普天間代替・沖合移動、林防衛相、困難さ強調 海軍と初、図上訓練/日米合同 シュワブ立ち入り要請/市民団体 対馬丸犠牲者慰霊祭/16人に卒業証書 陸自第1混成団を増強/防衛省 海上保安庁11管44人を増員/尖閣警備など強化 など  沖縄タイムス関連記事・社説、琉球新報 社説(8月21日から27日)

2008年08月21日【朝刊】

「合理的理由なし」/普天間代替・沖合移動

林防衛相、困難さ強調

 就任後、初めて沖縄を訪れ、仲井真弘多知事や島袋吉和名護市長らと会談した林芳正防衛相は二十日午後、那覇市内のホテルで会見し、米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設位置の沖合移動について、「合理的な理由なしに変更は困難」と繰り返し述べた。

 林防衛相は、沖縄の印象について「在日米軍の四軍が集中しているとあらためて感じた」と語った。その上で、「米軍再編はチャンス。この機会をきちっとつかまえて、実現する努力をしていかなければならない」と強調した。

 仲井真知事や島袋名護市長との会談については、「一緒に仕事をするための関係を築くコンセンサスを得られた。同じ姿勢でのスタートが切れた」と自信を見せた。

 島袋名護市長との会談は同日午前、冒頭以外は非公開で行われた。島袋市長は沖合移動のほか、地元企業の優先発注、細切れ返還が決まっているキャンプ・ハンセンの一部土地の継続使用など四項目を要望。防衛省によると、市長は「使用協定を精力的に協議したい」とも述べたという。

 島袋市長は会談後、「ワーキングチームができた。より具体的に互いの言い分を認め合いながら進めて、移設協議会で確認し合うことになると思う」と期待をにじませた。

 北部首長との昼食懇談会では、儀武剛北部市町村会会長(金武町長)が基地従業員について、北部地域からの優先雇用などを求めた。

 林防衛相はそのほか、普天間第二小学校周辺や嘉数高台公園から同飛行場や飛来したFA18戦闘攻撃機の離陸を視察。同飛行場の危険性除去に伴う飛行航測調査や四年前にCH53が墜落した沖縄国際大学の位置などについて、真部朗沖縄防衛局長の説明を受けた。

 伊波洋一宜野湾市長との会談を設定しなかったことについて、林防衛相は会見で「時間の制約もあり、至らなかった。あらゆる機会をとらえて、いろいろな方と意見交換することは大事。今後考えていきたい」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-21-M_1-002-1_002.html

 

2008年08月21日【朝刊】

組織の立て直し確認/社大党大会

 社大党(喜納昌春委員長)は二十日、那覇市内の教育福祉会館で、第七十二回定期大会を開き、平和憲法の堅持、沖縄特別自治州に向けた道州制確立、米軍基地の整理縮小・撤去、普天間飛行場の即時撤去と名護市辺野古への新基地建設反対など十六項目の重点政策を決めた。

 六月県議選は公認当選二人という過去最低の結果になった結党以来の危機を迎え、党再生に向けた政治活動の強化、組織の立て直しを確認した。

 役員体制は、喜納委員長が再任、書記長には前浦添市議の当山勝利氏を選んだ。副委員長は参院議員の糸数慶子氏と、県議の大城一馬、比嘉京子両氏を選出した。

 喜納委員長は「自公の『改革』の名の下で国民に痛みを強要し、格差が拡大した。結党以来、最大の危機を迎え、土着政党を担うために、県民とともに党勢を拡大強化する」と述べた。

 党活動では、那覇市長選や西原町長選、浦添市長選などの首長選挙の取り組み強化、支部との連携強化などを挙げた。

 基本政策として「自立する沖縄社会の形成」を打ち出し、(1)医療保障制度の改悪反対、財源確保(2)年金記録不備問題の解決(3)後期高齢者医療制度の廃止(4)子育て環境の拡充―などを掲げた。基地問題は、最終的な米軍基地ゼロを目指し、返還に向けて「沖縄米軍基地返還基本法案(仮称)」の制定を提起した。

 大会宣言では、「後期高齢者医療制度の強行や燃料高騰などで、あらゆる産業、国民生活は混乱を来し、離島県の本県の苦悩は極めて厳しい。福田自公政権への不安、反撃は高まり、解散総選挙は秒読み段階」と自公政権を批判。「沖縄の自治、自立、平和を目指し、共生、平等などヒューマニズムを基調とした政策を実行し、土着政党の可能性と展望を切り開く」とした。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-21-M_1-002-1_001.html

 

2008年08月22日【朝刊】

海軍と初 図上訓練/日米合同

 米軍機の墜落事故を想定した日米合同の図上訓練が二十一日、米海軍キャンプ・シールズ内の海軍会議室で行われ、日米の関係機関約六十人が参加した。これまで空軍や海兵隊との訓練は三度実施したが、海軍と行うのは初めて。

 図上訓練を基に来年一月か二月をめどに実動訓練を行う予定。

 訓練の冒頭が報道陣に公開され、在沖米海軍艦隊活動司令部のマイケル・ビズカラ司令官(大佐)は「今後の協力体制を強化するため、(訓練は)歴史的に意味がある」とあいさつ。「初期対応に携わる地元との連携を日米双方が理解するのはとても重要だ」と述べた。

 訓練はうるま市のホワイトビーチ内で米海軍のボート同士が接触事故を起こし負傷者が発生。救助するため同ビーチから離陸した海軍所属のヘリコプターが南原漁港周辺に墜落し、搭乗員ほか飛散物で地上の地元住民が負傷、駐車中の車両が損傷したと想定した。

 日本側の代表者として、出席した萱嶋満津保内閣官房沖縄危機管理官は終了後、県庁で記者会見を開き、通報連絡や消火、救出活動、立ち入り規制など一連の初動対応を日米双方で確認したと説明。「相互理解と信頼を深めることができた」と述べた。

 日本側は「搭乗人員や燃料などを搭載している危険物を迅速に伝えてほしい」と要望。米軍側は事故発生現場などの情報を「早く伝えてほしい」と求めたという。萱嶋氏は「海軍は消防隊を持っていないので、海兵隊や空軍の連携が必要。軍が二つ、三つになるので、実際に(地元の)警察や消防とどれだけ迅速に連携できるか、実動訓練で検証していく」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-22-M_1-002-1_002.html

 

2008年08月22日【朝刊】

シュワブ立ち入り要請/市民団体

 ジュゴンネットワーク沖縄事務局長の土田武信さんらは二十一日、沖縄防衛局を訪れ、名護市のキャンプ・シュワブで進む造成工事や埋蔵文化財調査の検証を目的に、市民三人と十二の市民団体の代表者の立ち入り許可を要請した。

 同局は受理する窓口が決まっておらず調整中として、申請書の受け取りを拒んだ。土田さんらは「粘り強く交渉したい」と話した。

 土田さんらは日米合同委員会の合意事項に基づき、二十人以内で申請日から十四日後の九月十七日に立ち入りたいと要望。市民団体の米軍施設への立ち入り申請は珍しいという。

 同局報道室の島尻明朝室長は土田さんらの要望について、防衛省や外務省沖縄事務所、在日米軍、現地米軍間で調整していると説明。調整中なので受け取れないと繰り返した。

 さらに、造成工事の現場視察について、同局管理部移設整備室の豊里利行室長補佐は「事業者として、作業員など関係者以外の立ち入りは認められない」との見解を示した。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-22-M_1-028-1_005.html

 

2008年08月22日【夕刊】

沖縄戦直後の日常写す/米兵の孫87枚寄贈

 沖縄戦中から終戦直後の約一年間、米海軍の工兵隊員として沖縄に滞在したハロルド・フォーセットさん(享年65)が所有していた写真八十七枚を、ハロルドさん(40)の孫のスコットさんが二十二日午前、糸満市の県平和祈念資料館(宮城智子館長)に寄贈した。

 炊き出しを待つ人々、ござを編む老人、破壊された軽便鉄道や建物、整地される飛行場―。ハロルドさんがプライベートで撮影したとみられる写真には、戦後の収容所での生活や読谷飛行場の建設風景などが収められ、資料的価値が高い。

 ニューヨーク出身のハロルドさんは一九四五年三月初旬に沖縄に到着。四六年一月まで飛行場建設の任務に就きながら、趣味のカメラで本島内を撮影した。

 ニュージャージー州で沖縄空手、古武道道場を経営するスコットさんは、沖縄をテーマにした写真集も制作した。「沖縄の人や歴史、文化を知れば知るほど尊敬の念がわく。沖縄を含めた日本と米国は大いに協力し合うべきだ」と、写真の活用に期待した。

 宮城館長は「戦後混乱期の貴重な画像資料」と感謝した。

 同館は戦後の復興をテーマにした特別企画展(十月十日―十二月二十一日)で写真の一部を公開する。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-22-E_1-001-2_001.html

 

2008年08月23日【朝刊】

対馬丸犠牲者慰霊祭/16人に卒業証書

 一九四四年八月二十二日に米潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」の犠牲者の慰霊祭が二十二日、那覇市若狭の「小桜の塔」であった。

 慰霊祭に続き、命を落とした甲辰国民学校六年生への卒業証書授与式が行われ、十六人の遺族に証書が手渡された。

 卒業証書は、四五年春に卒業予定だった同窓生たちが九一年に作成。対馬丸で犠牲になった三十三人の証書は同級生の大城正樹さん(76)が長年保管していたが、昨年末、対馬丸記念会に寄贈された。

 慰霊祭の後に行われた授与式では、義父が同校教師だったという同会の高良政勝会長(68)から、名乗り出た十六人の遺族に証書が手渡された。

 高江洲清一さんの証書を受け取った妹の清子さん(70)は「兄の名前が呼ばれたとき、たまらない気持ちになった」と涙を流した。二十二年前に亡くなった母カメさんはことあるごとに「自慢の息子だった」と振り返り、暇さえあれば慰霊塔に足を運んでいたという。「母が生きていたら、この証書をどんな思いで受け取っただろう。これから平和の礎へ行き、兄に『卒業』を報告します」と話した。

 甲辰国民学校は現在のパレットくもじ(那覇市久茂地)付近にあったが、沖縄戦の前に日本軍の兵舎として接収され、そのまま廃校となった。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-23-M_1-026-1_004.html

 

2008年08月24日 沖縄タイムス 社説

[インド洋給油継続]

首相の「約束」は軽率だ

 国の根幹にかかわる外交が国会や与党内の手続きもなしに進められようとしているのだろうか。福田康夫首相は七月の主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に合わせて行われた日米首脳会談で、インド洋での海上自衛隊による給油活動の来年一月以降の継続を「約束する」とブッシュ米大統領に明言したという。

 福田首相は、給油活動の根拠となる新テロ対策特別措置法を来年一月の期限切れ以降も継続させる方針を米大統領に「約束」していたことになる。しかも、九月中旬とされる臨時国会召集の二カ月前にである。

 新テロ特措法は、今年一月に参院で民主党などの反対多数で否決され、その後衆院で出席議員の三分の二以上の賛成多数で再議決、成立した。

 国論を二分した法案の取り扱いは慎重の上にも慎重を期さねばならないはずなのに、福田首相は国会審議はおろか、与党内の調整すら終わっていない法案の継続を米大統領に約束していたことになる。

 事実だとすれば、福田首相の「約束」は国会軽視、さらに言えば国民無視と言わざるを得ない。新テロ特措法の継続が重要と考えるなら、国会での徹底した真摯な議論が先だ。他国の大統領との約束を優先し、国会審議や国民への説明を後回しにしようとするのは本末転倒で、とても理解できない。

 福田首相は、早急に日米首脳会談の内容をつまびらかにし、真相を明らかにすべきだ。

 米政府がインド洋での給油活動継続に強い関心を寄せていることは、シーファー米駐日大使が二十日、麻生太郎幹事長を自民党本部に訪ね、活動継続を要請したことからもうかがえる。

 シーファー大使は会談後、記者団に「日本の給油活動は日米同盟だけでなく、日本と国際社会の関係でも重要だ」と述べ、新テロ特措法改正法案の臨時国会での成立に強い期待感を示したという。

 他国の法案成立にここまで期待する背景には、日本のインド洋での給油活動が米軍の行動に欠かせなくなっていることを意味する。

 新テロ特措法改正案の論議は、インド洋で進む海上自衛隊と米軍との一体化など、憲法や国の安全保障にかかわる重要で複雑な問題を含んでいる。

 国会は、首相の「約束」の真相究明と平行し、十分に法案審議を尽くすべきだ。

 国民は、高騰する物価高に苦しみ、景気低迷で日々の生活に不安を抱いている。共同通信社の世論調査では福田改造内閣が優先して取り組むべき課題として国民の七割が、年金など社会保障、景気・雇用、格差問題を挙げている。

 福田首相は今月一日の内閣改造にあたって「物価高、景気低迷を解決する決意だ」と強調し、「安心実現内閣」と位置付けた。

 それなら、臨時国会では国民の暮らしを最優先に、具体的な対策を示すべきである。不用意な言動での混乱や審議への影響はあってはならない。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-24-M_1-005-1_001.html

 

琉球新報 社説    

不発弾事業 処理費の全額国負担は当然 2008年8月26日

 63年前の沖縄戦で日・米両軍が使用した爆弾、砲弾類は20万トンといわれ、うち地下に埋没した不発弾は約1万トンとみられている。未処理不発弾はまだ2300トン存在すると推定されている。

 沖縄戦の「負の遺産」は今も県民生活に大きな影響を及ぼしている。その意味で沖縄の「戦後」はまだ終わっていない。

 不発弾対策に関しては2つの制度がある。探査・発掘事業のため内閣府が9割補助する「不発弾等処理交付金」と、総務省が特別交付税として5割を補助する「不発弾処理事業」だ。残り半額は当該市町村の負担で、自治体財政を圧迫している。

 不発弾が見つかった場合、市町村は陸上自衛隊に撤去要請を行う一方、住民の安全のため、不発弾の周辺に土のうを積み、住民への広報、処理時の住民の避難、交通規制などの対策を講じる。

 それらに要した費用は、2003年度以降は2000万円前後で推移している。それを県市町村課を通して、総務省へ申請。半額が特別交付税として支出される。

 これまでも県や県市長会、県町村会は処理事業を全額国庫負担で行うよう国に要請してきたが、先送りされてきた。

 やっと国が重い腰を上げた。沖縄県だけの特例として、政府がほぼ全額負担する制度の創設を検討しているという。

 09年度の概算要求で、内閣府が9割補助している「不発弾等処理交付金」を「処理事業」にも充てるよう2000万円増額(計4億6000万円)して盛り込む。一部、自治体負担も残す方向だが、それでも自治体負担はだいぶ軽減されることになるという。

 10年度以降は、制度化を目指して関係省庁間で検討を進めるという。遅きに失した感はぬぐえないが、検討だけで終わることなく実現してもらいたい。

 不発弾事故では1974年、那覇市小禄の下水道での排水工事中に爆発し、園児ら4人が死亡、34人負傷し、家屋の全半壊は46棟に上り県民を震撼(しんかん)させた。

 それ以降も伊良部町(75年、現宮古島市)や那覇市長田(87年)、伊江村東江上(89年)などで3人が死亡、10人余が負傷する事故が発生している。

 今回の国の方針に、南部市町村会会長の城間俊安南風原町長は「国が理解を示してくれたこと」を歓迎する。伊波洋一宜野湾市長は「当然の処置だ」とした上で、「(市町村の)負担がなくなる仕組みをつくり上げてほしい」と求めた。

 不発弾処理事業に係る新制度を創設し、全額国庫負担とするのは当然である。だが、それにより他の沖縄関連予算の規模を縮減することがないよう政府には求めたい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135602-storytopic-11.html

 

2008年08月26日【夕刊】 政治

陸自第1混成団を増強/防衛省

300人増 2100人体制に/唯一の離島対応型

 【東京】防衛省は二十六日、陸上自衛隊第一混成団(那覇市)を二〇〇九年度中に「第一五旅団」に格上げし、定員を約三百人増強、約二千百人体制とする方針を固めた。関係予算を〇九年度予算概算要求に盛り込む。事態対処能力を向上させるため、混成団の混成群を廃止して普通科連隊を新編する。そのほか、敵情を視察する偵察隊や化学防護隊もそれぞれ新編するなど、大幅に組織を改編する。

 第一混成団の旅団化は、〇四年に閣議で決定された中期防衛力整備計画(〇五―〇九年度)に基づく措置。

 第一混成団は「離島タイプの即応近代化旅団」に変容。島しょ侵攻への対応が重視される中、「離島タイプ」と位置付けられる国内唯一の旅団となる。

 機動性の向上を図るため、軽装甲機動車、高機動車を新たに導入。そのほか、航空運用能力を向上させるため、現有の航空機の数は維持しながら、待機体制を強化する方針だ。

 旅団化をめぐって〇八年度は、陸上自衛隊那覇基地内に旅団の中枢機能を果たす司令部庁舎のほか、隊舎を建設中。

 県内では一方で、航空自衛隊が那覇基地の旧型主力戦闘機F4部隊を茨城県百里基地のF15部隊と入れ替える計画もある。〇八年度は施設整備と整備機材の取得が進められており、年度末にも那覇基地へのF15移駐が始まる見通しだ。

 第一混成団の旅団化や那覇基地のF15配備は、軍備力を急速に増強させている中国などをにらんだ「西方シフト」の象徴的な動きといえる。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-26-E_1-001-2_001.html

 

2008年08月26日【夕刊】

国・県に遺骨鑑定要請/遺族の会

 那覇市真嘉比で発見された日本兵とみられる遺骨や複数の遺品について、県外の遺族でつくる真嘉比壕戦死者遺族の会(秋山格之助代表)は二十五日までに、厚生労働省と県に対し、遺骨のDNA鑑定と、遺品に記された名字などから遺族を特定し、返却するよう求める要請書を提出した。

 厚労省援護企画課外事室は「発掘状況など県と情報交換しながら今後の方針を決めたい」とし、DNA鑑定や遺品調査を行うかどうかを含めて「検討中」とした。県福祉・援護課は「国の方針が決まってから対応したい」と話した。

 秋山代表は「民間では調査に限界がある。高齢化している遺族の気持ちを考えて、早急に対応してほしい」と訴えた。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-26-E_1-005-2_006.html

 

2008年08月27日【朝刊】

ドクターヘリに21億円/厚労省概算要求

 【東京】厚生労働省は二十六日、二〇〇九年度の概算要求をまとめ、ドクターヘリ導入促進事業として二十一億円を盛り込んだ。〇八年度の当初予算に比べて七億円の増額。来年度は全国八カ所に導入する。沖縄を含め、どこに配備するかは特定していない。

 県内への二機目導入について、厚労省は「可能性はなくはないが、沖縄配備分として概算要求したものではない」と指摘。二機目を求める県の要望があるかどうかや、受け皿となる病院施設の整備状況などを基に、導入地域を決めるという。

 沖縄では今年十二月から浦添総合病院で一機目が導入される見通し。舛添要一厚労相は今月十三日、名護市を訪れた際に「来年度、沖縄に二機目を入れようと思っている」と述べていた。

 厚労省は、全国からの要望を踏まえ、現在は昼間だけに限られているヘリの運航を夜間も利用できるよう経費の補助も行う。

「ふるさと納税」県人会に要請へ/五ノ日の会 ヘリ財源で

 【東京】県選出・関係の自民党国会議員でつくる五ノ日の会(会長・仲村正治衆院議員)は二十六日、都内で会合を開いた。北部地区の救急ヘリの財源などについて協議し、在京の県人会にふるさと納税への協力を求めることを決めた。

 救急ヘリの財源については、舛添要一厚労相が、ふるさと納税や在日米軍再編交付金の活用を提案していた。仲村会長らは二十七日に舛添厚労相と会い、財源の在り方について意見交換する予定だ。

 また同会は、国発注工事について県内企業への優先発注などの配慮を求め、二十八日にも内閣府、国土交通、防衛などの関係府省に要請する方針も決めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-27-M_1-002-1_003.html

 

2008年08月27日【朝刊】

「政策正直に伝えた」/米総領事、「沖縄退島」要求に

 【宜野湾】「普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団」(通称・普天間爆音訴訟団)の島田善次団長らは二十六日午前、在沖米国総領事館を訪ね、ケビン・メア総領事に対し「反県民的な言動に抗議し、即刻、沖縄から退島するよう要求する」決議書を手渡した。これに対し、メア総領事は「私の役割は、米国の政策を正直に住民に伝えること。個人的に発言しているわけではない」と述べたという。

 決議文では宜野湾市の米軍普天間飛行場周辺に住宅地が隣接する状況について、メア総領事が七月十一日の会見で「なぜ宜野湾市が建設を許しているのか疑問」と発言したことに抗議。メア総領事は、福岡空港などと周辺の人口密度や飛行回数を比較した場合、普天間飛行場周辺の危険性は低いと主張し、住民から反発の声が上がっていた。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-27-M_1-026-1_002.html

 

琉球新報 社説

返還跡利用構想 「攻め」の行政に転換を 2008年8月27日

 嘉手納基地から南にある米軍基地の返還をにらんだ跡利用構想に、県が着手している。待ちから攻めの県政に転換を図り、県民の夢と希望をかなえる新都市づくりを実現してほしい。

 構想は、「駐留軍用地跡地に係る有効利用ビジョンの検討基礎調査」報告書で明らかにされた。

 2年前の5月に最終合意された嘉手納基地より南の5つの米軍施設・区域の返還を前提に、返還跡地を沖縄の自立的発展に寄与する空間として、新しい経済・産業活動の拠点化を図るというものだ。

 沖縄は復帰後36年間にわたり実施されてきた「沖縄振興(開発)計画」が2011年度で期限切れを迎える。過去の沖縄振興策は、国が「後見人」となり人、モノ、カネ、情報の大半を提供し、策定し、実施してきたと評される。

 しかし、3年後からはそうはいかない。今、沖縄は自前で計画を作り、財政力を強化し、民間活力を高め、基地経済や財政投資に依存しない自立できる地域経済・社会を構築しなければならない。

 残念ながら沖縄の現状は、全国一の高失業、高財政依存度に加え、県予算の1年分を超える6000億円超の借金(県債残高)を抱え、自主財源は3割を切る低水準にあえいでいる。

 一方で、36年間の政府の沖縄振興策で9兆円を超す振興予算が投入されたが、目標とする沖縄の自立経済は手にできていない。

 国のカネ、国の汗、国の努力という「国任せ」の振興策の限界がそこにある。

 県民主体の振興策にどう転換するか。今回の構想はその端緒の一つだ。構想の先には2050年をめどとする県の将来展望「沖縄21世紀ビジョン(仮称)」がある。

 かつて、沖縄県は米軍基地全廃後の県づくりのグランドデザインとなる「国際都市形成構想」を策定した。13年前の話だ。同構想は、15年までに基地を3段階で全廃する「基地返還アクションプログラム」と、脱基地経済を目指す「産業創造アクションプログラム」と3点セットで展開された。

 「返還されるのを待つのでなく、豊かな県づくりに必要なら米軍基地でも奪い取る」との姿勢が、当時の県庁の中にはあふれていた。

 今回の構想は、普天間飛行場の代替施設への移転を大前提に返還が合意されたキャンプ瑞慶覧、キャンプ桑江、牧港補給基地、那覇港湾施設の跡利用計画である。

 そこには「返還待ち」の姿勢が顕著だ。必要なら「奪い取る」という攻めの姿勢は、まだまだ弱い。

 跡利用には膨大な資金、地主の理解と合意、自治体の協力、民間企業の知恵とカネが必要になる。

 人、モノ、カネ、情報を集め、動かす力は「情熱」にある。まずは県職員の情熱を見せてほしい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135637-storytopic-11.html

 

2008年08月27日【夕刊】

海上保安庁11管 44人を増員/尖閣警備など強化

 【東京】海上保安庁は二十七日午前、総額千九百六十五億七千九百万円の二〇〇九年度予算概算要求をまとめ、自民、公明両党の国土交通関係会議に報告した。日本周辺海域での治安対策の強化や船舶交通の安全確保などを図るため、同庁全体で三百四十七人の増員を要求した。このうち沖縄関係では、尖閣諸島や東シナ海のガス田周辺の警備強化などを目的に、巡視船艇の乗組員を五十六人増員。そのほか、第十一管区海上保安部の定員を四十四人増員することを求めている。

 尖閣諸島や東シナ海周辺の警備強化などを目的とした巡視船艇乗組員の増員は、巡視船艇の高機能化に伴う定員増による措置で、船や人員の具体的な配置は決まっていない。

 第十一管区海上保安部関係では、事件・事故に対する初動の遅れを解消し、外国船舶の監視を継続して実施するため、巡視艇の乗組員を二十五人増員。人命救助体制を強化するため、那覇航空基地の機動救難士など十人を増員。司法制度改革に対応するため、犯罪情報技術解析官を二人、首相官邸における情報機能強化のため、分析官を一人、それぞれ増やす。

 そのほか、領海・排他的経済水域(EEZ)調査の実施や、海洋情報の一元管理に関する体制を強化するため、海洋調査官を一人増員。船名、速力などの情報を自動的に送受信する装置(AIS)を活用し、船舶の衝突事故などを防ぐため、AIS運用官を五人置く。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-27-E_1-001-2_002.html

 

2008年08月27日【夕刊】

糸満に管制レーダー整備

 【東京】防衛省は二十七日午前、二〇〇九年度予算概算要求をまとめ、自民党国防部会・安全保障調査会・基地対策特別委員会合同会議に報告した。要求案には、弾道ミサイルの探知追尾能力の向上を目的として、糸満市与座岳に地上警戒管制レーダー(FPS―5)を整備し、〇九年度中の運用開始を目指す要望も盛り込んだ。

 自動警戒管制システム(JADGE)も〇九年度に就役する予定で、すでに配備が始まっている地対空誘導弾パトリオット(PAC3)などの迎撃システム、センサー、指揮統制、通信システムを連接した弾道ミサイル防衛(BMD)システム全体としての運用を開始する予定。

 そのほか、陸上自衛隊第一混成団(那覇市)を〇九年度中に「第一五旅団」に格上げし、定員を約三百人増強、約二千百人体制とするための関係予算も盛り込んだ。旅団化に伴い、混成群を廃止して普通科連隊を新編する。また、敵情を視察する偵察隊や、化学防護隊も新たに編成するなど、大幅に組織を改編する。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-27-E_1-001-2_004.html

 

2008年08月27日【夕刊】

沖縄戦伝える本土紙、眞嘉比さん入手/目立つ戦況美化

 【名護】沖縄戦の様子を伝える当時の本土の新聞四十二部を名護市で民俗資料博物館を運営する眞嘉比朝政さん(71)が、二十六日までに入手した。米軍機に空爆される伊江島の様子を伝える記事も含まれている。一方、戦局は大本営発表に基づく旧日本軍に有利な報道も目立ち、眞嘉比さんは、資料を整理し、来年の慰霊の日に合わせて公開することにしている。(知念清張)

 名護市消防長を務めた眞嘉比さんは、一九八三年と九二年に消防大学校(東京都)で学んだ際の全国の同期生に「当時の新聞を探してほしい」と呼び掛けた。先週までに百部余りが届き、沖縄戦の記事が見つかったのは四十二部だった。

 四五年五月一日付の中部日本新聞(当時)は、旧日本軍偵察機から撮影した米軍機の伊江島空爆を「激戦展開中の伊江島」と題する写真記事で掲載した。

 また、四月十三日付の毎日新聞は「敵兵五千、戦車百両が名護村(当時)に新たに上陸したが、わが部隊は目下果敢なる反撃を実施中」とし「戦車三両を炎上せしめ、人員多数を殺傷している」と伝えている。

 戦局悪化に伴い「一億、沖縄の軍民に続け」(四月二十八日付中部日本新聞)、「沖縄に我新兵器出現 翼持つロケット爆弾」(五月一日付朝日新聞)、「還らぬ報道班員 カメラを抱いて散華」(六月一日付同紙)など読者を鼓舞し、戦争を美化する論調が目立つ。戦争当時、八歳だった眞嘉比さんは名護で米軍の空襲などを体験した。眞嘉比さんは「当時は米兵はヒージャーミー(ヤギの目)で夜はよく見えないと教えられ、竹やりを備えたが、いざ戦争が始まると圧倒的な兵力差で名護の市街地は焼け野原になった。敵の被害を大きく伝えるなど、旧軍に有利な報道の流れが読み取れる」と話している。

 沖縄戦を伝える新聞は激しい地上戦のため、県内ではほとんど残らなかった。本土でも厳しい物資統制が敷かれたこともあり戦後六十三年経て見つかることは珍しく貴重な資料となりそうだ。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-08-27-E_1-005-2_001.html

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