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沖縄タイムス 関連記事(5月16日夕刊)

2007年5月16日(水) 夕刊 5面
辺野古調査/反対派100人超集結
 【名護】米軍普天間飛行場代替施設建設予定地の名護市辺野古の反対派座り込みテントで十六日、市民団体のメンバーらによる集会が開かれた。代替施設建設に伴う事前調査が同日にも開かれるのではないかとの情報で百人以上が集まった。海上自衛隊の艦船が投入されるとの報道もあり、現場は緊張感が高まっている。

 座り込みテントには、調査開始を阻止しようと、同日午前四時から市民団体のメンバーらが集まり始めた。午前八時からの集会で参加者は「自衛隊の介入を許さない」「違法な調査を止めるぞ」とシュプレヒコール。その上空を海上自衛隊所属とみられるヘリが旋回した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161700_02.html

2007年5月16日(水) 夕刊 1面
知事、防衛協会長続投へ/「辞任」一転 来年5月まで
 仲井真弘多知事は十六日までに、兼務する県防衛協会の会長職を来年五月の任期まで続投する意向を固めた。仲井真知事は県議会二月定例会の一般質問で、多忙を理由に五月の総会をめどに会長職を辞任する考えを示唆していたが、自衛隊を容認する県政のスタンスなどを踏まえて続投を最終判断した。

 仲井真知事は、那覇商工会議所会頭だった昨年五月に会長に就任。任期は二年。同十一月の知事選への立候補に備え、兼職していた五十団体の役職のうち、沖縄・台湾財界関係者の交流組織である中琉協会と県防衛協会の会長職だけを続けていた。

 先月中旬にあった防衛協会の理事会で、仲井真知事が会長職を続投することに異論はなかったという。

 県防衛協会は自衛隊活動の支援や防衛思想の普及高揚などを目的に活動している。全国防衛協会連合会(東京都)によると、各都道府県に設置されており、今年一月時点で、他府県で現職知事が会長職を務めるのは鹿児島、熊本、長崎、新潟の四県。静岡県知事は名誉会長となっている。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161700_03.html

2007年5月16日(水) 夕刊 1面
副知事「残念だ」/総領事「普天間 特別に危険でない」
 仲里全輝副知事は十六日、ケビン・メア在沖米国総領事が十四日の講演会で「普天間(飛行場)は特別に危険ではない」と発言したことについて、「残念。総領事として地域の実情を把握して(ほしい)」と述べた。同日午前、県庁で伊波洋一宜野湾市長と面談した際に語った。

 普天間飛行場の移設問題について、仲里副知事は「市のど真ん中にあり、日米双方も危険との認識があるので移設する。グアム、県外移設などが一番いいが、枠組みが決まっている。その中で可能な限り地域にプラスになるようどう収めていくかが課題だ」と危険性の除去に向けて努力する考えを改めて強調した。

 伊波市長は「力を合わせて早期返還を実現していきたい」と述べ、跡地利用対策に向け協力して取り組むことを確認した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161700_04.html

2007年5月16日(水) 夕刊 4面
復帰っ子、沖縄自立訴え/議員らシンポ
 復帰っ子が集い、沖縄の今を考え未来を展望するシンポジウム「ぶっちゃけどーよ!復帰っ子議員と語る沖縄のこれから」が15日、浦添市内で開かれた。

 一九七二年の「復帰っ子」世代で現在は県議や市議を務める四氏が、いまだ実現が遠い沖縄の「自立」について議論した。

 前泊美紀さん(35)を代表とする県復帰っ子連絡協議会が主催。復帰世代の國場幸之助県議、仲村未央沖縄市議、島袋大豊見城市議、上里直司那覇市議がパネリストとして参加した。四氏とも周囲に「復帰世代」を意識されることが多かったと説明。意識し始めたのは、ことあるごとに大きく伝えられる新聞報道や、進学先の本土で言われた何げない一言だったという。

 國場県議は大阪の予備校で、同じ浪人生から「普段は英語を話しているんですか」と聞かれ、「強烈に沖縄のことを意識するようになった」と説明。

 島袋市議は高校入試の朝、復帰世代の受験を報じる新聞の大見出しに驚かされたと話した。

 四氏とも復帰を評価。仲村、上里両市議は米軍の圧政で著しく人権が阻害されていた歴史を踏まえると、「復帰は当然評価すべきだ」と話した。

 沖縄の自立について、國場県議は「本土と同じ土俵でなければ自立に当たらない」と指摘。三市議も復帰特別措置に頼る業界を批判し、「自立を訴えながら補助金を要求する態度は『大義が違う』と疑問がある」などと話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161700_05.html
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沖縄タイムス 関連記事(5月16日朝刊)

2007年5月16日(水) 朝刊 1・29面
沖縄返還交渉「基地削減 議題ならず」/外務省吉野元局長
 沖縄の施政権返還から三十五年を迎えるに当たり、外務省アメリカ局長として返還交渉に当たった吉野文六氏(88)が十五日までに、本紙の取材に「日本は返還の時にもっと沖縄の基地削減を主張するべきだった。日本の安全保障政策に中長期的な将来像がないまま、沖縄の基地は三十五年間、放置されたことになる」と語った。当時の佐藤栄作首相が掲げた“本土並み”の形式を整えることありきで、返還交渉で沖縄の米軍基地削減が議題になることは一度もなかったことを指摘した。米軍再編で在沖海兵隊のグアム移転費に支出する日本政府については「基地問題を金で解決するやり方は当時からあまり変わっていない」と話した。

 吉野氏は一九七一年一月、アメリカ局長に就任。OECD大使、ドイツ大使などを歴任した。

 沖縄返還の背景について、吉野氏は「ベトナム戦争で米国の景気が悪化の一途をたどる中で、日本は対米貿易を大幅に伸ばしていた。米国の議会が不満を募らせて沖縄返還に反対するようになる前に、早く交渉をまとめてしまおうということだった」と語った。

 その上で、「返還当時から現在まで日本の安全をどう守っていくのかという根本的な議論がない。日米安保に基づいて沖縄の基地をどう位置付けていくのか。あるいは永久に安保なのか。戦略的な見通しがないまま、果たしてこれだけの基地が必要なのか、分からない」と指摘した。

 七一年の当時の国会は沖縄から核が撤去されるかどうかに野党の追及が集中。議論するべき安全保障政策には及ばなかったという。「安保騒動からまだ十年という時代ですから、機が熟していなかったということでしょう」と振り返った。

 吉野氏は、同じ敗戦国だったドイツを引き合いに対米寄りの日本に懸念を示す。「冷戦の崩壊後、米国の一極支配と経済のグローバル化を背景に、日本が軍事も経済も米国に頼り過ぎてきた結果ですね」と語った。(粟国雄一郎)

     ◇     ◇     ◇     

「協定違反」最後まで反対

 吉野文六さん(88)が外務省アメリカ局長として担った沖縄返還交渉の一つは、日本が秘密裏に支払う六千五百万ドル(一ドル三百六十円で二百三十四億円)を米側がどう使うかだった。返還交渉の内幕を記した米国の公文書に、吉野さんが登場する興味深い一枚がある。公文書によると、基地の修繕・維持費に充てたい米側の要求を日本側が受け入れる場面で、吉野さんら事務方は日米地位協定に違反するとして最後まで反対していた。日本側が認めたこの「密約」は後に「思いやり予算」として表面化する。

 返還協定調印を八日後に控えた一九七一年六月九日、パリで行われた愛知揆一外相とロジャース国務長官による日米会談。その模様について、我部政明・琉球大教授が発掘した米国の公文書はこうつづる。

 「吉野局長ら日本側は、米側の要求に応えることが明らかに地位協定に違反し、発覚する危険性があるとして、反対していた。愛知外相は部下の反対を押し切り、『私が責任を持って』と答えた」。愛知外相は口頭の約束であることを念押ししていた。

 吉野さんはこの公文書のコピーを手に「これは興味深い」と目を走らせた。

 短いため息の後、「当時のことはよく覚えていない」とした上で「明らかに地位協定違反ですから事務方としては当然反対しますね。六千五百万ドルですから(西山太吉・元毎日新聞記者が『密約』と指摘した)四百万ドルよりもずっと大きい」と苦笑した。

 愛知外相の対応には「米側にいい顔をしたいと思ったのが大半でしょうが、交渉期限も迫り、金で解決がつくならと考えたのでしょう」と述べた。

 日米地位協定には基地の維持経費は米側の負担とある。日本がその枠組みを踏み出して基地の修繕・維持費を負担するこの「密約」を、我部教授は後の「思いやり予算」と指摘する。米軍の駐留を後押しする原点になったとの問いに、吉野さんは「そういうことです」とうなずいた。

 復帰前の沖縄視察では、基地内だけが別天地のように小ぎれいで「早く交渉をまとめて沖縄を“本土並み”にしなければと思った」という。一方で、当時は「密約」の一端が明らかになり国会は大波乱だった。

 吉野さんは当時、国会答弁などで「密約」を否定し続けた。「『記憶にありません、記憶にありません』と言って本当に忘れようとしたんです」(粟国雄一郎)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_02.html

2007年5月16日(水) 朝刊 2面
再編交付金支給を主張/参院外交委に仲里副知事
 米軍再編推進法案の審議の参考にするため来県中の参院外交防衛委員会のメンバーが十五日、県庁で仲井真弘多知事らと意見交換した。米軍普天間飛行場移設問題と同法案との関連で仲里全輝副知事は「(地元の)合意がないから交付金の支給対象にならないと発言する関係者もいるが、それはおかしい」と主張、名護市や県が代替施設の滑走路の沖合移動を求めていることを理由に、交付金の不払いを示唆する一部政府関係者をけん制した。

 普天間移設問題へのスタンスについて、仲里副知事は「名護市や周辺市町村、現県政を含め、現実的な枠組みを踏まえ、基本的にはV字形案はやむを得ないと思っている。しかし、住民生活への影響を考え、可能な限り沖合へと求めている」と説明。その上で「負担を強いられるのであれば、それに対する補償的意味合いもある。(交付金は)当然交付すべき」と述べ、在日米軍再編への協力度合いに応じた地方自治体への交付金支給を柱とする同法案への見解を表明した。

 仲井真知事は普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設について「名護市が受け入れるとなればその方向に行かざるを得ないと思っている。しかし、(名護市は)なるべく海へ出してもらいたいというのがある」と述べ、滑走路の沖合移動を重ねて要請。さらに、普天間飛行場については「返還までに全体の運用を下げていくことが必要」と強調、三年をめどにした閉鎖状態の確保を求めた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_06.html

2007年5月16日(水) 朝刊 29面
改憲反対350人訴え/5・15県民集会
 復帰三十五年を迎えた十五日、「憲法の改悪を許さない5・15県民集会」(主催・沖縄平和運動センター)が那覇市の県庁前県民広場であり、約三百五十人(主催者発表)が参加した。十四日に成立した国民投票法に対し「平和憲法を守る」「戦争反対」と声を上げ抗議、改憲反対を訴えた。

 同センターの崎山嗣幸議長は「復帰から三十五年を迎えたが、県民が願った、基地も核もない復帰はいまだに実現されていない。これからも沖縄の軍事強化を許さない活動に取り組む」とあいさつした。

 大学人九条の会沖縄代表の高良鉄美琉大法科大学院教授は「復帰によって沖縄が得たのは憲法だけだが、その中身は十分に勝ち取られたものではない。次世代に伝えるためにも、もう一度憲法の原点に返るべきだ」と語気を強めた。

 帰宅途中に集会に参加した芝田真弓さん(27)=那覇市、会社員=は「基地や教科書問題など、沖縄のことなのに、県民の声が政治に反映されていないことにいら立ちを感じる」と話した。

 集会後、参加者は改憲反対などを訴えながら国際通りをデモ行進した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_07.html

沖縄タイムス 関連記事(5月15日、16日)

2007年5月15日(火) 夕刊 5面
那覇・糸満議会意見書/教科書検定
「自決」軍関与削除に抗議
 教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する日本軍の関与が高校の歴史教科書から削除された問題で、那覇市議会(久高将光議長)と糸満市議会(玉城朗永議長)は十五日午前、それぞれ臨時会を開き、検定意見を撤回するよう求める意見書案を可決した。

 両議会とも意見書で「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍による命令・強制・誘導などなしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘した。

 日本軍関与の記述を削除させた教科書検定に対し、「(事実が)ゆがめられることは、悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くし難い犠牲を強いられてきた沖縄県民にとって、到底容認できるものではない」と遺憾を表明している。

 那覇市議会は「歴史を正しく伝え、悲惨な戦争が再び起こることがないようにするためにも、今回の検定意見が速やかに撤回されるよう強く要請する」としている。

 糸満市議会は「(同市には)多くの修学旅行生も訪れ、平和学習の場となっており、戦争の真実と平和の尊さを伝える役割を担っている。だからこそ、歴史の真実を伝えることは重要」と指摘している。意見書のあて先は内閣総理大臣、文部科学大臣、衆参両議院議長ら。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_03.html

2007年5月15日(火) 夕刊 4面
週内に抗議決議/F22未明離陸
 【嘉手納・北谷】嘉手納、北谷の両町議会は十五日、それぞれ基地対策特別委員会を開き、米軍嘉手納基地で今月十日に強行された最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターの未明離陸と同機の再配備に反対する抗議決議案を近く開催する臨時議会に提出することを決めた。

 両特別委ともF22の未明離陸に抗議するとともに、同戦闘機の再配備に反対する意向を決議に盛り込むことを確認した。北谷は十七日に、嘉手納は十八日に臨時議会を開催し、決議案を審議する予定。

 二機が午前十時二十五分に離陸、グアム経由で本国へ帰還したことについて委員らは「米軍自ら未明離陸は回避可能ということを示した」と指摘、運用改善を求める声が相次いだ。

 ほかにも「騒音防止協定がなし崩しだ」「米軍は住民の負担を軽視している」などと抗議した。

 また、F22の再配備については「沈黙は容認していると受け取られる。断固反対の意思を明確に示す必要がある」との意見が多く聞かれた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_04.html

2007年5月15日(火) 夕刊 1面
施設局、作業場設置へ/辺野古海域調査
 【名護】米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設に伴う海域での現況調査(事前調査)で、那覇防衛施設局が辺野古漁港内に作業場を設置する目的で名護市から同漁港施設用地の「行政財産使用許可」を得ていたことが十五日、分かった。

 施設局が名護市に提出した使用許可申請では、使用期間は二〇〇七年四月二十三日から〇八年三月末日まで。使用方法は、現況調査関係者の駐車場および資材置き場で、簡易プレハブなどの設置も含まれているという。面積は千九百二十平方メートルとなっている。

 申請は四月十八日付で、市は同二十三日付で施設局に使用許可の回答をした。

 同調査に関して、名護市は「長島や平島を含む広範囲の現況調査であれば、政府案(V字形案)を前提にした環境影響評価(アセスメント)に直結するものではなく、反対することにならない」として、国に調査への同意書を提出している。

 辺野古漁港への作業場設置については、施設局が〇四年四月に従来の沖合案建設に伴うボーリング調査作業着手の際に設置を試みたが、反対派住民らの阻止行動で設置できなかった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_05.html

2007年5月15日(火) 夕刊 1面
那覇空港拡張「首相公約」/国交相答弁 積極姿勢を強調
 【東京】安倍晋三首相が参院補選の応援で沖縄入りした際、那覇空港の沖合展開に最優先に取り組むと明言したことに関連し、冬柴鉄三国土交通相は十五日午前の衆院国土交通委員会で、「(沖合展開は)安倍総理の公約ですから、選挙のときの発言なども踏まえて、私も積極的に、前向きに考えていきたい」と語った。西銘恒三郎氏(自民)への答弁。

 冬柴国交相は同空港に関する調査に基づき「現状の利用条件の下では、二〇一〇年から一五年のころには、夏季において滑走路の処理能力に余裕がなくなると予想される」と説明。

 その上で「沖縄の発展のためには那覇空港の能力増強は必要と考えている。今後できるだけ早期に結論を得て、具体策を講じていきたいと考えている」と、積極的に取り組む考えを強調した。

 安倍首相は沖縄入りした際、「沖縄は地図上ではアジアの中心だ。那覇空港の拡張を最優先で行うことを約束する」と明言していた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_06.html

2007年5月16日(水) 朝刊 1面
全首長「沖振法延長を」/復帰35周年本紙アンケート
本土格差理由に/県独自の将来像 必要
 本土復帰三十五周年を迎えるに当たり、沖縄タイムス社が実施した県内市町村の首長アンケートで、残り五年で終了する沖縄振興特別措置法(沖振法)について、四十一市町村すべての首長が「延長すべき」と回答し、主な理由に「社会基盤整備が不十分」「本土との格差是正が必要」などを挙げ、依然として沖縄―本土間の「格差」を感じていることが明らかになった。また、実質四次となる現行の沖縄振興計画の終了を見据えた県独自の総合計画(長期ビジョン)の策定については約九割の三十七人が「必要」と回答。国の支援の継続を求める一方で、県独自で将来像を描く必要性を感じていることも浮き彫りになった。

 アンケートは九―十四日に、県内四十一市町村長を対象に実施。全首長から回答を得た。

 沖振法に基づき道路や河川改修、港湾整備事業などに対し他県と補助の割合を優遇する高率補助制度については、「評価できる」が三十三人(80・5%)、「ある程度評価できる」が八人(19・5%)と回答。同制度を今度も続けるべきかとの質問にも、約九割が「本土との格差が是正するまで続ける」(三十七人)との認識だった。

 北部振興策や米軍基地所在市町村活性化特別事業(島田懇談会事業)など、政府による各種振興策への評価は、十九人(46・3%)が「評価する」、十五人(36・6%)が「どちらかといえば評価する」と回答。社会基盤の整備や地域経済の活性化を主な理由とした。

 復帰特別措置法に基づく酒税の軽減措置や揮発油税については、二十八人(68・3%)が「評価する」と答え、地場産業の育成や離島交通コストの低減などに寄与しているとの認識だった。

 財政状況については、二十人(48・8%)が「とても厳しい」、十五人(36・6%)が「厳しい」と回答。五年後の財政状況の予測でも、約六割が「悪化する」または「極めて悪化する」との危機感を示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_01.html

沖縄タイムス 関連記事(5月15日)

2007年5月15日(火) 朝刊 29面
平和希求 県民に危機感/5・15前日 国民投票法成立
「9条議論できる」歓迎も/辺野古反対派「軍事国家」懸念
 復帰記念日の前日に、改憲手続きを定める国民投票法が成立した。十四日、護憲団体は「復帰時と約束が違う」と沖縄担当大使に抗議。名護市辺野古では、基地建設に向けた自衛隊艦船導入に警戒を強める市民が「軍事国家への道だ」と危機感をあらわにした。一方、元自衛官は「ようやく九条について議論ができる」と歓迎した。

 「復帰で勝ち取った九条の絶対平和主義は、見事に裏切られた」。沖縄九条連の海勢頭豊共同代表は外務省沖縄事務所で、重家俊範大使に語り掛けた。重家大使は「沖縄の憲法に関する特別な経緯は理解している」と言葉少なに答えた。

 要請後に、ダグラス・ラミス共同代表は「自民党の新憲法草案と大日本帝国憲法は、秩序を乱さない限りで人権を認める点で似ている」と指摘。「私たちの運動はできず、新聞社も記事を書けなくなるかもしれない」と、危険性を強調した。

 名護市の辺野古漁港。米軍普天間飛行場代替施設建設に反対する市民団体の座り込みテントからも、「軍事国家になる」「平和憲法を守れ」と同法成立に批判の声が上がった。国の調査に備え、阻止行動に使うカヌーの手入れをするなど、緊張感が高まる。

 平和市民連絡会の当山栄事務局長は、「安倍政権は自衛隊を軍隊化し、米国と一緒に戦争をするつもりだ」と危機感を募らせた。調査に海上自衛隊の掃海母艦が投入される動きに、「県民の意思を踏みにじって強行するやり方は沖縄弾圧政策だ。侵略拠点となる新基地建設を阻止して、平和を発信していきたい」と、結集を呼び掛けた。

 県防衛協会の藤井建吉事務局長は事務所で業務に追われ、同法成立を知らなかった。陸自の元幹部。「九条による自衛隊違憲判決で、どれだけ悔しい思いをしてきたか。部下に『私たちの仕事は憲法違反ですか』と聞かれたこともあった」と、感慨深そうに話した。

 自衛隊を軍隊として位置付けることを望むが、駆け足の議論には慎重だ。「政治家や国民がよく勉強してから投票にかけてほしい。法律ができ、改憲派も護憲派も緊張感を持って議論できるだろう」と期待した。

欠陥だらけと批判
県憲法普及協と人権協

 県憲法普及協議会(高良鉄美会長)と沖縄人権協会(福地曠昭理事長)は十四日、国民投票法成立に「欠陥だらけの同法を国会で再検証するよう求める」とした連名の抗議声明を発表した。

 「いよいよ九条改悪が具体的な政治日程に上がってくる今こそ、九条を守り、守らせ、世界に広げよう」と呼び掛けた。

 県憲法改悪反対共同センターは宮城常和事務局長名の声明で、「最低投票率の定めがなく、国民の運動を規制し、有料意見広告を野放しにする。改憲側が圧倒的に有利だ」と批判した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_04.html

2007年5月15日(火) 朝刊 28面
事件・事故58%が沖縄/全国施設局内で最多
 二〇〇五年度に那覇防衛施設局管内で起きた米軍人・軍属による事件・事故は千十二件に上り、全国八カ所の施設局管内で最も多く、全体の57・6%を占めたことが十四日、「米軍人・軍属による事件被害者の会」(海老原大祐代表)のまとめで分かった。このうち「公務外」は九百二十五件だったが、日米地位協定に基づき米政府が被害者に慰謝料を支払ったケースは十件にとどまった。

 過去五年の事件・事故では、〇三年度の千百五十九件(うち公務外九百九十一件)が最多。〇四年度は千十件(同九百十八件)に減少したが、〇五年度は再び増えた。

 同年度に二番目に多かった横浜防衛施設局管内は計三百三十四件(公務外二百五十七件)で、那覇の約三分の一だった。

 「発生件数」と「支払件数」が大きくかけ離れているのは、公務外の事件事故は当事者間の示談交渉が原則だからだ。

 一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)最終合意は、すべての在日米軍人とその家族、軍属に任意自動車保険の加入を義務付けており、那覇防衛施設局は「公務外事故のほとんどは、任意保険で解決されている」と説明している。

 これに対し、海老原代表らは「加害者が示談交渉中に本国に逃げ帰ったり、保険に加入していなかったりするケースも多い。被害者の視点に立った対策を早急に整備すべきだ」と訴える。

被害者救援センター「泣き寝入りだめ」

 米軍人らによる事件や事故に遭った被害者を支援しようと今年三月に発足した「米軍犯罪被害者救援センター」(事務局・大阪市西成区)のメンバーらが十四日、県庁で会見し、「全国の基地所在地間のネットワークを構築する。泣き寝入りせず相談してほしい」と呼び掛けた。

 同センターは無料の相談窓口を開設、被害者らの心のケアに当たるほか、米軍犯罪に関する情報を収集・発信する。

 県内では「米軍犯罪被害者救援全国ネットワーク」沖縄を設置。

 代表の池宮城紀夫弁護士は「軍人との示談交渉の代理人になることもありうる。公務外の事件・事故についても国が責任を取るよう那覇防衛施設局に要望していきたい」と話した。

 被害者の会や支援団体は一九九五年に県内で起きた米兵暴行事件以降、全国各地で結成された。

 近年は活動の中心が損害賠償法案整備の国会要請などに移行したため、被害者や遺族への直接支援が弱まっていたという。

 千歳や横田、岩国、佐世保などの各基地所在地でもネットワーク化の動きがあるという。

 沖縄の連絡先は、携帯電話080(1790)3335。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_05.html

2007年5月15日(火) 夕刊 1面
返還密約 隠ぺい工作/米公文書で判明
 一九七二年五月の沖縄返還を前に、米政府が支払うはずの軍用地復元補償費四百万ドルを肩代わりする密約の発覚を恐れ、日本政府が沖縄の地権者らへの補償費支払い業務を延期するよう米側に働き掛けていたことが十五日、米国立公文書館所蔵の一連の公文書から明らかになった。米側は財務、国務、陸軍の三省間で検討を重ね、延期を決定した。また実際に支払われた補償費が百万ドルを下回っていたことも分かった。

 密約をめぐっては、元毎日新聞記者の西山太吉氏が入手した外務省の極秘公電を基に社会党が七二年に国会で追及。以来、政府は一貫してその存在を否定している。

 七一年六月調印の沖縄返還協定で米側の「自発的」支払いが規定された復元補償費は、実際には日本側が負担。返還に伴う米資産買い取りなどの支出三億二千万ドルの中に補償費分の四百万ドルを紛れ込ませたとされる。

 新たに見つかった複数の公文書によると、米側は、日本側から五回に分けて支払われる三億二千万ドルのうち、七二年五月の初回分一億ドルの中から四百万ドルを信託基金設立に回し、七二年中に復元補償費支払い業務を開始する予定だった。

 しかし日本側が「信託基金設立は(肩代わりの)取り決めを公に認めることになる」として延期を要請してきたと、財務省は同年五月十一日付の文書で報告。国務、陸軍両省とともに検討した結果、支払い業務開始を七三年に先送りすることを決めた。

 国務省内には「支払い延期が沖縄で反発を呼ぶ可能性がある」との意見もあったが、最終的に「沖縄での批判よりも国会の論議が引き起こすリスクの方を重視すべきだ」との結論を出した。三月末から四月初めにかけて政府は社会党などの追及に全面否定を通したが、直後に西山氏が極秘公電入手に絡む国家公務員法違反容疑で逮捕された外務省機密漏えい事件で「沖縄密約」に注目が集まり、追及再燃を恐れたとみられる。

 基金は七三年に設立。日本側提供の四百万ドルのうち、沖縄の地権者に支払われた額は結局、百万ドルを下回り、一部は支払い業務を担当した米陸軍工兵隊の経費にも充てられていた。

 駐沖縄米総領事は七五年七月二十九日付の国務省あての公電で、残りの三百万ドル余りについて「(日本政府向けに)問題を引き起こさない使途の説明が必要になる」と指摘している。

対米支援 過程示す

 我部政明琉球大教授(国際政治学)の話 沖縄住民への補償延期を要請した日本政府の意図の背景に、密約の連鎖があった。米側が支払うはずの軍用地復元補償費の肩代わり自体は、補償が実施される限り大きな秘密ではなかったかもしれない。米側が支払いを拒否した場合には日本政府に肩代わりを求める声も沖縄にはあった。だが、一つのほころびがさらに重大な事実を表面化させることを恐れたのだろう。

 それが、日米地位協定枠外の米軍基地整備費など六千五百万ドルの存在だ。文書は「なぜ払うのか」という認識を確立しないまま対症療法として支出した金が、国民に説明ができない対米財政支援の呼び水になった過程を明らかにしている。ここに「思いやり予算」の原型があり、昨年、日米が合意した在日米軍基地再編における日本政府負担分の上限は決して絶対ではない可能性を示唆している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_01.html

2007年5月15日(火) 夕刊 5面
復帰35年それぞれの節目
 復帰三十五年を迎えた十五日午前、県内では復帰を評価し節目を祝う式典、今なお続く基地の重圧に抗議するデモがそれぞれ行われた。

反基地団体

 軍港反対浦添行動(共同代表・黒島善市さんら)は、浦添市にある米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の包囲デモを行った。今年で九回目となるデモに県内外から約八十人が参加した。

 一坪反戦地主会浦添ブロックのまよなかしんや事務局長は「基地をどこにも動かさないでここで撤去させていく。浦添に新たな軍港は決してつくらせない」と訴えた。

青年会議所

 那覇青年会議所(添石幸伸理事長)は那覇市の与儀公園掲揚台前で記念式典を行った。同会議所メンバーやOBら約七十人が参加、国旗と那覇市の旗を掲揚、三十五周年の節目を祝った。

 添石理事長は「平和な沖縄のために、われわれの世代ができることをあらためて見直したい」とあいさつした。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_02.html

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月15日)

2007年5月15日(火) 朝刊 1面
基地混迷 見えぬ自立 きょう復帰35年
所得依然最下位
 沖縄県は十五日、本土に復帰して満三十五年を迎えた。この間、国から八兆円超の振興開発事業費が投入され、道路や空港、港湾などの社会資本の整備は進んだ。しかし、県民所得は全国最下位、失業率も全国平均の二倍、財政依存度も依然高い状態が続き、「自立」への展望はいまだ見えない。

 米軍基地問題では、昨年五月の在日米軍再編最終報告で嘉手納以南の六基地の全面・一部返還や海兵隊八千人のグアム移転などが打ち出されたが、焦点の普天間飛行場移設をめぐっては政府と地元の協議が決裂したまま、解決の糸口が見いだせない状態が続いている。

 沖縄振興特別措置法に基づき二〇〇二年度にスタートした沖縄振興計画は、〇七年度から後期五年の折り返しに入った。主力の観光産業は、沖縄を訪れる観光客数が堅調な伸びを見せ、〇六年には約五百六十三万人を達成。しかし、一人当たりの観光消費額は伸び悩みが続いている。

 県民所得は一九九〇年代から「二百万円」(一人当たり)台を維持してきたが、〇四年度に百九十九万円となり、全国との格差が広がり始めた。失業率は〇六年平均は七・七%で、全国平均と比べて高い状況が続く。昨年十二月に就任した仲井真弘多知事は失業率の「全国平均並み」を公約に掲げており、公約実現に向けた施策展開が問われる。

 一方、米軍基地を取り巻く環境は厳しさを増している。米軍再編では沖縄の負担軽減も柱に据えられたが、嘉手納基地への地対誘導弾パトリオット(PAC3)部隊の発足、同基地で最新鋭ステルス戦闘機F22の未明離陸が強行されるなど、基地機能強化や訓練激化が目立つ。

 沖縄にとっては、米軍再編最終報告に盛り込まれた嘉手納以南の基地返還に備え、「県土再編」を視野に入れた跡地利用計画づくりなどの取り組みが最大の課題となる。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_01.html

2007年5月15日(火) 朝刊 1面
知事、沖振法延長を困難視
 仲井真弘多知事は十四日、十五日の復帰三十五年を前に沖縄タイムス社など報道各社のインタビューに応じた。沖縄の現状について「社会資本面、生活環境はかなり目標を達成しつつある」と評価した上で、五年後に期限切れを迎える現行の沖縄振興特別措置法(沖振法)の延長には「(復帰)四十年以降も同じものが継続できるかというとなかなか難しい」と述べ、単純延長は困難との見方を示した。

 復帰後に米軍基地の整理・縮小が進まなかった理由について、「個人的な見解」と前置きし、「日米安全保障のアジアにおける環境、米軍基地の置かれている地政学的な意味で、軍事的、軍事技術上大きいのではないかという感じがしないでもない」と述べ、日米両政府が主張する沖縄基地の地理的優位性に一定の理解を示した。

 一方で、「米軍再編で返還される広大な土地が県のビジョンに向かって展開していけるような基礎的な手当ては一種の戦後処理として国の手を借りる必要がある」と述べ、仮に現行の沖振法が廃止された場合でも、何らかの特別法は不可欠との認識も重ねて示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_02.html

2007年5月15日(火) 朝刊 1面
米艦船の石垣入港打診/市長は拒否
 【石垣】ケビン・メア在沖米国総領事が十一日に石垣市で大浜長照市長と面談した際、「来月、石垣港に米軍艦船を入港させたい」と打診していたことが十四日、分かった。大浜市長は「はっきりと断った」としている。メア総領事は同日、沖縄タイムス社の取材に対し打診を認め、民間空港や港湾の米軍の使用を認めている日米地位協定五条を根拠に、石垣市が反対した場合でも強行する姿勢を見せた。

 これまでに県内の自治体管理の港湾に米軍艦船が入港した例はないとされ、「実績づくりでは」という見方もある。

 メア総領事は「いつ、何が、どこへ入港するかはコメントできない。米艦船の民間港への入港は日本各地で行われ、昨年は一年間で二十五回以上に上り、珍しくない」と理解を求めた。目的については、地元との友好親善、乗組員の休養、物資の補給などを挙げた。

 宮古島市の下地島空港を管理する県が「自粛」を求める中、米軍機が離着陸するケースが後を絶たない。メア総領事は「地位協定五条は(地元との)協議ではなく(地元が)協力すると規定している」と話している。

 大浜市長によると、メア総領事は同市内の飲食店で市長らと会食、米軍再編が話題になる中、「米海軍の掃海艇が石垣の港に来るかもしれない」と話した。

 大浜市長は港が混雑していることなどを説明し、その場で断った。メア総領事は「市長にプレッシャーがかかることもあるかもしれない」と発言したという。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_03.html

社説(2007年5月15日朝刊)

[復帰35年・基地]

穏やかな暮らしなお遠く

「負担軽減」目に見えず

 沖縄が本土復帰してきょう五月十五日で三十五年になる。

 「基地のない平和な島」を願いながら県民が過ごした三十五年間は、復帰後も居座り続ける巨大な米軍基地との闘いであり、その返還、整理・縮小に向けて声を張り上げることであった。

 沖縄タイムスが実施した復帰三十五年の県民世論調査では、米軍基地について「段階的に縮小」(70%)、「ただちに全面撤去」(15・4%)を合わせ、なお八割強が縮小を求めている。

 しかし、現実はどうだろう。米兵による暴行事件を契機に日米特別行動委員会(SACO)で返還合意された普天間飛行場や那覇軍港など十一施設で明らかなように、返還が決まった施設も県内移設が条件とされ、目に見える「負担軽減」にはつながっていない。

 それどころか、極東最大の嘉手納基地には新たに地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が配備され、F15戦闘機の一部訓練を本土に移転する代わりに最新鋭のステルス戦闘機F22Aラプターを一時配備するなど負担は増すばかりだ。

 県内の米軍訓練空域では、米軍再編に基づく「米軍と自衛隊の一体化」に沿い、航空自衛隊と米軍との合同訓練なども実施されている。

 朝鮮半島有事の際、普天間飛行場が米軍のアジアにおける「出撃の最前線基地」になることも最近、米公文書などから明らかになった。紛争が勃発した時は、ハワイや米本土からも戦闘機を追加配備し、計三百機体制で作戦を遂行するという計画だ。

 私たちが気に掛かるのは、計画を知っていたはずの日本政府がなぜ県民にこれらの情報を伝えないのか、ということである。これでは、県民の目に触れない軍事計画がほかにもあるのではないかと疑念が広がるだけだ。

 県民は三十五年前の復帰の日に、それまでの米施政権下にあった二十七年間を振り返って「平和な島」をつくることを誓った。だが、復帰後もベトナム戦争、その後のアフガニスタン紛争、湾岸戦争、イラク戦争と沖縄は米軍の出撃拠点として使われてきた。

 「加害者にはならない」という私たちの意思は踏みにじられ、その思いは今に至っても強く残っている。

「沖縄の歴史」伝える責務

 文部科学省の教科書検定で、二〇〇八年度から使用される高校の歴史教科書の記述から沖縄戦における住民らの「集団自決」に対する日本軍の関与が削除された。

 日本軍の強制という意味合いを消し去り、日本軍による「加害性」を教科書から排除しようとの意図だ。

 県民世論調査では、日本軍の関与が削除されたことに対する「反対」が81・4%に達した。

 理由は「沖縄戦の歴史を歪曲するから」52・4%、「『集団自決』の現実を伝えていないから」37%、「日本軍の関与が明確だから」9・5%の順に多かった。

 その上で、沖縄戦の体験などを次の世代に語り継ぐことについては「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)、「尋ねられたら話す」(40・1%)を合わせ約九割が戦争体験継承の必要性を感じていることがうかがえる。

 非戦闘員の「集団自決」がなぜ起きたかという“真実”に目を閉ざしては、歴史を見誤ることになりかねない。

 旧体制下の負の遺産を直視することは重要であり、私たちもまた「沖縄の歴史」として後世に伝えていく責務があることを忘れてはなるまい。

「憲法の理念」見つめ直そう

 憲法改正手続きを定める国民投票法が十四日、与党の賛成多数で可決、成立した。今後の改憲論議の最大の焦点が戦争放棄と戦力の不保持をうたった第九条であることは言うまでもない。

 集団的自衛権の解釈改憲への動きなども表面化した今、米軍基地を多く抱える私たちはこの問題にどう対応すべきなのか。自らの問題としてきちんと検証していく姿勢が求められよう。

 しかし、憲法ができて二十五年間の空白がある沖縄では、まだまだ憲法の理念が生かされているとは言えない。

 憲法施行六十年の節目に、現行憲法の理念とその重さをあらためて見つめ直したい。

 戦後二十七年間の米施政権下で蹂躙された県民の人権、奪われてきた平和に暮らす権利を思えば、この三十五年間と私たちが復帰に求めた「願い」との隔たりはあまりにも大きい。

 復帰とは何だったのか。これからの沖縄像をどう描くのか。復帰の日のきょう、あらためて考えたい。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070515.html#no_1