県議会、V字案反対へ/多数野党が決議確認 北部救急ヘリ支援困難/県議会一般質問 普天間訴訟団が控訴 防衛省、対潜水艦施設を断念/本部町内 国・県、研究班設置へ/普天間危険除去 知事「南西方向」要望へ/普天間代替、沖合移動で具体案 など 沖縄タイムス関連記事・社説、琉球新報 社説(7月9日から12日)

2008年7月9日(水) 朝刊 1面

県議会、V字案反対へ/多数野党が決議確認

県・政府協議に影響か/与党は難色示す

 県議会(高嶺善伸議長)の野党会派は八日、県議会内で代表者会議を開き、米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設反対の決議案を開会中の六月定例会に提出することを確認した。県議会で、日米両政府が合意したV字形滑走路案に反対する決議は初めて。政府は今月中に代替施設の建設計画などを話し合う協議会の第九回会合を開く方針を固めているが、県議会の反対決議は、移設をめぐる県と政府の協議にも影響を与えそうだ。

 野党は、県議選の争点の一つになった後期高齢者医療制度の廃止を求める決議・意見書提出についても合意した。

 移設問題は、十六日に予定される米軍基地関係の特別委員会、後期高齢者医療制度は十一日からの文教厚生委員会(赤嶺昇委員長)でそれぞれ協議される。

 県議会は、六月八日の県議選で、社民、共産、民主、社大、そうぞうの野党が二十六議席を獲得し、二十二議席の与党を逆転した。普天間飛行場のキャンプ・シュワブ移設反対、医療制度廃止を求める会派が多数を占めており、いずれの決議・意見書も可決される見通しだ。

 社民・護憲ネットの新里米吉代表は「野党は一致して、採決も辞さない方針を固めた。最終的な調整は各委員会で行われる」と述べた。一方、自民、公明県民会議の与党は「与党としては賛成できない。慎重で冷静な協議が必要だ」と難色を示している。

 普天間移設問題について仲井真弘多知事は、六月定例会で、「政府が地元の意向に十分配慮することで、移設が円滑に進むと考えている」と答弁し、沖合への移動を前提に移設を容認する姿勢を示している。

 県議会の反対決議が可決されれば、地元の意向を重視するとしている仲井真知事が苦境に追い込まれることは必至だ。


コメントできない


 野党会派が移設反対決議案を今議会に提出すると確認したことに対し、仲井真弘多知事は八日の六月定例会一般質問終了後、「まだ知らないし、県議会がどういうふうにやるかも分からない。残念ながら今はまったくコメントできない」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807091300_01.html

 

2008年7月9日(水) 朝刊 2面

北部救急ヘリ支援困難/県議会一般質問

 資金難で北部地区医師会病院から特定非営利活動法人(NPO法人)に運営が引き継がれた救急ヘリ事業への公的支援について、県福祉保健部の伊波輝美部長は八日の県議会(高嶺善伸議長)六月定例会の一般質問で、県独自の財政支援は困難との認識を初めて明言した。前田政明氏(共産)への答弁。国の補助要件を満たしていないことを理由に挙げている。

 伊波部長は「救急医療用ヘリコプターの導入に対する国の補助は各都道府県とも一機分で、救命救急センターで運航することが要件になっている」と説明。

 米軍普天間飛行場の移設に伴う環境影響評価(アセスメント)の騒音測定について知念健次文化環境部長は、県と沖縄防衛局の測定方法が異なることに言及し、「県の測定結果も考慮する必要があると考えている」との認識を示した。

 うるま市のホワイトビーチへの米海軍原子力潜水艦の寄港回数が今年二十三回に達し、過去最多となった前年の二十四回に迫っていることについて仲井真弘多知事は「政府の方針に基づき寄港を容認するが、例年と比べ頻度が増加している」と懸念し、安全確保を求める姿勢を示した。いずれも照屋大河氏(社民・護憲ネット)への答弁。

 県警が復帰後から二〇〇七年十二月までに検挙した米兵による事件は五千五百十四件で、殺人や強盗などの凶悪犯は五百五十二件となった。上原昭知事公室長が、渡久地修氏(共産)に答弁した。

 県立図書館の八重山、宮古両分館を本年度末で廃止する方針について仲村守和教育長は「(施設の老朽化などで)維持・運営が大変厳しい。総合的に判断した」と説明し、理解を求めた。今月下旬に担当職員を派遣し、関係者と意見交換する考えを示した。前田政明(共産)、比嘉京子(社大・ニライ)両氏への答弁。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807091300_06.html

 

2008年7月9日(水) 朝刊 29面

普天間訴訟団が控訴/飛行差し止め目標

 【沖縄】米軍普天間飛行場を離着陸するヘリコプターなどの騒音によって健康被害を受けたとして、周辺住民三百九十二人が国に夜間・早朝の飛行差し止めと損害賠償を求めた普天間爆音訴訟で、原告は八日、飛行差し止めなどを棄却した一審判決を不服として福岡高裁那覇支部に控訴した。

 控訴状を提出した新垣勉弁護団長は「静かな夜を取り戻したいというのが訴えの中心なので、飛行差し止めが実現するまで努力する」と強い口調で語った。

 高裁ではあらためて同飛行場の実情を訴えることで、差し止めのほか、国に騒音の軽減措置や測定義務、同様の訴訟と変わらない損害賠償の引き上げなどを求める。六月二十六日の一審判決は結審日までの慰謝料として、原告全員に総額一億四千六百万円を支払うよう国に命じたが、夜間・早朝の差し止めや国による騒音測定義務は棄却した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807091300_07.html

 

2008年7月9日(水) 夕刊 5面

普天間 爆音訴訟/国側も控訴

 米軍普天間飛行場の周辺住民が、夜間・早朝の飛行の差し止めと損害賠償などを国に求めている訴訟で、被告の国側は九日、総額一億四千六百万円の支払いを命じた一審・那覇地裁沖縄支部判決を不服として、福岡高裁那覇支部に控訴した。原告の住民側も八日に控訴している。

 六月二十六日の一審判決は、うるささ指数(W値)七五以上の地域に居住する全原告に、生活・睡眠妨害に伴う精神的な被害を認めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807091700_05.html

 

2008年7月10日(木) 朝刊 1面

防衛省、対潜水艦施設を断念/本部町内

建設地取得できず

 【東京】防衛省は九日までに、本部町豊原区に建設を計画していた対潜水艦作戦センター(ASWOC)用送信所計画の中止を決めた。沖縄防衛局が同日、県に本部町での建設中止を伝えた。

 同施設は、建設用地の一部地権者が賃貸借契約に応じず、建設のめどが立っていなかった。現在は那覇基地内の同センターで応急的に代用しているが、同省は必要不可欠な施設として「代替地をできるだけ早く選定したい」との意向だ。

 送信所用地については本部町も、アセロラ生産拠点施設や観光農園で利用したい―と要請していた。同省は「省内で検討した結果、町の振興計画にも配慮して建設を中止することにした」と説明している。

 同事業は米軍の旧本部飛行場跡地に、海上自衛隊のP3C対潜哨戒機に解析データを送信する施設を建てる計画。同省は一九八八年度に用地取得を開始。約三十万平方メートルのうち地権者百十七人と賃貸借契約を結び、国有地約十万平方メートルと合わせて約二十九万平方メートルの用地を確保した。しかし十三人とは未契約で、すべての用地取得ができず建設に踏み切れていなかった。

 賃貸借契約は二十年で、二〇〇八年度末に契約満了となる。〇九年度以降は契約を更新しない方針。今後、計画中止を地権者らに説明する。これまでに支払った賃貸借料は約九億円。


本部町長は歓迎


 高良文雄本部町長は「待ち望んでいたことで、とてもうれしい。町にとって、今後の農業やウエルネス事業を進める上では大変重要で、必要不可欠な地域だ。地主の皆さんときめ細かく相談し、ご理解をいただき、振興計画のために活用させてもらいたい」と歓迎した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807101300_01.html

 

2008年7月10日(木) 朝刊 2面

北部救急ヘリ 支援検討/県議会一般質問

 資金難で病院からNPO法人が運営を引き継いだ北部地区の救命救急ヘリコプター事業に対する公的支援について、仲井真弘多県知事は九日の県議会(高嶺善伸議長)六月定例会の一般質問で、「前向きに検討したい」と意欲を示した。一方で、「まず国の補助制度に基づくドクターヘリ事業の運航実績を見たい」と慎重な姿勢も強調した。

 県は、浦添総合病院を救命救急センターとしたドクターヘリ事業の導入を進めている。仲井真知事は「浦添総合病院は読谷村に駐機場があり、北部地域も一通りカバーできるとみている」としつつ、「北部や離島地域を(ヘリ一機で)カバーするのは常識的には難しいだろう」との見方も示した。平良昭一氏(改革の会)の質問に答えた。

 護得久友子農林水産部長は、地産地消推進のため、県産食材を取り扱う飲食店を「地産地消協力店・沖縄食材の店」として登録し、消費者にPRする事業を本年度から実施する考えを明らかにした。當間盛夫氏(改革の会)への答弁。

 仲田秀光観光商工部長は、国内外の宇宙工学、科学などの研究者や技術者による国際会議「宇宙技術および科学の国際シンポジウム」について、「二〇一一年開催を念頭に誘致に努める」と述べ、県内開催を推進する考えを示した。照屋守之氏(自民)への答弁。

 本部港の耐震強化岸壁整備について仲井真知事は「〇八年度に詳細設計、埋め立て申請を行い、〇九年度から岸壁工事に着手する。一三年度完成の予定」と述べた。平良氏に答えた。

 上原良幸企画部長は、〇九年度で期限が切れる北部振興事業の継続について「現時点で判断するのは困難だ」と述べた。吉田勝廣氏(無所属)への答弁。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807101300_04.html

 

2008年7月10日(木) 朝刊 23面

「星条旗」復刻版を発刊/琉米研確認 榕樹書林が企画

 沖縄戦時にハワイ・ホノルルで発刊された米軍の準機関紙「星条旗(スターズ・アンド・ストライプス)」(太平洋版)の第一―二百二十二号(一九四五年五月―四六年一月)がこのほど復刻発刊されることになった。復刻を企画した出版社・榕樹書林の武石和実さんは「東条英機が自殺未遂をした場所の写真など、貴重な写真もある。復刻を機に多くの発見がなされればうれしい」と話している。

 復刻版はA3判、計約千八百ページで全六冊。米軍側から見た沖縄戦をはじめとする当時の太平洋の戦況などが把握できる。

 同紙は米国の南北戦争の際、北軍兵士のために創刊された新聞。以降、断続的にヨーロッパ各地で発刊された後、四五年五月十四日にハワイ・ホノルルで「太平洋版」が創刊され、四六年一月三十日まで続いた。

 ホノルルでの廃刊後は、東京で発刊され現在に至る。東京の同紙本社にもホノルル発刊の紙面が残っていなかったが、琉米歴史研究会(喜舎場静夫理事長)が九年前に同紙面を米国内で見つけ、復刻発刊されることになった。

 解説を担当した吉田健正桜美林大学元教授(沖縄現代史研究)は「米軍側から見た太平洋戦争の戦略や各地の戦闘状況がよく分かる」と話している。

 同書籍は全六冊セット(十八万九千円)。問い合わせは榕樹書林、電話098(893)4076。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807101300_05.html

 

2008年7月10日(木) 朝刊 23面

宜野湾で地デジ障害を調査/基地との因果分析

 【宜野湾】米軍普天間飛行場の米軍機の飛行の影響で、地上デジタル放送に受信障害が発生していると宜野湾市に苦情が相次いでいる問題で、沖縄総合通信事務所が市内の障害状況調査を始めていたことが九日、分かった。

 米軍機と受信障害の因果関係の有無を明らかにするため、継続的に調査を行う。

 苦情は同市内十地域と浦添市、西原町、中城村から合わせて計二十六件。「ヘリが飛ぶと地デジ放送が途切れる」など、アンテナ付近の空中で物体が動くと信号が遮られる「フラッター現象」が起きているといった苦情が寄せられたため、同市が国へ対策を求めていた。

 同事務所は今月三日に一回目の調査を実施。車に地デジの受信が可能なアンテナ、テレビを設置し、市内数カ所を移動して受信状況を調べた。

 調査当日は米軍機の飛行が少なかったため、受信障害のデータは得られなかった。障害状況の把握と米軍機飛行の因果関係を調べるため、市と米軍の飛行訓練の状況を共有し、継続的な調査を続ける。

 同事務所の担当課は「障害が見つかれば、放置することなくできる範囲の限りで対応する」とし、障害の原因が米軍機の飛行と特定された場合には沖縄防衛局など国の関係省庁に事実報告を行うという。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807101300_06.html

 

2008年7月10日(木) 夕刊 5面

「糸洲の壕」活用模索/積徳高女・看護学徒隊同窓会

 【糸満】「決して死んではいけない。悲惨な戦争のことを後世に語り継いでくれ」。沖縄戦当時、私立積徳高等女学校の看護学徒隊に「必ず生きろ」との言葉を残し自決した軍医の遺志を継ぐため、同校の「ふじ同窓会」は軍医が最期を遂げた「糸洲の壕」(糸満市伊敷)の保存と活用を模索している。軍医の故郷・長野県佐久市と交流を重ねてきた同窓会は、安全性の不備が指摘されている壕を整備し、「沖縄と長野を結ぶ平和の懸け橋になれば」と話している。(新垣亮)

 積徳高女の看護学徒隊二十五人は小池勇助軍医率いる第二野戦病院に配属された。当初、野戦病院は現在の豊見城市にあったが、度重なる空襲で、八キロ先の糸洲の壕へ移動した。

 日本軍による組織戦が終了したとされる後の一九四五年六月二十六日、小池軍医は学徒隊を解散した。女学生一人一人の手を握り、「必ず生きて親元に帰りなさい。悲惨な戦争のことを後世に語り伝えてくれ」と述べた。軍医は壕内で自決した。

 壕の外では散発的な戦闘が続いており、看護隊二人が亡くなったものの、二十三人は戦火をくぐり生き延びた。

 同窓会は長野県佐久市にある小池軍医の墓参りや地元高校での講演、遺族会との手紙をやりとりするなど交流を続けている。

 「糸洲の壕」には長野県の修学旅行生が訪れたり、県内の平和学習の場として活用されているが、壕内は滑りやすく、アクセス路が未整備となっている。修学旅行生が転倒、けがをしたため、一時閉鎖されたこともあったという。

 今月九日には、長野県議会の議員四人が修学旅行の在り方などを視察するため同壕を訪れた。小池軍医の言葉を聞いた仲里ハルさん(81)が体験談を語り、「武力で殺し合う戦争は起こしてはいけない。平和がいつまでも続くことを祈る」と涙ながらに訴え、「軍医の言葉が私たちを救った」と切々と話した。

 新垣道子会長は「手すりを付けるなど壕の整備を何とかして、今後も長野県との交流を続けていきたい」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807101700_02.html

 

2008年7月10日(木) 夕刊 1面

「跡地」の利活用 県が本部町支援/県議会

 防衛省が本部町で計画していた海上自衛隊の対潜水艦作戦センター(ASWOC)用送信所の建設計画を中止したことについて、上原昭知事公室長は十日の県議会(高嶺善伸議長)六月定例会一般質問で、「中止は本部町の意向に沿うもので、同町の振興、発展に寄与すると考えている。(跡地の)利活用について、地元と連携を密に支援していきたい」との方針を示した。

 米軍普天間飛行場の移設問題で代替施設の建設計画などを話し合う協議会の次回会合について仲井真弘多知事は、閣僚が度々替わったことを指摘し、「これまで協議してきた内容を確認する必要がある」と述べた。

 政府に求めている代替施設の沖合移動や危険性除去などについて「私は無理難題を言っているわけでなく、政府がささやかな要求を聞いていないので、進んでいない」と述べた。

 いずれも吉元義彦氏(自民)への答弁。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807101700_03.html

 

2008年7月11日(金) 朝刊 1面

国・県、研究班設置へ/普天間危険除去

解決向け取り組み本格化

 仲井真弘多県知事が公約に掲げ、政府に求めている米軍普天間飛行場の危険性除去について、防衛省と県が共同で技術的な対応策を検討する研究チームを設置する方向で調整を進めていることが十日、分かった。県、政府双方の事務方による協議が始まれば、問題解決に向けた取り組みが本格化することになる。

 普天間飛行場の危険性除去については、仲井真知事が移設協議会などで繰り返し求めてきた。町村信孝官房長官も六月末の会見で、「米側と交渉するなど努力したい」と踏み込んだ発言をしている。しかし、十八日に開催する方向で調整が進んでいる次回協議会の議題として取り扱われるかは、現時点で不透明だ。

 危険性除去をめぐっては、二〇〇四年の沖縄国際大学ヘリ墜落事故を受け、日米両政府が昨年八月、民間地域への墜落を防ごうと航空機の場周経路設定など、危険性除去策をまとめた。

 しかし、伊波洋一宜野湾市長が「場周経路が守られていない」と訴え、沖縄防衛局は現状把握のため、五月から六月にかけて目視調査を行っていた。県は、同局と宜野湾市からヒアリングを行ったが、独自で具体的な対応策には踏み込めていない。県、国の双方ともに「互いに連携してやっていきたい」と述べていた。(吉田伸)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807111300_04.html

 

2008年7月11日(金) 朝刊 26面

日米地位協定「見直し必要ない」/メア氏、大学院で講義

 在沖米国総領事のケビン・メア氏が十日、琉球大学法科大学院で講義した。「米軍基地法」の講義で、米国の立場から、実例を交えて日米地位協定や安全保障の考え方を解説し、学生らと意見を交わした。

 メア氏は地位協定を「安全保障条約の下、在日米軍が日本でどういう地位にあるかを決める協定」と説明。「自衛隊が米軍を守る必要がないようにもともと非対称な条約。地位協定は日米合同委員会で運用改善を話し合っている。見直す必要はない」と述べた。

 国会で議論された思いやり予算で支払う娯楽施設の基地従業員人件費について、「日本の唯一の安保上の責任は、米軍への施設提供。在日米軍の即応体制を維持するためには、娯楽施設が必要」との考えを示した。

 昨年六月に米軍掃海艦が復帰後初めて与那国町に寄港したことについて「地位協定第五条で、米軍の艦船と飛行機が日本にあるすべての港と空港を使う権利がある」と述べた。

 学生からは「地位協定を改定しないのは安保条約の性格を変えるからか」「米国はなぜ世界中に基地を展開するのか」など質問が相次いだ。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807111300_05.html

 

2008年7月11日(金) 朝刊 26面

訓令の原文発見/沖縄戦・組織的戦闘終了後の遊撃命令

 沖縄戦で旧日本軍第三二軍を指揮した司令官・牛島満中将が終戦直前、鉄血勤皇隊で情報宣伝を担った千早隊の隊長に対し、軍の組織的戦闘が終了した後も沖縄本島で遊撃戦を続けるよう命じた訓令の原文がこのほど、米国立公文書館で見つかった。訓令の内容を英訳した米軍情報機関の資料は県立公文書館でも確認できるが、元千早隊員で大田平和総合研究所主宰の大田昌秀さんが原文の存在を突き止めた。

 訓令は一九四五年六月十八日付。牛島司令官から千早隊隊長の益永董陸軍大尉あてに「貴官ハ千早隊ヲ指揮シ軍ノ組織的戦闘終了後ニ於ケル沖縄本島ノ遊撃戦に任スヘシ」と記している。

 軍から解散命令が伝わったのは、その日付の前後。一方で、大田さんによると、千早隊員には同月十九日夜、糸満市の壕で益永大尉から「死なずに米軍の背後に回って地下工作をするように」と命じられた。当時は牛島司令官の命令とは知らされなかった。

 実際に北部戦線を目指す参謀数人と、その案内役として四、五人の隊員が壕を出発。大田さんは軍服から、軍人には似つかわしくない住民の着物に着替えた参謀らを見送りながら、敗戦を実感したという。自らも敵陣を突破するため他の隊員と壕を出て、九月末ごろまで潜伏行動を続けた。

 大田さんは今年四月下旬から五月中旬まで訪米し、米国立公文書館にある米第一〇軍の資料の中から原文を発見。「最高クラスの司令官が、わずか二十二人の千早隊員の行動について直接命令を下していたとは夢にも思わなかった。解散命令を出す一方で、最後まで戦えと命じる沖縄戦の矛盾を露骨に示した文書だ」と言う。

 沖縄戦に詳しい関東学院大の林博史教授は「沖縄戦の終盤は口頭での命令が多く、この時期の原資料が残っているのは大変貴重だ。千早隊だけでなく、各部隊の責任者あてに訓令が出されていたこともあり得るのではないか」と指摘した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807111300_06.html

 

琉球新報 社説

脱走米兵の通知 必要なのは犯罪防止策 2008年7月11日

 脱走米兵の情報が9日から、米軍基地を抱える14都道県にも提供されることになった。だが、県は提供情報を県民に公表するかどうか未定という。情報提供の狙いは犯罪抑止にある。県には積極的な情報開示と情報活用を求めたい。

 脱走米兵の情報開示は、3月に神奈川県横須賀市で起きたタクシー運転手刺殺事件が契機となっている。強盗殺人の容疑で逮捕された米海軍横須賀基地所属の一等兵が、脱走兵だった。

 だが、米側は脱走の事実を日本側には伝えていなかった。

 事件を受け、日米両政府は5月の日米合同委員会で、脱走兵情報を日本側に通報する日米地位協定の運用改善で合意している。

 今回の措置で、脱走の年月日、脱走兵の逮捕要請を行った米軍施設・区域、脱走者数、身柄確保の状況の4項目が、米側から外務省に提供される。

 外務省は、基地所在都道県でつくる渉外関係主要都道県知事連絡協議会(渉外知事会)を通じ情報を提供するという。

 発端は脱走兵による犯罪だ。犯罪の抑止が情報提供の契機、主目的だとすれば、脱走兵の人権にも配慮しながら原則的には県民にも情報提供されてしかるべきだ。

 脱走兵がどのような理由で脱走し、武器の保有や前科も含め犯罪可能性の有無が提供情報の要だ。

 イラク戦争開始後、米軍では毎年3000人を超える脱走兵が出ているという。脱走兵の増加は「大義なき戦争」への批判も背景にある。

 大量破壊兵器による米国攻撃の未然防止や独裁政権からのイラク市民の解放などを「大義」に、米ブッシュ政権はイラクに侵攻した。

 イラク戦争で約9万人のイラク市民と4000人を超す米兵が犠牲になったとされる。しかし、結果は大量破壊兵器は見つからず、イラク攻撃の大義は失われている。

 大義なき戦争は、脱走兵を増やし、犯罪すらも誘発している。

 なぜ米兵たちは脱走したのか。その理由も米軍は開示すべきだ。

 その上で、脱走兵らが犯罪に走らないよう日米で効果的な対策を講じてもらいたい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-134064-storytopic-11.html

 

2008年7月11日(金) 夕刊 1面

知事「南西方向」要望へ/普天間代替 沖合移動で具体案

大浦湾の保全理由に

 仲井真弘多知事は十一日の定例会見で、米軍普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設で政府に求めている代替施設の沖合移動について、「大浦湾に突き出しているものを引っ込めてはどうか。名護市の意見もそれに近い。引っ込めて前に出すという感じだ」と述べ、南西方向にずらした上であらためて沖合に移動するよう要望する考えを示した。名護市の島袋吉和市長は沖合・南西方向への移動を求める考えを示していたが、知事が具体的に言及するのは初めてだ。

 仲井真知事は「(現行案を決定した)当時、大浦湾は環境的に死んでいるという評価があった。環境審査会の話を聞くと、(代替施設を)引っ込めないと海流が止まり、死ぬ状態になりかねない」とし、大浦湾の環境保全を理由に挙げた。

 そのほか、普天間飛行場の危険性除去策で防衛省と県が技術的対応策を検討する共同研究チーム設置を調整していることについては、「まだきちっとした返事はいただいていない。進み始めているのであればありがたい。三年めどの閉鎖を政策的に確認し、実務の検討に入ることは大変いいステップだと思う」と述べ、十八日開催で調整している次回の移設協議会で確認を求める考えを示唆した。

 県議会の野党会派がキャンプ・シュワブ沿岸部への移設に反対する決議案提出を確認していることについては「県外移設がベストだが、県内もやむなしと思っている。北部が受け入れている間に移設することが最も近道だ」として、決議が可決されても県内移設を推進する姿勢は変わらない―との認識を示した。


県の意向踏まえ政府として努力

危険性除去で防衛相


 【東京】石破茂防衛大臣は十一日午前の閣議後会見で、米軍普天間飛行場の危険性除去をめぐり政府と県が研究チーム設置に向け調整していることについて、「(普天間飛行場の)危険性除去や閉鎖状態に近づくために、チームをつくるのも一つのアイデアだ」と述べ、双方が一体となって取り組む必要性を強調した。

 次回の普天間協議会の日程や議題については、「まだ調整中」とした上で、危険性の除去に向けた対応策については「県の意向を踏まえ、政府としてできる限りの努力をするのは当然だ」との考えを示した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807111700_01.html

 

2008年7月12日(土) 朝刊 2面

県環境条例 基地適用を/与野党超えて要望噴出

 県公害防止条例を約三十年ぶりに全面改正する「県生活環境保全条例」を審議した県議会文教厚生委員会(赤嶺昇委員長)で十一日、米軍基地を公害防止規制の適用外としたことに対し与野党の委員から異論が噴き出した。

 同条例は、既存法令で規制の及ばなかった小規模事業者にも排水対策を推進し、県民にも生活排水の処理や自動車の運行に伴う環境負荷の低減を求めるなど、全県下での公害対策を強化している。県文化環境部は「米軍には国内法が適用されない」として、本島の二割を占有する米軍基地は適用外とした。

 これに対し、西銘純恵委員(共産)は「一番の環境被害は米軍基地から受けており、県条例ならば適用すべきだ」と指摘。自民党の翁長政俊委員も「県は日米地位協定の抜本的な見直しを求めている。実質的な規制は難しくとも、政治姿勢を示す意味で盛り込んではどうか」と提案した。

 「米軍には国内法が及ばず、(規制の)実効性が担保できない」と適用を困難視する同部の主張に対しては、「基地の設置責任者は国であり、米軍には及ばずとも、国に対して規制をかけることはできるのでは」とする意見も出た。

 これに対し知念建次部長は「自治立法の限界だ」と答弁し、同委員会の議論はこの日平行線のまま審議を終了した。

 米軍基地の公害問題では今年六月に国の賠償責任を認めた普天間爆音訴訟の判決が出たばかり。昨年は基地内のディーゼル燃料や油の流出で付近の土壌汚染が発生しただけに、新条例が?公害発生源?に効力が及ばないことに委員らは納得できない様子だ。

 同委員会は十四日に条例の可否を採決する。

 同条例は、一九七六年に定められた県公害防止条例を全面改正するもの。既存条例の適用内だった工場や事業場などの事業活動に伴うばい煙・粉じんや排水汚染の規制に加え、新たに土壌汚染の規制や日常生活で発生する環境負荷の低減も盛り込み、罰則を強化する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807121300_05.html

 

沖縄タイムス 社説(2008年7月12日朝刊)

[対潜施設建設中止]

跡利用へ支援が必要だ


 防衛省は本部町豊原区の旧上本部飛行場跡に計画していた対潜水艦作戦センター(ASWOC)用送信所の建設中止を決めた。

 地元の反対闘争と建設用地の一部地権者が賃貸契約に応じなかったため中止に追い込まれた格好だ。

 防衛省は建設をとうに断念したと思っていた人が多かったのではないか。

 なぜ今ごろ、との思いを禁じ得ない。

 建設計画が浮上してから二十年以上も、跡地利用に向けた具体的な動きが取れずに、たなざらしが続いたことになる。

 高良文雄町長は「今後の農業やウェルネス事業を進める上で必要不可欠な地域だ。地主の皆さんときめ細かく相談したい」と中止を歓迎している。

 防衛省はもっと早く断念を発表するべきだったのではないか。

 国の安全保障に関しては地元の理解と協力なしに成り立たないのは当然だからだ。

 旧飛行場跡地には米軍が敷き詰めたコーラルがそのまま残されている。

 防衛省が断念したからといって、跡地利用にスムーズに移行できるわけではない。

 跡地利用は地主だけではできない。もちろん土地を持たぬ町だけでもできない。

 旧上本部飛行場は、一九六九年と七一年の二回に分けて全面返還された。

 幅五十メートル、長さ千五百メートルの滑走路を含む約二百五十三ヘクタールの広大な土地だ。

 復帰前に返還されたため、跡地利用のための補償制度がない。

 原状回復も、日米政府が責任を押しつけ合った結果、できなかった。

 当初計画では米軍の旧上本部飛行場跡地に、海上自衛隊のP3C対潜哨戒機に解析データを送信する施設を建設する予定だった。

 防衛省は八八年度に用地取得を開始した。

 約三十万平方メートルの土地の地権者百十七人と賃貸借契約を結び、国有地と合わせて約二十九万平方メートルを確保した。

 だが、十三人とは契約できず、建設に踏み切ることができなかった。

 賃貸借契約は二十年で、二〇〇八年度末に契約満了となる。防衛省は〇九度以降は契約を更新しない方針。これまで支払った賃貸借料は約九億円という。

 防衛省は、計画の見通しの甘さに対する批判は免れないだろう。

 本部町は二〇〇一年度に「もとぶウェルネスのまちづくり基本構想」を策定した。

 ウコンやアセローラなどの農作物を供給する農園施設に、それら食材を利用したレストランやショッピング施設などの計画がある。近くの海岸のプールなどと合わせ一大ウェルネス地域とする構想だ。

 ただ、地権者は不在地主がほとんどで、住民合意を得るのは並大抵ではないだろう。

 これほどの大規模な跡地利用では、町がイニシアチブを取りながら、国、県の後押しがどうしても不可欠だ。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080712.html#no_1

 

琉球新報 社説

P3C送信所 脱基地で町振興の拠点に 2008年7月12日

 返還から37年。軍事基地が町振興の拠点へ転換される。本部町の上本部飛行場跡地のことだ。新たな自衛隊基地建設の動きを、本部町民が長年の反対運動で食い止めた。

 「自衛隊基地といえども、戦争に加担する施設は絶対に造らせない」。そんな強い意志を、本部町民は20年余も持続してきた。

 町長や区長が代わっても、反対の姿勢は、まるでDNAのように連綿と引き継がれてきている。

 米軍が沖縄占領後に上本部飛行場を建設し、復帰前の1971年にようやく地権者に返還された。

 しかし、滑走路をそのままに原状回復もないまま返還された跡地は、跡利用が難航した。

 そこに87年、海上自衛隊のP3C対潜哨戒機との交信施設ASWOC(対潜水艦作戦センター)送信所建設計画が浮上した。

 ASWOC送信所は、対潜哨戒機が洋上で発見した潜水艦のデータを解析し、攻撃や作戦を指示するための施設である。

 跡利用が難航する中、多くの地権者が送信施設用地として賃貸契約に応じた。

 だが、町長をはじめ周辺住民は「戦争につながる施設の建設は絶対に許さない」と、現地に闘争・団結小屋を造り、文字通り体を張った反対運動を続けてきた。

 地元・豊原区の住民らは、戦争中は日本軍に、戦後は米軍に土地を強制接収されている。

 住む家も焼かれ、戻る場所を奪われた屈辱の体験がある。米軍も自衛隊も同じ「軍隊」との認識も町民には共通している。

 屈辱の体験を「子や孫の世代に体験させない」との思いが、防衛省の新基地建設を断念させた。

 そもそも20年も頓挫し、建設されずとも支障のないASWOC送信施設自体が、もともと不要の施設ではないか。そんな疑問も出る。それでも、建設中止を決めた防衛省は「代替地を早急に選定したい」との意向のようだ。

 ただでさえ米軍基地の過重負担に苦しむ沖縄である。自衛隊といえども新たな基地建設を進める国の姿勢には大いに疑問を感じる。

 全国一の高失業率、低所得、低貯蓄、高財政依存経済に呻吟(しんぎん)する沖縄県民が欲しいのは、新たな軍事基地ではなく経済基地である。

 農地を収奪し、厚いコンクリートで固め飛行場を造りながら、不要となれば原状回復もなく返還し、跡利用を難しくしたまま放置する。

 土地の収奪と長期占領・占拠のつけを住民に求める。これが政府のすることであろうか。

 計画中止を決めた政府には、基地施策で翻弄(ほんろう)し跡利用を阻害した反省も踏まえ、本部町民の長年の労に報いる跡利用支援策を、きっちりと要求したい。


<訂正>初出の記事で「旧日本軍が飛行場建設を進めていた上本部飛行場跡は、戦後、米軍が接収し」は「米軍が沖縄占領後に上本部飛行場を建設し」の誤りでした。おわびして訂正します。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-134116-storytopic-11.html

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