うるま議会抗議決議/原潜放射能漏れ 「新基地反対」に難色/沖縄相、知事・議長と会談 宜野湾市大謝名、民間地の鉄塔撤去要請/防衛局 米軍弾薬船爆発調査資料を発見/県公文書館が公開 うるま市長、寄港中止要求/原潜放射能漏れ ヘリ墜落4年、危険との同居に終止符を など 沖縄タイムス関連記事・社説、琉球新報 社説(8月9日から13日)

沖縄タイムス 社説(2008年8月9日朝刊)

[原潜放射能漏れ]

あろうことか二年間も


 微量とはいえ二年間も放射能漏れに気付かないなんて、こんなずさん極まりない話があるだろうか。

 米海軍の攻撃型原子力潜水艦ヒューストンから、微量の放射性物質を含む冷却水が、二〇〇六年六月から〇八年七月まで、二年一カ月も漏れ続けていたというのだ。

 放射能漏れのあった二年一カ月の間にヒューストンは、長崎県・佐世保基地に五回(十六日間)、神奈川県・横須賀基地に一回(五日間)、うるま市のホワイトビーチにも五回(九日間)寄港した。

 それぞれの寄港先で放射能漏れを起こしていたというのだから、開いた口がふさがらない。原潜からの放射能漏れは過去に何度かあったが、今回のような事例は聞いたことがない。前代未聞の不祥事だ。

 ホワイトビーチへの五回の寄港の際、放出された放射能の量は、合計六・三キロベクレル未満。米側は「人体や環境への影響は全くない」と説明している。

 「日本へのすべての寄港の間に漏れた放射能の量をすべて合わせても、一般家庭用煙探知機に含まれる放射性物質の量よりも少ない」

 私たちの身の周りには天然の放射性物質もあり、日常的に微量の放射線を浴びているのは確かだ。妊婦などは注意が必要である。

 しかし、原子炉を抱える原潜から、微量とはいえ放射性物質を含む冷却水が漏れ続け、それとも知らずに日本やサイパン、マレーシアなどに寄港していたことは、それ自体、重大なことだ。安全を強調するだけの米側の説明は納得できるものではない。

 なぜ冷却水が漏れたのか。二年間も気付かなかったのは管理態勢に問題があったからではないのか。

 放射能漏れが始まったという具体的な始期はどのように特定されたのか。公表されていない類似のケースが過去になかったのかどうか。

 次々に疑問がわいてくる。

 ホワイトビーチでは一九八〇年三月、原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチの寄港で普段より高い放射能が検出され、漁業者が風評被害を受けた。今年に入ってホワイトビーチへの原潜寄港が相次いでいる。現時点ですでに、過去最多だった昨年を上回る二十六回を記録しているが、その理由については、地元に何の説明もない。

 国民の目の届かないところで起きた放射能漏れに、住民の不安は募る一方であり、米軍は速やかに原因を究明し、公表する義務がある。

 外務省の対応にも緊張感が感じられない。

 佐世保基地での放射能漏れの事実が米側から日本政府に伝えられたのは一日である。だが、外務省は米国のテレビ報道で明らかになるまで佐世保市に連絡していなかった。

 ことの重大性に対する認識が完全に欠如しているというほかない。

 住民の不安を解消するためには、過去の寄港事例の総点検、ホワイトビーチ周辺海域の環境調査が必要だ。寄港が急増しているのはなぜなのか、情報開示にも、もっと前向きに取り組むべきである。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080809.html#no_1

 

琉球新報 社説    

放射能漏れ 危険な原潜寄港の禁止を 2008年8月9日

 2年間も放射能を垂れ流し、その原因も不明。公表するときは「微量で人体を危険にさらすものではない」と釈明する。そんな話を誰が信じるであろうか。

 米原子力潜水艦「ヒューストン」が、放射性物質を含む冷却水漏えい事故を起こしながら、沖縄、長崎、神奈川と寄港を繰り返していた。

 しかも、その期間が2006年6月から08年7月と長期間だ。

 漏れた原因は不明。なぜ2年間も気付かず放射能をまき散らしてきたのか。

 人類のみならず地球環境全体に大きな影響を与える原子力、放射性物質を、最も多く保有し、活用、移動する米軍である。

 米軍の原子力管理、放射能漏れ時の危機管理能力のあまりのずさんさに、危機感を通り越し、恐怖を感じざるを得ない。

 今回も含め対米軍問題では、いつもながら、日本政府・外務省の対応には、がっかりさせられる。

 政府は、放射能漏れを起こす原潜を2年間もチェックできず、この間、11回、延べ30日間も国内に寄港、停泊させている。

 原潜寄港のたびに、停泊水域や原潜近くのモニタリング調査を実施しながら、漏れをチェックできなかった文部科学省の放射能チェック態勢のずさんさにもあきれる。

 原潜寄港反対の世論を、寄港時モニタリングの徹底を条件に容認した日本政府だ。

 放射能の漏れは「ない」が大前提である。「微量だから」は言い訳にはならない。「漏れ」が出た時点で、国民の安全を最優先するならば、政府は当然、原潜の寄港禁止措置を取るべきである。

 沖縄県の対応も甘い。2年間も放射能を垂れ流す原潜を寄港させ、県民を危険にさらしながら原因究明と安全対策、再発防止を求める程度で事を済ます。

 なぜ原潜の寄港禁止を求めないのか。県民の命や安全より「日米安保」を優先する。そんな姿勢が垣間見える。

 しかも政府への要請も電話で東京の外務省北米局長へである。沖縄に常駐している沖縄大使、沖縄事務所の出番は、ここにもない。

 放射能漏れに対するケビン・メア在沖米総領事の7日の説明も県民のみならず国民を愚弄(ぐろう)している。

 2年間も放射能を垂れ流し続けた果てに日本に通知しながら「米海軍の安全基準が、機能しているということを示すものだ」と、記者会見で豪語している。

 沖縄への米原潜寄港はことし26回を数え、過去40年で最多となっているのはなぜか。

 「問題は放射能漏れが隠されていたこと。これからも隠される可能性がある」との指摘もある。再発防止には原潜寄港禁止しかない。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135033-storytopic-11.html

 

沖縄タイムス 社説(2008年8月10日朝刊)

[原爆症認定]

基準の再見直しが急務


 二歳で被爆して十年後に白血病を発症し、病が治ることを信じて包み紙などで鶴を折り続け、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの話はよく知られている。

 歌とスポーツが大好きで、小学校に入学後は病気で学校を休むこともなかった禎子さんは小学六年で白血病と診断され、入院から八カ月で十二歳の生涯を終える。

 あまりにはかなく、悲しい少女の物語は原爆の残酷さと、後遺症の恐ろしさをあらためて教えてくれる。

 広島、長崎への原爆投下から六十三年になる。なのに迫り来る死の恐怖に耐えながら、亡くなる数日前まで鶴を折り続けた少女の思いを、この国はまだ受け止めきれていないようだ。

 福田康夫首相は、各地で集団訴訟が続く原爆症認定問題について、国の審査委員に司法関係者を増員するなど、「被爆者が納得できる認定作業を進める」との考えを明らかにしたが、被爆者が強く求めている認定基準見直しについては具体策を示していない。

 町村信孝官房長官に至っては、六日の会見で「(認定基準は)大議論をして改正した。今すぐ見直すという議論は果たしてあるのか。ちょっと疑問だ」と述べている。

 基準見直しに否定的というしかない。これでは、原爆症の認定問題は解決できまい。

 首相は平均年齢が七十五歳を超え、今なお深刻な後遺症に悩む被爆者の救済を最優先に考え、一刻も早く認定基準を見直すべきである。

 一連の原爆症認定訴訟で、行政は「連敗」を続けている。

 海外に住む被爆者が、被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を求めた在外被爆者訴訟では、広島高裁が地方自治法上の時効(五年)を理由に、手当を支払わなかった広島県を「時効主張は権利の乱用で、時効適用は著しく正義に反する」と指弾。在外被爆者勝訴の判決を言い渡し、二〇〇七年二月に最高裁で確定している。

 厚生労働省は今年三月に「科学的知見」重視だった認定基準を見直し、「被爆者救済の立場」から一定の条件を満たせば積極的に認定する方針に転換した。

 しかし、その後の原爆症認定訴訟では、申請疾病が新基準で積極認定の対象となっていなかった肝機能障害が原爆症と認定されてもいる。

 「積極認定」と言いながら、依然として消極的な行政の対応を裁判所が厳しく指摘したと言わざるを得ない。

 広島市の秋葉忠利市長は、平和宣言で原爆症認定について、こう述べている。「高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します」。温かい援護策は被爆者の心情に寄り添うことから始まる。

 大議論をしたからすぐに基準見直しはできない、あるいは裁判所の事実認定を条件に慰謝料を支払う、などといった政治、行政の論理だけで組み立てた対策では被爆者は救えないのではないか。

 六十年以上も原爆症で苦しんできた被爆者を救済するためにも、福田首相は「政治決断」を急ぐべきだろう。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080810.html#no_1

 

2008年8月11日(月) 朝刊 2面

沖縄の復興・発展に意欲/林沖縄相

 【糸満】林幹雄沖縄担当相は十日、就任後初めて沖縄入りし、糸満市摩文仁の国立戦没者墓苑を参拝し献花、平和の礎や県平和祈念資料館などを視察した。視察後、「戦争は悲惨で、絶対に起こしてはいけない。沖縄の復興、発展にしっかりと取り組まないといけないという決意を新たにした」と述べた。

 沖縄の米軍基地問題について林沖縄相は「(在日米軍基地の)75%が集中しており、縮小・負担軽減に一生懸命、取り組まなければいけないと感じている」と語った。

 林沖縄相は、県内外やアジア諸国の中高生らが参加している「アジア青年の家」事業(主催・内閣府)が行われている県立糸満青年の家も訪問。学生たちに拍手で迎えられ、「環境という国境を越えた問題を議論している皆さんの中から、ノーベル賞を取るような人材が出ることを期待している。合宿を通して沖縄の魅力を存分に味わい、帰ってほしい」と激励した。

 学生を代表して、宮城由貴さん=開邦高一年=「私たち参加者は環境問題のスペシャリストから多くのことを学び、毎日が驚きの連続です」と合宿の様子を報告。「環境問題についてアジア各国の参加者から現地の実情を聞き、多くのことを学びたい」と抱負を述べた。

 林沖縄相は十一日、仲井真弘多知事や、市町村、地域団体の代表とそれぞれ会談し、普天間飛行場移設問題や沖縄振興策などをめぐり意見交換する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808111300_05.html

 

2008年8月11日(月) 朝刊 21面

伊江の180人 感謝の訪問/渡嘉敷・座間味

 【伊江】伊江村民約百八十人は十日、沖縄戦で捕虜となった村民が、米軍により強制移住させられた渡嘉敷、座間味の両村を訪れ、厳しい時代を共に過ごした移住先の人々に感謝の意を伝えた。戦争体験者の高齢化が進む中、平和を願う島同士の親交を次世代につなげようと伊江村村制百周年事業の一環として企画された。

 一九四五年五月、伊江村の住民は渡嘉敷村の渡嘉敷島に約千七百人、座間味村の慶留間島に約四百人が強制移住させられた。両島の住民がまだ山中で生活していたころで、終戦後集落に戻ってからは、共に生活したという。

 渡嘉敷島に渡った与那城彦興さん(78)は「苦しかった当時のことは思い出したくないが、両村の住民にはお世話になった。気持ちを伝えるためにきた」と語る。

 伊江村は一九九六年、両島に「伊江村民収容地跡記念碑」を建立しており、村挙げての訪問はそれ以来十二年ぶり。フェリーを貸し切り、半日かけて二カ所を訪れた。

 両島で式典が行われ、それぞれ約四十人の住民が集まり、再会に顔をほころばせた。大城勝正伊江村長は「これからも交流が続いてほしい」とあいさつした。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808111300_10.html

 

2008年8月11日(月) 夕刊 1面

うるま議会抗議決議/原潜放射能漏れ

 【うるま】米原子力潜水艦「ヒューストン」が、うるま市勝連のホワイトビーチに寄港した際、微量の放射能漏れを起こしていた問題で、うるま市議会(島袋俊夫議長)は十一日午前、臨時会を開き、関係機関に事故の原因究明と詳細な説明責任を求める抗議決議と意見書案を全会一致で可決した。

 抗議決議は米国国防長官、駐日米国大使、在日米軍司令官など、意見書は衆参両院議長、首相、外相、沖縄県知事などあて。

 抗議決議では「ヒューストン」の冷却水漏れが二〇〇六年六月に始まったとの公表について、同期間内にうるま市勝連のホワイトビーチに同原潜が五回寄港している事実を問題視。

 米海軍の日本政府への事故の報告遅れや、外務省の公表の遅れを「日米両政府の住民軽視と言わざるを得ない」と糾弾している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808111700_01.html

 

2008年8月11日(月) 夕刊 1面

「新基地反対」に難色/沖縄相、知事・議長と会談

 就任後初めて来県した林幹雄沖縄相は十一日午前、県庁で仲井真弘多知事と会談した。仲井真知事は、原油価格の高騰に関する緊急対策や米軍普天間飛行場代替施設の沖合移動の実現などについて要請した。

 会談には高嶺善伸議長も同席。六月定例会で野党の賛成多数で可決した「名護市辺野古沿岸域への新基地建設反対」、「後期高齢者医療制度の廃止」などを求めた。林沖縄相は会談後、新基地建設反対について「それは難しい」と述べ、県議会決議の実現に否定的な姿勢を示した。

 仲井真知事は原油高騰について「沖縄は島々で成り立っており、あらゆる面に影響を及ぼしている。医療などユニバーサルサービスの実現が難しい」として、支援を求めた。

 また林沖縄相は、那覇市内のホテルで県内主要経済団体代表らと懇談。経済団体からは、原油や原材料高騰への国の支援策を求める声が相次いだ。

 林沖縄相は「皆さんの意見を沖縄振興に役立たせていただきたい」と述べた。

 県経済団体会議議長の知念榮治県経営者協会会長は(1)那覇空港の滑走路拡張(2)科学技術大学院大学開学へのさらなる支援―などを求めた。

 JA沖縄中央会の赤嶺勇会長は、WTO農業交渉で砂糖の重要品目への位置付けを求め、同時に国内対策の充実を要求した。このほか、公共工事の県内企業への優先発注などの要望が出された。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808111700_02.html

 

2008年8月11日(月) 夕刊 5面

先輩 安らかに/阿嘉島沖米艦船爆発事故50周忌

 【伊江】一九五八年に座間味村阿嘉島沖で起きた米艦船爆発事故に巻き込まれた伊江島のスクラップ回収船で、奇跡的に一人生き残った伊江村の長嶺勝俊さん(67)=当時十七歳=が十日、事故から五十年ぶりに阿嘉島を訪れた。「阿嘉という言葉を聞くのもつらい。でも生きているうちに現場で供養をしたいとずっと思っていた」。半世紀にわたり、胸に封印してきた記憶と向き合い、涙ながらに手を合わせた。(新垣晃視)

 五八年六月三十日、阿嘉島近くの海で、沈没した米軍の艦船から金属類を回収しようとした伊江島の船が、同艦に積まれていた爆弾の爆発に巻き込まれ、乗組員全十三人が死亡した。

 前日の二十九日、長嶺さんは島の先輩らと伊江島を出発し阿嘉島に到着した。三十日朝、全員で海に出る予定だったが、炊事係の女性が島に着いておらず、一番若い長嶺さんが「今日は炊事をしてほしい」と先輩に頼まれ、島に残り、助かったという。

 事故後、伊江島に戻ると、ラジオですでに惨事を知っている遺族たちが港で待っていた。「本当か」と尋ねる姿に、うなずくのがやっとだったという。長嶺さんはそれから海に出なくなった。

 その後、島内の基地で軍雇用員として働き、二男三女に恵まれた。

 伊江村は十日、戦後米軍により強制移住させられた渡嘉敷村と座間味村を村民約百八十人で訪問する行事を企画。長嶺さんは爆発事故で兄二人を失った同郷の亀里敏郎さん(65)と共に阿嘉島を訪ねることを決意した。亀里さんも事故以来、五十年ぶり。「長嶺さんと一緒だから決心がついた」と語った。

 二人は阿嘉島の岬で、先輩たちが好きだったというビールなどを供えた。「五十年間来られなくてごめん。これからも伊江島のみんなを見守っていてください」と、声を詰まらせながら語り、海に手を合わせた。

 訪問前は、不安で仕方がなかったという長嶺さん。「あの海に向かい供養ができて、少し胸のつかえが取れた気がします」。五十年間の苦しみが緩和したのか、帰りは、安堵の表情も浮かんだ。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808111700_03.html

 

2008年8月11日(月) 夕刊 4面

戦争への歯止め鈍化/アジアプレス野中章弘さん 沖大講座で指摘

 戦争とメディアの役割などについて考える第四百三十六回沖縄大学土曜教養講座「沖縄戦は終わらないPart2」が十日、那覇市の同大で開かれ、学生や一般の受講生ら約八十人が参加した。

 講師の一人でアジアプレスインターナショナル代表の野中章弘さんは、戦争を知らない学生が増えていることについて「歴史をきちんと教えない教育の問題。戦争の記憶が『風化』しているのではなく、戦争を学んだ記憶そのものがない」と指摘した。

 また、ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止騒動や、イラク戦争の死者数がほとんど知られていないことに触れ、「過去にあった沖縄戦だけでなく、今起きている戦争にも反応していない。戦争に傾斜するような動きに対する社会の歯止めが非常に弱くなっている」と危機感を示した。

 沖縄タイムス編集委員の謝花直美さんは、沖縄の新聞社は軍に加担した戦争報道の反省が出発点だったと説明。沖縄戦時に慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書問題などについて、「平和を希求する沖縄の人たちの心をねじ曲げるような動きを許してはならない」と強調した。

 このほか講座では、同大の学生でつくる壕プロジェクトのメンバーが、戦時中に当時の島田叡知事や荒井退蔵県警察部長らが避難した那覇市の県庁・警察部壕の内部をスライドなどを使って紹介。

 終盤では、野中さんと謝花さんのほか、早稲田大学ジャーナリズム教育研究所長の花田達朗さん、ジャーナリストの岡留安則さんが加わり、フロアの質問に答える形で議論を進めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808111700_06.html

 

2008年8月12日(火) 朝刊 1面

民間地の鉄塔 撤去要請/防衛局

宜野湾市大謝名/米軍機の安全で

 【宜野湾】宜野湾市大謝名に設置された個人所有の高さ約四十メートルの電波塔に対し、沖縄防衛局が隣接する米軍普天間飛行場を離着陸する米軍機の事故防止を理由に、撤去を求めていたことが十一日、分かった。専門家によると、法律に違反しない建物に、米軍基地運用の妨げとなるとして国が撤去を求めるのは異例だという。

 電波塔は普天間飛行場滑走路の南側延長線上にあり、滑走路先端から約六百メートル離れている。地上四階建てのビルの屋上に設置され、建物と合わせた高さは地上約四十メートル。同市の建築確認、県景観形成条例の審査に合格。昨年四月に完成し、業務用無線の中継局として、複数の民間企業と使用契約を結ぶ予定だった。

 所有者によると沖縄防衛局は昨年五月、米軍機の事故防止を理由として撤去を要請。現在、両者は交渉中だが、所有者は「事故防止のためなら協力するが、中継局として運用しようとした矢先にストップがかかり、完成から一年以上放置したままの状態」と困惑している。

 防衛省は「基地外での強制的規制はなく、事故防止のため所有者に協力を求めた」と説明。米軍からの申し入れではなく、自発的に取った措置だという。

 航空軍事評論家の青木謙知氏は「米軍基地は国内法が適用されず、同市内では航空法による建造物の高さ規制は存在しないため、電波塔に法律上の問題はない。航空法に違反しない建造物の撤去を国が求めるのは珍しい」と話した。

 米軍が定めたマスタープランのクリアゾーン内に、普天間第二小学校や住宅が密集しているとして、同飛行場の欠陥を指摘する伊波洋一宜野湾市長は「米軍が無視し続けるクリアゾーン(土地利用禁止区域)の裏付けとなる事例だ。鉄塔だけでなく、クリアゾーン内のほかの建物も危険なはず。本来ならば撤去されるのは基地だ」と危険性を放置する国と米軍を批判した。(中部支社・銘苅一哲)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808121300_01.html

 

2008年8月12日(火) 朝刊 25面

米軍弾薬船爆発調査資料を発見/県公文書館が公開

 60年前の米軍占領下の8月に伊江島で起きた、最大規模の不発弾事故「伊江島米軍弾薬処理船爆発事故(波止場事件)」を詳細に調べた米軍事故調査報告書がこのほど米国立公文書館で発見された。事故後の写真が初めて見つかったほか、船や現場の見取り図、関係者証言などが含まれており、関係者は「事件の全体像が明らかになる貴重な資料」と話している。(安里真己)

 事故は、一九四八年八月六日、伊江島の波止場で起こり、米軍の不発弾輸送船が大爆発した。波止場は直前に入った連絡船からの到着客や出迎えの人でごった返しており、犠牲者は死者百人以上、負傷者七十人以上に上った。

 同報告書は、「琉球軍高級副幹部一般書簡1947?1956年」の一部で、二〇〇六年三月に県立公文書館が入手した。事故からちょうど六十年たった六日から、県立公文書館で公開されている。

 当時、伊江島には、不発弾の集積所があり、たびたび爆発事故が起きていた。輸送船爆発事故は、島外で処理するために積み込んだ不発弾五インチロケット砲弾約五千発(百二十五トン)が爆発、船は四散した。

 同報告書では、地元住民九十四人、黒人兵二人、フィリピン人乗員十一人、計百七人が死亡となっている(伊江村資料では、村内六十三人、村外三十九人が死亡)。事故原因は「荷崩れ」などとされてきたが、同報告は、二度にわたる関係者の聞き取りなどを踏まえても原因を特定できない、としている。

 体験者の証言などを集め、同事故に詳しい沖縄国際大学の石原昌家教授は「写真が見つかったのは初めて。加害者側からの調査が明らかになることで、事故の全体像がより明らかになるのではないか。大変貴重な発見」と話している。「事故は世界的に見ても最大規模の被害」と石原教授は指摘。しかし、当時は米軍の事件・事故が頻発しており「この事故の重大さが、県民にも十分に認識されていない。資料の発見を機に事故そのものをとらえ直すべきではないか」と話している。

 伊江村では、港に「被爆慰霊碑」を建立している。事故を風化させないために、今年度中に被害者氏名を刻む作業を進めている。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808121300_02.html

 

2008年8月12日(火) 朝刊 2面

ヒューストン寄港拒否/県「安全性確認求め」

 米海軍の原子力潜水艦ヒューストンが約二年間にわたり、放射性物質を含んだ冷却水を漏らしていた問題で、県の上原昭知事公室長は十一日、「原因究明と再発防止策の対応が明らかにされない限り、ヒューストンの寄港を認めるわけにはいかない」として、長崎県に次いで、寄港を容認しない方針を明確にした。共産党県委の要請に対して述べた。

 しかし、外務省日米地位協定室は、米軍の入港は地位協定五条で認められており、地方自治体に米軍船舶の入港を拒否する権限はない―としている。

 上原公室長はヒューストンについて、「安全性の確認をきちんと求めていきたい」と述べた。しかし、ほかの原潜の寄港については「原潜そのものの寄港を停止する立場にはないので、申し上げない。今回の事故に関しては、県民の不安を解消するために原因究明や安全防止を求めている」と説明した。

 県は日米安全保障条約を容認する立場から、ホワイトビーチへの原潜寄港を容認する姿勢を示している。

 ホワイトビーチへの原潜入港は今年に入って二十六回。過去最多の年間寄港数に達していることに、上原公室長は「減らすように、さらに、(寄港が)増えている理由を明らかにするように申し入れている。残念ながら外務省から回答はないが、粘り強く臨んでいきたい」と述べた。

 共産党県委は、すべての原子力艦船の寄港禁止措置やホワイトビーチ周辺の環境調査など五項目を要請。古堅宗嘉書記長らは「抜本的な環境調査をやるべきだ」と強調した。外務省沖縄事務所では抗議した。


     ◇     ◇     ◇     

原潜の寄港中止を

うるま議会 防衛局に抗議


 【うるま】米原子力潜水艦ヒューストンが、うるま市勝連の米軍ホワイトビーチに寄港した際、微量の放射能漏れを起こしていた問題で、うるま市議会(島袋俊夫議長)は十一日、在沖米海軍艦隊活動司令部や沖縄防衛局などを訪ね、原潜の寄港中止、原因究明などを求めて抗議した。沖縄防衛局への抗議で、島袋議長は「放射能漏れの心配が現実味を帯びてきた。米軍に基地を提供するのなら、まず住民に安心と安全を提供するべきだ」と、今後の原潜寄港中止を要求した。

 対応した坂野祥一次長は「米軍は日米安保条約の下で活動しており、基地を提供する防衛局から寄港するな、とは言いづらい」などと回答。原潜の安全性に関する事案については、「迅速な通報体制を確立し、住民に不安を与えないよう説明責任を果たしたい」と答えた。

 嘉手納基地にある在沖米海軍艦隊活動司令部では、ホワイトビーチ監督官のマイケル・カズバ少佐に抗議文を手渡した。同少佐は放射能漏れについて「大変申し訳ない」としたが、寄港中止については「回答する立場になく、上司に伝えたい」と答えたという。

 外務省沖縄事務所の久野和博副所長は「地元に多大な心配をかけたことを重く受け止めている」と話したものの、米原潜の寄港については、「米軍のプレゼンスはわが国、アジア太平洋の安全保障にとって不可欠」と述べるにとどめた。

 在沖米国総領事館で対応したカネシロ首席領事は「要望は駐日大使館に伝える。必要な情報は外務省を通じて自治体に伝達したい」と述べたという。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808121300_03.html

 

2008年8月12日(火) 朝刊 25面

嘉手納基地内に太平洋最大学校

 米軍嘉手納基地内に新設の中学校「リュウキュウミドルスクール」(生徒数約六百人)が建設され、二十五日に開校することが十一日までに分かった。米国防総省教育局太平洋地区米国学校教育局によると、同校の用地面積は太平洋最大の約十六万千八百平方メートル。沖縄防衛局によると、学校の総工費約四十億円は日本政府が負担した。

 近隣の沖縄市では今年四月、比屋根小学校(児童数六百四十五人)が開校したが、総面積約二万五千五百平方メートルで、リュウキュウミドルスクールはその六倍余の面積。比屋根小の総工費は本年度整備予定の体育館などを含め約二十五億円。

 同局によると、日米地位協定二四条二項の規定に基づく「提供施設整備」の施設として二〇〇四年十二月に着工。今年三月に完成した。学校の建物面積は一万四千平方メートル。

 中学校は米軍人、軍属の子ども十一―十三歳が六―八学年の生徒として通う。

 同教育局によると、在沖米軍基地内の生徒登録数は約四千二百人で、特に増加はしていないが、学校建設の認可は一九九〇年代初頭に下りたという。「生徒の意欲に応えるために多様なニーズに対応できる教授法を備えている」と説明。

 「リュウキュウ」には既存のカデナ、レスターの両ミドルスクールから一部生徒が校区を変更して通う。新設により、在沖米軍基地内の中学校は三校になる。

 四百メートルトラックや水泳プール、ソフトボール場、フットボールサッカー場など付帯施設も整備された。観覧席や夜間照明付きの運動施設は同校だけでなく、クバサキハイスクールなど基地内他校や米軍人も使用するという。(吉田伸)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808121300_04.html

 

2008年8月12日(火) 朝刊 24面

千羽鶴姿変え平和の象徴に/民間団体が再生紙作り

 慰霊碑に捧げられる千羽鶴をリサイクルし、戦災地に再生紙として寄付する取り組みが県内でも始まっている。昨年から、県平和祈念資料館と関係者が連携し、同館に保管されていた七十万羽を活用。再生紙第一号は、同館主催の児童・生徒の平和メッセージ展の表彰状に生まれ変わり、十一日の表彰式で、子どもたちに手渡された。(嘉数浩二)

 中心となったのは、五月に発足した千羽鶴未来プロジェクト沖縄事務局(川端良治事務局長、本部・広島市)。川端さんが数年前から、賛同者と準備を進めてきた。

 県平和祈念資料館には毎年、県内外から多くの千羽鶴が届くが、倉庫は満杯。「心を込めた鶴を処分するのはしのびない」という同館と、「平和の象徴として再利用したい」という川端さんらの理念が一致し、動き出した。

 昨年九月には、同館で千羽鶴の糸や針金などを外すイベントを企画。川端さんの呼び掛けで、知的障害者更生施設てだこ学園(勝連但博施設長)の入所者が、地域住民の協力を得ながら半年以上かけて、準備作業を担った。

 「地球に優しい、広い意味での平和貢献」(同資料館)、「戦災地の子どもたちのためと、入所者もやりがいを感じていた」(てだこ学園)と関係者にも好評だ。

 川端さんは「戦没者への思いに、善意の輪がつながった。最初の再生紙が、平和を一生懸命考えた子どもたちの表彰状になるのは象徴的だ」と喜んだ。

 同プロジェクトは、広島市の平和公園に寄贈された年間十トンの千羽鶴のほとんどが焼却されていたため二〇〇二年、活動を開始。リサイクル品を戦災地に寄付するほか、資金調達のため名刺作りなども行う。県内では、三年前からNAHAマラソンの表彰状に使われている。

 沖縄事務局では賛同者を募っている。問い合わせは電話098(995)0001、川端(金城印刷内)。


     ◇     ◇     ◇     

メッセージ展30人を表彰

県庁で作品93点展示


 二〇〇八年度「児童・生徒の平和メッセージ展」(主催・県平和祈念資料館)の最優秀、優秀賞受賞者三十人の表彰式が十一日、県庁であった。また同日から県庁一階県民ホールで、図画、作文、詩の作品九十三点の展示も始まった。十五日まで。小学の部図画で最優秀、詩で優秀賞となった上原晴美さん(高良小四年)は「亡くなった祖父が教えてくれた『命どぅ宝』の意味を考えて描いた」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808121300_07.html

 

2008年8月12日(火) 朝刊 24面

激動の時代写す85点/名護市で「あんやたん」展

 【名護】沖縄タイムス創刊六十周年企画「タイムスアーカイブ あんやたん」移動写真展(主催・沖縄タイムス社)が十日から、名護市立中央図書館で開かれている。十七日まで。入場無料。

 一九四五年の終戦から七〇年まで、復興期における激動の沖縄を写した八十五枚の写真が展示されている。

 白旗の少女を写した写真をじっと見つめていた市内の菊池幸代さん(29)=作業療法士=は「その瞬間を後世にまで伝えることができる写真ってすごい。戦争体験のない私にも記憶がよみがえってくるようだ」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808121300_08.html

 

2008年8月12日(火) 夕刊 7面

沖国大「飛行禁止」要求/普天間ヘリ墜落4年

 【宜野湾】二〇〇四年八月に米軍のCH53D大型輸送ヘリが墜落、炎上してから十三日で満四年を迎える沖縄国際大学の富川盛武学長は十二日午前、隣接する米軍普天間飛行場の閉鎖と離発着する米軍機の一切の飛行停止を求める声明文を発表した。大学上空を飛行する米軍機に抗議の意志を表すため本館屋上に「NO FLY ZONE」(飛行禁止区域)の文字をペイント、常時表示する。

 富川学長は、ヘリ墜落後に飛行中止を米軍や国の関係機関に求めたにもかかわらず、大学の上空を飛行する現状を指摘。

 「いかなる国際政治論、安全保障論で飛行を正当化しても、大学の静寂、安寧を脅かし、生命すらも脅かす飛行は認められない」とし同飛行場の閉鎖、返還とともに、米軍機の飛行停止を求めている。

 同学長は十二日までに首相、防衛相、駐日米国大使、在日米軍司令官など国と米軍の関係機関十一カ所に飛行中止を要求する抗議文を送付したことも明らかにした。

 「NO FLY ZONE」のペイントは縦約八メートル、横約十九メートル。

 墜落後に新設された六階建ての本館屋上に塗装された。

 同大はこれまで横断幕やアドバルーンによる「NO FLY ZONE」の掲示を期間限定で行ってきたが、常に表示をするのは初めての取り組み。

 十一日、大学職員らが屋上に塗装した。今年三月に同大を卒業した高橋正太郎さん(22)も訪れ、「今年も学生が秋の学園祭に合わせた取り組みを計画していると聞いた。大学、学生がそれぞれの立場で事故の記憶を残していってほしい」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808121700_01.html

 

2008年8月13日(水) 朝刊 2面

うるま市長、寄港中止要求/原潜放射能漏れ

 【うるま】 米原子力潜水艦ヒューストンが、うるま市勝連のホワイトビーチに寄港した際、微量の放射能漏れがあった問題で、知念恒男うるま市長は十二日、嘉手納町の沖縄防衛局を訪ね、原潜の寄港中止、迅速な通報体制の確立、再発防止などを求め抗議した。

 知念市長は「米側に抗議しても、市民の意思がきちんと実現されない。後押しをお願いしたい」と寄港中止を要請。放射能漏れがあったヒューストンの入港前後と入港中の水中の放射性物質の値を比較し、情報を公開することも求めた。

 真部朗局長は「米側に原潜を寄港させるなとは言えないが、安全性は確保しないといけない。周辺住民の不安は当然で、できる限り情報開示する必要がある」との認識を示した。

 また知念市長は、うるま市石川楚南と同市栄野比にまたがる嘉手納弾薬庫地区の返還予定地(約三十五ヘクタール)について「谷間や傾斜地で利用価値が少なく、米軍戦闘機の飛行ルート下にあり跡地利用は困難」とし、地主約五十人の意思をくみ、継続使用するよう求めた。


寄港抗議決議へ県市長会が方針/うるま市長提案で


 県市長会(会長・翁長雄志那覇市長)は十二日、那覇市内で定期総会を開き、うるま市の知念恒男市長の提案を受け、放射能漏れ事故を起こした米原子力潜水艦「ヒューストン」などの原潜寄港に反対する抗議決議を行う方針を確認。知念市長は「効果的な再発防止を求めていきたいと考えており、市長会としても統一した意思表示をお願いしたい」と話した。

 十月に福岡県で開催される九州市長会には日米地位協定の見直しに関する継続議案に加え、後期高齢者医療保険料制度に関する財政措置と改正建築基準法に伴う建築着工件数減少への対策などを求める議案を提出する。


放射能は平常値/県が調査結果説明


 米海軍の原子力潜水艦ヒューストンが約二年間にわたり、放射性物質を含んだ冷却水を漏らしていた問題で、県文化環境部の友利弘一環境企画統括監は十二日、ホワイトビーチを抱える金武中城港で行っている政府や県の調査結果を説明し、海産物に問題ないとの見解を示した。同日開かれた県議会米軍基地関係特別委員会(渡嘉敷喜代子委員長)で、中川京貴氏(自民)への答弁。

 友利環境企画統括監は文科省が年間四回実施している魚類やナマコ、海草類、貝類などの海生生物に含まれるコバルト60や亜鉛65、セシウム137などの放射能調査を紹介。また県衛生環境研究所が実施している海水や海底土、グルクンの調査を挙げ、「検出されないか、一般環境のレベル」と説明した。

 また新垣清涼氏(社大・ニライ)の質問に対し、原潜寄港時や平常時に文科省と県が海水や大気の調査を継続していることを挙げ、ヒューストンの五回の寄港について数値を並べて「平常値と同様の結果だった」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808131300_03.html

 

2008年8月13日(水) 朝刊 24面

高江住民が意見陳述/ヘリパッド移設

 県議会米軍基地関係特別委員会(渡嘉敷喜代子委員長)は十二日、東村高江区周辺の米軍北部訓練場内ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の移設工事に反対している地元団体「ヘリパッドいらない住民の会」を参考人に招き、意見聴取を行った。会からは安次嶺現達、伊佐真次の両共同代表や専門家ら計六人が出席し、それぞれの観点から「ヘリパッドはつくるべきではない」と訴えた。

 同会から県議会に提出された、ヘリパッドの建設中止と計画撤回の決議を求める陳情書の審議の一環として行われた。

 高江区に住む石原理絵さんは「高江区が訓練場の中へ取り残されてしまうとの不安を覚える。私たちはただ静かに生活したいのです」と住環境面での不安を切々と陳述。

 沖縄大学の桜井国俊学長は、那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)が行った環境影響調査について、アセスの方法を示す方法書の段階でヘリパッドの位置や大きさなどが明示されていないなど、手続き面での数々の不備を指摘し、「那覇防のやり方は後出しじゃんけんであり、環境アセスとして成立していない」と厳しく批判した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808131300_04.html

 

2008年8月13日(水) 朝刊 2面

米軍再編合意で実施の方向一致/防衛相、駐日米大使と

 【東京】シーファー駐日米大使は十二日、防衛省に林芳正防衛相を訪ね、在日米軍再編などについて意見交換した。普天間飛行場移設への言及はなかったが、シーファー大使は「合意した(在日米軍再編の)ロードマップをモメンタム(勢い)を維持して履行することが大切だ」との見解を述べたという。

 林防衛相も「順々にモメンタムを持って進めないといけない」と述べ、合意の実施を着実に取り組む方向性で一致した。

 林防衛相は「早い時期に沖縄へ行く予定だ」とした上で、「少なくとも沖縄の人々と率直にオープンな話ができる環境をつくることが大事だ」と強調した。

 またシーファー大使は、来年一月に期限が切れる海上自衛隊によるインド洋での給油の継続を求めた。林防衛相は明言を避けた。大使は給油活動に関して「アフガニスタンへの支援には国際社会の多数の国々が参加しており、日本も将来にわたって貢献を続けることを期待している」と要請。

 林防衛相は「国際社会全体がテロと戦っている。何かしなければいけないという点では党派を超え、認識は一致している」と述べるにとどめた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808131300_08.html

 

沖縄タイムス 社説(2008年8月13日朝刊)

[ヘリ墜落4年]

問題は未解決のままだ


 沖縄国際大学に普天間基地所属の米軍ヘリが墜落してからきょうで四年になる。一人の死者も出なかったのが不思議なくらいの事故だった。

 比較的規模の小さなヘリ事故はそれ以前からあった。「このままほって置いたら、いつか」―二〇〇四年八月十三日、事故は、いつ起きても不思議ではないという環境の中で、起きたのである。

 日常的な騒音被害とヘリ墜落の不安―事故以前もそれ以降も、事情はほとんど変わっていない。

 事故報道や事故対応などを通してあらわになったのは「米軍」「政府」「本土マスコミ」と沖縄側の、目もくらむような深い溝だった。

 その日夕方のNHKニュースも全国紙の翌日朝刊も、巨人軍・渡辺恒雄オーナーの辞任やアテネ五輪のニュースを大きく取り上げ、墜落事故の扱いは小さかった。

 夏休み中の小泉純一郎首相の反応は至って鈍く、稲嶺恵一知事に会ったのはずっと後になってからだった。

 ワスコー在日米軍司令官は現場を視察した後、「パイロットは良い仕事をした」と発言し、ひんしゅくを買った(肩書はいずれも当時)。

 県警は米軍に対し墜落現場の検証を求めた。民間地域に落ちたのだから当然である。だが、米軍は地位協定に基づく日米合意議事録を盾に日本側の検証を拒否した。

 この事故ほど、さまざまな点で基地問題の構図を明瞭に浮かび上がらせた事例は、少ない。事故は四年前の過去の話だが、提起された問題は依然として未解決のままだ。

 県民の中に今も、温度差という言葉だけでは片付けられない不信感がくすぶっているのは、基地政策が「差別的」だと受け取られているからだ。与党の政治家や中央省庁の役人は、往々にして、政府に対する県民の根強い不信感を「基地に反対する人たちの声」だと受け取りがちだが、その見方は正しくない。

 事故発生後の〇四年九月、沖縄タイムス社と朝日新聞社が共同で実施した世論調査によると、小泉首相の当時の対応を「評価しない」と答えた人は81%に達した。

 米軍が県警の現場検証を認めなかったことについては、自・公支持層を含め九割以上が「納得できない」と答えていた。

 「もし米軍ヘリが東京の都心の大学に墜落していたら、どうなっていただろうか」。今なお県民の中にくすぶるこのような声は、実は、与党野党に関係ない。

 普天間基地の危険性をいかに取り除くか。それが最大の問題だ。

 日米両政府は〇七年八月、危険性を軽減するため飛行ルートの変更などに合意した。

だが、宜野湾市は住宅地上空の「はみだし飛行」が目立ち、合意は守られていない、と指摘する。沖縄防衛局は近く、観測装置を使ってヘリの飛行実態を調査し、その結果を見て必要な措置を米軍に申し入れるという。

 「住民を危険にさらして一体、なんの安全保障か」という問いに、政府は正面から向き合うべきである。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080813.html#no_1

 

琉球新報 社説    

ヘリ墜落4年 危険との同居に終止符を 2008年8月13日

 世界で最も危険な米軍基地。それが、普天間基地である。米軍トップの国防長官すら認める危険な基地が、日米の首脳間で返還が合意されながら、12年間も放置されている。

 基地が居座る根拠は、日米安保である。国民を守るはずの安保が、市民の命を危険にさらす。一体、安保は何から何を守っているのか。

 日米特別行動委員会(SACO)合意が移設条件付きで普天間返還が難航する中、アテネ五輪に国内がわいた4年前のきょう、宜野湾市の沖縄国際大構内に普天間基地所属のCH53D大型輸送ヘリが墜落した。午後2時15分ごろの事だ。

 操縦不能に陥った米軍大型ヘリは沖国大本館に激突し、爆発・炎上した。住宅密集地だ。飛散したヘリの破片は周辺のアパート、民家、車両など50カ所を直撃した。

 破片の一部は乳児が眠る住宅の寝室を襲い、巨大なローターの破片はミニバイクを破壊し、住宅の壁や水タンクに突き刺さった。

 ヘリ乗員3人が重軽傷を負ったが、住民や学生たちは奇跡的に死傷を免れている。

 「一体、返還までにあと何回、このような事故を待てばいいのか」。重大事故に伊波洋一宜野湾市長は憤怒をぶつけたが、あれから4年、「日米安保の円滑な推進」のため普天間基地は、まだ宜野湾の市街地の中にある。

 ヘリ事故で県民は米軍優先の基地・沖縄の現実を思い知らされた。

 事故は日本国内、しかも民間地で起きた。にもかからず、日本警察の捜査権は米軍に奪われ、大学私有地は米軍に制覇・占拠され、立木や土壌は許可なく伐採、採取された。消火活動すら不自由を強いられ、現場を視察した日本政府高官すらも米軍に制された。

 日本の主権、私権、基本的人権を米軍はことごとく侵害したが、政府は米軍の権利とさえ追認した。

 事故後、米軍は再発防止や綱紀粛正を誓ったが、その後も米軍機事故は多発。この3年間で130件を超え、最近は増加傾向にある。

 ヘリ事故は、米軍基地との共存の危うさ、国民の命を危険にさらす日米安保の矛盾を実感させた。事故の「教訓」を思い返したい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135181-storytopic-11.html

 

琉球新報 社説    

資料非公開 国家ぐるみの隠蔽工作だ 2008年8月13日

 日本に駐留する米兵事件に関し、事実上の裁判権放棄を指示した通達が掲載された法務省資料を国立国会図書館が6月上旬から閲覧禁止にしていたことが明らかになった。

 1990年に資料を入手した後、閲覧できる状態になっていたが、法務省が「米国との信頼関係に支障を及ぼす恐れがある」として5月下旬に閲覧禁止を要請。国会図書館がこれを受け入れた。

 くさい物にふたをする、国家ぐるみの隠蔽(いんぺい)工作としか言いようがない。

 資料には「実質的に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する」と記載した53年の通達などが収められていた。

 「裁判権の放棄はない」という政府の説明を根底から揺るがす証拠資料だから、法務省としては一刻も早く人目に触れないところに隠しておきたかったのだろう。「米国との信頼関係」は、いかにも取って付けたような理由だ。

 法務省から閲覧をやめてほしいと求められ、唯々諾々として従った国会図書館の対応にも大いに問題がある。

 日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」は「図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき(中略)収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである」とうたっている。

 文書を作成した機関からの要請とはいえ、これまで公開していた資料を一転して非公開にしたことは、「図書館の自由」の原則にもとるのではないか。

 「宣言」は、戦前の図書館が「思想善導」の機関として国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした反省を踏まえ、国民の知る自由を守り、広げていく責任に言及している。

 国民の知る権利を抑えつけるのではなく、知る自由を保障するのが図書館の本来の役割であり、使命であるはずだ。いま一度原点に立ち返り、再確認する必要がある。

 今回、閲覧の対象から除外された「合衆国軍隊等に対する刑事裁判権関係実務資料」は72年に作成された。53年以降、法務省刑事局や最高検察庁が作成した通達などを掲載し、解説を加えている。

 日本側が第一次裁判権を行使できない「公務中の事件」の定義を拡大して解釈するよう促すなど、国民への背信行為と言っても過言ではない中身が含まれている。

 「主権国家」として恥ずべき内容だから表に出したくないのだろうが、国にとって外聞の悪い事柄はすべて秘密にするというのなら戦前と何ら変わらない。

 法務省は資料を隠蔽するのではなく、むしろ積極的に公開し、その趣旨等について、きちんと説明責任を果たすべきだ。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135182-storytopic-11.html

 

2008年8月13日(水) 夕刊 1・7面

放射能漏れ発覚後初 原潜が入港/うるま市ホワイトビーチ

 米海軍のロサンゼルス級原子力潜水艦コロンブス(六、〇八二トン)が十三日午前、うるま市勝連平敷屋の米軍ホワイトビーチに入港、海軍桟橋に接岸した。同型のヒューストンが約二年間にわたり原子炉から放射性物質を含む冷却水が漏れていたのが七日に発覚して以来、県内に初めての寄港。地元の知念恒男うるま市長や同市議会が寄港中止を求めている中での寄港で、反発が強まるのは必至だ。

 県によると、文部科学省と県が入港時の放射能の値を調査している。出港日時や目的は不明。県は二〇〇一年の米同時多発テロ以降、外務省の要請を受け、「一時的、例外的な措置」として二十四時間前の事前通告を報道陣に公表しておらず、非公表での入港が続いている。

 原潜の寄港は七月二十八日以来、今年に入って二十七回目で年間最多寄港数を更新。復帰後三百五回となった。ヒューストンの放射能漏れ発覚以来、国内では同型のラ・ホヤが佐世保基地(長崎県)に入港していた。

 コロンブスは午前九時すぎに浮上したまま岸に近づくと、十時すぎに接岸した。米海軍の警備艇と中城海上保安部の特殊警備救難艇「かつれん」、巡視艇「ゆうな」が見守る中、二隻のタグボートに曳航され接岸する様子が確認された。


     ◇     ◇     ◇     

反対の声無視 原潜接岸


 【うるま】旧盆初日の十三日午前九時すぎ、うるま市勝連のホワイトビーチに現れた原子力潜水艦「コロンブス」。同じ原潜の「ヒューストン」が放射能漏れを起こしていたことが明らかになってから一週間足らずでの入港。寄港反対の抗議決議も聞き入れられない状況に、地元では怒りが高まっている。

 十三日午前九時ごろ、ホワイトビーチ沖合に現れた黒い船体の「コロンブス」。うるま市議会基地対策特別委員会の東浜光雄委員長は「あれだけ寄港反対を訴えたのに、このような行動をとることは許せない」と憤る。同議会は十一日に、原潜の寄港反対や情報公開を求める抗議決議を可決したばかり。「米軍や国は、もっと沖縄県全体の問題として真摯にとらえるべきだ」と訴えた。

 地元平敷屋区の西新屋光男区長は「住民は日々の生活で精いっぱいの状況。早く普段の平穏な状態に戻ってほしい」と話す。

 十二日、沖縄防衛局で原潜の寄港中止などを訴えた知念恒男うるま市長は「また同じことの繰り返し。放射能が人体に影響がないといっても、目に見えないだけに市民は安心できない。少なくとも(国や米軍は)放射能漏れの具体的な対策を示すべきだ」と強調した。

 ホワイトビーチが見える同勝連平敷屋の現場では、平和運動センターや自治労などが緊急の抗議集会を開き、「沖縄を原潜の母港にするな」と寄港反対の声を上げた。同センターの山城博治事務局長は「原潜寄港は地域住民の声に背く行為。放射能漏れの原因究明がなされないままの寄港は許されない」と話した。


県、点検求める


 県の上原昭公室長は十二日午後、外務省日米地位協定室の船越健裕室長に対し、「県民は大きな不安と米軍の安全管理体制に疑念を抱いている」と指摘。県内に寄港するすべての原子力艦の点検、安全対策を求めた。ホワイトビーチへの寄港が大幅増加していることについても、増加要因の説明を求めた上で、今後の寄港についても、必要最小限にとどめるよう申し入れた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808131700_01.html

 

2008年8月13日(水) 夕刊 6面

壕から水筒 持ち主判明か/栃木出身兵と符号

 沖縄戦の激戦地だった那覇市真嘉比の丘陵で、旧陸軍の陣地壕から「西田」と記名のある水筒が見つかり、栃木県出身の西田宇吉さんという兵士の所持品だった可能性が高いことが、十三日までに分かった。

 水筒を今月上旬発見した那覇市の遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」が、元自衛官の小倉暁さん(67)=那覇市=の協力を得て調査した。

 水筒に刻まれた「西田」「二ノ三ノ三」の文字を手掛かりに、防衛省に残る部隊編成資料を調べたところ、この地域で戦闘に参加した可能性が極めて高い西田姓の兵士は二人。このうち宇吉さんは独立混成第一五連隊の第二大隊第三小隊第三分隊に所属。刻まれた数字と符合した。

 ガマフヤー代表の具志堅隆松さん(54)は「戦後六十年以上経過してから遺品が出土し、持ち主につながる情報が残されていることは異例。ぜひ遺族の手にお返ししたい」と、身元特定につながる情報提供を呼び掛けている。

 第一五連隊は一九四四年六月、関東出身者を中心に二千人余りが千葉県で編成され、山口県を経由して沖縄に入った。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808131700_05.html

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