月別アーカイブ: 2007年5月

沖縄タイムス 関連記事(5月15日、16日)

2007年5月15日(火) 夕刊 5面
那覇・糸満議会意見書/教科書検定
「自決」軍関与削除に抗議
 教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する日本軍の関与が高校の歴史教科書から削除された問題で、那覇市議会(久高将光議長)と糸満市議会(玉城朗永議長)は十五日午前、それぞれ臨時会を開き、検定意見を撤回するよう求める意見書案を可決した。

 両議会とも意見書で「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍による命令・強制・誘導などなしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘した。

 日本軍関与の記述を削除させた教科書検定に対し、「(事実が)ゆがめられることは、悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くし難い犠牲を強いられてきた沖縄県民にとって、到底容認できるものではない」と遺憾を表明している。

 那覇市議会は「歴史を正しく伝え、悲惨な戦争が再び起こることがないようにするためにも、今回の検定意見が速やかに撤回されるよう強く要請する」としている。

 糸満市議会は「(同市には)多くの修学旅行生も訪れ、平和学習の場となっており、戦争の真実と平和の尊さを伝える役割を担っている。だからこそ、歴史の真実を伝えることは重要」と指摘している。意見書のあて先は内閣総理大臣、文部科学大臣、衆参両議院議長ら。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_03.html

2007年5月15日(火) 夕刊 4面
週内に抗議決議/F22未明離陸
 【嘉手納・北谷】嘉手納、北谷の両町議会は十五日、それぞれ基地対策特別委員会を開き、米軍嘉手納基地で今月十日に強行された最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターの未明離陸と同機の再配備に反対する抗議決議案を近く開催する臨時議会に提出することを決めた。

 両特別委ともF22の未明離陸に抗議するとともに、同戦闘機の再配備に反対する意向を決議に盛り込むことを確認した。北谷は十七日に、嘉手納は十八日に臨時議会を開催し、決議案を審議する予定。

 二機が午前十時二十五分に離陸、グアム経由で本国へ帰還したことについて委員らは「米軍自ら未明離陸は回避可能ということを示した」と指摘、運用改善を求める声が相次いだ。

 ほかにも「騒音防止協定がなし崩しだ」「米軍は住民の負担を軽視している」などと抗議した。

 また、F22の再配備については「沈黙は容認していると受け取られる。断固反対の意思を明確に示す必要がある」との意見が多く聞かれた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_04.html

2007年5月15日(火) 夕刊 1面
施設局、作業場設置へ/辺野古海域調査
 【名護】米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設に伴う海域での現況調査(事前調査)で、那覇防衛施設局が辺野古漁港内に作業場を設置する目的で名護市から同漁港施設用地の「行政財産使用許可」を得ていたことが十五日、分かった。

 施設局が名護市に提出した使用許可申請では、使用期間は二〇〇七年四月二十三日から〇八年三月末日まで。使用方法は、現況調査関係者の駐車場および資材置き場で、簡易プレハブなどの設置も含まれているという。面積は千九百二十平方メートルとなっている。

 申請は四月十八日付で、市は同二十三日付で施設局に使用許可の回答をした。

 同調査に関して、名護市は「長島や平島を含む広範囲の現況調査であれば、政府案(V字形案)を前提にした環境影響評価(アセスメント)に直結するものではなく、反対することにならない」として、国に調査への同意書を提出している。

 辺野古漁港への作業場設置については、施設局が〇四年四月に従来の沖合案建設に伴うボーリング調査作業着手の際に設置を試みたが、反対派住民らの阻止行動で設置できなかった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_05.html

2007年5月15日(火) 夕刊 1面
那覇空港拡張「首相公約」/国交相答弁 積極姿勢を強調
 【東京】安倍晋三首相が参院補選の応援で沖縄入りした際、那覇空港の沖合展開に最優先に取り組むと明言したことに関連し、冬柴鉄三国土交通相は十五日午前の衆院国土交通委員会で、「(沖合展開は)安倍総理の公約ですから、選挙のときの発言なども踏まえて、私も積極的に、前向きに考えていきたい」と語った。西銘恒三郎氏(自民)への答弁。

 冬柴国交相は同空港に関する調査に基づき「現状の利用条件の下では、二〇一〇年から一五年のころには、夏季において滑走路の処理能力に余裕がなくなると予想される」と説明。

 その上で「沖縄の発展のためには那覇空港の能力増強は必要と考えている。今後できるだけ早期に結論を得て、具体策を講じていきたいと考えている」と、積極的に取り組む考えを強調した。

 安倍首相は沖縄入りした際、「沖縄は地図上ではアジアの中心だ。那覇空港の拡張を最優先で行うことを約束する」と明言していた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_06.html

2007年5月16日(水) 朝刊 1面
全首長「沖振法延長を」/復帰35周年本紙アンケート
本土格差理由に/県独自の将来像 必要
 本土復帰三十五周年を迎えるに当たり、沖縄タイムス社が実施した県内市町村の首長アンケートで、残り五年で終了する沖縄振興特別措置法(沖振法)について、四十一市町村すべての首長が「延長すべき」と回答し、主な理由に「社会基盤整備が不十分」「本土との格差是正が必要」などを挙げ、依然として沖縄―本土間の「格差」を感じていることが明らかになった。また、実質四次となる現行の沖縄振興計画の終了を見据えた県独自の総合計画(長期ビジョン)の策定については約九割の三十七人が「必要」と回答。国の支援の継続を求める一方で、県独自で将来像を描く必要性を感じていることも浮き彫りになった。

 アンケートは九―十四日に、県内四十一市町村長を対象に実施。全首長から回答を得た。

 沖振法に基づき道路や河川改修、港湾整備事業などに対し他県と補助の割合を優遇する高率補助制度については、「評価できる」が三十三人(80・5%)、「ある程度評価できる」が八人(19・5%)と回答。同制度を今度も続けるべきかとの質問にも、約九割が「本土との格差が是正するまで続ける」(三十七人)との認識だった。

 北部振興策や米軍基地所在市町村活性化特別事業(島田懇談会事業)など、政府による各種振興策への評価は、十九人(46・3%)が「評価する」、十五人(36・6%)が「どちらかといえば評価する」と回答。社会基盤の整備や地域経済の活性化を主な理由とした。

 復帰特別措置法に基づく酒税の軽減措置や揮発油税については、二十八人(68・3%)が「評価する」と答え、地場産業の育成や離島交通コストの低減などに寄与しているとの認識だった。

 財政状況については、二十人(48・8%)が「とても厳しい」、十五人(36・6%)が「厳しい」と回答。五年後の財政状況の予測でも、約六割が「悪化する」または「極めて悪化する」との危機感を示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705161300_01.html

沖縄タイムス 関連記事(5月15日)

2007年5月15日(火) 朝刊 29面
平和希求 県民に危機感/5・15前日 国民投票法成立
「9条議論できる」歓迎も/辺野古反対派「軍事国家」懸念
 復帰記念日の前日に、改憲手続きを定める国民投票法が成立した。十四日、護憲団体は「復帰時と約束が違う」と沖縄担当大使に抗議。名護市辺野古では、基地建設に向けた自衛隊艦船導入に警戒を強める市民が「軍事国家への道だ」と危機感をあらわにした。一方、元自衛官は「ようやく九条について議論ができる」と歓迎した。

 「復帰で勝ち取った九条の絶対平和主義は、見事に裏切られた」。沖縄九条連の海勢頭豊共同代表は外務省沖縄事務所で、重家俊範大使に語り掛けた。重家大使は「沖縄の憲法に関する特別な経緯は理解している」と言葉少なに答えた。

 要請後に、ダグラス・ラミス共同代表は「自民党の新憲法草案と大日本帝国憲法は、秩序を乱さない限りで人権を認める点で似ている」と指摘。「私たちの運動はできず、新聞社も記事を書けなくなるかもしれない」と、危険性を強調した。

 名護市の辺野古漁港。米軍普天間飛行場代替施設建設に反対する市民団体の座り込みテントからも、「軍事国家になる」「平和憲法を守れ」と同法成立に批判の声が上がった。国の調査に備え、阻止行動に使うカヌーの手入れをするなど、緊張感が高まる。

 平和市民連絡会の当山栄事務局長は、「安倍政権は自衛隊を軍隊化し、米国と一緒に戦争をするつもりだ」と危機感を募らせた。調査に海上自衛隊の掃海母艦が投入される動きに、「県民の意思を踏みにじって強行するやり方は沖縄弾圧政策だ。侵略拠点となる新基地建設を阻止して、平和を発信していきたい」と、結集を呼び掛けた。

 県防衛協会の藤井建吉事務局長は事務所で業務に追われ、同法成立を知らなかった。陸自の元幹部。「九条による自衛隊違憲判決で、どれだけ悔しい思いをしてきたか。部下に『私たちの仕事は憲法違反ですか』と聞かれたこともあった」と、感慨深そうに話した。

 自衛隊を軍隊として位置付けることを望むが、駆け足の議論には慎重だ。「政治家や国民がよく勉強してから投票にかけてほしい。法律ができ、改憲派も護憲派も緊張感を持って議論できるだろう」と期待した。

欠陥だらけと批判
県憲法普及協と人権協

 県憲法普及協議会(高良鉄美会長)と沖縄人権協会(福地曠昭理事長)は十四日、国民投票法成立に「欠陥だらけの同法を国会で再検証するよう求める」とした連名の抗議声明を発表した。

 「いよいよ九条改悪が具体的な政治日程に上がってくる今こそ、九条を守り、守らせ、世界に広げよう」と呼び掛けた。

 県憲法改悪反対共同センターは宮城常和事務局長名の声明で、「最低投票率の定めがなく、国民の運動を規制し、有料意見広告を野放しにする。改憲側が圧倒的に有利だ」と批判した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_04.html

2007年5月15日(火) 朝刊 28面
事件・事故58%が沖縄/全国施設局内で最多
 二〇〇五年度に那覇防衛施設局管内で起きた米軍人・軍属による事件・事故は千十二件に上り、全国八カ所の施設局管内で最も多く、全体の57・6%を占めたことが十四日、「米軍人・軍属による事件被害者の会」(海老原大祐代表)のまとめで分かった。このうち「公務外」は九百二十五件だったが、日米地位協定に基づき米政府が被害者に慰謝料を支払ったケースは十件にとどまった。

 過去五年の事件・事故では、〇三年度の千百五十九件(うち公務外九百九十一件)が最多。〇四年度は千十件(同九百十八件)に減少したが、〇五年度は再び増えた。

 同年度に二番目に多かった横浜防衛施設局管内は計三百三十四件(公務外二百五十七件)で、那覇の約三分の一だった。

 「発生件数」と「支払件数」が大きくかけ離れているのは、公務外の事件事故は当事者間の示談交渉が原則だからだ。

 一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)最終合意は、すべての在日米軍人とその家族、軍属に任意自動車保険の加入を義務付けており、那覇防衛施設局は「公務外事故のほとんどは、任意保険で解決されている」と説明している。

 これに対し、海老原代表らは「加害者が示談交渉中に本国に逃げ帰ったり、保険に加入していなかったりするケースも多い。被害者の視点に立った対策を早急に整備すべきだ」と訴える。

被害者救援センター「泣き寝入りだめ」

 米軍人らによる事件や事故に遭った被害者を支援しようと今年三月に発足した「米軍犯罪被害者救援センター」(事務局・大阪市西成区)のメンバーらが十四日、県庁で会見し、「全国の基地所在地間のネットワークを構築する。泣き寝入りせず相談してほしい」と呼び掛けた。

 同センターは無料の相談窓口を開設、被害者らの心のケアに当たるほか、米軍犯罪に関する情報を収集・発信する。

 県内では「米軍犯罪被害者救援全国ネットワーク」沖縄を設置。

 代表の池宮城紀夫弁護士は「軍人との示談交渉の代理人になることもありうる。公務外の事件・事故についても国が責任を取るよう那覇防衛施設局に要望していきたい」と話した。

 被害者の会や支援団体は一九九五年に県内で起きた米兵暴行事件以降、全国各地で結成された。

 近年は活動の中心が損害賠償法案整備の国会要請などに移行したため、被害者や遺族への直接支援が弱まっていたという。

 千歳や横田、岩国、佐世保などの各基地所在地でもネットワーク化の動きがあるという。

 沖縄の連絡先は、携帯電話080(1790)3335。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_05.html

2007年5月15日(火) 夕刊 1面
返還密約 隠ぺい工作/米公文書で判明
 一九七二年五月の沖縄返還を前に、米政府が支払うはずの軍用地復元補償費四百万ドルを肩代わりする密約の発覚を恐れ、日本政府が沖縄の地権者らへの補償費支払い業務を延期するよう米側に働き掛けていたことが十五日、米国立公文書館所蔵の一連の公文書から明らかになった。米側は財務、国務、陸軍の三省間で検討を重ね、延期を決定した。また実際に支払われた補償費が百万ドルを下回っていたことも分かった。

 密約をめぐっては、元毎日新聞記者の西山太吉氏が入手した外務省の極秘公電を基に社会党が七二年に国会で追及。以来、政府は一貫してその存在を否定している。

 七一年六月調印の沖縄返還協定で米側の「自発的」支払いが規定された復元補償費は、実際には日本側が負担。返還に伴う米資産買い取りなどの支出三億二千万ドルの中に補償費分の四百万ドルを紛れ込ませたとされる。

 新たに見つかった複数の公文書によると、米側は、日本側から五回に分けて支払われる三億二千万ドルのうち、七二年五月の初回分一億ドルの中から四百万ドルを信託基金設立に回し、七二年中に復元補償費支払い業務を開始する予定だった。

 しかし日本側が「信託基金設立は(肩代わりの)取り決めを公に認めることになる」として延期を要請してきたと、財務省は同年五月十一日付の文書で報告。国務、陸軍両省とともに検討した結果、支払い業務開始を七三年に先送りすることを決めた。

 国務省内には「支払い延期が沖縄で反発を呼ぶ可能性がある」との意見もあったが、最終的に「沖縄での批判よりも国会の論議が引き起こすリスクの方を重視すべきだ」との結論を出した。三月末から四月初めにかけて政府は社会党などの追及に全面否定を通したが、直後に西山氏が極秘公電入手に絡む国家公務員法違反容疑で逮捕された外務省機密漏えい事件で「沖縄密約」に注目が集まり、追及再燃を恐れたとみられる。

 基金は七三年に設立。日本側提供の四百万ドルのうち、沖縄の地権者に支払われた額は結局、百万ドルを下回り、一部は支払い業務を担当した米陸軍工兵隊の経費にも充てられていた。

 駐沖縄米総領事は七五年七月二十九日付の国務省あての公電で、残りの三百万ドル余りについて「(日本政府向けに)問題を引き起こさない使途の説明が必要になる」と指摘している。

対米支援 過程示す

 我部政明琉球大教授(国際政治学)の話 沖縄住民への補償延期を要請した日本政府の意図の背景に、密約の連鎖があった。米側が支払うはずの軍用地復元補償費の肩代わり自体は、補償が実施される限り大きな秘密ではなかったかもしれない。米側が支払いを拒否した場合には日本政府に肩代わりを求める声も沖縄にはあった。だが、一つのほころびがさらに重大な事実を表面化させることを恐れたのだろう。

 それが、日米地位協定枠外の米軍基地整備費など六千五百万ドルの存在だ。文書は「なぜ払うのか」という認識を確立しないまま対症療法として支出した金が、国民に説明ができない対米財政支援の呼び水になった過程を明らかにしている。ここに「思いやり予算」の原型があり、昨年、日米が合意した在日米軍基地再編における日本政府負担分の上限は決して絶対ではない可能性を示唆している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_01.html

2007年5月15日(火) 夕刊 5面
復帰35年それぞれの節目
 復帰三十五年を迎えた十五日午前、県内では復帰を評価し節目を祝う式典、今なお続く基地の重圧に抗議するデモがそれぞれ行われた。

反基地団体

 軍港反対浦添行動(共同代表・黒島善市さんら)は、浦添市にある米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の包囲デモを行った。今年で九回目となるデモに県内外から約八十人が参加した。

 一坪反戦地主会浦添ブロックのまよなかしんや事務局長は「基地をどこにも動かさないでここで撤去させていく。浦添に新たな軍港は決してつくらせない」と訴えた。

青年会議所

 那覇青年会議所(添石幸伸理事長)は那覇市の与儀公園掲揚台前で記念式典を行った。同会議所メンバーやOBら約七十人が参加、国旗と那覇市の旗を掲揚、三十五周年の節目を祝った。

 添石理事長は「平和な沖縄のために、われわれの世代ができることをあらためて見直したい」とあいさつした。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151700_02.html

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月15日)

2007年5月15日(火) 朝刊 1面
基地混迷 見えぬ自立 きょう復帰35年
所得依然最下位
 沖縄県は十五日、本土に復帰して満三十五年を迎えた。この間、国から八兆円超の振興開発事業費が投入され、道路や空港、港湾などの社会資本の整備は進んだ。しかし、県民所得は全国最下位、失業率も全国平均の二倍、財政依存度も依然高い状態が続き、「自立」への展望はいまだ見えない。

 米軍基地問題では、昨年五月の在日米軍再編最終報告で嘉手納以南の六基地の全面・一部返還や海兵隊八千人のグアム移転などが打ち出されたが、焦点の普天間飛行場移設をめぐっては政府と地元の協議が決裂したまま、解決の糸口が見いだせない状態が続いている。

 沖縄振興特別措置法に基づき二〇〇二年度にスタートした沖縄振興計画は、〇七年度から後期五年の折り返しに入った。主力の観光産業は、沖縄を訪れる観光客数が堅調な伸びを見せ、〇六年には約五百六十三万人を達成。しかし、一人当たりの観光消費額は伸び悩みが続いている。

 県民所得は一九九〇年代から「二百万円」(一人当たり)台を維持してきたが、〇四年度に百九十九万円となり、全国との格差が広がり始めた。失業率は〇六年平均は七・七%で、全国平均と比べて高い状況が続く。昨年十二月に就任した仲井真弘多知事は失業率の「全国平均並み」を公約に掲げており、公約実現に向けた施策展開が問われる。

 一方、米軍基地を取り巻く環境は厳しさを増している。米軍再編では沖縄の負担軽減も柱に据えられたが、嘉手納基地への地対誘導弾パトリオット(PAC3)部隊の発足、同基地で最新鋭ステルス戦闘機F22の未明離陸が強行されるなど、基地機能強化や訓練激化が目立つ。

 沖縄にとっては、米軍再編最終報告に盛り込まれた嘉手納以南の基地返還に備え、「県土再編」を視野に入れた跡地利用計画づくりなどの取り組みが最大の課題となる。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_01.html

2007年5月15日(火) 朝刊 1面
知事、沖振法延長を困難視
 仲井真弘多知事は十四日、十五日の復帰三十五年を前に沖縄タイムス社など報道各社のインタビューに応じた。沖縄の現状について「社会資本面、生活環境はかなり目標を達成しつつある」と評価した上で、五年後に期限切れを迎える現行の沖縄振興特別措置法(沖振法)の延長には「(復帰)四十年以降も同じものが継続できるかというとなかなか難しい」と述べ、単純延長は困難との見方を示した。

 復帰後に米軍基地の整理・縮小が進まなかった理由について、「個人的な見解」と前置きし、「日米安全保障のアジアにおける環境、米軍基地の置かれている地政学的な意味で、軍事的、軍事技術上大きいのではないかという感じがしないでもない」と述べ、日米両政府が主張する沖縄基地の地理的優位性に一定の理解を示した。

 一方で、「米軍再編で返還される広大な土地が県のビジョンに向かって展開していけるような基礎的な手当ては一種の戦後処理として国の手を借りる必要がある」と述べ、仮に現行の沖振法が廃止された場合でも、何らかの特別法は不可欠との認識も重ねて示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_02.html

2007年5月15日(火) 朝刊 1面
米艦船の石垣入港打診/市長は拒否
 【石垣】ケビン・メア在沖米国総領事が十一日に石垣市で大浜長照市長と面談した際、「来月、石垣港に米軍艦船を入港させたい」と打診していたことが十四日、分かった。大浜市長は「はっきりと断った」としている。メア総領事は同日、沖縄タイムス社の取材に対し打診を認め、民間空港や港湾の米軍の使用を認めている日米地位協定五条を根拠に、石垣市が反対した場合でも強行する姿勢を見せた。

 これまでに県内の自治体管理の港湾に米軍艦船が入港した例はないとされ、「実績づくりでは」という見方もある。

 メア総領事は「いつ、何が、どこへ入港するかはコメントできない。米艦船の民間港への入港は日本各地で行われ、昨年は一年間で二十五回以上に上り、珍しくない」と理解を求めた。目的については、地元との友好親善、乗組員の休養、物資の補給などを挙げた。

 宮古島市の下地島空港を管理する県が「自粛」を求める中、米軍機が離着陸するケースが後を絶たない。メア総領事は「地位協定五条は(地元との)協議ではなく(地元が)協力すると規定している」と話している。

 大浜市長によると、メア総領事は同市内の飲食店で市長らと会食、米軍再編が話題になる中、「米海軍の掃海艇が石垣の港に来るかもしれない」と話した。

 大浜市長は港が混雑していることなどを説明し、その場で断った。メア総領事は「市長にプレッシャーがかかることもあるかもしれない」と発言したという。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705151300_03.html

社説(2007年5月15日朝刊)

[復帰35年・基地]

穏やかな暮らしなお遠く

「負担軽減」目に見えず

 沖縄が本土復帰してきょう五月十五日で三十五年になる。

 「基地のない平和な島」を願いながら県民が過ごした三十五年間は、復帰後も居座り続ける巨大な米軍基地との闘いであり、その返還、整理・縮小に向けて声を張り上げることであった。

 沖縄タイムスが実施した復帰三十五年の県民世論調査では、米軍基地について「段階的に縮小」(70%)、「ただちに全面撤去」(15・4%)を合わせ、なお八割強が縮小を求めている。

 しかし、現実はどうだろう。米兵による暴行事件を契機に日米特別行動委員会(SACO)で返還合意された普天間飛行場や那覇軍港など十一施設で明らかなように、返還が決まった施設も県内移設が条件とされ、目に見える「負担軽減」にはつながっていない。

 それどころか、極東最大の嘉手納基地には新たに地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が配備され、F15戦闘機の一部訓練を本土に移転する代わりに最新鋭のステルス戦闘機F22Aラプターを一時配備するなど負担は増すばかりだ。

 県内の米軍訓練空域では、米軍再編に基づく「米軍と自衛隊の一体化」に沿い、航空自衛隊と米軍との合同訓練なども実施されている。

 朝鮮半島有事の際、普天間飛行場が米軍のアジアにおける「出撃の最前線基地」になることも最近、米公文書などから明らかになった。紛争が勃発した時は、ハワイや米本土からも戦闘機を追加配備し、計三百機体制で作戦を遂行するという計画だ。

 私たちが気に掛かるのは、計画を知っていたはずの日本政府がなぜ県民にこれらの情報を伝えないのか、ということである。これでは、県民の目に触れない軍事計画がほかにもあるのではないかと疑念が広がるだけだ。

 県民は三十五年前の復帰の日に、それまでの米施政権下にあった二十七年間を振り返って「平和な島」をつくることを誓った。だが、復帰後もベトナム戦争、その後のアフガニスタン紛争、湾岸戦争、イラク戦争と沖縄は米軍の出撃拠点として使われてきた。

 「加害者にはならない」という私たちの意思は踏みにじられ、その思いは今に至っても強く残っている。

「沖縄の歴史」伝える責務

 文部科学省の教科書検定で、二〇〇八年度から使用される高校の歴史教科書の記述から沖縄戦における住民らの「集団自決」に対する日本軍の関与が削除された。

 日本軍の強制という意味合いを消し去り、日本軍による「加害性」を教科書から排除しようとの意図だ。

 県民世論調査では、日本軍の関与が削除されたことに対する「反対」が81・4%に達した。

 理由は「沖縄戦の歴史を歪曲するから」52・4%、「『集団自決』の現実を伝えていないから」37%、「日本軍の関与が明確だから」9・5%の順に多かった。

 その上で、沖縄戦の体験などを次の世代に語り継ぐことについては「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)、「尋ねられたら話す」(40・1%)を合わせ約九割が戦争体験継承の必要性を感じていることがうかがえる。

 非戦闘員の「集団自決」がなぜ起きたかという“真実”に目を閉ざしては、歴史を見誤ることになりかねない。

 旧体制下の負の遺産を直視することは重要であり、私たちもまた「沖縄の歴史」として後世に伝えていく責務があることを忘れてはなるまい。

「憲法の理念」見つめ直そう

 憲法改正手続きを定める国民投票法が十四日、与党の賛成多数で可決、成立した。今後の改憲論議の最大の焦点が戦争放棄と戦力の不保持をうたった第九条であることは言うまでもない。

 集団的自衛権の解釈改憲への動きなども表面化した今、米軍基地を多く抱える私たちはこの問題にどう対応すべきなのか。自らの問題としてきちんと検証していく姿勢が求められよう。

 しかし、憲法ができて二十五年間の空白がある沖縄では、まだまだ憲法の理念が生かされているとは言えない。

 憲法施行六十年の節目に、現行憲法の理念とその重さをあらためて見つめ直したい。

 戦後二十七年間の米施政権下で蹂躙された県民の人権、奪われてきた平和に暮らす権利を思えば、この三十五年間と私たちが復帰に求めた「願い」との隔たりはあまりにも大きい。

 復帰とは何だったのか。これからの沖縄像をどう描くのか。復帰の日のきょう、あらためて考えたい。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070515.html#no_1

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月14日)

2007年5月14日(月) 朝刊 22・23面
基地ノー本気で/平和な島 真剣に
 【中部】「みんなの心が一つになった」―。一万五千人が参加した十三日の嘉手納基地包囲行動。二〇〇〇年の九州・沖縄サミット以来、四度目の包囲には多くの家族連れらが“鎖”に加わった。「嘉手納」の機能強化反対、普天間飛行場の即時閉鎖などを訴えた参加者は、結んだ手を高く掲げ、県内外に思いをアピールした。一部つながらない場所もあったが、「これだけの人が集まったことに意味がある」との声もあちこちで上がった。

     ◇     ◇     ◇     

「何とかしたい」切実/地元住民

 「基地のせいで生まれ育った場所で暮らしたいという願いがかなわない。砂辺はそんな特殊な地域だ」。四回目の参加となった北谷町砂辺区出身の親里英文さん(55)。故郷から離れざるを得なかった悔しさに唇をかんだ。

 嘉手納基地からの昼夜を問わない爆音にさらされる砂辺ではこれまで多くの住民が区を出て行った。

 二十七歳で結婚した親里さんは「爆音があっても故郷で暮らしたい」と砂辺でマイホームの建築を望んだ。区を去った人の土地は国が買い上げ国有地になったため、当時の区内には新たに家を建てる場所がなかった。

 「空き地があるのに使えない。同年代では同じようなケースが多く、幼なじみともばらばらになってしまった」。後ろ髪を引かれる思いで砂辺を離れ、町内の別の地域に建てた家で一男三女の家庭を築いた。

 砂辺を取り巻く現状の改善に少しでも協力できればと、包囲には毎回参加している。「鎖がつながらなくてもいい。これだけの人が基地をどうにかしようと集まったことに意味があると思う」と参加者の列を見つめた。

 「若者が真剣に考えなければ」。嘉手納町嘉手納から初めて参加した末吉弥さん(21)。爆音に長年悩まされてきたが、特に基地を意識したことはなく、事件・事故がなければ仲間内で話題にならなかった。七年前に行われた嘉手納基地包囲は遠目で見ていただけ。中学生ながら「どうせ何も変わらない」と思っていた。

 今回参加したのは、十五日から母校、嘉手納中で生徒指導補助員になるため。喫煙やけんかなど生徒の問題行動を把握し、相談相手になることが仕事だが、子どもたちに「基地」「平和」について考えるきっかけをつくりたいという。

 「参加したことで賛否の意見を勉強することができた。基地存続の有無や跡地利用は僕らの世代も真剣に議論する必要性に迫られるはず。将来のためにも何も知らない大人にはなりたくない」と話した。

親子三代 思いつなぐ

 「大雨の中、みんなで手をつないで何のためにやっているのか分からないけど、つながって歓声が上がったことを今でも覚えている」。二十年前、当時小学校低学年だった伊波今日子さん(29)は、今回娘の陽香留ちゃん(3)と両親と参加した。「私が幼いころに連れてこられたように、少しでも娘の記憶に残ればうれしい」

 二十年前、母親の長浜敏子さん(51)は「子どもたちに社会情勢に関心を持ってほしくて」と家族四人で参加した。長浜さんは、「二十年前は雨の中でもやらなくちゃいけないと、周りもかなり盛り上がっていたが、今回は人数も少なく、盛り上がりもない」と話した。

 伊波さんは「基本は基地反対」としながらも、「周りに基地従業員もいるので雇用のことを考えると、正直、就職口のこともあるのでなくなるとどうなるのか心配」と話した。母親の長浜さんは「娘は雇用の問題を挙げるが、戦争体験者の話を聞くと、あんな時代が子や孫の世代にまた来ないかと心配なので基地はないほうがいい」と基地反対を訴えた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141300_02.html

社説(2007年5月14日朝刊)

[5・13嘉手納包囲]

過大負担問い続けよう

「鎖」一部でつながらず

 本土復帰三十五周年を前に十三日、全周約十七キロの米軍嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する5・13嘉手納基地包囲行動が行われた。

 参加者一万五千二百七十人(実行委員会発表)が手をつないだが、当初見込んだ二万人に達しなかったため、鎖は一部でつながらなかった。

 同基地の包囲行動は、沖縄サミット開催に合わせた二〇〇〇年七月以来七年ぶり四回目。普天間飛行場包囲行動も含めると八回目となる。鎖がつながらなかったのは初めてだ。

 実行委の共同代表で沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長は「連休をはさみ準備が足りず、鎖がつながらなかったのは残念だ。これからも基地のない平和な島に持っていくよう頑張っていきたい」と話した。

 人間の鎖は、誰でも参加できるソフトな示威行動である。ソフトな形態を取りつつも、結集した民衆のエネルギーはマグマの爆発のような力を思わせる。それだけに、完全包囲に至らなかったのは残念でならない。

 だが、大事なことは米軍基地が憲法で保障された「平和的生存権」を侵害するなど、復帰後三十五年たっても県民が基地の重圧にいかに苦しめられているかを引き続き訴え続けることではないのか。

 圧倒的に本土より重い基地負担の不条理を、沖縄の「異議申し立て」として問い続ける必要がある。

 その意味で、参加した人たちは「異議申し立て」の一人になったという誇りを持っていいはずだ。

 嘉手納基地は極東最大の米軍基地であり、沖縄基地の象徴でもある。復帰三十五年の節目に同基地を包囲することは、日米両政府への強いメッセージになるからだ。

 とりわけ、本土からの参加者には次世代へ平和を残すための「沖縄からの問い」を本土へ広げる原動力となってもらいたい。

 包囲行動は(1)地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備や最新鋭のステルス戦闘機F22Aラプターの一時配備など嘉手納基地の機能強化に反対(2)普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブへの移設など基地の県内移設に反対(3)普天間飛行場の早期閉鎖と返還(4)米軍北部訓練場のヘリパッド建設中止―の四項目をスローガンに掲げた。

海自艦船の関与は混乱の種

 那覇防衛施設局は近く普天間移設先の環境現況調査(事前調査)で機器の設置作業を始める方針だ。

 調査を支援するため、海上自衛隊横須賀基地の掃海母艦が十四日にホワイトビーチ(うるま市)に入港予定で、同艦の潜水士がサンゴ調査に必要な着床板など機器の設置作業に加わることも予想されている。

 普天間飛行場移設先での環境現況調査に関連して海上自衛隊の艦船が関与する可能性が出てきたといえる。

 沖縄には、米軍の銃剣とブルドーザーで土地を奪われた歴史がある。自衛隊が調査にかかわってくるのであれば、新たな弾圧を意味するようなものではないか。

 この問題には、県も腰が定まらない感じだが、民主主義の破壊につながるようなことになっては事態をますます混乱させるだけである。県としての対応をしっかりと示すべきだ。

 久間章生防衛相は、今回の嘉手納基地包囲行動を「一種のパフォーマンスでしょう」と言い放ったが、政府は過大な基地負担を沖縄に押し付けながら、なお県民の苦悩解消に本気で取り組んではこなかった。

住民のマグマは消えない

 米兵による犯罪や事故が起きるたびに県民世論は怒りを沸騰させるが、一方で米軍基地は、地元に雇用や見返りの経済振興策をもたらすなど大きな矛盾をはらんでいるのも事実である。

 嘉手納基地フェンス際の「安保の見える丘」は、復帰前から米軍機ウオッチャーらが多く集まる場所として知られているが、最近では道を隔てた向かい側に四年前オープンした「道の駅かでな」が新たなスポットになっている。

 包囲行動の日も、県内外から訪れた観光客やカップルが四階の展望台から広大な嘉手納基地を眺めていた。展望台の従業員によると、二月から一時配備されていたステルス戦闘機F22Aを目当てに、皮肉にも観光客が急増しているという。

 しかし、地元では騒音被害などに対し大きな反発を呼んでいることを忘れてはならない。住民の鬱積するマグマは消えないはずだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070514.html#no_1

2007年5月14日(月) 夕刊 1面
豊見城市議会、検定撤回求め意見書/「集団自決」修正
 【豊見城】豊見城市議会(大城英和議長、定数二四)は十四日午前、臨時会を開き、教科書検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の集団自決に関する日本軍の関与が削除された問題で、検定意見の撤回を求める意見書案を全会一致で可決した。

 同問題での意見書可決は県内自治体で初めて。あて先は、首相や文科相、衆参両院議長ら。

 意見書は、検定意見について「沖縄戦体験者の数多くの証言による沖縄戦研究の蓄積・歴史的事実を否定しようとするもの」と批判。「検定結果は、歴史的事実を直視しない押し付けの教科書と言わざるを得ず、到底容認できない」としている。

 その上で、「沖縄戦の歴史を正しく伝え、悲惨な戦争が再び起こされることがないよう検定意見を速やかに撤回し、記述の復活が速やかに実現されるよう強く要請する」と結んでいる。

 教科書検定をめぐっては、県内の各自治体でも意見書案採択の動きがあり、十五日には那覇市、糸満市の両議会が可決を予定している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141700_01.html

2007年5月14日(月) 夕刊 5面
平和行進団 辺野古で拳
 【名護】「嘉手納基地包囲行動」から一夜明けた十四日午前、米軍普天間飛行場代替施設建設予定地の名護市辺野古の反対派座り込みテントに5・15平和行進や嘉手納基地包囲行動の県外参加者約三百人が駆け付けた。

 参加者らは代替施設建設予定地の海域を見渡しながら、「新基地建設反対」「ジュゴンの海を守れ」などとシュプレヒコール。現地で阻止行動を続けるヘリ基地反対協や平和市民連絡会のメンバーらとの連帯を誓った。

 反対協の安次富浩代表委員は、代替施設建設に伴う事前調査に海上自衛隊が投入されるとの動きに「腹の底から憤りを感じている。この暴挙を絶対に許してはいけない。全国の皆さんで私たちの戦いを支援してください」と訴えた。

 山本修平さん(23)=東京都=は「こんなきれいな海に人殺しの基地を造らせてはいけないと感じた。私たちは政治がどのように動いているのか注視し、政治を変えていくことをやっていきたい」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141700_02.html

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月13日、14日)

2007年5月13日(日) 朝刊 1・23面
県民大会 反基地訴え/嘉手納基地きょう包囲
 「復帰三十五年平和とくらしを守る県民大会」(主催・5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター)が十二日、北谷町の北谷球場前広場で開かれた。約三千人(主催者発表)が「5・15平和行進」の意義を共有し、十三日午後に行われる嘉手納基地包囲行動に向け、全力を挙げて取り組むことを確認した。基地の固定化や強化、憲法改悪に反対するアピールを発表した。

 主催者を代表し、同行進実行委員長の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長が「安倍内閣が憲法を改正し、軍国主義につくり替えようとすることを県民は許すわけにはいかない」と強調。「5・15平和行進をさらに拡大しながら戦争のない平和な島を全国へ発信する力をつけていきたい」と決意を述べた。

 野国昌春北谷町長、伊波洋一宜野湾市長、新垣邦男北中城村長、照屋寛徳衆院議員、糸数慶子社大党副委員長らが激励のあいさつをした。

 三十回目を迎えた今回の5・15平和行進には十日の復帰三十五年特別コースの参加者を合わせて十二日までの三日間で、約四千六百二十人(主催者発表)が参加したことが報告された。

 十三日の嘉手納基地包囲行動(主催・同行動実行委員会)は午後三時から午後四時まで三度、「人間の鎖」で同基地を包囲することを目指す。

     ◇     ◇     ◇     

平和へ心一つ

 【中部】本土復帰三十五年を迎え、三十回目となった平和行進は十二日、県内三コースから出発した参加者が北谷町の北谷球場前広場に集結した。復帰の内実を問う行進には特別コースを加えた三日間で延べ約四千六百二十人が参加。集結後に開かれた「5・15平和とくらしを守る県民大会」は参加者三千人の熱気に包まれ、ガンバロー三唱で十三日の米軍嘉手納基地包囲成功へ向け気勢を上げた。

 「大勢の人が県内外から集まり平和を願う。参加するたびに心強く思う」。米軍普天間飛行場の移設反対を訴え、辺野古で座り込みを続ける名護市の崎浜秀司さん(76)は十回目の行進参加。「米軍再編後も辺野古、嘉手納、普天間の状況は悪くなる一方。沖縄に新たな基地は必要ない」と訴えた。

 普天間飛行場の騒音被害に憤る宜野湾市我如古の主婦、新垣政子さん(65)は「小さい島に基地が押し付けられ、事故の危険性や騒音にさらされている。沖縄が歩んだ我慢の歴史を多くの人に理解してほしい」と話した。

 嘉手納基地所属のF15戦闘機の初の移転訓練が今年三月、福岡県の航空自衛隊築城基地を拠点に行われた。同基地に隣接する同県築上町の公務員、出口厚志さん(28)は「今後、移転の回数が増えれば、騒音だけでなく、事件・事故の可能性も高くなる。平和運動の先進地である沖縄から学んだことを地元での活動に生かしたい」と話した。

 神奈川平和運動センター代表の宇野峰雪さん(67)=横浜市=は「どれだけ多くの人が沖縄戦で、この地に命を落としたかを感じながら歩いた」と話した。米軍再編では神奈川や隣接する東京・厚木基地への機能集中が予定されている。「沖縄での反基地運動を学び、一緒に米軍基地撤去のための取り組みを広げていきたい」

 南部コースに参加した佐藤瑞恵さん(24)=松山市=は、沖縄を訪れたのは初めて。普天間飛行場周辺を歩き「こんなに大きな基地が人々の身近にあるとは。まるで一つの街のように見えた。人のいない山中にでもあるものかと思っていたが」と驚いていた。

 会場周辺では、「君が代」などを放送する十数台の右翼団体の街宣カーが繰り出し、大会参加者とにらみ合う場面もあった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705131300_02.html

2007年5月13日(日) 朝刊 23面
シュガーローフ攻防を生々しく/米軍フィルム初公開
 映画「沖縄戦・シュガーローフの戦い」(主催・沖縄タイムス読者センターなど)が十二日、那覇市おもろまちの市上下水道局で上映された。戦時中に米軍が記録したドキュメントで、主催した沖縄戦1フィートの会が約一時間の映像にまとめた。映像が公開されたのは初めてで、約百人が見入った。

 記録フィルムは中城村在住の島尻太行さん(67)が約六年前、宜野湾市内にある古本屋で見つけた。米国第六海兵師団の戦闘の模様を伝えている。シュガーローフは小高い丘となった現在の安里一区周辺。進攻する米軍がこの地で日本軍に苦戦を強いられた。

 英語の解説で、米軍はこの戦闘で一週間に二千六百六十二人の死傷者を出したと伝えている。

 上映後、元沖縄師範学校鉄血勤皇隊の儀間昭男さん(80)=那覇市=が「南部に向かう道路には県民、日本兵の遺体の山ができていた」などと当時の体験を語った。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705131300_03.html

社説(2007年5月13日朝刊)

[復帰35年調査]

語り継ぎたい「沖縄戦」

本土復帰の評価定着か

 沖縄が本土復帰してから三十五年になる。復帰して何が変わったのか。世代によって抱く感慨も違うはずだ。

 「核抜き、本土並み」の掛け声はかき消され、今も在日米軍の再編や、普天間飛行場の移設など米軍基地問題が沖縄の人々が直面する最大の課題である。その基本構図に変化はない。

 県民意識はどのように変わったのだろうか。沖縄タイムス社の復帰三十五年世論調査によると、復帰して「よかった」と答えた人が89・3%、「よくなかった」は3・8%だった。

 一九九二年四月の調査(復帰二十年)では88%、二〇〇二年四月の調査(同三十年)でも87%が「よかった」と答えている。九割近くが復帰を肯定的に評価するようになった。

 「沖縄らしさ」が残っているものは「伝統文化」「助け合いの心」など。逆に「沖縄らしさ」が失われたものでは「自然」「方言」などの順。

 将来にわたり沖縄が大切にしていくべきだと思う点は「平和・戦争を忘れない」が42・1%で最多。「助け合いの心」(21・6%)などが続く。

 本土の人と接した時、自分たちと違う面があると感じることがあるかとの質問では「感じる」が62%を占めた。一九九七年調査時は68%が「感じる」としており、6ポイント減少した。

 伝統文化に沖縄らしさを感じ、歴史が異なる点など本土との違いを実感している―。沖縄の歴史・文化の独自性に対する県民のこだわりは今なお健在だと言っていいだろう。

 一方、沖縄と本土との格差について「あると思う」が87・1%で五年前の前回調査より13ポイント増えた。「思わない」は10・9%で、11ポイント減っている。本土との格差を感じている人が五年間で増えた。その理由として所得、基地問題などを挙げている。

 米軍基地に対しては「段階的縮小」を求める人が70%、「ただちに全面撤去」は15・4%、「いままで通り」は12・5%だった。この質問では、復帰二十年以降の各調査結果を見ても、ほぼ同様のすう勢を示している。

 約85%の人々が、何らかの形で米軍基地の縮小が進展することを求めていることに大きな変化はない。

検定には超党派で反発

 文部科学省による高校の歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」についての日本軍関与の記述が削除・修正された。県内で反発が広がり、市議会などで撤回を求める動きも出ている。

 今回の調査で日本軍関与の記述・削除への賛否を聞いたところ、「反対」が81・4%、「賛成」が8%、「分からない」が10・6%だった。

 反対理由は「沖縄戦の歴史を歪曲するから」(52・4%)「『集団自決』の現実を伝えていないから」(37%)などの順に多い。

 約八割が検定結果に疑問を投げており、支持政党の党派の枠を超え、反発が広がっているのが大きな特徴だ。

 沖縄戦について、日々の暮らしの中で「よく話す・聞く」「時々話す・聞く」が合わせて58%だった。

 「沖縄戦の体験について次の世代に語り継ぎたいか」との質問では、「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)、「尋ねられたら話す」(40・1%)と九割余が継承の必要性を感じている。

 教科書検定の動きに反応したのか、「すすんで語り継ぎたい」が十年前調査と比べて15ポイント余も増えた。

 沖縄戦をどう継承していくかが問われているが、歴史の事実を直視する重要性について、県民の間で共通認識ができつつあると言えよう。

内実を問い返す動きも

 二〇〇一年の9・11テロ後、米国はアフガニスタン、イラクで対テロ戦争を進めてきた。冷戦崩壊後も沖縄を取り巻く環境が様変わりし、沖縄の基地の在り方にも影響を及ぼしている。

 復帰三十年以降、県内では復帰への評価や復帰運動の内実などをあらためて問い直す動きも出ている。こうした問題意識は教科書検定や歴史認識の在り方などにも深くかかわっている。

 一九七二年に生まれた子供たちはもう三十五歳だ。復帰前の沖縄を記憶する人は四十代半ば以降になり、今後は復帰を直接体験していない新たな世代が増えていくことになる。

 復帰をめぐる調査についても、今後はその性格や位置付けなど、より総合的な分析や評価がますます重要な作業になっていくのは確かだ。

 沖縄の基地の現状が変わらない限り本土復帰の内実を多角的に問い直していく動きがやむことはないだろう。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070513.html#no_1

2007年5月14日(月) 朝刊 1面
1万5000人「嘉手納」包囲/騒音・機能強化に抗議
「鎖」一部つながらず
 極東最大の米軍基地で全周約十七キロの嘉手納基地を「人間の鎖」で取り囲む「嘉手納基地包囲行動」(主催・同行動実行委員会)が十三日行われ、県内外から約一万五千二百七十人(主催者発表)が参加した。十五日の復帰三十五年を前に、在日米軍再編で機能強化が先行し、住民への深刻な騒音被害が続く嘉手納基地の現状に抗議の意思を示し、新基地建設に反対を訴えた。参加者が手をつなぎ基地の包囲を目指したが、人数が足りず「鎖」はつながらなかった。

 同実行委は「準備不足などもあり、一部でつながらなかった」と説明した。嘉手納基地での包囲行動は二〇〇〇年七月以来四回目。普天間飛行場の包囲行動を含めると八回目となる。同実行委によると「鎖」がつながらなかったのは今回が初めて。

 包囲行動終了後、同実行委共同代表の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長は「一部につながらなかった所もあったが、約一万五千人の県民らが参加したことを評価したい。県民の意識は今の状況に無関心ではないと思う。これからも共闘、連帯して基地がなくなるよう頑張っていきたい」と述べた。

 この日、基地周辺では午後三時すぎから、参加者が「人間の鎖」で包囲を試みた。参加人数は同実行委が目標としていた約二万人に達しなかった。

 日米両政府は〇六年五月の在日米軍再編最終報告で、嘉手納基地の負担軽減に向け、F15戦闘機の訓練移転などで合意したが基地周辺では騒音被害が続いている。

 一方で、地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備や、最新鋭のステルス戦闘機F22の暫定配備などの機能強化に、周辺自治体が反発している。

基地のない平和な島への願いを込め嘉手納基地を「人間の鎖」で包囲する参加者=13日午後3時30分、嘉手納町屋良(大城弘明撮影)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705141300_01.html