ホワイトビーチ、米原潜が30分停泊 無念の死、記憶後世へ/宮古島市に「慰安婦」祈念碑 寄港中止を国に要請/原潜放射能漏れ 「集団自決」訴訟結審/「玉砕命令」で新証言 嘉手納基地、洗機場、月内にも移転 など  沖縄タイムス関連記事・社説(9月7日から10日) 

2008年09月07日【朝刊】 政治 

米原潜が30分停泊 ホワイトビーチ

文科省 放射能は平常値

 米海軍のロサンゼルス級原子力潜水艦シティ・オブ・コーパス・クリスティ(六、〇八二トン)が六日午後一時五十分、うるま市勝連平敷屋の米軍ホワイトビーチ沖合で停泊し、同二時二十分、出港する様子が確認された。文部科学省から県に入った放射能の調査結果は平常値だったという。

 グアムが母港のシティは午後一時すぎ、ビーチ沖合に姿を見せ、港内を航行。沖合停泊した後、タグボートから補給を受けた。

 県基地対策課によると、外務省から五日、二十四時間前通報として「午後二時に入港し、同三時に出港する」という連絡があったという。目的は補給・維持。

 原潜の寄港は八月十三日以来、今年に入って二十八回目で、年間最多寄港数を再び更新した。県内へは復帰後三百六回目の寄港。

 又吉進基地対策課長は同省日米地位協定室に対し五日、「県民はヒューストンの放射能漏れで安全管理に不信感をもっている。安全確認を徹底し、寄港は最小限にとどめてほしい」と求めたほか、寄港回数増加の理由をあらためてただした。

 県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)は八、九の両日に上京し、日米両政府に対し「安全が確認されない限り、本県に寄港させない」ことなどを求める。

改善ないと抗議

知念うるま市長

 知念恒男うるま市長は「安全確認をはじめ、市の要望がまったく改善されていない。すべての原潜寄港に反対する」と抗議した。同市は五日に沖縄防衛局などに対し、米原潜入港の中止を申し入れたばかりだった。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-07-M_1-001-1_002.html

 

沖縄タイムス 2008年09月07日 社説 

[「普天間」知事声明]

まだ説明が不十分だ

 県知事が自らの考え方を県民に説明することは大いに結構なことだ。

 県民が県の施策や方針を知る機会になったり、よりよい地方自治の在り方を考えるきっかけになり得る。ただ、十分で詳細な説明がなければ、真意は伝わらない。

 仲井真弘多知事は五日、「普天間飛行場の移設に関する県の考え方―県民のみなさまのご理解とご協力を求めて」と題する声明を発表した。県議会が六月定例会で「名護市辺野古沿岸域への新基地建設に反対する決議」を可決したことに対し、「私の姿勢が十分に理解されていない」ことが理由という。

 知事は声明で(1)普天間飛行場を名護市の辺野古に移す計画は、キャンプ・シュワブに施設をつくるもので、飛行場の面積や滑走路の長さが縮小されるなど、決議でいうような「新しい基地の建設」とは性格が異なる(2)県外や国外へ移すことは理想論で、日米両政府や県、名護市等の間で行ってきた検討の積み重ねを振り出しに戻すようなもの。その結果、普天間の危険な状態がそのまま放置される―などと主張する。

 その上で、(1)普天間飛行場の三年目途の閉鎖状態(2)代替施設の沖合移動―の実現を「現実的な選択肢」としている。

 声明は仲井真知事の従来の姿勢を示したものだが、疑問は多々ある。まず、今、キャンプ・シュワブに千八百メートルの滑走路を二本備えたヘリ基地はない。そこに一部とはいえ、沿岸部を埋め立てて造られる基地を、「新しい基地の建設とは性格が異なる」と言うのは納得できない。

 基地の県外・国外移設を「理想論」と切り捨てる考えも理解に苦しむ。戦後、米軍基地が集中し、過重な負担を強いられ続けてきた沖縄県内に、飛行場を移設しようとすることに無理があることは明らかだ。

 一九九九年に普天間飛行場代替施設の県内移設を容認した稲嶺恵一知事は「十五年使用期限」と「軍民共用」を受け入れの条件にし、それがだめなら県外移設だ、とあえて高いハードルを日米政府に突きつけた。

 「理想論」だからと言って退けるのではなく、現実を踏まえ理想に近づけるための努力も重要ではないか。

 仲井真知事は、普天間飛行場の閉鎖や代替施設の沖合移動に政府の理解が進んでいるとし、「危険性除去について米側と調整することも必要」「沖合移動も念頭に早めに決着したい」といった官房長官発言を列挙しているが、これも首をかしげざるを得ない。

 日米政府は現行計画が最善との方針を変えていないし、官房長官発言に「閉鎖」や「沖合移動」などの具体的な文言はない。

 そもそも、沖合建設そのものが、これまでにいくつも検討され、環境に与える影響をクリアできず計画変更を余儀なくされた経緯があるではないか。

 知事は、「沖合移動」による環境への詳細な影響についても十分に説明すべきだ。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-07-M_1-005-1_001.html

 

2008年09月08日【夕刊】 社会 

無念の死 記憶後世へ/宮古島市に「慰安婦」祈念碑

 【宮古島】太平洋戦争中に、朝鮮から強制連行され、無念の死をとげた「従軍慰安婦」たちを悼み、戦後も苦難に満ちた人生を生きる元慰安婦らの記憶を後世に伝えようと、宮古島市上野野原で七日、慰安婦の祈念碑が建立された。除幕式で参加者らは戦争のない世界の実現へ向け「平和運動の出発地にしよう」との思いを新たにした。(伊集竜太郎)

 碑文は「慰安所」が沖縄には百三十カ所、宮古島には少なくとも十六カ所あったことなどを記録。「彼女たちの記憶を心に刻み次の世代へ託します」と誓った。

 慰安婦の出身国十一カ国と、戦禍の中で女性への性的虐待があったベトナムの計十二カ国の言語で平和希求の思いが書かれた。三つの祈念碑のうち、中央の碑には慰安婦が好きだったという桔梗の花が刻まれた。

 除幕式には、中国に強制連行された韓国出身の元慰安婦、朴順姫さん(85)や慰安所の存在を証言した住民らも参加。朴さんはアリランの唄を涙を流しながら歌い、「安らかに眠ってください」と、アリランの碑へ献花した。

 昨年、日韓の合同調査団が同市内で、地元住民から慰安婦の置かれた状況などを聞き取りした。

 証言者の与那覇博敏さん(75)が被害の事実を後世に伝えようと祈念碑建立を提案、所有地を無償提供した。

 今年二月に市民や日韓研究者らで「宮古島に日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」(尹貞玉、高里鈴代、中原道子共同代表)を発足。十二カ国から約六百の個人・団体が賛同し、碑建立に取り組んだ。

 洗濯帰りの慰安婦が休んでいたのを与那覇さんが目撃した場所の目印として、祈念碑の手前に「アリランの碑」と名付けた岩が置かれた。

 与那覇さんは「小五のころ、この近くに日本軍の慰安所があった。その事実を知っている者として後世へ残す責任の重さを感じている。この場所を平和運動の出発地として活動していく」と決意を語った。祈念碑横に「平和の森」を五年以内に建設予定という。

 参加者は当時、慰安婦が口ずさんでいたというアリランの唄を歌い、桔梗の花を献花して、故人の霊を慰めた。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-08-E_1-007-2_001.html

 

2008年09月08日【夕刊】 社会 

小湾地主会 前会長らを提訴/基金不正流用

 浦添市の字小湾共有地地主会の基金が、県出資のトロピカルテクノセンター(TTC)前社長、比嘉実氏に融資の形で不正に貸し付けられていた問題で、同地主会は八日までに、地主会の同意を得ることなく基金を流用したとして、同会の宮平忠一前会長と宮城安次郎元副会長に、未返済になっている計一億五千五百三十万円余りの支払いを求める損害賠償訴訟を那覇地裁に起こした。七月に開催された同会の定期総会で、提訴の方針が満場一致で承認されていた。

 比嘉清同地主会長は「比嘉実氏の責任も今後問うことになるだろう」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-08-E_1-007-2_003.html

 

2008年09月09日【朝刊】 政治 

米、事前公表認めず/原潜寄港情報

「安全上の理由」堅持/関係自治体の解除要請も

 【東京】米原子力潜水艦ヒューストンの冷却水漏れ事故を受け、原潜寄港地を抱える国内の自治体が解除を求めている寄港情報の事前公表中止措置について、米側が今年八月以降も、「安全上の観点から不公表を維持したい」と外務省に説明していることが八日、分かった。

 事前通報制度は、米原潜の国内への寄港の是非が議論された一九六四年、米側自らが、寄港の二十四時間前に到着予定時刻を通知することなどを声明で約束。以来、事前の寄港情報は報道機関などに公表されてきた。

 しかし、二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロ後、米側は基地警備の強化を目的に、寄港に関する事前通報の公表を控えるよう関係自治体に要請。これを受けて、自治体は事前に寄港情報を受けながらも公表は控えている状況だ。

 県内でも同年九月二十一日から報道機関などへの非公表措置が取られたまま、約七年が経過している。

 だが、ヒューストンの冷却水漏れ事故を受けて、今年の八月五日に金子原二郎長崎県知事が事前公表中止措置の解除を要請した。外務省は複数回にわたって米側に同県の意向を伝えたものの、米側は依然として不公表維持の方針を堅持しているという。

 寄港情報の事前公表中止措置をめぐっては、国会などでも「基地警備が平常化し、市民への基地開放も再開している中で、必要性や合理的な理由がない」などの指摘がされている。(島袋晋作)

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-09-M_1-002-1_001.html

 

2008年09月09日【朝刊】 社会 

「集団自決」訴訟 控訴審第2回弁論/きょう結審の可能性

沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、書籍に命令を出したと記されて名誉を棄損されているとして、座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍の元戦隊長やその遺族が、「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏(73)と発行元の岩波書店に、出版の差し止めや損害賠償などを求めている訴訟の控訴審の第二回口頭弁論が九日、大阪高裁(小田耕治裁判長)で開かれる。

 原告の戦隊長側は、今年三月の一審・大阪地裁判決が戦隊長命令を断定しなかった一方で、「沖縄ノート」の増刷・販売を継続しているのは違法と主張。座間味島の「集団自決」の生存者が、梅澤裕氏による命令を否定する証言を新たにしているとして、一審判決の取り消しを求めている。

 被告の大江・岩波側は、隊長命令があったことには合理的な資料や根拠があるとして、出版の正当性を認めた一審判決は正当と反論。梅澤氏による命令を否定する原告側主張の住民証言については、これまでの証言や母親の証言と重要な部分で食い違い、信用できないと指摘している。

 大阪高裁の訴訟指揮によっては、同日の弁論で結審する可能性がある。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-09-M_1-023-1_003.html

 

2008年09月09日【朝刊】 政治 

寄港中止 国に要請/原潜放射能漏れ

軍転協 防衛省は困難視

 【東京】米原子力潜水艦ヒューストンの冷却水漏れ事故を受け、県と基地所在二十七市町村長でつくる県軍用地転用促進・基地問題協議会(会長・仲井真弘多知事)の要請団は八日、防衛省や在日米国大使館などを訪ね、「原潜は安全が確認されない限り本県に寄港させないこと」など六項目を要請した。

 団長の儀武剛金武町長によると、防衛省で対応した山内正和地方協力局次長は、県内への寄港中止要請を困難視したという。儀武町長は要請後、「残念だ。再度、強く要請していきたい」と語った。

 要請団は、寄港に際して報道機関などへの事前公表が中止されている措置の解除や、ホワイトビーチ桟橋に設置された海域の放射能を検出する機器「海水計」三基のうち、停止している一基の早期再開―なども求めた。

 九日も引き続き、在日米軍司令部や外務省に同様に要請する。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-09-M_1-002-1_002.html

 

2008年09月09日【朝刊】 社会 

米、軍事制約拒む/原潜放射能漏れ・日本対応に介入

寄港条件 空文化に懸念

米国の原子力艦船の日本寄港をめぐり、50メートル内の放射能探査は行わないとの日米了解や、高放射能値に関する国会答弁への介入を示す1970年前後の米側公文書が相次いで見つかった。原子炉の冷却水放出の中止など安全管理の徹底を強く求めた日本側が、米側の軍事優先の姿勢に妥協してきた構図が明らかになった。専門家は「過去の文書として片付けてはならない」と指摘。今年発覚した原潜放射能漏れ、原子力空母火災で、米側の発表に任せきりだった政府の対応について「原潜の国内寄港の条件が、国民の知らないうちに、なし崩しにされている可能性がある」とみる。(嘉数浩二)

 「原子力艦船が日本の港にいる間、(原子炉)冷却水放出を決して行わないというのは技術上、作戦上、実行不可能」(六八年駐日米大使公電)、「日本寄港の一時中止が公表されたら世界中の原子力艦入港に深刻な困難がもたらされる」(同年、国務長官公電)。

 六八年五月、佐世保市の米原潜付近で放射能が検出された問題をめぐる日米交渉で、米公文書に記された米側の認識だ。日米関係史研究者の新原昭治氏が二〇〇七年までに入手した。

 文書では、日本側が世論の反発を背景に五カ月間「冷却水の放出中止」を求めたことに、米側が軍事上の制約を受ける「約束」を拒否した経緯が浮き彫りになっている。

 当時の三木武夫外相は、寄港中止も辞さない姿勢で交渉したが、結局、同年十月二十二日に公表された日米「会談覚書」に「放出中止」の文言は盛り込まれず、「米国は不安解消に最善を尽くす」の表現で決着した。

68年交渉は歯止め

 日本政府は一九六四年、米原潜の国内寄港について(1)冷却水放出は例外的で通常は行わない(2)放射性廃棄物の厳重管理(3)責任ある環境調査―などの条件付きで容認した。

 軍事評論家の前田哲男氏は、当時の技術でも冷却水を出さないことは十分可能だったとし、「非常事態に備え、軍事的制約を断固拒否する米軍の姿勢は、現在まで一貫している」と分析。日本側が条件の厳格化を求めた六八年交渉について、「対等でない日米安全保障体制では、黙っていれば米軍の都合が拡大される。強い姿勢を見せたことで、一定の歯止めになった」とした。

強まる従属性象徴

 一方で、今年の原潜事故で米側に安全管理など具体的な対応を求めなかった政府の姿勢を批判。「積み重ねた条件、政府間合意がほごにされている可能性がある以上、政府は、外交交渉で問いただす義務がある」。ホワイトビーチへの寄港が激増している状況を挙げ、「住民の安全に直結する問題で何も行動しない。二〇〇一年テロ以降の米軍戦略に完全に組み込まれ、日本の従属性が極まった事態を象徴している」と指摘した。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-09-M_1-023-1_005.html

 

2008年09月10日【朝刊】 社会 

「集団自決」訴訟結審/「玉砕命令」で新証言

大阪高裁/判決10月31日

 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、著作に命令を出したと書かれて名誉を傷つけられているとして、座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍の元戦隊長とその遺族が、「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏(73)と発行元の岩波書店に、出版の差し止めや慰謝料などを求めている訴訟の控訴審は、大阪高裁(小田耕治裁判長)で九日に開かれた第二回口頭弁論で結審した。判決は十月三十一日午後二時に言い渡される。

 被告の大江・岩波側は「『米軍が上陸したら軍の足手まといにならないために、村の幹部は住民を玉砕させるよう軍から命令されていた』と、当時の座間味島の郵便局長が話していた」とする、元村議会議員の垣花武一さん(78)の「新証言」を証拠提出した。

 座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(91)の命令を否定する根拠の一つとして、原告側が提出していた座間味島住民の証言は、本人のこれまでの証言内容や実母を含めた他の体験者の証言と、重要な部分で大きな食い違いがあるとして、信用性を否定した。

 垣花武一さんの証言について原告の元戦隊長側は、これまで語る機会があったのに、沖縄県史や座間味村史などの証言録には一切記録されておらず、内容の重要性に照らして不自然と反論。座間味島住民の証言については、新しい歴史教科書をつくる会の会長で拓殖大教授の藤岡信勝氏の「意見書」を提出、被告側の指摘に反論した。

 同日の弁論で被告代理人秋山幹男弁護士は「座間味島や渡嘉敷島に駐留していた日本軍は、米軍上陸の際は捕虜になることなく、住民に自決するよう指示・命令していたことは明らか」と指摘。最高指揮官だった戦隊長の意志に基づかないことはありえず「集団自決」は隊長命令によるものというべきである、と述べた。

 原告代理人の徳永信一弁護士は、「集団自決」は米軍の無差別攻撃や皇民化教育のほか、家族愛や戦陣訓、いざという時のために渡された手りゅう弾などの複数の要因があり、軍命令という単純な理解はできないと主張した。

 一審大阪地裁はことし三月、「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘。請求を棄却した。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-10-M_1-001-1_002.html

 

2008年09月10日【朝刊】 社会 

軍命記述へ決意新た/支援者集会

「集団自決」控訴審結審/政治目的提訴に反発/原告新証言も批判

【大阪】「『自決』は軍命以外にはない」。沖縄戦をめぐる「集団自決」訴訟控訴審が結審した九日、被告側の支援者らは大阪市内で集会を行い、決意を新たにした。第二回弁論の中で原告側が、提訴の狙いは、名誉棄損を求めるだけでなく「政治的な目的もある」と発言したことにも反発。「もう一度原点に立ち返り、昨年の県民大会決議の実現を目指そう」と声を上げた。

 岩波書店編集部長の岡本厚さんは、原告側が軍命を否定するために持ち出した座間味島住民の新証言について「ほかの島民や昔の自分の証言と矛盾している。つじつまを合わせるためにうそを重ねている」と批判。

 一橋大学名誉教授の中村政則さんも「証言の重要性に気づき、自分たちの考えに合う証言を探したが見つからず、『新証言』にこだわったのではないか」と分析した。

 一方、原告側が弁論の中で、今回の提訴には、軍命で「集団自決」は起きたとする考え方を放置させない、という政治目的を併せ持っていると“表明”したことへの批判が聞かれた。

 社会科教科書懇談会の石山久男委員長は「(原告側は)検定で軍命の記述が削除されたことで目的の一つが達成されたことを認めた」と驚きを隠さなかった。

 沖縄の「平和教育をすすめる会」の山口剛史事務局長は、教科書検定意見撤回を求める県民大会から一周年を迎える九月二十七日に那覇市内で約二百人規模の集会を計画していると説明。運動の盛り上がりの必要性を訴えた。

 教科書記述の再訂正申請に向けた動きについて、教科書執筆者の坂本昇さん(東京都)は「教科書会社は文部科学省との関係をこれ以上悪化させなくないという思いがある。早めに取り組みたいが、どの程度できるか各社で検討中」と難しい現状を明かした。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-10-M_1-029-1_001.html

 

2008年09月10日【朝刊】 政治 

外務省、前向き回答なし/原潜放射能漏れ

軍転協要請「思い伝わらず」

 【東京】米原子力潜水艦ヒューストンの冷却水漏れ事故を受け、県と基地所在二十七市町村長でつくる県軍用地転用促進・基地問題協議会(会長・仲井真弘多知事)の要請団は九日、外務省や在日米軍司令部を訪ね、安全が確認されるまでの原潜寄港中止など六項目を要請した。

 しかし、前向きな回答はなく、団長の儀武剛金武町長は「われわれの思いが全然伝わっておらず、不満を感じる」と憤りを見せた。

 儀武町長によると、外務省で対応した羽田浩二北米局審議官は、事故について「遺憾だ。二度と起こらないような体制を取っていく」と述べつつ、原潜寄港については「米側の最終報告で安全性が再確認された」との立場を示したという。

 儀武町長は県内への原潜寄港回数増加理由も尋ねたが、羽田審議官は「運用に関することで明らかにされていない」と述べるにとどめたという。寄港情報の事前公表中止措置の解除については「(米側が)まだそういう状況にない」と述べ、米側が拒否していることを説明したという。

 在日米軍司令部ではバン・サイド第五部副部長(中佐)が対応したが、「関係機関、日本政府と調整したい。申し入れについては上に報告する」と回答しただけだった。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-10-M_1-002-1_005.html

 

2008年09月10日【朝刊】 社会 

[解説]一審判決の維持が焦点

「集団自決」訴訟の控訴審は、新たな証人調べをすることなく、二回の弁論で結審した。十月三十一日の判決は、住民の「集団自決(強制集団死)」に対する日本軍の深い関与を認め、座間味と渡嘉敷の両戦隊長による関与についても、「十分に推認できる」とした一審・大阪地裁判決の枠組みが、どれだけ維持されるかが焦点となる。(社会部・粟国雄一郎)

 控訴審で原告の元戦隊長側は、軍命令の記述を容認していた文部科学省が、直接的な軍命令を否定する立場に変わったことが、昨年十二月の一審終結後に確認されたと強調。一審判決が軍命令を容認していた旧来の文科省の立場を判断の根拠にしているとして、「判決は誤りだ」と訴えている。

 この主張が認められれば、教科書会社から訂正申請が出された後も、文科省が直接的な軍命令を否定する立場のままであることが、司法の場で認定されることになる。原告側にとっては、訴訟の提起をきっかけに、それを引き出すことが何よりもの成果だ。

 実際に原告側の代理人は、九日の弁論の口頭陳述で、同訴訟が原告個人の名誉回復とともに、政治的な意図を併せ持つことを認め、教科書から軍の強制性が削除された二〇〇六年度の教科書検定を「大きな成果の一つだった」と述べた。

 住民の「集団自決」には、皇民化教育や戦陣訓、日本軍による手榴弾配布などさまざまな要因があり、軍命令だけに単純化できないという原告側の主張は、同じ論理で「集団自決」における日本軍の存在と役割をぼかした〇六年度の検定にも重なる。

 被告の大江・岩波側の代理人は口頭陳述で、「この訴訟が、住民は国を守るために美しく死んだとして、『集団自決』を殉国美談にしたい人たちに利用されないように」と訴えた。原告の単純な名誉回復にとどまらない同訴訟の背景を、大阪高裁がどう読み解くかも判決の焦点となる。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-10-M_1-028-1_001.html

 

2008年09月10日【朝刊】 社会 

棄却求め高裁に署名提出/市民団体、累計2万3000人分

【大阪】「集団自決」訴訟の被告側を支援する三つの市民団体は九日、控訴棄却を求める全国からの署名千四百三十九人分と要請書を大阪高裁に提出した。署名数は累計で二万三千六十四人分に上っている。

 要請は、沖縄戦研究の成果と体験者の悲痛な証言を踏まえ、控訴人の請求を棄却するよう求めた。

 提出したのは、大阪の「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」、東京の「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」、沖縄の「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-10-M_1-028-1_006.html

 

2008年09月10日【夕刊】 社会 

洗機場 月内にも移転 嘉手納基地

 

シャワーを噴射させP3C対潜哨戒機を洗う洗機場=2006年9月9日午前6時ごろ、米軍嘉手納基地

新施設運用開始で/宮城町長「次は駐機場」

 米軍嘉手納基地内で移転が進められている大・中型機用新洗機場の運用が今月中にも始まる見通しであることが十日、分かった。施設は完成しており、近く日米合同委員会で米側に引き渡し手続きが行われる。同施設の移転が実現することについて、地元は「長年の基地被害がようやくひとつ軽くなる」と受け止めた。

 県文化環境部の知念建次部長らが同日、米軍嘉手納基地や普天間飛行場周辺の航空機の騒音軽減を要請したのに対し、沖縄防衛局の赤瀬正洋企画部長が洗機場移転について説明した。

 現洗機場は嘉手納町屋良の住宅地に隣接し、騒音のほかに大量の水しぶきが飛散する被害が発生。嘉手納町は長年にわたり早期移転を求めてきた。

 同施設は一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で、隣接する海軍駐機場とともに沖縄市側への移設が決まっていた。しかし、移設完了が二〇一〇年度以降となるため、同町が駐機場と切り離して洗機場の移設を前倒しで実施するよう求めていた。

 宮城篤実嘉手納町長は「駐機場移転がなかなか進まない中、せめて洗機場だけでも住宅地から遠い町域内の別の場所へ移そうと現地レベルで交渉した成果だ」と歓迎。引き続き駐機場の早期移転を政府に働きかけていく方針を強調した。

 洗機場近くにある栄光幼稚園の池原厚子園長(64)は「恒常的に米軍機のエンジン音が響き、子どもたちにとっても大変な負担だった。ここに来るまで何年かかったことか」とほっとした口調で話した。

 県道74号を挟んで洗機場と向かい合う同町東区は水しぶきで洗濯物がぬれる被害に悩まされてきた。島袋敏雄区長は「ぜひ移動してほしかった。地域にとって負担軽減は良いことだ」と歓迎した。

 自動車販売会社従業員、仲本兼作さん(35)は「車がぬれる被害は確実に減る。でも、スペースが空いたことで大型機がエンジン調整しないか、不安もある」と懸念した。

 県の知念部長らは要請の中で、(1)騒音規制措置の厳格な運用(2)環境基準を達成するよう騒音軽減措置―などを同局が米側に働き掛けるよう求めた。

 赤瀬部長は、防衛局が普天間飛行場周辺で先月から今月にかけて実施した航跡観測調査に言及し「結果はまだ出ていないが、地元にも伝えたい」と述べた。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-10-E_1-005-2_001.html

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