月別アーカイブ: 2007年5月

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月12日、13日)

社説(2007年5月12日朝刊)

[国民投票法案]

民意をくみ取るべきだ

衆参の「数の力」は理不尽

 参院憲法調査特別委員会は十一日、憲法改正手続きを定める与党提出の国民投票法案(憲法改正手続き法案)を自民、公明の賛成多数で可決した。

 先月十三日の衆院通過に続き、十四日の参院本会議で与党の賛成多数で可決され、成立する見通しだ。

 国民投票法案は手続き法とはいえ、

憲法改正、特に「戦争放棄と戦力の不保持」をうたう九条の変更と密接に絡む重要法案である。

 本来、与野党が民意をくみ取りつつ、十分に審議を重ねて「公正、公平、中立」な制度の実現に向け合意を達成するのが筋だったはずだ。

 それが衆参両院とも「数の力」で採決されるのは理不尽であり、極めて遺憾と言わざるを得ない。

 参院特別委では「審議は十分尽くした」とする与党側に対し、民主、共産、社民、国民新の野党四党は「中央公聴会も実施されていない。審議が不十分」と主張し、採択に反対した。

 しかし、与党が付帯決議をすることで譲歩したことを評価、採決では衆院可決時のような混乱は回避された。

 付帯決議は、最低投票率制度の是非の検討や投票権者の年齢を十八歳に引き下げる法整備など、今後の検討課題として十八項目を挙げている。

 投票権を二十歳以上ではなく、十八歳以上に引き下げているが、国民の意思を確認するために行われるのだから、まず投票率が問題となる。十八項目の中で、最も重大な論点といえる。

 参院の審議では野党側から、一定の投票率に達しない場合は投票を無効とする「最低投票率」を設けるべきだとの指摘が相次いだ。

 憲法九六条は、国会の憲法改正の発議について「(衆参両議院の)総議員の三分の二以上の賛成」と厳格に定める一方で、国民投票の承認については「その過半数の賛成」としている。

 その過半数とは、実際に投票所に行き、賛成・反対の明確な意思を表示した投票権者、つまり有効投票の過半数であることは明白だ。

 だが、法案には何の制約もない。投票率がどうあろうと有効投票総数の過半数が賛成すれば改憲案が承認されることになっている。

地方公聴会では賛否両論

 現憲法には、最低投票率を法律で定めるようには書いていないからという理由で、最低投票率を設定することは違憲だという主張さえある。

 しかし、現憲法には国民投票法をつくること自体も明記されていないのであり、それらの解釈も含めて今後の論点となろう。

 参院特別委の地方公聴会では、最低投票率について公述人から賛否両論の意見が出された。

 「投票のボイコット運動で多数決による民主主義が影響されるのではないか」「一部の意思のみで憲法が変更されると正当性を損なう。少なくとも過半数の投票が成立要件になるべきだ」「ボイコット運動などで要求される投票率を超えられないなら、改正の機が熟していないと判断すべき」などだ。

 いずれにせよ、最低投票率の定めがないことが大きな問題であり、最低投票率、あるいは絶対得票率を定めるのは避けて通れないはずだ。

 公務員や教員がその地位を利用して国民投票に関する運動を禁止するのも問題である。

 罰則がないとはいえ、「団体の力で学生に影響を与える恐れがある」と運動禁止を支持する人もいれば、逆に「職種による人権や人格権の否定につながりかねない」との声も強い。

憲法改正、現実の政治課題に

 法案では、投票日の二週間前まで改憲についての有料意見広告をテレビやラジオに出すことが許されている。

 資金力があればいくらでも改憲の主張がマスメディアを通じて国民にアピールできるわけであり、改憲に有利に働くのは明らかだ。

 今後の論議は、国民投票法成立を受け、七月の参院選後の臨時国会で衆参両院に設置される憲法審査会に主舞台が移る。

 三年間は改憲案の提出、審査は凍結され、現行憲法の問題点などの調査が進められることになる。

 安倍首相は「自民党は新憲法草案をつくって改正の意思表示をし九条は変えると決めている」と述べ、憲法九条を含む改憲の是非を夏の参院選で争点としたい考えをあらためて表明した。

 憲法改正が現実の政治課題となり、国民一人一人が真剣に向き合わなければならない局面に入っている。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070512.html#no_1

2007年5月13日(日) 朝刊 1・23面
復帰「評価」89% 沖縄タイムス復帰35年世論調査
「本土と格差」87%/基地縮小85%が望む
 十五日で本土復帰三十五周年を迎えるのを前に、沖縄タイムス社が実施した県民世論調査で、県民の89・3%が復帰して「よかった」と評価する一方、87・1%は沖縄と本土の間に「格差」があると感じていることが分かった。「格差」を感じているもので最も多かったのは「所得」(48・1%)だった。米軍基地については、「段階的に縮小」(70・0%)、「ただちに全面撤去」(15・4%)を合わせ八割強が縮小を求めている。沖縄の米軍基地を縮小するため、本土移転に「賛成」と回答したのは約半分の52・4%だった。

 復帰して「よかった」と回答した人に理由を聞いたところ、「本土との交流が盛んになった」が41・2%で最も多かった。次いで、「経済的に豊かになった」(19・5%)、「道路や公共施設がよくなった」(15・5%)の順だった。

 逆に、復帰して「よくなかった」と回答した人の理由では「経済的に豊かにならなかった」で33・3%が最多。「自然破壊が進んだ」「基地問題が解決していない」がともに23・3%だった。

 「沖縄らしさ」が残っていると感じているもので、最も多かったのは「伝統文化」49・4%。「沖縄らしさ」が失われたものとしては「自然」(29・4%)、「方言」(26・5%)、「独自の食生活」(19・8%)の順だった。将来にわたって沖縄が大切にしていくべきことは、「平和・戦争を忘れない」(42・1%)が最も多く、「助け合いの心・ユイマールの精神」(21・6%)、「豊かな人情・優しい心」(9・9%)と続いた。

 沖縄戦の体験などを次の世代に語り継ぐことについては、「すすんで語り継ぎたい」(51・3%)と積極的で、「尋ねられたら話す」(40・1%)を合わせ約九割が戦争体験継承の必要性を感じていることがうかがえる。

 中高年を中心とした沖縄移住ブームに対しては、「地域経済が活性する」(34・8%)と「過疎化に歯止めがかかる」(13・4%)との肯定的とらえ方がある一方、「地域のまとまりが薄れる」(17・3%)と「独自の自然・文化が損なわれる」(25・9%)など否定的な見方もあり、評価が分かれている。

 ▽調査の方法 県内の有権者を対象に六日、コンピューターで無作為に抽出した番号に電話をかけるRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法により実施した。八百人が回答。内訳は男性49%、女性51%。

     ◇     ◇     ◇     

沖縄らしさ 文化に健在/方言にも危機感26%

 復帰から三十五年たち、伝統文化は再興の兆しが見られるが、自然や方言は失われつつある―。沖縄タイムス社の県民世論調査で「沖縄らしさ」について尋ねたところ、県民のこんな意識が浮かび上がった。過去の調査と比べて、傾向は顕著になっている。県外出身者と接して「歴史の違い」を感じ、沖縄移住ブームには複雑な視線を向けている。

 沖縄らしさの設問では、残っているものとして49・4%が「伝統文化」を選んだ。失われたとしたのは4・6%で、文化継承の自負が表れた。残っているとしたのは一九九七年調査で28%、二〇〇二年調査では21%で、一気に増加した。

 一方、残っているものとして「自然」を挙げたのは7・5%にとどまり、29・4%が失われたとした。失われたと答えたのは九七年調査で17%、〇二年調査では11%で、危機感は深まっている。

 同様に、「方言」も残っていると考えているのは9・3%にすぎず、失われたものに挙げた人が26・5%に上った。失われたとしたのは九七年は10%、〇二年は9%で、大幅に増えている。

 年代別では、伝統文化が残っていると答えたのは五十代が最も多かった。自然、方言が失われたと考えている人が多かったのはそれぞれ三十代、二十代だった。

 このほか、「助け合いの心」は「残っている」が16・3%、「失われた」が16・6%と見方が分かれた。「独自の食生活」は「残っている」が14・8%、「失われた」が19・8%だった。

 将来も沖縄が大切にすべきことを聞いた質問では、「平和・戦争を忘れない」が42・1%でトップ。「助け合いの心・ユイマールの精神」21・6%、「豊かな人情・優しい心」9・9%と続いた。

 「自然」8・8%、「祖先崇拝」8・1%、「文化」4・1%、「国際化」3・0%の順に挙がり、「本土との結びつき」は1・5%で最下位だった。

 県外出身者に自分たちと違う面を「感じる」と答えた人は62・0%。「感じない」は35・3%だった。復帰後に成長した世代でも「感じる」と答えたのが二十代で59・4%、三十代で71・6%と多数を占めた。七十歳以上は「感じる」と「感じない」が47・5%で同率だった。

 違いを感じる点は「沖縄と本土の歴史の違い」が40・1%と最多。続いて「言葉や話し方」18・3%、「時間の感覚」17・5%、「会社や団体など組織との結びつき」15・3%、「天皇や皇室に対する気持ち」7・7%が挙がった。

 「歴史の違い」を選んだのは六十代が最も多かった。「言葉や話し方」は七十歳以上、「時間の感覚」は二十代がそれぞれ最多で、年代によって感じ方に差があった。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705131300_01.html

沖縄タイムス 関連記事(5月11日、12日)

2007年5月11日(金) 夕刊 1・7面
改憲阻止 一歩に託し/5・15平和行進
 本土復帰三十五年の十五日を前に、県内の米軍基地や戦跡を巡り平和を訴える「5・15平和行進」(主催・同実行委員会)が十一日午前、沖縄本島三コースで始まった。復帰の内実を問おうと一九七八年に始まった同行進は、今回で三十回目。基地の重圧は変わらず、改憲の動きが加速する中、約千五百人が二日間の歩みをスタートさせた。

 復帰運動の原点となった国頭村を歩いた十日の特別コースに続き、十一日は東コースが米軍普天間飛行場の移設に揺れる名護市辺野古を出発。西コースは恩納村の万座ビーチホテル前、南コースは沖縄戦終えんの地・糸満市摩文仁の平和祈念公園から出発した。

 行進に先立ち、各コースで出発式を開催。名護市辺野古の東コース出発式では、実行委員長の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長があいさつ。「県民は基地や核のない復帰を望んだが、願っていた復帰ではなかった。改憲の動きのある今、運動することは、全国や沖縄に基地を造らせない闘いを広める原動力となる」と力を込めた。

 十二日はゴールの北谷町で「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開催。十三日には嘉手納基地を包囲する「人間の鎖」が行われる。

     ◇     ◇     ◇     

平和 声高らか/行進 各コースから

 晴れ渡った青空の下、「5・15平和行進」の三コースが十一日午前、出発した。「新たな基地建設を許すな」「平和憲法を守ろう」。復帰の内実を問う声が響く。米軍再編に揺れる全国各地からの参加者も、三十五年目の基地沖縄の現実を踏みしめた。

 「新基地建設反対」「アセス法違反の事前調査を許すな」―。米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古の海岸で行われた東コースの出発式には全国から集まった約六百人(主催者発表)が、平和を願いシュプレヒコールに、のどをからした。

 出発式は、国の事前調査に反対する市民団体のカヌーなど十二隻で周辺海域を警戒する緊張した雰囲気の中で行われた。

 現場で反対運動を続ける嘉陽宗義さん(84)が「仲間を信じて一致団結して頑張ろう。笑顔を失った時にわれわれは負ける。われわれがやらなければ誰が、やるのか」と反対運動への支援を全国から来た参加者に訴えた。東コース比嘉聡団長(高教組組織部長)や、各政党の代表らが「沖縄の現状を全国に訴えよう」などとあいさつした。

 行進に参加した「鹿屋に米軍はいらない大隈の会」の松元勇さん(62)は「米軍基地の現状を見て、本当の意味での負担軽減を沖縄の人と一緒に考えたい」と話した。

 沿道からは、移設反対運動をしているお年寄りらが、「頑張れ」と行進団に声援を送った。

西

 恩納村の万座ビーチをスタートした西コースには約三百六十人が参加、「新たな基地の建設反対」「憲法九条を守ろう」などと訴えた。比嘉利彦団長は「復帰三十五年がたち、県外からも多くの参加者が集まった。一歩一歩踏みしめながら、国内外に平和を訴えていこう」と気勢を上げた。

 米軍岩国基地を抱える山口県岩国市の益賀竜也市職労青年部副部長(31)は四回目の参加。岩国は米軍再編で空母艦載機の移転問題を抱えており、「地元の人から基地被害などの現状を聞いてみたい」と話した。

 糸満市摩文仁の平和祈念公園を出発した南コース(一六・六キロ)には県内外から約五百人(主催者発表)が参加した。戦争を知らない若い世代が中心。参加者は沖縄戦終えんの地から、平和の尊さをかみしめるように歩を進めた。

 出発式で団長の國吉司さん(45)は、「私たちが歩く、行動する一歩が、平和につながることを信じて頑張ろう」とあいさつ。「反戦」と書かれたゼッケンを胸に参加した中川卓也さん(31)=大阪府=は「大阪には米軍基地がない。沖縄の問題を肌で感じ、多くの人に伝えたい」と語った。

 「平和憲法を守ろう」「辺野古への新基地建設は許さない」。参加者は澄み切った青空に高々と拳を突き上げた。

 南コース一行は、八重瀬町、南城市などを通り、南風原町役場を目指す。

キャンプ・シュワブに隣接する海岸で、基地建設反対の声を上げる5・15平和行進東コースの参加者ら=11日午前、名護市辺野古
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111700_03.html

2007年5月12日(土) 朝刊 1面
「辺野古」へ海自艦/防衛相 調査参加を示唆
 【東京】米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)に関連し、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が十一日午前、沖縄近海に向けて海自横須賀基地(神奈川県)を出港したことが分かった。自衛隊関係者が明らかにした。艦船にはゴムボートやボンベが積載されているが、海自が実際に調査で対応するかどうかは不透明だ。

 久間章生防衛相は同日の衆院イラク支援特別委員会で、現況調査に海上自衛隊が参加する可能性について「ないことはない」と述べ、あらためて動員を示唆した。赤嶺政賢氏(共産)への答弁。

 久間防衛相は「自衛隊はあらゆることに対応して、国民のためになる場合に法に基づいて可能なことはやれる」と述べ、自衛隊法の範囲内で可能との見解を示した。

 その上で、動員する場合の目的については「官庁間協力、調査活動、情報収集活動などいろんな場合がある。具体的な状況を見てみないと一概に言えない」と明言を避けた。

避けた方がいい 仲井真知事

 米軍普天間飛行場移設先周辺での海域調査に関連し、海上自衛隊の艦船が沖縄近海に向かっていることについて仲井真弘多知事は十一日、「自衛隊との関係がまずまずの状況になってきている中で、県民感情を考えると、あまり好ましいとは思わない。(反対派の)排除というのは自衛隊の役目ではないと思っている。誤解を生むようなことはなるべく避けた方がいいのでは」と否定的な見解を示した。

 一方、島袋吉和名護市長は同日、現況調査(事前調査)で、海上自衛隊が何らかの関与をする可能性が出てきたことについて「慎重にしてほしい」と述べ、政府に慎重な対応を求める考えを示した。

 島袋市長は沖縄タイムス社の取材に「防衛省が考えるべきことだが地元の事を考えて、慎重にしてほしい」と険しい表情でコメントした。

 また、名護市幹部は「市に一切、連絡はない。自衛隊を導入すればかえって混乱するだけ。本当にやるつもりなのか」と強い不快感を示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_01.html

2007年5月12日(土) 朝刊 1面
施設局 海域使用を届け出
普天間代替 県受理、手続き完了
 那覇防衛施設局は十一日、米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設に伴う現況調査(事前調査)に向け、県に海域の「使用着手」を届け出た。

 県は同日受理し、施設局が海域に調査機器を設置するために必要な手続きはすべて完了した。

 使用着手の届け出は、公共用財産使用協議の留意事項で「調査着手の際は(県に)届出をすること」と明示されていることに基づき、施設局が県へ提出した。

 施設局は四月下旬から準備作業としてダイバーによる調査ポイントの確認作業を実施。今後、磁気探査を経て、調査機器を設置する予定。同局は調査機器を設置した段階で「調査着手」と位置付けている。

 届け出は佐藤勉那覇防衛施設局長名で、着手開始の時期などは明記していない。

 設置する機器はサンゴ産卵調査のための着床板のほか、海生生物調査のための水中ビデオカメラ、音波探知機などが含まれるとみられる。

 県が届け出を受理したことで、手続き上は十一日以降、調査機器設置が可能となる。

 ただ、施設局は十五日の復帰記念日までの着手は控えるとみられ、調査機器設置は十六日以降になる見込み。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_02.html

2007年5月12日(土) 朝刊 28面
ハンセン前で抗議行動/5・15行進
 「5・15平和行進」(主催・同実行委員会)には十一日、県内外から約千五百人が参加し、東、西、南の三コースに分かれ各地で反戦・平和を訴えながら行進した。

 東コースは、米軍普天間飛行場の移転先で揺れる名護市辺野古から出発。約六百人の参加者は厳しい日差しが照りつける中、金武町のキャンプ・ハンセンで、「基地を閉鎖し県民に返せ」「実弾砲撃演習をやめろ」とこぶしを上げ抗議した。

 平和行進は八回目という田港朝津さん(45)=今帰仁村、公務員=は「今帰仁には基地はないが、北部地域に住む者として、基地問題には関心を寄せている」と話す。十八年前、当時二歳の息子を連れて嘉手納包囲網に参加した。「今年、息子は成人を迎えるが、二十年近くたっても基地が変わらないことにもどかしさを感じる」とため息をついた。

 熊本県から三回目の参加で、今回で全コースを歩いた柳田勝海さん(62)。「今の安倍内閣は改憲して、アメリカとともに戦争ができるようにしようとしている。熊本にも陸上自衛隊の西部方面部隊や演習場があり、沖縄の基地は人ごとではない」と真剣なまなざしで語った。

 柳田さんは退職前、熊本県内の森林管理所に勤務。「自然は守っていくべきだ。あんなにきれいな海に基地建設をしてはいけない」と汗をぬぐいながら歩みを進めた。

 「5・15平和とくらしを守る県民大会」は十二日午後六時から北谷町の北谷球場前広場で開かれる。(渡慶次佐和)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_03.html

2007年5月12日(土) 朝刊 28面
反戦願い込め100メートル彫刻展示/金城実さん作品読谷で
 【読谷】沖縄戦や戦後の住民の生活など三十点以上の彫刻で表現する、百メートル彫刻「戦争と人間」大展示会(主催・同実行委員会)が十一日から読谷村の米軍読谷補助飛行場跡地で始まった。村内在住の彫刻家、金城実さん(68)が反戦の願いを込め、約十年かけて制作した作品が滑走路として使用されていた村役場沿いの道路にずらり並んでいる。六月二十四日まで。

 作品は戦時中の「集団自決」やガマに避難している住民、銃剣とブルドーザーによって民間地を強制接収する米軍人、阻止しようと抵抗する住民らを表現している。

 復帰三十五周年の節目に、沖縄の歩んだ歴史を振り返ろうと企画。金城さんは「大人の責任として、子や孫の世代に戦争が起こらないよう県民全体で考える場所にしたい」と話している。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705121300_08.html

2007年5月12日(土) 朝刊 29面
糸満議会も撤回要求/「集団自決」修正
 【糸満】高校教科書検定の「集団自決」に関する日本軍関与が削除された問題で、糸満市議会運営委員会(徳元敏之委員長)は十一日、検定意見の撤回を求める意見書案を十五日の臨時議会に提案することを決めた。

 全会一致で可決される見通し。

 意見書案は「(同市には)多くの修学旅行生も訪れ、平和学習の場となっており、戦争の真実と平和の尊さを伝える役割を担っている。だからこそ、歴史の真実を伝えることは重要」と述べ、「悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くし難い犠牲を強いられてきた沖縄県民にとって、到底容認できるものではない」としている。

 あて先は内閣総理大臣と文部科学大臣を予定している。
http://www.okinawatimes.co.

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月11日)

2007年5月11日(金) 朝刊 1・27面
新基地・改憲阻止訴え/5・15平和行進
 【名護】県内の米軍基地や沖縄戦の戦跡などを歩き、平和や基地問題について考える「5・15平和行進」の全国結団式(主催・沖縄平和運動センター、北部実行委員会)が十日夕、名護市役所前広場で開かれた。

 同日午前に国頭村を出発した復帰三十五周年特別コースの参加者も合流し、県外を中心に約千人(主催者発表)が結集。「辺野古への新基地建設反対」「憲法改悪阻止」のシュプレヒコールで結束を強め、十一日から始まる行進に向け、気勢を上げた。行進は今回で三十回目。

 平和行進の崎山嗣幸実行委員長は「政府は憲法を改悪し、米国と一体となって軍事国家へとひた走ろうとしている。沖縄が極東アジアに向けた前線基地にならないためにこの平和運動を広げよう。皆さんと力を合わせて平和行進を成功させ、嘉手納基地を包囲して全国に平和を伝えよう」と呼び掛けた。

 行進は十一日午前、名護市辺野古など沖縄本島三コースでスタート。宮古・八重山でも行われる。十二日午後六時から北谷町の北谷球場前広場で「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開く。

 参加者の多くは十三日の「5・13嘉手納基地包囲行動」に参加する予定。

     ◇     ◇     ◇     

沿道から声援 参加者後押し

 復帰三十五年目の節目に三十回目を迎えた「5・15平和行進」(主催・沖縄平和運動センター)は十日、復帰運動の原点を歩く北部で始まった。沿道の住民は熱い声援を送り、行進団と「基地のない平和な島に」と思いを一つにした。

 午前九時すぎ、やんばるの山野に「米軍基地を撤去しろ」「平和な沖縄を返せ」と、国頭村役場を出発した約六十人の声が響いた。民家の軒先ではオジィやオバァが「ご苦労さま」と手を振った。

 軽く汗ばむ陽気の中、大宜味村に差し掛かると「チバリヨー」と声を張り上げる小学生が。同村役場前では、喜如嘉保育所の園児がエイサーで出迎えた。島袋義久村長は「基地を持たない大宜味村を、平和を送り出す場所として発展させます」とエールを送った。

 恩納村から参加した県職員の大嶺秀次さん(35)は「子どもらの姿に、戦争のない世界をつくろうと元気をもらった」

 午後に入り名護市に近づくと、広島や三重など各県の労組や平和団体が応援に加わり、参加者は約二百五十人に膨れた。沿道に駆けつけた同市大北の松田啓茂さん(70)は「辺野古への基地移設が進められようとする中、こんなに全国の人が集まった」と感激の面持ち。

 夕暮れ迫る午後五時半すぎ一行は「わっしょい」と叫びゴールの名護市役所前広場へ。神奈川県座間市の太田和利さん(40)は「美しい島が戦場だったと思いを踏みしめた。沖縄の人々の平和への願いを感じる行進だった」と振り返った。(吉田啓)

新たな基地建設や憲法改正反対を訴え、ガンバロー三唱する参加者=10日午後、名護市役所前広場
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111300_02.html

2007年5月11日(金) 朝刊 26面
慰安婦の実態聞き取り/日韓調査団が宮古入り
 従軍慰安婦問題に二十年以上取り組む元韓国梨花女子大教授の尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんと早稲田大学名誉教授の中原道子さんら日韓合同調査団計九人が十日、宮古入りした。戦時中、十カ所以上の慰安所があったとされる宮古地区では目撃した住民も多い。一行は慰安婦が置かれていた状況などを地元住民から三日間の日程で聞き取り調査する。

 県内各地で慰安所の調査を続ける早稲田大学大学院生の洪△伸(ホン・ユンシン)さんが二〇〇六年に二回にわたり宮古島で聞き取り。アリランを歌う慰安婦の様子など貴重な証言もあり、さらに詳しく調べようと尹さんや中原さんらも加わった。

 尹さんは「宮古の人が記憶している慰安婦の実態を聞きたい。現在でも紛争地では性被害に遭っている女性がいる。慰安婦として連れて来られた人の慰霊、また戦争を否定するためにも宮古島にモニュメントを作りたい」と話した。

 一行は同日午後、同市上野の慰安所跡地を訪れた。戦時中に近くに住んでいた与那覇博敏さん(73)=同市平良=が軍人が建物の前で列をつくっていた状況などを説明した。「もとは兵舎だった場所であり、当時は何で女の人がここにいるのか不思議だった」などと語った。

 一行は、宮古の調査に先立って八、九の両日は渡嘉敷島でも実施。宮古島での最終日の十二日は午後三時から宮古島市役所平良庁舎で報告会が開かれる。

※(注=△はへんが「王」でつくりが「允」)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111300_05.html

社説(2007年5月11日朝刊)

[5・15平和行進]

見て考え訴える機会に
 基地撤去と平和を訴える「5・15平和行進」が十日スタートした。

 初日の特別コースには、約六十人が国頭村を出発し名護市までの約十七キロを歩いた。十一、十二の二日間は東、西、南の三コースに分かれ行進する。翌十三日は嘉手納基地を包囲する「人間の鎖」に集結する予定だ。

 五月十五日の復帰記念日に合わせて行われる「5・15平和行進」も、今年で三十回目を数える。この間、沖縄の現状は改善されただろうか。

 米軍絡みの事件・事故や不祥事は後を絶たない。再編の名目で本島北部への基地集約化が計画されている。嘉手納基地には最新鋭のF22戦闘機が暫定配備され、地元の反対を押し切って未明離陸を強行した。むしろ基地機能は強化に向かっている。

 平和行進を主催する沖縄平和運動センターの崎山嗣幸議長は平和行進の意義を語る中で、「復帰の時のわれわれの願いは、核も基地もない平和憲法に帰ろうだった」と振り返る。

 だがその憲法は、改正手続きを定めた国民投票法案が衆院可決された。

 地道な取り組みだが、基地撤去の意思を再確認し、県内外に平和の大切さをアピールする行進が今あらためて重い意味を持ってくる。

 いま沖縄は、外を歩くには夏日か大雨に見舞われるかの厳しい季節だ。

 それでも、若い労組員や本土からの参加者らが黙々と歩を進める。延々と続く基地のフェンスや広大な施設を目の当たりにして、「基地沖縄」を実感するに違いない。

 一緒に歩くことで互いの連帯感は深まる。平和や安保、憲法の在り方をじっくり考え、個々に抱える課題について語り合う機会でもある。

 本土からの参加者には、じかに見て聞いた沖縄の現状を各地に持ち帰って報告し、全国の世論を喚起する活動につなげてほしい。

 特別コースには、組合の動員でなく配布されたチラシを見て一人で参加した女性もいた。運動は持続と同時に、広がりを持たせる工夫も大切だ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070511.html#no_2

2007年5月11日(金) 夕刊 1面
「辺野古」で海自艦沖縄へ/防衛相 警護対応は否定
 【東京】米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)に関連し、海上自衛隊の艦船が十一日午前、沖縄近海に向けて海自横須賀基地(神奈川県)を出港したことが分かった。自衛隊関係者が明らかにした。艦船にはゴムボートやボンベが積載されているが、実際に海自が調査に対応するかどうかは不透明だ。

 久間章生防衛相は同日午前の閣議後会見で、米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)について「(海上自衛隊による)警護とか仰々しいことは考えていない。(調査活動も)原則的には民間にお願いしているのでそれで十分だと思っている」と述べ、警護や調査目的での海自の動員を否定した。

 一方で、「先のことは分からない。一部で(海自の動員を)考えている人がいないとは限らない。誰かがおぼれそうになったら助けてあげることだってあるかもしれない」と述べ、今後、海上での救護活動などで動員される可能性について示唆した。

 同調査での海自の動員をめぐっては、塩崎恭久官房長官が十日の定例会見で、「(海自が)防衛施設庁の身分として、作業をやる可能性はあるかも分からない」と述べ、防衛施設庁に出向する形式で対応する可能性に含みを持たせていた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111700_01.html

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月10日、11日)

社説(2007年5月10日朝刊)

[首相の靖国供物]

きちんと説明すべきだ
 安倍晋三首相が靖国神社の春季例大祭に「内閣総理大臣」名で供物を奉納していたことが明らかになった。

 「国のため戦って亡くなられた方々に敬意を表し、ご冥福をお祈りする。その思いを持ち続けていきたい」と奉納を認めたが、具体的なことについては「申し上げないことにしている」と口を閉ざしている。

 靖国参拝を望む日本遺族会など保守層と中止を求める中韓両国の双方に配慮した「次善の策」とみられるが、何よりも国民への説明責任を果たさない首相の態度には問題があるといえるのではないか。

 一国の首相として、参拝の是非や対外的な配慮にとどまらず、太平洋戦争に対する自らの歴史認識などを国民の前で堂々と示してもらいたい。

 首相に近い政府高官は、昨年から参拝に代わる方法を模索し、「遺族会だけでなく中韓にも配慮し知恵を絞った」(政府筋)と話している。

 そうであれば、内外に困惑を広げるだけであり、姑息な手法と批判されても仕方がないのではないか。真意をきちんと説明すべきだ。

 首相の靖国参拝をめぐっては、小泉政権時の二〇〇五年九月、大阪高裁が「国が靖国神社を特別に支援しているとの印象を与え、特定の宗教に対する助長効果が認められる」として、憲法二〇条の「信教の自由」「政教分離原則」に照らして違憲と指摘した。

 しかし、大阪高裁の前には東京高裁が「私的行為」として憲法判断に踏み込まなかった。その後の高松高裁判決も憲法判断を回避しており、裁判所の判断は世論が割れる要因にもなっている。

 今回は参拝ではなく、供物を奉納しただけだが、首相の強い意思に基づくものであることに変わりはない。それも「内閣総理大臣」名で奉納されており、私的な奉納とは言えまい。

 靖国神社は、戦後の政教分離で一宗教法人となったが、いまだに太平洋戦争に至る一連の戦争は「正しかった」という歴史観に立っている。

 そうした神社への「内閣総理大臣」名の奉納は、公明党幹部でさえ「擬似参拝」になぞらえ、なし崩し的な参拝への懸念を示している。

 近隣諸国との間であつれきを生じさせ、国益上も得策でないのはこれまでの経緯からはっきりしている。

 首相は「(国のために戦った方々への)尊崇の念を表する思い」とも述べているが、首相である以上、個人の信条というわけにはいかないはずだ。

 A級戦犯の分祀問題を含め、首相としての主体的な考えを示してほしい。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070510.html#no_1

2007年5月10日(木) 夕刊 1面
F22未明離陸強行 2機は日中に実施
三連協反発「回避可能」
 【嘉手納】米軍嘉手納基地に一時配備されている米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプター十二機のうち、十機が米本国に帰還するため十日未明、離陸した。残る二機は整備上の理由で離陸を見合わせていたが、同日午前十時二十五分に離陸。二機の離陸について同基地報道部は「太平洋上の基地に向かった」としており、米軍の運用次第で未明離陸を回避できることを示す結果となった。沖縄、嘉手納、北谷の地元三市町の首長らで組織する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会」(三連協)の野国昌春会長(北谷町長)は「日中の離陸でも、やればできることがはっきりした」と米軍への反発を強めている。

 米軍は今回のF22の未明離陸について「日中に目的地へ着陸するための措置。太平洋を横断する長時間飛行になるため、パイロットの安全運航を最大考慮し実施される」と説明。三連協は九日に未明離陸への反対を表明していた。

 嘉手納基地では、同日午前三時十三分ごろを皮切りに、約六分間でF22六機とKC10、135の両空中給油機二機が南側滑走路を使用し、沖縄市方面に向けて離陸。約一時間後にF22四機と空中給油機二機が続いた。ハワイを経由して、米本国に向かうとみられる。

 嘉手納町屋良の通称「安保の見える丘」で騒音を測定した町によると、同日午前三時十五分に九八・八デシベル(電車通過時の線路わきに相当)の最高値を計測した。

 離陸した十四機全てが多くの人が不快に感じる七〇デシベル(一メートル先の電話のベルに相当)以上の騒音を記録。F22については、全て九〇デシベル(騒々しい工場内に相当)以上の爆音をとどろかせた。

 米バージニア州ラングレー基地所属のF22は今年二月、米本国以外では初めて嘉手納基地に配備された。配備期間中、約六百回を超える飛行訓練を行ったほか、航空自衛隊那覇基地のF4戦闘機、小松基地(石川県)のF15戦闘機などとの共同訓練を実施した。

 在日米軍トップのブルース・ライト司令官は四月、朝鮮半島の情勢次第で、F22を同基地に再配備する可能性との認識を示している。

     ◇     ◇     ◇     

「未明のごう音 恐怖」
住民たたき起こされ

 【中部】「未明のごう音は恐怖だ。いいかげんにしてほしい」。嘉手納基地に一時配備中のF22Aラプター戦闘機十二機が十日未明、住宅地に爆音を響かせた。残り二機は同日午前十時二十五分、離陸した。基地周辺自治体の首長、住民らは「騒音防止協定に基づき日中に離陸するべきだ」と反発を強めた。

 同基地を抱える沖縄、嘉手納、北谷の三首長らで組織する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会」は九日夕、飛行中止を求める声明を発表した。

 未明離陸の強行に、会長の野国昌春北谷町長は「声明を出したにもかかわらず、強行されて残念だ。騒音防止協定に基づき日中の離陸をするべきだ」と訴えた。

 東門美津子沖縄市長は「未明離陸が強行されたことは極めて遺憾だ。飛来時から飛行途中での引き返しやソフトウエアの欠陥などがあった。F22は明らかな欠陥機であり、今後の再配備も容認できない」と強く抗議した。

 沖縄市側の飛行ルート直下、沖縄市営池原団地に住む亀谷弘二さん(49)は「ものすごい音でたたき起こされ、その後は寝付けなかった。普段から騒音はひどいが、未明のごう音は恐怖だ。いいかげんにしてほしい」と不満をあらわにした。

 「怖かった。何ごとかと思って跳び起きた」。市登川に住む赤嶺千恵美さん(50)は「昼間の騒音には慣らされているが、未明に突然、爆音を聞いたら怖いに決まっている」と憤った。

 嘉手納町第二保育所に子ども二人を送っていた町屋良の女性(39)は「米軍は非常識だ。騒音で大人だけでなく子どもも寝不足になり、ぐずってイライラする」と憤る。

 同基地に隣接する嘉手納町屋良の島袋敏雄区長は「未明離陸は地域への影響が大きい。基地負担の軽減が求められる中、再配備には賛成できない」と言い切った。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705101700_01.html

2007年5月10日(木) 夕刊 5面
平和 祈念の歩み/復帰35年 5・15行進スタート
 【国頭】県内の米軍基地や沖縄の戦跡を巡り基地返還などを訴える「5・15平和行進」(主催・沖縄平和運動センター)が十日午前、国頭村役場で始まった。今年は本土復帰三十五周年を記念し、かつて復帰運動の舞台となった国頭村から名護市までの約十七キロを歩く特別コースが設けられた。在日米軍再編や教科書検定問題が浮上する中、参加者らは復帰の原点を問いながら行進した。

 国頭村からのスタートは二十四年ぶり。村役場前の出発式には県内外から約六十人が参加。同センターの崎山嗣幸議長は「今の政府は三十五年前に県民が願った復帰とは違った方向に走っている。憲法改正の動きなどとともに、北部に基地が集中させられようとしている。平和への願いを、このやんばるから全国にアピールしよう」と呼び掛けた。

 若い世代が多かった。県外参加者の代表であいさつした本田新太郎さん(35)=長崎県=は「沖縄を実際に歩かないと、日本の平和について考えられないと思った」。那覇市議の平良識子さん(28)は「戦後世代というより、復帰世代の私たちが、政府の動向を鋭く見詰めていかなければならない」と訴えた。

 団体での参加が多い中、三重県から嘉手納町に移住して十一年目になる樋口真理子さん(45)は一人で足を運んだ。二人の娘を育てるシングルマザー。夜中の米軍機の騒音に悩まされ、以前から基地問題に関心を持っていた。家に配られた平和行進のチラシを見て、今回歩くことを決意した。

 「沖縄のことを知るために、一度歩きたいと思っていた。辺野古に基地を造るのは、反対。やんばるの自然を壊さないでほしい」。そう願いながら歩いた。

 特別コースは大宜味村を経由し、名護市役所まで。午後五時半からは名護市役所で集会が行われる。十一日からは東、西、南の三コースに分かれ、それぞれ名護市、恩納村、糸満市から歩く。十二日にゴールの北谷町で「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開催。十三日には二万人の参加者を見込んで嘉手納基地を包囲する「人間の鎖」が行われる。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705101700_03.html

2007年5月11日(金) 朝刊 1面
三連協、米軍に抗議へ/F22未明離陸
 【中部】米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターが、米本国に帰還するため十日未明に離陸したことを受け、沖縄市、嘉手納町、北谷町の三首長らで組織する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会」は同日、米軍に対し「過重な騒音被害を受ける住民の負担を軽視している」として抗議することを決めた。十一日にも同基地司令官にあて抗議文書を送る。

 一方、十二機のうち、整備上の理由で十日午前十時二十五分に離陸した二機は、グアムの米空軍アンダーセン基地に向かったことが判明。首長らは「未明でなくても問題ないことが実証された」と、未明離陸の必要性を強調した米軍の説明を疑問視した。

 未明離陸について三連協会長の野国昌春北谷町長は「極めて残念だ。住民の安眠を確保するためにも抗議の声を上げる必要がある」と強調。米軍に対し、午後十時から午前六時までのすべての航空機の飛行、エンジン調整の中止などを求める。

 米軍は未明離陸の理由を「日中に目的地へ到着するため」としてきた。東門美津子沖縄市長は「未明でなくても問題ないことが実証された。なぜ未明にこだわるのか理解できない」と批判。嘉手納町議会基地対策特別委員会の田仲康榮委員長は「運用次第で調整できることが証明された。未明離陸をなくすよう米軍に求めたい」と強調。週明けにも委員会を開き、米軍に抗議する方針だ。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705111300_01.html

沖縄タイムス 関連記事・社説(5月9日、10日)

2007年5月9日(水) 夕刊 1・5面
F22離陸、あす未明
 嘉手納基地から十日に米本国へ帰還する米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプター十二機が、同日午前三時以降の時間帯に離陸を予定していることが九日分かった。騒音防止協定の趣旨に反する未明離陸に地元の反発が高まっている。那覇防衛施設局と外務省沖縄事務所は同日、嘉手納基地に未明離陸の実施方針を確認の上、再検討を申し入れた。

 嘉手納基地報道部は九日午後、「航空機の早朝離陸について慎重に検討し、地元住民に与える騒音についても理解している。しかし、運用上の必要性から航空機の早朝離陸を実施する」と正式発表した。

 外務省沖縄事務所の倉光秀彰副所長は同日午前、未明離陸について「周辺住民の深刻な問題になっており、できるだけ行わないよう(嘉手納基地へ)再検討を求めた」と明らかにした。

 F22配備の際、米空軍は騒音軽減への努力を明言しており、米側の姿勢に地元の不信感も高まりそうだ。

 F15戦闘機が嘉手納基地から米本国へ向かう場合、米軍は未明離陸を繰り返している。この際、米軍は「パイロットの飛行の安全を確保するため、米本国に日中に到着しなければならず、それには嘉手納基地を未明に離陸する必要がある」と説明。空中給油も日中に行う必要があるという。

 今年二月にF22が嘉手納基地へ配備された際には、ハワイの米空軍基地にいったん集結後、日中に嘉手納基地へ到着している。

 米空軍は米バージニア州ラングレー基地所属のF22十二機を、パイロットや整備要員など約二百五十人とともに嘉手納基地へ配備した。

F15訓練移転 次回は小松

 【東京】在日米軍再編に伴う嘉手納基地のF15戦闘機訓練の本土への移転で、防衛施設庁は九日午前、十六―二十三日の日程で、航空自衛隊小松基地(石川県)で実施すると発表した。米軍と空自の共同訓練で、三月上旬に実施した築城基地(福岡県)での訓練移転に続き、二回目。

 嘉手納基地からF15五機程度と要員約八十人が参加。空自側からは小松の第六航空団や百里(茨城県)の第七航空団などからF15十二機程度がそれぞれ参加する。そのほか訓練支援のため米軍のC17大型輸送機一機が事前に飛来、先遣隊などを輸送する予定だ。

 築城基地で実施されたものと同じ、「タイプ1」と呼ばれる小規模訓練で、今回は小松沖空域で空対空の戦闘機戦闘訓練、防空戦闘訓練を実施する。土、日曜日は訓練を行わないとしている。

     ◇     ◇     ◇     

「最後まで安眠妨げ」/三連協、反対声明へ

 【中部】米軍嘉手納基地に一時配備中の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターが米本国への撤収で十日未明に離陸することについて、周辺首長は九日、「最後まで住民の安眠を妨げている。断じて許せない」などと一斉に反発の声を上げた。

 嘉手納町役場で九日午前開かれた沖縄、嘉手納、北谷の一市二町の首長らで組織する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会」総会では、急きょF22未明離陸について話し合った。米軍側からの正式な発表があり次第、同日午後にも同協議会として未明離陸に反対する声明を発表する予定だ。

 嘉手納町の宮城篤実町長は正式に連絡を受けていないと前置きした上で「配備された時から懸念していた。未明離陸の爆音は町民に与える不安が大きい。今後の対応は実際の爆音のデータを見て考えたい」と述べた。

 北谷町の野国昌春町長は「F22の一時配備による騒音被害は確実に増えた。米軍は運用上の必要性を理由にするだろうが、住民の安眠を妨害する理由にはならない。せめて撤退する際には騒音防止協定を守るべきだ」と強い口調で批判した。

 沖縄市の東門美津子市長は「もし事実であるならば、住民の安眠を妨害する未明離陸について三連協できちんと抗議したい」と強調。「F22とF15の爆音のうるささは変わらなかった。再配備の可能性もあることについては、基地の機能強化であり認められない」と話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705091700_02.html

2007年5月10日(木) 朝刊 1面
三連協「住民軽視」/F22未明離陸中止求め声明
県「遺憾の意」
 【中部】最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターが米本土への撤収のため、十日未明に嘉手納基地を離陸することを受け、沖縄、嘉手納、北谷の三市町の首長らで構成する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協)」は九日、「基地周辺住民の負担を軽視した基地運用」として未明離陸の中止を求める共同声明を発表した。一方、県基地対策課は同日、那覇防衛施設局と外務省沖縄事務所に口頭で「遺憾の意」を伝え、飛行プランの見直しなどを米側に働き掛けるよう要請した。

 嘉手納基地がパイロットの安全運航を考慮し、日中に目的地へ着陸するための運用上の必要性を未明離陸の理由に挙げていることに、三連協は「過重な騒音被害を受ける基地周辺住民の負担を軽視した基地の運用であると言わざるを得ない」と糾弾。深夜・早朝の飛行に強く反対している。

 「三連協は航空機騒音規制措置に基づき未明離陸の見直しを求めてきたが、米軍、国は飛行制限の措置を講じず、基地周辺地域では依然として騒音が発生している」と指摘。

 同協議会会長の野国昌春北谷町長は「早朝の爆音被害は大きい。住民は未明の離陸で幾度となく被害を受けてきた」と強い口調で話した。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705101300_03.html

2007年5月10日(木) 朝刊 3面
PAC3撤去 一致/三連協
 【中部】沖縄、嘉手納、北谷の一市二町の首長らで構成する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協)」は九日、嘉手納町役場で二〇〇七年度総会を開き、同基地への地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備反対やF15戦闘機の即時撤去などを盛り込んだ本年度の活動方針を決定した。新会長に北谷町の野国昌春町長を選任した。

 野国会長は「嘉手納基地を取り巻く三市町にとって、騒音や事件事故など基地被害の悩みは尽きない。三連協で連携を取り、可能な限り住民の負担を軽減したい」と意欲を示した。

 〇二年から五年間会長を務めた嘉手納町の宮城篤実町長は「基地による被害が起きる中、三連協の存在意義が高まっている。それぞれの自治体で責任を持ち、野国町長を中心に活動したい」と述べた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705101300_04.html

2007年5月10日(木) 朝刊 2面
きょう平和行進 特別コース 国頭―名護17キロ
 県内各地を歩き平和や基地問題について考える「5・15平和行進」の復帰三十五年特別コースが十日、国頭村役場前を出発、大宜味村役場前、羽地中学校前などを通り、名護市役所までの約十七・二キロメートルで行われる。

 同日午前八時半にスタート、住民や組合員など約百人が本島北部を歩く。

 午後六時から名護市役所前広場で「辺野古移設NO!許すな憲法改悪!全国集会」を開催、県内外から約千人が参加し、基地の県内移設反対や憲法改正反対を訴える。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200705101300_05.html

社説(2007年5月10日朝刊)

[米機の未明離陸]

日中離陸を真剣に考えよ
 嘉手納基地に暫定配備されている米空軍の最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターが十日午前三時ごろから、米本国に向け離陸するという。

 同基地報道部は、未明の離陸が安眠の妨げになることについて理解しているとしつつも、「運用上の必要性」と理由を説明している。

 日ごろ、「良き隣人」を声にする米軍だが、県民の日常生活に深刻な影響を与える深夜・未明の米軍機離着陸については、一向に聞く耳を持たない。未明の離陸はやめてもらいたい。

 日中離陸は十分可能ではないだろうか。工夫すれば方法があるはずだが、その疑問に米軍は十分答えていない。

 F22の嘉手納基地への到着は、ハワイを出発した後、昼ごろだった。風向きや風速、天候などを勘案した上、他の基地経由で本国に戻る可能性について、十分検討したのであろうか。

 季節によってはアラスカ経由もあっていいのではないか。沖縄から南方で米本国からは遠くなるが、グアム経由もあってもいい。

 グアムは準州とはいえ両方とも米国であり、航空機の離陸がどの時間帯であろうとも、地域住民の理解は得られるであろう。

 ハワイ経由で本国に向かうパイロットの安全性確保のため、未明の離陸というのが米軍側の説明だが、県民の騒音禍という犠牲を強いたことをいつまでも続けることは、許されることではない。日米間で締結された嘉手納基地騒音防止協定は、有名無実化としているのではないか。

 嘉手納基地に隣接する嘉手納町が今年二月に公表した基地被害の聞き取り調査では、滑走路に最も近い東区の43%の住民が騒音などで「耳鳴りがする」と訴えるなど、健康面で被害が出ている。また、未明離陸などで「一度起きたら寝付きにくい」が50%もおり、このまま放置していいものではない。

 米軍の「運用上の理由」ということで、未明の航空機離陸をいつまでも容認するわけにはいかない。日米双方があらゆる方策を真剣に考えるべきだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070510.html#no_2