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沖縄タイムス 関連記事・社説(5月14日)

2007年5月14日(月) 朝刊 22・23面
基地ノー本気で/平和な島 真剣に
 【中部】「みんなの心が一つになった」―。一万五千人が参加した十三日の嘉手納基地包囲行動。二〇〇〇年の九州・沖縄サミット以来、四度目の包囲には多くの家族連れらが“鎖”に加わった。「嘉手納」の機能強化反対、普天間飛行場の即時閉鎖などを訴えた参加者は、結んだ手を高く掲げ、県内外に思いをアピールした。一部つながらない場所もあったが、「これだけの人が集まったことに意味がある」との声もあちこちで上がった。

     ◇     ◇     ◇     

「何とかしたい」切実/地元住民

 「基地のせいで生まれ育った場所で暮らしたいという願いがかなわない。砂辺はそんな特殊な地域だ」。四回目の参加となった北谷町砂辺区出身の親里英文さん(55)。故郷から離れざるを得なかった悔しさに唇をかんだ。

 嘉手納基地からの昼夜を問わない爆音にさらされる砂辺ではこれまで多くの住民が区を出て行った。

 二十七歳で結婚した親里さんは「爆音があっても故郷で暮らしたい」と砂辺でマイホームの建築を望んだ。区を去った人の土地は国が買い上げ国有地になったため、当時の区内には新たに家を建てる場所がなかった。

 「空き地があるのに使えない。同年代では同じようなケースが多く、幼なじみともばらばらになってしまった」。後ろ髪を引かれる思いで砂辺を離れ、町内の別の地域に建てた家で一男三女の家庭を築いた。

 砂辺を取り巻く現状の改善に少しでも協力できればと、包囲には毎回参加している。「鎖がつながらなくてもいい。これだけの人が基地をどうにかしようと集まったことに意味があると思う」と参加者の列を見つめた。

 「若者が真剣に考えなければ」。嘉手納町嘉手納から初めて参加した末吉弥さん(21)。爆音に長年悩まされてきたが、特に基地を意識したことはなく、事件・事故がなければ仲間内で話題にならなかった。七年前に行われた嘉手納基地包囲は遠目で見ていただけ。中学生ながら「どうせ何も変わらない」と思っていた。

 今回参加したのは、十五日から母校、嘉手納中で生徒指導補助員になるため。喫煙やけんかなど生徒の問題行動を把握し、相談相手になることが仕事だが、子どもたちに「基地」「平和」について考えるきっかけをつくりたいという。

 「参加したことで賛否の意見を勉強することができた。基地存続の有無や跡地利用は僕らの世代も真剣に議論する必要性に迫られるはず。将来のためにも何も知らない大人にはなりたくない」と話した。

親子三代 思いつなぐ

 「大雨の中、みんなで手をつないで何のためにやっているのか分からないけど、つながって歓声が上がったことを今でも覚えている」。二十年前、当時小学校低学年だった伊波今日子さん(29)は、今回娘の陽香留ちゃん(3)と両親と参加した。「私が幼いころに連れてこられたように、少しでも娘の記憶に残ればうれしい」

 二十年前、母親の長浜敏子さん(51)は「子どもたちに社会情勢に関心を持ってほしくて」と家族四人で参加した。長浜さんは、「二十年前は雨の中でもやらなくちゃいけないと、周りもかなり盛り上がっていたが、今回は人数も少なく、盛り上がりもない」と話した。

 伊波さんは「基本は基地反対」としながらも、「周りに基地従業員もいるので雇用のことを考えると、正直、就職口のこともあるのでなくなるとどうなるのか心配」と話した。母親の長浜さんは「娘は雇用の問題を挙げるが、戦争体験者の話を聞くと、あんな時代が子や孫の世代にまた来ないかと心配なので基地はないほうがいい」と基地反対を訴えた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141300_02.html

社説(2007年5月14日朝刊)

[5・13嘉手納包囲]

過大負担問い続けよう

「鎖」一部でつながらず

 本土復帰三十五周年を前に十三日、全周約十七キロの米軍嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する5・13嘉手納基地包囲行動が行われた。

 参加者一万五千二百七十人(実行委員会発表)が手をつないだが、当初見込んだ二万人に達しなかったため、鎖は一部でつながらなかった。

 同基地の包囲行動は、沖縄サミット開催に合わせた二〇〇〇年七月以来七年ぶり四回目。普天間飛行場包囲行動も含めると八回目となる。鎖がつながらなかったのは初めてだ。

 実行委の共同代表で沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長は「連休をはさみ準備が足りず、鎖がつながらなかったのは残念だ。これからも基地のない平和な島に持っていくよう頑張っていきたい」と話した。

 人間の鎖は、誰でも参加できるソフトな示威行動である。ソフトな形態を取りつつも、結集した民衆のエネルギーはマグマの爆発のような力を思わせる。それだけに、完全包囲に至らなかったのは残念でならない。

 だが、大事なことは米軍基地が憲法で保障された「平和的生存権」を侵害するなど、復帰後三十五年たっても県民が基地の重圧にいかに苦しめられているかを引き続き訴え続けることではないのか。

 圧倒的に本土より重い基地負担の不条理を、沖縄の「異議申し立て」として問い続ける必要がある。

 その意味で、参加した人たちは「異議申し立て」の一人になったという誇りを持っていいはずだ。

 嘉手納基地は極東最大の米軍基地であり、沖縄基地の象徴でもある。復帰三十五年の節目に同基地を包囲することは、日米両政府への強いメッセージになるからだ。

 とりわけ、本土からの参加者には次世代へ平和を残すための「沖縄からの問い」を本土へ広げる原動力となってもらいたい。

 包囲行動は(1)地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備や最新鋭のステルス戦闘機F22Aラプターの一時配備など嘉手納基地の機能強化に反対(2)普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブへの移設など基地の県内移設に反対(3)普天間飛行場の早期閉鎖と返還(4)米軍北部訓練場のヘリパッド建設中止―の四項目をスローガンに掲げた。

海自艦船の関与は混乱の種

 那覇防衛施設局は近く普天間移設先の環境現況調査(事前調査)で機器の設置作業を始める方針だ。

 調査を支援するため、海上自衛隊横須賀基地の掃海母艦が十四日にホワイトビーチ(うるま市)に入港予定で、同艦の潜水士がサンゴ調査に必要な着床板など機器の設置作業に加わることも予想されている。

 普天間飛行場移設先での環境現況調査に関連して海上自衛隊の艦船が関与する可能性が出てきたといえる。

 沖縄には、米軍の銃剣とブルドーザーで土地を奪われた歴史がある。自衛隊が調査にかかわってくるのであれば、新たな弾圧を意味するようなものではないか。

 この問題には、県も腰が定まらない感じだが、民主主義の破壊につながるようなことになっては事態をますます混乱させるだけである。県としての対応をしっかりと示すべきだ。

 久間章生防衛相は、今回の嘉手納基地包囲行動を「一種のパフォーマンスでしょう」と言い放ったが、政府は過大な基地負担を沖縄に押し付けながら、なお県民の苦悩解消に本気で取り組んではこなかった。

住民のマグマは消えない

 米兵による犯罪や事故が起きるたびに県民世論は怒りを沸騰させるが、一方で米軍基地は、地元に雇用や見返りの経済振興策をもたらすなど大きな矛盾をはらんでいるのも事実である。

 嘉手納基地フェンス際の「安保の見える丘」は、復帰前から米軍機ウオッチャーらが多く集まる場所として知られているが、最近では道を隔てた向かい側に四年前オープンした「道の駅かでな」が新たなスポットになっている。

 包囲行動の日も、県内外から訪れた観光客やカップルが四階の展望台から広大な嘉手納基地を眺めていた。展望台の従業員によると、二月から一時配備されていたステルス戦闘機F22Aを目当てに、皮肉にも観光客が急増しているという。

 しかし、地元では騒音被害などに対し大きな反発を呼んでいることを忘れてはならない。住民の鬱積するマグマは消えないはずだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070514.html#no_1

2007年5月14日(月) 夕刊 1面
豊見城市議会、検定撤回求め意見書/「集団自決」修正
 【豊見城】豊見城市議会(大城英和議長、定数二四)は十四日午前、臨時会を開き、教科書検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の集団自決に関する日本軍の関与が削除された問題で、検定意見の撤回を求める意見書案を全会一致で可決した。

 同問題での意見書可決は県内自治体で初めて。あて先は、首相や文科相、衆参両院議長ら。

 意見書は、検定意見について「沖縄戦体験者の数多くの証言による沖縄戦研究の蓄積・歴史的事実を否定しようとするもの」と批判。「検定結果は、歴史的事実を直視しない押し付けの教科書と言わざるを得ず、到底容認できない」としている。

 その上で、「沖縄戦の歴史を正しく伝え、悲惨な戦争が再び起こされることがないよう検定意見を速やかに撤回し、記述の復活が速やかに実現されるよう強く要請する」と結んでいる。

 教科書検定をめぐっては、県内の各自治体でも意見書案採択の動きがあり、十五日には那覇市、糸満市の両議会が可決を予定している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141700_01.html

2007年5月14日(月) 夕刊 5面
平和行進団 辺野古で拳
 【名護】「嘉手納基地包囲行動」から一夜明けた十四日午前、米軍普天間飛行場代替施設建設予定地の名護市辺野古の反対派座り込みテントに5・15平和行進や嘉手納基地包囲行動の県外参加者約三百人が駆け付けた。

 参加者らは代替施設建設予定地の海域を見渡しながら、「新基地建設反対」「ジュゴンの海を守れ」などとシュプレヒコール。現地で阻止行動を続けるヘリ基地反対協や平和市民連絡会のメンバーらとの連帯を誓った。

 反対協の安次富浩代表委員は、代替施設建設に伴う事前調査に海上自衛隊が投入されるとの動きに「腹の底から憤りを感じている。この暴挙を絶対に許してはいけない。全国の皆さんで私たちの戦いを支援してください」と訴えた。

 山本修平さん(23)=東京都=は「こんなきれいな海に人殺しの基地を造らせてはいけないと感じた。私たちは政治がどのように動いているのか注視し、政治を変えていくことをやっていきたい」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141700_02.html

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月13日、14日)

2007年5月13日(日) 朝刊 1・23面
県民大会 反基地訴え/嘉手納基地きょう包囲
 「復帰三十五年平和とくらしを守る県民大会」(主催・5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター)が十二日、北谷町の北谷球場前広場で開かれた。約三千人(主催者発表)が「5・15平和行進」の意義を共有し、十三日午後に行われる嘉手納基地包囲行動に向け、全力を挙げて取り組むことを確認した。基地の固定化や強化、憲法改悪に反対するアピールを発表した。

 主催者を代表し、同行進実行委員長の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長が「安倍内閣が憲法を改正し、軍国主義につくり替えようとすることを県民は許すわけにはいかない」と強調。「5・15平和行進をさらに拡大しながら戦争のない平和な島を全国へ発信する力をつけていきたい」と決意を述べた。

 野国昌春北谷町長、伊波洋一宜野湾市長、新垣邦男北中城村長、照屋寛徳衆院議員、糸数慶子社大党副委員長らが激励のあいさつをした。

 三十回目を迎えた今回の5・15平和行進には十日の復帰三十五年特別コースの参加者を合わせて十二日までの三日間で、約四千六百二十人(主催者発表)が参加したことが報告された。

 十三日の嘉手納基地包囲行動(主催・同行動実行委員会)は午後三時から午後四時まで三度、「人間の鎖」で同基地を包囲することを目指す。

     ◇     ◇     ◇     

平和へ心一つ

 【中部】本土復帰三十五年を迎え、三十回目となった平和行進は十二日、県内三コースから出発した参加者が北谷町の北谷球場前広場に集結した。復帰の内実を問う行進には特別コースを加えた三日間で延べ約四千六百二十人が参加。集結後に開かれた「5・15平和とくらしを守る県民大会」は参加者三千人の熱気に包まれ、ガンバロー三唱で十三日の米軍嘉手納基地包囲成功へ向け気勢を上げた。

 「大勢の人が県内外から集まり平和を願う。参加するたびに心強く思う」。米軍普天間飛行場の移設反対を訴え、辺野古で座り込みを続ける名護市の崎浜秀司さん(76)は十回目の行進参加。「米軍再編後も辺野古、嘉手納、普天間の状況は悪くなる一方。沖縄に新たな基地は必要ない」と訴えた。

 普天間飛行場の騒音被害に憤る宜野湾市我如古の主婦、新垣政子さん(65)は「小さい島に基地が押し付けられ、事故の危険性や騒音にさらされている。沖縄が歩んだ我慢の歴史を多くの人に理解してほしい」と話した。

 嘉手納基地所属のF15戦闘機の初の移転訓練が今年三月、福岡県の航空自衛隊築城基地を拠点に行われた。同基地に隣接する同県築上町の公務員、出口厚志さん(28)は「今後、移転の回数が増えれば、騒音だけでなく、事件・事故の可能性も高くなる。平和運動の先進地である沖縄から学んだことを地元での活動に生かしたい」と話した。

 神奈川平和運動センター代表の宇野峰雪さん(67)=横浜市=は「どれだけ多くの人が沖縄戦で、この地に命を落としたかを感じながら歩いた」と話した。米軍再編では神奈川や隣接する東京・厚木基地への機能集中が予定されている。「沖縄での反基地運動を学び、一緒に米軍基地撤去のための取り組みを広げていきたい」

 南部コースに参加した佐藤瑞恵さん(24)=松山市=は、沖縄を訪れたのは初めて。普天間飛行場周辺を歩き「こんなに大きな基地が人々の身近にあるとは。まるで一つの街のように見えた。人のいない山中にでもあるものかと思っていたが」と驚いていた。

 会場周辺では、「君が代」などを放送する十数台の右翼団体の街宣カーが繰り出し、大会参加者とにらみ合う場面もあった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705131300_02.html

2007年5月13日(日) 朝刊 23面
シュガーローフ攻防を生々しく/米軍フィルム初公開
 映画「沖縄戦・シュガーローフの戦い」(主催・沖縄タイムス読者センターなど)が十二日、那覇市おもろまちの市上下水道局で上映された。戦時中に米軍が記録したドキュメントで、主催した沖縄戦1フィートの会が約一時間の映像にまとめた。映像が公開されたのは初めてで、約百人が見入った。

 記録フィルムは中城村在住の島尻太行さん(67)が約六年前、宜野湾市内にある古本屋で見つけた。米国第六海兵師団の戦闘の模様を伝えている。シュガーローフは小高い丘となった現在の安里一区周辺。進攻する米軍がこの地で日本軍に苦戦を強いられた。

 英語の解説で、米軍はこの戦闘で一週間に二千六百六十二人の死傷者を出したと伝えている。

 上映後、元沖縄師範学校鉄血勤皇隊の儀間昭男さん(80)=那覇市=が「南部に向かう道路には県民、日本兵の遺体の山ができていた」などと当時の体験を語った。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705131300_03.html

社説(2007年5月13日朝刊)

[復帰35年調査]

語り継ぎたい「沖縄戦」

本土復帰の評価定着か

 沖縄が本土復帰してから三十五年になる。復帰して何が変わったのか。世代によって抱く感慨も違うはずだ。

 「核抜き、本土並み」の掛け声はかき消され、今も在日米軍の再編や、普天間飛行場の移設など米軍基地問題が沖縄の人々が直面する最大の課題である。その基本構図に変化はない。

 県民意識はどのように変わったのだろうか。沖縄タイムス社の復帰三十五年世論調査によると、復帰して「よかった」と答えた人が89・3%、「よくなかった」は3・8%だった。

 一九九二年四月の調査(復帰二十年)では88%、二〇〇二年四月の調査(同三十年)でも87%が「よかった」と答えている。九割近くが復帰を肯定的に評価するようになった。

 「沖縄らしさ」が残っているものは「伝統文化」「助け合いの心」など。逆に「沖縄らしさ」が失われたものでは「自然」「方言」などの順。

 将来にわたり沖縄が大切にしていくべきだと思う点は「平和・戦争を忘れない」が42・1%で最多。「助け合いの心」(21・6%)などが続く。

 本土の人と接した時、自分たちと違う面があると感じることがあるかとの質問では「感じる」が62%を占めた。一九九七年調査時は68%が「感じる」としており、6ポイント減少した。

 伝統文化に沖縄らしさを感じ、歴史が異なる点など本土との違いを実感している―。沖縄の歴史・文化の独自性に対する県民のこだわりは今なお健在だと言っていいだろう。

 一方、沖縄と本土との格差について「あると思う」が87・1%で五年前の前回調査より13ポイント増えた。「思わない」は10・9%で、11ポイント減っている。本土との格差を感じている人が五年間で増えた。その理由として所得、基地問題などを挙げている。

 米軍基地に対しては「段階的縮小」を求める人が70%、「ただちに全面撤去」は15・4%、「いままで通り」は12・5%だった。この質問では、復帰二十年以降の各調査結果を見ても、ほぼ同様のすう勢を示している。

 約85%の人々が、何らかの形で米軍基地の縮小が進展することを求めていることに大きな変化はない。

検定には超党派で反発

 文部科学省による高校の歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」についての日本軍関与の記述が削除・修正された。県内で反発が広がり、市議会などで撤回を求める動きも出ている。

 今回の調査で日本軍関与の記述・削除への賛否を聞いたところ、「反対」が81・4%、「賛成」が8%、「分からない」が10・6%だった。

 反対理由は「沖縄戦の歴史を歪曲するから」(52・4%)「『集団自決』の現実を伝えていないから」(37%)などの順に多い。

 約八割が検定結果に疑問を投げており、支持政党の党派の枠を超え、反発が広がっているのが大きな特徴だ。

 沖縄戦について、日々の暮らしの中で「よく話す・聞く」「時々話す・聞く」が合わせて58%だった。

 「沖縄戦の体験について次の世代に語り継ぎたいか」との質問では、「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)、「尋ねられたら話す」(40・1%)と九割余が継承の必要性を感じている。

 教科書検定の動きに反応したのか、「すすんで語り継ぎたい」が十年前調査と比べて15ポイント余も増えた。

 沖縄戦をどう継承していくかが問われているが、歴史の事実を直視する重要性について、県民の間で共通認識ができつつあると言えよう。

内実を問い返す動きも

 二〇〇一年の9・11テロ後、米国はアフガニスタン、イラクで対テロ戦争を進めてきた。冷戦崩壊後も沖縄を取り巻く環境が様変わりし、沖縄の基地の在り方にも影響を及ぼしている。

 復帰三十年以降、県内では復帰への評価や復帰運動の内実などをあらためて問い直す動きも出ている。こうした問題意識は教科書検定や歴史認識の在り方などにも深くかかわっている。

 一九七二年に生まれた子供たちはもう三十五歳だ。復帰前の沖縄を記憶する人は四十代半ば以降になり、今後は復帰を直接体験していない新たな世代が増えていくことになる。

 復帰をめぐる調査についても、今後はその性格や位置付けなど、より総合的な分析や評価がますます重要な作業になっていくのは確かだ。

 沖縄の基地の現状が変わらない限り本土復帰の内実を多角的に問い直していく動きがやむことはないだろう。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070513.html#no_1

2007年5月14日(月) 朝刊 1面
1万5000人「嘉手納」包囲/騒音・機能強化に抗議
「鎖」一部つながらず
 極東最大の米軍基地で全周約十七キロの嘉手納基地を「人間の鎖」で取り囲む「嘉手納基地包囲行動」(主催・同行動実行委員会)が十三日行われ、県内外から約一万五千二百七十人(主催者発表)が参加した。十五日の復帰三十五年を前に、在日米軍再編で機能強化が先行し、住民への深刻な騒音被害が続く嘉手納基地の現状に抗議の意思を示し、新基地建設に反対を訴えた。参加者が手をつなぎ基地の包囲を目指したが、人数が足りず「鎖」はつながらなかった。

 同実行委は「準備不足などもあり、一部でつながらなかった」と説明した。嘉手納基地での包囲行動は二〇〇〇年七月以来四回目。普天間飛行場の包囲行動を含めると八回目となる。同実行委によると「鎖」がつながらなかったのは今回が初めて。

 包囲行動終了後、同実行委共同代表の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長は「一部につながらなかった所もあったが、約一万五千人の県民らが参加したことを評価したい。県民の意識は今の状況に無関心ではないと思う。これからも共闘、連帯して基地がなくなるよう頑張っていきたい」と述べた。

 この日、基地周辺では午後三時すぎから、参加者が「人間の鎖」で包囲を試みた。参加人数は同実行委が目標としていた約二万人に達しなかった。

 日米両政府は〇六年五月の在日米軍再編最終報告で、嘉手納基地の負担軽減に向け、F15戦闘機の訓練移転などで合意したが基地周辺では騒音被害が続いている。

 一方で、地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備や、最新鋭のステルス戦闘機F22の暫定配備などの機能強化に、周辺自治体が反発している。

基地のない平和な島への願いを込め嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する参加者=13日午後3時30分、嘉手納町屋良(大城弘明撮影)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141300_01.html

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月12日、13日)

社説(2007年5月12日朝刊)

[国民投票法案]

民意をくみ取るべきだ

衆参の「数の力」は理不尽

 参院憲法調査特別委員会は十一日、憲法改正手続きを定める与党提出の国民投票法案(憲法改正手続き法案)を自民、公明の賛成多数で可決した。

 先月十三日の衆院通過に続き、十四日の参院本会議で与党の賛成多数で可決され、成立する見通しだ。

 国民投票法案は手続き法とはいえ、

憲法改正、特に「戦争放棄と戦力の不保持」をうたう九条の変更と密接に絡む重要法案である。

 本来、与野党が民意をくみ取りつつ、十分に審議を重ねて「公正、公平、中立」な制度の実現に向け合意を達成するのが筋だったはずだ。

 それが衆参両院とも「数の力」で採決されるのは理不尽であり、極めて遺憾と言わざるを得ない。

 参院特別委では「審議は十分尽くした」とする与党側に対し、民主、共産、社民、国民新の野党四党は「中央公聴会も実施されていない。審議が不十分」と主張し、採択に反対した。

 しかし、与党が付帯決議をすることで譲歩したことを評価、採決では衆院可決時のような混乱は回避された。

 付帯決議は、最低投票率制度の是非の検討や投票権者の年齢を十八歳に引き下げる法整備など、今後の検討課題として十八項目を挙げている。

 投票権を二十歳以上ではなく、十八歳以上に引き下げているが、国民の意思を確認するために行われるのだから、まず投票率が問題となる。十八項目の中で、最も重大な論点といえる。

 参院の審議では野党側から、一定の投票率に達しない場合は投票を無効とする「最低投票率」を設けるべきだとの指摘が相次いだ。

 憲法九六条は、国会の憲法改正の発議について「(衆参両議院の)総議員の三分の二以上の賛成」と厳格に定める一方で、国民投票の承認については「その過半数の賛成」としている。

 その過半数とは、実際に投票所に行き、賛成・反対の明確な意思を表示した投票権者、つまり有効投票の過半数であることは明白だ。

 だが、法案には何の制約もない。投票率がどうあろうと有効投票総数の過半数が賛成すれば改憲案が承認されることになっている。

地方公聴会では賛否両論

 現憲法には、最低投票率を法律で定めるようには書いていないからという理由で、最低投票率を設定することは違憲だという主張さえある。

 しかし、現憲法には国民投票法をつくること自体も明記されていないのであり、それらの解釈も含めて今後の論点となろう。

 参院特別委の地方公聴会では、最低投票率について公述人から賛否両論の意見が出された。

 「投票のボイコット運動で多数決による民主主義が影響されるのではないか」「一部の意思のみで憲法が変更されると正当性を損なう。少なくとも過半数の投票が成立要件になるべきだ」「ボイコット運動などで要求される投票率を超えられないなら、改正の機が熟していないと判断すべき」などだ。

 いずれにせよ、最低投票率の定めがないことが大きな問題であり、最低投票率、あるいは絶対得票率を定めるのは避けて通れないはずだ。

 公務員や教員がその地位を利用して国民投票に関する運動を禁止するのも問題である。

 罰則がないとはいえ、「団体の力で学生に影響を与える恐れがある」と運動禁止を支持する人もいれば、逆に「職種による人権や人格権の否定につながりかねない」との声も強い。

憲法改正、現実の政治課題に

 法案では、投票日の二週間前まで改憲についての有料意見広告をテレビやラジオに出すことが許されている。

 資金力があればいくらでも改憲の主張がマスメディアを通じて国民にアピールできるわけであり、改憲に有利に働くのは明らかだ。

 今後の論議は、国民投票法成立を受け、七月の参院選後の臨時国会で衆参両院に設置される憲法審査会に主舞台が移る。

 三年間は改憲案の提出、審査は凍結され、現行憲法の問題点などの調査が進められることになる。

 安倍首相は「自民党は新憲法草案をつくって改正の意思表示をし九条は変えると決めている」と述べ、憲法九条を含む改憲の是非を夏の参院選で争点としたい考えをあらためて表明した。

 憲法改正が現実の政治課題となり、国民一人一人が真剣に向き合わなければならない局面に入っている。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070512.html#no_1

2007年5月13日(日) 朝刊 1・23面
復帰「評価」89% 沖縄タイムス復帰35年世論調査
「本土と格差」87%/基地縮小85%が望む
 十五日で本土復帰三十五周年を迎えるのを前に、沖縄タイムス社が実施した県民世論調査で、県民の89・3%が復帰して「よかった」と評価する一方、87・1%は沖縄と本土の間に「格差」があると感じていることが分かった。「格差」を感じているもので最も多かったのは「所得」(48・1%)だった。米軍基地については、「段階的に縮小」(70・0%)、「ただちに全面撤去」(15・4%)を合わせ八割強が縮小を求めている。沖縄の米軍基地を縮小するため、本土移転に「賛成」と回答したのは約半分の52・4%だった。

 復帰して「よかった」と回答した人に理由を聞いたところ、「本土との交流が盛んになった」が41・2%で最も多かった。次いで、「経済的に豊かになった」(19・5%)、「道路や公共施設がよくなった」(15・5%)の順だった。

 逆に、復帰して「よくなかった」と回答した人の理由では「経済的に豊かにならなかった」で33・3%が最多。「自然破壊が進んだ」「基地問題が解決していない」がともに23・3%だった。

 「沖縄らしさ」が残っていると感じているもので、最も多かったのは「伝統文化」49・4%。「沖縄らしさ」が失われたものとしては「自然」(29・4%)、「方言」(26・5%)、「独自の食生活」(19・8%)の順だった。将来にわたって沖縄が大切にしていくべきことは、「平和・戦争を忘れない」(42・1%)が最も多く、「助け合いの心・ユイマールの精神」(21・6%)、「豊かな人情・優しい心」(9・9%)と続いた。

 沖縄戦の体験などを次の世代に語り継ぐことについては、「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)と積極的で、「尋ねられたら話す」(40・1%)を合わせ約九割が戦争体験継承の必要性を感じていることがうかがえる。

 中高年を中心とした沖縄移住ブームに対しては、「地域経済が活性する」(34・8%)と「過疎化に歯止めがかかる」(13・4%)との肯定的とらえ方がある一方、「地域のまとまりが薄れる」(17・3%)と「独自の自然・文化が損なわれる」(25・9%)など否定的な見方もあり、評価が分かれている。

 ▽調査の方法 県内の有権者を対象に六日、コンピューターで無作為に抽出した番号に電話をかけるRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法により実施した。八百人が回答。内訳は男性49%、女性51%。

     ◇     ◇     ◇     

沖縄らしさ 文化に健在/方言にも危機感26%

 復帰から三十五年たち、伝統文化は再興の兆しが見られるが、自然や方言は失われつつある―。沖縄タイムス社の県民世論調査で「沖縄らしさ」について尋ねたところ、県民のこんな意識が浮かび上がった。過去の調査と比べて、傾向は顕著になっている。県外出身者と接して「歴史の違い」を感じ、沖縄移住ブームには複雑な視線を向けている。

 沖縄らしさの設問では、残っているものとして49・4%が「伝統文化」を選んだ。失われたとしたのは4・6%で、文化継承の自負が表れた。残っているとしたのは一九九七年調査で28%、二〇〇二年調査では21%で、一気に増加した。

 一方、残っているものとして「自然」を挙げたのは7・5%にとどまり、29・4%が失われたとした。失われたと答えたのは九七年調査で17%、〇二年調査では11%で、危機感は深まっている。

 同様に、「方言」も残っていると考えているのは9・3%にすぎず、失われたものに挙げた人が26・5%に上った。失われたとしたのは九七年は10%、〇二年は9%で、大幅に増えている。

 年代別では、伝統文化が残っていると答えたのは五十代が最も多かった。自然、方言が失われたと考えている人が多かったのはそれぞれ三十代、二十代だった。

 このほか、「助け合いの心」は「残っている」が16・3%、「失われた」が16・6%と見方が分かれた。「独自の食生活」は「残っている」が14・8%、「失われた」が19・8%だった。

 将来も沖縄が大切にすべきことを聞いた質問では、「平和・戦争を忘れない」が42・1%でトップ。「助け合いの心・ユイマールの精神」21・6%、「豊かな人情・優しい心」9・9%と続いた。

 「自然」8・8%、「祖先崇拝」8・1%、「文化」4・1%、「国際化」3・0%の順に挙がり、「本土との結びつき」は1・5%で最下位だった。

 県外出身者に自分たちと違う面を「感じる」と答えた人は62・0%。「感じない」は35・3%だった。復帰後に成長した世代でも「感じる」と答えたのが二十代で59・4%、三十代で71・6%と多数を占めた。七十歳以上は「感じる」と「感じない」が47・5%で同率だった。

 違いを感じる点は「沖縄と本土の歴史の違い」が40・1%と最多。続いて「言葉や話し方」18・3%、「時間の感覚」17・5%、「会社や団体など組織との結びつき」15・3%、「天皇や皇室に対する気持ち」7・7%が挙がった。

 「歴史の違い」を選んだのは六十代が最も多かった。「言葉や話し方」は七十歳以上、「時間の感覚」は二十代がそれぞれ最多で、年代によって感じ方に差があった。
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沖縄タイムス 関連記事(5月11日、12日)

2007年5月11日(金) 夕刊 1・7面
改憲阻止 一歩に託し/5・15平和行進
 本土復帰三十五年の十五日を前に、県内の米軍基地や戦跡を巡り平和を訴える「5・15平和行進」(主催・同実行委員会)が十一日午前、沖縄本島三コースで始まった。復帰の内実を問おうと一九七八年に始まった同行進は、今回で三十回目。基地の重圧は変わらず、改憲の動きが加速する中、約千五百人が二日間の歩みをスタートさせた。

 復帰運動の原点となった国頭村を歩いた十日の特別コースに続き、十一日は東コースが米軍普天間飛行場の移設に揺れる名護市辺野古を出発。西コースは恩納村の万座ビーチホテル前、南コースは沖縄戦終えんの地・糸満市摩文仁の平和祈念公園から出発した。

 行進に先立ち、各コースで出発式を開催。名護市辺野古の東コース出発式では、実行委員長の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長があいさつ。「県民は基地や核のない復帰を望んだが、願っていた復帰ではなかった。改憲の動きのある今、運動することは、全国や沖縄に基地を造らせない闘いを広める原動力となる」と力を込めた。

 十二日はゴールの北谷町で「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開催。十三日には嘉手納基地を包囲する「人間の鎖」が行われる。

     ◇     ◇     ◇     

平和 声高らか/行進 各コースから

 晴れ渡った青空の下、「5・15平和行進」の三コースが十一日午前、出発した。「新たな基地建設を許すな」「平和憲法を守ろう」。復帰の内実を問う声が響く。米軍再編に揺れる全国各地からの参加者も、三十五年目の基地沖縄の現実を踏みしめた。

 「新基地建設反対」「アセス法違反の事前調査を許すな」―。米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古の海岸で行われた東コースの出発式には全国から集まった約六百人(主催者発表)が、平和を願いシュプレヒコールに、のどをからした。

 出発式は、国の事前調査に反対する市民団体のカヌーなど十二隻で周辺海域を警戒する緊張した雰囲気の中で行われた。

 現場で反対運動を続ける嘉陽宗義さん(84)が「仲間を信じて一致団結して頑張ろう。笑顔を失った時にわれわれは負ける。われわれがやらなければ誰が、やるのか」と反対運動への支援を全国から来た参加者に訴えた。東コース比嘉聡団長(高教組組織部長)や、各政党の代表らが「沖縄の現状を全国に訴えよう」などとあいさつした。

 行進に参加した「鹿屋に米軍はいらない大隈の会」の松元勇さん(62)は「米軍基地の現状を見て、本当の意味での負担軽減を沖縄の人と一緒に考えたい」と話した。

 沿道からは、移設反対運動をしているお年寄りらが、「頑張れ」と行進団に声援を送った。

西

 恩納村の万座ビーチをスタートした西コースには約三百六十人が参加、「新たな基地の建設反対」「憲法九条を守ろう」などと訴えた。比嘉利彦団長は「復帰三十五年がたち、県外からも多くの参加者が集まった。一歩一歩踏みしめながら、国内外に平和を訴えていこう」と気勢を上げた。

 米軍岩国基地を抱える山口県岩国市の益賀竜也市職労青年部副部長(31)は四回目の参加。岩国は米軍再編で空母艦載機の移転問題を抱えており、「地元の人から基地被害などの現状を聞いてみたい」と話した。

 糸満市摩文仁の平和祈念公園を出発した南コース(一六・六キロ)には県内外から約五百人(主催者発表)が参加した。戦争を知らない若い世代が中心。参加者は沖縄戦終えんの地から、平和の尊さをかみしめるように歩を進めた。

 出発式で団長の國吉司さん(45)は、「私たちが歩く、行動する一歩が、平和につながることを信じて頑張ろう」とあいさつ。「反戦」と書かれたゼッケンを胸に参加した中川卓也さん(31)=大阪府=は「大阪には米軍基地がない。沖縄の問題を肌で感じ、多くの人に伝えたい」と語った。

 「平和憲法を守ろう」「辺野古への新基地建設は許さない」。参加者は澄み切った青空に高々と拳を突き上げた。

 南コース一行は、八重瀬町、南城市などを通り、南風原町役場を目指す。

キャンプ・シュワブに隣接する海岸で、基地建設反対の声を上げる5・15平和行進東コースの参加者ら=11日午前、名護市辺野古
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111700_03.html

2007年5月12日(土) 朝刊 1面
「辺野古」へ海自艦/防衛相 調査参加を示唆
 【東京】米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)に関連し、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が十一日午前、沖縄近海に向けて海自横須賀基地(神奈川県)を出港したことが分かった。自衛隊関係者が明らかにした。艦船にはゴムボートやボンベが積載されているが、海自が実際に調査で対応するかどうかは不透明だ。

 久間章生防衛相は同日の衆院イラク支援特別委員会で、現況調査に海上自衛隊が参加する可能性について「ないことはない」と述べ、あらためて動員を示唆した。赤嶺政賢氏(共産)への答弁。

 久間防衛相は「自衛隊はあらゆることに対応して、国民のためになる場合に法に基づいて可能なことはやれる」と述べ、自衛隊法の範囲内で可能との見解を示した。

 その上で、動員する場合の目的については「官庁間協力、調査活動、情報収集活動などいろんな場合がある。具体的な状況を見てみないと一概に言えない」と明言を避けた。

避けた方がいい 仲井真知事

 米軍普天間飛行場移設先周辺での海域調査に関連し、海上自衛隊の艦船が沖縄近海に向かっていることについて仲井真弘多知事は十一日、「自衛隊との関係がまずまずの状況になってきている中で、県民感情を考えると、あまり好ましいとは思わない。(反対派の)排除というのは自衛隊の役目ではないと思っている。誤解を生むようなことはなるべく避けた方がいいのでは」と否定的な見解を示した。

 一方、島袋吉和名護市長は同日、現況調査(事前調査)で、海上自衛隊が何らかの関与をする可能性が出てきたことについて「慎重にしてほしい」と述べ、政府に慎重な対応を求める考えを示した。

 島袋市長は沖縄タイムス社の取材に「防衛省が考えるべきことだが地元の事を考えて、慎重にしてほしい」と険しい表情でコメントした。

 また、名護市幹部は「市に一切、連絡はない。自衛隊を導入すればかえって混乱するだけ。本当にやるつもりなのか」と強い不快感を示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_01.html

2007年5月12日(土) 朝刊 1面
施設局 海域使用を届け出
普天間代替 県受理、手続き完了
 那覇防衛施設局は十一日、米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設に伴う現況調査(事前調査)に向け、県に海域の「使用着手」を届け出た。

 県は同日受理し、施設局が海域に調査機器を設置するために必要な手続きはすべて完了した。

 使用着手の届け出は、公共用財産使用協議の留意事項で「調査着手の際は(県に)届出をすること」と明示されていることに基づき、施設局が県へ提出した。

 施設局は四月下旬から準備作業としてダイバーによる調査ポイントの確認作業を実施。今後、磁気探査を経て、調査機器を設置する予定。同局は調査機器を設置した段階で「調査着手」と位置付けている。

 届け出は佐藤勉那覇防衛施設局長名で、着手開始の時期などは明記していない。

 設置する機器はサンゴ産卵調査のための着床板のほか、海生生物調査のための水中ビデオカメラ、音波探知機などが含まれるとみられる。

 県が届け出を受理したことで、手続き上は十一日以降、調査機器設置が可能となる。

 ただ、施設局は十五日の復帰記念日までの着手は控えるとみられ、調査機器設置は十六日以降になる見込み。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_02.html

2007年5月12日(土) 朝刊 28面
ハンセン前で抗議行動/5・15行進
 「5・15平和行進」(主催・同実行委員会)には十一日、県内外から約千五百人が参加し、東、西、南の三コースに分かれ各地で反戦・平和を訴えながら行進した。

 東コースは、米軍普天間飛行場の移転先で揺れる名護市辺野古から出発。約六百人の参加者は厳しい日差しが照りつける中、金武町のキャンプ・ハンセンで、「基地を閉鎖し県民に返せ」「実弾砲撃演習をやめろ」とこぶしを上げ抗議した。

 平和行進は八回目という田港朝津さん(45)=今帰仁村、公務員=は「今帰仁には基地はないが、北部地域に住む者として、基地問題には関心を寄せている」と話す。十八年前、当時二歳の息子を連れて嘉手納包囲網に参加した。「今年、息子は成人を迎えるが、二十年近くたっても基地が変わらないことにもどかしさを感じる」とため息をついた。

 熊本県から三回目の参加で、今回で全コースを歩いた柳田勝海さん(62)。「今の安倍内閣は改憲して、アメリカとともに戦争ができるようにしようとしている。熊本にも陸上自衛隊の西部方面部隊や演習場があり、沖縄の基地は人ごとではない」と真剣なまなざしで語った。

 柳田さんは退職前、熊本県内の森林管理所に勤務。「自然は守っていくべきだ。あんなにきれいな海に基地建設をしてはいけない」と汗をぬぐいながら歩みを進めた。

 「5・15平和とくらしを守る県民大会」は十二日午後六時から北谷町の北谷球場前広場で開かれる。(渡慶次佐和)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_03.html

2007年5月12日(土) 朝刊 28面
反戦願い込め100メートル彫刻展示/金城実さん作品読谷で
 【読谷】沖縄戦や戦後の住民の生活など三十点以上の彫刻で表現する、百メートル彫刻「戦争と人間」大展示会(主催・同実行委員会)が十一日から読谷村の米軍読谷補助飛行場跡地で始まった。村内在住の彫刻家、金城実さん(68)が反戦の願いを込め、約十年かけて制作した作品が滑走路として使用されていた村役場沿いの道路にずらり並んでいる。六月二十四日まで。

 作品は戦時中の「集団自決」やガマに避難している住民、銃剣とブルドーザーによって民間地を強制接収する米軍人、阻止しようと抵抗する住民らを表現している。

 復帰三十五周年の節目に、沖縄の歩んだ歴史を振り返ろうと企画。金城さんは「大人の責任として、子や孫の世代に戦争が起こらないよう県民全体で考える場所にしたい」と話している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_08.html

2007年5月12日(土) 朝刊 29面
糸満議会も撤回要求/「集団自決」修正
 【糸満】高校教科書検定の「集団自決」に関する日本軍関与が削除された問題で、糸満市議会運営委員会(徳元敏之委員長)は十一日、検定意見の撤回を求める意見書案を十五日の臨時議会に提案することを決めた。

 全会一致で可決される見通し。

 意見書案は「(同市には)多くの修学旅行生も訪れ、平和学習の場となっており、戦争の真実と平和の尊さを伝える役割を担っている。だからこそ、歴史の真実を伝えることは重要」と述べ、「悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くし難い犠牲を強いられてきた沖縄県民にとって、到底容認できるものではない」としている。

 あて先は内閣総理大臣と文部科学大臣を予定している。
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沖縄タイムス 関連記事・社説(5月11日)

2007年5月11日(金) 朝刊 1・27面
新基地・改憲阻止訴え/5・15平和行進
 【名護】県内の米軍基地や沖縄戦の戦跡などを歩き、平和や基地問題について考える「5・15平和行進」の全国結団式(主催・沖縄平和運動センター、北部実行委員会)が十日夕、名護市役所前広場で開かれた。

 同日午前に国頭村を出発した復帰三十五周年特別コースの参加者も合流し、県外を中心に約千人(主催者発表)が結集。「辺野古への新基地建設反対」「憲法改悪阻止」のシュプレヒコールで結束を強め、十一日から始まる行進に向け、気勢を上げた。行進は今回で三十回目。

 平和行進の崎山嗣幸実行委員長は「政府は憲法を改悪し、米国と一体となって軍事国家へとひた走ろうとしている。沖縄が極東アジアに向けた前線基地にならないためにこの平和運動を広げよう。皆さんと力を合わせて平和行進を成功させ、嘉手納基地を包囲して全国に平和を伝えよう」と呼び掛けた。

 行進は十一日午前、名護市辺野古など沖縄本島三コースでスタート。宮古・八重山でも行われる。十二日午後六時から北谷町の北谷球場前広場で「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開く。

 参加者の多くは十三日の「5・13嘉手納基地包囲行動」に参加する予定。

     ◇     ◇     ◇     

沿道から声援 参加者後押し

 復帰三十五年目の節目に三十回目を迎えた「5・15平和行進」(主催・沖縄平和運動センター)は十日、復帰運動の原点を歩く北部で始まった。沿道の住民は熱い声援を送り、行進団と「基地のない平和な島に」と思いを一つにした。

 午前九時すぎ、やんばるの山野に「米軍基地を撤去しろ」「平和な沖縄を返せ」と、国頭村役場を出発した約六十人の声が響いた。民家の軒先ではオジィやオバァが「ご苦労さま」と手を振った。

 軽く汗ばむ陽気の中、大宜味村に差し掛かると「チバリヨー」と声を張り上げる小学生が。同村役場前では、喜如嘉保育所の園児がエイサーで出迎えた。島袋義久村長は「基地を持たない大宜味村を、平和を送り出す場所として発展させます」とエールを送った。

 恩納村から参加した県職員の大嶺秀次さん(35)は「子どもらの姿に、戦争のない世界をつくろうと元気をもらった」

 午後に入り名護市に近づくと、広島や三重など各県の労組や平和団体が応援に加わり、参加者は約二百五十人に膨れた。沿道に駆けつけた同市大北の松田啓茂さん(70)は「辺野古への基地移設が進められようとする中、こんなに全国の人が集まった」と感激の面持ち。

 夕暮れ迫る午後五時半すぎ一行は「わっしょい」と叫びゴールの名護市役所前広場へ。神奈川県座間市の太田和利さん(40)は「美しい島が戦場だったと思いを踏みしめた。沖縄の人々の平和への願いを感じる行進だった」と振り返った。(吉田啓)

新たな基地建設や憲法改正反対を訴え、ガンバロー三唱する参加者=10日午後、名護市役所前広場
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111300_02.html

2007年5月11日(金) 朝刊 26面
慰安婦の実態聞き取り/日韓調査団が宮古入り
 従軍慰安婦問題に二十年以上取り組む元韓国梨花女子大教授の尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんと早稲田大学名誉教授の中原道子さんら日韓合同調査団計九人が十日、宮古入りした。戦時中、十カ所以上の慰安所があったとされる宮古地区では目撃した住民も多い。一行は慰安婦が置かれていた状況などを地元住民から三日間の日程で聞き取り調査する。

 県内各地で慰安所の調査を続ける早稲田大学大学院生の洪△伸(ホン・ユンシン)さんが二〇〇六年に二回にわたり宮古島で聞き取り。アリランを歌う慰安婦の様子など貴重な証言もあり、さらに詳しく調べようと尹さんや中原さんらも加わった。

 尹さんは「宮古の人が記憶している慰安婦の実態を聞きたい。現在でも紛争地では性被害に遭っている女性がいる。慰安婦として連れて来られた人の慰霊、また戦争を否定するためにも宮古島にモニュメントを作りたい」と話した。

 一行は同日午後、同市上野の慰安所跡地を訪れた。戦時中に近くに住んでいた与那覇博敏さん(73)=同市平良=が軍人が建物の前で列をつくっていた状況などを説明した。「もとは兵舎だった場所であり、当時は何で女の人がここにいるのか不思議だった」などと語った。

 一行は、宮古の調査に先立って八、九の両日は渡嘉敷島でも実施。宮古島での最終日の十二日は午後三時から宮古島市役所平良庁舎で報告会が開かれる。

※(注=△はへんが「王」でつくりが「允」)
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社説(2007年5月11日朝刊)

[5・15平和行進]

見て考え訴える機会に
 基地撤去と平和を訴える「5・15平和行進」が十日スタートした。

 初日の特別コースには、約六十人が国頭村を出発し名護市までの約十七キロを歩いた。十一、十二の二日間は東、西、南の三コースに分かれ行進する。翌十三日は嘉手納基地を包囲する「人間の鎖」に集結する予定だ。

 五月十五日の復帰記念日に合わせて行われる「5・15平和行進」も、今年で三十回目を数える。この間、沖縄の現状は改善されただろうか。

 米軍絡みの事件・事故や不祥事は後を絶たない。再編の名目で本島北部への基地集約化が計画されている。嘉手納基地には最新鋭のF22戦闘機が暫定配備され、地元の反対を押し切って未明離陸を強行した。むしろ基地機能は強化に向かっている。

 平和行進を主催する沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長は平和行進の意義を語る中で、「復帰の時のわれわれの願いは、核も基地もない平和憲法に帰ろうだった」と振り返る。

 だがその憲法は、改正手続きを定めた国民投票法案が衆院可決された。

 地道な取り組みだが、基地撤去の意思を再確認し、県内外に平和の大切さをアピールする行進が今あらためて重い意味を持ってくる。

 いま沖縄は、外を歩くには夏日か大雨に見舞われるかの厳しい季節だ。

 それでも、若い労組員や本土からの参加者らが黙々と歩を進める。延々と続く基地のフェンスや広大な施設を目の当たりにして、「基地沖縄」を実感するに違いない。

 一緒に歩くことで互いの連帯感は深まる。平和や安保、憲法の在り方をじっくり考え、個々に抱える課題について語り合う機会でもある。

 本土からの参加者には、じかに見て聞いた沖縄の現状を各地に持ち帰って報告し、全国の世論を喚起する活動につなげてほしい。

 特別コースには、組合の動員でなく配布されたチラシを見て一人で参加した女性もいた。運動は持続と同時に、広がりを持たせる工夫も大切だ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070511.html#no_2

2007年5月11日(金) 夕刊 1面
「辺野古」で海自艦沖縄へ/防衛相 警護対応は否定
 【東京】米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)に関連し、海上自衛隊の艦船が十一日午前、沖縄近海に向けて海自横須賀基地(神奈川県)を出港したことが分かった。自衛隊関係者が明らかにした。艦船にはゴムボートやボンベが積載されているが、実際に海自が調査に対応するかどうかは不透明だ。

 久間章生防衛相は同日午前の閣議後会見で、米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)について「(海上自衛隊による)警護とか仰々しいことは考えていない。(調査活動も)原則的には民間にお願いしているのでそれで十分だと思っている」と述べ、警護や調査目的での海自の動員を否定した。

 一方で、「先のことは分からない。一部で(海自の動員を)考えている人がいないとは限らない。誰かがおぼれそうになったら助けてあげることだってあるかもしれない」と述べ、今後、海上での救護活動などで動員される可能性について示唆した。

 同調査での海自の動員をめぐっては、塩崎恭久官房長官が十日の定例会見で、「(海自が)防衛施設庁の身分として、作業をやる可能性はあるかも分からない」と述べ、防衛施設庁に出向する形式で対応する可能性に含みを持たせていた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111700_01.html