原告の証人申請却下/「集団自決」訴訟 普天間爆音に賠償命令/国へ総額1億4000万円 など 沖縄タイムス関連記事・社説、琉球新報 社説(6月25日から30日) 

2008年6月25日(水) 朝刊 1面

きょう控訴審開始/「集団自決」訴訟

 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、書籍に命令を出したと記され名誉を傷つけられているとして、座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍の元戦隊長やその遺族が、「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏(73)と発行元の岩波書店に、慰謝料や出版の差し止めなどを求めている訴訟の控訴審の第一回口頭弁論が二十五日、大阪高裁で開かれる。

 今年三月の一審・大阪地裁判決は、住民の「集団自決」に対する日本軍の深い関与を認定。座間味と渡嘉敷の両島が、戦隊長を頂点とする上意下達の組織だったことを踏まえ、両戦隊長の「集団自決」への関与を「十分に推認できる」と導いた。

 両戦隊長による自決命令は伝達経路がはっきりとせず、書籍に記載されている通りの自決命令の認定には「躊躇を禁じえない」としたが、二〇〇五年度までの教科書検定や学説、文献などを踏まえ、各書籍の記載には合理的な資料や根拠があると指摘。大江氏や「太平洋戦争」の著者の故家永三郎氏が、記した事実を真実と信じる十分な理由があったとして、元戦隊長らの請求を退けた。訴えているのは、座間味島の元戦隊長の梅澤裕氏(91)と、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟の秀一氏(75)。一審・大阪判決について、法解釈や事実認定の誤りを主張し全面的に争う方針で、岩波側は控訴の棄却を求める。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806251300_03.html

 

2008年6月25日(水) 朝刊 2面

政府、議事録公表せず/地位協定「公務」範囲拡大

 【東京】政府は二十四日、日米地位協定に基づいて日本側に第一次裁判権がないとされる「公務中」の範囲を、通勤や職場での飲酒にまで拡大した一九五六年三月の日米合同委員会合意に至る日米協議の議事録公表について、「日米両政府の合意なしには公表しない」とする答弁書を閣議決定した。照屋寛徳衆院議員(社民)の質問主意書に対する答弁書で見解を示した。

 地位協定に基づく「公務中」の範囲拡大に関する合同委合意をめぐっては、五六年四月に法務省刑事局長が全国の検事正らにあてた通達で、勤務地への往復時の交通事故を公務中として処理するよう指示している。

 その際には、参考資料として、合意までの協議内容を記した前年(五五年)十一月の合同委刑事裁判権分科委員会議事録を添付していた。

 これらの経緯は、機密解除された米側公文書などで明らかになっているが、政府は今回の答弁書で、「(全国の検事正らにあてた)通達を発出したかどうかを含め、これを公にすることにより、米国政府との信頼関係が損なわれるおそれ、および公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼす」として、公表に難色を示している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806251300_05.html

 

2008年6月25日(水) 朝刊 2面

平和運動拡大へ連合集会・デモ/県庁前

 連合は二十四日、県庁前広場で「米軍の整理・縮小と日米地位協定の改正を求める集会」を開き、基地問題の解決に向けて全国で平和運動を続けようと訴えた。

 主催者を代表してあいさつした連合本部総合組織局の大塚敏夫局長は「戦争は六十三年前に終わったが、その傷跡は残っており、問題は解決していない。米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の抜本見直しを求めて、全国的な運動をさらに広げていこう」と訴えた。

 そのほか、連合沖縄の仲宗根清和事務局長や民主党県連の喜納昌吉参院議員らがあいさつした。

 全国の地方連合会の会員と構成組織の組合員ら九百人が参加。集会後は国際通りをデモ行進した。

 参加者は集会前には糸数壕や嘉手納基地、普天間飛行場なども視察した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806251300_06.html

 

2008年6月25日(水) 朝刊 26面

仲里議長が勇退/教科書検定撤回9・29実行委員長

 「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員長の仲里利信県議会議長が二十四日、玉寄哲永、小渡ハル子両副委員長に対し、委員長の辞任を伝えた。この日で県議の任期を終えて勇退するため。仲里委員長は「十一万人が集まったあの大会は快挙だった。今後は一個人として協力していきたい」と話した。

 三人は議長室で会談。「多くの方からお引き留めをいただいたが、『議長』として引き受けた以上、辞職が筋と考えた」と説明した。また、教科書出版社でつくる教科書協会が今月の文科省作業部会で「検定審議の非公開」と「執筆者の守秘義務」を主張したことには「要請時には前向きなことを言っていたのにだまされた思いだ」と怒りをあらわにし、両副委員長の手を取って「思いは半ばだが、後をよろしくお願いします」と頭を下げた。

 玉寄副委員長は「仲里さんが委員長だったから『県民党』として団結できた。後任の委員長も、あくまで超党派を組める方を前提に各方面と協議したい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806251300_07.html

 

2008年6月25日(水) 朝刊 2面 

07年度不発弾処理781件

 沖縄不発弾等対策協議会(会長・木下誠也沖縄総合事務局次長)が二十四日、沖縄総合事務局であり、二〇〇七年度の不発弾処理件数は七百八十一件、重量は二十五・四トンだったことが報告された。一九七二年からの合計処理件数は三万二十四件、千七百五十七・九トンとなった。

 同協議会は〇八年度事業計画も策定。埋没情報に基づく探査発掘事業は南城市と南風原町で実施する。百平方メートルを超える広域地区探査発掘事業は中南部地区、西原地区など五地区で、市町村が事業主体となって発掘作業をする市町村支援事業は五市三町一村が実施する。全体の経費予算額は四億四千万円。

 同局は〇六年度から〇七年度にかけて、地理情報システム(GIS)を利用した「不発弾等情報地図検索システム」を構築。これまでに不発弾を発見した場所と砲弾の種類、聞き込み調査で得た証言などを管理し、探査している。

 探査を伴わない発見弾の処理費用のうち、二分の一が市町村負担となっている問題については、件数や重量の調査がまとまり次第、内閣府に提出するという。

 協議会には沖縄防衛局や海上保安庁、陸上自衛隊の代表者ら二十人が参加した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806251300_10.html

 

2008年6月25日(水) 夕刊 5面

史実確定へ全国で動き/「集団自決」控訴審開始

 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍の元戦隊長やその遺族が、「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏(73)と発行元の岩波書店に慰謝料や出版の差し止めなどを求めている訴訟の控訴審が25日午後、大阪高裁で始まる。県内外の歴史研究者や被告支援者たちは「高裁で真実を決定づけてほしい」と期待を込めた。

 一審の大阪地裁は元戦隊長が「集団自決」へ関与したことを「十分に推認できる」と認め、元戦隊長らの請求を退けた。

 「沖縄戦の歴史歪曲を許さず平和教育をすすめる会」の山口剛史琉球大学准教授は「私たちとしては、『軍命』の認定に向けて再び努力するだけだ」と決意を語る。「一審同様、反論すべきは丁寧に反論する。それを沖縄から発信していくことが大切であり、県民の声を法廷に届けるのが私たちの役目。油断せず、控訴審もしっかり支援したい」

 教科書執筆者の一人で歴史教育者協議会の石山久男事務局長は「一審で住民の声が丁寧に検証され、事実認定はもうけりがついている。原告は新しい論点を示せないだろう。高裁には歴史の真実をあらためて示してほしい」と期待を寄せた。

 大阪の支援団体「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」の小牧薫事務局長は「一審判決は『集団自決』の体験者の証言や文献を丁寧に受け止めた。支援団体としては、審理の過程で明らかになった『集団自決』の事実と背景を特に若者に広める努力を重ねていきたい」と話した。

 沖縄戦研究で知られる琉球大学の高嶋伸欣名誉教授は「裁判官がまっとうなら、結論はひっくり返りようがない。むしろ高裁が司法の独立を守れるかがポイントであり、法廷審議をチェックしていきたい」という。

 一方で、「原告らが裁判を続けるおかげで、この問題への全国的な関心を維持できる。沖縄の人たちはそのぐらいのたくましさで見守ってもいい」とも語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806251700_02.html

 

2008年6月26日(木) 朝刊 1面

普天間爆音きょう判決/低周波影響が争点

ヘリ墜落苦痛どう判断

 【中部】米軍普天間飛行場の周辺住民三百九十六人が、ヘリコプター部隊を中心とする米軍機の騒音によって健康被害を受けたとして、国に米軍機の夜間・早朝飛行差し止めや四億五千万円余りの損害賠償を求めた普天間爆音訴訟の判決が二十六日午前、那覇地裁沖縄支部(河合芳光裁判長)で言い渡される。騒音とヘリ特有の低周波音による健康被害の因果関係や沖縄国際大学へのヘリ墜落事故が精神的苦痛の増大に影響しているかなどが争点で、司法判断が注目される。

 同飛行場は国内唯一のヘリ基地で在沖米海兵隊の拠点。「世界一危険」といわれる同飛行場の騒音に司法が初めて判断を下す。二〇〇二年十月の提訴から五年八カ月が経過した。

 住民は同飛行場のヘリから発生する騒音がW値(うるささ指数)七五以上の地域で受忍限度を超え違法と訴えた。〇四年には同飛行場に隣接する沖縄国際大学構内に大型輸送ヘリが墜落する事故が発生した。

 原告は違法な騒音を発生させないよう根源から防止するため午後七時から午前七時までの離着陸禁止など飛行の差し止めを求めている。

 しかし、全国の基地騒音訴訟では差し止め請求が棄却され続けていることから、普天間訴訟団は、新たに国へ騒音測定を義務付け、軽減措置を図るよう求めた。

 国は低周波音と騒音が複合した場合の見識が確立されていないとして、健康被害との因果関係を否定。騒音測定義務の請求については、侵害予防効果に直結しないと訴えている。

 周囲に百二十一カ所以上の公共施設があり、約九万人の市民が危険と隣り合わせの生活を余儀なくされている普天間飛行場の騒音に、司法はどのような判断を下すか、注目が集まっている。


こぶしに期待込め

訴訟団が前夜集会


 【宜野湾】判決の言い渡しを翌日に控えた普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団は25日、宜野湾市内で前夜集会を開き、米軍普天間飛行場を離着陸するヘリなどの騒音が違法と認められるよう判決に期待を寄せた。

 原告や弁護団、そのほかの支援団体など約50人が参加。

 訴訟の経緯を振り返った後、全員で「勝利のため頑張ろう」とこぶしを突き上げた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806261300_01.html

 

2008年6月26日(木) 朝刊 27面

父も勝利を期待/桃原元市長の長男・純さん原告継ぐ

 普天間爆音訴訟の地裁判決を二十六日に控え、元宜野湾市長の故・桃原正賢さんから訴訟団の原告を引き継いだ長男の純さん(59)=宜野湾市野嵩、那覇工業高教諭=が二十五日、「父も勝利を期待して待っていると思う。宜野湾市民の生命と安全のため、飛行差し止め、基地撤去まで闘い続ける」と、強い決意を語った。

 桃原正賢さんは普天間飛行場の即時撤去を訴え、一九八五年に第八代宜野湾市長に当選。九七年まで三期十二年務め、同飛行場の全面返還に向け尽力した。市長を勇退後は、原告団に加わり二〇〇二年提訴したが、〇四年六月に肝臓がんで亡くなった。

 純さんは普天間小学校六年の時に、当時の宜野湾村議会を見学。議長として登壇する正賢さんの姿を見て政治に打ち込む父親の熱意に感激したという。市長に当選してからは、「正月も休めないような激務。基地返還と市民の利益のために熱意を持って取り組む姿に感動を覚えた」と、しみじみ振り返った。

 一九九六年、橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が、普天間飛行場の五―七年以内の全面返還を発表した際には、正賢さんは家族に対し、「返還への道筋をつくった」とうれしそうに話したという。市長引退後も、基地問題にかかわる新聞記事のスクラップを欠かさず、米兵による事件や事故を残念がっていた。

 父親の遺志を継ぎながら、「宜野湾市民」としても憤る純さん。二階のベランダから、パイロットの顔が見えるほどの低空を飛ぶ大型ヘリ。「墜落しないかという不安から、騒音が激しいと家を飛び出すこともある」と顔をしかめる。

 純さんは「現実として、米軍機による騒音は『公害』なんです」ときっぱり。仕事で判決の場には立ち会えないが、「勝利」を心して待つという。


基地撤去まで闘う

前夜集会


 【宜野湾】「良識ある判断を」。宜野湾市の「ぎのわんセミナーハウス」で二十五日に開かれた、普天間爆音訴訟団の前夜集会。「抗議の声を上げ続けたい」という女性。事務局として裏方で奮闘した男性。判決前夜、さまざまな思いを胸に、出席した原告や弁護団、支援者ら約五十人はガンバロー三唱で団結し、最後まで闘い抜くことを誓い合った。

 一人で始めた座り込みから判決までの道のりを振り返った島田善次訴訟団長は「爆音漬けの生活を強いているのは誰かはっきりさせてほしい」と司法へ期待を寄せた。

 新垣勉弁護団長は「判決は、長い間爆音にさらされてきた周辺住民にとって大きな一歩となる。ぜひ勝って今後の訴訟のステップにしたい。基地撤去まで闘おう」と呼び掛けた。

 訴訟団事務局次長の仲村渠永昭さん(53)=普天間=は、書類の提出などで何度も裁判所に通ったほか、裁判の経過や日程を告知するチラシを発行するなど、裁判闘争を裏方で支えた。

 仲村渠さんは「飛行差し止めと原告全員の救済が認められれば、これまでの苦労も報われる。静かに暮らしたいという願いは決してぜいたくではないはずだ」と訴えた。

 砂川正子さん(65)=大謝名=は一九九一年に那覇市から引っ越してきた。「国が危険への接近を主張するということは、危険性を国自身が認めているということだ」と国への怒りをあらわにした。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806261300_02.html

 

2008年6月26日(木) 朝刊 1面

原告の証人申請却下/「集団自決」訴訟

 沖縄戦時に座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍部隊の元戦隊長やその遺族が、「沖縄ノート」などの書籍で住民に「集団自決(強制集団死)」を命じたと記され、名誉を傷つけられているとして、著者の大江健三郎氏と発行元の岩波書店に慰謝料や出版の差し止めなどを求めている訴訟の控訴審の第一回口頭弁論が二十五日、大阪高裁であった。元戦隊長側は「命令を断定できないことは日本現代史研究者や文科省にとって明らか」として、現代史家の秦郁彦氏を証人申請したが、小田耕治裁判長は却下した。

 元戦隊長側は、旧日本軍の「集団自決」に対する深い関与を認め、両戦隊長による命令を「十分推認できる」とした一審・大阪地裁判決について、「証拠の評価と事実認定が全く恣意的で、到底容認できない」などと批判。

 判決が正当だとしても、隊長命令に真実性が認められなかった一審判決以降、「沖縄ノート」の増刷は違法と主張した。

 日本兵による住民への手榴弾配布をめぐっても、戦隊長命令を否定する根拠になる話があるほか、日本軍が駐屯していなかった屋嘉比島でも「集団自決」は発生している、とした。

 岩波・大江氏側は、一審判決は隊長命令に合理的な資料や根拠があるとして、出版の適法性を明確に認めていると指摘。

 戦隊長側が指摘する日本兵による住民への手榴弾配布は、米軍の捕虜にならないように渡しており、屋嘉比島で二家族が「集団自決」したことが日本軍の関与否定にはならないと反論した。

 第二回口頭弁論は九月九日午後二時から。原告と被告双方の代理人は、今後の証人申請はないとしており、次回の弁論で結審する可能性もある。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806261300_03.html

 

2008年6月26日(木) 朝刊 2面

米兵犯罪「抑止具体策を」/連合沖縄 県に働き掛けを要請

 連合沖縄の仲村信正会長らは二十五日、県庁に仲里全輝副知事を訪ね、米兵による一連の事件・事故について米軍内部の管理責任を追及するよう求めた。

 仲村会長は「再発防止策といっても何をするか具体的に見えてこない。せめて凶悪犯罪を犯した米兵を沖縄に入れないなど具体的な対策を日米両政府に求めてほしい」と述べた。

 仲里副知事は「事件が起きるたびに、日米両政府に対して強く抗議、要請しているが、なかなからちが明かない。稲嶺県政の時に提示した十一項目の要請について実態と兼ね合わせて議論し、粘り強く日米両政府に訴えていく」とした。

 また、犯罪歴のある米兵については「日本に駐留する米兵の中から除くように県として求めていきたい」との見解を示した。

 そのほか、在沖米軍四軍調整官の解任や日米地位協定の抜本見直しを日米両政府に強く求めるよう要請した。連合は四月に横浜市で開催した地位協定の見直しに向けた全国集会について、毎年実施する方針としている。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806261300_04.html

 

琉球新報 社説

海自艦の初訪中 成熟関係構築は非軍事から 2008年6月26日

 海上自衛隊護衛艦「さざなみ」が24日、自衛隊の艦艇として初めて中国を訪れた。昨年11月に中国海軍のミサイル駆逐艦が初来日したのを受けた日中防衛交流の一環である。

 不毛な軍拡競争に陥らないためにも、防衛交流を通して安全保障分野の相互信頼関係を構築することは意義がある。

 石破茂防衛相は自衛艦の初訪中で、日中関係強化に弾みがつくことに期待感を示した。

 国レベルではそうかもしれない。だが、中国国民の反応は関係強化に程遠いと言わざるを得ない。

 自衛艦の訪中は中国国民の感情を刺激した。中国国内のサイトは「何を口実にしようとも、日本軍が中国の土を踏むことに強烈に反対する」など、自衛艦の入港に猛反発する書き込みであふれた。

 中国国内では今も旧日本軍に対する怒りがあり、反発は十分予想されたことである。自衛艦の訪中は時期尚早ではなかったか。冷静に分析する必要がある。

 「さざなみ」が入港した広東省湛江市の軍港に一般市民は入れず、出迎えたのは地元政府関係者ら数十人だけである。国民感情に配慮した結果とも言えるが、それでも配慮が足りない。

 自衛隊は旧日本軍とは違う、と日本が主張しても「さざなみ」の艦上に翻った旧日本軍の「旭日旗」と同じデザインの海自艦旗は、中国国民にとって「侵略」と「屈辱」のシンボルでしかない。

 一般市民が入れない場所とはいえ、反日世論を再燃させかねず、慎重さを求めたい。

 四川大地震の際、物資輸送支援のために自衛隊機の派遣が可能か、中国政府から打診を受けた日本政府は、中国国内の反発などを理由に派遣を見送った。

 「さざなみ」は要請に基づかない被災者への見舞品として毛布や非常用食料を中国側に渡し、自衛隊による初の支援物資輸送となった。

 人道支援は重要であり、今後とも推進するべきである。そのような地道な活動を継続することで、中国国民の理解も得られよう。

 経済関係では日中とも、互いに欠かせない重要な存在となっている。経済関係の次は、両国政府の協力・協調関係づくりである。

 防衛省は自衛隊と人民解放軍による制服同士の信頼醸成を進めるとともに、早ければ今夏に石破防衛相が訪中して防衛交流を加速させたい意向である。

 だが、その前にクリアすべき課題がある。歴史問題では、中国と日本で認識の違いがある。まずはその溝を埋めることが成熟した日中関係構築の出発点である。

 日中交流は非軍事から始めなければ、両国国民を含めた成熟した友好関係構築は望めない。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133519-storytopic-11.html

 

2008年6月26日(木) 夕刊 1面

普天間爆音に賠償命令/国へ総額1億4000万円

飛行差し止めは認めず/那覇地裁支部判決

 米軍普天間飛行場の周辺住民三百九十二人が、ヘリコプターなどの騒音に伴う健康・生活被害を訴え、国に夜間と早朝の飛行の差し止めと、計四億五千五百四十万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、那覇地裁沖縄支部(河合芳光裁判長)は二十六日、すべての原告が居住するうるささ指数(W値)七五以上の地域住民に生活・睡眠妨害に伴う精神的被害を認め、国に総額一億四千六百七十万円の支払いを命じた。

 河合裁判長は、訴訟係属中の二〇〇四年八月に起きた沖縄国際大学へのヘリ墜落など、施政権返還後に同飛行場所属の軍用機の事故が七十七件発生していると指摘。住民の墜落に対する不安・恐怖感を精神的な被害として認めた。

 国側が主張した「危険への接近」に伴う免責は、本島中部で騒音の影響を受けない地域が限られていることや、沖縄の人の地元回帰意識が強いことを踏まえた上で、「少なくとも返還が合意された九六年以降はやむをえない」と判断。国側の主張を全面的に退けた。

 ヘリ部隊を中心に大型輸送機や戦闘機が飛来する、同飛行場の騒音の違法性が問われた初めての司法判断。

 住民側が最大の争点に位置付けた低周波音による被害は、難聴や耳鳴りといった健康被害との因果関係を否定。

 騒音発生の責任を明確にするため、住民側が求めた国による継続的な騒音測定についても「国は被害防止の措置をとる法的立場にはない」などとして、認めなかった。

 将来分の賠償と飛行の差し止め請求についても退けた。

 慰謝料の認定額は、W値七五が一日当たり百円。W値八〇は同二百円。国の防音工事助成は、「室内で窓を閉め切り生活するのは一定の限度にとどまる」などとして、施工一室で10%の減額とした。

 河合裁判長は、日米安保条約に基づく普天間飛行場の公共・公益性を認める一方、「周辺住民という一部の限られた犠牲の上でのみ、公共的利益の実現が可能なら、そこには看過できない不公平が存する」などと述べた。

 原告側は控訴に向けて検討するとしている。

 防衛省・中江公人大臣官房長 飛行差し止め請求および将来分の損害賠償請求について、国の主張が認められたことは、妥当な判断が示されたものと評価している。しかし、過去分の損害賠償請求の一部が容認されたことについては、裁判所の理解が得られず残念だ。

 外務省沖縄事務所 司法の判断にコメントすることは差し控えたい。政府は米軍飛行場における航空機騒音問題は、周辺地域住民に大変深刻な問題と認識し、従来より普天間はじめ米軍飛行場周辺住民の負担軽減のため、航空機騒音規制措置を米側と合意するなど対応に努めている。


     ◇     ◇     ◇     

知事「騒音減へ努力を」


 仲井真弘多知事は二十六日、判決を受けて文書でコメントを発表した。

 訴訟について「県としても大きな関心を持って見守ってきた」と述べ、騒音被害に苦しむ原告の主張を一部認める判決は、これまで県が主張してきた危険性と騒音被害が示されたと一定の評価を示した。

 日米両政府に「この判決を踏まえ、普天間飛行場の騒音軽減に努力すべきだ」と求めるとともに、県として「引き続き普天間飛行場の早期移設と、移設までの間の危険性除去、騒音の軽減を粘り強く働き掛ける」との見解を示した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806261700_01.html

 

2008年6月26日(木) 夕刊 4・5面

ヘリの恐怖 なお/差し止め否定不満噴出

 【中部】「この判決では30%(の評価)だ」。二十六日午前、那覇地裁沖縄支部で言い渡された普天間爆音訴訟の判決。騒音W値(うるささ指数)七五以上を「違法」とし、原告全員への賠償を命じた。一方で、普天間飛行場周辺の米軍機の飛行差し止めは棄却し、国の騒音軽減義務を認めなかったことに、原告らは「今後大きな問題を残す」と不満をぶちまけ、控訴を検討する方針を示した。

 「普天間初の被害認定」「米軍の爆音断罪」―。判決直後、二種類の垂れ幕を持った島田善次原告団長らが裁判所から駆け出した。騒音による苦痛など一定の被害を認めた司法の判断に、集まった約二十人の原告や支援者からは、拍手がわき起こった。

 一方、同日午後の沖縄市農民研修センターでの会見では原告団と弁護団から厳しい指摘が相次いだ。

 島田原告団長は「(W値七五以上の)被害が認められたが、差し止めが否定されたことは今後、被害をずっと受け続けなければならないということ」と指摘。さらに「個人的には30%(の判決)だ。カネだけ払えばいいという論理は原告として受け入れられない」と課題を強調した。

 新垣勉弁護団長は「国に騒音軽減義務がないとしたのは問題。どういう理屈で免責されるのか理解できない」と批判。「差し止めができなければ被害軽減義務があるというのが当然の法理論として通るものと思っている。大きな課題を背負ったと言わざるを得ない」と指摘した。一方で、低周波被害については「住民共通の被害の要因として認めなかったことは残念」としつつ、「ヘリ固有の問題として低周波被害が存在すると指摘したのは、今後の足掛かりになる」と一定評価した。

 判決の時間を待ちきれず、午前七時半に裁判所を訪れた原告の知花トシ子さん(73)=宜野湾市嘉数=は「慰霊の日の前日に戦争で亡くなった兄弟に全面勝訴するよう祈ってきた。普天間の爆音に苦しめられて四十六年。基地がなくならない限り、私にとって戦後は終わらない」と話した。


手堅い判決評価


 全国公害弁護団連絡会議の中杉喜代司事務局長の話 睡眠妨害や身体的被害など最近国の訴訟で認められた事が、手堅く判決に表れた事は評価できる。新嘉手納爆音訴訟のW値八五以上が違法と判断した判決がより特異だと証明できた。


勇気の出る判断


 新嘉手納爆音訴訟団の仲村清勇団長 W値七五以上を違法と認めたことは、来年春の新嘉手納爆音訴訟の高裁判決に大きな影響を与える。われわれにとって勇気の出る判決だ。ただ飛行差し止めについては司法の限界を感じた。


一歩踏み込んだ


 松井利仁京都大准教授(環境衛生学)の話 睡眠妨害や、騒音で高血圧や頭痛などの身体的被害が生じる危険性が相当高いと認めるなど、これまでの騒音訴訟判決より一歩踏み込んだ判断で、地域類型の区分によって差を設けなかったことも評価できる。低周波音の影響については、うるささ指数算出の基になる騒音計による測定で過小評価される傾向にあり、精神的被害を算定する際、もっと上乗せするよう考慮すべきだったのではないか。


     ◇     ◇     ◇     

「住民被害認められた」伊波市長


 【宜野湾】普天間爆音訴訟の判決を受け、普天間飛行場を抱える宜野湾市の伊波洋一市長は二十六日午後、同市役所で会見し「W七五区域から慰謝料を認定したことは、普天間飛行場が多くの市民の生活に直接的に被害を与え続けたことを認定するものだ」と評価した。

 一方で、将来分の損害賠償と、夜間から早朝までの米軍機の飛行差し止め要求が却下されたことに「他の爆音訴訟判決を踏襲するもで、却下は残念だ」と厳しい表情を見せた。

 同飛行場の設置や管理についての瑕疵が認められ、住民の「危険性への接近」が否定されたことに「住民の被害が司法の場で認められた」と述べながらも、低周波音による健康被害や騒音の測定請求が認められなかったことには「住宅地上空を飛行するという点で(測定義務について)国に未然防止策を求めるべきだ」と訴えた。


評価・不満 反応は複雑


 「世界一危険」といわれる米軍普天間飛行場の爆音訴訟の判決に、移設先の名護市や県外で同様の訴訟を提起した関係者らは、評価と不満の複雑な反応を見せた。

 名護市のキャンプ・シュワブに隣接する辺野古区に住む島袋権勇市議会議長は「国民は騒音に苦しまずに生活する権利があり、賠償を認めたのは当然」とし、その上で「移設受け入れ側としては、夜間や住宅地上空の飛行禁止を求めて基地使用協定の締結を働き掛けていく」と強調した。

 一方、移設に反対する平和市民連絡会の当山栄事務局長は「『危険への接近』を退けたことは有意義だが、飛行差し止めが認められなかったのは残念。基地を持ってきたら同じような騒音被害を受ける。基地撤去しか被害をなくすことはできない」と話した。

 神奈川県の厚木爆音訴訟原告団副団長の金子豊貴男・相模原市議は「事故の影響にも踏み込んだ点は評価できるが、その他は後退もないが前進もない。司法はこの手の損害賠償訴訟での逃げ方を固定化してきており、打破する方法を考えていきたい」と話した。

 石川県の第五次小松基地爆音訴訟連絡会事務局の長田孝志さんは、「W値七五以上地域の賠償請求権の認定、『危険への接近』の免責否定で、一定のラインが引かれた」と評価。一方で、低周波による健康被害や飛行差し止めの棄却に、「全国基地訴訟連絡会で、普天間の訴訟団とも情報交換し、声を上げていきたい」と訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806261700_02.html

 

2008年6月27日(金) 朝刊 1面 

米と協議再開方針/普天間移設

町村氏、危険性除去向け

 【東京】町村信孝官房長官は二十六日の普天間爆音訴訟判決を受け、同飛行場の危険性除去に向けた米側との協議を再開する考えを初めて示した。同長官は四月の普天間飛行場の移設協議会で、政府が危険性除去策の取り組みを再検討する方針を示していたが、「移設するまでの間、米側と交渉するなど努力したい」とさらに踏み込んだ発言で、県側の要望に応じる姿勢を示した。同日午後の会見で述べた。

 二〇〇四年、沖縄国際大学へのヘリ墜落事故を受け、日米両政府は昨年八月までに、民間地域への墜落事故を防ぐための航空機の場周経路設定など、危険性除去策をまとめていたが、今回の発言は官房長官自身が従来の対応が万全ではないと認めた格好だ。

 また、同長官は「普天間飛行場が危険な状態だからこそ、北部への早期移設が重要。だが一、二年で移設が完了するわけではない」との認識を示し、危険性除去を求め続ける仲井真弘多知事の要望にも言及。「政府も誠実に受け止め、米側と交渉するなど、できるだけ県民の負担を軽減できるよう努力したい」と述べた。

 ただ、日米間の具体的な交渉の在り方については「普天間協議会の場でよく議論しながら、地元の期待に応えられるよう努力したい」とし、明言を避けた。また、「特にこの対策で米側とこういう交渉をしているといったような状態にはない」と現状を説明した。

 普天間飛行場の爆音訴訟判決の結果について、沖縄防衛局の真部朗局長は同日午後の定例懇談会で、「控訴するかどうかも含め、判決内容を熟読し、国の関係機関と調整した上で、対処を考えたい」と述べるにとどまった。


     ◇     ◇     ◇     

基地撤去へ控訴の覚悟/普天間爆音訴訟原告団


 普天間爆音訴訟の判決が言い渡されたことを受け、同原告団は二十六日午後、沖縄市農民研修センターで原告説明会を開いた。島田善次団長は、米軍機の飛行差し止めが棄却されたことに不満を示した上で、「国より先に、われわれが控訴すべきだ」と集まった原告や支援者約二十人に呼び掛け、原告団の結束と今後の運動拡大を確認した。原告は近く控訴する方針。

 説明会では「判決の30%しか評価できない」と厳しい表情を見せる島田団長の姿に、他の原告も同調。会場では「身体的被害を認めたことは一歩踏み込んでいるがリップサービスにすぎない」「W値75以上が認められた今回の判決を前提に、運動を拡大すべきだ」などの声が上がった。

 原告の石川吉子さん(72)=宜野湾市愛知=は「国と闘う私たちの思いをどれだけの国民が知っているのか疑問もある。裁判で沖縄の現状を全国に伝えるとともに、最大の目的である飛行差し止めに向け、普天間飛行場撤去が現実になるまで戦いたい」と語気を強めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806271300_01.html

 

2008年6月27日(金) 朝刊 2面

米、「日本に責任」主張/米軍機訴訟賠償金分担

 【東京】「嘉手納爆音訴訟」など、確定している過去八件の米軍機騒音訴訟の損害賠償をめぐり、米国政府が分担金の支払いに応じていない理由として、「(騒音被害を引き起こす)瑕疵のある施設を(米軍に)提供している日本側に責任がある」と反論し、日本側の支払い請求に応じていないことが二十六日、関係者の話で分かった。損害賠償の一部を容認した同日の「普天間爆音訴訟」判決が、今後確定した場合でも米側が同様の主張を繰り返し、分担金支払いに応じない可能性が高い。

 日米地位協定(一八条五項)では、公務中の米軍による損害の賠償について「合衆国のみが責任を有する場合、裁判により決定された額は、その25%を日本国がその75%を合衆国が分担する」と規定している。

 確定している八件の訴訟の損害賠償額は総額百二十二億円に上り、これまで、日本側が全額を支払った後、米側に75%の負担分を請求している。しかし、交渉が難航し、米側が支払いを免れている状況が続いている。

 「普天間爆音訴訟」弁護団の新垣勉団長は判決後の記者会見で、「米国に請求したが拒絶され、そのまま宙に浮いた状態が続いているという非常に残念な状況がある。問題は非常に深刻だ」と指摘。その上で「日米両政府が共同の加害者であり、それぞれの責任を背負ってその血税で賄うべきだ」と訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806271300_02.html

 

沖縄タイムス 社説(2008年6月27日朝刊)

[普天間爆音訴訟]

事態の改善促す判決だ

 一九九六年三月六日、日米両政府の高官が米軍ヘリ三機に分乗し、空から普天間飛行場を視察した。日米両政府が普天間飛行場の危険性や住民負担を認め、返還を発表したのはその一カ月後である。

 返還合意から十二年。一向に改善されない現実を司法はどう判断したのだろうか。

 普天間爆音訴訟の判決で那覇地裁沖縄支部は、「うるささ指数(W値)」七五以上の地域に住む原告について、睡眠妨害などの身体的、精神的苦痛を受けていることを認め、国に約一億四千六百万円の賠償を命じた。

 米軍のヘリ騒音に対し、W値七五以上の違法性が初めて認められた意義は決して小さくない。

 判決は「消音装置の設置や運航対策も現実的な効果が十分とは認められない」と指摘。沖縄国際大学構内へのヘリ墜落事故にも触れ、「墜落の不安や恐怖で精神的被害を著しく増大させている」と指弾している。

 周辺住民の悲痛な叫びを一部くみ取った判決であることは間違いない。国側が主張した「危険への接近」を退けたことも、沖縄の事情を踏まえた妥当な判断だといえる。

 ただ、判決の全体は、決して満足できるものではない。

 深夜・早朝の飛行差し止めについて判決は「第三者行為論」を採用し、原告の要求を退けた。政府は米軍の活動を制限できる立場にないという理屈である。これまでの爆音訴訟の流れに沿ったものだ。逆に言えば、今回も、そこから一歩も踏み出すことができなかったのである。

 裁判の中で原告は、騒音測定を義務付けることを国に求めた。

 実効性のある騒音対策を進めるには、その前提として、きちんとした騒音測定が必要なのは言うまでもない。騒音測定の義務化を盛り込んだことは、普天間爆音訴訟の大きな特徴でもあった。

 だが、判決は、請求の理由がない、とこれを退けている。その理由がとても分かりづらい。W値七五以上の違法性を認めながら、騒音測定の義務付けを認めないというのは、そもそも矛盾した判断ではないのか。

 ヘリ特有の低周波音による健康被害については、不快感などの精神的苦痛を受けている者が多数いることを事実上認めた。

 ただ、住民全体に共通する被害要因としては認めていない。精神的被害をどう算定するか、大きな課題を残したといえる。

 仲井真弘多知事が判決前に語った言葉は問題の核心を突いている。産業プラントに例えて知事は「普通なら問題があると分かれば止めるか、運転レベルを落とす」と指摘した。実際はどうか。

 国は二〇〇七年八月、米軍と協議し、住宅密集地をなるべく通らない新たな飛行ルート案を決めたが、「ほとんど守られていない」(宜野湾市の担当者)という。

 危険性の除去という切実な課題は手つかずの状態だ。政府は判決を真摯に受け止め、「騒音対策」や「危険性の除去」にこれまで以上に力を入れなければならない。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080627.html#no_1

 

琉球新報 社説

普天間爆音判決 「静かな日々」戻らず/安心できる環境改善望む 2008年6月27日

 安心して暮らせる、静かな日々を求める訴訟は、最大争点の深夜や早朝の飛行差し止め請求が棄却された。これまでの騒音訴訟と同様、国の支配が及ばない「第三者行為論」を理由に退け、「危険の除去」を求めた住民の願いはかなわなかった。

 宜野湾市の中心部にあり、住宅地と隣接する米軍普天間飛行場は、2003年に当時の国防長官、ラムズフェルド氏すら危険性を指摘した沖縄の過重な基地負担の象徴だ。提訴から5年8カ月の歳月は、訴訟を起こした住民約400人のみならず、爆音下に暮らすそのほかの宜野湾市民や、同飛行場への進入路延長線上にある浦添、沖縄、北谷各市町の住民にとっても長すぎる日々だったに違いない。

守られない場周経路

 一方、騒音に対する我慢の限度を超えているとして、うるささ指数(WECPNL、W値)75以上に対しては、過去分で総額約1億4000万円の損害賠償を国に命じた。市街地に立地する普天間飛行場の騒音を裁判所として初めて違法と認めたことは、評価できる。

 04年の沖縄国際大へのヘリコプター墜落事故を契機に、国は飛行ルートについて住宅密集地をなるべく通らないよう米側と合意した。しかし、場周経路は守られず、

市全域を米軍機が飛ぶ現実が続く。

 判決では「消音装置の設置や運航対策も現実的な効果が十分とは認められない」と指摘し、一層の対策を求める。静かな生活を求める住民に対し、より現実的な効果をもたらす対策は重要だ。

 現行の爆音被害の基準はW値のみだ。その指数についても、これまで訴える側が測定し、証明してきた。訴訟では、騒音測定を国に義務付けるよう求めたが、司法は騒音測定の義務化は命じなかった。

 W値については、新嘉手納爆音訴訟で75、80が被害認定から外された。騒音測定で国と県の違いが明らかになり、より多角的で正確な騒音調査の必要性が求められる。

 被害認定で、焦点となっていたヘリコプター特有の低周波音被害については認めなかった。「低周波音によりイライラ感、不快感の精神的苦痛を受けている者が多数いると推認できる」としながらも「原告全員が最低限等しくこのような精神的苦痛を受けていると認めることまではできない」とした。

 07年6月に裁判所が行った現場検証で測定された低周波音は、環境省の参照値を超える数値が測定された。低周波音は、人間の耳には聞こえにくいが、音を感じなくても頭痛や吐き気、耳鳴りでイライラや不眠など人体に影響を与えるとされる。

 環境省の「低周波音への苦情のための参照値」によると、心身に苦痛をもたらす低周波音レベルは92デシベル。現場検証では、調査地点4カ所のうち、3カ所で92デシベルを超え、最大では97・5デシベルだった。

低周波音被害明確に

 現場検証を踏まえ、司法は低周波音について精神的苦痛を受けている住民が「多数いると推認できる」として、その問題点を認めたことは一歩前進だ。科学的に被害を明確にする契機にしたい。

 狭い県土の上、基地があるため居住区域は限られている。国が主張した「危険への接近」法理について司法は「沖縄本島において居住地を選択する幅が限られている事情があり、普天間飛行場周辺の歴史的事情が地元回帰意識を強いものとしている」として退けた。「転居の理由、周辺に存在していることによって得られる利益を期待しているとはいえない」とする司法の判断は、当を得ている。

 「普天間飛行場の設置または管理に瑕疵(かし)がある」として爆音による精神的被害を認めた判決だが、原告団は「飛行差し止めがされなかったことは、被害をずっと受けるということ。差し止めをせず、単に金を払えばいいという考えは原告団として受け入れられない」と控訴を検討する。

 精神的苦痛を認めた判決は、一定の評価ができる。が、住民が耐えてきた最低限の要求が認められたにすぎない。日米両政府が普天間飛行場の返還に合意して12年。移設先の滑走路建設位置をめぐり、政府と県が対立し、14年の移設完了は厳しい。ヘリ墜落事故への不安は一向に解消されない中、返還が先延ばしになれば、住民の安全な暮らしは遠のくばかりだ。この現実を日米両政府はしっかり受け止めてもらいたい。安心できる環境改善に向け、日米の協議を望む。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133549-storytopic-11.html

 

2008年6月27日(金) 夕刊 6面

沖合移動案に難色/西銘議員にヒル米部長

 【東京】訪米中の西銘恒三郎衆院議員(自民)は現地時間の二十六日午後(日本時間二十七日未明)、米国防総省でジョン・ヒル東アジア担当筆頭部長らと面談し、米軍普天間飛行場の移設問題などで意見を交換した。

 西銘氏は面談で、米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部移設をめぐり、仲井真弘多知事が代替施設案(V字案)の沖合移動を求めていることなどを伝えた。

 西銘氏によると、ヒル部長は「日米両政府で合意したものを動かそうとすると、さまざまな問題が出てきかねない」と述べ、合意案の修正に難色を示したという

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806271700_06.html

 

2008年6月28日(土) 朝刊 2面

県「最も沖合」案推進/那覇空港滑走路

2本間隔1310メートル以上

 那覇空港拡張整備促進連盟(会長・知念榮治県経営者協会長)の二〇〇八年度総会が二十七日、那覇市内のホテルで開かれた。県の上原良幸企画部長は、那覇空港の滑走路増設について「(現在の滑走路から沖合に)千三百十メートル以上を確保したい、というスタンスだ」と述べ、那覇空港の将来の方策を検討する総合調査ステップ3で示された三案のうち、最も沖合に建設する案を推進する考えを明言した。

 国際民間航空機関(ICAO)は、二本の平行滑走路を持つ空港が同時離陸・同時着陸の独立した飛行管制をする場合、滑走路の間隔を一千三百十メートル以上開ける「オープンパラレル」にすることを義務付けている。上原部長の発言は、オープンパラレル滑走路の必要性を念頭に置いたものだ。

 仲里全輝副知事も「国には、『なるべく経費が安い案で』という意見もあるようだが、二十年、三十年、百年先を見据えた空港の在り方が求められる」と述べた。

 知念会長は、滑走路増設が調査段階から具体案の絞り込みを目指す構想・施設計画段階に移ったことを「私どもの活動の大きな成果だ」と評価。〇八年度の活動では「シンポジウムやPRで県民の意識と機運を高め、国への要請も積極的に行いたい」と意欲を示した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806281300_01.html

 

2008年6月28日(土) 朝刊 27面

「政府は米国意識」/米兵事件抗議

実行委、回答を批判

 「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」実行委員会(玉寄哲永委員長)は二十七日、県選出の野党国会議員が連名で提出した質問主意書への政府回答についての報告会見を県庁で開いた。

 質問主意書は、衆院の照屋寛徳(社民)、赤嶺政賢(共産)、下地幹郎(無所属)、参院の山内徳信(社民)、喜納昌吉(民主)、糸数慶子(無所属)の六氏が今月、連名で提出。三月の県民大会で決議された「日米地位協定の抜本改正」などについて、「実行委が求めた政府からの回がない」などとただした。

 これに対し、政府は「運用改善で機敏に対応していく」との従来見解を閣議決定して回答した。

 玉寄委員長は「回答の内容は相変わらず。県民ではなく米国を向いて仕事をしていることがあらためてはっきりした」と政府を批判。一方で「野党議員の共闘により、これまでは『伝えて終わり』だった要請行動で、政府からきちんと回答を得ることができた」と笑顔も見せた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806281300_04.html

 

2008年6月29日(日) 朝刊 2面

「集団自決」継承に危機感/東京でシンポ

 【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」訴訟やNHK番組改変訴訟を通し、メディアと権力の問題点を考えるシンポジウム(主催・日本ペンクラブ女性作家委員会など)が28日、都内であった。女性史家の宮城晴美さんや関東学院大の林博史教授(現代史)らが表現の在り方などについて意見交換した。

 宮城さんは「『集団自決』や慰安婦の問題も、私たちが映像や活字できちんと伝えていかないと十年後はどうなるのか」と危機感を訴え、若い世代への継承の重要性を指摘した。

 研究分野の現状について林教授は「問題意識を持って膨大な資料を調べる人がいない。学会でも取り上げられず、専任教員のポストもない。後継者が育っていない」とし、教育現場でも将来的な不安があるとの認識を示した。

 宮城さんは「『集団自決』に大きな影響を与えたと思う家父長制度の論理は、皇民化教育の中で育ったのか」と林教授に質問。林教授は「中等教育を受けた十代の女性層の意識は皇民化教育と言っていい。しかし『集団自決』を受け入れる心情は階層、年代、教育歴などによって異なり、丁寧に検証すべきだ」とした。

 「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの西野瑠美子共同代表も、権力の圧力と自己規制について意見を述べ、放送現場の「表現の自由」と「市民の知る権利」が侵害されたと訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806291300_04.html

 

2008年6月30日(月) 朝刊 19面

ヘリパッド移設阻止誓う/東村高江区 座り込み1年

 【東】北部訓練場の一部返還に伴うヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設工事に反対する東村高江区の住民らによる「座り込み一周年報告会」(主催・ヘリパッドいらない住民の会)が二十九日、村農民研修施設で開かれた。村内外から約三百五十人(主催者発表)が集まり、阻止行動の継続と支援を誓った。座り込みを始めて七月二日で一年となるのを前に行われた。

 同会の安次嶺現達共同代表は「わずか百六十人の集落をヘリパッドが取り囲むと、高江が消えてしまう。私たちが今必要としているのは人。皆さんと力を合わせたい」と呼び掛けた。座り込み参加者らによるリレートークでは「高江の心を伝えきれずに沖縄の心は伝えきれない」「子どもたちにヘリが飛び交う森を残したくない」などの意見が相次いだ。会では、座り込み参加者が延べ人数で七千人を超えたこと、ヘリパッドの建設即時中止を求める署名が約二万四千人分集まったことも報告された。

 沖縄防衛局は、三―六月は希少鳥類の繁殖期に当たるとし、工事を中断しており、七月に再開する見通し。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806301300_01.html

 

2008年6月30日(月) 朝刊 19面

基地・検定問題 県民の協力訴え/宜野湾で6・29連帯の集い

 新基地建設反対や教科書検定意見撤回を求める「6・29連帯の集い」(主催・同実行委員会)が二十九日、宜野湾市内で開かれ、基地移設先の住民や、「集団自決(強制集団死)」体験者が登壇し、思いを語った。

 七月にヘリパッド移設工事の再開が予定される東村高江区の住民は「区民で賛成者はいないが、同じ反対でも、手法や考え方で温度差があり、公に話すのが難しくなった」と、小さな集落の複雑な住民感情を吐露した。一方で、集落から最短四百メートル、周辺六カ所にヘリパッドが移設されることを挙げ、「辺野古の新基地と連動して使用されれば、住めなくなってしまう。どうすればいいか本当に困っている」と訴えた。

 北谷町砂辺区の松田正二区長は、「基地外住宅」について、砂辺区民九百七十七世帯に対し、米軍関係者は新築分を含め千世帯を超える可能性もあると説明。「子どもたちに負の遺産を残してはいけない。区民が怒り、声を上げたことで、国会でも取り上げられている。今後も県民の力を貸してほしい」と要望した。

 また「集団自決」体験者の與儀九英さん(79)が「体験者が語ることこそが事実。そこから本質を見なければならない」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806301300_02.html

 

2008年6月30日(月) 朝刊 18面

島田元知事の顕彰碑を建立/母校が創立100周年で

 戦時下最後の沖縄県知事、故・島田叡さんの母校旧制神戸二中(現・県立兵庫高校)創立百周年事業で建てられた「島田叡氏顕彰碑」の除幕式が二十八日、糸満市の平和祈念公園内で行われた。兵庫、沖縄両県の関係者約八十人が出席した。顕彰碑は戦没県職員を祭った島守の塔前に建立。同校同窓会有志が中心となり、実現した。

 兵庫沖縄友愛運動県民の会も寄付金集めなどに協力した。

 除幕式で仲井真弘多県知事(仲里全輝副知事代読)は「両県民の平和への思いが一つであることを再確認できて、感慨深い」とあいさつ。兵庫県の齋藤富雄副知事は「戦争を知らない世代が増えている中で、意義深い。島田元知事の功績を美化するのではなく、世界平和を一緒に考える機会にしたい」と述べた。

 同窓生で発起人代表の富田和雄さんは、戦時下で食糧確保や住民の疎開に尽力した島田さんの功績を紹介した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806301300_07.html

 

2008年6月30日(月) 夕刊 1面

500人が追悼 平和の鐘響く/宮森小 米軍ジェット機墜落から49年

 【うるま】児童十一人を含む計十七人が犠牲になった旧石川市立宮森小学校の米軍ジェット機墜落事故から四十九年目の六月三十日午前、犠牲者のみ霊を慰める追悼集会がうるま市石川の同校で開かれ、同校の児童や関係者ら約五百人が参加した。

 参加者は、事故で亡くなった十一人の児童をまつる「仲よし地蔵」の前に花と千羽鶴を手向けて、手を合わせた。

 事故の再発防止と世界平和を願う平和の鐘を鳴らした後、静かに黙とう。六年生が「平和な沖縄をつくり、平和の心を磨きたい」と誓いを立てた。

 米軍ジェット機の墜落事故は、一九五九年六月三十日午前十時半ごろ、児童が給食のミルクを飲もうと準備している最中に発生した。

 宮森小学校の卒業生で、二年生の時に墜落事故を体験した平良嘉男校長(56)は「今でも世界では戦争で多くの人が亡くなっている。戦争のない、平和をつくる人になってほしい」と全児童に呼び掛けた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806301700_07.html

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