『蟹工船』が読まれることは・・・2/3

蟹工船の時代と現代

 さて、『蟹工船』にもどりましょう。1929年前半にプロレタリア芸術運動機関誌『戦旗』に発表された『蟹工船』が来年で80年経つ今、共産党が宣伝したからでもないのに、読まれていることは一体何を意味するしているのか?

 1931年9月18日関東軍が、「南満州鉄道」を自ら爆破した柳条湖事件をでっち上げ、これを口実に中国への総攻撃を開始しました。「自衛」(田母神もと航空自衛隊空幕長)のためにね(笑い)。いわゆる「満州」事変が始まったのです。

 労働者への戦争と、他国への戦争とは同時並行的に起こっています。『蟹工船』は日本軍艦が蟹工船の労働者弾圧のために出動したことを描いています。多喜二は命がけで二つの戦争、一つは労働者への戦争もう一つは他国への戦争に反対した1903年生まれの作家でした。そして、この誠実で有能な世界に誇れる若い作家は共産党員であり、民衆弾圧のまさに中核であった共産党弾圧を描いた『1928年3月15日』を描いたこともあり、警察権力に非常に憎まれ、見るも無惨な拷問の後に虐殺されました。1933年でした。

 企業防衛と称して、情け容赦なく首を切り住まいまで奪う、現代の愚かな日本の大資本家たちと『蟹工船』で描かれている資本家達とどこが違うのでしょう。侵略を「自衛」と称する教育を「自衛」隊で行っていた田母神らが旧皇軍とどこが違うのか、と言うことと同じに。

その3へつづく

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