ドクターヘリ追加導入/舛添厚労相方針示す 新基地建設ノー/県内の大学教授ら18人 抗議決議2週連続/うるま市議会 中部市町村会が抗議決議/原潜放射能漏れ など 沖縄タイムス関連記事・社説、琉球新報 社説(8月14日から20日)

2008年8月14日(木) 朝刊 1面

ドクターヘリ追加導入/舛添厚労相方針示す

 【北部】来県中の舛添要一厚生労働相は十三日、名護市内で会見し、国と県が財政支出するドクターヘリ事業について「来年度、沖縄県に二機目のドクターヘリを入れようと思っている」と述べた。舛添厚労相が、二機目の県内導入の方針を示したのは初めて。今後、財政支出など県の対応を見極めた上で判断を下すとみられる。また、舛添厚労相は資金難から一時運休している北部地区の「救急ヘリ」について、在日米軍再編計画に協力する自治体に支給される米軍再編交付金を活用すべきだとの考えを示した。

 厚労省のドクターヘリ事業ではヘリ一機年間約八千万円の県負担が発生する。県は「財政難で予算一律カットを余儀なくされている現状で、二機目の導入は困難」との見方を示した。

 舛添厚労相は、資金難から一時救急ヘリを運休しているNPO法人「MESH(救急ヘリ搬送事業)サポート」設立準備委員会の名護市内のヘリポートを視察した。

 その後の会見で舛添厚労相は、二機目のドクターヘリについて「北部がいいのか、宮古・八重山なのか、どの地域へ配備されるかは地元の決定に従う」とした。

 また、「県民の命が助かるためなら何でもやる、そういう姿勢があっていい」と述べ、ドクターヘリの指定に必要な救命救急センターが整備されるまでの間、救急ヘリの運航再開に向け地元が再編交付金の活用を検討するよう求めた。

 島袋吉和名護市長は、「再編交付金の活用を庁内で検討しているが、北部十二市町村としてどんな支援ができるか、検討している段階だ」と述べた。

 小濱正博同委員会代表は、視察した舛添厚労相に救急ヘリ運航再開へ向け、個人や企業の寄付を募っているが「民間だけの力では限界」と述べ、米軍再編交付金やふるさと納税制度活用も、含めた行政から支援を求めていることも説明した。


[ことば]


 ドクターヘリ事業 国の補助事業で医師や看護師が搭乗したヘリコプターが事故現場などに出向き、早期救命治療に当たる仕組み。県内では浦添総合病院が指定。MESHサポート設立準備委員会が運営する救急ヘリは民間資金で運営されている。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808141300_01.html

 

2008年8月14日(木) 朝刊 27面

「ぜひ北部に」住民歓迎/厚労相ヘリ導入発言

 【北部】「二機目の配置をぜひ北部に実現してほしい」―。来県した舛添要一厚労相が十三日、来年度予算で県内に二機目のドクターヘリ導入の検討を明言したことを受け、救急ヘリ存続を望む北部では歓迎の声が上がった。一方、厚労相が運休中の救急ヘリの運航再開に米軍再編交付金の活用を促したことに対し、米軍基地の県内移設に反対する市民団体などから「命の問題まで、基地に預けてしまうのか」と反発する声も上がった。

 医療と基地移設を絡めた大臣発言が議論を呼びそうだ。

 離島村の大城勝正伊江村長は「沖縄は離島が多く、救急ヘリはどうしても必要。大臣の発言は頼もしい」と歓迎した。二機目導入に慎重姿勢を崩さない県に対しては「離島の現状を理解し、ぜひ協力してほしい」と要望する。

 国頭地区消防本部の親川守洋消防長は「ドクターヘリは空飛ぶ救急車。北部への配置が実現すれば、全県民にとって大変喜ばしいことだ」と必要性を訴えた。

 国頭村奥では八月中に二度、区民が浦添総合病院のドクターヘリを利用した。ヘリを命綱と頼る状況は変わらないと訴える玉城壮区長(66)は「どこに配置するかは県が決めるというが、北部地域が指定されるものと信じている」と期待感をにじませた。

 これに対し、名護市辺野古への米軍普天間飛行場移設を前提とした米軍再編交付金の活用に慎重な対応を求める声もある。十二日に救急ヘリ存続の陳情書を名護市などに提出した沖縄医療生協名護支部の東江英明支部長(61)は「ドクターヘリの問題は国、県がきちんと制度をつくって進める問題だと思う。命の問題に、基地負担の見返りを充てるのは、基地がなくなればヘリもなくなるということにつながる。筋違いではないか」と指摘。

 東恩納琢磨名護市議は「ドクターヘリが必要なことは、誰もが認める。しかし、命まで基地のお金に頼っていいのか。きれい事かもしれないが、それでは沖縄の自立につながらない」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808141300_02.html

 

2008年8月14日(木) 朝刊 2面

場周経路 28日から調査/普天間飛行場

防衛局説明「7日間」/伊波市長「長期的観測を」

 【宜野湾】国が実施を発表していた米軍普天間飛行場の場周経路の実態把握調査について、沖縄防衛局は十三日、調査開始を今月二十八日から九月三日までの七日間予定していることを宜野湾市に説明した。二〇〇四年八月の米軍ヘリ墜落から十三日で満四年を迎えて会見した伊波洋一宜野湾市長が明らかにし、「七日間では飛行場の実態を正確に把握するのに不十分だ」とし、長期的な調査を求めている。

 場周経路は〇四年八月十三日、沖縄国際大学に米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリが墜落、炎上した事故を発端に、同飛行場周辺への米軍機墜落を防ぐために日米で合意された飛行ルート。宜野湾市はこれまで、米軍機の日常的なはみ出し飛行を訴えている。

 指摘を受けた国は、今月五日に同飛行場の危険性除去を協議した県とのワーキングチームで、航空機航跡観測装置による実態調査を実施すると発表した。

 十三日に沖縄防衛局から説明を受けた同市によると、調査は地上の航空機航跡観測装置で米軍機から発信される信号を受信すると同時に、GPS(衛星利用測位システム)で衛生から米軍機の位置を把握し、航跡を観測するという。装置は宜野湾市と飛行場周辺の市町村への設置を検討している。

 会見した伊波市長は「普天間飛行場の危険性は極限状態で、場周経路が守られていないことは特に指摘すべき点。国は飛行場の飛行実態を把握し、改善するよう強く米軍に求めるべきだ」として危険性除去と同飛行場の閉鎖、返還を求める声明を読み上げた。

 国の調査については七日間では不十分とした上で、「期間中に米軍が飛行を自粛すれば、彼らのアリバイづくりに利用されてしまう可能性もある。飛行場の実態を明らかにするためには、観測装置を常設した長期間の調査が必要だ」と指摘した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808141300_04.html

 

2008年8月14日(木) 朝刊 27面

放射能は「平常値」/原潜、13日夕も停泊

 【うるま】十三日午前、うるま市勝連平敷屋のホワイトビーチに入港した米海軍ロサンゼルス級原子力潜水艦コロンブスは、同日夕も同港に停泊した。文部科学省沖縄対策本部から県基地対策課に入った放射能調査結果は「平常値と同様」としている。県によると、同艦の入港は同日午前十時十七分。出港の日時は不明。

 うるま市は旧盆明けにも沖縄防衛局など関係機関に対し抗議行動する方針を決めた。

 同日午後、沖縄平和運動センターや自治労の関係者らがホワイトビーチを見下ろせる同市平敷屋で抗議行動を展開。同センターの山城博治事務局長は「先祖を迎える旧盆の初日に、まさか原潜が来るとは。寄港は絶対に許されない」と怒りをあらわにした。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808141300_05.html

 

2008年8月14日(木) 朝刊 27面

爆音、団らん裂く

静かな盆を 市が抗議

 【宜野湾】旧盆迎え日(ウンケー)の十三日、米軍普天間飛行場で軍用機が終日激しく飛行訓練し、市街地に騒音をまき散らした。この日は二〇〇四年八月の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落から満四年。宜野湾市は飛行の即時停止を求め、米軍に文書で抗議した。市民からは「住民感情を逆なでしている」と反発の声が上がった。(銘苅一哲)

 一九九六年に日米が合意した騒音防止協定では「慰霊の日など地域社会にとって特別に意義のある日については、訓練飛行を最小限にするよう配慮する」と規定されている。

 この日は午前中からKC130空中給油機がごう音を響かせ、午後からはCH46中型輸送ヘリ、AH1軽攻撃ヘリが市街地上空を旋回。先祖を迎えるため、多くの家庭で親類が集う日没後の午後八時すぎまで飛行が続き、団らんをかき乱した。

 同飛行場の滑走路延長線上にある野嵩二区の新城清子自治会長は「市内の住民は日ごろから爆音に悩まされているのに、厳かに旧盆を過ごしたいという願いもかなわない。四年前に他界した父を静かに迎えたかった」と不満を漏らした。

 沖国大がある宜野湾区。旧盆で親類をもてなす料理の準備をしていた糸数ミツ子さん(72)は「大切な行事のウンケーで忙しいのに、こんな日に飛ぶ米軍は何を考えているのか。事故が起きてから何も変わっていない」と危険が放置される現状に憤った。

 在沖米海兵隊に抗議した宜野湾市の山内繁雄基地政策部長は「住民の感情を無視する訓練は許されない。旧盆期間中は飛行しないよう強く申し入れた」と話した。


沖国大の学生 写真を校舎に


 【宜野湾】米軍ヘリ墜落事故から四年目の十三日、墜落現場の沖縄国際大学では学生たちが、ヘリの激突で焼け焦げた校舎の壁の写真をプリントした大型シートを、事故後に新築された校舎に掲げた。事故を風化させてはならない、との思いから同大総合文化学部社会文化学科四年の阿波根優斗さん(21)=読谷村=が中心になって行った。

 シートの大きさは約二メートル×三メートル。昨年の同事故三周年に学内で開催した「ノーフライ・ゾーン・コンサート」の実行委員会の学生らが、資料写真を使って製作した。

 この日に掲げた理由について実行委のメンバーだった阿波根さんは「事故があったことを伝えていってほしい、との先輩たちの願いを形にしなければならないと思った」と話した。シートは一週間掲げる予定。阿波根さんらは十月の学園祭で同事故をモチーフにした演劇も計画している。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808141300_08.html

 

2008年8月14日(木) 朝刊 26面

亡き友に卒業の証しを/対馬丸犠牲者33人に

 対馬丸記念会(高良政勝会長)は、一九四四年八月に撃沈された学童疎開船「対馬丸」に乗船し、犠牲になった旧甲辰国民学校六年生三十三人への卒業証書授与式を二十二日に那覇市若狭の対馬丸記念館で開催する。同会によると、うち三十一人の遺族ら関係者と連絡が取れておらず、心当たりのある人からの連絡を呼び掛けている。

 甲辰国民学校は日本軍の兵舎として接収され、戦後に廃校となった。

 卒業証書は九一年、対馬丸沈没時に六年生だった大浜千代さん(76)=東京都渋谷区=の発案で作成された。授与式を開催し、同級生や遺族ら五十八人分の証書を授与した。渡せなかった証書を同級生の大城正樹さん(76)=那覇市=が昨年十二月、同会に寄贈。慰霊祭に二度目の授与式を催すことにした。

 大浜さんは巡洋艦「鹿島」で対馬丸より四日早く出港し、戦禍を逃れた。「そのころも夏休み。みんなさよならも何も言わずにバラバラになった。何とか一緒に卒業したかった」と声を落とした。

 自身も対馬丸生存者の高良会長は「心ならずも卒業できずに犠牲となった子どもたちの霊を慰めるために、一人でも多くの関係者に卒業証書を渡したい」と訴えた。

 証書授与の問い合わせは同記念館、電話098(941)3515。

 二十二日の卒業証書授与予定者は以下の通り。

 ▽森哲二▽山里昌永▽山城重夫▽屋良利重▽阿嘉広一▽与古田清春▽田頭恵昭▽石垣長英▽宇良昌益▽久場毅▽国吉順子▽金城ヤス▽大田義子▽運天サヨ子▽上原規子▽宮城信次郎▽宮城信太郎▽又吉義清▽又吉ミツ▽比屋根安忠▽比嘉安雄▽比嘉啓宜▽比嘉実▽百名朝喜▽長嶺由広▽当銘喜勝▽知念政枝▽知念永成▽高嶺トミ子▽高江洲清一▽後藤悦子▽小橋川正信▽瑞慶覧昌徳

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808141300_09.html

 

2008年8月15日(金) 朝刊 2面

新基地建設ノー/県内の大学教授ら18人

 大学教授でつくる「いまこそ発想の転換を!実行委員会」は十四日、県庁で記者会見し、作家や弁護士ら十八人の賛同者名で「沖縄における新基地建設に反対する声明」を発表した。日米両政府が米軍普天間飛行場の移設策として合意した名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設反対を求めている。

 声明文は首相、外相、防衛相、沖縄担当相、県知事、米大統領、米国務長官、米国防長官、米大統領選候補者のオバマ、マケイン両上院議員に送付した。

 沖縄対外問題研究会代表の宮里政玄氏は「沖縄の政治は思考停止している。辺野古の基地建設が当然で、振興策も出来高払いというのは思い違いがある」と批判。十一月の米大統領選や流動化する国内の政局を挙げ、「変わり目であることに間違いはない。県民の誤った常識を覆し、日米両政府に要請したい」と趣旨を説明した。

 会見に参加したのは宮里氏ほか新崎盛暉沖縄大名誉教授、桜井国俊同大学長、佐藤学沖縄国際大教授、我部政明琉球大教授、星野英一同大教授の六氏。

 同委員会は今年二度にわたって、安保・開発・環境・経済の各分野の専門家を集め、シンポジウムやティーチインを開催した。桜井学長は「沖縄の世論を喚起したい」と述べ、年内に再びシンポジウムを開催する考えを示した。

 六氏以外の賛同者は以下の通り。(敬称略)

 東江平之(琉大名誉教授)、大城立裕(作家)、大城光代(弁護士)、来間泰男(沖国大教授)、照屋寛之(同)、砂川恵伸(元琉大学長)、仲地博(琉大教授)、比嘉幹郎(政治学者)、新川明(フリージャーナリスト)、三木健(同)、宮里昭也(同)、由井晶子(同)

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808151300_09.html

 

琉球新報 社説    

終戦記念日 節目の日に「非戦」を考える/恒久平和誓う「国民宣言」を 2008年8月15日

 きょう、63回目の終戦記念日。軍国主義の反省と恒久平和の尊さを実感し、武力と戦争の放棄を掲げる平和憲法の理念を再確認したい。

 日本の本当の終戦記念日は1945年「9月2日」との主張が、今なおある。その日は、米英中など連合国と日本政府・軍代表が米戦艦ミズーリ艦上で、降伏文書の調印をした日である。

 実際、講和条約発効前の51年ごろまでメディアも9月2日を「降伏の日」「敗戦記念日」と報道してきた。

「ポツダム宣言」受諾の日

 では、なぜ8月15日か。この日は、旧日本軍の大元帥である昭和天皇がラジオ放送を通し、肉声で国民に「ポツダム宣言」の受諾を伝えた日。つまり「玉音放送」の日である。

 米英中による対日降伏勧告「ポツダム宣言」の受諾をもって終戦とするならば、前日の8月14日がその日である。日本政府は、同宣言受諾と天皇の終戦の詔書を、14日に発布しているからだ。

 そのポツダム宣言は、45年7月26日に通告された。しかし、政府はさまざまな事情から、8月14日まで受諾を先送りした。

 受諾を拒む日本に米英中の三国は対日攻撃を激化。8月6日に広島、9日には長崎に原爆を投下している。ポツダム宣言は三条で戦争継続なら「軍事力の最高度の使用」で、日本の軍隊と全土を壊滅すると、原爆投下も示唆していた。

 降伏をためらう政府の判断ミスが、原爆による多くの国民の犠牲を生んだともいわれるゆえんだ。

 だが、いかなる事情があるにせよ、米軍が行った原爆投下による民間人の大量虐殺の罪は、容認されるものではない。

 天皇は、玉音放送で「加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る」と原爆投下の悲劇に触れている。

 その上で「而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来する」と、戦争継続による民族滅亡の強い危機感を吐露している。

 ポツダム宣言は、戦争継続が全国土の「迅速かつ完全な壊滅」を招くとどう喝し、軍国主義勢力の除去、カイロ宣言が求める満州、台湾など第一次大戦以後の占領地の返還、軍隊の完全武装解除、戦争犯罪人の処罰などを求めていた。

 同六条は「日本国民をだまし、世界征服をたくらむという過ちを犯した権力者や政治勢力は、永久に除去されなければならない」と、軍国主義勢力の除去を強く求めた。

 同七条は日本占領は「日本の戦争遂行能力が破砕されたことが確証されるまで」と明記している。

 占領終結は「日本国民が表明した意思に従い、平和的傾向を持つ責任ある政府が樹立した段階」で、「占領軍はただちに日本国より撤収される」と確約している。

国際法上は講和発効日

 日本に軍国、帝国主義との決別を求めるポツダム宣言は、現在の自由と民主主義を基本とする国づくりの基本も示していた。

 例えば「日本政府は、日本国民の間の民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害の除去」「言論、宗教、思想の自由。基本的人権の尊重の確立」などだ。

 終戦の日を境に、日本は連合軍の占領下に置かれる。占領は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日まで続く。

 国際法上は、講和条約発効の日が「第二次大戦終結」の日とされる。もう一つの終戦記念日だ。

 講和による「終戦」で日本本土は占領を解かれ、主権国家として国際社会に復帰した。

 しかし、講和条約の発効の日、沖縄は日本から切り捨てられ、米軍統治下に置かれた。以後本土復帰までの27年間、自治権、基本的人権、財産権も奪われる「屈辱の日」となった。

 ポツダム宣言で日本に民主主義を求め、基本的人権の尊重を主張した連合国だが、沖縄では住民自治を否定し、軍事独裁政権下のような占領を自ら行った。

 戦後63年。日本はいまポツダム宣言が破壊した「戦争遂行能力」を持つ軍隊を復活させ、有事法制を整え、海外に派兵し、平和憲法の改悪すら射程に入れる。

 「本当の終戦記念日はいつか」を問う前に、いま「新たな戦争」を回避し、恒久平和を誓う「国民宣言」が必要な時期を迎えている。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135250-storytopic-11.html

 

2008年8月16日(土) 朝刊 27面

旧盆中日、騒音273回/米軍飛行

 【宜野湾】旧盆中日の十四日、米軍普天間飛行場を離着陸するヘリや米軍機の飛行訓練が午後十一時ごろまで続き、宜野湾市新城地区で騒音が二百七十三回発生。上大謝名地区では一〇二・一デシベル(電車通過時の線路脇に相当)が計測された。日米合意の騒音防止協定で米軍が「地域への配慮を行う」と規定される旧盆中の騒音に、市民からは「今年の旧盆は特にひどい。許せない」など怒りの声が上がった。

 県が同市内に設置する航空機騒音測定器は十四日、市内八カ所中、新城、宜野湾、真志喜、上大謝名、愛知の計五カ所で百回以上の騒音を記録した。

 同飛行場に隣接する新城地区では、午前七時半から午後十時五十六分ごろまで騒音が発生。滑走路延長線上の上大謝名地区の騒音発生回数は百三十回に上った。

 ウークイの十五日も、午前中からCH46中型輸送ヘリがタッチ・アンド・ゴーを繰り返した。

 十四日夜、道ジュネーで地域を練り歩いたという新城青年会の南風里修平さん(21)は「エイサーがヘリの音にかき消された。ただでさえ毎日うるさいのに、一年で一番大切な日に飛ぶのは許せない」と憤った。

 公民館の真上を米軍機が飛行する上大謝名の津波古良一自治会長は「先祖の霊を迎えて厳かな気持ちで過ごすはずの日に、空ではヘリが飛ぶ異常な事態はいつまで続くのか」と国や県に危険性の除去を求めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808161300_06.html

 

沖縄タイムス 社説(2008年8月16日朝刊)

[救急ヘリ導入]

問題点の整理が必要だ


 一見するといいアイデアのように思えるが、よくよく考えてみるとおかしい。

 資金難から一時運休している北部地区のドクターヘリの再開について、舛添要一厚生労働相は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沿岸域移設の進捗状況に応じて国から関係自治体に支出される再編交付金を活用するべきだとの考えを示した。

 ドクターヘリの指定に必要な救命救急センターが整備されるまでの間、との条件が付いてはいるが、地元には再編交付金を使うのに根強い反対がある。

 交付金の使い道は最終的には自治体と住民が決定するのが筋であり、国が自治体に指図するのは本末転倒だ。

 厚労相の発言に対し、地元から疑問の声が上がっているのは、命を逆手に取るような形で米軍基地建設を受け入れさせようとしているとみているからだ。

 命に勝るものはない。反論する者は誰もいないだろう。ただ、それを人質にして米軍基地建設の受け入れを促すのは厚労省の役割を逸脱するものではないか。

 名護市は再編交付金を充てるか庁内で検討している。あくまで選択肢の一つではあるが、活用に当たっては慎重さを求めたい。辺野古移設をめぐっては依然反対が大きいからだ。

 ドクターヘリを運休しているNPO法人「MESHサポート」設立準備委員会は、近くNPO法人認可申請を県に提出するという。関係者は順調にいけば、年内にも認可されると期待している。

 一方で、舛添厚労相は来年度、沖縄県に二機目のドクターヘリを導入する考えを初めて明らかにした。

 現時点では拠点がどこになるのか決まっておらず、年間約八千万円の負担をしなければならない県は、財政難を理由に二機目の導入にはむしろ消極的だ。北部十二市町村にしても足並みがそろっているわけではない。

 中・南部の都市部に近い自治体と、離島や北端の自治体では切迫感に違いがある。北部地区の中でも微妙に格差が生じている。

 先日の本紙オピニオンで、那覇市の薬剤師は「(北部地域のダムのおかげで)上水道の恩恵にあずかっている県民がその料金に多少上乗せして、広義のふるさと納税を考えてみてはいかがか」と提言している。

 ふるさと納税、寄付と組み合わせる方法もあり、一考に値するのではないか。

 命は本来、住む場所で差別があってはならない。

 とはいうものの、現実をみると、過疎化の進む離島や僻地から医療施設が充実した病院は遠い。

 沖縄は離島が多く他府県と違う特殊性がある。それだけに、医療格差を是正するのは厚労省の役割といえよう。

 ドクターヘリについてはその必要性を含め、二機目の拠点となる場所、さらにMESHの資金調達の在り方などクリアすべき課題が山積している。

 県は問題点を早急に整理する必要がある。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080816.html#no_1

 

琉球新報 社説    

靖国神社参拝 政治家の歴史認識を問う 2008年8月16日

 靖国神社とは何か。ことしも現職閣僚をはじめ小泉純一郎元首相、安倍晋三前首相らが、終戦記念日に参拝した。

 「公式参拝」は違憲の判決もある。政教分離(憲法20条)や玉串料など宗教組織への公金支出の禁止(同89条)などが、その論拠となっている。

 憲法違反の疑いがあっても、閣僚たちは靖国参拝を行う。そこに、日本の保守政治家の歴史観や価値観が垣間見える。

 戦後、首相として終戦記念日に靖国神社を参拝したのは、三木武夫、中曽根康弘、そして小泉純一郎の3氏である。

 いずれも中国や韓国を中心に「過去の軍国主義を美化するもの」などの反発を買った。

 2001年8月の小泉元首相の参拝は、「靖国公式参拝訴訟」として福岡地裁に提訴された。

 司法は「参拝は公的な性格で、憲法が禁ずる宗教活動に当たる」と、違憲判決を出している。

 それでも当時の小泉首相は「国のために尊い犠牲になった方々に対する追悼は自然なこと」と、参拝を続け、中国の反日感情を刺激して、日中関係を冷え込ませた。

 米国に次ぐ最大の貿易相手国に成長した中国との関係悪化にたまらず、06年5月には経済同友会が小泉首相に参拝中止を提言したほどだ。

 外務省は、首相の靖国参拝を「過去の植民地支配と侵略を正当化しようとするものではない」と釈明したが、アジアの懸念を打ち消すには不十分だった。

 靖国参拝問題には、もう一つ「A級戦犯合祀」問題もある。

 1978年、極東国際軍事裁判(東京裁判)で侵略戦争の責任を問われた東条英機元首相ら14人が靖国神社に合祀された。

 戦後数年ごとに靖国参拝を続けていた昭和天皇も合祀に不快感を示したとされ、75年を最後に合祀後は現天皇も含め参拝を中止している。参拝を続ける閣僚、政治家らはA級戦犯合祀問題をどう受け止めているのか。

 今年は靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、国会議員や右翼団体の抗議で上映が中止になるなど、表現の自由とも絡んで波紋を広げた。

 福田康夫首相は、近隣諸国への配慮から参拝を控えた。しかし、保岡興治法相、太田誠一農相、野田聖子消費者行政担当相ら閣僚が参拝している。

 靖国参拝問題は、日本の政治家にとって侵略戦争に対する歴史認識を問う「踏み絵」の感すらある。

 福田首相はアジア諸国の信頼を損なうことがないよう、A級戦犯分祀や宗教色のない新追悼施設の建設など、抜本的な解決に前向きに取り組む時期に来ている。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135279-storytopic-11.html

 

2008年8月17日(日) 朝刊 24面

学童疎開船 悲劇伝える/秋篠宮ご一家が見学

 【東京】一九四四年八月、米潜水艦に撃沈された対馬丸などの学童疎開船の悲劇を伝える企画展(主催・同実行委)が十六日、都内の新宿文化センターで始まり、秋篠宮ご一家が展示された遺品のランドセルなどを見学した。

 開会セレモニーで、対馬丸記念館の高良政勝館長は「船が沈み、メモリアルだけが残った。少ない展示物の中で、古ぼけたランドセルは対馬丸を象徴する遺品です」と静かに話した。

 主催者を代表して、こども王国首脳会議の松平恒忠総裁は「二度とあってはならない悲しい出来事だと世界中の人の心に刻んでほしい」とあいさつした。

 二十一日まで続く企画展では、九七年に対馬丸の船体が海底で発見された経緯を説明するパネルや沖縄戦関連の書籍などが展示。四四年に奄美大島から鹿児島へ向かう途中、米軍の魚雷で沈没した疎開船「武州丸」に関する資料もある。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808171300_07.html

 

琉球新報 社説    

新基地にノー 「思考停止」にならずに 2008年8月17日

 「ゆでガエル理論」というのがある。熱いお湯の中にカエルをいきなり入れると、びっくりして器の外に飛び出してしまう。しかし、水の中に入れて少しずつ熱していくと、その水温に慣れていく。そして熱湯になった時には、すでに考える力も失い、さらに飛び出ることもできなくなりゆで上がってしまう。

 沖縄に新しい軍事基地は不要だとして、これまでの「常識」を覆そうと活動する学識者らが、普天間代替建設などに反対する声明を発表した。組織の代表を務める沖縄対外問題研究会の宮里政玄氏は「日米で(政権に)変化が起こりつつある。声明を出すタイミングは非常にいい。だが沖縄だけがさっぱり動かない。声明は日米両政府あてだが、県民に対するものでもある」と述べている。

 沖縄県民は基地問題に関して思考停止に陥っていないか、またゆでガエルになってはいないか、との警告と受け止めた。これは果たして考え過ぎだろうか。

 「米国に逆らってもしょうがない。日米関係の維持が何よりも重要だ」「北朝鮮が攻めてきたらどうする」「基地を受け入れて財政支援を得るしか、沖縄が生きる道はない」―。これらの「常識」がまかり通った結果、「基地の県内建設は避けられない」と信じ込んだ人が多いのが現状だろう。

 しかし、果たして「常識」とされる、その考えは正しいのだろうか。ほかに取るべき道はないのかどうか。名護市辺野古への普天間飛行場代替施設建設が既成事実として進んでいるが、引き返す選択肢がないわけでもあるまい。

 芝健介・東京女子大学教授は「システムはできあがったら、抜け出せない。その前に手を打たないと」と警告する。さらに「大きな流れにのみ込まれそうなときに『待てよ』という感覚を持てるか」「過去に実際に起きた事実とは別にあったはずの選択肢が、なぜ実現しなかったのか、検証する必要がある」(本紙13日付文化面)とも。沖縄の現状を考える上でも、示唆に富む指摘だ。

 歴史を学ぶということは、過ちを繰り返さない、ということでもある。身近な事例は、いくらでもあろう。なぜ、先の大戦に突入せざるを得なかったのか。なぜ、理想とは大きく異なる本土復帰となったのか。別の選択肢はなかったのか。その都度、「待てよ」という意識の営みが必要だ。声明は県民一人一人にこう呼び掛けている。

 すでに、私たちが熱湯の中にいるとは思えない。考える力も、ぬるま湯の外に飛び出す力も残っていると信じたい。とはいえ、徐々に温まっていくときが人間にとっては一番、気持ちがいい。今が、まさにその時期だとしたら、残された時間はそれほどない。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135318-storytopic-11.html

 

2008年8月19日(火) 朝刊 2面

抗議決議2週連続/うるま市議会

 【うるま】うるま市議会(島袋俊夫議長)は十八日、臨時会を開き、米海軍のロサンゼルス級原子力潜水艦「コロンブス」が十三日に同市勝連のホワイトビーチに寄港、接岸した件について、関係機関に寄港反対と寄港の明確な説明責任を求める抗議決議、意見書案を全会一致で可決した。

 抗議決議のあて先は米国防長官、駐日米国大使、在日米軍司令官など。意見書は衆参両院議長、首相、外相、県知事などにあてた。

 抗議決議では、同型の原潜「ヒューストン」がホワイトビーチ寄港時に放射性物質を含む冷却水漏れ事故を起こし、原因が究明されないまま、新たな原潜が寄港したことを「住民感情を踏みにじる行為であり、到底許されない」と糾弾した。

 同議会は十一日、「ヒューストン」の事故に対して寄港反対、原因究明を求める抗議決議案を可決したばかり。今回の原潜寄港について「市民や県民の声を無視する形で原潜が寄港したことに強い憤りを覚える」として、寄港反対や日米地位協定の抜本的改定を関係機関に求めている。


コロンブス出港

停泊5日


 県基地対策課によると、うるま市勝連平敷屋のホワイトビーチに十三日から入港していた米海軍ロサンゼルス級原子力潜水艦コロンブス(六、〇八二トン)が十八日午後一時五十九分、出港した。寄港時間は五日間三時間四十二分。文部科学省沖縄対策本部の放射能調査結果によると、平常の値と同様だった。寄港目的は休養・補給・維持で、同型潜水艦ヒューストンの冷却水漏れが発覚後、県内に初めて寄港していた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808191300_06.html

 

2008年8月19日(火) 朝刊 2面

米軍、県議会視察断る

 県議会米軍基地関係特別委員会(渡嘉敷喜代子委員長)は十八日、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ内から、米軍普天間飛行場の代替施設建設予定地を視察した。軍特委が希望していた東村高江周辺の北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)やキャンプ・ハンセンのレンジ3、4の視察は米軍の許可が下りなかった。

 渡嘉敷委員長はヘリパッド予定地が不許可となったことについて「米軍は『反対している人々が過激になって、議会の車両の安全を守れない』という理由で、視察を断ってきた。議会の権威がなくなる」と米軍の対応を批判した。

 シュワブでは沖縄防衛局幹部の説明を受けながら、建設予定地を視察。与野党の委員らはそれぞれ環境への影響やオスプレイ配備の有無、沖合移動した場合の騒音などについて質問した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808191300_07.html

 

2008年8月19日(火) 夕刊 1面

中部市町村会が抗議決議/原潜放射能漏れ

 【中部】中部市町村会(会長・知念恒男うるま市長)は十九日の定例会で、うるま市のホワイトビーチに寄港した米原子力潜水艦「ヒューストン」から微量の放射能漏れが確認された問題について、情報開示の遅れに抗議し、同ビーチへの寄港を中止するよう求める抗議決議と要請決議を全会一致で可決した。

 抗議決議は「人体に影響がないとの理由で公表がされなかったことは許されず、極めて重要な情報を速やかに通報・公表しなかったことは日米両政府の住民軽視であると言わざるを得ない」と指摘。米軍の危機管理意識の低さに不信感と憤りを覚えるとしている。

 あて先は抗議決議が米国防長官、駐日米国大使、在日米軍司令官など。要請決議は衆参両院議長、首相、外務相など。各あて先に送付する。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808191700_01.html

 

2008年8月19日(火) 夕刊 7面 

再生ピアノで環境教育/調律師の仲村さん

宜野湾市でピアノの調律や修理を手掛けるクリエイト代表のピアノ調律師・仲村和也さん(49)が、那覇市のリサイクルプラザにある再生ピアノを10年間、無償で調律、調整している。リサイクルの大切さを伝える同プラザの趣旨に賛同した活動で、コンサートや子どもたちの職場体験にも活用。ピアノ調律の現場から、地道に環境教育を続けている。(上間正敦)

 同プラザのピアノは、一九五三(昭和二十八)年製造の国産グランドピアノ。米軍の将校クラブで使われていた年代物で、那覇市内の男性の提供を受け、リサイクル運動のシンボルとして導入。知人を介して仲村さんが無償で修理、調律に当たっている。

 同ピアノの誕生五十年を記念したコンサートを開いたり、仲村さんが引き受けた小中学生の職場体験でも活用。立派に鳴り響く五十年前のピアノに「子どもたちも、長くもたせることに価値を感じてくれる」(仲村さん)と効果を挙げている。 仲村さんの活動は、十数年前、埋め立て廃棄処分される中古ピアノの話題を月刊誌で知ったことが契機。「ピアノ製作の修行で渡ったイタリアでは、孫子の代までピアノを引き継ぐ。壊れたり、古くなっただけでピアノを捨てる日本や沖縄の現状はどこかおかしい」と仲村さん。

 「県内でも車庫や屋外に放置され、事実上廃棄されたピアノもある。このままでは沖縄の魂でもあるサンシンさえも捨てられかねない。物を大切にする、手を掛ければきちんと応えてくれる楽器は生き物と同様だ」と話す。十三日の職場体験に参加した大山小五年の友利譲司君(11)は、鍵盤から弦をたたくハンマーに力が伝わり、音が出る複雑な仕組みに驚き、「五十年たってもいい音が出る。大事にしてあと百年はもたせた方がいい」と再生ピアノに興味津々だった。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808191700_02.html

 

2008年8月19日(火) 夕刊 7面

国の合祀関与指摘/沖縄靖国訴訟で遺族

 沖縄戦の遺族ら県内の五人が靖国神社と国に、肉親の合祀の取り下げと慰謝料を求めている訴訟の第二回口頭弁論が十九日、那覇地裁(大野和明裁判長)であった。

 遺族側は、昨年三月に国立国会図書館がまとめた「新編 靖国神社問題資料集」に基づき、戦没者情報の提供など国の積極的な関与がなければ合祀は不可能だったと指摘。

 国は主導的に靖国神社の合祀に援助・協力してきたと訴えた。

 国や地方が膨大な労力をかけた戦没者情報の提供や、靖国神社側に働き掛けて行われた度重なる打ち合わせなど、国の協力がなければ靖国神社が戦没者を知ることも、合祀祭の執行もあり得なかった、としている。

 国側は「靖国神社から戦没者氏名などの照会を受け、一般的な調査回答業務の一環として情報を提供したにすぎない」などと主張。

 遺族らの信仰を何ら干渉せず、信教の自由を侵害したことにはならないなどとしている。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808191700_04.html

 

2008年8月20日(水) 朝刊 2面 

沖合移動「難しい」/林防衛相が初来県 知事と会談

 林芳正防衛相は十九日、就任後初めて来県し、県庁で仲井真弘多知事と会談した。米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設について、林防衛相は「地元の理解と協力なしでは進まない」と述べつつ、県が求める建設位置の沖合移動については「合理的理由なしに(計画を)変えるのは難しいと何度も申し上げてきた」と従来の見解を繰り返すにとどめた。

 仲井真知事は、沖合移動など普天間飛行場の移設や嘉手納基地より南の基地返還、日米地位協定改定など基地から派生する諸問題の解決促進、不発弾処理の負担軽減、与那国島上空の防空識別圏の抜本解決―の五項目を盛り込んだ要望書を手渡した。

 普天間飛行場の三年をめどとした閉鎖状態をあらためて求めた知事は「米側と交渉する取り組みが必要だ」と訴えた。

 しかし、林防衛相は「必要があれば、やっていかないといけないが、まずはワーキングチームの航跡調査でどういう結果が出るか。それに応じて、対策が必要であれば考えないといけない」と慎重な姿勢を示した。

 知事はさらに不発弾処理について、「国が主体的積極的に対応してほしい」と述べ、全額国庫負担とする新たな財源措置制度創設などを要望した。

 二度目の会談となった林防衛相と仲井真知事は互いに「率直に意見交換したい」と述べ、緊密に連携を取る必要性を確認した。

 林防衛相は同日、航空自衛隊那覇基地を視察。二十日はキャンプ・シュワブ内や嘉数高台公園から普天間飛行場などを視察する。また、島袋吉和名護市長ら北部市町村長と面談する。

 防衛相の来県は、昨年九月の高村正彦氏(現外相)以来。防衛省の井上源三地方協力局長や高見澤將林防衛政策局長も随行した。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808201300_02.html

 

2008年8月20日(水) 夕刊 1面

防衛相、名護市長と会談/「普天間」代替 慎重姿勢崩さず/

 来県中の林芳正防衛相は二十日午前、恩納村内のホテルで、名護市の島袋吉和市長と会談し、米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設移設について意見交換した。島袋市長は「可能な限り沖合に出してほしい」と建設位置の沖合移動を求めたのに対し、林防衛相は「合理的な理由がなければ、なかなか難しい」と述べ、前日の仲井真弘多知事との会談同様、慎重姿勢を崩さなかった。

 会談は冒頭のあいさつ以外、非公開。島袋市長は沖合移動のほか、建設工事の地元企業の優先発注を要望。返還が予定されているキャンプ・ハンセン西側については「傾斜地で細切れ返還となるので、地元区から反対の声が上がっている」として、現在の返還計画を見直すなど四項目を要望した。

 会談後、林防衛相は報道陣に対し、政府と地元でつくる移設協議会が設置したワーキングチームの一員に名護市が入っていることを指摘。「そこで綿密に議論してほしいと申し上げた」と説明した。

 防衛相は会談前、キャンプ・シュワブを訪れ、「ビップ・ヒル」と呼ばれる小高い丘から建設予定地の海域を視察。周辺集落や米軍再編前の辺野古沖二・二キロを埋め立てる「従来案」との位置関係などの説明を受けた。「海が非常にきれい」との印象を述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200808201700_01.html

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