全力をあげて4・25県民大会を成功させましょう!
歴史的な4・25沖縄県民大会が3日後に迫ってきました。
普天間基地を撤去させ、新しい基地を作らせない闘いは、沖縄を含む日本にとって正念場となりました。
今、沖縄県民は、必死で10万人を集め切り、戦後65年続いた米軍基地の重圧を跳ね返すために闘っています。米軍専用基地数で日本全国の4割(面積で75%)を占める沖縄県内米軍基地をなくすことは、本土を含む全日本の米軍基地をなくすことに直結しています。
本土米軍基地は一時使用米軍基地数では、沖縄を含む日本の米軍基地の75%を占めています。祖国日本を外国兵は一兵もいない独立国に変える第一歩を踏み出す時は今です。また、違憲の日本の「戦力」自衛隊を災害救助隊へ再編して違憲の兵力を一兵もなくす条件を整える第一歩とするときは今です。
51年前、米政府の干渉と日本政府の意思によって覆されましたが、砂川事件の伊達判決は、「日本に駐留する合衆国軍隊は、憲法上その存在を許すべからざるものと言わざるを得ない」と判示しました。(平山基生著『米軍違憲』参照)
まさに、4・25沖縄県民大会は、日本社会の根本的変革を意味する憲法実現の第一歩でもあります。日本を「法の支配する国」に変える第一歩でもあります。
日本国憲法は、わが祖国を「戦争をしない国」とすることを定めています。ところが、戦後65年「戦争をする国」米合衆国の軍隊をわが国政府が安保条約によって承認して日本に駐留させ、朝鮮戦争、台湾海峡危機、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争等々に出撃させることによって、わが国憲法に反して、日本は、「戦争をする国」になり下がったのです。在日米軍が侵略戦争を行うことは、とりもなおさず、「政府の行為」によって「再び戦争の惨禍をくりかえすことのないように」(憲法前文)と決意したわれわれ主権者国民の憲法的意思を踏みにじってわが国が戦争をしたことと同じです。
戦後65年、近隣諸国のただ1国も日本を攻撃しませんでした。それは、米軍がいたからではありません。日本国憲法があったからです。ところが在日米軍は、「武力による威嚇」・侵略戦争を行ってきたのです。
米軍は、1945年、連合国軍として、天皇制政府の侵略日本軍を一斉に攻撃し圧倒しました。ポツダム宣言(1945年)は、日本が独立したあかつきに、「占領軍は速やかに撤退されるべし」と定めましたが、日本政府は、米合衆国政府と「日米安全保障条約」(アンポ)という名の「占領継続条約」を結び、米軍の居座りを承認したのです[1952年4月28日発効]。
日本は、米軍侵攻後は65年間、沖縄県をふくめ米軍居座りのサンフランシスコ講和条約と安保条約締結後は58年間、憲法に反して、「戦力」を、在日米軍という形でも保有し、憲法に反して米軍という形で「戦争を行ってきた」のです。このような「法の支配」に反する日本の状態を変え真に日本国憲法を実現しましょう。日本を「法の支配する国」「戦争をしない国」に変えましょう。
4・25沖縄県民大会は、その素晴らしい第一歩なのです。沖縄県で実現しつつある団結の力を全日本に押し広げ、日本全国から米軍を撤退させる平和の力にしましょう。