇八年度一般会計予備費から支出することを正式に決定した。

 移送は民間業者に委託する予定で、これから契約手続きに入る。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805011300_05.html

 

2008年5月2日(金) 朝刊 1面

Yナンバー車 3000台中 車庫証明わずか4台

不公平な実態 今なお

 【東京】米軍人・軍属とその家族の私有車両(Yナンバー車)の登録の際に求められる車庫証明書について、今年一―三月の間に県内で登録されたYナンバー車三千三十九台中、車庫証明書が提出されたのは四台しかないことが一日、国土交通省作成の資料で分かった。日米両政府は二〇〇四年に「基地外」の車庫がある場合は車庫証明を義務付けることで合意したが、大量のYナンバー車が手続きを免れている不公平な実態が改善されていないことが浮き彫りとなった。

 車庫法では、使用の本拠(通常は居所)から二キロ以内の場所に保管場所(車庫)を確保することが定められている。

 Yナンバー車の車庫証明をめぐっては、基地内外で免除されていた実態を重くみた当時の運輸省が一九九八年、「車庫証明の提出がない場合は登録しない」とする「管理課長通達」を、沖縄総合事務局運輸部長などに通知している。

 しかし、問題は改善されず、国会などで批判が集中。日米両政府は〇四年、Yナンバー車を登録する際に「基地外」に車庫がある場合は車庫証明書の提出を義務付けることで合意。「基地内」の車庫についても、早期の適用を目指して集中的に議論することを確認していたが、実施されないまま放置されている。

 資料によると、同期間中、全国で登録されたYナンバー車は六千八百十九台で、そのうち七百七十九台が車庫証明書を提出。長崎県の佐世保検査登録事務所管内では、百六十一台中、六十一台が車庫証明を提出しており、県内は他の地域と比べても極めて少ない比率となっている。

 県内で車庫証明書を提出した四台以外の三千三十五台は「基地内」か、車庫法の適用地域外に車庫を確保していることになる。県内在住の米軍人・軍属とその家族四万四千九百六十三人中、約四分の一を占める一万七百四十八人が「基地外」に居住している実態(今年一月末時点)との整合性が問われそうだ。

 資料は井上哲士参院議員(共産)の請求を受け、国土交通省が提出した。

[ことば]

 Yナンバー 米軍人・軍属と家族が日本で購入した車に付けられる。この制度が横浜で開始されたことから、「YOKOHAMA」のYが由来とされる。今年3月末時点のYナンバー車の登録総数は全国で5万6450台で、そのうち県内は2万6897台と約半数を占める。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805021300_01.html

 

2008年5月2日(金) 朝刊 1面

F15きょう未明離陸/嘉手納基地2週連続

12機演習参加

 【嘉手納】米軍嘉手納基地報道部は一日午後、F15戦闘機十二機余と空中給油機数機が米本国での演習参加のため、二日未明に同基地を離陸すると発表した。同基地は四月二十三日にも機体更新を理由に未明離陸を実施したばかり。周辺自治体は相次ぐ強行に反発を強めている。

 嘉手納町によると、米本国での演習参加を理由にした未明離陸は、二〇〇七年一月以来。

 嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協)は一日午後、同基地第一八航空団に対し、「立て続けに実施される早朝離陸は誠に遺憾」と回避を求め、口頭で要請した。未明離陸が強行されれば、二日午後にも幹事会を開き、対応を協議する方針。

 三連協の野国昌春会長(北谷町長)は「住民の平穏な眠りや生活を無視した米軍のやりたい放題の運用だ。騒音防止協定はなし崩しになっており、国や県と対応を協議したい」と憤った。

 同基地報道部によると、F15はアラスカに遠征し、六十日間演習を行う。同演習は「空中戦闘技術を向上させる重要な訓練」で、毎年恒例という。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805021300_02.html

 

琉球新報 社説

米軍再編合意2年 かすむ地元の負担軽減 2008年5月2日

 県民が期待した「負担軽減」は一向に見えない。米陸軍パトリオット・ミサイルの配備をはじめ、米軍キャンプ・ハンセンの陸上自衛隊共同使用など基地機能強化による「抑止力の維持、向上」だけが鮮明だ。

 日米安全保障協議委員会(2プラス2)の在日米軍再編の最終報告取りまとめから2年が過ぎた。

 「抑止力の維持と地元の負担軽減の観点から進めてきた協議が合意に達したことは意義深い」と2年前、当時の政府首脳は強調していたが、時を重ね「地元の負担軽減」は、かすむばかりだ。

 米軍普天間飛行場の移設問題は「再編の鍵」だが、名護市辺野古の代替施設建設による環境影響評価(アセスメント)調査が3月から始まったものの、当初計画の遅れもあり、最長で1年の遅延が見込まれる。

 が、防衛省は工期の短縮で2014年の完成予定は変えない。また、県はあくまでも移設案の沖合移動と普天間飛行場の3年内閉鎖状態の実現を求め、その姿勢を崩さない。このままでは、着実な進展は望むべくもない。

 負担軽減の目玉とされる嘉手納基地より南の6施設返還も、07年3月までに詳細計画が公表される予定だったが、1年余を経過したもののまとまっていない。

 グアムに沖縄から出て行く部隊とその施設の詳細をまとめた移転計画もまだだ。米海軍省統合グアム計画室(JGPO)は4月末に在沖米海兵隊の移設計画となるマスタープラン(基本計画)の最新概要版を公表した。

 海兵隊の移転先としてグアム北部のフィネガヤン地区を示したほか、ジャングル訓練場や都市型戦闘訓練施設の建設を明示したものの、具体的な部隊ごとの移転人数の詳細には言及していない。

 この計画と「嘉手納南返還」は連動する。グアム計画は7月ごろにまとまるとされる。沖縄防衛局の真部朗局長は「基本的にはそういうことだ。はっきり7月と聞いているわけではないが、それぐらいに米側のプロセスで熟度が高まるということだろう」とし、その計画を踏まえ「嘉手納南返還」の計画がまとまる見通しを示唆する。

 ケビン・メア在沖米総領事は「嘉手納より南の返還は普天間飛行場移設とグアム移転の次の段階で焦る必要はない」と楽観的だ。

 米軍再編は、日米の軍事的一体化が最大の狙いだ。日米合意から2年を経て、日米共同による東アジア地域での抑止力の維持、向上が優先される現状からもあらためて実感せざるを得ない。

 軍備増と負担減はあくまでも矛盾し、抑止力に比重が置かれれば結局、軍事同盟強化だけが残る。地元の負担軽減を加速させるよう日米両政府の一層の努力を求めたい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-131693-storytopic-11.html

 

2008年5月2日(金) 夕刊 1面

砂辺で午前5時112デシベル/F15、11機が未明離陸

 【嘉手納】米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機など計十一機が二日未明、同基地を離陸した。飛行ルートの真下に当たる北谷町砂辺では、午前五時十七分に一一二・一デシベル(速報値)を計測した。同基地では四月二十三日にも未明離陸が行われたばかりで、基地周辺自治体が抗議の姿勢を示している。二日午後、嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協、会長・野国昌春北谷町長)は幹事会を、嘉手納町議会(伊礼政吉議長)は基地対策特別委員会(田仲康榮委員長)をそれぞれ開き、対応を協議する。

 同基地報道部は当初、離陸するF15は米本国での訓練のため、「十二機余りが参加する」と説明していたが、実際に離陸したのはF15十機とKC10空中給油機一機。そのうちF15四機は離陸後の午前七時までに同基地に着陸した。「四機は予備機で残る六機とKC一機がアラスカに向かった」(同報道部)と説明している。当初説明の十二機余りとの差があるが、再度の未明離陸の可能性については明らかにしていない。

 F15は同日午前五時十六分から約七分の間に南側滑走路を使用し、北谷町方向に十機離陸。同二十三分には、KC10が飛び立った。

 嘉手納町の職員が同町屋良の「安保の見える丘」で実施した携帯測定器の調査で、離陸したF15の最大騒音は八八・二デシベル(騒々しい工場内に相当)。滑走路から約七百メートル離れた民間地の常設測定器では、最大で八九・五デシベルを計測した。

 同町によると、米本国での訓練参加を理由にした未明離陸は、二〇〇七年一月以来。十機以上の未明離陸は、同基地に一時配備されていた最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターが米本国に帰還した同年五月以来という。北谷町砂辺の速報値一一二・一デシベルは自動車のクラクション(前方二メートル)に相当するという。

 同基地報道部によると、F15はアラスカに遠征し、六十日間演習を行う。同演習は「空中戦闘技術を向上させる重要な訓練」で、毎年恒例と説明した。

 県の上原昭知事公室長は同日午前、「早朝の離陸は前回(四月二十三日)同様、けしからん話。地元も反対している。改善策は(未明離陸を)やめる以外にない」と厳しい口調で非難した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805021700_01.html

 

2008年5月2日(金) 夕刊 7面

抗議無視 爆音また/米軍機未明離陸

 【中部】いつまで続くのか―。未明の街に戦闘機がごう音をとどろかせる「異常事態」がまた繰り返された。F15戦闘機の機体更新終了後も続く嘉手納基地からの未明離陸。爆音に安眠を妨げられた周辺住民からは「地元はどうでもいいのか」「結局泣き寝入りだ」と怒りの声が相次いだ。米側との回避策の検討協議を二年近くも継続しながら、目に見える成果をまったく引き出せていない政府への不信感も高まっている。

 二日午前五時十五分ごろ、騒音で目を覚ました沖縄市知花の島袋善祐さん(71)は「未明離陸のたびに起こされ、一日のスケジュールが狂う。軍の都合で未明離陸を繰り返し、地元はどうでもいいのか。議会が抗議をするのも当たり前になっていて、全然聞き入れられていない」と憤慨した。

 北谷町砂辺の飛行ルートの近くに住む渡慶次保さん(74)も騒音で起こされ、睡眠不足で午前九時すぎまで自宅で横になっていた。「沖縄防衛局が嘉手納に移転しすぐに二度の未明離陸があった。何のために移転してきたのか。防衛局は住民の気持ちを自分の問題と感じて米軍に『飛ぶな』と言ってほしい」と注文した。

 同町内の保育所に子ども二人を送迎した同町砂辺に住む女性(31)は「子どもたちも戦闘機の騒音に驚いて耳をふさぎ、駆け寄ってくることもある。騒音さえなければ砂辺は住みやすい所なのに」と顔を曇らせた。

 嘉手納町民でつくる町基地対策協議会顧問の比嘉親紀さん(74)=同町水釜=は「きょうも早朝に騒音が鳴り響いた。町議会の抗議に、米軍側が応えてくれないことが歯がゆい」と悔しがる。

 同町屋良の仲本喜美子さん(61)=自営業=は「騒音は毎日のことなので、もう早朝でもうるさいと感じなくなっている。町に立派な防衛省の施設ができたが、騒音に苦しむ町民には何の補償もない。結局泣き寝入りだ」と怒りをぶつけた。

市民団体 強行を糾弾 抗議集会

 【嘉手納】米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機などが未明離陸を強行したことを受け、沖縄平和運動センターと中部地区労は二日午後、嘉手納町の通称「安保の見える丘」で抗議集会を開いた。約八十人が参加し「早朝の飛行訓練糾弾」「住民生活の破壊を許さんぞ」とシュプレヒコールを繰り返した。集会開催中もF15などが爆音をたて飛び立った。

 同センターの山城博治事務局長は「四月二十三日以来の未明離陸の実施は、米軍が理由を問わず二十四時間、基地を運用することを宣言したもの。許すわけにはいかない。撤去に向けて頑張ろう」と呼び掛けた。

 中部地区労の池原誠事務局次長は「再三の要請にもかかわらず、住民をあざ笑うかのように戦闘機が離陸している。爆音はいいかげんにしてほしい」と訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805021700_02.html

 

2008年5月2日(金) 夕刊 1面 

知事、調査の意向/Yナンバー車庫証明

 仲井真弘多知事は二日午前の定例会見で、米軍人・軍属らの私有車両(Yナンバー車)の車庫証明がほとんど提出されていない問題について、「基地外に住む人は(車庫証明)を何ら出さない。不公平感は募ると思う」と指摘。「日米合同委員会の合意がどれくらいの縛りがかかっているのか、調べてみたい」と述べた。

 また、非婚(未婚)の母子家庭の女性が、寡婦控除を受けられずに所得が入居基準を上回ったとして県営住宅から退去を命じられている問題については「沖縄は(非婚家庭の)比率が高いと思う。退去を命じるのは、おかしいと私は思っている」と指摘。「担当課に詳しいことを聞いてみたい」と述べ、県営住宅入居の所得基準について再検討する考えを示唆した。

 六月に実施される県議会議員選挙には「私に対する評価だと思っている。(結果は)強烈に影響すると思う」と述べ、自らの「信任選挙」と受け止める考えを示した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805021700_03.html

 

2008年5月3日(土) 朝刊 1面

護憲26人 改憲17人/県議選72人アンケート

「議論すべき」29人/9条改正38人が反対

 沖縄タイムス社は憲法記念日を前に、六月八日投開票される県議選に立候補を予定している七十二人に対し、憲法改正の賛否、憲法九条改正の賛否、重視する県政の課題、米軍普天間飛行場など仲井真県政の基地政策の賛否などを聞いた。憲法改正については、野党中立の二十六人が反対を主張、賛成の十七人(与党十五人、野党中立二人)を上回った。賛否は示さずに改正論議をすべきだとしたのが二十九人(与党十八人、野党中立十一人)で最も多く、改正論議の必要性を訴える候補者が多かった。

 改正賛成で最も多かった理由(複数回答を含む)は、「新しい権利、義務を加えるべきだ」が十三人で、「自衛隊の位置付け、役割を明記すべきだ」八人、「集団的自衛権を認めるべきだ」三人と続いた。

 改正反対の理由(複数回答を含む)は、「平和の理念があり、世界に誇れる平和憲法」が二十三人で最も多かった。次いで、「軍事大国化の恐れがある」「国民の大多数の支持を得て、社会に根付いている」がそれぞれ三人だった。

 憲法九条改正については、与党八人を含む三十八人が反対の立場。賛成は二十三人(与党十九人、野党中立四人)だった。「議論をすべきだ」としたのは十一人(与党六人、野党中立五人)。

 改正反対の理由(複数回答を含む)としては、三十四人が「平和憲法の根幹を成す条文」を挙げた。「集団的自衛権の行使で戦争に巻き込まれる」の四人が続いた。

 賛成理由(同)は、「安全保障の現状に合わせ、自衛隊の存在と役割を明記すべきだ」が十九人と最も多く、「自衛隊の国際貢献を明記すべきだ」が五人だった。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805031300_01.html

 

2008年5月3日(土) 朝刊 27面

Yナンバー野放し状態/車庫証明取得義務

 米軍関係者の四分の一が基地外に居住する県内で、米軍人・軍属とその家族の私有車両(Yナンバー車)の大半が車庫証明書を取得しないまま自動車登録している問題が放置されている。基地外の車庫証明を義務付けると日米が合意して四年もたつのに、なぜ改まらないのか。背景には米兵の自己申告に任されている制度上の欠陥や、業界の認識の薄さなどがあるが、車庫証明の手数料を逃れているとの不公平感はぬぐえない。(上遠野郷、嘉数浩二)

 国土交通省の資料によると、今年一―三月に県内で登録されたYナンバー車三千三十九台のうち、車庫証明書が提出されたのはわずか四台。県内の米軍関係者約四万五千人の四分の一が基地外に居住している実態とかけ離れている。

 車庫証明書は所轄の警察署が発行し、県内では手数料二千七百五十円(普通車)がかかるが、Yナンバー車は車庫の場所を「基地内」と申請すれば車庫証明書なしでも登録が認められる。本当に基地内に車庫があるのかを証明する義務はなく、沖縄総合事務局は「窓口で申請の真偽を確認するすべはない」と話す。

 手続きは自動車販売業者で代行することが多いが、沖縄市の販売業者は「米兵に車庫証明の手続きを求めることはない」と言い切る。

 北谷町の業者は「米兵相手では身元がはっきりしているかが重要。所属部隊さえ分かれば、本当の住所が基地の中か外かなんて深く追及しない」と明かした。

 米軍関係者向けの物件を扱う北谷町の不動産業者は「彼らは駐車場付き物件を借りるが、(車庫証明書取得に必要な)駐車場の使用許諾証明書が欲しい、という申し出はほとんどない。車庫法の存在すら知らないんじゃないか」と話す。

 北谷町・宮城海岸そばの「米軍住宅街」。二日夜、付近には五十メートルほどの間に十四台のYナンバー車が路上駐車していた。空き地などにも計十五台がとまる。

 町内にいた若い米兵三人に「車庫証明の取得義務を知っているか」と聞くと、顔を見合わせて「分からない」。別の男性は「聞いたことがない」と答えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805031300_02.html

 

2008年5月3日(土) 朝刊 1面

F15きょうも早朝離陸

 【嘉手納】米軍嘉手納基地報道部は二日、米本国での演習参加のため、同基地所属のF15戦闘機が三日午前六時ごろ離陸する、と発表した。具体的な機数は明らかにしていない。当初は二日に予定していたが、「空中給油機の支援を得ることが困難になったため」延期したという。休日を含む二日連続での未明、早朝離陸に、住民の反発が高まりそうだ。

 同基地報道部によると、夏場は同基地を午前六時ごろまでに離陸すれば、目的地の米アラスカ州には日照時間内に着陸することが可能という。二日は当初、五時二十分ごろと同六時ごろの二グループに分け、離陸を予定していたという。

 嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協、会長・野国昌春北谷町長)は、二日に実施された未明離陸について二日午後、幹事会を開き、九日にも嘉手納基地や沖縄防衛局、外務省沖縄事務所に直接抗議する方針を決めた。

 三日の早朝離陸については、午後十時から翌日午前六時の飛行を制限する騒音規制措置が守られる見込みのため、状況を見極めて対応を決める、としている。

 野国会長は「午前六時を過ぎても朝早いことに変わりない。連休中でもあり、眠っている人も多いはずだ。措置の範囲外だから容認ということにはならない」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805031300_03.html

 

2008年5月3日(土) 朝刊 26面

平和外交で日本示せ/きょう那覇で憲法講演

 アフガニスタンや東ティモールなど世界の紛争地域で、武装解除に取り組んできた自称「紛争屋」の伊勢崎賢治・東京外国語大学大学院教授(平和構築・紛争予防講座長)が三日、那覇市民会館で開催される憲法講演会に登壇する。イラク戦争を契機に、憲法九条の価値を見いだすようになったという伊勢崎さん。「今の日本に九条はもったいない」と苦言を呈する。

 武力で平和は絶対につくれない。ただ目の前で行われている虐殺を止めるなど、国際貢献には武力介入が必要な場面もある。中立的な武力が必要だったアフガンで、なぜ自衛隊が貢献できないのかという疑問があった。憲法の前文には積極的な国際貢献がうたわれているが、九条が足かせになっているのではないか。なんとかしなければという思いがあった。

 イラクへの自衛隊派遣は、単なる政局劇。国連決議もなく、世界の半数が反対したイラク戦争に大義はなく、何よりも軍事的なニーズがない。内向きな政局によって自衛隊が使われるのは、国威高揚のためだ。それなら第二次世界大戦の時と何も変わらない。ふがいない日本政府にブレーキをかけられるのは、九条しかないと思うようになった。

 日本の九条は世界でほとんど知られていない。日本は官民ともに、とりわけ近隣諸国にPRしてこなかった。人畜無害さを国防力にするという観点があれば、もっと積極的になるはずだ。九条を防衛力として認識していない。自分たちのためにも、世界のためにも活用していない。今の日本に九条はもったいない。

 国際協力をしたいが九条のせいでできないと言っている人は、外務省の中にも結構多い。彼らをこちら側につけるためには、九条を国際貢献に利用していく証拠を示す必要がある。日本のイメージを生かした平和外交をもっと売るべきだ。(粟国雄一郎)

 講演会は午後一時半から那覇市民会館で。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805031300_07.html

 

沖縄タイムス 社説(2008年5月3日朝刊)

[憲法を考える(上)]

9条を「国際公共財」に


 二国間同盟を維持する上で最も大切なのは「相互の信頼」だといわれる。信頼とは、してほしいと相手国が望んでいることをすることだ。

 「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上部隊の派遣)という米国の要求にこたえて小泉政権は、いち早くブッシュ政権支持を表明し、急ごしらえの法律に基づいて自衛隊をイラクに派遣した。

 だが、大量破壊兵器は発見されず、フセイン政権がアルカイダに協力したことを示す証拠も見つからなかった。中東を民主化するというもくろみも「アメリカ的価値の押し付け」だとイスラム世界の激しい反発を招いた。

 イラク攻撃は国連憲章違反の疑いが濃厚である。米国でも「誤った戦争」だとの評価が定着しつつある。問題は「毒を食らわば皿まで」の姿勢に終始する日本の外交・安全保障政策だ。

 イラク国内の戦闘地域と非戦闘地域の区別を問われ、小泉純一郎首相は「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と答えた。

 航空自衛隊によるイラクでの空輸活動は憲法九条に違反するとの名古屋高裁の判決に対し、田母神俊雄航空幕僚長はちゃかすように答えた。「私が(隊員の)心境を代弁すれば『そんなの関係ねえ』という状況だ」

 この発言からは憲法九九条の「憲法尊重擁護義務」を守ろうとする姿勢が全く感じられない。戦前の歴史をひもとくまでもなく、指揮官が平気でこのような物言いをし始めるのは危険である。ここに見られるのは憲法九条に対する根深いシニシズム(冷笑主義)だ。

 在日米軍はすでにして安保条約の枠を超えた活動をしている。事前協議制は空文化し、極東条項も、あってなきがごとき状態だ。憲法九条だけでなく安保条約さえも、現実との乖離がはなはだしい。

 米国が日本に求めているのは、日米同盟を米英同盟のような同盟関係に変えることである。もっと言えば、集団的自衛権が行使できるように日本の法制度を変えることだ。

 だが、想像してみよう。もし、九条がない状態でイラク戦争を迎えていたら、どうなっていたか。米国の国家戦略に従って海外に軍隊を派遣し共に血を流して戦う―そのような同盟関係を築くことがほんとうに望ましい日本の未来像だといえるのか。

 九条改正や同盟強化を言う前に、F15戦闘機の未明離陸をなんとかしてもらいたい。それが嘉手納基地周辺住民の心境だろう。

 沖縄戦から六十三年がたつというのに沖縄は今もって「戦後ゼロ年」(目取真俊さん)のような状況にある。米軍駐留を維持するための施策が社会構造までいびつにしてしまった。

 憲法前文と九条に盛り込まれた平和主義と国際協調主義は、戦争体験に深く根ざした条項であり、沖縄の歴史体験からしても、これを捨て去ることはできない。

 ただ、護憲という言葉に付着する古びたイメージを払拭するには、護憲自体の自己改革が必要である。九条を国際公共財として位置づけ、非軍事分野の役割を積極的に担っていくことが重要だ。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080503.html#no_1

 

琉球新報 社説

憲法記念日 今こそ理念に輝きを 2008年5月3日

 きょうは憲法記念日。1947年5月3日の施行から61年を迎えた。この間、憲法は日本の平和と国民の人権を守る砦(とりで)の役目を担ってきた。だが、いま日本は「違憲」の国になりつつある。憲法を取り巻く動きを検証した。

 戦前の大日本帝国(明治)憲法と、戦後の日本国憲法の大きな違いは主権在民。つまり、天皇主権から国民主権への転換だ。新憲法は天皇を国の「象徴」とし、「主権が国民に存する」と宣言した。

 戦前。国民は「天皇の赤子」だった。天皇のために国民は命を賭して国を守り、そのために多くの国民が戦争の犠牲になった。


司法判断無視の政府

 その反省から、憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意」し、第9条は「戦争の放棄」「戦力の不保持」を明記した。

 しかし、現実は自衛隊という紛れもない「軍隊」を保持し、海外に派遣している。

 ことし4月17日、名古屋高裁はイラクに派遣された航空自衛隊の空輸活動が「他国の武力行使と一体化し、憲法9条に違反する」との判断を下した。

 だが、政府は「違憲」判断を事実上無視し、自衛隊の派遣を継続している。

 憲法は国の最高法規で「その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と、第98条は定めている。

 そして第99条は、大臣や国会議員、公務員らは「憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記している。

 法治国家のはずの日本で最高法規の憲法を守らず、従わず、尊重せず、「違憲」行為を重ねる政治が行われている。

 尊重どころか改憲論議も加速している。焦点は常に「9条」で、軍隊の保有が改憲派の主な狙いだ。

 政権与党の自民党は立党50周年を機に2005年11月に新憲法草案をまとめている。

 草案は憲法前文から「国家不戦」の決意を削除。「戦争の放棄」を「安全保障」に変更し、「自衛軍の保持」を明記。国内のみならず国際任務での自衛軍の活動を盛り込んでいる。

 安倍晋三内閣の下で、すでに憲法改正をにらんだ国民投票法を成立させている。

 自民党と連立を組む公明党は、9条を維持しながらも「新たな人権」を盛り込む「加憲」論に立つ。

 野党最大の民主党は改憲、護憲の両勢力が党内で拮抗(きっこう)する中で、自由闊達(かったつ)な憲法論議を是とする「論憲」「創憲」論を展開している。これも突き詰めると「改憲」の流れにある。

 「護憲」勢力の社民党や共産党は、平和憲法の趣旨の徹底を目指す「活憲」論で迎え撃つなど、攻防は水面下で激しさを増している。


護憲のうねりつくろう

 最近の映画「靖国 YASUKUNI」の上映をめぐる動きも憲法論議に発展した。

 文部科学省は国会議員らの要求で、同映画の試写会を行った。試写後、主要シーンの削除や上映禁止を求める動きが議員らから出た。

 憲法は言論の自由、出版など「表現の自由」(第21条)を保障し、検閲を禁じている。「靖国」をめぐる動きは事前検閲や表現の自由を侵害する「違憲」行為にも映る。

 沖縄の現状はどうか。戦後、沖縄が平和憲法の庇護(ひご)の下に入ったのは1972年の本土復帰後だ。

 それまでの米軍統治下の沖縄では国民主権はおろか「自治は神話」とまで言われ、基本的人権は保障されず、多発する米軍犯罪の被害に泣き、銃剣とブルドーザーで家や土地を奪われ、財産権を侵害され続けてきた。

 いま、沖縄は日本に復帰し平和憲法の下にある。それなのに「法の下の平等」に反する米軍基地の過重負担、深夜早朝の爆音被害、実弾演習被害、有害物質の流出や禁止兵器の使用、そして繰り返される米兵犯罪で「平和的生存権」が侵害され続けている。

 条文だけの憲法は役に立たない。尊重し、守り、守らせてこその立憲・法治国家である。

 人権や自治のない米軍統治下で平和憲法を希求し、本土復帰運動を展開した沖縄である。

 失われつつある平和憲法の理念を問い掛け、順守し、実効性を取り戻す運動を沖縄から始めたい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-131736-storytopic-11.html

 

2008年5月4日(日) 朝刊 1面

Yナンバー車 協議休眠/日米合同委

事件・事故続発で

 【東京】二〇〇四年の日米合同委員会で、Yナンバー車の車庫が「基地外」にある場合に車庫証明書の提出を義務付けることで合意した際、「基地内」の車庫証明書提出についても特別分科委員会を開いて議論することを確認したにもかかわらず、日米協議が事実上の“休眠状態”となっていることが三日、分かった。

 関係者によると、〇四年七月二十日の日米合同委員会後、八月十三日に米軍普天間飛行場所属のCH53大型輸送ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落する事故が発生。同分科委の関係者らは事故対応に追われ、「基地内」車庫の証明書に関する協議が困難になった。

 その後も相次いだ事件・事故に対応する中、この四年間でメンバーも変わったなどの理由から、Yナンバー車に関する協議は進展していないという。

 合同委合意では、車庫が「基地内」にある場合の取り扱いについて、「少なくとも二週間に一回、日米合同委員会合意の見直しに関する特別文化委員会を開催することにより、引き続き集中的な議論を続けていく」と明記している。

 報道発表資料には「一定の場合(基地外の場合)について関連法令の適切な運用が確保されることとなったが、政府としては全体として早急に確保されるよう、引き続き米側と鋭意協議していく」とのコメントも添付していた。

 外務省は同分科委について「詳しい開催日程は言えないが、随時開催している」としつつ、「今は二週間に一回のペースでは開かれていない」と、合意が守られていない事実を認めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805041300_02.html

 

2008年5月4日(日) 朝刊 1面

F15など早朝離陸強行/嘉手納計11機

 【嘉手納】米軍嘉手納基地所属のF15戦闘機など計十一機が三日午前六時すぎ、米アラスカでの演習に参加するため同基地を離陸した。

 嘉手納基地では前日の二日午前五時すぎに未明離陸が行われたばかり。

 嘉手納町屋良では三日午前六時十九分ごろに最高値九三・七デシベルを計測するなど、ゴールデンウイークの早朝に騒音が響いた。

 F15戦闘機は同基地の南側滑走路を使用し、午前六時十三分から同十九分までの間、断続的に十機が沖縄市方面に離陸した。

 同二十分ごろにはKC10空中給油機一機が、北側滑走路から北谷町方面に飛び立った。嘉手納町職員が同町屋良の通称「安保の見える丘」で携帯測定器を使って調べた結果、最大騒音はF15が九三・七デシベル(騒々しい工場内に相当)。KC10は九一・八デシベルだった。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805041300_03.html

 

2008年5月4日(日) 朝刊 23面

紛争予防 9条が力/憲法記念日で伊勢崎氏講演

 憲法記念日講演会が三日、那覇市民会館で開かれ、国連などから派遣され、世界の紛争地域で武装解除を指揮してきた伊勢崎賢治・東京外国語大学大学院教授が登壇した。大量虐殺など、既に起こっている重大な人道的危機には、武力介入が必要な場面があるとしながら、国際社会には紛争の予防に取り組む責務があることを強調。中立的に紛争当事者の間に立てるのは「九条を守る日本に一番の可能性がある」と呼び掛けた。

 伊勢崎さんは、百日間で八十万人が虐殺されたアフリカ・ルワンダの民族紛争や、十年間の内戦で五十万人が犠牲になったアフリカ・シエラレオネの実情を挙げ、「アフリカでは、十万人単位で人が死なないと、国際社会は動かない」と指摘。市民が大量に殺されるような現場には、武力介入を含めた「保護する責任」があると訴えた。

 一方で、外務省の依頼で約六万人の武装解除に成功したアフガニスタンでは、武装した自衛隊の関与が一切なかった点を強調。新テロ対策特別措置法で、海上自衛隊がインド洋での補給活動を継続していることを批判し、「政権与党や外務省は、武装に非武装でかかわるアフガンの経験をまったく学んでいない」と、苦言を呈した。

 紛争の予防には、国際社会の継続的な注意と関心が必要だが、世論の興味はしばしば薄れがちで、予防的援助は武力介入より難しいと指摘。「言うはやすしだが、やらなければならない。日本は九条の活用を重要な責任として考える必要がある」と結んだ。

 講演会は、県憲法普及協議会と沖縄人権協会、日本科学者会議沖縄支部が主催。主催者発表で約千百人が聞いた。


現場経た平和論に耳傾け


 「憲法九条は日本の防衛力」。三日に那覇市で開かれた憲法講演会で、伊勢崎賢治・東京外国語大学大学院教授は「九条によって日本は紛争に非軍事的にかかわれる」と訴えた。講演を聴いた市民らは「新鮮だった」「武力を認めるなんて」とさまざまな反応を見せた。

 宜野湾市の嘱託職員・平田佳奈子さん(25)は「分かりやすかった」と好意的。九条は日本が戦争するのを防ぐものと考えていたが、「他国の紛争解決に九条を生かすという考えが新鮮だった。単なる平和論より説得力がある」と話した。

 講演を聴いていたスリランカ人のディリープ・チャンドララール・沖縄大教授(55)は「武力だけで平和は実現しないが、狭い理想だけでも平和は実現しない。平和運動を若い世代に広げていくためには参考になる視点だろう」と話した。

 一方、那覇市の主婦(43)は、「紛争解決に必要な武力もある」とした伊勢崎さんの主張に「違和感がある。誰が必要、不必要を判断するのか」の声もあった。


9条改定求め 県民会議発足


 自主憲法制定国民会議の県支部となる「自主憲法制定沖縄県民会議」(亀川正東会長)が三日、正式発足し、那覇市内のホテルで「新しい憲法をつくる県民の集い」を開催した。約百人が出席した。

 集会では、北朝鮮による日本人拉致や核問題、近隣諸国との領土問題を挙げ、「憲法九条を改めない限り国際貢献、国家の平和と安全は守れない」とし、早急な自主憲法制定を要請する決議を採択した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805041300_04.html

 

沖縄タイムス 社説(2008年5月4日朝刊)

[憲法を考える(下)]

貧困と格差が尊厳奪う


 憲法は今、自分の無力を嘆き悲しんで泣いているのではないか。そう思わせるような暗たんとしたニュースがこの数年、目立って増えた。

 北九州市で二〇〇六年五月、独り暮らしの男性(56)が職を失って生活に窮し、電気、水道、ガスのライフラインを止められ、生活保護も受けられずに死んだ。

 同じ北九州市で〇七年七月、生活保護を受給していた独り暮らしの男性(52)が生活保護を「辞退」したあとしばらくして飢餓状態で死んだ。「オニギリ食べたい」という言葉を日記に書き残して。

 山形市で〇八年四月、五十八歳の無職の男性と八十七歳になる母親が死んだ。無理心中だとみられている。

 後期高齢者医療制度(長寿医療制度)がスタートしたことで男性は「母親の年金から保険料が天引きになって生活が大変」だと周囲に漏らしていたという。実は母親の保険料は激変緩和措置で九月までは年金から天引きされない。男性は母親が免除対象になっていたことを知らずに無理心中を図った可能性があるという。

 低所得者ほど実質的負担が高くなるという「負担の逆進性」が強まっている。

 県内で生活保護を受けている人は〇五年から三年連続で過去最多を記録した。

 国民健康保険料の長期滞納で保険証が使えなくなり、医療を受けたくても受けられない人たちが全国的に増えている。

 貧困と格差の広がりが社会全体をむしばみ、人間としての尊厳まで奪いつつある。

 憲法第二五条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている。生存権を保障したこの規定は今、かつてない深刻な試練に立たされている。

 〇六年四月、生活保護の老齢加算が廃止され、〇七年四月には母子世帯の母子加算も見直された。低所得者の生活費よりも高いとの理由で厚生労働省は生活保護費の引き下げを検討している。

 受給対象者の増加が国や地方自治体の財政を圧迫しているのは確かだ。だが、ない袖は振れないと保護水準を切り下げたり、生活保護を受けたくても受けられないケースが多発している現状は、生活に困っている人たちの「最後の命綱」を奪いかねない。

 労働、教育、医療などの分野で今、起きているのは「負の悪循環」というほかないような事態である。

 昔の「貧乏」と今の「貧困」は、どこかが違うような気がする。その違いをうまく言い表すことはできないが、昔の「貧乏」には「ぼろは着てても心は錦」のような未来への可能性と希望が満ちあふれていたのではないか。

 希望の持てない社会は、相互の紐帯が弱まり、不安定なバラバラの社会になる可能性がある。

 「すべて国民は、個人として尊重される」。前段で個人の尊重をうたった憲法第一三条は、後段で幸福追求に対する国民の権利について「国政の上で

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080504.html#no_1

 

2008年5月5日(月) 朝刊 19面

大戦の遺品 妹へ/NPO法人通じ米兵返還

 太平洋戦争に陸軍中尉として従軍し、フィリピンで戦死した鹿児島県出身の吉原義則さん(享年二十七歳)の個人認識票がこのほど、「NPO法人戦没者を慰霊し平和を守る会」(佐賀県、永田勝美理事長)を経て、妹の吉原アサミさん(78)=宮崎県在住=に返却される。

 名前と番号が彫られた認識票は、戦争当時フィリピンにいた、元米国陸軍所属の故ホレス・トンプソンさんが米国で保管していたもの。人づてにうるま市の米海兵隊員、ランディ・トーマスさん(24)に返還を託された。

 四日、認識票は那覇市内でランディさんから同会の塩川正隆副理事長に手渡された。塩川副理事長は「名前があったのが大きかった」と、スムーズな遺族の発見を喜ぶ。ランディさんは「協力できて光栄だ」とほっとした笑顔を見せた。

 アサミさんは、「今まで残っていたのが不思議。久しぶりにアルバムを開き、りりしかった兄の写真を見たくなった」と、形見を待ちわびている。

 認識票は今月、アサミさんの元へ届けられる。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200805051300_02.html

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