60年前の9月8日に沖縄を含む日本に何が起こったのでしょうか?(6/7)

60年前の9月8日―「アンポ」体制はじまる(3)

 1959年3月31日、東京地方裁判所の伊達秋雄裁判長は、立川米軍基地拡張予定地砂川町で、米軍が、ハーグ陸戦法規に反して、占拠収奪した土地へ基地拡張反対で数メートル立ち入ったという行為を、刑事特別法違反ということで学生や支援の労働組合員を逮捕し起訴した事件(砂川事件)に関して、「安保条約は憲法違反」「日本領域の合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるもの」であるという勇気ある、日本国憲法の精神に全く適合した判決を下しました。これが有名な「伊達亜判決」です。2008年に駐日米国大使館と米国務省の極秘電報が米国の公文書館で発見されました。それによると、米大使と日本の外相とが判決の翌日に高等裁判所を飛ばして最高裁へ跳躍上告することを談合していたことが判明しました。また、こともあろうに、最高裁判所長官の田中耕太郎が米大使と秘密に会って、伊達判決を早急にひっくり返す裁判スケジュールまで打ち合わせていたこともわかりました。その年の暮の12月16日、最高裁判所は、一方では、高度に政治的なことは裁判所は判断しないという悪名高い「統治行為論」を主張しつつ、他方では、(アンポと言う名の)半占領条約は違憲ではない、外国軍隊だから、米軍は、憲法で禁止している「戦力」には当たらない、と述べています。憲法にはどこにも「外国の」戦力は別だなどとは書いてありません。指揮監督ができないから日本の戦力ではないという論理です。指揮監督もできない外国の軍隊を日本に駐留させる条約を結んだのは、無責任な日本の政府ではありませんか。「政府の行為によって戦争の惨禍を繰り返すことのないように」と言う憲法前文冒頭の文章は、米軍駐留を許し、許し続けている歴代日本政府の行為を指すと言ってもいいでしょう。

 (アンポと言う名の)半占領条約は、完全にポツダム宣言と憲法に違反したものであり、伊達判決が厳しく判示しているように、在沖縄を含む日本駐留米軍は「憲法上その存在を許すべからざるもの」なのです。最高法規である憲法は必ず実現されなければ、法の支配は日本においては地に落ちた、と言わざるを得ないのです。

60年前の9月8日―「アンポ」体制はじまる(3)- ○ウソの「常識」から真実の常識へ(7/7)へつづく

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